南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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>横レス >原爆投下の裏面史検証

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/08/27 07:42 投稿番号: [7199 / 41162]
>それはそれで事実だ

という事はほかにも事実があるということですね。

コーヒーさんのだしてきた参考資料もある一面を示していると思います。

>でりちゃんの反論の仕方では、「相手に害意があるのだから、国を守れなくても
仕方ないじゃないか」と言ってるように聞こえるぞ。
それはいささか「自虐的」に過ぎるのではないかな?


この意見はうがちすぎだと思います。
一意見として公平に見るべきではないでしょうか。

横レス >原爆投下の裏面史検証

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/27 07:05 投稿番号: [7198 / 41162]
>>日本政府はどのように原爆投下の回避策を執ろうとしたのでしょうかね?
>#7174〜7174を百回繰り返し読みなさい。
そうすれば、君にも少しは真実が見えてくるかもしれないよ。

私やでりちゃんの言ってることは、「アメリカの原爆投下にはタテマエだけでない
いろんな思惑があって、悪意や差別意識があったに違いない」ということね。

で、ヨミ氏が言ってるのは、「だとしても、日本の軍や政府は、それに対して
有効な対抗手段は取れなかったじゃないか」ということだよ。
それはそれで事実だ。

でりちゃんの反論の仕方では、「相手に害意があるのだから、国を守れなくても
仕方ないじゃないか」と言ってるように聞こえるぞ。
それはいささか「自虐的」に過ぎるのではないかな?


大本営発表はやめなさい

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/27 07:04 投稿番号: [7197 / 41162]
いやいや、今のでりちゃんは、重慶まで追いつめられた国民政府とか
延安へ逃げ込んだ共産党みたいなもんだな。

第二次大戦の場合は、個々の戦闘では中国に圧勝していたはずの日本が
対米開戦という愚を犯して自爆したわけだが、でりちゃんは「大後方」に
撤退したままだ。
ここまで、個々の論点で勝利できないもんだから、どんどん後ずさりながら
ときどき人のいない方へ向かって「ごるぁ、逃げるな!」と叫んでいるわけだ。

最後の拠点として、「日本軍による民間人虐殺が0人である」という命題を
打ち出したのはいいんだけど、当然ながら自分でそんなことを証明できる
わけもない。

そもそも、世に「南京での虐殺」と言われる事件は、無抵抗の軍・民を
大量に殺害した事件のわけだが
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6854

でりちゃんは「民間人被害に絞ろう」という。
これでは「大規模な虐殺があったこと」全体は否定できないのだが、
とりあえず、私は譲歩してでりちゃんの土俵に載った。

結局のところ、でりちゃんには「民間人虐殺は0人である」という証明は
出来ないわけで、しようとさえしない、根拠資料がないのだから、出来な
くて当然だ。
結局、私の出した資料に対して、「それは信じない、信じたくない」と言って
目をつぶって両耳塞いでひっくり返って足をじたばたさせているというのが
今の状況だ。


民間人被害の全体像については、私はスマイス調査を提示済みだ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6889

スマイス調査は、南京攻略戦の直後に、南京市内で状況を熟知する
科学的、学問的に充分な訓練を受け、経験を持つ人物が、実際の
サンプル(被害者と被害物件)を直接時間と労力を投入して調査して
まとめたものだ。
これ以上の信憑性を持つ調査結果があるならともかく、それは現在まで
存在しない。
戦後に戦犯裁判のために中華民国南京検察処がまとめた資料よりも
はるかに信頼性が高いことは、いくらでりちゃんでも理解できないはず
はない。

ところが、でりちゃんは「曾虚白自伝」なる書物に、「スマイス調査は
金をやって書かせた」とあることを以て、「中身はデタラメだ」と主張する。

だがしかし、曾虚白は「事実起こったことを伝えるために、目撃した外国
人に金を出して本をまとめて貰った」と書いているのであって、
「金を出してウソを書かせた」とは一言も言っていない。
曾虚白自伝の信憑性はあまり高いとは言えないが、少なくとも、「金を
貰ったのだから、ウソを書いたに違いない」というのは、でりちゃんの
邪推、妄想であって、曾虚白はそんなことは一言も言っていないんだ。
http://hist1937.hp.infoseek.co.jp/Ceng/Ceng1.gif
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6942



>逃亡を続けるくらいなら、もう消えろ!

なんで素直に「参りました」と言えないのかね?

yousunwaiさん、おはよう

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/27 07:00 投稿番号: [7196 / 41162]
>この上の新資料なのですが、
http://t-t-japan.com/bbs2/data/sikousakugo/file/00.jpg
上の資料の左下にある。
「昭和13年・一山根納」というのは、昭和13年一山根という会社か個人が、この用紙を作って陸軍に納入したという意味で良いのでしょうか?

おそらくそうでしょうね。
「昭和十三・一山根納」が、おっしゃるように「昭和13年・一山根納」であるか
「昭和13年1月   山根納」であるかは定かでないですが、おおむねそういう
ことではないかと思います。

ここから、陸軍専用の原稿用紙があって、正式な文書は原則としてこれに
記入されたのではないかということが判ります。

ただ、これは肉筆原稿に限った話であって、複写されて配布されたものにつ
いては、この限りではないようです。

たとえば、こちらの「稲葉部隊情報記録」は、ガリ版刷りで洋半紙に印刷されて
配布されたように見受けられます。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=937;;id=sikousa kugo#atop

こちらの「中支軍特務報丙第十八号」も同様ですね。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=862;;id=sikousa kugo#atop


ja2047さんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/08/26 23:08 投稿番号: [7195 / 41162]
詳しくありがとうございます。何とかやってみようと思います。

http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=91

で、この上の新資料なのですが、

http://t-t-japan.com/bbs2/data/sikousakugo/file/00.jpg

上の資料の左下にある。

「昭和13年・一山根納」というのは、昭和13年一山根という会社か個人が、この用紙を作って陸軍に納入したという意味で良いのでしょうか?

deliciousicecoffeeさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/08/26 23:01 投稿番号: [7194 / 41162]
>yousunwaiさんは、当時、世界中の主要国が毒ガス兵器や細菌兵器を開発・保有していたのをご存知ですか?

詳しくは知りませんが、おっしゃるような中国軍がそれを使っていたという話はどこかで読んだことがあります。

>いわゆる「南京事件」というのは、飽くまで「日本軍による無辜の南京市民虐殺」があったかどうかの問題です。

はい、マスコミによって流布されたのはそうだったという感じがしていたのですが、いつの間にか、捕虜の話も蒸し返されているような気もします。

了解しました。ありがとうございました。

ちょっと訂正

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/26 22:16 投稿番号: [7193 / 41162]
>#7174〜7174を百回繰り返し読みなさい。

↓   ↓

#7174〜7178を百回繰り返し読みなさい。

>原爆投下の裏面史検証?必ある?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/26 22:13 投稿番号: [7192 / 41162]
>日本政府はどのように原爆投下の回避策を執ろうとしたのでしょうかね?

#7174〜7174を百回繰り返し読みなさい。
そうすれば、君にも少しは真実が見えてくるかもしれないよ。




>それでも一億特攻を施政方針演説で述べたのは、どうなんでしょうか?


そういうの浅知恵と言うんだ。
キミより賢い人は、アメリカ人でもちゃんと理解していたから心配するな。

―――――――――――――――――――
鈴木のメッセージを読んで、心理作戦課のザカリアス大佐は部下にこう言った。

鈴木は戦争のことを語っているが、かれが実は平和のことを考えているのだ、ということをこの演説は明瞭に示している。
・・・鈴木は、もうわれわれの無条件降伏要求に条件をつける材料のないことを覚悟している。それでいて、なお降伏を受け入れることを鈴木がためらっているのは、将来の天皇の位置が不明だからだ。[4,p286]

  本誌99号で述べたように、天皇制存続を認めるという条件を提示して、日本に降伏への道を開き、日米双方での犠牲を早く食い止めようという主張が、米政府、軍部、マスコミなどで幅広く起こり、実際に、天皇制容認条項がポツダム宣言の原案に入れられた。鈴木の和平への意思は明確にアメリカに伝わっていたのある。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog101.html

―――――――――――――――――――




>戦艦大和は一億総特攻の先魁として、片道燃料で突撃し、爆沈しております。


この片道燃料というのも正確ではない。

ついでに言うと特攻隊の飛行機も片道燃料では出撃せず、そのような話は戦後の作り話だそうだ。

逃亡せずに答えてください

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/26 21:46 投稿番号: [7191 / 41162]
>スマイス報告による「日本軍に拉致されて帰らない、殺害されたと思われるもの」
>が、3月から4月の調査で4200人だ。


拉致(連行)されたのは、支那兵(便衣兵)だったから拉致(連行)されたんだ。
スマイス調査も、いい加減、しつこいよ。



>私はこう言ったんだが


だからさー。
アメリカは無辜の市民を殺す目的で無辜の市民に原爆を投下したけど、日本軍が摘発して殺したのは便衣兵なんだから全然違うわけよ。

だから、俺は、何度も何度も何度も、日本軍が無辜の市民を殺す目的で無辜の市民と判っている者を殺した件数を確認しているわけよ。

俺は、#6936と#6949と#6962と#7002と#7091と#7118と#7173で以下のように述べたのだが、一体どうしたのかね?

