竹島
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改訂『隠州視聴合記』の新解釈(III)
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/03 19:56 投稿番号: [10081 / 18519]
隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、・・・(中略)
1.隠岐国は北海中にあるがゆえに(島名を)隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。(隠岐国のうち)東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。
2.これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、(隠岐国より)南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、(隠岐国より)南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、(隠岐国より)北から東に至る往くべき地無し。
3.(隠岐国より)戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)
4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州(くに)をもって限りとす。
1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と隠岐の国の位置関係を述べた部分
これらの記載は隠岐国の地理的特性を述べるに際して締りをつける部分にあったている。こうした点に鑑みて史料を素直に解釈しようとすれば、4.にある二島が何に属し、「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり議論の生じよう筈もない。云うまでもなく、それは隠岐国でなければならぬ。
按ずるに後年、竹島(鬱陵)の領土紛争が生じるとは当時としては予見されたり、考えられなかったため、隠岐国のこれまでの歴史的構成に、新しく始まった鬱陵の開発経営と新規に発見された松島(大谷文書)の見聞が加わり地誌に3.〜4.の記載が加わったものと考えられる。
【終了】
これは メッセージ 10080 (torezojp さん)への返信です.
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改訂『隠州視聴合記』の新解釈(II)
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/03 19:53 投稿番号: [10080 / 18519]
先述したように、「国代記」は、国単位で見た隠岐国の特性を記したものであり、地理・貢納・歴史の三部構成をとる。(三)の部分は、次の項目(貢納)に移行する直前にあって、隠岐国の国単位での地理的特性を述べるに際して締まりをつける部分にあたっている。こうした点に鑑みて史料を素直に解釈しようとすれば、(三)にある「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり、議論の生じようはずもない。
にもかかわらず議論が決着しない根本原因を突き詰めてみれば、「州」は「島(嶋)」と読み替えても良い、とする主張にゆきあたる。管見の限りではそうした主張は「州はシマの意であるとする[田川孝三、四三頁]に遡る。その見解が再検討されることもなく踏襲されているところに、議論混迷の要因があるように思われてならない。(略)
【転写終了】
愚老も鋭い御指摘であると承った。このあと「隠州視聴合記」の「州」および「島(嶋)」の用例の検索・整理から始めて精緻な論理構成から「州」は「シマ」でなく「クニ」であると結論されている。
学者としての研究成果を領土紛争の解釈への火種に用いられることへの警戒もあるように愚老には管見されるが良心的立場からすれば充分理解され得ることである。
池内氏に無断で、釈読の頭にローマ数字を付けたのは、「州」は「シマ」でなく「クニ」であると読むべきであるとしても、以下のような読み方も可能であることを示してみたかっただけで他意はない。現代の知見から、その視点からだけでものを論ずるは、やはり、「州」を「島(嶋)」に読みかえる過ちを犯すことを恐れるからである。
当時の時代背景は鬱領の空島政策により、竹島、松島は無人の地と考えられ無主地と受け取られ、大谷、村川両家の漁猟を中心とした竹島経営が行われていたためにそれを熟知した隠岐郡代・斉藤豊仙は当時見聞したものを照らし合わせて地誌である「隠州視聴合記」を記したものである。後年、領土問題で勝手読みされる等とは、毛頭、念頭に無かったはずで領土意識抜きに素直に書かれたものであることに違いない。
【続く】
これは メッセージ 10079 (torezojp さん)への返信です.
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改訂『隠州視聴合記』の最新解釈(I)
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/03 19:49 投稿番号: [10079 / 18519]
財団法人韓国文化研究振興財団-青丘学術論集2005年3月「前近代竹島の歴史学的 研究序説」−「隠州視聴合記」の解釈をめぐって
池内敏
上の著作は「隠州視聴合記」の解釈をめぐって展開される精緻な研究成果を総括されたものであって、学術的価値はたかい。内容にも傾聴に値する新鮮な御指摘が随所に見られる。ただ、1部に2,3愚老と意見を異にする部分も見られるので、愚按を混えて述べてみたい。併記して論じるためには字数が限られるため、失礼を承知で、可能な限り原文を残すかたちで愚按を記してみた。
【転写開始】
隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、・・・(中略)
さて、議論となっている冒頭部分は、以下のように釈読されねばなるまい。ただし最後の一文にある「此州」については、州の解釈をめぐる議論が分かれているため、とりあえず「州」という表記のまま残しておく。
(一−一)隠岐国は北海中にあるがゆえに(島名を)隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。
(一−二)(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。
(一−三)(隠岐国のうち)東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。
(一−四)その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。
(二−一)これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、
(二−二)(隠岐国より)南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、
(二−三)(隠岐国より)南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、
(二−四)(隠岐国より)北から東に至る往くべき地無し。
(二−五−一)(隠岐国より)戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、
(二−五−二)そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)
(二−五−三)この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。
(三)そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州(くに)をもって限りとす。
右に見るように、「国代記」冒頭の地理的特性を述べた部分は、隠岐の構成について述べた部分(一−一−四)、隠岐国を基点にして四方位に何があるかを述べた部分(二−一−五)、(二)を踏まえて日本(の本土)と隠岐国との位置関係を述べて部分(三)、の三っの内容から構成されることが明瞭である。
【続く】
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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>>無人島を領土として認識したか
投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/03 09:52 投稿番号: [10078 / 18519]
これは メッセージ 10075 (kikousidayo さん)への返信です.
