南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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deliciousicecoffeeさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/14 00:36 投稿番号: [6521 / 41162]
ところで、虐殺否定論について一文で説明する場合、どんな言い方が適当でしょうか?

何か良い説明文があれば、今後、それを使いたいと思います。

了解しました

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/14 00:33 投稿番号: [6520 / 41162]
はい

>日本兵の捕虜の扱いは?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/13 23:47 投稿番号: [6519 / 41162]
>戦時中に   中国でも少数でしょうが   日本兵が捕虜になることも有ったと思いますが   どうなのでしょうかね?


支那軍に投降した日本兵が極端に少なかったためなのか、私はあまり多くの資料を知りません。
ただ、通洲事件(7月29日)や大山中尉惨殺事件(8月9日)などの惨殺ぶりは有名です。
私が資料で確認できた範囲においては、人数などの面で日本軍投降兵・捕虜への虐待・虐殺が酷かったのはソ連軍とアメリカ軍です。


・ソ連軍

言わずと知れた【終戦後】の「拉致・シベリア強制連行・殺害事件」。

これは、日本の政府やマスコミも隠匿している事実なのですが、1945年、満州、樺太、択捉、国後、その他から、ソ連に拉致された人数は100万人以上で、シベリアで殺害された日本人の人数は約50万人と考えられます。
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/marxsyugi1.html#前野   徹   「第四の国難」   扶桑社



・アメリカ軍(イギリス軍)

#2886、#2887、#2902をご参照ください。



・支那軍

「南京にて」

12月13日、光華門城壁を占領   城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。
これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。
検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長   大内義秀氏(要約)


12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。
その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。
一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長   大杉浩氏



【終戦後】の支那共産党による日本軍捕虜への虐待

「認罪運動」

「私はこんな酷いことをした」と戦犯全員の前で自白する発表会がもたれた。
この「坦白大会」には、中共党幹部も同席し、管理所の洗脳工作経過を視察するものであったが、戦犯達も自分が何を要求されているのかが判り、いよいよ追いつめられていった。

認罪学習は、徹底して行われた。みんなでしつこく何回も何回も犯罪行為を確認し、自己批判・相互批判が繰り返された。
「学習」とは言うものの、罪の自白とつるしあげ合戦である。「なんだ、それぐらい、俺なんかもっと凄いもんね」「お前、それぐらいじゃ足りんだろう」などとエスカレートしていったのだった。

こういう経過で、日本語にはない罪行や、中共側のでっち上げや過剰な言い分まで認めざるを得なかった。

また、中共側は余計な自白を歓迎した。
本人の罪状だけでなく、伝聞した日本軍の罪状まで採集していった。

戦犯たちは総括書という形で、文章にして提出した。当然、文章の巧拙や想像力の大小によって、罪業に迫力の差がでてくる。
文章の上手い戦犯はほめられ、他の戦犯の文章指導や代筆までやり、悪鬼そのものの日本軍が作成されていった。

理由もなく6年も監禁されたのに、自ら戦争犯罪人を認める自白をし、そのうえ不起訴になったら中共の温情に感謝する、看守達と抱きあって泣いたりしたのだ。

http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo7.html
撫順2(戦犯管理所と戦犯裁判)より抜粋

yousunwaiさんへ(2)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/13 23:22 投稿番号: [6518 / 41162]
>私には、ずっと、分からないことがあります。
>南京事件は、多くの場合否定派というのは、「南京で日本軍兵士の犯罪が一件もなかったとか、中国兵の処刑が一件もなかったという主張ではなく、中国側主張の"軍事行動とは無関係に○○万市民を殺害した"という事件の存在を否定しているのです。」
>なんだと思うんですね。


yousunwaiさんのこの書き方だと、万単位の市民虐殺はなかったが、千単位の市民虐殺はあったようなイメージを与えてしまいますよ。
イメージだけで、何十件〜何百件の市民虐殺があったように考えるのはやめて下さい。
南京では、日本軍兵士による掠奪や強姦のような犯罪はありました。
ただし、7件の強姦犯人は厳しく処罰されました。
当時の日本軍は、道端に落ちていた支那の婦人靴片足を持ち帰っただけでも軍法会議にかけられたのです。
虐殺が0件だった可能性は十分にありますよ。

また、日本軍による支那兵の処刑は、違法行為とは言えません。


15人の安全区国際委員会のメンバーは、南京に長期間居ましたが、1件も虐殺を目撃しませんでした。
通報によって安全区国際委員会が日本大使館に訴えた日本軍による殺害犠牲者は約50人でしたが、デマが多くてマトモな訴えによる殺害犠牲者は0人でした。
普通の裁判において、有罪にできるほどの証拠が揃っていた日本軍による無辜の市民の殺害事件は、0件だったのです。
したがって、日本軍が、南京で虐殺した無辜の市民の人数は0人〜(あったとしてもせいぜい)10人くらいだと考えるべきなのです。
イメージだけで、何十件もの市民虐殺があったように考えるのはやめて下さい。

南京事件の支那人犠牲者の名簿は、日本も蒋介石政府も汪兆銘政府も南京安全区国際委員会も南京市民も誰も作成しませんでした。
当時、日本人が虐殺された済南事件(犠牲者十数人)や通州事件(犠牲者200人超)では、日本人が犠牲者の名簿を作成しました。
また、ソ連による「日本人拉致・シベリア強制連行・殺害事件」でも、数十万人に及ぶ犠牲者全員の名簿や死亡年月日、死因、埋葬地などをソ連が作成していました。
その名簿の一部(数万人分)は、ゴルバチョフ来日の際に日本に渡されました。
誰ひとりとして南京虐殺の犠牲者が分からない以上、南京虐殺で犠牲になった人数は0人〜数人だったと考えるべきです。

当時は、蒋介石も何応欽も毛沢東も日本も国際社会も、日本軍兵士が南京市民を虐殺していたという認識がありませんでした。
戦後の南京軍事法廷や東京裁判までの9年間、日本軍が南京で無辜の市民を虐殺したという話はなかったのです。
「南京大虐殺」というのは、戦後の作り話なのです。
戦後の南京軍事法廷において虐殺の罪で4人の日本人が処刑されましたが、実は4人全員が無実でした。
4人のうち、1人が300人斬り、2人が100人斬りの罪でしたが、全部出鱈目でした。
南京軍事法廷の後に行われた東京裁判では、この無実の4人を含む「膨大な出鱈目有罪判決」を証拠に、司令官だった松井大将を死刑にしました。

今日に至っても、虐殺があったことを証明するマトモな証拠がありません。
マトモな証拠がなかったので、東史郎や朝日新聞は、「東日記」や「宇和田日記」に作り話を書いて、南京虐殺の証拠にしたかったのですが、彼らの嘘はバレてしまいました。

誰にも見られず、誰にも知られず、女子供の死体を残さず、人口を減らさずに、南京市民を虐殺することは不可能です。
日本軍が、南京で虐殺した無辜の市民の人数は0人〜数人だったでしょう。
イメージだけで、何件かの虐殺があったように考えるのはやめて下さい。
イメージはだめです。

もっと詳しいことは、#5701と#5702の目次にある44の投稿を参考にして下さい。

>資料を検証するということ

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/07/13 23:05 投稿番号: [6517 / 41162]
>私は常々思っているんですが、資料を探し解説することには熱心な人も、資料それ自体の信頼性を検証することには何故か無関心な人が多いようですね。

ほんとにそうですね。
資料の信憑性、検証の限界   それについて熱心になる必要があると常々感じていました。

資料を検証するということ(2)

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/07/13 22:48 投稿番号: [6516 / 41162]
  特に解説は必要ないと思いますが、調査方法に関する要点を整理します。

(1)人口は抽出調査の実測(居住者の人数を実際に数える)から推定。
(2)物的被害については調査員の鑑定により判断。但し、誰が被害を与えたかについては不明。
(3)人的被害については家族からの聞き取り調査により推定。
  (ここには明記されていませんが、調査票に基づく聞き取り調査であったことは広く認められています)