またまた、またまた、逃亡しまくるつもりかね?

いい加減、見苦しくてみっともない。

―――――――――――――――――――
2005/ 8/10 22:57
メッセージ: 6936
投稿者: deliciousicecoffee



(ja2047の良心を信じて略)




以上のことから、「日本軍による民間人虐殺が0人である」ことに対して、スマイス調査は反論の根拠に出来ない。

よって、

>スマイス調査を根拠にしての民間人の虐殺被害者数は総計33470人。(メッセージ: 6889)

は却下されます。


そこで、改めて質問しますので、逃亡せずに答えてください。

日本軍による無辜の民間人虐殺人数は、「0人」だよね?


これは ja2047 さんの 6928 に対する返信です
―――――――――――――――――――





いい加減に逃げるのはやめよ!

見苦しくてみっともない。



逃亡を続けるくらいなら、もう消えろ。

あったことは事実

投稿者: nonpoli2005 投稿日時: 2005/08/26 16:45 投稿番号: [7190 / 41162]
だから南京が30万、全体で3,500万人とか数字が問題ではないと、すぐに論理をすりかえてくるのが肯定派というか自虐派です。戦場の狼藉はどこの軍隊でもあるのが現実で、戦後の米軍による日本人に対する犯罪などは戦争中では無いだけに悪質です。日本軍の規律は少なくとも中国軍とは比較にならないくらい良かったのではないでしょうか。台湾の逃れた国民党兵士の狼藉ぶりときたら、犬(日本軍)が去ったら豚が来たと台湾人に言わしめたほどであったわけです。日本軍の狼藉もあったのでしょうね。でもそのことについて中国から非難される筋合いはございません。非難する立場にいるのであれば、チベット侵攻その他のお粗末はあり得ないのです。

>mmkki、、あほな女だと思っていた

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/08/26 12:27 投稿番号: [7189 / 41162]
>が無罪を証言する兵士も下士官も士官も将校もいないじゃないか?

無罪を証言する?神じゃあるまいし。掠奪暴行殺害があったことは事実だろう(そんなことを証明するために東京裁判と将兵の抗議無しを持ちだしたのか)。問題はその規模や性質(状況動機)だ。実際やったやつ、身辺にいて見聞していたやつ、うわさに聞いていたやつ。無罪を証言するはずがない。

やましいところがあると言ったのはそのことだ。たとえば、松井がどんな罪で責められているのか詳細がわからなければ抗議、証言のしようがないだろう。

あほうと議論すると自分もあほうに見える。なるほど。

やはり(亡霊)yominokuni56は早起きだな。

投稿者: mmkki 投稿日時: 2005/08/26 11:46 投稿番号: [7188 / 41162]
今朝も4時起きか?
大変だな。
阿呆な頭で何時間も(支離滅裂な)反論を考えるくらいなら、新聞配達でもしたらどうだ?

>これでも読んでなさいな(笑)
>読んでも理解は出来ないだろうな。
「亡霊君」の主張根拠はこの「お粗末な捏造+偏向データ集」なのか?
誠、阿呆だのう、呆れる。

>(南京に)戦争仕掛けて行ったのだったよな(笑)
>それともイラクと同じで給水活動か?(笑)
阿呆過ぎて、回答に苦慮する。
私は「日本軍の進軍」と「虐殺行為の真偽」とは、まったく関係が無い。   と言っているのだ。
進軍する事がイコール虐殺行為の証明になるのか?誠、阿呆だのう。
もっとも、残虐中国軍の場合は「進軍=虐殺」の図式が成立するがのう。

>当時は新聞報道されておりました、
>あんたがの言う言論統制は、その細部についての事だよ。
阿呆だのう。その「細部」が問題なのだろうが。
「細部」=「東京裁判の審議内容」を報道せずして、一体誰が反論の意志を表明出来ようか?
「亡霊君」自己論破しているではないか?

そもそも、連合国占領下の基、情報統制+言論統制が行なわれた当時の日本で、
「南京事件の当時の兵士らから東京裁判不当の反論が無かった!」という馬鹿げた戯言をほざく「亡霊君」だしな。

「阿呆と議論するな、はたから見ると、どっちが阿呆かわからなくなる。」という名言がある。

よって、これ以上は阿呆には係わらない。

>>松井の大将冤罪を抗議する兵無し

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/08/26 11:46 投稿番号: [7187 / 41162]
>不当な裁判を延滞無く進行させる為に、連合国側(検察側)は、裁判内容を公表せず、
不公平極まる不当裁判を進行させたのです。
>また、東京裁判の最中にも、「今、東京裁判で、どういう審理が行なわれているか?という情報」は、当時の日本人の殆どが知らされていません。

ヨミ氏は、「今、東京裁判で、どういう審理が行なわれているか?という情報」は、毎日新聞で報道されていたとか言ってますね。mmkkiさんとヨミ氏はどちらが正しいのでしょうか。mmkkiさんなら、ヨミ氏の論拠の大半が崩壊しますね。

言論統制、日本人の抗議下手、裁判嫌いなども抗議なしに輪をかけていたのでしょう。

さらに、日本人の手のひらを返すような「節操」のなさ。

あちこちでよく聞いたはなしですが、一月足らずのうちに大人たちの価値観(言うこと)が180度転換してしまったとか。直接体験者から聞きましたが、ついさっきも、谷川俊太郎の学校、教師にたいする幻滅の理由としてあげられていたのを読みました。

それから、以前書いた、日本人捕虜の振る舞い。彼は、ミヤジマ・ノボルという少尉だそうで、米軍資料、海兵隊史に写真つきで出ているようです。

この話は、岸田秀「幻想の未来」河出文庫の「「卑屈さ」の研究」の章に出ています。この捕虜の件についての岸田の意見は、後ほどもうすこしく詳しく紹介します。

原爆投下の裏面史検証?必ある?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/08/26 06:57 投稿番号: [7186 / 41162]
>最初に述べたとおり、原爆が二つの都市に投下されて六十年がたつ。だがトルーマンが試みたこと、そしてその失敗は、この先なお検証を続けなければならない宿題なのである。(とりい   たみ)

この人の説は帝国日本国政府戦争指導者の政策失敗をアメリカに塗りつけているだけに過ぎないのではないですかね(笑)

日本国政府はアメリカに対して全てに対抗処置が執られていませんよ、 すべて、希望的観測及び架空の話をつなぎ合わせただけで、アメリカに対する措置が無い、、不思議な、説ですな(笑)

日本政府はどのように原爆投下の回避策を執ろうとしたのでしょうかね?

新型爆弾すら理解していなかったのでは、、
ですから無視するしか無かったのか?

すでに沖縄守備隊は壊滅していたでしょう。
それでも一億特攻を施政方針演説で述べたのは、どうなんでしょうか?

特別攻撃   本土決戦が国策だったのでしょう、、大和民族の終焉が、、国策だったのでは、、ありませんか?

戦艦大和は一億総特攻の先魁として、片道燃料で突撃し、爆沈しております。

mmkki、、あほな女だと思っていたが?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/08/26 06:44 投稿番号: [7185 / 41162]
http://www.geocities.jp/yu77799/

これでも読んでなさいな(笑)
読んでも理解は出来ないだろうな。

>「日本軍の進軍」と「虐殺行為の真偽」とは、まったく関係が無い。

戦争仕掛けて行ったのだったよな(笑)
それともイラクと同じで給水活動か?(笑)
イラクでも自衛隊は役に立っていないと現地人が日本に来て、苦情を申し立てていたがね(笑)


アンタの投稿は問題が違うだろう?
勘違いも甚だしい、、

>これは、当事者2名に限った闘いでは無いのです。
日本人の尊厳に係わるものであると、(見識ある)多くの日本人が重く受け止めています。

そうだよ、、南京虐殺事件に関わった兵士全体の名誉と国、天皇の名誉の為の戦いだよ、、、

十分に戦って頂きたい、、、が無罪を証言する兵士も下士官も士官も将校もいないじゃないか?

当時は新聞報道されておりました、
あんたがの言う言論統制は、その細部についての事だよ。
いい加減な女の言うことにいちいち反論する気は無いのだがね(笑)

誰かに似てきたな   (−−;

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/26 06:21 投稿番号: [7184 / 41162]
>>4000人に上る一般人の犠牲にしても、

>4000人に上る一般人の犠牲って何のことか全く不明だし、

スマイス報告による「日本軍に拉致されて帰らない、殺害されたと思われるもの」
が、3月から4月の調査で4200人だ。
同じ時期、国際救済委員会の復興委員会に助けを求めてきた13530家族からの
調査に依れば「拉致されて帰らない」ものの数は16歳から50歳までの男性の約
20%で、全体の推計数は10860人だ。
少ない方を確定値と見て挙げた、何か不満があるかな?