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>te2222000さんって何様?
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/03 07:03 投稿番号: [10077 / 18519]
> この意見が妥当かどうかの判定は会議室の読者一人一人に委ねます。
すみません、別のコミュニティサイトの用語と混同して「会議室」と書いてしまいました。「会議室」ではなく「掲示板」ですね。
これは メッセージ 10073 (kana_ikeuchi さん)への返信です.
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>無人島を領土として認識したか
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/03 06:16 投稿番号: [10076 / 18519]
husenoyajiさん
明記されていませんが、私の #10041 を受けてのご意見ですよね。
> 松島竹島がこの州に入らないとしたばあいに、
> では朝鮮に属すると結論するわけにもいかないでしょう。
>
> 日本領は隠岐まで、松島竹島は単なる無人島、
> その先に朝鮮という考え方の可能性も十分あります。
>
> 日本領を限定したのですから、朝鮮領であると
> 考えるならそう書く方が自然です。
はい、妥当なご意見だと思います。
なお、「無人島を領土として認識したか」という表現ですが、以下のように書いた方が正確です。
----------
日本の領土から一日以上離れており、外国が、見える程に近いところにある無人島を領土として認識したか。
----------
揚げ足を取るようなことを言ってすみません。
ただ、近いところなら日本領の無人島はいくらでもあるし、実際早とちりしてそういう観点からコメントされた方もいるようなので補足しておきます。
もう少し補足すると、上について斉藤豊仙が「領土とは言えない」と考えた可能性があれば、私の論は成り立ちます。したがって、たとえ以下のようなことが正しくても、私の論は否定されないと思っています。私への反論を考えていらっしゃる方は、この点ご留意ください。
- 斉藤豊仙が「領土と言える」と考えた可能性もある
- 斉藤豊仙以外の人で「領土と言える」と考えた人がいた
これは メッセージ 10074 (husenoyaji さん)への返信です.
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>無人島を領土として認識したか
投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/02 15:28 投稿番号: [10075 / 18519]
これは メッセージ 10074 (husenoyaji さん)への返信です.
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無人島を領土として認識したか
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/02 14:31 投稿番号: [10074 / 18519]
これも、問題になりますね。
住人が居ようが居まいが領土であるというのは現代人の感覚ですから。
松島竹島がこの州に入らないとしたばあいに、では朝鮮に属すると結論するわけにもいかないでしょう。
日本領は隠岐まで、松島竹島は単なる無人島、その先に朝鮮という考え方の可能性も十分あります。
日本領を限定したのですから、朝鮮領であると考えるならそう書く方が自然です。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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te2222000さんって何様?
投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/02 14:13 投稿番号: [10073 / 18519]
>今のところ私は、この意見に議論する価値があると思わないのでコメントはしないことにします。この意見が妥当かどうかの判定は会議室の読者一人一人に委ねます。
>なお、池内敏氏は「前近代竹島の歴史学的研究序説」において隠州視聴合紀に関する過去の論説を調査し、此州の解釈をいくつかのパターンに分類しています。しかし、竹島と松島が隠州に属するとした研究者は一人もおらず、当然池内氏はそのような分類カテゴリーを設けておりません。参考までに言い添えておきます。
このトピは会議室(そんなことだれかしってる?)のトピだったの?
Yahoo掲示板の中の竹島トピと言うから、書き込んできただけよ。
>この意見が妥当かどうかの判定は会議室の読者一人一人に委ねます。
何という会議室なのかしら?知ってる方いたら教えて。
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竹島
2001/12/26 4:19
メッセージ: 1 / 10072
アバターとは?
投稿者: ritiarno
竹島(韓国名、独島)はどちらの領土のなのでしょうか?
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>今のところ私は、この意見に議論する価値があると思わないのでコメントはしないことにします。
などとそんな偉い方の会議室だった訳ですか。 ritiarno さんは一言もそんなこと云っていないわよね。これは[専門者会議だ]と断って下さってれば、誰も迷い込まなかったでしょうよ。こんなことってあり・・・・?
これは メッセージ 10072 (te2222000 さん)への返信です.