  つまり、人口と物的被害の規模は調査員が客観的に確認したものであるのに対して、人的被害、特にその内訳については、被害者の家族の主張に依存する主観的なデータなのです。
  都市部調査における日本兵の暴行による死亡者2,400人、この人数が実際より少なく申告されたものであるとは考え難い(少なく申告したということは、南京市民が日本軍を庇っているということ)ですから、推定最大2,400人と考えられるでしょう。
  但し、その死因が正しく申告されているという保証もありません。攻略戦によって家族が犠牲になった南京市民が日本兵に対して当然持っていた悪感情を勘案すれば、実際には戦闘による死亡でも暴行による死亡と申告されたケースもあるでしょうし、中国兵によって殺された事例が日本兵の暴行によるものと申告されたケースも当然考えられます。
  南京都市部における日本兵の暴行による死亡者推定値は、
「0人以上2,400人以下」
と解釈するのがスマイス報告都市部調査の正しい見方だと考えます。
  また、農業調査においては、人的被害を埋葬者数で推定するという方法を併用しています。この場合問題となるのは、遺体から戦闘員と非戦闘員を本当に区別できたのかということです。スマイスの調査が行われた3月時点では既に遺体の腐敗が進行していました。従って、民間人かどうかを見分ける手段は、第一に服装だったと考えられます。
  ここで大きな疑問点が浮かび上がります。遺体により死亡者数を推定した農業調査は、民間人と便衣兵を区別できたのでしょうか?
  入念な調査の結果中国兵は含まれていないと結論付けられていますが、腐敗が進行している数千体の遺体の傷痕を検証してそれが戦闘によるものか暴行によるものかを判定することが果たして可能であったのかどうかさえ疑問であるのに、民間人の死体とされた物の中に便衣兵の死体が相当数混入していた可能性が無いとは残念ながら考えられません。
  結局、農業調査の結果を勘案しても、日本兵の暴行により死亡した民間人の数は
「0人以上12,000人以下」
と解釈すべきです。
  実際に何人が戦争犯罪の犠牲になったかを判断する為には、上限12,000人を念頭に置いた上で、別の証拠を探す必要があります。スマイス自身の意図に反して、スマイス報告から日本軍の戦争犯罪によって死亡した民間人が12,000人と推定される、という結論は出てきません。数千人規模どころか、数百人規模の殺害があった、と結論付けることすらできません。

  スマイス報告の人口の推定値は客観的な統計調査に基づくものであり、信頼性が高いと見ていいでしょう。
  しかし、人的被害の推定値については主観的データ及び判定が困難なサンプルに基づくものであり、人口の推定値と同レベルの信頼性を置くことはできません。
  スマイス報告は、南京の人口推定値と、民間人の戦争犯罪被害者の上限推定値を示した物であると考えるべきです。

資料を検証するということ

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/07/13 22:46 投稿番号: [6515 / 41162]
> スマイスは市街地の死者1万前後と推定していたわけですから、
> 人口に大きな変化がないという認識は全く当然だと思うのです。

  1万人前後の人口減があれば当然言及してしかるべきだと思うのですが。

> 2月・3月には大した変化はなかったが、市の近辺の秩序の乱れた地域から著しい人口の流入があったので、おそらくそれは転出者をわずかながら上まわっていた。

  こんな細かい但し書きまでつけているのですから。

  まあ、これはこれとして、私は常々思っているんですが、資料を探し解説することには熱心な人も、資料それ自体の信頼性を検証することには何故か無関心な人が多いようですね。
  念の為に書き加えておきますと、別に貴方がそうだ、と言っている訳ではありませんので誤解なさらないように。

  以下はスマイス報告の調査方法です。少々長くなりますが、誤解のないように引用可能な全文を掲載します。

●調査方法

実地調査の手続き
  南京の市部調査においては、家族調査員は入居中の家屋50戸に一戸の全家族(every family in every 50th inhabited house)を家族調査表に記入するように指示をうけた。「家屋」(house)は若干の場合には一番号に数軒のアパートや建物(building)があったけれども、「家屋番号」(houuse   number)に従うものと定められた。三月には多くの出入口が封鎖され、どの家に人が住んでいるのか知るのは少しばかり困難であった。その結果、若干の家を見過してしまったかも知れない。脱落した地域を点検するのに対照地図が役に立った。各人は地図上で特定の地区を割当てられ、各自五○戸ずつ人の住んでいる家を抽出して、住宅番号を数えてはそれに記入してうめてゆく。調査員は委員会の評判が良かっため親切に迎えられたが、調査員は、ただ事実を質問するために来たこと、委員会の通常業務の仕事を目的とする家族救済調査員として来たのではないことを注意深く説明した。これら両者の活動に参加しだ人びとのきわめてはっきりした考えでは、家庭調査の方が救済調査の場合よりもはるかに損失報告の誇張が少ないということだった。
  市部調査における建物調査員には二つの仕事があった。すなわち(一)市内の建物(building)を数えて、軍事行動・放火・略奪による被害をうけているどうかを記述する。(二)一〇棟の一棟割合で(on every 10th buikdings)損害の見積りをおこなう。この目的のために一家屋番号が一棟と見なされたれたが、それは若干の場合には一つ以上の建物(structure)を含んでいた。熟練した建築技師が並列の建物(consutruction)にそれぞれ単位コストを割出したので、正確な見積りをおこなうのが非常に容易となった。さらに、二人一組になった調査員のうち一人は土木の方を受けもった。現在居住者のない建物(building)の家財の損害の見積もりは、その建物の性質および近所の人々に対する質問にもとづいておこなわれるべきであるとされた。対照地図によって見落した地域が位置づけられ、そこは入念に再調査された。
  家族調査・建物調査の双方とも城内全域をカバーし、城門のすぐ外側にある若干の地域をも含めた。しかし浦口その他の周辺小都市を含む旧南京地区全体を調査したわけではない。旧日本軍人および一般日本人の住む特定の小地域と点在する個人住宅のみが調査の対象外とされた。
  農業調査においては、三つの団体の通行証をもった二人の調査員が、べつの県へそれぞれ派遣された。調査員に主要道路にそって進み、それから8の字を描きながらその道路をジグザグに横断して戻り、道路の後背地にある地域をカバーするように指示された。この一巡のさいに道筋にある村三つから一つを選んで村落調査票を作製し、それらのそれらの村で毀損している農家のうち、一〇家族に一家族を選んで農家調査票に記入することにした、市場町の物価表については、通過する市場町全てで質問の回答を記入することになった。

asdll58さん宛 (陣中日誌の件)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/13 22:39 投稿番号: [6514 / 41162]
>これは、おもしろい点ですね。軍規がどれくらい厳守されていたのか当時の事情に詳しい人の意見が聞きたいですね。そして、問題になっている件は、当時の状況からしてありうることかありえないことかなど。


・略奪に関する参考資料


「捕虜、外国権益に対する注意」

(一〜三は省略)

四、外国権益内に敗残兵が多数いる見込みであるが、これに対しては語学堪能者を選抜してあたらせるから、各隊は外方より監視しておけ。

五、言語不通のため外国人との間に誤解を生じ衝突することがないよう気をつけよ。


第九師団第三十六連隊長の脇坂次郎・陸軍大佐は東京裁判に提出した宣誓口供書の中で、ある主計中尉が道端に落ちていた中国の婦人靴片足を持ち帰っただけで軍法会議にかけられたことを紹介している。主要貿易相手国である米英との摩擦を避けるためにも、日本軍は南京で日本兵が不法行為を起こさないよう細心の注意を払い、たとえ靴一足でも軍法会議にかけたのである。

「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二三九頁。東京裁判に弁護側証人として出廷した第九師団第三十六連隊長の脇吸次郎(陸軍大佐)は宣誓口供書をもって次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。「私の部隊が南京に入った直後、ある主計中尉が公用外出の途中、支那婦人靴が片足遺棄してあるのを発見し、その美麗な型式を友人に見せる積もりで隊に持ち帰ったところ、これを憲兵が探知して奪掠罪の嫌疑で軍法会議に書類を送付したので、その中尉は私の面前で涙を流して自分の無罪を主張し、私もその事実を認めて上司に伝えました。結果は微罪却下となったと記憶します。当時、南京における日本憲兵の取締りは厳重を極め、如何に微細な犯罪も容赦しませんでした」



・強姦に関する参考資料

(前略)

東京裁判に提出された証拠の中で強姦事件二万件について触れているものはない。

東京裁判で証言台に立ったペイツは自分自身が強姦事件を目撃したことはないと証言しつつ、このラーベ説(強姦の被害者二万人)を否定し、「安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千」と述べた。

ペイツが唱えた"八千人強姦説"の根拠とは「安全区委員会の報告」であった。

では、安全区委員会が記録した「被害届」に記された強姦事件(未遂を含む)は何件か。集計すると合計で三百六十一件である。しかも誰が事件の目撃者であったのか、誰が誰に聞いて記録したのか、記録者のある事例は僅かに六十一件であった。この内、日本兵がやったという確証があり、真相究明ないしは逮捕のために日本軍に通報された件数は僅かに七件であった。どうすれば、これらの強姦事件報告からペイツは八千人強姦説を導さ出せるのか、理解に苦しむ。

なお、日本軍に通報があった七件については、「シカゴ・デイリーニューズ」(一九三八年二月九日)に報道されているとおり、日本軍は犯人を厳しく罰している。処罰は厳しく、部隊から不満の声が漏れたほどであった。

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-2.html#chapter2-3

パルチザン戦法かい?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/13 22:14 投稿番号: [6513 / 41162]
都合の悪い課題はおざなりにしたまま、イチャモンを付け易いことにのみに横レスをするパルチザン戦法かい?