>仮にあったとしても爆撃などによる事故かもしれないし、おそらくは大半が支那軍や不逞支那人による犠牲だよ。

「かもしれない」、「おそらくは」、そして根拠はなし。
でりちゃんの願望に過ぎない。


>またまた、またまた、逃亡しまくるつもりかね?
>いい加減、見苦しくてみっともない。

んー、でりちゃん、
目つぶって耳塞いで、ひっくり返って足ばたばたさせて
「逃げたー、オマエは逃げたー」
では、
某「正義と真実の人」となんも変わらないよな。
あれからずっと、その話をしてるんじゃないか。

自分が議論を噛み合わせるだけの力量がないことを、
相手が逃げたせいにしてはいけないよ   d(^^



>逃亡を続けるくらいなら、もう消えろ!

あ、それが言いたかったわけね   (^^

ありがとうよ、でりちゃん

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/26 06:19 投稿番号: [7183 / 41162]
原爆使用について大量のコピペを貼り付けてくれたが、
大筋で私の見解を裏付けるものであることは気付いて
いるんだろうね?

私はこう言ったんだが

「でりちゃんの論理はアメリカが「もし、広島・長崎で原爆を使わなかったら、
日本国民にはさらに多くの犠牲が出ただろう」というのと、何も変わらない。
あるいはその通りなのかも知れないが、「もし」の話でしかない。
現実に核兵器を使用して多くの市民を殺害したのはアメリカなのだから、
被害国として受け入れられる論理ではない。
原爆の使用は戦争の早期終結についての選択肢の一つに過ぎないし、むしろ
原爆の使用で戦争を終わらせることがアメリカの選択したシナリオであり、終戦
時期もそれを前提にタイミングを見計らっていたと見るべきだろうね。
都市への核兵器使用以外の選択肢はあったのだし、アメリカはそれをしなかった。」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=7167


とりあえずご苦労さん   v(^^


yousunwaiさん

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/26 06:18 投稿番号: [7182 / 41162]
>1.書き手によって、捕虜・俘虜などの書き方の違いがあるということは、戦闘詳報等に書いてある捕虜・俘虜という言葉の定義が定まっていない可能性を感じる。したがって、一概にこれだと決め付けて読んではいけない。つまり、公的文書とされているが、書き手個々人の定義の違いによる表現の違いが、多くある可能性がある。

言葉というのは使う人で多かれ少なかれ「表記の揺れ」があるものです。
もちろんそれが示す概念も揺れていると思います。
先にも述べたように、「捕虜を殺した」と書かれた公式文書が大量に、堂々と
存在しうるのが不思議です。
捕虜殺害は犯罪ではなく戦果であるという認識が蔓延していたことを示す
としか思えませんね。

>2.命令とされるものにある不可思議さは、書き手、あるいは、周辺にいた人物の発言や主張が混入されている可能性を感じさせる。逆に言うとそうした命令があったのかどうかの確定は、その文章だけを持って確定してはいけない。(やはり、命令文書等そのものの存在が鍵となる?)
>3.戦闘詳報等の公式文書とされるものであっても、不確定な伝聞や主観のみで断定したことが入っている可能性も十分ある。もちろん、誤認もありえる。

これも先に述べましたが、公式資料だからといって、それ自体で内容の
正確さを保証するものではないと思います。   今も、昔も。
また、書かれたことが事実であったとして、書かれなかったことの不存在を
証明するものではありません。
他の資料との比較検証なしには、事実は確定しないと思います。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=7128


問題の戦闘詳報の来歴についてはどこかで読んだような気がするのですが、
ちょっと記憶が定かではありません。
現物の写真を掲載した本があったような気もするので、週末に確認しておきます。

なお、戦闘詳報などの来歴全般について、ここに要領の良いまとめがあります。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/sankosiryo/sanko10.html

今なお、多くの戦闘詳報が非公開で、南京事件についても、まだ公開されて
いないものがあったり、存在自体公表されていないものがあるということですが
ここでは未公開の戦闘詳報があるということを示す公式発言を引用しておきます。

第159国会   環境委員会議事録   第2号   平成16年3月2日
平成十六年三月二日(火曜日)
     午前九時十分開議
  出席委員
    委員長   小沢   鋭仁君
[略]
○田島(一)委員   ありがとうございます。
  急に、やはりこうやって質問の話になってくると動きが早いんだなということもついつい感じるんですけれども、現在審査されている二件というのを、資料の表題だけ教えてください。そして、いつごろに公開されるのか、お示しいただけませんでしょうか。
○北原政府参考人   七件のうち今非公開の、公開審査を終了しておらず非公開の扱いになっておりますのは、そのうちの一つが、「歩兵第二百二十四聯隊冬期山西粛正作戦戦闘詳報」というのが一件、それからもう一つは、「化学兵器と国際法」というものがあります。その二件でございます。
  なお、ちなみに、先ほど申しました、公開の審査を終了いたしまして執筆等を依頼した相手方の方に公開の許可のお伺いをいただいておるものは、「化学兵器に関する回想」といった資料でございます。
  以上でございます。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001715920040302002.htm


>それから、もしご存知なら、ということでお聞きするのですが、この戦闘詳報等を、日本政府が、旧日本陸軍の戦闘詳報そのものであると認定した根拠(多分、認定しているから公文書となっているのだと思うのですが)について、ご存知なら教えていただければうれしいです。

上記議事録は多少の説明になるかと思います。

ついでに、最近もどんどん旧軍資料の発掘は続いています。
まだ結構生資料というのは眠っているものです。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=913;;id=sikousa kugo#atop

yousunwaiさん、南京事件で市民虐殺はゼロ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/26 00:04 投稿番号: [7181 / 41162]
>そこで、これは、今、最も、悩んでいることなのですが、まず、資料が一次資料として適当かどうかの見分けというのは、どういう客観的判断(要件)でなされるのでしょうか?


一次資料というのは、現場に居た人がその時に残した自筆資料などの原本や写真などの現物を言うのだと思います。
後年に加筆されたり改竄された可能性があるモノは要注意ですが、当時から公表されていたり、加筆・改竄の可能性のない状況に置かれていたモノであればかなり信頼できる資料となります。




>で、実際、肯定する人は、戦闘詳報などを根拠としているわけですが、これには、捕虜ということばが、出てきますから、戦闘詳報自体が正しいものとすれば、捕虜虐殺はあったと定義される可能性があります。


ですから、当時は、捕虜も投降兵も捕まえた敗残兵や便衣兵も全部まとめて「俘虜」「捕虜」と呼んでいたのです。
言語は徐々に変化するものだと思います。




>つまり、捕虜という表記が捕虜ではないと主張するだけでは足りないと思うんです。

全然、足りなくないと思いますよ。




>捕虜という言葉が、別の意味に解せられるという根拠を示さないといけないと思うんです。


これは、その時の状況や文脈から判断するより他ありません。
#7161以上に分かり易い説明はなかなか思い付きません。
例えば、説明に簡単さだけを追求するならば、正確ではないのですが、収容所に入れるまでは「投降兵」で収容所に入れれば「捕虜」になると言えば簡単は簡単でしょうが・・・

と言うか、もっと、もっと、簡単さを追求して説明するなら、日本兵の場合、投降兵(昔の言い方では「俘虜」「捕虜」)全員(99%?)が支那軍によって殺されたのですよ。
どうして、支那の投降兵(昔の言い方では「俘虜」「捕虜」)を日本軍が殺してはいけないのですか?

yousunwaiさんは、当時、世界中の主要国が毒ガス兵器や細菌兵器を開発・保有していたのをご存知ですか?
1925年のジュネーブ議定書で「使用」は禁止されましたが、開発・保有はお構いなしでした。
何故かと言うと、敵国が禁止されている毒ガス兵器・細菌兵器を「使用」した場合に『報復』する必要があったからです。

事実を述べると、支那軍は禁止されていた細菌戦も行ったし違法毒ガスも「使用」しましたが、日本軍は報復しませんでした。
また、投降した日本兵(昔の言い方では「俘虜」「捕虜」)は全員(99%?)が支那軍によって殺されましたが、投降した支那兵(昔の言い方では「俘虜」「捕虜」)の多くが正式な「捕虜」として保護されたり釈放されたりしました。
ただし、便衣兵には甘い措置は許されません。
その後、日本兵や支那の一般住民を守るためにも、便衣兵は断固殺す必要がありました。


いわゆる「南京事件」というのは、飽くまで「日本軍による無辜の南京市民虐殺」があったかどうかの問題です。

#7173でも述べましたが、私は、敗残兵とか投降兵とか捕虜とかの話はあまり興味ありませんし詳しくないです。

「日本軍による無辜の南京市民虐殺」が無かったことが世界中の人々に知れ渡れば、それで十分だと思っています。

ja2047さんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/08/25 21:46 投稿番号: [7180 / 41162]
ありがとうございます。

>特にここは、文書の地の文ではなく、(おそらく)口頭による命令を書きとどめた部分なので「捕虜」の表記になったかと思います。


まず、この考えは、戦闘詳報が本物であるという前提で、こういう理解を私はしたのですが、

1.書き手によって、捕虜・俘虜などの書き方の違いがあるということは、戦闘詳報等に書いてある捕虜・俘虜という言葉の定義が定まっていない可能性を感じる。したがって、一概にこれだと決め付けて読んではいけない。つまり、公的文書とされているが、書き手個々人の定義の違いによる表現の違いが、多くある可能性がある。

2.命令とされるものにある不可思議さは、書き手、あるいは、周辺にいた人物の発言や主張が混入されている可能性を感じさせる。逆に言うとそうした命令があったのかどうかの確定は、その文章だけを持って確定してはいけない。(やはり、命令文書等そのものの存在が鍵となる?)

