南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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夏休み でりさま教室 3)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/23 09:53 投稿番号: [6697 / 41162]
>ベイツが国民政府の顧問だったことは、ほぼ間違いないが、そう言うとムキになって来て面倒臭いから、わざわざ『』を付けて『疑惑』にしてやっただけだよ。

何で面倒くさくなるか解るよな?
根拠のきわめて薄いことを事実と断定することは、私は好まないからだ。

ベイツが国民党顧問であればベイツ証言の信憑性がゼロになるわけでも
なければ、国民党顧問でなければ100%信用できるというものでもない。
ないが、事実というものは、これとは別に明確にされなくては行けない。
何度も言うように、ベイツが国民党顧問だという根拠は、イェール神学校
文書館の厚さ3フィートに登るエスター・モーテンセン文書から発見された、
掲載紙不明、日付不明の新聞記事の切り抜きと推定される正体不明の
切り抜き一枚だけ。
http://www.library.yale.edu/div/colgpers.htm#M
持ち主と推定される金陵大学教員だったエスター・モーテンセンは南京陥落
時点で重慶に滞在しているので、切り抜きの新聞?は重慶で手に入れたの
だろうね。   掲載紙は不明だ。
切り抜きはEsther Tappert Moetensen 関係文書   Box 7. File 120
“Writings of Miner Searle Bates 1936-1938”から発見された。
http://webtext.library.yale.edu/xml2html/divinity.021.con.html#series2

同じ文書館に所蔵されているベイツ関係文書は総厚さ55フィートで、モーテン
セン文書の20倍近い分量がある。
http://webtext.library.yale.edu/xml2html/divinity.010.nav.html

つまり、東中野氏発見した   「掲載元不明、報告者不明、日付不明、保管者不明の、
新聞の切り抜きと思われる小片」   の、ベイツ国民党顧問裏付け資料は、その20倍の
分量があるベイツ自身に関する資料からは発見されなかったということだよ。

「ベイツが国民政府の顧問だったことは、ほぼ間違いないが、」というでりちゃんの
信念は揺るがないのだろうが、資料的にはきわめて裏付けが薄く、可能性が薄い
ということだ。


>「南京事件の擦り付け工作を開始したのは日本側が先で、『NYタイムズ   1月3日記事   安全区の敗残兵による攪乱工作』の情報の出所が明らかに日本側だ」とか言った奴がよく言うよ。

ベイツが国民党顧問であるという仮説に比べれば、合理的な推測というものだ   (^^





夏休み でりさま教室 2)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/23 09:52 投稿番号: [6696 / 41162]
>それと、例の【ベイツが強姦されている女達から日本兵を引き退けた】と言う話は、当然、安全地帯の委員会の報告に載っている筈だよね。
まさか、そのような事件をベイツが報告していない筈がない。
その時のベイツの様子を詳しく知りたいので、その報告を見せて頂けませんでしょうか?

「再審南京大虐殺」の記述」が虚偽であることは理解したので、
話を他に振ろうとしているということで回答させてもらう。

でりちゃんが言いたいの、次のどっちなんだろうね。

1.とにかくベイツ証言には虚偽が含まれているという当初の言明を
引用文が虚偽であることが判明したことで破綻させたくないので、
ベイツが法廷で宣誓証言したこと以外の裏付けを求めている。
2.安全区での暴行多発そのものを否定したいので、宣教師などの
外国人が実際にその場に居合わせて暴行を阻止したというような
事実が虚構だと言いたい。

まず1.
ざっと見たところでは、どれがベイツ証言に相当するそのものズバリだか
判らなかった。
ベイツ自身の係わった類似の事例はある。
第四六七件   三月一九日午後三時半から四時の間、金陵大学語学学校の難民キャンプで、日本兵一名が一九歳の難民の少女を強姦した。ベイツ博士が四時五分ころ、現場に到着して兵士に近づくと、兵士は脅すように銃剣を振り回し、ふてぶてしい態度で「女が欲しいのだ」と言った。だが、ベイツ博士は兵士を説得してそこを立ち去らせた。兵士に酔っている様子はなかった。(ベイツ)

安全区委員会文書に残存する抗議文書は安全区委員会が作成した
抗議文書の全点ではない。
文書は今日少なくとも470件まで存在したと推定されるが、現在確認
出来るのはドイツ大使館保管分を合わせても415件だけだ。
残り55件の中や、現存しないベイツの提出分の中に、そのものズバリが
あるのかどうかは判らない。
第一、相当するものがあっても、東京裁判のベーツ証言自体が、あまり
具体的ではないので、特定は不可能だろう。


次に2.
ベイツに限らず、外国人が強姦を実力阻止した報告があるかどうか。

有名なアリソン殴打事件というのがある、ラーベ日記にも出てくる。
1月24日の夜に日本兵が金陵大学から難民女性を連れ去り強姦した、
リッグスとベイツがその女性から連れて行かれた場所を聞き出し、
リッグスとアメリカ大使館のアリソン書記官が日本領事館員を伴って
現場の建物に踏み込んだ所、首謀者の中尉は女性を引き込んでいる
最中であり、リッグスとアリソンはその場から追い出すために衛兵から
殴られたというのである。

これが、安全区委員側の一方的な言い分かというとそうではなく、
日本側でも事実であることを確認している。

飯沼守日記   一月二十六日
本夕本郷少佐より報告を受く。米人経営の農具店に二十四日夜十一時頃日本兵来り、留守居を銃剣にて脅し女二人を連行強姦の上二時間程して帰れり、依て訴へに依り強姦されたと言ふ家を確かめたるところ天野中隊長及兵十数名宿泊せる所なるを以て、其家屋内を調査せんとしたるに米人二名亦入らんとし、天野は兵を武装集合せしめ逆に米人を殴打し追い出せり。其知らせに依り本郷参謀現場に到り、中隊長の部屋に入らんとしたるも容易に入れす、隣室には支那女三、四名在り強て天野の部屋に入れは女と同衾しありしものの如く、女も寝台より出て来れりと、依て中隊長を訊問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与へて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと。
(「南京戦史資料集1」P184)
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano1210.html

安全区委員達が体を張って強姦を阻止しようとした記録は多数あり、
一部は日本側でも事実であることを確認している。

ベイツが法廷で宣誓の上供述したことが、虚偽であると疑う理由は
ない。


夏休み でりさま教室 1)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/23 09:51 投稿番号: [6695 / 41162]
>>断片的な事実から真相を確信してしまうでりちゃんと違って、
>>ベイツは知的な誠実さを持っていたから、断言できないのじゃあないかな。

>ベイツは、断片的な事実からでも、常に、犯人は日本兵だと断定するけどね。

難民25万程の居住する町に、ひとまず7万ほどの日本兵が流入し、
城壁の外にはさらに10万以上の日本兵が存在するのが、12月中旬の
南京市の状況だ。
軍服を着た集団が白昼堂々と悪さをすれば、日本兵であることを疑えと
いうのが無理だよ。