>3、遁走する敵は大部分、便衣に化すると判断せられるをもって、【その疑いがある者はことごとく検挙し適宜の位置に監禁す。】


当然の措置と言えよう。




>4、【青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。】青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。


当然かつ立派な措置と言えよう。




>>その死因も病死だったり事故死だったり支那軍や支那人盗賊による殺害の可能性が高いので、

>また根拠もなく確信する


根拠はある。
20万人居れば、単純に計算すると1年間で約5千人が寿命や病気や事故で死亡することになる。
女子供は全体の約3分の2を占めるだろうから、これまた単純に計算すると1年間に3千人くらい死亡する。
現実には年寄りの方が多く死ぬから、女と子供の年間死亡者数は3千人より遥かに少なくなる。
更に、引き取り手がない遺体として紅卍字会に埋葬されたのは、結局は百体くらいだったということ。

殺害された支那人犠牲者の殆ど全てが、日本軍ではなく支那軍や支那人盗賊によるものだったことは、今さら説明を要しないことと思う。

いずれにせよ、上記のことから日本軍が南京で無辜の民間人を虐殺した様子は全く窺えない。

鉄人2号

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/13 20:36 投稿番号: [6512 / 41162]
>・埋葬記録では、女の死体は83名、子供の死体は48名あるいは46名でした。
これは、女子供の死者が少なく、その死因も病死だったり事故死だったり支那軍や支那人盗賊による殺害の可能性が高いので、日本軍による無辜の市民虐殺がなかった裏付けとなります。


紅卍字会による埋葬記録の内訳は、確かに女性83名子供46名なのです。
ここでは紅卍字会の他にも、南京市衛生局や紅十字会の埋葬記録が何万も
あることには触れません。

ではなぜ、女性や子供の遺体は少なかったのか、二つ理由が考えられます。
1.一つは、軍の行動による一般市民の殺害については、その大部分が、
「兵士とみなされた市民の殺害」として行われたということです。
これにより、男性の、それも、青壮年の殺害が多かったことは理解できます。

六旅団作命甲第138号
12月13日午後4寺30分
南京城内掃蕩要領
3、遁走する敵は大部分、便衣に化すると判断せられるをもって、【その疑いがある者はことごとく検挙し適宜の位置に監禁す。】
掃蕩実施に関する注意
1、軍司令官注意事項を一兵に至るまで徹底せしめたる上、掃蕩を実施すべし。
2、外国権益の建物を敵がこれを利用しある場合の外、立ち入りを厳禁す。重要なる箇所には歩哨を配置すべし。
3、掃蕩隊は残敵を掃蕩を任とし必ず将校(准尉を含む)の指揮する部隊をもって実施し、下士官兵以下、各個の行動を絶対に禁ず。
4、【青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。】青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。

実際には、逮捕監禁しただけではなく、杜撰な選別をした後、すべて殺害したわけです。
というわけで、男性の死体が圧倒的に多い。
女性、子供の殺害というのは、軍命令による組織的なものとしてより、兵士の個別の
乱行、暴虐行為として行われたケースが多いと考えられますので、犠牲者数は
男性よりも少なかったと思われます。


2.もう一つは、慈善団体や公的機関は引き取り手のない遺体を埋葬した、ということを
考えて下さい。
家族や近隣が引き取って埋葬した遺体というのもあります。
男性の遺体を、残された老人や女性、子供が引き取って埋葬することは困難ですが、
女性や子供の遺体は、家族が引き取って埋葬することが考えやすいのです。
(ラーベ日記には家族が引き取ったケースの話が出てきます)
こういうのは、公式記録に残りませんから、どれぐらいあったのかの立証は困難ですが、
そこは、常識と理性にしたがって、一度考えてみて下さい。

なお、城内の女性の遺体が少なく、城外の女性の遺体の方が多いというのは、
私の推測の一つの裏付けではないかと思います。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/maisou/koumanjikai.html


ま、この辺で私の推測が正しかったとしても、スマイス報告とのギャップが
埋まるだけで、30万、40万とのギャップが埋まるとは思いませんが   (^^



>その死因も病死だったり事故死だったり支那軍や支那人盗賊による殺害の可能性が高いので、

また根拠もなく確信する    ε = (- -;)
ま、いいか。
断言せずに「可能性が高いので、」と言ってるのだから、
これでも、でりちゃんにしては良心的な記述だしな。

>日本兵の捕虜の扱いは?

投稿者: chankoro_kirai 投稿日時: 2005/07/13 11:09 投稿番号: [6511 / 41162]
済みません中国兵は日本兵の捕虜は拷問の後、食べてしまいました。

こうすれば証拠が残らないので。

日本兵の捕虜の扱いは?

投稿者: heven992002 投稿日時: 2005/07/13 10:24 投稿番号: [6510 / 41162]
戦時中に   中国でも少数でしょうが   日本兵が捕虜になることも有ったと思いますが   どうなのでしょうかね?
中国のことだから   皆殺してしまったのでしょうか?
日本側では   実体が掴めずに   不明者か戦死の扱いになっているのでしょうね。
通洲事件でも   判るようにすごい拷問を受けているんでしょうね。   御気の毒です。

>ja2047さんへ

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/13 06:26 投稿番号: [6509 / 41162]
>これはどういうことなのでしょうか?真実と事実の違いについてです。

たとえばですね。
「日本は中国に多数の将兵を送り込んだ」
これは事実です。    動きません。
「日本は中国を侵略した」
これは真実です。
私がここで真実というのは、見方が変わればそれを認めない人もいる、
という意味で言っているのであって、「真実だから絶対動かせない」と
言う意味で言っているのではありません。
評価、とか結論の部分といってもいいかと思います。
「事実」で意見が食い違えば、その説は「トンデモ」ですが
「真実」というのは食い違うもんです。

南京事件に関する議論の奇妙なところは、「真実」が優先して、
「事実」はどこかに追いやられてしまう傾向があることです。


>このことで、今の海外の日本人が暴行を受けたり、政争の道具にされたり、中国人が日本で犯罪を犯す時の正当性の道具として使われたり、国益に損失があったりしないようにするのはどうしたら良いのかと思ってしまいます。

ちょっと時間が足りなくなってきたので、きちんとした話は後に譲りますが、
基本を言えば、今日のトラブルは、戦後処理、講和条約や、日中共同声明
の枠組みに問題があるから起きているのではなく、それを覆そうという
動きによって、軋轢が発生しているのだと思います。

人口問題

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/13 06:22 投稿番号: [6508 / 41162]
結局、でりちゃんも、犯罪情報計画氏も、人口については
陥落前20万説に明確な根拠がないことは理解しておられるようで、
スマイス報告の判断が最も信用できるという考えのようです。

結局、スマイスの結論は次のようになろうかと思います。

1.陥落時から1月にかけて人口には大きな変化はない。
  2、3月はわずかに上昇に転じた。
2.城内市街地における犠牲者数は、戦闘に巻き込まれたもの850人
  兵士の暴行によるもの2400人、拉致されて帰らないもの4200人の
  計約7500人と推定される。
3.城外農村部における犠牲者数は南京地区全体で2万7千人と推定される。
4.別の根拠から市内及び城郭周辺では1万2千人が暴行により死亡したと推定される。
http://www.geocities.jp/yu77799/smythe3.html
http://www.geocities.jp/yu77799/smythe2.html
http://www.geocities.jp/yu77799/smythe.html

私が30万説過大と考えるのは、被害者の目撃証言を積み上げたものが
スマイス調査以上の信頼性を持っているとは考えられないことによるものですが、
それはそれとして、

スマイスは市街地の死者1万前後と推定していたわけですから、
人口に大きな変化がないという認識は全く当然だと思うのです。


結局結論は、城内人口(市民)に関する限り、
「増えたという根拠はない」
「大きな変化はなかった」
ということでよろしいのではないかと思います。


さてと、どこから手を着けるかな

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/13 06:20 投稿番号: [6507 / 41162]
まずは、でりちゃん   m9(^_^)

暑かったんで上着を脱いだら、
下に着ているシャツが同じじゃあないか。

マネするな。

アバターを設定したのは、私の方が先だ。


<児童が問題だ。マイケル裁判を知らん?.