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>改訂・此州ー隠岐は本邦北西の果て(II)
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/02 06:51 投稿番号: [10072 / 18519]
#10070 の torezojp さんのご意見は、私が #9653 で分類した中の「c3. 此州は隠州を指し、竹島と松島は隠州の一部である」という解釈に相当します。
これまで torezojpさんは「国代記の州はシマと読む。林子平もそう読んでいる」というお考えだったと思いますが(例えば #9246)、今回、クニと読む解釈について言及されたところを見ると、その考えに自信がなくなってきたようですね。
さて、torezojpさんは、私が #9654 に書いた以下の疑問に間接的に答えていらっしゃるようなので、まとめてみます。
> ○疑問 c3-1
>
> 国代記・地理では以下のように隠州が島前、島後の
> 四郡から成ることを述べている。
>
> 隱州在北海中故云隱岐嶋
> 按倭訓海中言遠幾故名歟
> 其在巽地言島前也知夫郡海部郡屬焉
> 其位靈地言島後周吉郡穩地郡屬焉
> 其府者周吉郡南岸西郷豊崎也
>
> ここに竹島と松島の言及がないのはなぜか。
→ ここは隠岐国の歴史的構成について述べている。
> ○疑問 c3-2
>
> 国代記・地理の記述は、隠州から北西に二日行ったところに
> 松島があると読める。これは隠州と松島を別のものと
> 考えていることにならないか。
→ 隠岐を基点に乾の方位に新規に何があるかを述べている
今のところ私は、この意見に議論する価値があると思わないのでコメントはしないことにします。この意見が妥当かどうかの判定は会議室の読者一人一人に委ねます。
なお、池内敏氏は「前近代竹島の歴史学的研究序説」において隠州視聴合紀に関する過去の論説を調査し、此州の解釈をいくつかのパターンに分類しています。しかし、竹島と松島が隠州に属するとした研究者は一人もおらず、当然池内氏はそのような分類カテゴリーを設けておりません。参考までに言い添えておきます。
これは メッセージ 10070 (torezojp さん)への返信です.
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>>松嶋(獨島)は隠州に非ず
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/02 05:59 投稿番号: [10071 / 18519]
kikousidayoさん
> 周吉郡・布施村の松島
> 周吉郡・蛸木浦の松島
> 穏地郡・西村・白島崎の松島
> 海部郡の松島
> 知夫郡・薄毛の竹島
私も隠州視聴合紀を確認してみました。最後の竹島は確かに巻四・知夫郡・知夫湊に載っていますね。
ただ、穏地郡・西村・白島崎の松島と海部郡の松島は見つけられなかったのですが、どこに載っているのでしょうか。そもそも西村は周吉郡だと思うのですが…
ひょっとして隠州視聴合紀には載っていないけれど当時松島と呼ばれていた島をご紹介下さったのでしょうか。よろしかったら、何という史料を参照したか教えていただけますか。
これは メッセージ 10068 (kikousidayo さん)への返信です.
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改訂・此州ー隠岐は本邦北西の果て(II)
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/01 22:49 投稿番号: [10070 / 18519]
【転写開始】
隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、
さて、議論となっている冒頭部分(隠岐国の地理的特性を述べた部分)は、以下のように釈読されねばなるまい。
1.隠岐国は北海中にあるがゆえに隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。
2.これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、北から東に至る往くべき地無し。
3.戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)
4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州(くに)をもって限りとす。
1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と隠岐の国の位置関係を述べた部分
これらの記載は隠岐国の地理的特性を述べるに際して締りをつける部分にあったている。こうした点に鑑みて史料を素直に解釈しようとすれば、4.にある二島が何に属し、「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり議論の生じよう筈もない。云うまでもなく、それは隠岐国でなければならぬ。
【転写終了】
「日本の北西の地はこの州(くに)をもって限りとす。」から、則ち、「日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。」の結論が導かれる。
これは メッセージ 10069 (torezojp さん)への返信です.
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改訂・此州ー隠岐は本邦北西の果てか(I)
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/01 22:45 投稿番号: [10069 / 18519]
>話としては大変面白いと思います。しかし、隠州にキジがいないと解釈した方が事実に合います。1730年代に編まれた「隠岐国産物絵図注書」には「雉子はと」はあるが「雉子」はありません。(#10060)
http://www.biodic.go.jp/reports/oldbird/ae017.html
allarefriends2000さんに上のようにご教示されましたわ。 老子読みはチョット悪戯が過ぎたようですな。te2222000さんのご質問にお答えすることは、前提が崩されましたのでご勘弁頂きましょうかな。
答えにはならないかも知れないが、愚老は島と読んでも州(くに)と読んでも、結果は同じことだと考えておりますわい。
【転写開始】
隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、
さて、議論となっている此州を、(老子読みして)嶋とするなら、以下のように釈読されねばなるまい。
隠岐国は北海中にあるがゆえに隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。
これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、北から東に至る往くべき地無し。
戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)
この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麓を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。
【転写終わり】
「日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。」の結論が導かれる。
【続く】
これは メッセージ 10065 (te2222000 さん)への返信です.
