日本から朝鮮半島への米の伝播について2
投稿者: marines15553292 投稿日時: 2005/06/29 23:14 投稿番号: [10048 / 18519]
また朝鮮半島の米はNO.2の遺伝子が70%を占めますので、米が朝鮮半島に導入された初期段階でNO.2の遺伝子が多く伝わっていなければなりません。日本から2種類の遺伝子を持った米が朝鮮半島に渡ったものの、NO.1の温帯ジャポニカ種は朝鮮半島に根付かずNO.2の遺伝子のみが広まり、そこに中国東北部から米が入ってきて、NO.2の遺伝子を持つ米と交雑したと考えると朝鮮半島の米に遺伝子的な説明が付きます。
中国はすべての遺伝子が満遍なくあるので、特定の種類の遺伝子だけを多くして朝鮮半島に伝えるのは無理です。
韓国の学界には古代朝鮮人が遺伝子を見分ける何らかの術を持っていて、仕分けをした上で日本に米を伝えたとする説を唱える学者もいますが、願望というか発表の際に興奮気味に意地でも朝鮮半島から日本に米が伝わったことにしたいというふうにしか見えませんでした。どうやって遺伝子を見分けたかを説明していないので相当に無理がある説と思います。
韓国の学者は学術的見地よりも感情が先に出ているので非常に相手をしにくいです。実際にBSEの研究会をイギリスで開催した際は韓国からは招待者なしという事態もありました。
米の伝来は中国南部から日本へ来たものであることを説明しましたが伊勢神宮にはこれを裏付けるような伝承があります。
「米は斉の御田から天照大神が持ってきた」(斉は現在の中国山東省)というもので、現在の学界では日本の米は中国の山東省付近という説がもっとも有力です。
また、同地域にも一部部族が日本へ渡ったとする伝承がありこれを裏付けています。
さらに台湾の学者が鵜飼に着目した研究をしているのですが、これも日本への米の伝来が中国経由であることを裏付けています。
鵜飼の風習は中国の楚の国(現在の湖南省と湖北省とその周辺)とその稲作文化圏である四川省、雲南省、広東省など中国南方の地方によく見られます。日本でも普通に見られます。
ところがこの鵜飼は朝鮮半島では古来まったく見られません。台湾や琉球文化圏でも鵜飼の習慣はありません。このことは最初に米を日本へ持ってきたのが、中国南部の楚に起源を持つ人たちで経由なしで直接日本に伝来させたことを裏付けています。その人達が伝えた鵜飼は日本に広まったということです。
なお、日本の品種改良技術は奈良〜鎌倉時代に飛躍的に伸びましたが、飛鳥時代にも籾の選別技術等が確立しており、5世紀頃には単位収量がアジアでトップクラスになっています。
日本が韓国を併合した時に韓国に日本の耕作技術が輸出されましたが、単位収量が併合前に比べて2.2倍という爆発的増加をみましたが、これは灌漑設備の他、植物防疫、施肥法の伝授によるものです。単位収量の増加は韓国における生活の安定をもたらし、食料計画の研究資料によると摂取カロリーが一日あたり併合前に比べて一人あたり400カロリー、摂取タンパク質量が一人あたり7グラムも増えました。栄養状態の大きな改善により併合中は韓国の人口は2倍にも増えています。
中国も韓国と同程度の収量であったことなどをみると日本の稲作技術は20世紀初頭でアジアで飛び抜けてトップであったことが伺えます。
中国はすべての遺伝子が満遍なくあるので、特定の種類の遺伝子だけを多くして朝鮮半島に伝えるのは無理です。
韓国の学界には古代朝鮮人が遺伝子を見分ける何らかの術を持っていて、仕分けをした上で日本に米を伝えたとする説を唱える学者もいますが、願望というか発表の際に興奮気味に意地でも朝鮮半島から日本に米が伝わったことにしたいというふうにしか見えませんでした。どうやって遺伝子を見分けたかを説明していないので相当に無理がある説と思います。
韓国の学者は学術的見地よりも感情が先に出ているので非常に相手をしにくいです。実際にBSEの研究会をイギリスで開催した際は韓国からは招待者なしという事態もありました。
米の伝来は中国南部から日本へ来たものであることを説明しましたが伊勢神宮にはこれを裏付けるような伝承があります。
「米は斉の御田から天照大神が持ってきた」(斉は現在の中国山東省)というもので、現在の学界では日本の米は中国の山東省付近という説がもっとも有力です。
また、同地域にも一部部族が日本へ渡ったとする伝承がありこれを裏付けています。
さらに台湾の学者が鵜飼に着目した研究をしているのですが、これも日本への米の伝来が中国経由であることを裏付けています。
鵜飼の風習は中国の楚の国(現在の湖南省と湖北省とその周辺)とその稲作文化圏である四川省、雲南省、広東省など中国南方の地方によく見られます。日本でも普通に見られます。
ところがこの鵜飼は朝鮮半島では古来まったく見られません。台湾や琉球文化圏でも鵜飼の習慣はありません。このことは最初に米を日本へ持ってきたのが、中国南部の楚に起源を持つ人たちで経由なしで直接日本に伝来させたことを裏付けています。その人達が伝えた鵜飼は日本に広まったということです。
なお、日本の品種改良技術は奈良〜鎌倉時代に飛躍的に伸びましたが、飛鳥時代にも籾の選別技術等が確立しており、5世紀頃には単位収量がアジアでトップクラスになっています。
日本が韓国を併合した時に韓国に日本の耕作技術が輸出されましたが、単位収量が併合前に比べて2.2倍という爆発的増加をみましたが、これは灌漑設備の他、植物防疫、施肥法の伝授によるものです。単位収量の増加は韓国における生活の安定をもたらし、食料計画の研究資料によると摂取カロリーが一日あたり併合前に比べて一人あたり400カロリー、摂取タンパク質量が一人あたり7グラムも増えました。栄養状態の大きな改善により併合中は韓国の人口は2倍にも増えています。
中国も韓国と同程度の収量であったことなどをみると日本の稲作技術は20世紀初頭でアジアで飛び抜けてトップであったことが伺えます。
これは メッセージ 10047 (marines15553292 さん)への返信です.
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