>>>ベイツが述べていたことは、安全区国際委員会で活動している最中においても、東京裁判においても、支離滅裂だ。
>>そうとは言えないと思うな。
>>東中野センセお得意の意味不明の難癖というやつだよ。
>キミのそのコメントが意味不明。

ここの流れで言えば、でりちゃんが、
―――――――――――――――――――
東京裁判に提出された証拠の中で強姦事件二万件について触れているものはない。
もっとも同じ東京裁判で証言台に立ったペイツは自分自身が強姦事件を目撃したことはないと証言しつつ、このラーベ説を否定し、
―――――――――――――――――――
という、明らかな虚偽を書いた、「再審南京大虐殺」の記述を引用したことに始まる。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6633

これは東中野氏の著述ではないのだから、「意味不明」と言われるのは
無理もないかな。


>ベイツは、東京裁判で、「それより少し前私はずっと内輪に見積もりまして、又安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千と見積もったのであります。」と証言しているが、安全区委員会が記録した「被害届」に記された強姦事件(未遂を含む)は361件(61件)だった。
これについて説明してくれないかな?

そうか、「再審南京大虐殺」の記述」が虚偽であることは理解したので、
話を他に振ろうというわけだね。

まず、実際の件数>被害届だと言うことは納得してもらえると思う。
さらに、被害届>抗議文という事実がある。
委員会は、聞き及んだ被害をすべて抗議文として発行したわけじゃない。
抗議文書にははっきりそう書かれている。
「以下はわれわれが念入りに点検する時間があった特例にすぎない。
もっと多くの事件が委員会職員に報告されている。」
(1937年12月16日提出   第八号文書)
さらに、
「ベイツ博士が自分が確認した事件については別に整理しておりますので、
それらはこれまでどおり、ここには含まれていません。」
(1937年12月21日提出   第十一号文書)
とあるように、ベイツは金陵大学の非常時委員会の委員長であったので、
大学内の事件は安全区委員会と別にまとめて日本大使館に提出していた。
この総件数がいくらになるのか、安全区委員会の抗議文書との重複が全く
なかったのか、今となっては資料が残ってないので、知ることが出来ない。

というわけで、「一部です」と書かれた文書に含まれる数と、全体の数の推定が
相違するのは別におかしなことじゃあない。
たとえば「交通事故」や「労災事故」の事例集の件数を数えても、全体の規模は
判らないし、覚醒剤や麻薬で逮捕される人間の数と、警察が推計する薬物常習
者全体の数に開きがあっても、統計がインチキだと疑うバカはいない。
そう言うことだ。


「探求の道」

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/22 23:06 投稿番号: [6694 / 41162]
>互いに教科書で学んだだけ、で終わることなく「探求の道」を歩んでいることを、認め合いたいものですね。

そのとおりですね。
教科書だけではなく、テレビや新聞などのマスコミ、教師や学者や政治家なども、誤りや嘘を頻繁に発信します。
「探求の道」を歩み、教科書だろうがマスコミだろうが学者だろうが政治家だろうが、間違いがあれば間違いだと主張することが大事だと思います。

デタラメとは言っていません

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/22 22:59 投稿番号: [6693 / 41162]
ウンホーさんも私も創作とは言いましたが、デタラメとは言っていませんよ。

創作以外に考えられることとして、小津は見た夢を書き留めておいたんじゃないかと、最近ふと思ったりしました。
#6210で既に述べたように、老婆を斬り捨てた部隊長やそれを見ていた部隊全員の様子が、『撮影についてのノート』(76頁〜105頁)全体の中でやたら浮いており、その他の部分とは全く違う様相を呈しているからです。

小津の『撮影についてのノート』に書かれていた日付も場所も登場人物の氏名も判明しない出来事なので、これ以上議論しても事実かどうかの結論は出ないでしょう。
私も#6210で述べたこと以上のことは、もうそれ程多く説明できません。

#6131の春風亭柳昇の「与太郎戦記」を読んだ人物やウンホーさんや私などは創作だと思っているが、アスダルさんや映画史研究家の田中真澄などは事実だと思っている。
余ほどのことがない限り、そのままでしょう。

真意理解しました

投稿者: r_r_go324 投稿日時: 2005/07/22 17:37 投稿番号: [6692 / 41162]
自分は歴史の研究を日常としているわけでもない、興味をもった対象に関する書籍を読んでいるというだけの「素人」です。

この二つの「論題」については「ただ学究の方々による究明結果を待つ」だけで良しとしています。

なぜなら余りにも大量の資料が「有であった」「無であった」両方において存在し過ぎるのです。

対してどちらが真実かという判断は、学者でもない今の自分には下し得ないのです。

結局は「自分はこう思う」という個人的嗜好や見解に流れてしまい、それが「真実」かと言われれば「現在では不明」としか答えるほか無く・・・・。

互いに教科書で学んだだけ、で終わることなく「探求の道」を歩んでいることを、認め合いたいものですね。

軍紀

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/07/22 17:29 投稿番号: [6691 / 41162]
日本軍の軍紀は世界一厳正だった
赤堀   光雄

(前略)
黄文雄氏の言によれば、事実は全く正反対で、日本軍はいつでもどこでも軍律厳しく、しかも人間性豊かであった。それに対して中国軍は残忍極まりない武装集団で、今なお彼らは自国民に対する飽くなき収奪と虐殺を繰り返している。それは中国四千年の動乱の歴史の連続であり、伝統ともいうべき不幸な現実である。

日本軍は日清戦争(1904〜1905)以来大東亜戦争(1941〜1945)に至るまで、変わることなく軍紀厳正であった。中国民衆にとって、いつ襲って来るかわからない自国の暴徒の如き武装集団に比べ、軍紀厳正な日本軍を信じ熱烈歓迎す
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/00104.HTM

どうかな。こんなのもある

「日本軍の軍紀」ー憲兵の認識

当時、「憲兵」は、「日本軍の不軍紀行動」を取り締まる立場にありました。それだけに現地の実態にも詳しかったようで、当時中国に派遣されていた憲兵たちの回想録等を見ると、「日本軍の不軍紀行動」に触れ たものを散見します。
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/kenpei.html

>>横レス >>>小津(老婆斬殺)

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/07/22 16:24 投稿番号: [6690 / 41162]
大家:おいそりゃどこの話だ。日本に虎なんているわけないだろう。

熊五郎:ええ、いるわけあねえんですが、どこをどう紛れこんできやがったんだか、いやがったんですよ。

アスダル:おいそりゃどこの話だ、小津は軍紀を知らないわけはないだろう。

コーヒーさん、ウンホーさん:ええ、知らねえわけあねえんですが、どこをどう勘違いしたか、老婆斬殺なんてえデタラメをいいやがったんですよ。

創作(フィクション)でもデタラメは許されない。

戦場と日常(銃後)はちがうと小津は言う。われわれ日常の感覚(銃後の「安易」、「常識」)を単純に戦場にあてはめられるかどうか。

小津はそのこと(銃後の「安易」)を批判していた。

軍紀がネックになるが、現場の軍紀を「知悉」していたのは、われわれ(コーヒーさんウンホーさん、アスダル等)ではなく小津。

常識(銃後):老婆が納得したのになぜ斬殺したか。
戦場:人間は悪魔にもなる。

隊長の行為は、非常識、理不尽、無用、なぐさみ、残酷?そのどれでもある?戦場は「悪魔」を引き出す?