投稿者: bazzy17jp 投稿日時: 2005/07/13 00:38 投稿番号: [6506 / 41162]
児童を海外から騙して拉致。それも売春目的。日本は人権問題では現在でも勝ち目はない。
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050603-50.html

<小泉の靖国参拝は総裁選の公約の為、本音は行きたくない、馬鹿ウヨが怖いだけ。 総理になる前に参拝してたんか?.北と日朝国交正常化を唱える奴、のいうことを信じるのも、信じる靖国馬鹿だ。
1939年
「産めよ殖やせよ国のため」
「結婚十訓」の中の一句。他に「なるべく早く結婚しましょう」「式は質素に届けはすぐに」というのもあった。
「日の丸弁当」
ご飯の中央に梅干し一つを置いた質素な弁当。戦地の兵隊さんの苦労をしのび感謝の意を表そうと強制された。
「靖国の母」
靖国神社の例大祭に参列した子を失った遺族のこと。
「ヤミ」
公定価格以上の高値で行われた裏取引のこと。

1940年
「一億一心」(近衛首相のラジオ放送)
日本の人口が1億人に達しようというときであり、国民が心を合わせて一つとなって戦争を遂行しようという檄。
「バスに乗りおくれるな」
時流に乗り遅れるなの意味で合言葉のように用いられた。
「ぜいたくは敵だ!」
東京市内のいたるところに立てられた立看板に書かれた戦時標語。1字挿入して「ぜいたくは素敵だ!」に、また「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」から1字削除して「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」というイタズラもあった。他に「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ」もある。   最初の設置
「零戦」(ぜろせん)
紀元2600年の末尾の0をとって「零式(れいしき)艦上戦闘機」と名付けられた戦闘機の略称。
「隣組」
国民統制のために作られた地域組織。一単位十戸内外だった。町内会・部落会の下に作られ、食糧その他生活必需品の配給などを行なった。また、国民による国民の相互監視の機関にもなった。

1941年
「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)
死んでも捕虜になるなということは、捕虜になるしかない戦況では死ねということ。一線の兵士にはもちろんのことすべての国民にとっての呪いの言葉となった。
「米英軍と戦闘状態に入れり」(大本営)
開戦を伝える臨時ニュース。  
「月月火水木金金」
土曜も日曜もない日本海軍の猛訓練ぶりを評したもので海軍の標語になった。ルーツはレコードのタイトル。
「進め一億火の玉だ」
国民の戦意を昂揚するための標語。
「大本営発表」
大平洋戦争の期間中、陸軍・海軍の統帥機関である大本営が国民に向けて発表した戦況報告。意図的な情報のみを一方的に国民に押し付けた。  
「八紘一宇」
世界を一つの家にするという意味。「八紘」とは四方と四隅、八方の非常に遠い果てを意味し、「一宇」は一つの家のこと。

guckblueさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/13 00:26 投稿番号: [6505 / 41162]
私には、ずっと、分からないことがあります。

南京事件は、多くの場合否定派というのは、「南京で日本軍兵士の犯罪が一件もなかったとか、中国兵の処刑が一件もなかったという主張ではなく、中国側主張の”軍事行動とは無関係に○○万市民を殺害した”という事件の存在を否定しているのです。」

なんだと思うんですね。

で、これに対してguckblueさんは、あったと考えていらっしゃると思うのですが、その根拠となった客観的証拠を有するものとして、メインになるものとして、一つその証拠を挙げるとしたら、どの証拠を採用されているのでしょうか?

必ず鄰あり、ですね

投稿者: guckblue 投稿日時: 2005/07/12 23:39 投稿番号: [6504 / 41162]
>ここへは最近登場したばかりですし、居着くつもりはございません   (^^
>でも、「徳孤ならず」とは思っています。
>ここで少なくても、私は常識の立場からものを言っているつもりです。

ここで論語が出て来る辺り、かなり尊敬してしまいます(^^;
私は論語は知らないのですが、類は友を呼ぶっつーか、トンデモがトンデモを増産している気がする今日この頃。テレビで堂々と、それなりに名のある方が「南京には民間人が二十万人しかいなかったのにどうして30万殺せるんだ?」などととぶたれているのなどを見るに付け、悲しくなります。世間てそんなもんかなぁ、振り込め詐欺やリフォーム詐欺なども横行してる世の中だしなぁ、とか思ってしまう。

>>彼ら否定派が果たした貢献は、南京事件に関する資料の発掘や収集・刊行が進んだことでしょうか。

>いや、むしろ、そこに一番貢献していないような・・・    (−−;

いえいえ、否定派の「刺激」が、「南京事件に関する資料の発掘や収集・刊行」を謂わば後押しした、と言いたいわけですよ、私は。まあ、彼らがいなければ込みいった論争もなく、南京事件のようなことが戦時中にはあった、って程度の認識だったでしょうがね。

でわ。

人口は増加した。(百歩譲って横ばい)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 23:29 投稿番号: [6503 / 41162]
タイトルを訂正しておきます。(恥)

yousunwaiさんへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 23:20 投稿番号: [6502 / 41162]
>私は、戦闘行為による死者を否定はできないと思いますが、それを、大虐殺と冠して、この南京攻略戦として扱ってはいけないと思います。


戦争をしているのですから、当然です。




>中国側の悪意に対してという意味においては、こちらも客観的資料を揃えて、対抗しなくてはならないと思います。


nmwgipさんも仰っていましたが、日本軍による市民虐殺の証拠は、「あった」と主張するほうが揃えなければならないのです。
市民虐殺の客観的資料が揃っていないので、日本軍による市民虐殺はなかったのです。

戦後の南京軍事法廷で虐殺の罪で4人の日本人が処刑されましたが、実は4人全員が無実でした。
4人のうち、1人が300人斬り、2人が100人斬りの罪でしたが、全部出鱈目でした。

その後にあった東京裁判では、この無実の4人の有罪判決を証拠にされて、司令官だった松井大将に死刑の判決を出されてしまいました。

戦後の南京軍事法廷や東京裁判までの9年間、日本軍が南京で無辜の市民を虐殺したという話はありませんでした。
「南京大虐殺」というのは、戦後の作り話なのです。




>さらなる、強力な客観的証拠が出てくることを願って止みません。


と言うか、虐殺があったことを証明するマトモな証拠が未だに出てきません。

マトモな証拠がなかったので、東史郎や朝日新聞は、「東日記」や「宇和田日記」に作り話を書いて南京虐殺の証拠にしたかったのです。
結局、彼らの捏造は、バレてしまいました。

誰にも見られず、誰にも知られず、女子供の死体を残さず、人口を減らさずに、南京市民を虐殺することは不可能です。

人口は増した。(百歩譲って横ばい)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 23:01 投稿番号: [6501 / 41162]
>ガセネタの鉄人が、すでに破綻したネタを繰り返してますので
>一日一件ずつリンクを貼っていきます。


そのように他人を誹謗・中傷する暇があるなら、まず、キミのガセネタを何とかするべきではないのか?
―――――――――――――――――――
>南京事件について言えば、擦り付けの工作を開始したのは日本側が先ですね。
>「ニューヨークタイムズ   1月3日記事    安全区の敗残兵による攪乱工作」
>ですが、外国人発信を装っていますが、この情報の出所は明らかに日本側なのです。
(#5998)
―――――――――――――――――――




>>・日本軍が南京を占領した1ヵ月後には、南京の人口が増えました。

>ウソです。   増えたと言うことは確認されていないし、状況から考えて
>増えたとは考えにくいのです。


それについては、ちゃんと反駁し、「南京の人口は増えたことは有り得ても、減ったことは有り得ない」という結論に達している。
南京の人口は、増加、もしくは、百歩譲って横ばいだった。
違うと言うなら、日本軍占領直前の人口が何万人で、日本軍占領後の人口が何万人になったのか根拠を示して述べよ。