3.戦闘詳報等の公式文書とされるものであっても、不確定な伝聞や主観のみで断定したことが入っている可能性も十分ある。もちろん、誤認もありえる。

この私の考えについて、ja2047さんなりのお話が欲しいのですがお願いします。もちろん、全面的に間違っているでもかまいません。

それから、もしご存知なら、ということでお聞きするのですが、この戦闘詳報等を、日本政府が、旧日本陸軍の戦闘詳報そのものであると認定した根拠(多分、認定しているから公文書となっているのだと思うのですが)について、ご存知なら教えていただければうれしいです。

また、戦闘詳報等の紙質(材質)などの科学的鑑定はなされたことがあるのでしょうか?おそらく、公文書なら、出来る限り、軍指定の用紙などを使っていたのではないかと思われます。この辺りのことはご存知ありませんか?

先の投稿で、「これだけのものが残っていたと、おっしゃっていましたよね。」私も思うのですが、これだけのものが良く残ったなーと思います。そういう意味では、何故、うまい具合に残ったのか?ということについても考えてしまいます。それだけにこの文書が、防衛庁にたどり着くまでに、どういう経路を辿ったのか知りたくなるわけです。一方で、これだけのものが残るなら、命令文そのものが何故残っていないのか疑問というわけでもあるわけなんですが。。。もちろん、それは、政府が隠しているからだ。という話をする人もいるわけですが。。。

deliciousicecoffeeさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/08/25 21:44 投稿番号: [7179 / 41162]
>南京大虐殺の一次資料は何もありません。

そこで、これは、今、最も、悩んでいることなのですが、まず、資料が一次資料として適当かどうかの見分けというのは、どういう客観的判断(要件)でなされるのでしょうか?

また、その資料が、資料価値があると判断する理由するには、どういう要件が必要なのでしょうか?

deliciousicecoffeeさんの場合はどうしてますか?

>いずれにせよ、この場合も厳密には「捕虜」ではありませんね。
捕虜にされなかった「投降兵」や「捕縛した敗残兵・便衣兵」です。


で、実際、肯定する人は、戦闘詳報などを根拠としているわけですが、これには、捕虜ということばが、出てきますから、戦闘詳報自体が正しいものとすれば、捕虜虐殺はあったと定義される可能性があります。これをdeliciousicecoffeeさんは、どう解決しますか?

つまり、捕虜という表記が捕虜ではないと主張するだけでは足りないと思うんです。捕虜という言葉が、別の意味に解せられるという根拠を示さないといけないと思うんです。

日本に降伏許さず、市民の上に原爆投下

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/25 21:27 投稿番号: [7178 / 41162]
  米戦略爆撃調査の報告によると、日本政府は直ちに通告内容の検討に入った。政策決定グループ「6首脳」(訳注=最高戦争指導会議。首相、外相、陸相、海相、陸軍参謀総長、海軍軍令部長で構成)の中で降伏に反対するものは一人もいなかった。指導部の中で3人(陸軍参謀総長、海軍軍令部長、陸軍大臣)だけが、内容が「あまりにも不名誉」であるという理由から、交渉抜きの受諾に難色を示した。彼らは、連合国側が領土条件を緩めてくれることを期待したからではなく、天皇の地位が不明確のまま残されていること、また占領を回避し、武装解除と戦争犯罪裁判を日本政府の責任で行うことを求めていたのである。

  ポツダム宣言は、日本国民を決起させ降伏を早めるための解放戦略として受け止められていた。対日プロパガンダ、特にキャプテン・ザカリアスが制作、放送していたラジオ番組と同じようなものだ。しかし、日本での効果は全く逆だった。降伏を決定すべき政策立案者の立場からすれば、宣言は和平勢力より、寧ろ「徹底抗戦」派の力を強める効果しかもたなかった。ポツダム宣言の内容は、よくいえば「厳しく、贖罪的」、悪くいえば、経済条項は極めて漠然としていたし、特定されない戦争犯罪人の追及があまりに広範で曖昧だったから、それが指導部と全国民に対してもつ意味を理解できるものには、ただちには受け入れ難いものだったのも当然である。しかし、その過酷な条件にも拘らず、6首脳のうち3人は即時受諾に賛成していたのだ。

  しかし、私たちは和平支持派に反対勢力を説得する時間的余裕を与えなかった。私たちはたった11日間待っただけで、いきなり1発の原子爆弾を、そしてさらにもう1発を、戦艦の上でもない、軍隊の上でもない、軍事施設の上でもない、頑迷な指導部の上でもない、2つの都市の約20万の市民の上に投下した。

  スチムソンは原子爆弾の投下を正当化して、「日本の独裁体制に確実なショック」を与え「我々が望んでいたように、和平支持勢力を強化し、軍部の力を弱める」ためには「優れて適切な武器」だったと説明する。しかし、米戦略爆撃調査の公式報告は、そのような「ショック」は必要なかったというのだ。

  同報告は、原子爆弾が投下されなくても、或いはソ連が参戦しなくても、また上陸作戦が計画ないし検討されなくても、日本は「あらゆる可能性を考えに入れても1945年11月1日までに」無条件降伏をしていただろうという意見である。

(P147〜148)

『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著

日本に降伏させず、何が何でも原爆投下

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/25 21:21 投稿番号: [7177 / 41162]
  1945年5月9日付けのワシントン・ポストは、日本の降伏条件について伝えたシカゴ・サンのフレデリック・クー記者の記事を転載している。それは、日本軍部の全面降伏、中国から奪った領土と戦争中に占領した全領土の放棄を求めたカイロ宣言を、本土は占領しないという条件で受け入れるというものだった。同記者が伝えた和平提案は、米戦略爆撃調査が報告する日本政府の協議内容と一致している。クー記者はまた、米国務省が4月にこの和平提案を受け取ったと伝えたが、これに対して国務省は公式提案は何も受け取っていないと答えていた。

  5月12日、ハルゼー提督が「太平洋の某所」で従軍牧師グループに語った話から判断すると、戦争状況を把握する立場の人は日本の和平工作を予測していたようだ。同提督は日本が間もなくかなり積極的に和平打診をしてくるだろうが、「日本を2度と戦争できなくなるまで叩き潰して、はじめて戦争目的は成就する。我々はそこまで徹底しなければならない」と語っている。

  スチムソン元陸軍長官は1947年2月のパーハーズ・マガジンに「原子爆弾使用の決定」を正当化する記事を寄稿した。即ち、1945年7月、日本がソ連を「交渉による和平」の仲介者とする「試案」を同国に提示したことは事実だが、この「曖昧な提案」は「日本が主要な占領地域をそのまま保持する」ことを考えているもので、受け入れることは出来なかった、というのだ。しかし、スチムソンはこの説明を裏づける証拠資料を出していないし、「占領地域」が具体的にどこをさしているかも語っていない。興味深いのは、占領後日本から送られてきた公式報告がスチムソンの言明より、クー記者の「情報」を裏づけしていることだ。

  ソ連の仲介を求める日本の要請に対して、ソ連は明確な回答を避けていたが、これはアメリカの承諾があったようだ。日本の代表団は受け入れられなかった。7月、連合国首脳はポツダムに集まり、日本の運命を決めることになるが、その際近衛公が同地に赴いて和平案を提出することも許されなかった。

  殆どのアメリカ人は日本が軍事的に弱いことを知らなかった。前線からの報道は、少なくとも6ヶ月間に亙って、日本の戦争機関が急激に失速していることを窺わせる事実を送り続けていた。しかし、私たちの宣伝担当者は、最後の最後まで「百年戦争」とか「滅びるまで戦う覚悟の狂信的国民」という言葉を使っていた。


(ここまでP143〜144)


(続く)

日本に降伏させず、無理矢理原爆投下

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/25 21:11 投稿番号: [7176 / 41162]
  日本政府は少なくとも1945年5月に降伏の打診をしているが、この打診は米政府によって公式に無視、あるいは拒否された。事実、1944年の早い段階から、日本政府の内部では完全敗北とみなしうる条件の受け入れが真剣に検討されていたのだ。

  米戦略爆撃調査は1946年7月、トルーマン大統領に「日本の戦争終結努力」と題する報告を提出した。日本指導部との面接調査を基にしたこの報告は、単なる流言とされていた降伏の打診が、かなり早い時点からしばしば行われていたことを確認している。

  同報告によれば、1944年2月には日本指導部の多くが、この戦争には勝てないと判断し、妥協による和平努力を主張している。しかも、この「妥協による和平」は日本の戦前の地位を引き上げようというものではなかった。寧ろ、高木惣吉海軍少将は、日本は朝鮮と台湾の放棄を前提にして交渉すべきであると主張していたのだ。