軍紀がネックになるが、リアルタイムの軍紀を「知悉」していたのは、われわれ(コーヒーさんウンホーさん、アスダル等)ではなく小津。

では、論点を絞って。

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/21 22:35 投稿番号: [6689 / 41162]
>もともと、「南京事件」、「南京大虐殺」というのは、捕虜の大量殺害と
>民間人への大暴行の話のわけで、


へ?

では、南京で、「日本軍による無辜の民間人虐殺がなかった」ことは認めるのですね?

>>みなさんへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/21 22:30 投稿番号: [6688 / 41162]
>せめて呼びかけるなら、「論点を絞って互いの情報を検証しあいましょう」といのが専門外の範疇でしょう。


そのつもりだったんですけどね。
私は、出来るだけ、「南京で日本軍が虐殺した無辜の市民」に論点を絞って議論しないかと呼びかけたつもりでした。

ちなみに、r_r_go324さんは、日本軍が南京で無辜の市民を何人虐殺したと考えていますか?
また、その「資料」あるいは「証拠」は何ですか?

私は0人だと思っています。
でも、誰にも見られず証拠も残さずに虐殺した完全犯罪が少しはあったかもしれないので、掲示板では「0人〜数人」と述べています。

akanbei_21cさん (合法な投降兵殺害

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/21 22:15 投稿番号: [6687 / 41162]
>南京の場合、日本兵捕虜の収容所があったのでしょうか?


日本軍の支那兵捕虜の収容所はありましたが、支那軍の日本兵捕虜の収容所は、聞いたことがありません。
おそらく、なかったのでしょう。




>攻撃側でも斥候や威力偵察後の撤退などで、捕虜はでます。
>もし、殺傷されていれば報復は合法ですね。


捕らえられた日本兵は、生きたまま焼かれたり、手足を立ち木に縛られたまま身に数弾を受けて惨殺されたりしました。

―――――――――――――――――――
「南京にて」

12月13日、光華門城壁を占領   城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。
これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。
検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長   大内義秀氏(要約)

12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。
その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。
一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長   大杉浩氏
―――――――――――――――――――

したがって、日本軍による報復は合法です。



日本兵捕虜(投降兵)の扱いについては、8日前に#6510で類似の問題提起がありました。
その際、私が#6519で、ja君が#6529で回答しました。
(その他、#6534、#6511)

少しでも、参考になれば幸いです。




また、私はあまり詳しくないのですが、たとえ支那の正規兵であっても、
―――――――――――――――――――
1.交戦資格を認められる為には指揮官の存在が必須である。
2.降伏の意思決定は指揮官の専断事項であり指揮官に従属している兵士が個別に降伏を表明しても敵軍にそれを受容する義務は無い。
3.指揮官の存在しない兵士は交戦資格が無いから降伏の表明によって捕虜となる権利は無い。
―――――――――――――――――――
という解釈があるようです。


いずれにせよ、日本軍による投降兵殺害が合法であったという結論は揺るぎません。

>横レス >>>小津(老婆斬殺)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/21 22:01 投稿番号: [6686 / 41162]
>そして老婆を帰らせるのが、普通の成り行きだと思う。
>老婆を切り捨てたら、すくなくとも死骸の後始末という面倒な仕事が残る。老婆斬殺はどうしても創作っぽい。


そうなんですよね。

何か、無理矢理、「ハイ・リスク、ノー・リターン」に追い込んでいるだけだと思うんですよね。

キミも、少しは成長しろよ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/21 21:52 投稿番号: [6685 / 41162]
>この時期の日本兵は正式装備にすら事欠いて、中国人から取り上げた衣服を
>付けていたという写真がいくつか残っているけどね。
>そのことを言っているのではないかな。


そうかもしれないね。




>断片的な事実から真相を確信してしまうでりちゃんと違って、
>ベイツは知的な誠実さを持っていたから、断言できないのじゃあないかな。


ベイツは、断片的な事実からでも、常に、犯人は日本兵だと断定するけどね。




>>ベイツが述べていたことは、安全区国際委員会で活動している最中においても、東京裁判においても、支離滅裂だ。

>そうとは言えないと思うな。
>東中野センセお得意の意味不明の難癖というやつだよ。


キミのそのコメントが意味不明。

ベイツは、東京裁判で、「それより少し前私はずっと内輪に見積もりまして、又安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千と見積もったのであります。」と証言しているが、安全区委員会が記録した「被害届」に記された強姦事件(未遂を含む)は361件(61件)だった。
これについて説明してくれないかな?

それと、例の【ベイツが強姦されている女達から日本兵を引き退けた】と言う話は、当然、安全地帯の委員会の報告に載っている筈だよね。
まさか、そのような事件をベイツが報告していない筈がない。
その時のベイツの様子を詳しく知りたいので、その報告を見せて頂けませんでしょうか?




>>まあ、それだけはなく、国民政府の顧問だった『疑惑』もあるしね。

>おおー、正論というのは繰り返し主張しておくものだね。




ベイツが国民政府の顧問だったことは、ほぼ間違いないが、そう言うとムキになって来て面倒臭いから、わざわざ『』を付けて『疑惑』にしてやっただけだよ。

「南京事件の擦り付け工作を開始したのは日本側が先で、『NYタイムズ   1月3日記事   安全区の敗残兵による攪乱工作』の情報の出所が明らかに日本側だ」とか言った奴がよく言うよ。

でりちゃん、成長したね

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/21 20:44 投稿番号: [6684 / 41162]
>アリソン宛のベイツの手紙を読むと、やはり、【詳細は分からないが、支那人の布靴を履き、一部は支那服を着た日本の憲兵たちが一人の少女を連れ去った】という旨だね。

この時期の日本兵は正式装備にすら事欠いて、中国人から取り上げた衣服を
付けていたという写真がいくつか残っているけどね。
そのことを言っているのではないかな。
http://t-t-japan.com/bbs2/data/imgbord/file/asa1102.jpg
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=67;id=imgbord#67

西田優上等兵   陣中日記
第16師団   第30旅団   歩兵第33連隊
12月14日
十一時三十分入城、広場において我小隊は敗残兵三七〇名、兵器多数監視、敗残兵を身体検査して後手とし道路に坐らす。【我は敗残兵中よりジャケツを取って着る。】面 白いことこのうへなし、自動車、オートバイ等も多数捕獲す。各自乗りまはせり、八時頃小銃中隊に申し送り、昨夜の宿に帰る。敗残兵は皆手榴弾にて一室に入れ殺す
秦郁彦『南京事件』P120-121


