南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 東京五輪

投稿者: in_black83 投稿日時: 2007/05/29 09:29 投稿番号: [18618 / 41162]
君の言う通り、どっちでもいい事なんだ。 長崎、広島への原爆投下を疑う者はいない。決定的証拠が存在するからだ。 南京大虐殺の論争が絶えないのは、事実だとする方、事実では無いとする方双方に決定的証拠、根拠が存在しないという事。 こんな論争はどこまで行っても平行線であり、互いに信じ込んだ物語りから抜け出せない者同士が交わる事は有り得ない。 子供同士の喧嘩の類の論争など、どうでもいい事なんだ。 将来、日中の若者が互いに協力し合い、真相を究明しようとする時代が訪れた時に真実が明らかになる話しだよ。

南京の真実PART2

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2007/05/29 09:24 投稿番号: [18617 / 41162]
(日本軍兵士の証言)

南京陥落後、二日たって、朝香宮さんといっしょに城内へ入った。
護衛の任務を解かれて部隊復帰で、本隊を追求して、南京に入ってまた悪い事をたくさんしたわ。
南京を守っていた中国の兵隊は一杯おってな、捕虜になった兵隊は、みんないなくなったんや。
そりゃそうやで、中国の兵隊は捕虜になって殺すのは当たり前やんか。
捕虜に飯食わすのは、もったいないさかい。
(南京を守っておった兵隊はどこへいったんや)と嘘を言ったって、実際いたのを全部殺してしまったんやから。
南京大虐殺はあった。ワシはこの眼で見たんや。
わしらはどういうわけで戦争しているのかわからんで、一銭五厘で召集されて(チャンコウなんか殺してしまえ)と言っていたんやから。
あの時は、中国人をなめてかかっていたな。
揚子江の港、下関に行った時やった。港とは名ばかりでな、河に桟橋がつき出ていた。
捕虜を収容している倉庫のような建物から、五十人くらいの捕虜を引っ張り出し、
幅があまりない桟橋に並ばせた。
そこを重機関銃でドルルルルーと水平になでていた。
やられた中国人はみんなそのまま河に落ちよった。
河のそば、桟橋があるところにわしは行ってのぞいてみたんや、河底からすぐ足下の岸まで人間が積み重なっていた。
大きな船の着く桟橋や、そうとう深いのと違うやろか。
ちょうど河に浮いているボラの死体のようにぷかぷか浮いて流れて行った。
始末することはないわな。
南京大虐殺はあった。自分がこの眼で見てきたことや。

(社会評論社刊   南京戦   閉ざされた記憶を尋ねて:より抜粋)

やっと政治家も議会で動く。

投稿者: denn8denn 投稿日時: 2007/05/29 09:08 投稿番号: [18616 / 41162]
民主党の松原仁議員は二十五日の衆院外務委員会で、
南京で虐殺など無いに等しいと申しております。

http://www.youtube.com/watch?v=5vvzYjkarP0&NR=1

民主党には似つかわしくないが、逆に松原仁議員が野党でよかったとさえ思う。
さすがに今回はマスコミはスルーですが、今年の夏は白熱しそうだ。

東京五輪

投稿者: spat708513 投稿日時: 2007/05/29 08:41 投稿番号: [18615 / 41162]
もうどっちでもいい!
東京オリンピックもやったしソウルオリンピックもやった。
また北京オリンピックも成功させようとしている。
そこに日本が一生懸命関わろうとしている。
その裏でいつまでも過去の過ちを研究している人間は人生の無駄遣いのような・・・
温故知新も適当なところで新しきに目覚めなければ立ち止まったまま進めない。

今中国では日本の秩序に学ぼうとしている。
駅のホームで整然と並び街を汚さないなどの社会の基本をこの日本に学ぼうとしています。
事実かウソか、やられた国に秩序を学ぼうとしています。
韓国はいつまでもネタミばかり持っているから国際社会から疎外されかけています。
今の東アジアの経済情勢で韓国にまたしても金融危機が訪れるとすれば
それはいつまでも日本を受け入れなかった韓国の失政となりそうです。

Re: 南京大虐殺・..

