南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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日本に降伏させず、何が何でも原爆投下

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/25 21:21 投稿番号: [7177 / 41162]
  1945年5月9日付けのワシントン・ポストは、日本の降伏条件について伝えたシカゴ・サンのフレデリック・クー記者の記事を転載している。それは、日本軍部の全面降伏、中国から奪った領土と戦争中に占領した全領土の放棄を求めたカイロ宣言を、本土は占領しないという条件で受け入れるというものだった。同記者が伝えた和平提案は、米戦略爆撃調査が報告する日本政府の協議内容と一致している。クー記者はまた、米国務省が4月にこの和平提案を受け取ったと伝えたが、これに対して国務省は公式提案は何も受け取っていないと答えていた。

  5月12日、ハルゼー提督が「太平洋の某所」で従軍牧師グループに語った話から判断すると、戦争状況を把握する立場の人は日本の和平工作を予測していたようだ。同提督は日本が間もなくかなり積極的に和平打診をしてくるだろうが、「日本を2度と戦争できなくなるまで叩き潰して、はじめて戦争目的は成就する。我々はそこまで徹底しなければならない」と語っている。

  スチムソン元陸軍長官は1947年2月のパーハーズ・マガジンに「原子爆弾使用の決定」を正当化する記事を寄稿した。即ち、1945年7月、日本がソ連を「交渉による和平」の仲介者とする「試案」を同国に提示したことは事実だが、この「曖昧な提案」は「日本が主要な占領地域をそのまま保持する」ことを考えているもので、受け入れることは出来なかった、というのだ。しかし、スチムソンはこの説明を裏づける証拠資料を出していないし、「占領地域」が具体的にどこをさしているかも語っていない。興味深いのは、占領後日本から送られてきた公式報告がスチムソンの言明より、クー記者の「情報」を裏づけしていることだ。

  ソ連の仲介を求める日本の要請に対して、ソ連は明確な回答を避けていたが、これはアメリカの承諾があったようだ。日本の代表団は受け入れられなかった。7月、連合国首脳はポツダムに集まり、日本の運命を決めることになるが、その際近衛公が同地に赴いて和平案を提出することも許されなかった。

  殆どのアメリカ人は日本が軍事的に弱いことを知らなかった。前線からの報道は、少なくとも6ヶ月間に亙って、日本の戦争機関が急激に失速していることを窺わせる事実を送り続けていた。しかし、私たちの宣伝担当者は、最後の最後まで「百年戦争」とか「滅びるまで戦う覚悟の狂信的国民」という言葉を使っていた。


(ここまでP143〜144)


(続く)
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