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>>松嶋(獨島)は隠州に非ず
投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/01 21:08 投稿番号: [10068 / 18519]
これは メッセージ 10064 (te2222000 さん)への返信です.
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韓国政府『間島条約』は無効
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2005/07/01 11:33 投稿番号: [10067 / 18519]
これは メッセージ 9986 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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≫竹嶼
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/01 09:31 投稿番号: [10066 / 18519]
家鴨と兎さん、情報提供有り難うございます。
>明治13年(1880)水路報告第33号、附属地図を参照して下さい。「竹島考証」271ページです。竹嶼とありますよ。
なるほど、日本の公式な文献では以前から「竹嶼」となっていたわけですね。
対して韓国の公式文書では、「松竹島」(李奎遠)、「竹島」(皇城新聞、勅令41号など)となっていました。
『韓国水産誌』では韓国名「石島」を日本名「竹島」と表記すると同時に、韓国名「竹島」を「竹嶼」と表記しました。これは韓国の公式文書では初めてでしょう。
これは メッセージ 10063 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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>続々・此州ー隠岐は本邦北西の果てか
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/01 06:59 投稿番号: [10065 / 18519]
torezojpさん
> さて、議論となっている此州を、先のように
> 老子読みして嶋とするなら、以下のように
> 釈読されねばなるまい。
ちょっと確認したいのですが、torezojpさんのご意見は以下のどちらですか。
A. 老子読みをしなくてもこのような釈読は可能だが、老子読みをすることで一層明瞭になる。
B. 老子読みをしないと、このような釈読ができない。
これは メッセージ 10046 (torezojp さん)への返信です.
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>松嶋(獨島)は隠州に非ず
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/01 06:54 投稿番号: [10064 / 18519]
これは メッセージ 10058 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10064.html
>竹嶼
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/01 00:04 投稿番号: [10063 / 18519]
>「竹嶼」と云う名称が使われ出したのは、大韓帝國農商工部水産局が編纂した『韓国水産誌』からは確認されていますが、それ以前に「竹嶼」と公式に表記されたことは確認されていません。
明治13年(1880)水路報告第33号、附属地図を参照して下さい。「竹島考証」271ページです。竹嶼とありますよ。
竹島・竹嶼を明治14年の報告書では混用しているということになりましょうか。いずれにせよ、韓国水産誌は、ずっとあとの話でしょう。
これは メッセージ 10061 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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>島後松島
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 23:45 投稿番号: [10062 / 18519]
>島後周吉郡蛸木浦沖合いの松島があるから、同じ州に松島が有ってはいけないことにはならないよ。
隠州の松島は島前です。
そもそも隠州を管理する斉藤豊仙は「島前松島」或いはそれに類似の識別を全くしておりませんし、見かけない用例ですね。
実例を示して下さい。
ま、ありがちな「根拠はないけれども云ってみただけ」でしょうけど。
これは メッセージ 10059 (kikousidayo さん)への返信です.
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竹嶼
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 23:09 投稿番号: [10061 / 18519]
これは メッセージ 10059 (kikousidayo さん)への返信です.
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Re:続・此州ー隠岐は本邦北西の果てか
投稿者: allarefriends2000 投稿日時: 2005/06/30 22:58 投稿番号: [10060 / 18519]
torezojpさん
>「州」は「島」の意となるとすればなどと、時には発想を変えてみることも必要でなかろうか。
全くその通りだと思います。
>昔変わり者の物好きが松島に雉がいないことを物足りなく思って、試みに出雲(国)から雌雄の雉を連れてきて松島に放したところ、一年後にはいなくなった。雉には羽が有ることを忘れていたところが、いかにも変わり者の物好きらしい。恐らく道後にでも移り棲んでその子孫を増やしたことだろうよ。
話としては大変面白いと思います。しかし、隠州にキジがいないと解釈した方が事実に合います。1730年代に編まれた「隠岐国産物絵図注書」には「雉子はと」はあるが「雉子」はありません。
http://www.biodic.go.jp/reports/oldbird/ae017.htmlまた、1983年11月16日付「毎日新聞夕刊」には、1955-60年にかけて放鳥されたキジが増え、島後は全国の猟区のうち最もキジの密度が高いという記事があります。隠岐の野鳥研究者もキジは放鳥されたものと認めています。
http://www8.ocn.ne.jp/~par15/okinoyatyou1.htm
「隠州視聴合紀」は大変味わい深いものです。大いに楽しんで下さい。私も楽しませて貰っています(#9572)。
これは メッセージ 10044 (torezojp さん)への返信です.