投稿者: in_black83 投稿日時: 2007/05/29 08:08 投稿番号: [18614 / 41162]
南京大虐殺論争とは、子供の玩具と同じだな。所詮、お遊びの域からは出られない論争だ。 こんなお遊び論争に現をぬかす連中のおつむは非常に幼い。 死んだ国を我が国と思い込むあまり、現在すら直視出来ない馬鹿連中だ。 このくだらない論争に、決着など有り得ない事すら理解出来ない馬鹿ばかりだな。

「嘘だ」という意見は当然出てくる

投稿者: history_fiction_and_fact 投稿日時: 2007/05/29 01:02 投稿番号: [18610 / 41162]
70年前の所謂「南京虐殺」や60年余り前の「從軍慰安婦」が「事実」であると強辯する人たちも自分で見たわけではない。本の受けうりや傳聞のみ。
これでは証据にならない。

そもそもこの問題は「邪馬台国は何処にあったか」、「恐龍は何故滅んだか」と同じで、今の我々に直接関係ないことであり、興味ある人たちだけが研究すればいい。
ただ、日本人の大半が知らなくても何ら世の中に影響はない。
歴史は定説が書き換えられるのが常で、誤解に基づく歴史など知っている方が有害。

今の日本人にも支那人にも関係がない「大昔のひとごと」である。

ただ、日本内外の一部の反日マスコミや反日市民団体がまずこれらの話を持ち出してきたんだと想う。
虐殺については「終戦」になってから、「慰安婦」にいたっては戦後半世紀ほどたってからだったと想う。

外は特に支那と朝鮮で、「時効警察」のような趣味でもあるのか、やたらとこの昔話(または作り話か)を持ち出してきたが、日本で「戦犯」とされた人たちは裁かれ、すでに死に、強制連行された人は「終戦」でもとに戻っている。

多くの団体はすでに当事者でも何でもない今の日本政府から金を巻き上げることしかできない。賣名行為か金目当てだろう。

しかし、ある歴史的主張には当然、「そうではない」という反論が出てくる。
「邪馬台国」はおろか、「聖徳太子」についても「存在しなかった」という意見もあるが、支那人はこれをどう解釋しているのか。

支那人が日本人を虐殺した「通州事件」もある。
支那人は自国の政府や過去の同胞が行った罪に関しては「自分が聴いたことがないからそれはデマだ」、「それは一部の中国人の犯罪で私とは関係ない」と言う。昔の日本人がやった犯罪もそれで行けばいい。

そもそも、昨日今日起こった事件でも当事者同士で意見が食い違うのだから、60年前、70年前のことなど真相などわからない。

結局、「慰安婦強制連行」も「南京虐殺」も「あった」、「なかった」両論あるということだけが間違いない事実。

そして「あった」と主張する人たち(特に支那や朝鮮に味方する人たち)にアドバイスしておく。
「なかった」派の意見に触れたからと言ってヒステリックにわめくのはやめた方がいい。

たかが歴史認識の違いごときで大騒ぎするのは幼稚である。
「そういう意見もあるのか」で放っておけばいい。

また、支那では西洋で主張している發明、發見の歴史についていろいろ反論があるらしく、歴史とはそういうものだと認識しておく必要がある。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835209&tid=5ubcbnrbbk7e0jaa8l&sid=1835209&mid=1

Re: 南京大虐殺・..

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2007/05/29 00:52 投稿番号: [18609 / 41162]
は?シナ人の殖民地になるよりも数段マシって思うんですが?

南京大虐殺って日本が負けたから出てきたプロパガンダって事を良く理解してくれませんか〜

ごまかさないでもらいたい

投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/29 00:34 投稿番号: [18608 / 41162]
>1938年3月   南京に梁鴻志中華民国維新政府成立(梁鴻志は1946年中国政府から本当の南京大虐殺で殺される。)
>1938年12月   汪兆銘が南京に入る

そんなこと聞いてるんじゃないのよ。「汪兆銘南京国民政府」ができたのは「南京戦後(…)すぐに」なのか?   と聞いてるのよ。
それから

>1938年1月   日本軍、南京撤退

ということは、38年2月以降敗戦まで、南京には日本軍の部隊はただの一つも存在しなかった、と主張するわけ?   それで間違いない?