  1944年7月には、和平派は東条内閣を倒すところまで力を強めていた。そして後継内閣は最高戦争指導会議を設置した。その主な仕事は戦争からの離脱だった。

  1945年2月には早くも、和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されている。当時、この提案は公式に無視、ないしは否定されたが、ようやく、その事実を裏付ける証拠が出てきた。3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実だ。交渉は中国を仲介者とし、1931年以前の国境線を基礎にするものだった。そして、同年5月までに駐ソ日本大使は「結果が如何なるものであれ、『戦前の条件より後退したものであっても』」、それを前提に可能な和平提案を協議するよう訓令を受けている。これほど早い時期に日本政府内部で降伏を唱える人々が影響力を持ち始めていたことを、米戦略爆撃調査報告は確認しているのだ。同報告は「天皇、枢密院議長、首相、外相、海相は1945年5月に、連合国の条件による敗戦を受け入れることになっても、戦争は終結させなければならないとの結論に達していた」

  いまや政府内部の指導権を握った和平派は、こうした大きな支持を得て、この月のうちに具体的行動を起こした。既に見たように、モスクワ駐在日本大使は交渉打診の訓令を受けていた。そして近衛公を交渉のためモスクワに送ることも計画された。できれば無条件降伏より緩い条件を期待してはいたが、いづれにしても和平のための交渉だった。


(続く)

原爆投下の裏面史検証

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/25 21:00 投稿番号: [7175 / 41162]
【正論】評論家・鳥居民   継続すべき原爆投下の裏面史検証

2005/08/05, 産経新聞

  ■宿題として残る戦後史への影響

  ≪「米兵百万人救う」の口実≫
  広島、長崎に原爆が投下されてから六十年がたつ。
  アメリカの政治家は、日本に原爆を落としたのは百万人のアメリカ兵の命を救うためだったと今日なおも語り、アメリカの学校ではそのように教えてきている。
  原爆投下の本当の理由を承知しているアメリカ人は当然ながらいる。トルーマン大統領が原爆を日本の都市に是が非でも投下したかったのは、四年の歳月と二十億ドルの巨費をかけた究極兵器の力を議会と国民に教え、戦後の核計画への支持を獲得し、スターリンに対しては、その絶対的な威力を誇示し、脅しをかけるためだった。
  だが、その二つの目的はニューメキシコの砂漠の公開実験で十分に達することができたのであり、広島、長崎の市民とその二世までを殺す必要などあるはずもなかった。
  多くのアメリカ人が「百万人」のウソを言い続けるのは、人間誰もが持つ道徳色の濃い自己愛に他ならない。
  私が残念に思っているのは、日本での論議だ。
  「百万人」の話をする日本人は、さすがに今はいない。だが、鈴木貫太郎内閣がポツダム宣言を「黙殺」したがために、原爆が投下されたのだと語る歴史研究者は今もなお存在する。
  一九四五年の五月末から六月、七月に戻ってみよう。
  陸軍長官スティムソンと国務次官グルーは、日本に降伏を勧告するときだと大統領トルーマンに何回も説き、日本側が受け入れることができるように、天皇の地位保全を約束すべきだと主張した。それでも日本が降伏を拒否するのであれば、そのときこそ原爆の投下を警告すべきだと説いたのである。
  海軍長官フォレスタル、陸軍参謀総長マーシャル、海軍軍令部総長キングもまた、警告なしに日本の都市に原爆を投下することには反対の立場であった。

  ≪日本を翻弄した降伏勧告≫
  ところが、トルーマンと彼のただ一人の協力者である国務長官バーンズは、日本に降伏を勧告するスティムソンの草案から天皇の地位保全を認める条項を削ってしまう。
  また、スティムソンの草案では共同提案国にソ連の名前が入っていたが、トルーマンとバーンズは、日本がソ連に和平の仲介を依頼していることを日本外務省とモスクワの日本大使館との間の往復電報から知り、ソ連の名前を削り、重慶の国民党政府に差し替えたのである。日本にソ連への期待を持ち続けさせ、降伏勧告を無視させようとしてのことだった。
  さらに、その降伏勧告をホワイトハウス、国務省からではなく、宣伝機関の戦時情報局から発表させた。日本側をして宣伝文書と思わせるようにしたのである。
  さて、トルーマンとバーンズは、広島と長崎での"原爆実験"に成功した後、直ちにスティムソンとグルーの計画に立ち戻り、天皇の地位保全を日本側に告げることにした。バーンズが手の込んだごまかしをしたことから、日本の歴史研究者はそれが事実上のスティムソン草案の復活であることに気づくことなく、その解明をも忘れている。
  そのすべてを明らかにしようとするなら、ルーズベルト大統領時代の一九四四年に立ち戻らなければならない。
  ルーズベルトは日本との戦争が長引けば、中国の内戦が不可避になることを懸念した。天皇の地位の保証を主張するグルーを起用したのも、ヨーロッパの戦いが終わったすぐ後に、日本を降伏させようと考えてのことだった。
  だが、ルーズベルトは一九四五年四月に急死する。後継者トルーマンはバーンズの協力を得て、先に記したとおり、原爆を日本の都市に投下してみせ、ソ連を脅すことが何よりも先だと考えた。

  ≪潰えたトルーマンの"夢"≫
  ところで、広島と長崎を二発の原爆で壊滅させても、中国に駐留する百万の日本軍を降伏させる上で何の威嚇にもならないことをトルーマンとバーンズは初めから承知していた。だからこそ、スティムソン草案に戻り、天皇の地位の保証をしたのである。
  しかしそうであるならば、ソ連の行動を原爆によって抑止することなど、とてもできないとトルーマンは考えなければいけないはずであった。果たして、その後のベルリン封鎖、中国内戦、朝鮮戦争は原爆の威嚇によっては阻止できず、彼の夢ははかなく崩れ落ちた。
  最初に述べたとおり、原爆が二つの都市に投下されて六十年がたつ。だがトルーマンが試みたこと、そしてその失敗は、この先なお検証を続けなければならない宿題なのである。(とりい   たみ)

原爆投下、市民殺りくが目的(コピペ)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/25 20:58 投稿番号: [7174 / 41162]
1983年8月6日(朝日新聞)

米学者、極秘文書で確認

原子爆弾が広島に投下されてから6日で38年。これについて米最高首脳はこれまで「軍事目的に限定して使った」(トルーマン大統領回顧録)としてきたが、実は「日本への原爆投下の目的は一般市民を大量殺りくすることにあった」とスタンフォード大の米歴史学者が極秘文書で確認、近く出版する本で発表する。また広島、長崎に「米人捕虜がいる」と英国情報部などが警告したのにもかかわらず、米政府はこれを無視したという。(パロアルト<米カリフォルニア州>菊地特派員)

スタンフォード大歴史学部のバートン・バーンスタイン教授は、原子爆弾が日本に投下されたとき、まだ小学生で、辺りの人々が「これで戦争が終わった」と喜んでいるのを記憶している。しかし、スタンフォード大で歴史学を専攻するうち、なぜ人々が原爆投下を単純に受け取っているか、について疑問を持ったという。あのころドイツが降伏し、日本だけが世界を相手に戦っていたのになぜ原爆を使わなければいけなかったか、についてである。この疑問を解明するため米軍事外交文書を研究するうち、“歴史の偽り”を発見したという。
同教授が入手した極秘文書によると、1945年7月31日、原爆投下についてスチムソン米陸軍長官を囲んで最高会議が開かれた。その際ノーベル賞学者のE・ロレンス博士(サイクロトロンの発明者)は「科学者としては原爆を直接日本に投下したくない。まず米国の砂漠などで世界の代表者を呼び、公開の場でその威力を見せるべきだ」と主張した。しかし、他のメンバーたちは「もし原爆が不発だったら世界の笑いものになる。ともかく日本へ投下しよう」と主張して決定を見たという。
投下地点の選定については、「軍事施設のみという科学者の主張に米軍側が強く反対し、結局、民間人を大量に殺りくすることが決定された」としている。
人類初の原爆は“効果半径”約1.8キロ。同教授の入手した米空軍史(部外秘)によれば、「その火の玉を広島の住宅密集地、商業地区に投下せよ」との命令が出ている。投下時間は午前8時15分。「これは工場労働者が仕事を始め、市民の子どもたちが戸外に遊びに出る時間帯。米軍はまさにそこを狙ったのだ」と同教授。
しかしトルーマン大統領はその回顧録で「原爆は非戦闘員の婦人、子どもを避けて、軍事基地だけに限定して使った」と書いている。
この広島原爆で護送中だった米人捕虜23人が死亡した。この事実は1945年10月9日、国際赤十字が確認したが、米当局は公表を避けているという。同教授によれば、それは、原爆投下の直前、米国は英情報部から「広島に米人捕虜がいる」と通告を受けていたがこれを無視したからだという。
米戦略空軍司令部の極秘電報(45年7月30日付)によると同司令部は長崎には米人捕虜収容所があることを確認、ワシントンに打電した。しかし投下は強行された。結局、長崎の原爆は目標を少しずれたため、約1400人の米人捕虜は助かった。
同教授はトルーマン大統領の内政、外交政策について研究を続けるうちに、あるときふと、「広島で米兵捕虜も爆死しているのではないか?」という疑問を抱き、政府や軍に当たったが答えは得られなかったという。
しかしその後、ワシントンの国立公文書館で「極秘」扱いを解かれた兵士らの「軍歴書」の中に、「ヒロシマで戦死」との記述を見つけ、米兵捕虜被爆死の事実を確認した。
とはいえ、軍歴書は、乗機を撃墜され捕虜になって広島で死んだ、としているだけで、それが原爆によるものであることにはまったく触れていない。その遺族らも、被爆死どころか広島で死んだことすらも知らされておらず、日本上空で撃墜され戦死、あるいは戦傷死したものと信じていた。
政府が秘密にしていた理由について同教授は「米国民の大半が支持した原爆投下で米兵が殺されていたとなれば、世論は批判にかわり、第2次大戦直後の冷戦激化の中での核戦略に重要な影響をもたらす、と懸念したからではないか」と語り、「一般市民はもちろん、味方の軍人まで犠牲にしても平気な“戦争の狂気”を告発したい」といっている。
バーンスタイン教授はこれらの新発見を基に近く「核軍縮への道」(仮題)という著書を出版するが、「米外交文書の公開は軍事機密に関しては特に厳しい。1978年に資料要求したものが最近やっと数点入手できたほどだ」と語っている。