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>松嶋(獨島)は隠州に非ず
投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/06/30 22:24 投稿番号: [10059 / 18519]
>もし「松嶋(=獨島)」を隠州之内とするならば、隠州には全く同名の島嶼が存在することになり、単に「松嶋」としただけでは何れとも判別できないことになります。これは全く馬鹿げた妄想と云わざるを得ません。
島後周吉郡蛸木浦沖合いの松島があるから、同じ州に松島が有ってはいけないことにはならないよ。
AHOさん、島後松島とか呼べば別に困らないのさ。松島・竹島はありふれていて多いのさ。現に竹島にも、竹島(竹嶼)がある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1882[5]
李奎遠
属島は竹嶼,島頂(観音島)の2島のみ
1900[6] 禹用鼎 鬱陵島周辺を調査,報告書を提出,松島への言及なし
1900[9]「皇城新聞」「付属する小六島の中で、最も顕著な島は、于山島と竹嶼
1900[10] 報告書を元に勅令41号を発布
属島は石島,竹嶼2島記す
これは メッセージ 10058 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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松嶋(獨島)は隠州に非ず
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 21:08 投稿番号: [10058 / 18519]
>4.にある二島が何に属し、「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり議論の生じよう筈もない。
左様。
隠州の島前には既に「松嶋」と呼ばれる島が「松嶋(=獨島)」とは別に在り、このことは視聴合記にも記されていますね。
もし「松嶋(=獨島)」を隠州之内とするならば、隠州には全く同名の島嶼が存在することになり、単に「松嶋」としただけでは何れとも判別できないことになります。これは全く馬鹿げた妄想と云わざるを得ません。
然らば即ち、二島は隠州と別に有ると読まざるを得ません。
これは メッセージ 10057 (torezojp さん)への返信です.
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改訂・此州ー隠岐は本邦北西の果てか
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/06/30 19:22 投稿番号: [10057 / 18519]
隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、
さて、議論となっている冒頭部分(隠岐国の地理的特性を述べた部分)は、以下のように釈読されねばなるまい。
1.隠岐国は北海中にあるがゆえに隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。
2.これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、北から東に至る往くべき地無し。
3.戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)
4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州をもって限りとす。
1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と隠岐の国の位置関係を述べた部分
これらの記載は隠岐国の地理的特性を述べるに際して締りをつける部分にあったている。こうした点に鑑みて史料を素直に解釈しようとすれば、4.にある二島が何に属し、「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり議論の生じよう筈もない。云うまでもなく、それは隠岐国でなければならなぬ。
これは メッセージ 10046 (torezojp さん)への返信です.
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あの
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/30 14:13 投稿番号: [10056 / 18519]
>貴方が安龍福発言の信憑性を問題にするから
最初から言ったことを疑っておりません。
私は
>この説を言い出した安龍福の発言は信用に足る物ではありません。
言い出したこと自体を疑ってませんよ。
発言が信用に足らない
と言うのであって、発言を記録した朝鮮政府の資料が信用
に足らないと言ってるのではありません。
さらに
>于山島が獨島であるというのは、単純にわかる間違いだと思います。
と、命題が間違ってるのだとはっきり言ってますよ。
安龍福が獨島の存在を松島という名前で知ったことは確実です。
しかし、正確な知識は何一つ提示されていません。
正確に知れば、同じとは言えないのです。
だからこそ、「同じ」という主張自体が
領有権を否定する証拠になると言っているのです。
これは メッセージ 10055 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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公私の別
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 13:11 投稿番号: [10055 / 18519]
無論、安龍福は私人です。
しかし朝鮮王朝の官撰資料は公です。
貴方が安龍福発言の信憑性を問題にするから、日本側の文献を裏付けとして挙げたではありませんか。
今更「彼の発言が正しかろうが間違っていようが」などと仰らないで下さい。
下條さんの根拠無い仮説をもとに、安龍福発言を出鱈目とまで云う人もいますが、検証されるべきは下條さんの仮説であって安龍福発言の骨子には特に疑わしい点はありません。
安龍福(及び同道した僧侶なども含むであろう)の説明に対して、日本人が「覚書で安は江原道の鬱陵島は日本で言う竹島であり、所持した朝鮮八道の地図に記されていると説明。さらに松島(現・竹島)は同じく江原道の子山(そうさん)と呼ぶ島であり、これも地図に記載されているとして、朝鮮領であるとの認識を示している。」と書いたのです。
これは メッセージ 10054 (husenoyaji さん)への返信です.
