Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/06/03 21:12 投稿番号: [15585 / 18519]
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この(『隠州視聴合紀』の)記述は隠岐国についての位置関係を記したものであり、関連するかたちで西北にある竹島・松島に言及しているのである。というわけで末尾の「日本の乾地 以此州為限矣」の文言については、「此州」を隠岐国とみるか、鬱陵島(竹島一)みるかで意見が対立している。
私は、幕府の特別許可を得て竹島領海事業を行なっていた時期であること、一八二三年の『隠岐古記集』で「今は朝鮮人来て住すと言ふ」の記述があることから、日本の西北境は竹島と考えると、二〇〇〇年刊行の拙著『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』のなかで記していた。
しかし、最近の池内敏による詳細な検証(『大君外交と「武威」』参照)から、「此州」は隠岐国とみるべきであるとするのが正しいと思うに至った。ただし、隠岐国を日本の西北の限界であるとしても、竹島・松島が朝鮮国の島だということにはならない。この史料は、そのことについては何らの言及もしていないのであるから、領有権をめぐる論争に利用するのは誤っている。
なお、一七七八(安永七)年に作成された長久保赤水の官許「日本輿地路程全図」のなかでは、竹島(鬱陵島)のところに「見高麗猶望雲州隠州」と記してある。これは明らかに『隠州視聴合紀』にある「見高麗如自雲州望隠岐」の記述を参照して記したものと思われる。しかもこの地図では、松島・竹島を外国領として彩色しているのである。この時期は幕府の竹島渡海禁止令によって、竹島が外国領であることが周知されていたためである。
ところが外務省のホームページは、「日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた」といって、その例証として長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』をあげているが、その意図するところがわからない。竹島(鬱陵島)の存在を認知していたことにはなっても、外国領と彩色されているものをもって、日本の領有権を確立していたとする根拠にならないことは明らかである。
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半世紀前、日本の限界とされた「此州」が、此島すなわち竹島(欝陵島)なのか、それとも隠州すなわち隠岐なのか、日韓間で外交論争になりました。この問題は、池内敏氏の研究がきっかけになり、内藤正中氏が自説を変更するにいたり、下條正男氏以外の存命中の学者は、日本の西北の限界を隠岐島とすることで意見が一致したようです。
この問題に関する日韓論争は半世紀ぶりに決着がついたといえます。
(注1)池内敏『大君外交と「武威」』名古屋大学出版会,2006,P398
(注2)内藤正中他『史的検証 竹島・独島』岩波書店,2007,P21
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
この(『隠州視聴合紀』の)記述は隠岐国についての位置関係を記したものであり、関連するかたちで西北にある竹島・松島に言及しているのである。というわけで末尾の「日本の乾地 以此州為限矣」の文言については、「此州」を隠岐国とみるか、鬱陵島(竹島一)みるかで意見が対立している。
私は、幕府の特別許可を得て竹島領海事業を行なっていた時期であること、一八二三年の『隠岐古記集』で「今は朝鮮人来て住すと言ふ」の記述があることから、日本の西北境は竹島と考えると、二〇〇〇年刊行の拙著『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』のなかで記していた。
しかし、最近の池内敏による詳細な検証(『大君外交と「武威」』参照)から、「此州」は隠岐国とみるべきであるとするのが正しいと思うに至った。ただし、隠岐国を日本の西北の限界であるとしても、竹島・松島が朝鮮国の島だということにはならない。この史料は、そのことについては何らの言及もしていないのであるから、領有権をめぐる論争に利用するのは誤っている。
なお、一七七八(安永七)年に作成された長久保赤水の官許「日本輿地路程全図」のなかでは、竹島(鬱陵島)のところに「見高麗猶望雲州隠州」と記してある。これは明らかに『隠州視聴合紀』にある「見高麗如自雲州望隠岐」の記述を参照して記したものと思われる。しかもこの地図では、松島・竹島を外国領として彩色しているのである。この時期は幕府の竹島渡海禁止令によって、竹島が外国領であることが周知されていたためである。
ところが外務省のホームページは、「日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた」といって、その例証として長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』をあげているが、その意図するところがわからない。竹島(鬱陵島)の存在を認知していたことにはなっても、外国領と彩色されているものをもって、日本の領有権を確立していたとする根拠にならないことは明らかである。
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半世紀前、日本の限界とされた「此州」が、此島すなわち竹島(欝陵島)なのか、それとも隠州すなわち隠岐なのか、日韓間で外交論争になりました。この問題は、池内敏氏の研究がきっかけになり、内藤正中氏が自説を変更するにいたり、下條正男氏以外の存命中の学者は、日本の西北の限界を隠岐島とすることで意見が一致したようです。
この問題に関する日韓論争は半世紀ぶりに決着がついたといえます。
(注1)池内敏『大君外交と「武威」』名古屋大学出版会,2006,P398
(注2)内藤正中他『史的検証 竹島・独島』岩波書店,2007,P21
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 15584 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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