>また、他の事件についても、【完全な事実をつかむことは困難】だと述べている。

断片的な事実から真相を確信してしまうでりちゃんと違って、
ベイツは知的な誠実さを持っていたから、断言できないのじゃあないかな。

>ベイツが述べていたことは、安全区国際委員会で活動している最中においても、東京裁判においても、支離滅裂だ。

そうとは言えないと思うな。
東中野センセお得意の意味不明の難癖というやつだよ。


>まあ、それだけはなく、国民政府の顧問だった『疑惑』もあるしね。

おおー、正論というのは繰り返し主張しておくものだね。
>>>ベイツは蒋介石の顧問で1938年と46年に勲章を貰っている国際宣伝処の関係者だ。
と、言ってたのが
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&mid=6899

>>その話には根拠がない
と繰り返し教えて上げた結果。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&mid=6927

>国民政府の顧問だった『疑惑』もあるしね。

まで、認識が変わってきたわけだ。

不確実な、出所不明の資料を根拠に   「確信」   しちゃいけないよ   d(^^

>みなさんへ

投稿者: r_r_go324 投稿日時: 2005/07/21 15:57 投稿番号: [6683 / 41162]
呼びかけの意図がいまひとつはっきりしないのだが。

「南京大虐殺を正々堂々と証明する方」と軽々しく募られても、学究界の専門家達が今真相究明に取り組んでいる最中の「問題」であるとの認識はお持ちなのだろうか。

素人が現存の書籍や賛否両論多々あるサイト情報の幾つかをかじっただけで、「これで有証明」「いや無証明」と、結論付けられるものではないでしょう。

資料や書籍にしても「全てが真実」とは決して言えず、「検証に値せず」という「論外」のものもまだ消えずに残っていたりします。

せめて呼びかけるなら、「論点を絞って互いの情報を検証しあいましょう」といのが専門外の範疇でしょう。

deliciousicecoffeeさん

投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2005/07/21 15:17 投稿番号: [6682 / 41162]
>投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。
>第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、
>第二は、敵の戦争法規違反に対する報復として、


南京の場合、日本兵捕虜の収容所があったのでしょうか?
攻撃側でも斥候や威力偵察後の撤退などで、捕虜はでます。
もし、殺傷されていれば報復は合法ですね。

横レス >>>小津(老婆斬殺)

投稿者: unhoo 投稿日時: 2005/07/21 14:18 投稿番号: [6681 / 41162]
部隊全員を集合させて、一人一人全員に聞き終わった後、老婆に「この部隊には御覧の通りいない」と言い聞かせ、老婆がうなづいた・・・・

そして老婆を帰らせるのが、普通の成り行きだと思う。

老婆を切り捨てたら、すくなくとも死骸の後始末という面倒な仕事が残る。老婆斬殺はどうしても創作っぽい。

田中正明氏は、大学教員!

投稿者: not_parpurin 投稿日時: 2005/07/21 13:12 投稿番号: [6680 / 41162]
これ↓

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835217&tid=ka12z7pa4ka4da4a4a4f65a4a8a4f&sid=1835217&mid=6768



イオンド大学教員 wwwwwwwwwwww



それは逆

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/21 06:43 投稿番号: [6679 / 41162]
>南京で、日本軍による無辜の民間人虐殺がなかったと判明すると、話題を掠奪や強姦や投降兵殺害などに転換していくことは、よくあることです。

逆だよ。
捕虜の大量不法処分はあまりにも証拠がたくさん残っているものだから、
否定できないもので、ネットでは追いつめられると民間人殺害だけに絞って
議論したがる人間が出るわけだ。
Fさんがその典型で、でりちゃんも同じ道を歩んでいると言うだけのことだ。

もともと、「南京事件」、「南京大虐殺」というのは、捕虜の大量殺害と
民間人への大暴行の話のわけで、これはダーディンの第一報以来、
東京裁判の起訴状に至るまで、一貫している。
東京裁判や南京裁判の判決にしたところで、「軍民の殺害」を罪状に
しているわけで、「民間人だけの大虐殺」など唱えてはいない。


長参謀のほら話

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/21 06:41 投稿番号: [6678 / 41162]
>この件に関しては、あまり詳しくないし定かではないので、

正直でよろしい。

>皇室関係者の情報ソースの一つは、朝香宮殿下が指揮した上海派遣軍の情報主任参謀・長勇中佐だったという説がある。

たぶん、それはでりちゃんの勘違いで、徳川侯爵の自伝「最後の殿様」の
記述のことだと思う。
http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html#yositika
私はこれは、史記の冒頓単于の逸話を下敷きにした長中佐の創作だと思うけどね。

実際は長参謀はこの時前線にいたわけではなく、司令部にいたわけで、
松井大将の副官であった角良晴少佐の証言では、前線からの問合わせ
「下関に支那人約12、3万人居るが、どうしますか」   に対して、
「ヤッチマエ」という命令を勝手に出したことになっている。

田中隆吉少将の聞いた告白と言い、長参謀がらみの話は、なにか大袈裟な
エピソードばかりが残っており、どうもこの人は、
「あれは俺がやったのだ」と、言いふらして歩いていたのではないかと思うな。

ただ、「あれは俺がやったのだ」というほら話は「あれ」が影も形もないのでは
成立しないわけで、「あれ」の存在を皆が認識しているから成り立つのだけどね。


なお、徳川侍従の情報元は、ご本人も言われているように
「私の大学の友人で軍医だったのが、朝香宮さまのお供で現地へ行って見聞した話」
だ。

ちなみに、

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/21 00:00 投稿番号: [6677 / 41162]
私の個人的感覚では、無辜の民間人100人以上の虐殺事件を「大虐殺」と呼ぶに相応しいと思っています。

みなさんへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/20 23:40 投稿番号: [6676 / 41162]
南京で、日本軍による無辜の民間人虐殺がなかったと判明すると、話題を掠奪や強姦や投降兵殺害などに転換していくことは、よくあることです。

しかし、出来ることなら、「南京大虐殺」と「従軍慰安婦強制連行」についての議論をしたいものです。

そうでないと限がありません。

どなたか、南京で日本軍が無辜の市民を大虐殺した「南京大虐殺」を正々堂々と証明する方はいませんか?

