Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/05 02:16 投稿番号: [15586 / 18519]
私も「此州」は竹島、松島ではなく隠岐国だと考えます。実は私は始めて半月城さんのhpを見たときに「此州」を竹島、松島と解釈することがどうしてもできなくて、竹島問題について詳しく調べ始めるまでの約二年間、日本政府の主張はでっちあげで、竹島は韓国領ではないかと考えていました。
半月城さんは自らの著書「竹島=独島論争」の31ぺージに、
ところで『隠岐古記』や『大日本史』は竹島、松島を日本の領土と考えましたが、これは幕府による竹島(鬱陵島)の版図外確認を知らなかったとみられます。
とお書きになっています。『隠岐古記』も『大日本史』も竹島一件の後に成立した文書ですが、どちらの著者も竹島一件のことを知らなかったとすれば竹島、松島の領土認識は竹島一件以前のものであるはずですね。
これは半月城さんが「竹島一件以前にも日本人は竹島、松島を日本の領土とみなしていた」ことを認めたと受け取ってもよろしいでしょうか?
そもそも日本政府が隠州視聴合記を持ち出したのは「竹島一件以前にも日本人は竹島、松島を日本の領土とみなしていた」ことを主張するためだったと思いますが。
もうひとつ、「此州」について、
この問題は、池内敏氏の研究がきっかけになり、内藤正中氏が自説を変更するにいたり、下條正男氏以外の存命中の学者は、日本の西北の限界を隠岐島とすることで意見が一致したようです。
とありますが、「西北の限界を隠岐島とする」の部分は「西北の限界を隠岐国とする」の間違いではないでしょうか?「隠岐島」だと竹島、松島が日本の領土ではないことになりますが、内藤氏の主張は隠州視聴合記の著者が竹島、松島が隠岐国の一部であり日本の領土であると考えていた可能性を排除しているようには思えません。
半月城さんは池内氏が「竹島、松島は日本の領土ではない」と語っているのを直接耳にしたことがあるのでしょうか?池内氏から「そんなことは言ってない」などとクレームが来る心配はないのでしょうか?
ついでに内藤正中氏が「日本輿地路程全図」について、「松島・竹島を外国領として彩色しているのである」「竹島(鬱陵島)の存在を認知していたことにはなっても、外国領と彩色されているものをもって、日本の領有権を確立していたとする根拠にならないことは明らかである。」
などと騙っているのもひどい話です。私の目には「日本輿地路程全図」の松島・竹島はいかなる色にも彩色しているようには見えません。韓国政府は于山島が竹島=独島であると主張していますが、張漢相の『蔚陵島事蹟』と朴昌錫の『鬱陵島圖形』とを考慮すれば、李朝の朝鮮人は竹島=独島と竹嶼とを別々の存在として認識した上で、竹嶼を于山島と呼んでいたことは明らかです。
半月城さんは自らの著書「竹島=独島論争」の31ぺージに、
ところで『隠岐古記』や『大日本史』は竹島、松島を日本の領土と考えましたが、これは幕府による竹島(鬱陵島)の版図外確認を知らなかったとみられます。
とお書きになっています。『隠岐古記』も『大日本史』も竹島一件の後に成立した文書ですが、どちらの著者も竹島一件のことを知らなかったとすれば竹島、松島の領土認識は竹島一件以前のものであるはずですね。
これは半月城さんが「竹島一件以前にも日本人は竹島、松島を日本の領土とみなしていた」ことを認めたと受け取ってもよろしいでしょうか?
そもそも日本政府が隠州視聴合記を持ち出したのは「竹島一件以前にも日本人は竹島、松島を日本の領土とみなしていた」ことを主張するためだったと思いますが。
もうひとつ、「此州」について、
この問題は、池内敏氏の研究がきっかけになり、内藤正中氏が自説を変更するにいたり、下條正男氏以外の存命中の学者は、日本の西北の限界を隠岐島とすることで意見が一致したようです。
とありますが、「西北の限界を隠岐島とする」の部分は「西北の限界を隠岐国とする」の間違いではないでしょうか?「隠岐島」だと竹島、松島が日本の領土ではないことになりますが、内藤氏の主張は隠州視聴合記の著者が竹島、松島が隠岐国の一部であり日本の領土であると考えていた可能性を排除しているようには思えません。
半月城さんは池内氏が「竹島、松島は日本の領土ではない」と語っているのを直接耳にしたことがあるのでしょうか?池内氏から「そんなことは言ってない」などとクレームが来る心配はないのでしょうか?
ついでに内藤正中氏が「日本輿地路程全図」について、「松島・竹島を外国領として彩色しているのである」「竹島(鬱陵島)の存在を認知していたことにはなっても、外国領と彩色されているものをもって、日本の領有権を確立していたとする根拠にならないことは明らかである。」
などと騙っているのもひどい話です。私の目には「日本輿地路程全図」の松島・竹島はいかなる色にも彩色しているようには見えません。韓国政府は于山島が竹島=独島であると主張していますが、張漢相の『蔚陵島事蹟』と朴昌錫の『鬱陵島圖形』とを考慮すれば、李朝の朝鮮人は竹島=独島と竹嶼とを別々の存在として認識した上で、竹嶼を于山島と呼んでいたことは明らかです。
これは メッセージ 15584 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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