南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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「捕虜」と「俘虜」

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/25 06:26 投稿番号: [7166 / 41162]
>「旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。」
>この命令なのですが、何故、「捕虜」という言葉になったのでしょうか?


ご指摘の通り「俘虜」が当時の正式な呼称ですが、一般的な用語としては
「捕虜」の方が通りの良い時代になっていたわけです。

特にここは、文書の地の文ではなく、(おそらく)口頭による命令を書きとどめた
部分なので「捕虜」の表記になったかと思います。


一般的には「捕虜」が使われていた例として、たとえば、幕府山事件に関する
上級士官の日記についても、次のように表記の揺れを見せています。
飯沼少将は「捕虜」上村大佐は「俘虜」の表記ですね。

飯沼守日記   上海派遣軍参謀長・陸軍少将21期
◇十二月二十一日   大体晴
  荻洲部隊山田支隊の捕虜一万数千は逐次銃剣を以て処分しありし処何日かに相当多数を同時に同一場所に連行せる為彼等に騒かれ遂に機関銃の射撃を為し我将校以下若干も共に射殺し且つ相当数に逃けられたりとの噂あり。上海に送りて労役に就かしむる為榊原参謀連絡に行きしも(昨日)遂に要領を得すして帰りしは此不始末の為なるへし。
『南京戦史資料集1』P164

上村利道日記   上海派遣軍参謀副長・歩兵大佐22期
十二月二十一日   晴
(略)
  N大佐より聞くところによれは山田支隊俘虜の始末を誤り、大集団反抗し敵味方共々MGにて打ち払ひ散逸せしもの可なり有る模様。下手なことをやったものにて遺憾千万なり。
『南京戦史資料集2』P268-269


また、個人日記ではない文書としては、次の例があります。

第3師団   歩兵第68連隊   第3大隊 陣中日誌
十二月十六日   木曜日   晴天   於南京通済門内

(二)藤田部隊会報追加
     1   戦闘一段落し警備に移らんとするに方り各部隊は軍紀風紀を
       厳ならしめ兵をして過誤ならしむることに努ること
     2   警備を減にし特に敗残兵等に対する警戒を怠らさること
     3   爾後捕虜兵は一応調査の上各隊に於いて厳重に処分すること
     4   良民労力に対する取扱い就ては兵に至るまて注意すること
『南京戦史資料集1』偕行社   P542

「対支那軍戦闘法の研究」一九三三年、陸軍歩兵学校
「捕虜は他列国人に対する如く必ずしも之れを後送監禁して、戦局を待つを要せず、特別の場合の外、之を現地又は他の地方に移し、釈放して可なり。
支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者多く、其存在を確認せられあるもの少なきをもって、仮に之を殺害又は他の地方に放つも、世間的に問題となること無し。」

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