>>>小津

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/20 23:31 投稿番号: [6675 / 41162]
>老婆斬殺は「軍紀上ありえない」について。
>1。小津は軍紀の現状をよく知っている。
>2。創作とでたらめはちがう。
>3。火野葦平、批評家などの戦争描写にたいして(軍紀の点などもふくめて)批判的である。
>この意味で、「軍紀上ありえない」は、老婆斬殺が創作(フィクション)説の論拠としては、ちょっと弱いと思います。


「ちょっと弱いと思います」と言われてしまうと反論し難いものですね。

私は、老婆斬り捨てが事実説の論拠のほうが弱いと思っています。

老婆を斬り捨てる前に部隊全員を集合させて、一人一人全員に聞き終わった後、老婆に「この部隊には御覧の通りいない」と言い聞かせ、老婆がうなづいたのにも拘わらず、直後に斬り捨てたとあるが、事実だとすると動機が理解できません。

そもそも、陣中日誌というなら日付があるはずですが、老婆斬り捨ての記述には日付はありません。
『撮影に就ての《ノオト》』だから、日付がないのです。




>1。創作(フィクション)とでたらめはちがう。
>2。淡々とした庶民の日常を題材にすることが多い小津の映画にセンセーショナルあるいはドラマチックなできごとは少ない。小津は黒澤ではない。
>ということで、「軍紀上ありえない」は、老婆斬殺が創作(フィクション)説の論拠としては、ちょっと弱いと思います。


軍規上あり得ないということよりも、軍規違反がいろいろあったのは事実なのですが、その場合は隠そうとするモノなのです。
わざわざ部隊全員を集合させて、一人一人全員に聞き終わった後、老婆に「この部隊には御覧の通りいない」と言い聞かせ、老婆がうなづいたのにも拘わらず、直後に斬り捨てるという重罪を犯すことの不自然さを指摘しているのです。
また、そのような重罪を憲兵に通報しない部隊員もおかしいです。




>これは、上官の命令に反する行為、命令系統の無視、軍紀違反じゃないんですか。


投降兵の殺害と小津の老婆斬り捨ては、まったく別次元の問題です。

支那軍の投降兵に対する殺害行為は、必ずしも戦争犯罪行為とは言えません。

#4224と#6119より一部抜粋して再掲

―――――――――――――――――――
当時の日本軍は補給に余裕がなかったので、南京で大量に投降者が発生したとき、非常な困難に陥った。
彼らを収容する施設を作ったり、食事を与えることが難しかった。
支那兵がいったん投降しておきながら、隙を見て日本兵に攻撃を加えようとした兵士を殺すことは勿論あった。
南京では大量の投降兵が出たが、それを監督する日本兵が少ないため、不穏な動きを起こした投降兵に発砲するということは多かった。
このような場合、捕虜(正確には投降兵だが)であっても、殺すのは当時の常識から見て合法的なものだった。

―――――――――――――――――――

投降兵・捕虜の殺害は、米国、ソ連、、支那、英国など各国が行った一般的な行為であり、米軍やソ連軍などのほうが日本軍より遥かに悪質で大量だった。


(参考)

ハーグ陸戦法規第二十三条は、「兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を禁止している。

しかしながら、戦闘の進行中で敵軍の一部が投降せんとする場合に、味方軍がこれを受諾し投降兵を収容して後方に送致する為には味方軍の進撃を中止する必要を生じその事が味方軍の勝利を危うくする惧れのある場合には、味方軍の安全と勝利を確保する為に敵軍の降伏信号を黙殺して攻撃を継続する事が軍事上必要となる。

故に、戦時法規は一定の条件下において投降の拒否を認めるのである。
この見解はオッペンハイムを始め多数の戦時国際法家に支持されている。

「投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、第二は、敵の戦争法規違反に対する報復として、第三は、緊急必要の場合において、すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危うくされる場合においてである。」   (オッペンハイム)

>捕虜殺害

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/20 23:01 投稿番号: [6674 / 41162]
>「中国正規軍の投降兵に対する、ある程度の殺害行為があった」
>との疑いは払拭できないと思う。
>これが事実とすれば、ジュネーブ条約違反の戦争犯罪行為である。


支那軍の投降兵に対する殺害行為は、普通の人なら認めていると思います。
少なくとも、私は否定したことがありませんし、否定している人も記憶にありません。
しかし、それは、必ずしも戦争犯罪行為とは言えません。


#4224と#6119より一部抜粋して再掲

―――――――――――――――――――
当時の日本軍は補給に余裕がなかったので、南京で大量に投降者が発生したとき、非常な困難に陥った。
彼らを収容する施設を作ったり、食事を与えることが難しかった。
支那兵がいったん投降しておきながら、隙を見て日本兵に攻撃を加えようとした兵士を殺すことは勿論あった。
南京では大量の投降兵が出たが、それを監督する日本兵が少ないため、不穏な動きを起こした投降兵に発砲するということは多かった。
このような場合、捕虜(正確には投降兵だが)であっても、殺すのは当時の常識から見て合法的なものだった。

―――――――――――――――――――

投降兵・捕虜の殺害は、米国、ソ連、、支那、英国など各国が行った一般的な行為であり、米軍やソ連軍などのほうが日本軍より遥かに悪質で大量だった。


(参考)

ハーグ陸戦法規第二十三条は、「兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を禁止している。

しかしながら、戦闘の進行中で敵軍の一部が投降せんとする場合に、味方軍がこれを受諾し投降兵を収容して後方に送致する為には味方軍の進撃を中止する必要を生じその事が味方軍の勝利を危うくする惧れのある場合には、味方軍の安全と勝利を確保する為に敵軍の降伏信号を黙殺して攻撃を継続する事が軍事上必要となる。

故に、戦時法規は一定の条件下において投降の拒否を認めるのである。
この見解はオッペンハイムを始め多数の戦時国際法家に支持されている。

「投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、第二は、敵の戦争法規違反に対する報復として、第三は、緊急必要の場合において、すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危うくされる場合においてである。」   (オッペンハイム)

>>「ベイツは嘘吐き」で結論

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/20 22:48 投稿番号: [6673 / 41162]
ありがとうございました。

ベイツが述べたことは、アメリカ大使館員宛の手紙にせよ、東京裁判での証言にせよ、本当にツッコミどころ満載ですね。

支離滅裂なベイツの事情

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/20 22:44 投稿番号: [6672 / 41162]
アリソン宛のベイツの手紙を読むと、やはり、【詳細は分からないが、支那人の布靴を履き、一部は支那服を着た日本の憲兵たちが一人の少女を連れ去った】という旨だね。
また、他の事件についても、【完全な事実をつかむことは困難】だと述べている。

一人の少女を連れ去った犯人が、【支那の布靴を履いて支那服を着た日本の憲兵】だったのか【単なる支那人】だったかは判らない筈なのに、ベイツは【支那の布靴を履いて支那服を着た日本の憲兵】が犯人だと述べている。
このようにベイツの異常なまでに偏った言動は、東京裁判でも徹底していた。