(注)原爆の投下目標として検討された都市は東京など16都市があり、最後に広島、小倉、長崎の3目標に絞られた。8月9日の第1目標は小倉だったが、天候その他の条件が悪いときは長崎に投下すると決まっていた。

原爆の効果を視るため、出来るだけ被害を受けていない都市を選んだと聞いたことがあります。
被害の少ない都市といえば、京都も原爆投下の目標に入っ

論点をそらすな、ガセネタ無知クン

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/25 20:55 投稿番号: [7173 / 41162]
>でりちゃんの論理はアメリカが「もし、広島・長崎で原爆を使わなかったら、
>日本国民にはさらに多くの犠牲が出ただろう」というのと、何も変わらない。

オマエ、アフォか。
アメリカは無辜の市民に対して原爆を投下したんだ。
一方の日本軍は、便衣兵だと判断したものを殺したんだ。
大違いなんだよ!



>原爆の使用は戦争の早期終結についての選択肢の一つに過ぎないし、むしろ
>原爆の使用で戦争を終わらせることがアメリカの選択したシナリオであり、終戦
>時期もそれを前提にタイミングを見計らっていたと見るべきだろうね。


あらら・・・
また、また、ガセネタだ。
しかし、ここまで無知だったとは・・・

もう少し勉強するほうが良い。




>だが、でりちゃんは城内で拘束された兵士が、どういう戦争法規違反を犯した
>のか全く説明できない、「当然だ」というだけで、法的根拠は説明できていない。

戦争をやっていたんだから拘束した後でも、敵の兵士が暴れたり怪しい動きを見せたり日本軍の行動に著しい支障をきたす場合には処断せざるを得ないし、更に、もともと支那軍は日本兵を捕虜とせずに惨殺したんだから報復したとしても致し方ない。



>4000人に上る一般人の犠牲にしても、

4000人に上る一般人の犠牲って何のことか全く不明だし、仮にあったとしても爆撃などによる事故かもしれないし、おそらくは大半が支那軍や不逞支那人による犠牲だよ。



>なお、捕虜の扱いについての、

あのさ。
俺、敗残兵とか投降兵とか捕虜とかの話はあんまり興味ないし、論点を「日本軍による無辜の民間人虐殺」に絞ることになっている。

俺は、#6936と#6949と#6962と#7002と#7091と#7118で以下のように述べたのだが、一体どうしたのかね?

またまた、またまた、逃亡しまくるつもりかね?

いい加減、見苦しくてみっともない。

―――――――――――――――――――
2005/ 8/10 22:57
メッセージ: 6936
投稿者: deliciousicecoffee



(ja2047の良心を信じて略)




以上のことから、「日本軍による民間人虐殺が0人である」ことに対して、スマイス調査は反論の根拠に出来ない。

よって、

>スマイス調査を根拠にしての民間人の虐殺被害者数は総計33470人。(メッセージ: 6889)

は却下されます。


そこで、改めて質問しますので、逃亡せずに答えてください。

日本軍による無辜の民間人虐殺人数は、「0人」だよね?


これは ja2047 さんの 6928 に対する返信です
―――――――――――――――――――





いい加減に逃げるのはやめよ!

見苦しくてみっともない。



逃亡を続けるくらいなら、もう消えろ。

意見と言いますか

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/25 19:05 投稿番号: [7172 / 41162]
>実際、どこまでできるか分かりませんが、また、分からないところがあれば、ご意見を伺いたいと思います。

私は意見は人それぞれでよいと思っています。
いつもやっているのは、資料事実という観点からは、こっちが正しいのじゃあないか
という話なのですね。
実態とか、当時の常識から帰納できることだけを書き込んでいるつもりなのですよ。

・・・と、書こうと思ったけど、コレちょっとクサイですね   (^^;


言いたいことは理解してもらえるものと思ってます   (^O^

>松井の大将冤罪を抗議する兵無し(哀)

投稿者: mmkki 投稿日時: 2005/08/25 18:48 投稿番号: [7171 / 41162]
>南京虐殺事件が無かったとするならば、、(笑)
どちらの立場にせよ、笑うべき問題ではないですぞ。
まあ、この程度の(非礼極まる)阿呆だから相手にするのも腹立たしいが・・・
貴方(亡霊)は、早く「よみのくに」に戻られてはいかがかな?
いや、「よみのくに」から来ている「亡霊」が貴方でしたね。

>南京へ侵攻した上海派遣軍を筆頭に第10軍など延べ人数にして約15〜17万人の兵士が参加、
>侵攻していることはご存知でしょう。
「日本軍の進軍」と「虐殺行為の真偽」とは、まったく関係が無い。

>そして敗戦後、南京事件が東京裁判で明らかになり、
>松井石根大将が有罪となりましたが、、
>この当時、この南京侵攻作戦に参加した兵士の生き残りは、
>どうしていたのでしょうかね?
不当な裁判を延滞無く進行させる為に、連合国側(検察側)は、裁判内容を公表せず、
不公平極まる不当裁判を進行させたのです。
また、当然ながら当時ABC各戦犯被疑者は投獄されていました(進行中の裁判内容は知らされていない)が、何か?
また、東京裁判の最中にも、「今、東京裁判で、どういう審理が行なわれているか?という情報」は、当時の日本人の殆どが知らされていません。
だからこそ不当な裁判であったという事です。

>無かった事件を存在したとして、
>その行為を咎められ、責任者は絞首刑となっておりますよ。
だからこそ、今こそ名誉回復を訴えているのです。
これは、当事者2名に限った闘いでは無いのです。
日本人の尊厳に係わるものであると、(見識ある)多くの日本人が重く受け止めています。

いやじゃ

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/25 12:39 投稿番号: [7170 / 41162]

よみさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/08/25 08:31 投稿番号: [7168 / 41162]
>実行部隊の将校、士官、下士官などはダンマリを決め込むしかなかったのでしょうかね?

こういう推定は、どこの部分から出てきているのですか?直接の根拠となった資料を教えて下さい。

今日はこれに突っ込んでおこう d(^^

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/25 06:30 投稿番号: [7167 / 41162]
>もしも、南京で日本軍が迅速かつ徹底した便衣兵の掃蕩を行わなかったら、後日、便衣隊は武器を取って襲撃し、日本軍や一般住民に多大な犠牲者が出ただろう。

これは、「もしも」の話でしかない。
現実に「一般住民に多大な犠牲者」が出たのは、日本軍が市民を集めて、
兵士と認定したものは即決殺害したためなんだ。

でりちゃんの論理はアメリカが「もし、広島・長崎で原爆を使わなかったら、
日本国民にはさらに多くの犠牲が出ただろう」というのと、何も変わらない。
あるいはその通りなのかも知れないが、「もし」の話でしかない。
現実に核兵器を使用して多くの市民を殺害したのはアメリカなのだから、
被害国として受け入れられる論理ではない。
原爆の使用は戦争の早期終結についての選択肢の一つに過ぎないし、むしろ
原爆の使用で戦争を終わらせることがアメリカの選択したシナリオであり、終戦
時期もそれを前提にタイミングを見計らっていたと見るべきだろうね。
都市への核兵器使用以外の選択肢はあったのだし、アメリカはそれをしなかった。

南京城内の敗残兵掃討についても、市民を拘束して兵士と認定すれば殺した
わけであり、杜撰な選別で兵士と認定した市民を殺して良いわけはないのだし、
拘束されて抵抗力のない兵士なら捕虜として処置するのが国際法に沿った処置だ。

交戦法規に違反していれば裁くのは構わないだろう。
だが、でりちゃんは城内で拘束された兵士が、どういう戦争法規違反を犯した
のか全く説明できない、「当然だ」というだけで、法的根拠は説明できていない。

4000人に上る一般人の犠牲にしても、日本軍が拘束した市民を国際法のみか
国内法である軍の規則に違反して即決殺害するようなことがなければ、避ける
ことができたのかもしれない。


なお、捕虜の扱いについての、でりちゃんの奇妙な国際法解釈は、後日時間が
取れるときにゆっくりお相手してあげよう。

「捕虜」と「俘虜」

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/25 06:26 投稿番号: [7166 / 41162]
>「旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。」
>この命令なのですが、何故、「捕虜」という言葉になったのでしょうか?