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ではないのです。
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/30 12:58 投稿番号: [10054 / 18519]
>「竹島と朝鮮之間三十里
竹島と松島之間五十里」との記
これでは位置関係がことなります。
>さらに松島(現・竹島)は同じく江原道の子山(そうさん)と呼ぶ島であり、これも地図に記載されているとして、朝鮮領であるとの認識を示している。」と書いたじゃありませんか
残っている地図では獨島の位置にはありません。
つまり、彼の発言はすべて、実際の獨島を知らないことを意味しているのです。
上記の距離と地図も矛盾しています。
また何度も言いますが、同じと彼が言ったかどうかではなく、
言ったことの内容が間違いだと言っているのです。
「于山島と松島は同じ」という命題自体が、
「富士山とは箱根のことである」というのと同様、命題自体が間違いなんです。
その命題を安龍福が述べたかどうかは最初から問題にしていません。
そして、彼の発言がただしかろうが間違っていようが、
彼は、正式の使節ではない、むしろ騙り。
朝鮮政府の公式認識や決定を伝えた物ではない、
鳥取藩で外交交渉はしてない、
以上の点から、無意味です。
現実を端的に言えば、奴隷がとちくるった暴挙をしたのを丁重に相手をしただけ。
これを根拠に領有権を主張するなら、かなり恥知らずだと思います。
これは メッセージ 10053 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10054.html
子山島と松島は同じ
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 12:20 投稿番号: [10053 / 18519]
安龍福が説明し日本人が記録した「竹島と朝鮮之間三十里
竹島と松島之間五十里」との記述から、もはや位置関係については疑義は残りませんね。
それに、山陰中央日報の記者も「覚書で安は江原道の鬱陵島は日本で言う竹島であり、所持した朝鮮八道の地図に記されていると説明。さらに松島(現・竹島)は同じく江原道の子山(そうさん)と呼ぶ島であり、これも地図に記載されているとして、朝鮮領であるとの認識を示している。」と書いたじゃありませんか。
下條さんの仮説は、もともと実証的な証拠に拠らずに、多くは仮定や推定で構成されたものに過ぎません。
また、新たに実証的な証拠が発掘されてからは、完全に葬られたと理解しています。
これは メッセージ 10052 (husenoyaji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10053.html
言ったかどうかではないんですよ。
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/30 11:00 投稿番号: [10052 / 18519]
発言自体の事実認識の問題なんです。
于山島と松島が同じだと言う認識自体が明白に間違いと
言っているのですよ。
>「大きな島」云々については、単に下條さんが「そう云ってみたかっただけ
安龍福はそう言ったんでしょ。
それらの発言しか聞いてないひとなら古代の于山島を倭の
松島と考えることに抵抗はないです。
日本で安龍福がそう発言して日本側が抵抗しなかったのでど
こにあろうと領有権は確定したと言われるのかな?
これは メッセージ 10051 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10052.html
不戦親父さんへ
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 10:41 投稿番号: [10051 / 18519]
これは メッセージ 10049 (husenoyaji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10051.html
Am_I_AHO_1stさんへ
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/30 10:12 投稿番号: [10050 / 18519]
失礼しました。さんが抜けました。
これは メッセージ 10049 (husenoyaji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10050.html
Am_I_AHO_1stへ
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/30 10:11 投稿番号: [10049 / 18519]
>于山は倭の所謂松島であり于山は朝鮮の地と書いてあります
この説を言い出した安龍福の発言は信用に足る物ではありません。
むしろ、ほとんど証拠価値はないかと。
于山島が獨島であるというのは、単純にわかる間違いだと思います。
なぜ間違いに気がつかなかったかと言えば、倭の松島がどこにあって
どんなものか正確に知らないから。
安龍福の言う「大きな島」を信用するからこそ于山島だと信じた。
これが、もっとも筋の通った解説です。
つまり、「于山は倭の松島」という主張自体が領有権を否定すると私は思います。
どこにあるか明治期になってもわからなかった物を間違って自分のものだと思っていたということです。
これは メッセージ 10038 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10049.html
日本から朝鮮半島への米の伝播について2
投稿者: marines15553292 投稿日時: 2005/06/29 23:14 投稿番号: [10048 / 18519]
また朝鮮半島の米はNO.2の遺伝子が70%を占めますので、米が朝鮮半島に導入された初期段階でNO.2の遺伝子が多く伝わっていなければなりません。日本から2種類の遺伝子を持った米が朝鮮半島に渡ったものの、NO.1の温帯ジャポニカ種は朝鮮半島に根付かずNO.2の遺伝子のみが広まり、そこに中国東北部から米が入ってきて、NO.2の遺伝子を持つ米と交雑したと考えると朝鮮半島の米に遺伝子的な説明が付きます。
中国はすべての遺伝子が満遍なくあるので、特定の種類の遺伝子だけを多くして朝鮮半島に伝えるのは無理です。