Re: 南京大虐殺・..

投稿者: in_black83 投稿日時: 2007/05/29 00:31 投稿番号: [18607 / 41162]
この事件の真偽にこだわる奴らは真に無様で笑える。既に大日本帝国は消滅したのであり、事件の真偽により、大日本帝国の名誉を回復しようとする試みに何の意味を見出だすと言うのか。 例え事件が創られたものだとしても、大日本帝国の悪事を消し去る事は不可能だ。 大日本帝国の生き残りの馬鹿を相手にする奴らも無様だ。 馬鹿を相手にする事で、馬鹿と同類と見なされるよ。無視すれば良い事だ。 大日本帝国により、我が国土は米国の植民地となった事を忘れるな。

Re: もっと端的に聞きましょうか?

投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/29 00:31 投稿番号: [18606 / 41162]
ほとんどすでに答えているので1点だけ。

>5.君は、あの膨大な量の『南京戦史』を全部読んだのか?!

『南京戦史』って「膨大な量」というほどの本じゃないと思うが…。学術書の単行本ってたいていあれくらいの量だぞ?

Re: 全然、再反論してないくせに

投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/29 00:29 投稿番号: [18605 / 41162]
>誤魔化さないで、ちゃんと答えてくれよ。

ごまかしてるのはそっちだろ?   いまは南京軍事法廷の判決が正しいかどうか?   なんてことは関係ないんだよ。『岡村寧次大将陣中感想録』の記述が国民党への配慮のために歪められているかどうか?   が問題なんだよ!   国民党に配慮したというのが本当なら、なぜ犠牲者数が「30万」になってないのか?   と聞いてるんだよ!

>南京戦当時、岡村寧次自身は満州に居て南京に居なかったくせに、戦後になってから、支那において部下たちと共に国民党軍によって拘束されているときに他人から聞いた話として、抜粋・適記(編集)した。

おいおい、勝手に捏造するなよ。岡村寧次は38年6月に第十一軍司令官になってるんだよ。その隷下に南京攻略戦に参加した師団があるから調査をしたんだよ。
だいたいこれって、南京事件当時に南京にいた人間が情報源だ、って指摘への反論になってないだろ?   論点ズラシもいい加減にしろよ。

>俺は手許にはないが、第6章、第2節だ。

本当に「第6章、第2節」を全部読んだのか?   そのうえで「偕行社の『南京戦史』の結論は、市民虐殺ゼロ(0人)、捕虜虐殺ゼロ(0人)〜8百人ということ」と主張しているわけ?   後になって「勘違いだった」とか言い出さない?

>その前に、ちゃんと質問に答えろよ。
>オマエは「南京戦史」を全部読んだのか?!

全部は読んじゃいないよ。しかし『南京戦史』に依拠して何かを主張するときには、ちゃんと読んだ部分にしか依拠しないよ。あんたは「第6章、第2節」を全部読んだんだな?   そのうえで上述のように主張するんだな?   それで間違いないか?

おいおい

投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/29 00:16 投稿番号: [18604 / 41162]
>オマエ、馬鹿だろ。
>俺があると知ってれば「無い」とは言わないだろ。

馬鹿は誰かな?   南京軍事法廷関連の資料すら調べずに「無い」と断言する人間がいるとは思わないだろ?   青木書店から出ている『南京事件資料集 2 中国関係資料編』はみたことあるわけ?   ないの?   ないのに「名簿は無い」と断言したわけ?

>>どういう状況?

一般論を聞いてるんじゃないんだよ。南京攻略戦に於いて、捕虜の殺害を正当化するどのような状況が成立していたのか?   と聞いてるんだよ。そのくらいのことも分からんの?

>日本軍は南京で1万人以上の支那兵を捕虜として保護しただろ!

ふ〜ん。で、その「捕虜」はどうなったの?   「捕虜」収容所を作って「捕虜」情報局も設置したわけ?