●1937年11月〜12月の南京の人口推移


1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡


11/27「30〜40万」
在留外国人に対して「避難勧告」が出された。
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告


日本軍占領直前(12月12日前後)の南京の人口に関する資料
―――――――――――――――――――
安全区国際委員会公式文書【20万人の市民】
ステール【10万人の市民】
アベンド【10万人以上】
ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】
リリー・アベック【15万人】
米ライフ紙【15万人の南京市民】
張群思少佐【非戦闘員10万】
劉啓雄少将【20万】
松井大将【12万余】
―――――――――――――――――――

以上、安全区国際委員会公式文書などの資料を総合的に見て、更にスマイスの後日修正分まで含めても12月12日頃、日本軍占領直前の南京の人口は、【10万人から20万人、最大でも25万人】とみて間違いなく、日本軍占領後の生存人口が約25万人(安全区国際委員会公式文書)だから人口は増えたことはあっても、減ってはいない。



■日本軍が南京を占領してからは、減るどころか逆に増えている。

そして、南京で戦闘が始まる前に、多くの市民が南京を脱出したが、そのうちの多くは日本軍が開放した上海に行っていた。


もう一度、南京の人口推移を長い期間で見てみる。


●1937年前半(支那事変以前)〜1938年9月の南京の人口推移


1937年前半    「100万人」
  ↓
11月初旬〜11月23日   「50万人」(支那軍が南京に来て減少)
  ↓
11月27日    「30〜40万人」
  ↓
12月13日    「20万人」
  ↓
1938年1月14日   「25万人」(日本軍が占領し支那軍が南京を去ったため増加に転じる)
  ↓
1938年9月23日   「45万人」


・1938年9月23日「45万人」の資料

『文藝春秋』P193   第十六巻   第十九號   昭和十三年十一月特別號 (1938年)
  従軍通信/上海より廬州まで/瀧井孝作
  九月二十三日。晴。南京にて。
  午前九時、特務機関に行く。大西大佐より南京施政状況の説明あり。人口は戦前は百萬そのうち二十五萬漢口に行き、二十五萬は上海に在り、五萬は香港に行き、現在は四五十萬どまりなり。


しばらく南京に戻って来なかった人々のうち、漢口に行っていた25万人は支那の政府関係者が多く、上海に行っていた25万人は一般市民だから、やはり市民は日本軍の居る上海に行っていた。


文句があるなら、日本軍占領直前の人口が何万人で、日本軍占領後の人口が何万人になったのか根拠を示して述べよ。

#6493はpokopokogon さんへのレスです

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 22:50 投稿番号: [6500 / 41162]
私のメッセージ:6493は、pokopokogonさんのメッセージ:6470に対する返信です。

陥落時の人口について

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/07/12 22:33 投稿番号: [6499 / 41162]
  陥落時の人口についてはこういう資料もありますね。

>>
南京アメリカ大使館通信 ―― エスピー報告
1938年1月25日   南京

1   12月10日後の南京の状況
  南京の陥落を前にして、中国軍と市民の脱出は引きも切らなかった。人口のおよそ5分の4が市を脱出し、主要な部隊は武器・装備もろとも撤退していった。南京の防衛は、わずか5万の兵士に任されていた。
<<

  スマイスによれば「南京市の戦前の人口はちょうど100万であった」そうですから、5分の4が脱出した後の市民の残り人数は20万人ですね。
  25万人説は、市民20万人プラス防衛兵5万人イコール25万人という意味でしょうか?w

  もっとも、傍観していただけのアメリカ大使館に正確な人口動態の把握ができたとは思っていませんが。
  エスピー報告自体、随分反日的な内容であり、当時のアメリカの外交姿勢が大きく反映されたものだと思われますし。
  要するに陥落時人口20万人説は、当時の外国人の間で一般的な認識だったということでしょう。
  だからと言って、ラーベが間違っているという証明にもならない訳ですが。

  結局重要な点は、大虐殺があったなら当然減少して然るべき南京の人口が目立った減少を見せていない、という事でしょうね。

人口動態について

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/07/12 22:31 投稿番号: [6498 / 41162]
> ウソです。増えたと言うことは確認されていないし、状況から考えて
> 増えたとは考えにくいのです。

  私は別に、人口が増えなくても大幅な減少が無ければ、それだけで大虐殺が無かった状況証拠になるという考えなんですけどね。
  この資料も嘘ですか?

>>
南京における戦争被害   L・C・S・スミス

南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。我々が3月に行った抽出調査で報告された人員を50倍すれば、すぐさま市部調査で表示されている22万1150人という人口数が得られる。この数は当時の住民総数のおそらく80ないし90パーセントを表したものであろうし、住民の中には調査員の手の届かぬ ところに暮らしていたものもあった
『日中戦争史資料9』   P219

【   注   】
  12月末から1月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、国際委員会のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約25万であって、数週間前に彼らが特に慎重に推定した数をはっきりと上まわるものである。中国の半官半民筋はほぼ30万と推定していた。2月・3月には大した変化はなかったが、市の近辺の秩序の乱れた地域から著しい人口の流入があったので、おそらくそれは転出者をわずかながら上まわっていた。これもあきらかに重要なことであった。われわれが推定してみたところでは、3月下旬の人口は25万ないし27万であって、このうちには調査員の手のとどかぬ人々もあり、また移動中の人々もあった。調査した人員は22万1、150人である。5月31日には市政府公署の5つの地区の役所で登録された住民(下関を含むが明らかに城外のその他の地区を含まない)は27万7000人であった。この数字は特に婦女子について不完全であることが認められており、普通はほぼ40万と修正されている。1年前、南京市の人口はちょうど100万を越したところであった。この数字は8月・9月にかけて急減し、11月初旬にまた50万近くに戻った。旧市内は今日考えられているよりも広い地域を含み、その地域は少なくとも人口の10分の1を占めていた。
『日中戦争史資料9』   P251
<<
  リンクフリーにはなっていませんでしたので引用元は明示できませんが、虐殺派のHPとだけ申し上げておきます。

> 2月・3月には大した変化はなかったが、市の近辺の秩序の乱れた地域から著しい人口の流入があったので、おそらくそれは転出者をわずかながら上まわっていた。

> 市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった
  ↓
> 12月末から1月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、国際委員会のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約25万であって
  ↓
> われわれが推定してみたところでは、3月下旬の人口は25万ないし27万であって

  だそうですよ。
  スミス(スマイス)の調査は、人口が少なくとも減少していないし、増加している可能性の方が高いことを示していますけど?

撹乱工作報道に関する結論

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/07/12 22:30 投稿番号: [6497 / 41162]
  これは余談です

> 報告書は12月28日までの状況をまとめたものだということなので、
> さらに古い報告書は考えにくいのじゃあないでしょうか。

  撹乱工作に限ったとしても、12月14日に占領がスタートしているのに、1月24日の報告書が最新版だと考える必然性は何処にも無いと思いますが。
  それにもし日本軍が擦り付け工作を企てたのなら、もっと頻繁に宣伝が行われて然るべきだと思いますよ。

  こちらが今回の本題です

> 以下、全部そうなのですが
> 「こういう可能性もある、こういう想像もできる、それが間違いだという証拠はない」
> に、なってませんか?

  だから?
  1/4NYタイムズのニュースソースは明らかになっていないのに、1/25チャイナプレスの記事と「同じ情報の別のバリエーションと考えた方が、理解はしやすい」という仮説がまさに「こういう可能性もある、こういう想像もできる」じゃないんですか?
  私は何度も言いました。

(1)中国政府が日本軍の仕業だと宣伝した上海爆撃は中国軍の仕業だった
(2)元中国兵による撹乱工作がNYタイムス及びチャイナプレスで報道された

  これだけが事実であると。
  元中国兵による撹乱工作が、日本軍の宣伝工作であるとか日本軍の擦り付け工作であるとか、これこそが「こういう可能性もある、こういう想像もできる」に過ぎないと思いますが。

> 私の方が想像力貧困で創作力が脆弱だと認めても別に構いませんけど?

