人口動態について
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/07/12 22:31 投稿番号: [6498 / 41162]
> ウソです。増えたと言うことは確認されていないし、状況から考えて
> 増えたとは考えにくいのです。
私は別に、人口が増えなくても大幅な減少が無ければ、それだけで大虐殺が無かった状況証拠になるという考えなんですけどね。
この資料も嘘ですか?
>>
南京における戦争被害 L・C・S・スミス
南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。我々が3月に行った抽出調査で報告された人員を50倍すれば、すぐさま市部調査で表示されている22万1150人という人口数が得られる。この数は当時の住民総数のおそらく80ないし90パーセントを表したものであろうし、住民の中には調査員の手の届かぬ ところに暮らしていたものもあった
『日中戦争史資料9』 P219
【 注 】
12月末から1月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、国際委員会のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約25万であって、数週間前に彼らが特に慎重に推定した数をはっきりと上まわるものである。中国の半官半民筋はほぼ30万と推定していた。2月・3月には大した変化はなかったが、市の近辺の秩序の乱れた地域から著しい人口の流入があったので、おそらくそれは転出者をわずかながら上まわっていた。これもあきらかに重要なことであった。われわれが推定してみたところでは、3月下旬の人口は25万ないし27万であって、このうちには調査員の手のとどかぬ人々もあり、また移動中の人々もあった。調査した人員は22万1、150人である。5月31日には市政府公署の5つの地区の役所で登録された住民(下関を含むが明らかに城外のその他の地区を含まない)は27万7000人であった。この数字は特に婦女子について不完全であることが認められており、普通はほぼ40万と修正されている。1年前、南京市の人口はちょうど100万を越したところであった。この数字は8月・9月にかけて急減し、11月初旬にまた50万近くに戻った。旧市内は今日考えられているよりも広い地域を含み、その地域は少なくとも人口の10分の1を占めていた。
『日中戦争史資料9』 P251
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リンクフリーにはなっていませんでしたので引用元は明示できませんが、虐殺派のHPとだけ申し上げておきます。
> 2月・3月には大した変化はなかったが、市の近辺の秩序の乱れた地域から著しい人口の流入があったので、おそらくそれは転出者をわずかながら上まわっていた。
> 市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった
↓
> 12月末から1月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、国際委員会のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約25万であって
↓
> われわれが推定してみたところでは、3月下旬の人口は25万ないし27万であって
だそうですよ。
スミス(スマイス)の調査は、人口が少なくとも減少していないし、増加している可能性の方が高いことを示していますけど?
> 増えたとは考えにくいのです。
私は別に、人口が増えなくても大幅な減少が無ければ、それだけで大虐殺が無かった状況証拠になるという考えなんですけどね。
この資料も嘘ですか?
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南京における戦争被害 L・C・S・スミス
南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。我々が3月に行った抽出調査で報告された人員を50倍すれば、すぐさま市部調査で表示されている22万1150人という人口数が得られる。この数は当時の住民総数のおそらく80ないし90パーセントを表したものであろうし、住民の中には調査員の手の届かぬ ところに暮らしていたものもあった
『日中戦争史資料9』 P219
【 注 】
12月末から1月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、国際委員会のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約25万であって、数週間前に彼らが特に慎重に推定した数をはっきりと上まわるものである。中国の半官半民筋はほぼ30万と推定していた。2月・3月には大した変化はなかったが、市の近辺の秩序の乱れた地域から著しい人口の流入があったので、おそらくそれは転出者をわずかながら上まわっていた。これもあきらかに重要なことであった。われわれが推定してみたところでは、3月下旬の人口は25万ないし27万であって、このうちには調査員の手のとどかぬ人々もあり、また移動中の人々もあった。調査した人員は22万1、150人である。5月31日には市政府公署の5つの地区の役所で登録された住民(下関を含むが明らかに城外のその他の地区を含まない)は27万7000人であった。この数字は特に婦女子について不完全であることが認められており、普通はほぼ40万と修正されている。1年前、南京市の人口はちょうど100万を越したところであった。この数字は8月・9月にかけて急減し、11月初旬にまた50万近くに戻った。旧市内は今日考えられているよりも広い地域を含み、その地域は少なくとも人口の10分の1を占めていた。
『日中戦争史資料9』 P251
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リンクフリーにはなっていませんでしたので引用元は明示できませんが、虐殺派のHPとだけ申し上げておきます。
> 2月・3月には大した変化はなかったが、市の近辺の秩序の乱れた地域から著しい人口の流入があったので、おそらくそれは転出者をわずかながら上まわっていた。
> 市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった
↓
> 12月末から1月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、国際委員会のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約25万であって
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> われわれが推定してみたところでは、3月下旬の人口は25万ないし27万であって
だそうですよ。
スミス(スマイス)の調査は、人口が少なくとも減少していないし、増加している可能性の方が高いことを示していますけど?
これは メッセージ 6467 (ja2047 さん)への返信です.