ベイツが述べていたことは、安全区国際委員会で活動している最中においても、東京裁判においても、支離滅裂だ。


安全区の白人の資産が、避難して来た支那人によって荒らされれば、安全区を発案し管理していた安全区国際委員会の責任が問われることになる。
ベイツらにとっては、安全区内の犯罪者が支那人であっては非常に都合が悪く、本国に損害の補填を請求するのにも犯人を日本兵にしなければならなかった。
そのため、どんな支離滅裂な説明であろうとも、とにかく犯人を全て日本兵にする必要があった。

まあ、それだけはなく、国民政府の顧問だった『疑惑』もあるしね。

(横)皇室関係者の認識

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/20 22:27 投稿番号: [6671 / 41162]
>三笠宮崇仁親王や徳川侍従長のように、「南京での虐殺はあった」
>「当時も関係者は事実を知っていた」
>と発言した皇室関係者もいます。


この件に関しては、あまり詳しくないし定かではないので、あまり深い議論は出来ないのだが、いちおう確認しておきたい。

皇室関係者の情報ソースの一つは、朝香宮殿下が指揮した上海派遣軍の情報主任参謀・長勇中佐だったという説がある。
それが事実だとすると、長勇参謀は、南京攻略当時、「30万人をことごとくぶった斬った」と豪語し、支那兵に特にきびしく当たるような言動をとった人物だったとのことなので、彼の言動を以って南京問題の全体像を論ずるのは不適切だろう。
そのような、ホラ話を豪語し、支那兵に特に厳しく当たっていた情報主任参謀の長勇から皇室関係者が話を聞いていたのなら、当時から残虐行為を認識していた証言として採り上げても、あまり意味がないように思う。

>信条でない史実と言う事で  2)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/20 20:33 投稿番号: [6670 / 41162]
いちおう、その「インタビュー本」の内容を引用しておきましょう。

「昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。中国人捕虜を数珠つなぎにして撃ち殺すとか・・・。私の大学の友人で軍医だったのが、朝香宮さまのお供で現地へ行って見聞した話を、私は聞いていたからです。
  それに、南京攻略の総大将松井石根さんは名古屋の人で、私の母(徳川寛子)が松井さんの奥さんをよく知っていましたし、私の父(義恕)は名古屋の軍人の会の会長をしていましたから。
  松井さんは中国の勤務が長く、南京攻略後、「相手の死者も浮かばれまい」と、現地で日中両方の死者の慰霊祭をやろうとした。ところが、下の師団長クラスの連中に笑われ反対されたということでした。みな、「戦争なんだからそういうこともあっても・・・」といった感じだったそうです。
  松井さんは日露戦争も経験していたから、日本の捕虜の扱いが日露の頃は丁重だったことをよく知っていた。しかし、南京では、上の言うことを下が聞かず、軍紀の抑えがきかなくなっていた。それで松井さんは後に熱海に興亜観音を造った。松井さんは立派だったと思いますね。
  南京虐殺があったとか無かったとか論争があるようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです。陛下が知っておられたかどうかはわかりませんが、折に触れて「日露戦争の時の軍と違う」ということはおっしゃっていました。明治天皇のご事蹟をよく知っておられましたから。」
(「侍従長の遺言」   P38〜P39)


ここで、この徳川侍従長発言が裏付けているのは「捕虜の殺害があった」
ということではありません。
それは、徳川侍従の認識を待つまでもなく、旧軍の公式文書等で明かな事柄です。
ここから読みとれるのは
・そのことを徳川侍従は「残虐行為」と考えたこと。
・残虐行為の情報は宮内省内まで伝わっていたこと。
・昭和天皇の南京事件についての認識は不明だが、
昭和初期の軍のあり方を嘆いておられたこと。

まあ、これくらいではないかと思います。


>徳川侍従長の発言と仰られますものは、公式な見解でございますか?

多くの場合、公式発言より、日記や事後のインタビューの方が信用出来る
と思います。

「死後発表」というのは少しマイナス要素になりますけどね。


もし、フランクリン・ルーズベルトのインタビューで
「日本が真珠湾を攻撃したときには、小躍りして喜んだね。
私はそれを待っていたのだから。」
とか、
ハリー・トルーマンのインタビューで
「日本が遠からず降伏することは判りきっていたんだ。
戦後の情勢を睨んでヒロシマに原爆を投下したのだよ。」
という告白が、信頼できる情報元から出てきたら、
私はそちらを信用します   (^^;


>信条でない史実と言う事で

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/20 20:31 投稿番号: [6669 / 41162]
>折角楽しそうなお話し合いになっておりますので、ご活躍に水を差すつもりはもうとうございませんのですが、

いえもう、どんどん水を差して下さい。
それが掲示板の面白いところです   (^^

>学会の大勢と流布されてしまわれますのは如何なものでしょうか?

これは間違いないと思いますよ。
ただ、専門家の集まりというのは一種のギルドだから、異説は
排除される傾向があり、正論は意外に専門外の学者から出て
来るものだと言われるのであれば、一般論としては正しいと
思います。
でも、そういう革命的な異説はごくわずかで、ほとんどはただの
トンデモだと思います。

>徳川侍従長の発言と仰られますものは、公式な見解でございますか?
>徳川侍従のお名前で死後インタビュー本を刊行した事がございましが、
まさかその様な資料からと言う事はありえないかと思いますので

まさに、そのインタビュー本がこの場合の裏付けです。
インタビュー本というのは、質問者による誘導尋問の危険があるので、
その分を割り引いて考えなくてはいけないという問題はあります。

でも、無価値とは思いません。
「南京戦   102人の証言」にしろ、「南京事件   日本人48人の証言」にしろ、
インタビュー本だから無価値だと考える人はいないと思います。
だいたいの人は、証言内容を吟味することなく、編者の意図に反発している
だけみたいではありますが   (^^

>>小津

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/07/20 19:37 投稿番号: [6668 / 41162]
>現実に映画史研究家の田中眞澄氏やasdll58さんは、事実だと思った訳ですから、まんざらでもないのだと思います。
映画とは、そういうものだと思います。
インパクトのある本当のような話がなければ映画はつまらないでしょ。

ウソ(でたらめ)をいかにも本当のように思わせるのが映画だ。君たちも事実だと思ったのだからフィクション(ウソ)だ。なんかへんな論理ですね。小津の言うことは、フィクション(ウソ)だという先入観があるようですね。

創作(フィクション)とでたらめ(ウソ)はちがうでしょう。だからフィクション(創作)でも(特に、リアリズムの作品は)時代考証などをやる。

老婆斬殺は「軍紀上ありえない」について。

1。小津は軍紀の現状をよく知っている。
2。創作とでたらめはちがう。
3。火野葦平、批評家などの戦争描写にたいして(軍紀の点などもふくめて)批判的である。

この意味で、「軍紀上ありえない」は、老婆斬殺が創作(フィクション)説の論拠としては、ちょっと弱いと思います。

>インパクトのある本当のような話がなければ映画はつまらないでしょ。

1。淡々とした庶民の日常生活を中心にする小津の映画にセンセーショナルあるいはドラマチックなできごとは少ない。小津は黒澤ではない。
2。田中眞澄は小津や小津の映画についてはよく知っている。