  結局、何が言いたいんですか?
  「中国兵による撹乱工作発覚の報道は、日本軍の擦り付け工作であった」という説は、「可能性」であり貴方の「想像」でしかなかったということですか?
  根拠の脆弱な「可能性」だと思いますが、それが結論でも私は構いませんよ。

>横レスしないで、って言ったはずだけど

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 22:29 投稿番号: [6496 / 41162]
横レスしていないが、何か?

横レスしないで、って言ったはずだけど

投稿者: matunami2005 投稿日時: 2005/07/12 22:24 投稿番号: [6495 / 41162]
>飽くまで私の個人的見解ですが、そのHPは思いっきり偏っていると思います。
>笠原十九司という奴は、学者と呼ぶには程遠い支那信奉者の反日左翼です。

で、ご自分のこの表現は「偏っていない」と思っているわけですね?   もしそうでしたら、私はもう何も言いません(^^)

>確かにそうですけれどね

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/07/12 22:20 投稿番号: [6494 / 41162]
失礼
東中野さん   笠原さん

笠原さんが教授だったか助教授だったか迷ったもので

誰の本が良いかなんて、よんでから判断すればいいとおもってます。

確かにあなたがおっしゃることはあるとはおもいます。

でも何回も出くわすとおかしいぞ   と気がつきますよ。
あやふやなものは世論を喚起するようなことはないでしょう。(とおもいたい。)

>参考図書について

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 22:18 投稿番号: [6493 / 41162]
>既に見た幾つかのHP中、『南京事件   小さな資料集』というのでは、基本テキストとして、笠原十九司版と秦郁彦版が紹介されております。
>ただ、このHPには〜(中略)〜少し偏りがあるのかな、というイメージを持っています。


飽くまで私の個人的見解ですが、そのHPは思いっきり偏っていると思います。




>また、笠原十九司氏については、・・・


(#6446を再掲)

笠原十九司という奴は、学者と呼ぶには程遠い支那信奉者の反日左翼です。

笠原十九司の『南京事件』にも、出鱈目が数多く含まれています。

また、笠原十九司は、『写真記録   日中戦争3.拡大する日中戦争   1937〜1941』ぽるぷ出版・鈴木亭、笠原十九司編という本で、支那軍が行った暴虐の数々を、日本軍がやったと書いています。

まず、25頁に住宅街らしき所が爆撃されてる写真があり、本文には「日本空軍の爆撃で燃え上がる上海市、日本軍は連日にわたる渡洋爆撃と航空母艦からの爆撃によって…」とありますが、この写真は上海戦の終り頃(9月末から10月初旬)にあった支那軍の本拠地・閘北(ざほく)総攻撃の写真であり、市民を攻撃している写真ではありません。
両方の砲弾が飛んで来る所に市民がいつまでもいるわけがなく、とっくに逃げ出してるでしょう。
そもそも、日本の艦載機は支那軍の前線基地を叩き、渡洋爆撃では南京、広徳、南昌、杭州などの飛行場を攻撃したのであって、上海市内を攻撃した訳ではありません。
日本の上海戦の目的は、飽くまで上海居留日本人の保護だったので、日本人のいる所に爆弾を落とす訳がありません。
支那軍が上海を攻撃したのであり、支那軍が日本人や支那人や外国人を攻撃したのです。
笠原は、酷い嘘吐きです。

また、この本は、支那軍の爆撃によって破壊されたパレスホテル(27頁上段B)の写真に、
「日本空軍の爆撃による破壊   上海市の中心・先施公司の爆撃で中国市民数百人が犠牲となった。」と説明をつけているので、この説明は二重に間違っていることになります。

ちなみに、パレスホテルは8月14日、先施公司(シンシアデパート)は8月23日に支那軍が爆撃したものです。
27頁中段Cには、本物の先施公司(シンシアコーズ)デパートの写真があり、まったく頓珍漢です。

次に、28頁下段に避難民の写真がありますが、ここの説明には「上海避難民   日本軍の爆撃と攻撃にさらされた市民はなだれを打って外国人租界に流れ込んだ」となっていますが、これもデタラメです。
本当は、盧溝橋事件の後、蒋介石が上海攻撃を企図し保安隊を遠巻きに配置しながら徐々に包囲網を狭めていたため、戦争を察知した住民が国際租界に逃げ出したのです。
支那が上海周辺で戦争準備を始め、8月11日から12日にかけて鉄道を押さえ、軍隊を続々上海に送り込み、国際租界の日本人居留区を包囲、12日には黄浦江との揚子江の江陰に船を沈めて川を封鎖したので、市民が雪崩をうって、国際租界やにフランス特権区域に逃げ込んだのです。
つまり、市民が逃げたのは支那軍が戦争を準備したからです。
そして、支那軍は13日には攻撃を開始し、14日には上海市街を爆撃しました。
26頁A・27頁上段Bの写真は、この時の写真です。
26〜27頁の酷い写真は、どれも支那空軍の仕業で、この中には一枚も日本の加害写真はありません。
無いのは当たり前で、最初から日本軍はそんな所を爆撃していないからです。
日本軍が爆撃したのは、南京、広徳、南昌、杭州などにある支那軍の飛行場や前線基地です。
その際、支那軍が民衆の多くいる所に集結し、そのために民衆が巻き込まれて被害を受けたことはあったでしょうが、その場合の責任は支那側にあります。  

笠原は、「日本が侵略して、上海に雨あられのごとく爆弾を降らし、上海を地獄にした」と言いたいようですが、これは嘘っぱちの出鱈目です。
実際は、支那軍が上海の包囲攻撃と爆撃を行ったのです。
日本海軍は、陸軍の上海到着が間に合わないので、支那軍の飛行場や前線基地を爆撃し、上海居留日本人の命を永らえさせたのです。
笠原の出鱈目は、酷すぎます。


こいつは、学者とは言えません。
こんな奴を雇う大学は大馬鹿です。
こんな奴の本を資料とする奴も大馬鹿です。

確かにそうですけれどね

投稿者: matunami2005 投稿日時: 2005/07/12 22:14 投稿番号: [6492 / 41162]
酔っ払いヴァージョンの「松波」です(^^;


>どこから入ろうが、判断力を持っているなら問題はないでしょう。
>東中野教授の本からはいろうが笠原さんの本から入ろうがたいした問題ではないですね。


いやあ、実は私、「東中野氏の本から入る」という大失敗をやらかしているもんで(^^;

最初は、そんなものかなあ、と信じてしまったんですよね。あの本、資料だけはやたらと豊富なので、さらりと読み流したら、えらく説得力のある本のような気がしてくる。

ところがどっこい、いざ、東中野氏と元ネタ本を照合すると、出てくるわ出てくるわ、こりゃあ、ただのトンデモ本じゃないか。


私のように、「元ネタ」を調べるほど深入りする気があればともかく、さらりと流すと、間違いなく「騙されてしまう」本です。「マニア」を目指すのであればともかく、手っ取り早く「事実」を知りたいのであれば、これは自ら茨の道を選ぶ行為だと思います。


・・・って、どこかに書いたなあ、と思って見直してみたら、「ゆうの南京事件ブックガイド」にしっかりと書いていましたね。
http://www.geocities.jp/yu77799/bookguide.html

>ただし私見ですが、「南京事件」の真相をてっとり早く知りたいと考えるのでしたら、この2冊を読むことは「時間の無駄」かもしれません。両者とも、誤った記述、いいかげんな記述のオンパレードですが、「初心者」がそれに気がつくことは、至難の技です。

>この2冊の「いいかげんさ」を理解するには、この本を読むのにかける労力の、少なくともその数倍の「労力」が必要でしょう。私自身、「南京事件」研究の初期にかなりの「否定本」を読みましたが、その「いいかげんさ」を理解するまで、かなりの時間を要しました。(


まあ、「マニア」を目指して茨の道を歩もうというのであれば、こちらから入るのは、ご自由です(^^)



・・・どうでもいいんだすが、何で東中野氏が「教授」で、笠原氏が「さん」なんだろう?   両方「教授」、あるいは両方「さん」ならば、よくわかるのですが。

>最後が切れた

投稿者: pokopokogon 投稿日時: 2005/07/12 22:08 投稿番号: [6491 / 41162]
最後の文、了解しました。

写真の検証本、北村氏の本、と進んでから、これらへの反論HPも含めて各種資料にあたり、自分なりに事件像を考えたりしているうちに、これは一旦、基本になるものを読んだ方が良い、と判断したのです。