ご指摘の通り「俘虜」が当時の正式な呼称ですが、一般的な用語としては
「捕虜」の方が通りの良い時代になっていたわけです。

特にここは、文書の地の文ではなく、(おそらく)口頭による命令を書きとどめた
部分なので「捕虜」の表記になったかと思います。


一般的には「捕虜」が使われていた例として、たとえば、幕府山事件に関する
上級士官の日記についても、次のように表記の揺れを見せています。
飯沼少将は「捕虜」上村大佐は「俘虜」の表記ですね。

飯沼守日記   上海派遣軍参謀長・陸軍少将21期
◇十二月二十一日   大体晴
  荻洲部隊山田支隊の捕虜一万数千は逐次銃剣を以て処分しありし処何日かに相当多数を同時に同一場所に連行せる為彼等に騒かれ遂に機関銃の射撃を為し我将校以下若干も共に射殺し且つ相当数に逃けられたりとの噂あり。上海に送りて労役に就かしむる為榊原参謀連絡に行きしも(昨日)遂に要領を得すして帰りしは此不始末の為なるへし。
『南京戦史資料集1』P164

上村利道日記   上海派遣軍参謀副長・歩兵大佐22期
十二月二十一日   晴
(略)
  N大佐より聞くところによれは山田支隊俘虜の始末を誤り、大集団反抗し敵味方共々MGにて打ち払ひ散逸せしもの可なり有る模様。下手なことをやったものにて遺憾千万なり。
『南京戦史資料集2』P268-269


また、個人日記ではない文書としては、次の例があります。

第3師団   歩兵第68連隊   第3大隊 陣中日誌
十二月十六日   木曜日   晴天   於南京通済門内

(二)藤田部隊会報追加
     1   戦闘一段落し警備に移らんとするに方り各部隊は軍紀風紀を
       厳ならしめ兵をして過誤ならしむることに努ること
     2   警備を減にし特に敗残兵等に対する警戒を怠らさること
     3   爾後捕虜兵は一応調査の上各隊に於いて厳重に処分すること
     4   良民労力に対する取扱い就ては兵に至るまて注意すること
『南京戦史資料集1』偕行社   P542

「対支那軍戦闘法の研究」一九三三年、陸軍歩兵学校
「捕虜は他列国人に対する如く必ずしも之れを後送監禁して、戦局を待つを要せず、特別の場合の外、之を現地又は他の地方に移し、釈放して可なり。
支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者多く、其存在を確認せられあるもの少なきをもって、仮に之を殺害又は他の地方に放つも、世間的に問題となること無し。」

松井の大将冤罪を抗議する兵無し(哀)

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/08/25 06:25 投稿番号: [7165 / 41162]
南京虐殺事件が無かったとするならば、、(笑)

南京へ侵攻した上海派遣軍を筆頭に第10軍など延べ人数にして約15〜17万人の兵士が参加、侵攻していることはご存知でしょう。

そして敗戦後、南京事件が東京裁判で明らかになり、松井石根大将が有罪となりましたが、、この当時、この南京侵攻作戦に参加した兵士の生き残りは、どうしていたのでしょうかね?

恥の文化の日本人が、無かった事件を存在したとして、その行為を咎められ、責任者は絞首刑となっておりますよ。

日本は生き恥をさらしたこととなっております。

「生きて虜囚の辱めを受けず、、」と死よりも恥を重んじ、自決あるいは自爆、万歳突撃をして亡くなった兵士の数は民間人をも含めて、カナリの数に上っております。

兵士の犯した罪で松井大将はその防止策を取らなかった罪で絞首刑とされております。
実行犯とされる士官、下士官、兵士はダンマリを決め込んだのでしょうか?

卑怯者の軍隊だったのでしょうか?
天皇陛下に恥じをかかせて、無視したのでしょうか?



実行部隊の将校、下士官、兵士も事件の否定はしていないようですな。


それでも、ダンマリを決め込まなきゃならないとしたら、、それは事件に関与したと考えるのが当然ですよね。

いまだ、誰も答えてはいない(笑)

松井大将は刑死前に「天皇陛下にご迷惑をお掛けした。」と事件を認めておりますよ。
また、重光葵は「松井の罪は逃れられない」と口述しております。

いずれも事件の存在は認めておりやすよ

で、実行部隊の将校、士官、下士官などはダンマリを決め込むしかなかったのでしょうかね?

●便衣兵に関するまとめ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/24 23:24 投稿番号: [7164 / 41162]
便衣兵に関するマトメの投稿をしておきます。



●便衣兵に関するまとめ


日本軍は上海戦が始まった直後から便衣兵によって被害を受けており、南京入場後に軍服が大量に捨てられていた以上、便衣兵を徹底的に掃蕩しなければならなかった。

戦場においてゲリラ(便衣兵)から狙われるほど恐ろしいものはない。
制圧したと思って村や町に入ると、建物の陰から鉄砲の弾が飛んでくる。
敵兵を探しても、いるのは善良そうな顔をした人々だけ…。
あるいは、少年少女だと思って油断していると突然懐から拳銃が出てきて撃ち殺されたりする。
このようなことが繰り返されると、たちまち兵士は神経がおかしくなる。
周囲にいる人が全てゲリラに思えてくる。
ベトナム戦争の時、多くの米兵が戦場神経症になったのはそのせいだ。
祖国に帰還しても後遺症が続き、正常な市民生活が送れない身体になったという悲惨な例は数え切れない。
しかも、ゲリラ戦は民間人も不幸に巻き込む。
相手国の軍隊にしてみれば、誰が敵か区別が出来ないから、少しでも疑いがあれば殺すしかない。

日本軍は便衣兵摘出の際、坊主頭で鉄帽子の日焼け跡がある者や手に銃ダコがある者などを確認して摘出した。

便衣兵と判れば殺す以外にない。
便衣兵を殺さなければ、その後、支那軍は癖になってその後も便衣隊戦術をエスカレートさせ、便衣兵は増加し、日本軍や一般市民の被害は拡大する一方だ。

仮に、掃蕩された便衣兵の中に市民が交じっていても支那軍の責任であり、支那軍による虐殺となる。


南京戦の前にも、具体的な事例として次のような事態があった。

〆   〆   〆
下士哨に立ち寄ると3・4名休憩中の日本兵がいる。いずれも銃を抱いた体で城壁の下の穴倉みたいなところで仮眠している。そこに突然便衣隊が2名忍び寄り、日本兵がまどろんでいる隙をみて銃を奪い取った。
敵という声に目をさまし立ち上がり格闘となった。突然のことであり便衣隊の1名は逃げたが1名は頑強に抵抗してなかなか取り押さえられず、3・4人がかりで1名の便衣兵の手をとり、足をとり、捕虜にしようとするが、日本兵の方が危なそうである。発砲すれば友軍への危険もある。

…自分は下手をすると被害がこっちにもでかねないと思った。咄嗟になかに入り、便衣隊の顔を軍靴で踏みつけた。すると静かになった。騎兵隊がちょうど傍らにいた。殺させてくれという。騎兵は長い軍刀を引き抜くと首は飛んでいた。
第18師団歩124歩兵伍長、村田和志郎の日記
〆   〆   〆



南京において便衣隊が武器を取って襲撃してきた記録がないのは、日本軍が迅速かつ徹底した便衣兵の掃蕩を行ったからに他ならない。

もしも、南京で日本軍が迅速かつ徹底した便衣兵の掃蕩を行わなかったら、後日、便衣隊は武器を取って襲撃し、日本軍や一般住民に多大な犠牲者が出ただろう。

事実なき報道、許すのか:百人斬り訴訟

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/24 22:58 投稿番号: [7163 / 41162]
「事実なき報道、許すのか」   「百人斬り」訴訟棄却
遺族、父の無念晴らしたい


  「いくら表現の自由があるといっても、あり得ない事実を報道することがジャーナリストとして許されるのか」。「百人斬り」の責任を問われて処刑された向井敏明少尉の二女、田所千恵子さん(64)=千葉県成田市=は二十三日、謝罪広告掲載などの請求が棄却された判決後の会見で、憤りを語った。

  田所さんは会見で「『百人斬り』はなかったと確信している。明確にされなかったことが残念」と苦渋の表情。ただ「多くの激励でここまできた。感謝です」と前向きな姿勢をみせた。

  田所さんは、父の遺言状を持参して判決に臨んだ。「私の事は世界も正しく見てくれる日も来ます。世間様にも正しく知らせて下さい」−。中国の獄中から家族にあてられたもので、B4判のわら半紙に十五枚、家族への思いがつづられている。「父の願いを果たすことができず残念です」と唇をかんだ。

  田所さんは中学時代に「戦犯の子」と呼ばれるなど、苦痛を受けてきた。ただ、「百人斬り」もいつかは忘れ去られるだろうという淡い期待があった。

  だが昭和四十六年、本多勝一氏が朝日新聞の連載で紹介すると、定期的にメディアなどで取り上げられるように。百人斬りを事実とする出版物も刊行され、「史実」として授業に取り上げる学校も出てきたという。

  消え去るどころか、ますますクローズアップされる父の汚名。「職場でも、みんな腫れ物に触るように私に接するようになった」。そんな中、無念を晴らすのが娘の使命だと思い、今回の訴訟に踏み切った。