韓国の学界には古代朝鮮人が遺伝子を見分ける何らかの術を持っていて、仕分けをした上で日本に米を伝えたとする説を唱える学者もいますが、願望というか発表の際に興奮気味に意地でも朝鮮半島から日本に米が伝わったことにしたいというふうにしか見えませんでした。どうやって遺伝子を見分けたかを説明していないので相当に無理がある説と思います。
韓国の学者は学術的見地よりも感情が先に出ているので非常に相手をしにくいです。実際にBSEの研究会をイギリスで開催した際は韓国からは招待者なしという事態もありました。
米の伝来は中国南部から日本へ来たものであることを説明しましたが伊勢神宮にはこれを裏付けるような伝承があります。
「米は斉の御田から天照大神が持ってきた」(斉は現在の中国山東省)というもので、現在の学界では日本の米は中国の山東省付近という説がもっとも有力です。
また、同地域にも一部部族が日本へ渡ったとする伝承がありこれを裏付けています。
さらに台湾の学者が鵜飼に着目した研究をしているのですが、これも日本への米の伝来が中国経由であることを裏付けています。
鵜飼の風習は中国の楚の国(現在の湖南省と湖北省とその周辺)とその稲作文化圏である四川省、雲南省、広東省など中国南方の地方によく見られます。日本でも普通に見られます。
ところがこの鵜飼は朝鮮半島では古来まったく見られません。台湾や琉球文化圏でも鵜飼の習慣はありません。このことは最初に米を日本へ持ってきたのが、中国南部の楚に起源を持つ人たちで経由なしで直接日本に伝来させたことを裏付けています。その人達が伝えた鵜飼は日本に広まったということです。
なお、日本の品種改良技術は奈良〜鎌倉時代に飛躍的に伸びましたが、飛鳥時代にも籾の選別技術等が確立しており、5世紀頃には単位収量がアジアでトップクラスになっています。
日本が韓国を併合した時に韓国に日本の耕作技術が輸出されましたが、単位収量が併合前に比べて2.2倍という爆発的増加をみましたが、これは灌漑設備の他、植物防疫、施肥法の伝授によるものです。単位収量の増加は韓国における生活の安定をもたらし、食料計画の研究資料によると摂取カロリーが一日あたり併合前に比べて一人あたり400カロリー、摂取タンパク質量が一人あたり7グラムも増えました。栄養状態の大きな改善により併合中は韓国の人口は2倍にも増えています。
中国も韓国と同程度の収量であったことなどをみると日本の稲作技術は20世紀初頭でアジアで飛び抜けてトップであったことが伺えます。
これは メッセージ 10047 (marines15553292 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10048.html
日本から朝鮮半島への米の伝播について1
投稿者: marines15553292 投稿日時: 2005/06/29 23:07 投稿番号: [10047 / 18519]
こんにちは。
自分は現在、某国立大学の農学部在籍中の者です。
お米に関しては来年の卒論のテーマですので検索に誘われてきました。
農学、植物学、生態学の分野では米の伝来ルートについては中国南部から直接伝来したという説が定説でしたが、考古学、歴史学の分野では朝鮮半島経由という考え方が有力でした。
しかし、7,8年前からまず考古学の分野から変化が起き、次第に中国南部から直接伝来した説が有力になって、現在ではほぼすべての学界で定説になっています。また中国の稲作研究界ではむしろ水稲種は日本から朝鮮半島に伝播したという説が有力になっています。
この流れが加速したのは主に2つの理由があります。
遺伝子工学の分野からの研究の成果、もう1つは中国政府機関が20年以上かけて中国北東部で行った品種の調査です。この2つが決定打になり朝鮮半島経由で米が伝来した可能性がなくなりました。
順を追って農学専門家以外の方にも分かるように説明しますと、米には品種特性を決定づける遺伝子が7種類あります。このうち古代から現代に至るまで日本で発見された米の遺伝子は2つしかありません。日本に存在する遺伝子をNO.1とNO.2とします。NO.1とNO.2の遺伝子はそれぞれ温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカという品種の特有遺伝子です。
次に稲作の発祥地である中国はもちろんNO.1からNO.7まですべて揃っています。
朝鮮半島の米はNO.2からNO.7までの6種類が揃っていますが、NO.1だけは存在しません。これは気温が低いと存在できない遺伝子のため中国華北より北では存在できないためです。
この辺の事情は「栽培稲に関する種生態学的研究」(松尾孝嶺著)に詳述されています。
往来が盛んになればなるほど、多くの種類の遺伝子を持つ米が入る確率が高まりますが、日本には2種類しかないのが確認されていて、これが稲作開始の初期から広く分布していることから、米の伝来はごく限られた回数で特定の地域から伝来したと考えられます。
近年、炭素14年代測定法という最新の年代測定法の成果で朝鮮半島の稲作より日本の方がかなり古いことが分かってきています。日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明しています。
これに対し朝鮮半島では水稲栽培は1500年程度前までしか遡れない点、九州北部と栽培法が酷似していることや遺伝子学的に日本の古代米に中国北東部からの入った米の遺伝子が交雑した米が多いことなどから、水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は中国北東部経由で朝鮮半島へ伝わったと考えられます。このことは中国政府の研究機関でも調査が進み間違いないという結論が出ています。
また、中国南部の日本の米の起源と推定される地域は熱帯ジャポニカも温帯ジャポニカも同時に存在しているので、両者を1品種ずつ持ってきたと考えられます。
往来回数が多くなると別遺伝子品種が紛れ込む可能性が高くなるので、古代人が遺伝子選別技術を持っていない限りはこの地域だけから流入したと考えるしかありません。
これは メッセージ 10030 (pokosi2000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10047.html
続々・此州ー隠岐は本邦北西の果てか
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/06/29 21:20 投稿番号: [10046 / 18519]
隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、