誰の本を読もうが

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/07/12 22:01 投稿番号: [6490 / 41162]
どこから入ろうが、判断力を持っているなら問題はないでしょう。
東中野教授の本からはいろうが笠原さんの本から入ろうがたいした問題ではないですね。

真実を求めようとする姿勢がある限り惑わされることはないでしょう。

ゆう様、ありがとうございました

投稿者: pokopokogon 投稿日時: 2005/07/12 22:01 投稿番号: [6489 / 41162]
こんばんは、ゆう様。
あのHPの作者とここでお会いできるとは思いませんでした。

話が直接聞けて良かったです。ダーディンの件については判りました。

それと、ご指摘をいただき自分でも見直して気が付いたのですが、百人切りについては別の方のHPについての私の印象でした。
ゆう様のHPと混同してしまい、偏向したイメージを与えてしまった事をお詫び申し上げます。

埋葬記録についてのコメント、了解しました。あれ程の資料を揃え、しかも蔵書が100冊を超えると書いていらっしゃるにも拘わらず、どうしてそこの部分には触れていないのかと訝しく思っていましたので、わけが判りました。
それにしても「百人切りの歌」なんてものがあったのですね。貴重なお話です。歌詞なぞわかれば、知りたいものだと思いました。

HP作りのコンセプトを知れて良かったです。
笠原氏の本については、結構いろいろな所で私の書いたような批評を目にしましたので、あまり時間の無い身での基本テキスト選びにはどうかな、と思った次第です。あれだけHPでは多数の資料を載せられているので、この事件の全体像についてもかなり詳しくていらっしゃるのでしょうに、それでも笠原氏の本がテキストに挙がっているので、上記の批評からして少し疑問に思っていたのですが、これについてもよく判りました。

いずれにしても、ゆう様のHPはちょこちょこ覗いています。あれだけの資料を取り揃えるというのは並大抵の労力ではないと、常々感心しています。

これからも、HPを見ますので、今後とも宜しくお願いします。

直接やり取りの出来た事を有り難く思っています。ありがとうごさいました。

はたして

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/07/12 21:42 投稿番号: [6488 / 41162]
歴史の問題なんだろうか。今私が不審に思っているのは。

30万虐殺なんて嘘っぱち、従軍慰安婦なんて何の根拠もない。もちろん慰安婦はいたけどね。

軍紀の乱れがあったことは資料を見れば事実と推定される。略奪もあったかもしれない。犯罪もあったかもしれない。

少なくとも私はそんなことより、歴史を政治の道具にしている国が近くにあることが
心配でなりませんね。

歴史の問題ではなくて、政治の問題であると言っていいのではないでしょうか。
南京事件や慰安婦問題は

最後が切れた

投稿者: yu77799 投稿日時: 2005/07/12 21:32 投稿番号: [6487 / 41162]
>また、笠原十九司氏については、氏が反対論者との討論に出てこない事、中国側の話をそのまま述べる方だという批評・思想的偏り等から、笠原版を基本テキストにするのは少し抵抗があります。

まあ、読んでみてから判断した方がよろしいかと。これ、「アホ否定派」の笠原氏評そのまま、という感じがしますね。

だいたい、笠原氏の本を読めば、これが「中国側見解」とは全くかけ離れたものであることは、一目瞭然だと思いますよ。私も、氏の見解に納得しかねるところも少なからずありますが、「基本テキスト」としては十分有効であると思います。読んだ上で、批判すべきところは批判すればよろしいでしょう。

間違っても、東中野氏とか田中氏とか北村氏から入らない方が、無難であろう、と考えます(^^)

Re 参考図書について

投稿者: yu77799 投稿日時: 2005/07/12 21:29 投稿番号: [6486 / 41162]
あまりこちらに関わる気もないのですが、私のページの話が出ましたので、ちょっとだけ登場します。これで引っ込むつもりですので、横レスはご遠慮ください。

>ただ、このHPには古森義久氏によるダーディンへのインタビュー記事が載せられていないこと、埋葬記録についての矛盾、実際にあったと思われる清野作戦についての言及が無い事、『百人切り』について結局はどうしても有った事としたいのではないかと思いたくなるような論の運び方等幾つかの点から、少し偏りがあるのかな、というイメージを持っています。


>古森義久氏によるダーディンへのインタビュー記事が載せられていないこと

他の方のページに掲載されている記事を、わざわざ私のページに掲載する必要はないと思います。「著作権」の問題もありますし。

なおダーディンの記事については、隠しページに掲載してありますよ。「著作権」が気になりますので、「公開」はちょっと遠慮しておりますが。
http://www.geocities.jp/yu77799/durdin.html

青木書店「南京事件資料集」には、別の「ダーディンインタビュー」が掲載されています。関心がおありでしたら、どうぞ。



>埋葬記録についての矛盾

私は、「南京事件」のすべてを網羅するページをつくる能力はありませんし、そこまで無理をする気もありません。私は、私の関心のあることだけを記事にしています。

「埋葬」問題、情報の整理が十分にできていないこともあり、正直な話、私の手に余るんですよね。他人の「先行研究」をまる写しする気にはとてもなれませんし。そのうち取り組んでみるかもしれませんので、気を長くしてお待ちください。

私のページづくりの基準は、①オリジナリティがあること、②読んで面白いこと、③内容が正確であること、④可能な限り、誰もが納得できる議論であること、です。逆に言えば、この「基準」を満たせないようなコンテンツをつくる気はありません。



>実際にあったと思われる清野作戦についての言及が無い事

これまた、私の力が及ばないテーマです。ただまあ、中国軍が「清野作戦」を行ったのは事実ですが、その規模については、ちょっと誇張されているような気はしますね。日本軍の「放火」による被害まで「清野作戦」のせいにしてしまう議論を、私は何度も見てきました。



>『百人切り』について結局はどうしても有った事としたいのではないかと思いたくなるような論の運び方

私はわざわざ、こう前置きしたんですけれどね。

*なお、このコンテンツは、あくまで「日本刀3人限界説」についての検討であり、「百人斬り競争」の真偽にまで踏み込んだものではありません。念のため。
http://www.geocities.jp/yu77799/nihontou.html


私はまだ、「百人斬り」の真偽には判断を下しておりません。ここではただ、「日本刀は三人しか斬れないから百人斬りはなかった」という「俗説」の根拠の薄さを指摘したのみです。

「感想」だけを言いますと、もし「百人斬り競争」がウソだとするならば、どうして「あれはウソだった」と証言する同僚兵士が、たった1名(大隊長)以外誰も登場しないのかなあ、という素朴な疑問は持っております。それどころか、同僚の六車という将校は、「百人斬りの歌」までつくっちゃったそうですし。



>少し偏りがあるのかな、というイメージを持っています。

私が関心を持つのは、「何が事実か」ということです。私は、私が「事実」だと判断したことを書いているだけの話ですので、これを「偏りがある」と評価するかどうかは、読む方の自由です。

まあ、「アホな否定派」をからかうことに力を入れてしまったことは認めます。これが一番、ウケがいいもので(^^)   (注   「否定派」=「アホ」、ではありません。「否定派」の中に「アホ」がいる、という話です)



>また、笠原十九司氏については、氏が反対論者との討論に出てこない事、中国側の話をそのまま述べる方だという批評・思想的偏り等から、笠原版を基本テキストにするのは少し抵抗があります。

まあ、読んでみてから判断した方がよろしいかと。これ、「アホ否定派」の笠原氏評そのまま、という感じがしますね。

だいたい、笠原氏の本を読めば、これが「中国側見解」とは全くかけ離れたものであることは、一目瞭然だと思いますよ。私も、氏の見解に納得しかねるところも少なからずありますが、「基本テキスト」としては十分有効であると思います。読んだ上で、批判すべきところは批判すればよろしい

シナ蓄人の残虐性

投稿者: chukangetout 投稿日時: 2005/07/12 20:24 投稿番号: [6485 / 41162]
こんなことが21世紀のいまに行われているとしたら人権侵害もいいとこ。

中国の刑務所、女性に残酷な性的拷問


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  【▲▲▲日本7月12日】最近、中国官僚が相次ぎ海外で亡命した、彼らが提供した情報で、中国政府のゲシュタポ組織「610弁公室」が、残酷に法輪功愛好者を拷問する実情が明かされた。