>それと、当時の戦闘中の日本軍将兵の判断について根拠を要求する馬鹿が居るか?アホ!

判断の根拠も示せないのに「正当な殺害だった」と主張する馬鹿がいるか?アホ!

>戦争中に敵兵を殺すことを「合法」だと主張するのに根拠は要らんのだよ。

ふ〜ん。これ、本気で主張するわけね?   いかなる留保もなしにこれを主張するわけ?   あとからぐちゃぐちゃ言いわけ聞かされるのはめんどくさいから、先に留保つけるならつけといて。

>全く回答になってない。
>誤魔化さないでちゃんと答えろよ!

自分こそちゃんと答えろよ。基礎中の基礎資料である第十軍法務部陣中日誌の存在を知っていたのか、知らなかったのか。知っていて読んだのか、読まなかったのか。

>同じく、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録は、いったい、どのようにあるのかね?
本当に国民党軍の話か?

秦郁彦の『日本人捕虜』読め、って書いただろ?   読めよ。

>進化論にしても、現在は「知的設計論」の台頭によって必ずしも十分正しいなどとは言えなくなった。

来た〜〜〜〜〜〜〜!!!!   インテリジェント・デザイン説来た〜〜〜〜〜〜!!!!
日本では統一協会シンパの文学研究者がヨイショしているインテリジェント・デザイン説!   あんた、マジでそんなの信じてるの?

Re: というか

投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/05/29 00:06 投稿番号: [18603 / 41162]
1937年12月13日   南京陥落
1938年1月   日本軍、南京撤退
1938年3月   南京に梁鴻志中華民国維新政府成立(梁鴻志は1946年中国政府から本当の南京大虐殺で殺される。)
1938年12月   汪兆銘が南京に入る

「綏靖軍(すいせいぐん・維新政府の軍隊)の成立は民国28年(昭和14年)春で、兵士の大部分は投降兵から成り、応募者は僅少であった。4個師に分けたが、1個師は僅か2、3千人であった」(益井康一著『漢奸裁判史』110ページ)。
南京戦後に北京新民会で抗日を行う劉啓雄少将も南京戦で日本軍に開放された捕虜だった。
1938年1月1日付の朝日の記者が取材している。
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/143/gahoo.html
こいつは親日に寝返んなかったけどな。

南京戦の捕虜となった将軍や指揮官はその後も生き残っていた記録が沢山残っているんだ。それも部隊ごとな。
つまり親日になった南京兵や南京市民を1946年に売国奴として大虐殺し、そいつらを1937年に日本に魂を売った日の事を南京大虐殺と言っているだけだ。
いい加減、1937年〜1945年に南京に民主的な和平政権が存在した事実を認めな。

Re: もっと端的に聞きましょうか?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/28 23:23 投稿番号: [18602 / 41162]
俺は手許にないから、頁数を言われても答えられない。
捕虜処断については南京戦史の第6章で纏めて論じられており、処断したという記述を抜粋要約しているのが、第2節。


あとなー、ぐちゃぐちゃいいわけしてるのは、オマエだろ!

早く答えろ!

1.南京虐殺の犠牲者名簿があると言うが(#18510)、名簿って、いつ、どこで、誰が作ったの?人数は何人?

2.第十軍法務部陣中日誌などに、日本軍による市民殺害が記録されていると言うが(#18567)、何と記録されているのか?

3.戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録があると言うが(#18567)、その記録は、いったい、どのようにあるのか?本当に国民党軍の話か?

4.南京軍事法廷の「殺戮」の数字が「30万」だと言うが(#18568)、南京軍事法廷の「殺戮」の数字が「30万」って本当なの?根拠を示しなさい。

5.君は、あの膨大な量の『南京戦史』を全部読んだのか?!

Re: 全然、再反論してないくせに

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/28 23:06 投稿番号: [18601 / 41162]
>>>だいたい、国民党に遠慮したというのなら、なぜ「殺戮」の数字が「30万」になってないんですか?   おかしいじゃないですか。南京軍事法廷の判決を否定してますよ?   これをどう説明しますか?

