公式記録の信頼性
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/23 12:36 投稿番号: [7128 / 41162]
>別トピで陣中日誌や戦闘詳報の話が出てきました。公式記録ということなら信頼性は、それなりにあるとは思うのですが、幾つかの疑問が、ネット内でもあるようです。
>この資料の信頼性というのは、どの程度か、両者の方の意見をお聞きしたいのですが、教えていただけますでしょうか?
公式記録だから完全に信用できると断定してしまうのはあまりにもナイーブで
あると思いますが、一般的には信頼性が高いという判定は出来ると思います。
公式記録というものの価値は、どのようにしてまとめられたかという責任の
所在が比較的明確であると言うことと、それが公式見解として通用したという
点にあります。
例えば、大規模な捕虜の殺害があったと言うようなことは、普通なら公式の
記録には残さないのですが、日中戦争当時の軍の記録には出てくるわけで、
どうも、捕虜の殺害が違法であるという認識が薄くなっていたことがここから
窺われます。
また、公式記録と私的な記録は相互に補完し合うわけで、両者が一致している
ようなら、当然事実と認められますし、公式記録が書き残さないことが私的記録で
理解できることもあります。
目下の話題に即して言えば、公式の記録には「捕虜を殺害した」「敗残兵を殺害
した」と書かれている場合でも、当事者の日記や回顧録に「市民が混入していた」
とあれば、市民が混入していた可能性があることが判ります。
安全区の敗残兵摘出、殺害の場合については、公式記録には「敗残兵を殺した」と
書いてあるだけですが、「相当数市民が混入していた」と言うことが、日本側将兵の
日記、日本側記者の手記、米国記者の記事、安全区外国人の記録、中国人生存者の
供述などで確認できるわけです。
この場合、公式記録には、「少々市民が混じっていてもやむを得ないので、まとめて
殺した」と書かれることはありません。
このように、公式記録の信頼度は絶対ではありません。
これは メッセージ 7125 (yousunwai さん)への返信です.
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