>「麦と兵隊」は、実はノンフィクションだという投稿を読んだような気がします。
いずれにせよ、ノンフィクション映画ならともかく、小津が作ろうとしていたのは違うような気がします。

フィクション、ノンフィクションにかかわらず、甘いものでたらめな(ところのある)ものは批判される。小津にされたように。

>ノンフィクション映画ならともかく、小津が作ろうとしていたのは違うような気がします。

1。創作(フィクション)とでたらめはちがう。
2。淡々とした庶民の日常を題材にすることが多い小津の映画にセンセーショナルあるいはドラマチックなできごとは少ない。小津は黒澤ではない。

ということで、「軍紀上ありえない」は、老婆斬殺が創作(フィクション)説の論拠としては、ちょっと弱いと思います。

「軍紀違反」のことそのものはいい考えだと思うが、私は、当時の軍紀がどのように実行されていたか、あるいはいなかったか、現場で直接体験目撃した人間の意見を聞いたらいいと言ったが、実は、そのような人間が問題の小津自身だったということですね。

ところで、

>>ところで、命令系統の無視(「下克上」)は、軍紀違反ではないのですか。
>南京における大量の投降兵・便衣兵の処刑は、命令系統の無視でも軍規違反でもなく、妥当な行動が命令どおりに行われたのです。(6638)

にたいして、

>「午後二時ごろ、概して掃討を終わって背後を安全にし、部隊を纏(まと)めつつ前進、和平門にいたる。
  その午後、捕虜続々登校しきたり数銭に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ、片はしより殺戮す。多数戦友の流血と十日間の辛酸を顧みれば、兵隊ならずとも{皆やってしまえ}と言いたくなる。
  白米はもはや一粒もなし、城内には有るだろうが,捕虜に食わせるものの持ち合わせなんかわが軍には無い筈だ。」
16師団第30旅団支隊長佐々木倒一1937.12.13の日記
笠原十九司『南京事件』岩波新書   P53〜(6665、mimim232002 さんの投稿から借用)

というのがあるようですが、

「激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ、片はしより殺戮す。」

これは、上官の命令に反する行為、命令系統の無視、軍紀違反じゃないんですか。それとも、「16師団第30旅団支隊長佐々木倒一1937.12.13の日記」がでたらめなのかな。

日本のマスコミが悪いのでは?

投稿者: nominomi3 投稿日時: 2005/07/20 19:34 投稿番号: [6667 / 41162]
他国とは利害が一致しない。まして隣国とは相反することが普通である。デタラメとも思える主張を真面目に流す方が悪質。自国の利害に反することを喜んで報じるマスコミは、皆でボイコットしよう。買わない。読まない。の不買運動が大切。それは戦争ですから虐殺事態は無い筈が無いと考えるのが妥当。唯、規模の問題。それと中国の兵隊?は当時正式な軍服を着ていない軍?ですから、後でごねてもしかたが無いと思う。民間人か兵隊なのか、区別がつかない訳ですから。

ついでに

投稿者: mimim232002 投稿日時: 2005/07/20 18:34 投稿番号: [6666 / 41162]
大東亜戦争当時の日本軍は、中国軍やロシア軍やアメリカ軍などと比べ、はるかに規律が正しかったと、折れは考えている。無論、全体として見た場合、ということね。勘違いしないように。

組織的に捕虜や民間人を殺害するような気風のある軍隊ではなかったということ。
ロシア軍は、党の政治将校が「敵を殺せ、敵の女どもは正当な獲物だ」とアジ文書をばらまいていたように、無秩序な殺戮を組織的に扇動していた。
中国軍の蛮行は、今更言うまでもない。

捕虜殺害

投稿者: mimim232002 投稿日時: 2005/07/20 18:24 投稿番号: [6665 / 41162]
何につけ、後世の人間が歴史上の事件に仰々しい名前をつけるものではない。
折れは「南京事件」と呼ぶことにしている。
ユダヤ人虐殺と同列に並べるのは、既に冷静さを欠いている証なので、そんなのはスルー。

そのうえで、

「午後二時ごろ、概して掃討を終わって背後を安全にし、部隊を纏(まと)めつつ前進、和平門にいたる。
  その午後、捕虜続々登校しきたり数銭に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ、片はしより殺戮す。多数戦友の流血と十日間の辛酸を顧みれば、兵隊ならずとも{皆やってしまえ}と言いたくなる。
  白米はもはや一粒もなし、城内には有るだろうが,捕虜に食わせるものの持ち合わせなんかわが軍には無い筈だ。」
16師団第30旅団支隊長佐々木倒一1937.12.13の日記
笠原十九司『南京事件』岩波新書   P53〜

多くの左翼系研究者に、証拠として引用されるもの。
これをひっくり返すことは、ちょっと難しいように思う。
南京入城後、松井石根司令官が部下たちを叱責した事実(文献は失念)をあわせて考えると、

「中国正規軍の投降兵に対する、ある程度の殺害行為があった」

との疑いは払拭できないと思う。
これが事実とすれば、ジュネーブ条約違反の戦争犯罪行為である。

まあ、「30万人殺した」説の信者なんぞ、今時いるはずもないわけだが。

虐殺否定派の凄まじい反論を期待。

>「ベイツは嘘吐き」で結論

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/07/20 16:31 投稿番号: [6664 / 41162]
参考までに。

>ふーん…
確かに、他の部分においても、「南京大残虐事件資料集   第1巻   P155−156」と内容がずれている。
「アメリカ大使館アリソン宛一月十四日付ベイツの手紙」の原文があれば一番良いのだが・・・(6657)

アリソン宛て一月十四日付ベイツの手紙(原文)は、Zhang Kaiyuan, ed., Eyewitnesses to Massacre: American Missionaries Bear Witness to Japanese Atrocities in Nanging (M.E. Sharpe, 2001)18ー19頁に引用されている。それによると、

>「というのはしかるべき目撃者が脅えきっているためです。とにかく彼らは一人の少女を連れ去りました。それらの日本人たちは憲兵で、少なくともその一部は、中学校の門に配備された衛兵たちでした。彼らは中国人の布靴を履き、一部に中国服を着ていました」
(6645)