  判決では主張が認められなかったが、「まだ先がある」と気を取り直す。「日本が戦時中に中国で行ったとされる"蛮行"がどれほど間違いなのか、明らかにしなくては」。訴訟でも控訴する方針で、父の汚名をはらすつもりだ。

≪同僚カメラマン「作り話」を証言   疑問残る事実認定≫

  南京攻略の際に二人の旧日本陸軍将校が「百人斬り」を競ったとする報道が争われた訴訟で、東京地裁の判決は、「当時の記述が明白に虚偽とはいえない」としたが、「百人斬り」が極めて疑わしいことは多くの識者が指摘してきた。

  南京攻略戦は銃撃戦が主で、日本刀による"殺人ゲーム"は起こり得なかったとされる。また、野田毅少尉は大隊副官、向井敏明少尉は歩兵砲小隊長で、白兵戦に参加することはあり得ず、日本刀で百人斬ることも不可能とされている。

  両少尉は戦後の南京軍事法廷にかけられ、一貫して無実を訴えた。両少尉の弁護を行った中国人弁護士は、東京日日新聞記者が「この記事は、記者が実際に目撃したものではない」と明言していることや、その他の目撃者、遺体などの証拠が皆無であることを主張したが、法廷は新聞記事を唯一の証拠に銃殺刑を言い渡した。

  これに疑問を持ったノンフィクション作家の鈴木明氏は「『南京大虐殺』のまぼろし」で克明な検証の結果、冤罪(えんざい)を指摘し、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

  記事を書いた東京日日新聞の記者は死去したが、同僚カメラマンは産経新聞の取材などに「あれは戦意高揚のための作り話だった」と明らかにし、今回の訴訟でも高齢をおして同様の証言を行っている。

http://www.sankei.co.jp/news/050823/evening/24nat002.htm

「百人斬り」判決 史実の誤り広げかねない

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/24 22:55 投稿番号: [7162 / 41162]
■【主張】「百人斬り」判決   史実の誤り広げかねない

  南京で旧日本軍の将校二人が「百人斬(ぎ)り」を行ったとする報道の真偽が問われた訴訟で、東京地裁は「明白に虚偽であるとは認められない」として、「事実無根」とする元将校の遺族の訴えを全面的に退けた。史実の誤りを増幅させかねない判決といえる。

  問題とされた報道は、最初に「百人斬り」を報じた昭和十二年の東京日日新聞(現毎日新聞)の記事と、昭和四十六年にそれを再び報じた朝日新聞の連載記事(中国の旅)である。

  東京地裁は「記事に虚偽、誇張が含まれている可能性が全くないとはいえないが、新聞記者の創作とまで認めるのは困難」「現在までさまざまな見解があり、歴史的事実としての評価は定まっていない」とした。

  しかし、朝日の連載記事が書かれた後、ノンフィクション作家の鈴木明氏は元将校の遺族らを取材し、その結果をまとめた著書『「南京大虐殺」のまぼろし』(大宅賞受賞作)で、「百人斬り」報道に疑問を提起した。東京日日新聞の記事に載った将校二人の写真を撮った元毎日新聞カメラマンも「戦意高揚のための記事で、あり得ない話だ」と証言している。

  また、毎日新聞が平成元年に発行した昭和史年鑑『昭和史全記録』は「百人斬りは事実無根」と自社の戦前の報道を否定した。米国にも「百人斬りは捏造(ねつぞう)」とする学術論文がある。

  「百人斬り」報道の信憑(しんぴょう)性を否定する反証は、十分に示されてきた。東京地裁の判決は、こうした最近の実証的な調査研究や当事者の証言をほとんど考慮に入れていない。元将校の遺族は控訴する方針で、控訴審での新たな判断が待たれる。

  「百人斬り」の責任を問われた元将校二人は戦後、中国・南京の軍事法廷で無実を訴えたが、東京日日新聞の記事を根拠に死刑を宣告され、処刑された。現在も、「百人斬り」は中国が一方的に主張する「南京大虐殺(三十万人以上)」の象徴的な出来事として宣伝されている。日本の教育現場でも、しばしば蒸し返されている。

  判決結果にかかわらず、「百人斬り」が冤罪(えんざい)だったことは疑いの余地がない。朝日、毎日両紙は訴訟の法的な問題とは別に、報道機関として自らの報道を謙虚に反省すべきである。

平成17(2005)年8月24日[水]

http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm

yousunwaiさんへ  投降兵と捕虜

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/24 22:40 投稿番号: [7161 / 41162]
>1.捕虜と投降兵との違い


「捕虜」というのは、投降して捕虜となることが認められた元兵士です。
捕虜と認められれば収容所に入れられて保護されます。

ただし、投降しても必ずしも捕虜とされない場合もあります。

(参考)
―――――――――――――――――――
ハーグ陸戦法規第二十三条は、「兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を禁止している。

しかしながら、戦闘の進行中で敵軍の一部が投降せんとする場合に、味方軍がこれを受諾し投降兵を収容して後方に送致する為には味方軍の進撃を中止する必要を生じその事が味方軍の勝利を危うくする惧れのある場合には、味方軍の安全と勝利を確保する為に敵軍の降伏信号を黙殺して攻撃を継続する事が軍事上必要となる。

故に、戦時法規は一定の条件下において投降の拒否を認めるのである。
この見解はオッペンハイムを始め多数の戦時国際法家に支持されている。

「投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、第二は、敵の戦争法規違反に対する報復として、第三は、緊急必要の場合において、すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危うくされる場合においてである。」   (オッペンハイム)
―――――――――――――――――――

また、投降(降伏)は指揮官の権限であり、指揮官の存在しない兵士は交戦資格が無いから降伏の表明によって捕虜となる権利は無いという解釈もあります。
この解釈を適用すると、支那軍の場合は殆ど捕虜になる資格がなかったことになります。


更に真実を述べると、支那軍は日本兵を全く捕虜にしませんでした。
日本兵は降伏しても支那の捕虜にされずに全員が惨殺されたので、1941年1月に日本の陸軍省は「戦陣訓」で「生きて虜囚の辱を受けず、〜」と訓示しました。

アメリカ軍も日本兵の投降(降伏)は殆ど認めず、捕虜にせず、大量の日本軍投降兵を惨殺しました。

ソ連軍に至っては、戦争が終わっても100万人以上の日本人捕虜を帰さず、シベリアで約50万人の日本人捕虜を大虐殺しました。

これら上記に関しては、資料もあります。

ですから、当時の日本軍は他国と比べ、投降兵や捕虜に対しては大変誠実な軍隊でした。
(収容所における捕虜の監視は、主に朝鮮人軍属がやったので一部に虐待あり)

★それと、これは肝心な事なのですが、当時の日本軍の記録や日記には、「投降兵」も「捕縛した敗残兵や便衣兵」までも、全て同じように「捕虜」「俘虜」などと記しているので要注意です。

「捕虜」と記されていても、厳密には現在の日本語の「捕虜」ではないので注意してください。




>2.「旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛して逐次銃殺してはいかん。」この「いかん=どうであるか?」という言葉


よく分かりません。
よく見る資料ですが、それは間違いない資料ですか?
まあ、あってもそれ程おかしくありませんが。

いずれにせよ、この場合も厳密には「捕虜」ではありませんね。
捕虜にされなかった「投降兵」や「捕縛した敗残兵・便衣兵」です。



>3.一次資料が正しいものとして扱われる前に、出所について徹底的に調べた人


南京大虐殺の一次資料は何もありません。
皆無です。
日本人はお人好しですから、日本軍投降兵が支那軍によって全員惨殺されたにも拘わらず、支那軍投降兵を処断してしまったことを「虐殺」と思い込んだり、便衣兵の掃蕩で「もしかしたら一般市民が交じっていたかもしれない」と思い詰めて、虐殺があったようなことを言う人はいます。
しかし、それは虐殺ではありません。
これを虐殺と称せば、古今東西、年がら年中、虐殺だらけです。

【虐殺】というのは、無辜の人間を正当な理由もなく殺す事です。

支那、米国、ソ連などが行なった事こそ【虐殺】であり、日本軍による虐殺なんて、どこをどう見渡しても皆無に等しいのです。



>4.南京事件を実際どの範囲で規定してよいのやら


1937年〜1938年のいわゆる南京事件というのは、戦後に創られた嘘っぱちのでっち上げなのですから、範囲も何もありません。
日本軍がアッと言う間に南京を占領し、日本軍が迅速かつ徹底した敗残兵・便衣兵の掃蕩を遂行したお陰で南京市民に殆ど犠牲者が出なかったことを事件とは言いません。
日本軍占領後の南京には平和がよみがえり、1ヵ月後には人口が20万人から25万人に増加しました。

> yousunwaiさん  ご健闘を

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/08/24 22:21 投稿番号: [7160 / 41162]
実際、どこまでできるか分かりませんが、また、分からないところがあれば、ご意見を伺いたいと思います。

よろしくお願いします。

すみません。もう一つ。

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/08/24 22:19 投稿番号: [7159 / 41162]
「旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。」

この命令なのですが、何故、「捕虜」という言葉になったのでしょうか?

「俘虜」というのが、日本軍の正式な使い方としては多くあったように思うのですが。。。ご存知の方いらっしゃいますか?
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