朝鮮の近代地図
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/26 20:10 投稿番号: [1326 / 18519]
半月城です。
RE:1099
>朝鮮について補足しますと、朝鮮王国時代には大韓帝國期を含めて、一度も正確な全国図は作製されなかったのでないでしょうか。
^
何が「正確」なのか定義はむずかしいのですが、すくなくとも金正浩『大東輿地圖』(1861)は特筆にあたいします。世界的に権威ある『世界地図学史』(全8巻、英文)において『大東輿地圖』は精巧で優秀な伝統地図と絶賛されました。韓国でも宝物850号に登録されました。
全体の大きさがなんと6.6メートルにもなるこの大地図の精度は、北辺が少しずれるくらいで、複雑な南海岸などはほとんど狂いがありません。伊能忠敬の地図に匹敵するできばえです。
一方、地図の実用性に関しては伊能図をはるかに凌駕しています。『大東輿地圖』は山脈や河川まで詳細に記入し、さらに主要道路も直線ながら記入しました。しかし単なる直線では里程がわからないので、それを補うために10里ごとにマークを入れました。そのため、交通や物流にとってたいへん重宝な地図でした。また地図は携帯に便利なようにコンパクトな帙に収められ、常用に優れていました。
そればかりか、地図には国家の非常時にすぐ即応体制が組めるように、記号を用いて営衙や城池、烽燧、駅站、鎮堡なども完璧に記入しました。そのため、日清戦争で日本、清ともに軍事作戦に『大東輿地圖』を利用したくらいでした(注1)。日本軍の場合は独自に測量図「漢江近海図」などをすでに作成していましたが、それでも『大東輿地圖』は有用だったようです。
このように、『大東輿地圖』は政治や経済、軍事面で有用な地図なのに、不思議なことにこれは官撰地図ではありませんでした。これほど詳細で膨大な情報を満載した大地図が国家事業ではなく、金正浩個人によっていかに作成されたのか未だにほとんどナゾとされています。
かろうじてわかっているのは、かれは地図を作成するにあたり、申ホンの協力により奎章閣の図書を閲覧できたということくらいです。その知識をもとに全国を歩き回り『大東輿地圖』を完成させたようでした。
したがって、かれは『世宗実録』地理志や『東国輿地勝覧』など地理志の伝統を受けついだことだけはたしかで、そうした趣旨がかれの著書『大東地誌』『輿國備志』『東輿圖地誌』などにうかがえます。なお、申ホンはのちにアメリカによる江華島攻撃事件(辛未洋擾,1871)交渉の際に朝鮮側全権をつとめた人ですが、かれの影響か、金正浩は国防の観点から軍事施設を重視したものと思われます。
ナゾは地図作成方法だけではありません。かれの人生もナゾです。私は #1077で「金正浩は地図出版の罪により刑死しました」と書きましたが、それもどうやらあやふやで否定説も根強いようです。そればかりか、生まれも育ち、身分などもほとんど情報がないようです。わずかにかれは中人の身分であったらしいということが『里郷見聞録』により推定されます。いきおい、かれを題材にした映画や物語はほとんどフィクションといっても過言ではありません。それほど、長い間ほとんど忘れられた存在でした。
それが日帝時代に他ならぬ朝鮮総督府からにわかに評価され『朝鮮語讀本』に掲載されました。地図が日清戦争に活用されたくらいなので、総督府はその価値を誰よりもよく知っていたに違いありません。
しかし『朝鮮語讀本』の記述はによればあまり信用できないようです。かれの地図版木はすべて押収されて焼却されたと書かれましたが、1990年代になって焼却されたはずの版木が11枚(22面)も見つかりました。大発見です。
ちなみに、この地図で竹島=独島は記載されませんでした。個人の力や執念もここまでです。朝鮮周辺の数百、数千もある小島すべてを個人的に踏査するなんて至難なのは自明です。
(注1)東亜日報、1925.10.8
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
RE:1099
>朝鮮について補足しますと、朝鮮王国時代には大韓帝國期を含めて、一度も正確な全国図は作製されなかったのでないでしょうか。
^
何が「正確」なのか定義はむずかしいのですが、すくなくとも金正浩『大東輿地圖』(1861)は特筆にあたいします。世界的に権威ある『世界地図学史』(全8巻、英文)において『大東輿地圖』は精巧で優秀な伝統地図と絶賛されました。韓国でも宝物850号に登録されました。
全体の大きさがなんと6.6メートルにもなるこの大地図の精度は、北辺が少しずれるくらいで、複雑な南海岸などはほとんど狂いがありません。伊能忠敬の地図に匹敵するできばえです。
一方、地図の実用性に関しては伊能図をはるかに凌駕しています。『大東輿地圖』は山脈や河川まで詳細に記入し、さらに主要道路も直線ながら記入しました。しかし単なる直線では里程がわからないので、それを補うために10里ごとにマークを入れました。そのため、交通や物流にとってたいへん重宝な地図でした。また地図は携帯に便利なようにコンパクトな帙に収められ、常用に優れていました。
そればかりか、地図には国家の非常時にすぐ即応体制が組めるように、記号を用いて営衙や城池、烽燧、駅站、鎮堡なども完璧に記入しました。そのため、日清戦争で日本、清ともに軍事作戦に『大東輿地圖』を利用したくらいでした(注1)。日本軍の場合は独自に測量図「漢江近海図」などをすでに作成していましたが、それでも『大東輿地圖』は有用だったようです。
このように、『大東輿地圖』は政治や経済、軍事面で有用な地図なのに、不思議なことにこれは官撰地図ではありませんでした。これほど詳細で膨大な情報を満載した大地図が国家事業ではなく、金正浩個人によっていかに作成されたのか未だにほとんどナゾとされています。
かろうじてわかっているのは、かれは地図を作成するにあたり、申ホンの協力により奎章閣の図書を閲覧できたということくらいです。その知識をもとに全国を歩き回り『大東輿地圖』を完成させたようでした。
したがって、かれは『世宗実録』地理志や『東国輿地勝覧』など地理志の伝統を受けついだことだけはたしかで、そうした趣旨がかれの著書『大東地誌』『輿國備志』『東輿圖地誌』などにうかがえます。なお、申ホンはのちにアメリカによる江華島攻撃事件(辛未洋擾,1871)交渉の際に朝鮮側全権をつとめた人ですが、かれの影響か、金正浩は国防の観点から軍事施設を重視したものと思われます。
ナゾは地図作成方法だけではありません。かれの人生もナゾです。私は #1077で「金正浩は地図出版の罪により刑死しました」と書きましたが、それもどうやらあやふやで否定説も根強いようです。そればかりか、生まれも育ち、身分などもほとんど情報がないようです。わずかにかれは中人の身分であったらしいということが『里郷見聞録』により推定されます。いきおい、かれを題材にした映画や物語はほとんどフィクションといっても過言ではありません。それほど、長い間ほとんど忘れられた存在でした。
それが日帝時代に他ならぬ朝鮮総督府からにわかに評価され『朝鮮語讀本』に掲載されました。地図が日清戦争に活用されたくらいなので、総督府はその価値を誰よりもよく知っていたに違いありません。
しかし『朝鮮語讀本』の記述はによればあまり信用できないようです。かれの地図版木はすべて押収されて焼却されたと書かれましたが、1990年代になって焼却されたはずの版木が11枚(22面)も見つかりました。大発見です。
ちなみに、この地図で竹島=独島は記載されませんでした。個人の力や執念もここまでです。朝鮮周辺の数百、数千もある小島すべてを個人的に踏査するなんて至難なのは自明です。
(注1)東亜日報、1925.10.8
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 1099 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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