>>南京軍事法廷の「殺戮」の数字が「30万」って本当なの?

>はあ?   意味が分かりません。本気で言ってるんですか?   子どもみたいな言い抜けは止めてもらいたい。


誤魔化さないで、ちゃんと答えてくれよ。

(再掲)
―――――――
南京軍事法廷の「殺戮」の数字が「30万」って本当なの?
ベイツは東京裁判で30万人大虐殺などとは言わず、騙し易いように市民1万2千人大虐殺を主張した。
だから、岡村が4〜5万と言っても、おかしくはない。
最近は、共産支那でさえ、30万人説を放棄しようとしている。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12924615.html
―――――――



>あなた気は確かですか?   ちゃんと当時の南京を知る人間から事情聴取した、と書いてあるじゃないですか。岡村大将自身の目撃談だなんて、誰も主張してませんよ?


南京戦当時、岡村寧次自身は満州に居て南京に居なかったくせに、戦後になってから、支那において部下たちと共に国民党軍によって拘束されているときに他人から聞いた話として、抜粋・適記(編集)した。
後年、敵国において敵に命を握られている最中に、伝聞情報として抜粋・適記(編集)したモノなど絶対に「証拠」とはなり得ない。
残念だったね。



>なるほど。で、あなたの主張はその何ページで裏付けられるんですか?   手許にありますからね。「○○ページ」と言ってもらえばすぐ確認できますから。


俺は手許にはないが、第6章、第2節だ。

その前に、ちゃんと質問に答えろよ。
オマエは「南京戦史」を全部読んだのか?!
ん?

Re: ウソと断定するのは、もう少し待ちまし

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/28 22:47 投稿番号: [18600 / 41162]
>>オマエが最初に答えなきゃならないんだよ。
>>その名簿って、いつ、どこで、誰が作ったの?
>>人数は何人?


>とんでもない!   「無い」と断言した人間がそう断言した根拠を示すべきでしょう?   知っているくせに例によって空とぼけられるのは不愉快だから、「知らなかったのか?」と問うているのですよ。


オマエ、馬鹿だろ。
俺があると知ってれば「無い」とは言わないだろ。
ホレ、オマエが先に答えるべきなのに、俺が先に答えてやったのだから、次は必ず答えろよ。
その名簿って、いつ、どこで、誰が作ったの?
人数は何人?



>どういう状況?


――――――――
ハーグ陸戦法規第二十三条は、「兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を禁止している。

しかしながら、戦闘の進行中で敵軍の一部が投降せんとする場合に、味方軍がこれを受諾し投降兵を収容して後方に送致する為には味方軍の進撃を中止する必要を生じその事が味方軍の勝利を危うくする惧れのある場合には、味方軍の安全と勝利を確保する為に敵軍の降伏信号を黙殺して攻撃を継続する事が軍事上必要となる。

故に、戦時法規は一定の条件下において投降の拒否を認めるのである。
この見解はオッペンハイムを始め多数の戦時国際法家に支持されている。

「投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。
第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、
第二は、敵の戦争法規違反に対する報復として、
第三は、緊急必要の場合において、すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危うくされる場合においてである。」   (オッペンハイム)
――――――――



>   そしてそうした状況が南京攻略戦に於ける投降兵殺害の全事例に於いて成立していたという根拠は?


まず、全事例ではないだろ?!
日本軍は南京で1万人以上の支那兵を捕虜として保護しただろ!
それと、当時の戦闘中の日本軍将兵の判断について根拠を要求する馬鹿が居るか?アホ!



>いいですか、殺人を「不法」だと主張するのに根拠はいらんのですよ。


戦争中に敵兵を殺すことを「合法」だと主張するのに根拠は要らんのだよ。
(こりゃ、予想を遥かに上回るアホだ)



>こんな基礎資料すら知らずに南京事件を否定しているんですか?   信じられないな。みすず書房からでている『続   現代史資料6   軍事警察』に収録されてますよ。


全く回答になってない。
誤魔化さないでちゃんと答えろよ!