さて、議論となっている此州を、先のように老子読みして嶋とするなら、以下のように釈読されねばなるまい。
隠岐国は北海中にあるがゆえに隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。
これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、北から東に至る往くべき地無し。
戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)
この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麓を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。
これは メッセージ 10044 (torezojp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10046.html
>続・此州ー隠岐は本邦北西の果てか
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/06/29 19:18 投稿番号: [10045 / 18519]
訂正
【正】・・・島後周吉郡蛸木浦沖合いの松島に雉がいないからといって
【誤】・・・島後周吉郡蛸木浦沖合いの松島に雄がいないからといって
これは メッセージ 10044 (torezojp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10045.html
続・此州ー隠岐は本邦北西の果てか
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/06/29 19:06 投稿番号: [10044 / 18519]
【引用開始】
其沖に松島あり、上に松生て樹聞に荒園あり、長事二町ばかり、昔好事者此州に雉の無事を愁て、試に雲州より雌雄を渡して此に放つ、一年を経て終に亡と云(『続々群書類従』第九、四六五頁下段)
「此州」の「此(この)』に対応すべき適当な固有名詞が存在しない。仮に「州」は「島」の意だとして、直近の「松島」が「此州」に該当するとしてみよう。「昔好事者」以下は、「昔ある好事家が、松島に雉がいないことを残念に思って、こころみに出雲国から雌雄の雉をつれてきて松島に放したところ、(繁殖に失敗し)一年後にはいなくなった」となる。しかしながら、島後周吉郡蛸木浦沖合いの松島に雄がいないからといって、隠岐国内の他所から連れてくるのではなく、わざわざ出雲国から雉を連れてくる、とする記述はいささか不自然な話である。「此州−にいないから「雲州(出雲国〉」より連れてきた、とする語の釣り合いからすれば、やはりここは「隠州(隠岐国)とするのが妥当だろう。「松島』が「此州」に該当するわけではない。この「州」は「島」の意とはならない。
財団法人韓国文化研究振興財団-青丘学術論集2005年3
月「前近代竹島の歴史学的 研究序説」−「隠州視聴合記』
の解釈をめぐって」池内敏(P152)
【引用終わり】
【torezojp】:
この「州」は「島」の意となるとすればなどと、時には発想を変えてみることも必要でなかろうか。
「昔好事者」以下は、「昔ある好事家が、松島に雉がいないことを残念に思って、こころみに出雲国から雌雄の雉をつれてきて松島に放したところ、(繁殖に失敗し)一年後にはいなくなった」・・・
「昔変わり者の物好きが松島に雉がいないことを物足りなく思って、試みに出雲(国)から雌雄の雉を連れてきて松島に放したところ、一年後にはいなくなった。雉には羽が有ることを忘れていたところが、いかにも変わり者の物好きらしい。恐らく道後にでも移り棲んでその子孫を増やしたことだろうよ。」
と読めないものかねぇ、そうすりゃ、愚老には裃を着た豊仙が「老子」のように思えるのだがサ。
これは メッセージ 10031 (torezojp さん)への返信です.
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地下鉄の反日図を見た感想です。
投稿者: akiretyatta 投稿日時: 2005/06/29 13:40 投稿番号: [10043 / 18519]
これは メッセージ 10042 (te2222000 さん)への返信です.
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>此州ー隠岐は本邦北西の果てか
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/29 08:18 投稿番号: [10042 / 18519]
> この「州」は「島」の意となるとすればなどと、
> 時には発想を変えてみることも必要でなかろうか。
ちょっとお言葉の意図が分からないのですが、発想を変えて何をしようとおっしゃっているのでしょうか。
池内論文からの引用にある蛸木浦の記述を、発想を変えて読み直そうというのでしょうか。
しかし引用された文章は「州を島の意として解釈してみたが、不自然な解釈になってしまうので、この州は島の意にはならない」という論旨ですので、それに対して上のように提案するのはおかしな話です。
torezojp さんは、続けて国代記の記述を引用しているので、発想を変えて国代記の記述を読み直そうというのかもしれません。しかし、国代記の記述を読んだことのある人で、「州」が「島」の意かどうか考えたことのない人などいるでしょうか。これもまたおかしな話です。
とはいえ、国代記の記述につづいて
> そうすれば、しからば即ち日本の北西の地はこの嶋を持って限りとする。
と書いていらっしゃいます。この文頭の「そうすれぱ」は、『この「州」は「島」の意となるとすれば』を意味するように見えます。
すると torezojpさんは、以下のようにおっしゃっているのでしょうか。
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「州」は「島」の意となるとすれば、国代記の記述は「日本の北西の地はこの嶋を持って限りとする」という意味になる。
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この文章自体は正しいと思いますが、問題は「州」が「島」の意となるかどうかではないでしょうか…。
これは メッセージ 10031 (torezojp さん)への返信です.
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