は、ほぼ原文どおり。

信条でない史実と言う事で

投稿者: bluejackip 投稿日時: 2005/07/20 08:48 投稿番号: [6663 / 41162]
>犠牲者数は諸説あるが、虐殺はあった。
というのは、現日本政府の公式見解であり、学会の大勢の見解でもあります。
>三笠宮崇仁親王や徳川侍従長のように、「南京での虐殺はあった」
「当時も関係者は事実を知っていた」
と発言した皇室関係者もいます。
>私はそういう常識の立場で資料を検証しているだけですよ。
少し失礼いたします。
折角楽しそうなお話し合いになっておりますので、ご活躍に水を差すつもりはもうとうございませんのですが、学会の大勢と流布されてしまわれますのは如何なものでしょうか?。
史実よりも政治問題として重要な南京でありますので、学会の大勢と言うのは、好ましくないかと思います。
また、気になりましたのですが、常識の根拠となっておられます、徳川侍従長の発言と仰られますものは、公式な見解でございますか?。その様なお話しが公式にあったとは驚きで、とても興味深いものがあります。
過去、朝日の記者の方が、徳川侍従のお名前で死後インタビュー本を刊行した事がございましが、まさかその様な資料からと言う事はありないかと思いますので、是非、出典先をお伺い出来ましたら幸いです。
信条よりも史実を求めてらっしゃると言うご様子ゆえ、この様な事をお伺いさせて戴きましたが、ご気分を害されましたら、お詫びいたします。
それでは、皆様、喧嘩をしない範囲で、頑張って下さい。

>>>逆プロパガンダってかい

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/20 06:54 投稿番号: [6662 / 41162]
>いろんな見解がある中、偏った意見と思いますが。

30万虐殺に対しては「否定派」であることは、これまでの発言から納得いただけると思います。

再訂正  m(_ _)m

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/20 06:46 投稿番号: [6661 / 41162]
>>「南京大残虐事件資料集   第1巻   青木書店」には
引用資料として載ってました。


これも違いました。
「南京大残虐事件資料集   第1巻   青木書店」の該当個所は当初の引用で正解。
河出書房新社版『日中戦争史資料8   南京事件Ⅰ』も同じです。

問題の箇所は「南京事件資料集(1)アメリカ関係資料編   青木書店」の引用資料で、
書名を間違えておりました。

ま、「再審、南京大虐殺」は、シロートの私がやらかすような間違いが書いてある本だ、
ということで、ご理解下さい   (^^;

>>逆プロパガンダってかい

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/07/20 06:40 投稿番号: [6660 / 41162]
あなたの紹介してくれたところを見てきましたが、
東中野氏の本に関しては巷間言われていることなので、
そうなのだろうといってもいいのかと思いますが
その他の部分の主張に関しては、(南京大虐殺に関する部分)
いろんな見解がある中、偏った意見と思いますが。

せめて両論併記ぐらいが妥当なのではないでしょうか。

訂正  m(_ _)m

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/20 06:16 投稿番号: [6659 / 41162]
>>「南京大残虐事件資料集   第1巻   P155−156」にはこの記述はない。

と、書きましたが、「南京大残虐事件資料集   第1巻   青木書店」には
引用資料として載ってました。
前回私が引用したのは河出書房新社のものの同ページの記述でした。
訂正するとともに、青木書店のものの、該当個所を下記引用します。


95B南京アメリカ大使館宛書簡
一月十四日
一九三八年一月十四日
南京アメリカ大使館
拝啓   アリソン殿
昨夜、四人の日本人が金陵大学付属中学校の教室へ入ってきました。彼らの行動の詳細は十分には分かりません。というのは、しかるべき目撃者が脅えきっているためです。とにかく彼らは一人の少女を連れ去りました。それらの日本人たちは憲兵で、少なくともその一部は、中学校の門に配備された衛兵たちでした。彼らは中国人の布靴を履き、一部に中国服を着ていました。
この状態は最も深刻でかつ恥ずべきもので、根本的な改善が必要とされます。もし日本兵が法も抗議も無視して、犯罪を犯しに連日アメリカ人施設に侵入して来るならば、我々は彼らとの礼儀正しい関係を終わりにしなければなりません。これは我々には耐えがたいものですし、それにまた、いつまでも耐えていることではありません。
被らは、憲兵の職にあるものとしての最低限度の行動があってしかるべきでしたのに、なんらの保護もしてくれませんでした、我々には、警備兵を手配してよこす小粉橋三二号の日本軍地区事務所(中学校にあまりに近すぎます)が信用できない理由がたくさんあります。
劉文彬夫人が、夫は山西路二一号で撃たれたと言ってきました。私はこの報告をいま受け取ったばかりで、それ以上のことはまだ言えません。中学において行われた脅追と、執念深い報復への恐怖があまりに大きくて、完全な事実をつかむことは困難ですし、また難民たちも平常の作業に復帰できない状態です。
この手紙の執筆は、漢口路一九号のアメりカ人の家から(一家にはアメリカ国旗が掲げられ、アメリカ側と日本側の布告文が門に貼ってあります)、憲兵(特務機関から支給された憲兵の腕章をしている兵隊)を追い出すために三〇分問中断されました。その憲兵は塀を越えて入り、大学教師と大学病院のブラディ(Brady)博士の個人的財産を略奪しようと、一時問にわたって物色しまわっていたのです。その家は、上記の日本軍の地区事務所からおよそ二五〇ヤード(約二一九メートル)のところにあります。
今日の午前中、我々は講堂街教会が、十五日の夜から十六日にかけて焼失したという間接的な情報を得ました。直接の証言は、十七日の朝そこへ戻っていったアメリカ伝道団の使用人の一人から聞きました。彼女はまだ材木が煙っていて、屋根に隣接した部分から、補充の屋根の一部が崩れ落ちるのを見ています。その召使は夏までその施設に佳んでいて、ミス・プレスホルスト(Brethhorst)のもとで働いていた人です。
この事件の第一報は、その教会に雇われている老婦人から我々にもたらされました。彼女は、日本兵が教会の建物に何度も侵入したので、十五日の朝、彼女白身は無傷でそこを離れました日本兵のうち二人は十四日の夜その教会で寝、他の二人が十五日の朝に盗みと略奪を始めたというのです。
敬具
(サイン〕M・S・ベイツ
・十四日付の手紙に十五、十六、十七日の出来事が記されているのは、前後の文脈からして十二月のことを記していると思われる。

>逆プロパガンダってかい

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/20 06:14 投稿番号: [6658 / 41162]
ま、プロパガンダ合戦にしたがってる種類の人がいるというのが、私の見解。
デタラメにはデタラメで、宣伝には宣伝で、と言うようなことでは、
国内で信者を増やすことは出来ても、利害関係のない人を動かすことはできない。
つまり、当事国の中国はもちろん、周辺のアジアの国々や欧米の常識までは動かせない。


>又、反日日本人である貴方もね〜

南京では旧日本軍による残虐事件が確かにあった。
犠牲者数は諸説あるが、虐殺はあった。
というのは、現日本政府の公式見解であり、学会の大勢の見解でもあります。
三笠宮崇仁親王や徳川侍従長のように、「南京での虐殺はあった」
「当時も関係者は事実を知っていた」
と発言した皇室関係者もいます。
私はそういう常識の立場で資料を検証しているだけですよ。

自国の政府行政機関や学会や、果ては皇室関係者まで左翼で反日だということは
ないでしょう。

そう見えるとしたら、あなたの「愛国」の基準が少々世間の常識とズレている
ということです。

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