(再掲)
―――――――
第十軍法務部陣中日誌などに、日本軍による市民殺害が記録されているなんて知らん。
何と記録されているか示してくれ。
「知らないのに市民虐殺がゼロ(0人)だったなんて言ったんですか?」などと馬鹿なことは言うなよ。
「ある」と言ってる方がある物を示すのが最初だ。
同じく、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録は、いったい、どのようにあるのかね?
本当に国民党軍の話か?
―――――――



>とんでもない。南京事件は教科書にも載っていて日本政府も存在を認めている歴史的事実なんだから、「なかった」と言う方が一方的に立証責任を負うんです。公共圏での議論において進化論の正しさをいちいち証明する必要がないのと同じことです。


オマエは、どうやら真性のアホだな。
つい最近も、教科書に記載されていた沖縄戦における住民の集団自決の日本軍による強制だったことが嘘だと判明した。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/17016760.html
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/18020187.html

進化論にしても、現在は「知的設計論」の台頭によって必ずしも十分正しいなどとは言えなくなった。
#9140を参照

オマエは、犠牲者名簿といい、市民虐殺の記録といい、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵の記憶といい、「ある」とだけ言って、いつも全然具体的に示さない。
本当は、ないからだろ。

Re: ウソと断定するのはー横

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/05/28 22:43 投稿番号: [18599 / 41162]
また誹謗だけの馬鹿投稿か。
流石屑じいさん。

そういう態度が自身の主張に致命的なダメージを与えているのも気付いてないのだろう(笑)
論無し個人誹謗した時点でじいさんの投稿には何の価値も無し。
毎度の事だが愚かすぎだな(笑)

Re: ウソと断定するのはー横

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2007/05/28 22:20 投稿番号: [18598 / 41162]
あいからわず、尊大ぶっとるの。

あのお笑いインチキ映画(南京の真実)の製作に関わってる人間自身が
(アメリカじゃ南京大虐殺はナチスのユダヤ人虐殺と同じように
衆知の事となっているので、裁判を起こしても無駄だ)という趣旨の言葉をアメリカ人弁護士に言われたと、正直に話しとるじゃろが。

世界各国のgoogleで(Nanking Massacre)と詮索してみい,写真入りで
南京事件の記述がいくらでも出てるじゃろ。
慰安婦問題にいたっては、国連が認めている人権団体のアムネスティが
詳しいレポートをネット上で発表している。

南京事件がでっちあげだと騒いでいるのは、おつむの弱い確信犯だけじゃよ。

あんたの、おつむの毛髪もだいぶ(南京玉すだれ)状態になっとるようじゃの。税金をちょろまかすのに、あんまりアタマを使いなさんなよ。
悪事はいつかばれるぞ。南京事件と同じようにな。

少しはお笑いインチキ映画に金をだしたのか?
金も出さずに偉そうな口をきくなよ。裏社会に詳しい元大企業の部長さんよ。

Re: というか

投稿者: devil_snr 投稿日時: 2007/05/28 22:16 投稿番号: [18597 / 41162]
>「ない」ことは必ずしも証明不可能ではない、ということも知らずに。

「必ずしも不可能ではない」ということは、「ほとんどの場合は不可能」と言うことだな。
全く反論になっていない。


まあ、わかってたが(笑

Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

投稿者: temuzin28 投稿日時: 2007/05/28 21:10 投稿番号: [18596 / 41162]
進化論は、証明不要な真実とは、言えない。

Re: ウソと断定するのは、もう少し待ちまし

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/05/28 20:49 投稿番号: [18595 / 41162]
>とんでもない。南京事件は教科書にも載っていて日本政府も存在を認めている歴史的事実なんだから、「なかった」と言う方が一方的に立証責任を負うんです。公共圏での議論において進化論の正しさをいちいち証明する必要がないのと同じことです。

