>日本兵の捕虜の扱いは?
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/13 23:47 投稿番号: [6519 / 41162]
>戦時中に
中国でも少数でしょうが
日本兵が捕虜になることも有ったと思いますが
どうなのでしょうかね?
支那軍に投降した日本兵が極端に少なかったためなのか、私はあまり多くの資料を知りません。
ただ、通洲事件(7月29日)や大山中尉惨殺事件(8月9日)などの惨殺ぶりは有名です。
私が資料で確認できた範囲においては、人数などの面で日本軍投降兵・捕虜への虐待・虐殺が酷かったのはソ連軍とアメリカ軍です。
・ソ連軍
言わずと知れた【終戦後】の「拉致・シベリア強制連行・殺害事件」。
これは、日本の政府やマスコミも隠匿している事実なのですが、1945年、満州、樺太、択捉、国後、その他から、ソ連に拉致された人数は100万人以上で、シベリアで殺害された日本人の人数は約50万人と考えられます。
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/marxsyugi1.html#前野 徹 「第四の国難」 扶桑社
・アメリカ軍(イギリス軍)
#2886、#2887、#2902をご参照ください。
・支那軍
「南京にて」
12月13日、光華門城壁を占領 城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。
これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。
検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長 大内義秀氏(要約)
12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。
その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。
一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長 大杉浩氏
【終戦後】の支那共産党による日本軍捕虜への虐待
「認罪運動」
「私はこんな酷いことをした」と戦犯全員の前で自白する発表会がもたれた。
この「坦白大会」には、中共党幹部も同席し、管理所の洗脳工作経過を視察するものであったが、戦犯達も自分が何を要求されているのかが判り、いよいよ追いつめられていった。
認罪学習は、徹底して行われた。みんなでしつこく何回も何回も犯罪行為を確認し、自己批判・相互批判が繰り返された。
「学習」とは言うものの、罪の自白とつるしあげ合戦である。「なんだ、それぐらい、俺なんかもっと凄いもんね」「お前、それぐらいじゃ足りんだろう」などとエスカレートしていったのだった。
こういう経過で、日本語にはない罪行や、中共側のでっち上げや過剰な言い分まで認めざるを得なかった。
また、中共側は余計な自白を歓迎した。
本人の罪状だけでなく、伝聞した日本軍の罪状まで採集していった。
戦犯たちは総括書という形で、文章にして提出した。当然、文章の巧拙や想像力の大小によって、罪業に迫力の差がでてくる。
文章の上手い戦犯はほめられ、他の戦犯の文章指導や代筆までやり、悪鬼そのものの日本軍が作成されていった。
理由もなく6年も監禁されたのに、自ら戦争犯罪人を認める自白をし、そのうえ不起訴になったら中共の温情に感謝する、看守達と抱きあって泣いたりしたのだ。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo7.html
撫順2(戦犯管理所と戦犯裁判)より抜粋
支那軍に投降した日本兵が極端に少なかったためなのか、私はあまり多くの資料を知りません。
ただ、通洲事件(7月29日)や大山中尉惨殺事件(8月9日)などの惨殺ぶりは有名です。
私が資料で確認できた範囲においては、人数などの面で日本軍投降兵・捕虜への虐待・虐殺が酷かったのはソ連軍とアメリカ軍です。
・ソ連軍
言わずと知れた【終戦後】の「拉致・シベリア強制連行・殺害事件」。
これは、日本の政府やマスコミも隠匿している事実なのですが、1945年、満州、樺太、択捉、国後、その他から、ソ連に拉致された人数は100万人以上で、シベリアで殺害された日本人の人数は約50万人と考えられます。
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/marxsyugi1.html#前野 徹 「第四の国難」 扶桑社
・アメリカ軍(イギリス軍)
#2886、#2887、#2902をご参照ください。
・支那軍
「南京にて」
12月13日、光華門城壁を占領 城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。
これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。
検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長 大内義秀氏(要約)
12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。
その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。
一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長 大杉浩氏
【終戦後】の支那共産党による日本軍捕虜への虐待
「認罪運動」
「私はこんな酷いことをした」と戦犯全員の前で自白する発表会がもたれた。
この「坦白大会」には、中共党幹部も同席し、管理所の洗脳工作経過を視察するものであったが、戦犯達も自分が何を要求されているのかが判り、いよいよ追いつめられていった。
認罪学習は、徹底して行われた。みんなでしつこく何回も何回も犯罪行為を確認し、自己批判・相互批判が繰り返された。
「学習」とは言うものの、罪の自白とつるしあげ合戦である。「なんだ、それぐらい、俺なんかもっと凄いもんね」「お前、それぐらいじゃ足りんだろう」などとエスカレートしていったのだった。
こういう経過で、日本語にはない罪行や、中共側のでっち上げや過剰な言い分まで認めざるを得なかった。
また、中共側は余計な自白を歓迎した。
本人の罪状だけでなく、伝聞した日本軍の罪状まで採集していった。
戦犯たちは総括書という形で、文章にして提出した。当然、文章の巧拙や想像力の大小によって、罪業に迫力の差がでてくる。
文章の上手い戦犯はほめられ、他の戦犯の文章指導や代筆までやり、悪鬼そのものの日本軍が作成されていった。
理由もなく6年も監禁されたのに、自ら戦争犯罪人を認める自白をし、そのうえ不起訴になったら中共の温情に感謝する、看守達と抱きあって泣いたりしたのだ。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo7.html
撫順2(戦犯管理所と戦犯裁判)より抜粋
これは メッセージ 6510 (heven992002 さん)への返信です.