  婦女の権益及び社会的地位の保障は、国家文明を判断する一つの基準。前中国国家主席・江沢民は、ある時に国営テレビで、1989年の天安門学生民主運動に参加した女子大生が労働教養中に性的暴行を受けたことについて、記者に質問され、「暴徒だから、当たり前の処罰だ」と答えた。

  「法輪功人権報告」によると、全国の労働教養所に監禁されている数十万人の女性法輪功愛好者が受けた残酷な性的拷問の内容は、ほとんどの人は、▽裸にされる(長期的なケースも)▽生理時のナプキンの使用禁止▽胸または陰部に殴る蹴るの暴行▽警官によるレイプまたは集団レイプ▽外陰部をスタンガンで長時間電撃▽硬いブラシを性器に挿入し、乱暴にこする▽裸にされ、男性囚人と同室させるなどである。

  ある刑務所から脱出した女性法輪功愛好者は「労働教養所の残酷さ、人間の想像の域を超えている」と語った。

  「全世界法輪功学習者を救う会」の資料によると、妊娠中の法輪功愛好者は、ほとんどが妊娠中絶を強要された。以下はその実例である。

  蘭州大学歴史専攻博士・王紅梅さんは、2001年6月7日に逮捕され、蘭州市桃樹坪労働教養所に監禁された。妊娠中の彼女は、警察に強制中絶させられた。

  遼寧省本渓の譚亜嬌さんは、妊娠中に東明派出所に監禁され、不当逮捕に抗議するため、食事を拒否した。警察は彼女の手足を鉄の輪で固定し、流動食を流し込むための汚い管を無理やりに食道に差し込み、一週間以上にそのまま放置した、その間警官・張晋娟の指令でひどい暴力を受けた。ある日、拷問の最中で子宮から大量に出血し、お腹の赤ちゃんが流産した。

  去年9月、河南省淮陽県魯台郷の女性法輪功愛好者・王貴金さんが妊娠9ヶ月の時、「610弁公室」と「淮陽県計画生育委員会」(電話番号:86-394-2687775)に強制的に赤ちゃんを流産させられた。大紀元記者・周新の追跡取材で、「淮陽県計画生育委員会」の担当者は「これは、国家政策である」と答えた。

  残酷な性的拷問を受けたのは、法輪功愛好者だけではなかった。上海の毛恒鳳さんは、中国政府の「一人っ子政策」に違反したため、刑務所に投獄され、警察は彼女をベッドに固定し、手足をベルトで縛りつけ、「大」の字のように、各方向に力いっぱい引っ張る、その拷問が3日間も続いたと、ラジオ自由アジアが報道した。

  今年の3月8日の「国際婦人デー」で、ドイツとフランス在住の法輪功愛好者・熊偉さんと陳穎さんは、ストラスブール欧州議会のメディアセンターで、中国労働教養所の女性迫害を暴露した。

  国際救援で、ドイツに救出された熊偉さんは、中国北京女子労働教養所に監禁されたときの体験を語った。生理中にも、トイレとナプキンの使用を禁止され、抗議すると、手錠を掛けられ、「お前の指を一本一本折って、頭から沸騰するお湯を浴びせ、茹でてやる」と警察に脅迫された、ある19歳の女子大生は、警察の指示で、8人の囚人から暴力を受け、裸にされ、靴下とパンティを口に押し込まれ、硬い靴で彼女の下半身を蹴りまくられた。約20日後に対面したときには、女子大生の精神状態はおかしくなっていた。

  陳穎さんは、労働教養所で、裸にされ、長時間しゃがむよう命じられ、冷たい水を浴びせられた。警官の命令で5、6人の麻薬中毒者と売春婦から暴行を受け、抗議すると、窓に手錠で縛り付けられ、薬物を強制注射された。薬物が注入される瞬間、心臓と血管が引き裂かれるような激痛が走った。左半身は、痙攣状態を起こし、記憶力も喪失した、と生々しい残酷な体験を語った。

deliciousicecoffeeさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/12 20:16 投稿番号: [6484 / 41162]
●南京事件
1.支那人犠牲者の名簿   ×なし(日本も×、蒋介石政府も×、汪兆銘政府も×、南京安全区国際委員会も×、南京市民も×、誰も作成せず)
2.日本の命令書その他公式文書   ×なし
3.政府の認識   ×なし(当時は、日本にも×、何応欽にも×、蒋介石にも×、毛沢東にも×、事件の認識×なし)


ありがとうございます。

実際、この資料は、それなりに説得力はあると思います。特に他の事件と比較した時に、<2.日本の命令書その他公式文書   ×なし>の持つ意味は大きそうです。

命令書がないということは、他の事件と比較することで、「組織的」な蛮行が行われていないということにある程度の説得力を得るものだと思います。

もちろん、後からでっちあげで出てくるかもしれませんが、私は、戦闘行為による死者を否定はできないと思いますが、それを、大虐殺と冠して、この南京攻略戦として扱ってはいけないと思います。中国側の悪意に対してという意味においては、こちらも客観的資料を揃えて、対抗しなくてはならないと思います。さらなる、強力な客観的証拠が出てくることを願って止みません。彼らが、攻撃しているのは、過去の日本人ではなく、今の日本人です。お願いします。

nmwgipさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/12 20:10 投稿番号: [6483 / 41162]
>多分yousunwaiさんもご存知と思いますが、これを「悪魔の証明」と言います。

実際、中国人のやっていることはイメージ戦略で洗脳までして、少なくとも、戦闘行為以外に組織的に何かがあったか?ということに対して、現段階では、事実かそうではないか断定してはいけないことまで、断定して、押し付ける戦略をとっているような気がします。つまり、南京事件の大きな問題点は、この事件を大陸侵略とは別物の事件として中国側が取り上げようしていることです。場合によっては、ナチスのやったホロコーストと比肩させるような捉え方を世界がするように誘導しているのではないか?と、思えることもあります。

実際、今の日本人にとっては、あったかどうかということよりも、あったされて、今の日本人が海外で暴行されたり、海外でいやがらせを受けたり、中国人が日本で犯罪を行う際の正当性の材料にされたり、国益が損なわれたりすることが問題だと思います。

そして、南京事件の真偽とは別問題として、いやがらせを受けることを回避するために、たとえ認めたとしても、終りになるという問題ではないと認識されるくらいに、中国側のやり方は悪意に満ちているような気がしますから、少なくとも「戦闘行為とは別に、日本軍が組織的に民間人を虐殺した」という中国側の主張を客観性をもって、徹底的に否定するしかないような気もするわけです。

南京事件の中国側主張には、もういい!と思うくらいに疑義が多すぎます。そして、日本人の認識も、戦闘行為による死者をもって、「大虐殺」と冠されていると思っているという勘違いもあります。戦闘行為による死者が多く出るのはあたり前で、それとは別問題として南京事件を扱うことで、新たな罪を作り出そうとしているのではないか?と考えられるような中国人のやり方には、座視しえないものがあります。

日本の戦後外交にあった、中国・朝鮮に対する外交方針として、相手の意見を鵜呑みにして、相手の悪意を生じさせないようにするという外交は破綻をきたしていると思います。

ja2047さんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/12 20:08 投稿番号: [6482 / 41162]
ありがとうございます。

>真実が事実に優先しちゃってる人には「違うぞ」と言って指摘する。

おっしゃることは、だいたい理解したつもりなのですが、どうしても理解できない部分がありました。

これはどういうことなのでしょうか?真実と事実の違いについてです。

>政治的な駆け引きにしないためには、事実の議論に持ち込むのが一番有効です。

最初に、虐殺があったかどうかということについては、議論は、棚に上げますね。あくまで、政争の道具にされないための戦略として、教えていただきたいことがあります。

今のところ、政治的な駆け引きに使われてしまっている南京事件ですが、そこで、ja2047さんの主張が正しいという前提で、南京事件が、今の日本人のイメージを崩す目的として使われている可能性がある状況の中で、中国側主張の虐殺を認めたとして(人数の問題は省く)、どういう論法で、相手をねじ伏せるというか、政争の道具としないような方向へ持って行けるのでしょうか?

その辺りのことをさわりだけでも教えてはいただけないでしょうか?

考えは違いますが、ja2047さんの歴史に対する態度には敬意を持っていますし、ご意見を伺えればと思います。

このことで、今の海外の日本人が暴行を受けたり、政争の道具にされたり、中国人が日本で犯罪を犯す時の正当性の道具として使われたり、国益に損失があったりしないようにするのはどうしたら良いのかと思ってしまいます。
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