人口は増した。(百歩譲って横ばい)
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 23:01 投稿番号: [6501 / 41162]
>ガセネタの鉄人が、すでに破綻したネタを繰り返してますので
>一日一件ずつリンクを貼っていきます。
そのように他人を誹謗・中傷する暇があるなら、まず、キミのガセネタを何とかするべきではないのか?
―――――――――――――――――――
>南京事件について言えば、擦り付けの工作を開始したのは日本側が先ですね。
>「ニューヨークタイムズ 1月3日記事 安全区の敗残兵による攪乱工作」
>ですが、外国人発信を装っていますが、この情報の出所は明らかに日本側なのです。
(#5998)
―――――――――――――――――――
>>・日本軍が南京を占領した1ヵ月後には、南京の人口が増えました。
>ウソです。 増えたと言うことは確認されていないし、状況から考えて
>増えたとは考えにくいのです。
それについては、ちゃんと反駁し、「南京の人口は増えたことは有り得ても、減ったことは有り得ない」という結論に達している。
南京の人口は、増加、もしくは、百歩譲って横ばいだった。
違うと言うなら、日本軍占領直前の人口が何万人で、日本軍占領後の人口が何万人になったのか根拠を示して述べよ。
●1937年11月〜12月の南京の人口推移
1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡
11/27「30〜40万」
在留外国人に対して「避難勧告」が出された。
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告
日本軍占領直前(12月12日前後)の南京の人口に関する資料
―――――――――――――――――――
安全区国際委員会公式文書【20万人の市民】
ステール【10万人の市民】
アベンド【10万人以上】
ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】
リリー・アベック【15万人】
米ライフ紙【15万人の南京市民】
張群思少佐【非戦闘員10万】
劉啓雄少将【20万】
松井大将【12万余】
―――――――――――――――――――
以上、安全区国際委員会公式文書などの資料を総合的に見て、更にスマイスの後日修正分まで含めても12月12日頃、日本軍占領直前の南京の人口は、【10万人から20万人、最大でも25万人】とみて間違いなく、日本軍占領後の生存人口が約25万人(安全区国際委員会公式文書)だから人口は増えたことはあっても、減ってはいない。
■日本軍が南京を占領してからは、減るどころか逆に増えている。
そして、南京で戦闘が始まる前に、多くの市民が南京を脱出したが、そのうちの多くは日本軍が開放した上海に行っていた。
もう一度、南京の人口推移を長い期間で見てみる。
●1937年前半(支那事変以前)〜1938年9月の南京の人口推移
1937年前半 「100万人」
↓
11月初旬〜11月23日 「50万人」(支那軍が南京に来て減少)
↓
11月27日 「30〜40万人」
↓
12月13日 「20万人」
↓
1938年1月14日 「25万人」(日本軍が占領し支那軍が南京を去ったため増加に転じる)
↓
1938年9月23日 「45万人」
・1938年9月23日「45万人」の資料
『文藝春秋』P193 第十六巻 第十九號 昭和十三年十一月特別號 (1938年)
従軍通信/上海より廬州まで/瀧井孝作
九月二十三日。晴。南京にて。
午前九時、特務機関に行く。大西大佐より南京施政状況の説明あり。人口は戦前は百萬そのうち二十五萬漢口に行き、二十五萬は上海に在り、五萬は香港に行き、現在は四五十萬どまりなり。
しばらく南京に戻って来なかった人々のうち、漢口に行っていた25万人は支那の政府関係者が多く、上海に行っていた25万人は一般市民だから、やはり市民は日本軍の居る上海に行っていた。
文句があるなら、日本軍占領直前の人口が何万人で、日本軍占領後の人口が何万人になったのか根拠を示して述べよ。
>一日一件ずつリンクを貼っていきます。
そのように他人を誹謗・中傷する暇があるなら、まず、キミのガセネタを何とかするべきではないのか?
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>南京事件について言えば、擦り付けの工作を開始したのは日本側が先ですね。
>「ニューヨークタイムズ 1月3日記事 安全区の敗残兵による攪乱工作」
>ですが、外国人発信を装っていますが、この情報の出所は明らかに日本側なのです。
(#5998)
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>>・日本軍が南京を占領した1ヵ月後には、南京の人口が増えました。
>ウソです。 増えたと言うことは確認されていないし、状況から考えて
>増えたとは考えにくいのです。
それについては、ちゃんと反駁し、「南京の人口は増えたことは有り得ても、減ったことは有り得ない」という結論に達している。
南京の人口は、増加、もしくは、百歩譲って横ばいだった。
違うと言うなら、日本軍占領直前の人口が何万人で、日本軍占領後の人口が何万人になったのか根拠を示して述べよ。
●1937年11月〜12月の南京の人口推移
1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡
11/27「30〜40万」
在留外国人に対して「避難勧告」が出された。
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告
日本軍占領直前(12月12日前後)の南京の人口に関する資料
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安全区国際委員会公式文書【20万人の市民】
ステール【10万人の市民】
アベンド【10万人以上】
ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】
リリー・アベック【15万人】
米ライフ紙【15万人の南京市民】
張群思少佐【非戦闘員10万】
劉啓雄少将【20万】
松井大将【12万余】
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以上、安全区国際委員会公式文書などの資料を総合的に見て、更にスマイスの後日修正分まで含めても12月12日頃、日本軍占領直前の南京の人口は、【10万人から20万人、最大でも25万人】とみて間違いなく、日本軍占領後の生存人口が約25万人(安全区国際委員会公式文書)だから人口は増えたことはあっても、減ってはいない。
■日本軍が南京を占領してからは、減るどころか逆に増えている。
そして、南京で戦闘が始まる前に、多くの市民が南京を脱出したが、そのうちの多くは日本軍が開放した上海に行っていた。
もう一度、南京の人口推移を長い期間で見てみる。
●1937年前半(支那事変以前)〜1938年9月の南京の人口推移
1937年前半 「100万人」
↓
11月初旬〜11月23日 「50万人」(支那軍が南京に来て減少)
↓
11月27日 「30〜40万人」
↓
12月13日 「20万人」
↓
1938年1月14日 「25万人」(日本軍が占領し支那軍が南京を去ったため増加に転じる)
↓
1938年9月23日 「45万人」
・1938年9月23日「45万人」の資料
『文藝春秋』P193 第十六巻 第十九號 昭和十三年十一月特別號 (1938年)
従軍通信/上海より廬州まで/瀧井孝作
九月二十三日。晴。南京にて。
午前九時、特務機関に行く。大西大佐より南京施政状況の説明あり。人口は戦前は百萬そのうち二十五萬漢口に行き、二十五萬は上海に在り、五萬は香港に行き、現在は四五十萬どまりなり。
しばらく南京に戻って来なかった人々のうち、漢口に行っていた25万人は支那の政府関係者が多く、上海に行っていた25万人は一般市民だから、やはり市民は日本軍の居る上海に行っていた。
文句があるなら、日本軍占領直前の人口が何万人で、日本軍占領後の人口が何万人になったのか根拠を示して述べよ。
これは メッセージ 6467 (ja2047 さん)への返信です.