他人に対するのと自己に対するのでは基準が違う訳か(笑)
馬脚を現すとはこの事だな。

1.教科書に載ったから歴史的事実。この命題は真か偽か?
2.>日本政府も存在を認めている。
   さて日本政府が認めた犠牲者数は何人だ?
   歴史的事実だから簡単に答えられるだろう。
   ちなみに共産支那は「30万人以上」だ。
3.>「なかった」と言う方が一方的に立証責任を負うんです。
   先の質問に関係するが、自身は犠牲者数は何人と考えているのだ?
   諸説ありとか言って誤魔化すなよ。
   更にその犠牲者があった事実をまず示してくれ。
   これも歴史的事実に基づくと言うからには簡単だろう。
4.これはおまけだ。
   進化論と比較するのが正しいと思っている訳か?
   答えを聞くのも馬鹿らしいが一応聞いておこうか。

日本軍の占領地域には

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2007/05/28 20:48 投稿番号: [18594 / 41162]
安心感があり、大勢シナ人達が国民党軍・共産党軍より良かったと言って集まった様に教えて頂いたんで有りますがな〜

ま、何でも日本軍が残虐だったと言う御仁に対しては、そうではないんじゃ有りませんかって言っても聞いてくれないんでしょうね〜

Re: というか

投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/28 18:09 投稿番号: [18593 / 41162]
>南京戦後日本はすぐに汪兆銘南京国民政府と和睦して植民地にもせずに撤退した。

汪兆銘南京国民政府ができたのは40年3月なんだが、それって南京戦後「すぐに」なの?   南京戦当時存在しなかった政府と「和睦」できるの?   「国民政府を対手にせず」声明は38年1月半ばまで出てないんだけど?   南京から日本軍はすべて撤退したというのがあなたの主張なわけ?   その撤退は何年何月に完了したんですか?

Re: というか

投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/05/28 11:24 投稿番号: [18592 / 41162]
>立証責任を回避するためだけに安易に「悪魔の証明」を持ち出す

南京戦後日本はすぐに汪兆銘南京国民政府と和睦して植民地にもせずに撤退した。
その後、すぐに南京軍は単独で中華民国維新政府や北京の中華民国臨時政府、華北政府など次々と南京国民政府に統合する。短期間に南京政府が力を持ったのは、自分達を見捨てて逃げた蒋介石政府を見限りた事に併せ日本軍が恩情の厚い捕虜扱いとした事で蒋介石親衛隊だった沈博施参謀長など数万の南京軍将兵が汪兆銘南京国民政府に寝返ったからである。沈博施参謀長の1万5千の将兵は中帰連の捏造陣中日記では幕府山で皆殺しにされたとされている。虐殺されたと言われる部隊の全てが汪兆銘南京国民政府に帰属している。

社会秩序が再建された南京
東京大学文学部人文社会系研究科博士論文
汪政権による「淪陥区」社会秩序の再建過程に関する研究
中国人留学生   曽支農
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=34

というか

投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/28 09:35 投稿番号: [18591 / 41162]
立証責任を回避するためだけに安易に「悪魔の証明」を持ち出すやつが多すぎるね。「ない」ことは必ずしも証明不可能ではない、ということも知らずに。あんたの理屈にしたがえば「○○は無い」と主張する人間はなんの根拠もあげる必要がなくなってしまう。

「悪魔の証明」も知らない阿呆www

投稿者: devil_snr 投稿日時: 2007/05/28 02:34 投稿番号: [18589 / 41162]
>とんでもない!   「無い」と断言した人間がそう断言した根拠を示すべきでしょう?

「悪魔の証明」も知らない阿呆www

もっと端的に聞きましょうか?

投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/28 01:41 投稿番号: [18588 / 41162]
『南京戦史』の366ページと374ページは読みましたか?   ぐちゃぐちゃいいわけしなくていいです。読んだか、読んでないかだけお答えください。

Re: 全然、再反論してないくせに

投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/28 01:13 投稿番号: [18587 / 41162]
>説明済み。

だから説明になってないって。だいたい、国民党に気を遣ったのなら、なぜ「三十万の大殺戮」ってなってないんですか?   おかしいじゃないですか。この資料は「被害者三十万人説」への反論にも使える資料なんですよ?

>南京軍事法廷の「殺戮」の数字が「30万」って本当なの?

はあ?   意味が分かりません。本気で言ってるんですか?   子どもみたいな言い抜けは止めてもらいたい。

>そもそも、岡村は南京戦当時は満州に居て南京のことなど知るわけがないのだ。

あなた気は確かですか?   ちゃんと当時の南京を知る人間から事情聴取した、と書いてあるじゃないですか。岡村大将自身の目撃談だなんて、誰も主張してませんよ?

>俺は一部しか読んでない。

なるほど。で、あなたの主張はその何ページで裏付けられるんですか?   手許にありますからね。「○○ページ」と言ってもらえばすぐ確認できますから。

Re: ウソと断定するのは、もう少し待ちまし

投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/28 01:09 投稿番号: [18586 / 41162]
>オマエが最初に答えなきゃならないんだよ。

とんでもない!   「無い」と断言した人間がそう断言した根拠を示すべきでしょう?   知っているくせに例によって空とぼけられるのは不愉快だから、「知らなかったのか?」と問うているのですよ。

>投降兵であれば状況に応じて殺しても合法なんだよ。

どういう状況?   そしてそうした状況が南京攻略戦に於ける投降兵殺害の全事例に於いて成立していたという根拠は?

>オマエがそう思っても、その時、その場に居た日本軍がそう判断したのだ。
>オマエに分かるわけがない。

あんたには分かってるわけね?   じゃあちゃんと説明してみたら?   それができなきゃ不法殺害ですわな。
いいですか、殺人を「不法」だと主張するのに根拠はいらんのですよ。殺人はデフォルトで違法だから。違法じゃないと主張する方がその根拠を示さねばならんのです。

>第十軍法務部陣中日誌などに、日本軍による市民殺害が記録されているなんて知らん。

こんな基礎資料すら知らずに南京事件を否定しているんですか?   信じられないな。みすず書房からでている『続   現代史資料6   軍事警察』に収録されてますよ。

>「ある」と言ってる方がある物を示すのが最初だ。

とんでもない。南京事件は教科書にも載っていて日本政府も存在を認めている歴史的事実なんだから、「なかった」と言う方が一方的に立証責任を負うんです。公共圏での議論において進化論の正しさをいちいち証明する必要がないのと同じことです。

Re: 飢饉でも食糧を徴発した中国軍

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/28 00:29 投稿番号: [18585 / 41162]
#9440で、「温故一九四二」に関する記事を紹介したのですが、抜粋・引用して頂き、資料として大変参考になります。

飢饉でも食糧を徴発した中国軍

投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/05/27 21:04 投稿番号: [18584 / 41162]
温故一九四二
劉震雲著   中国書店   劉燕子訳   より


22頁
「春になったとたんに、雨が一滴も降らん。 麦は三割しか収穫できなかった。
一粒もとれない畑さえあった。・・・」
「餓死者が発生したのでしょう?」

花瓜おじはうなずいた。
「何十人 (註:その村だけの話、省では3百万人) も、餓死したぞ」
「麦の収穫は、三割あったはずでしょう?   なぜ餓死したの?」

おじは、ぼくを睨みつけた。
「おまえは小作料を払わんのか?   軍糧は払わんのか?   租税は払わんのか?
田畑を売ったって、まだ足りんかった。 たとえ餓死せんでも、お役所に殴り殺されるさ!」


31〜32頁
一九四三年一月一七日に書かれた「預災実録」より

△現在、木の葉は食べ尽くされ、村の出入り口にある杵と臼では、連日、
落花生の皮や楡 (にれ) の皮をつき、それを蒸して食べる
・・・
△最近、私は、どの被災者の顔もむくみ、鼻孔と目尻が黒ずんでいることにあらためて気づいた。
最初は飢えによる症状だと思い込んでいたが、後になって、「黴花(ばいか)」
と呼ばれる野草の毒にあたって、むくんでいるのだと知った。・・・
「旦那、こんなものさえ、もうねえよ! おれたちはみんな食っちまって、
歯も顔も手も足も痛いほど痺れちまってるぜ!」
・・・
△河南では、原始の物々交換の時代に戻った。女子どもを売ろうとしても買い手がないので、
自分の若い嫁や十五、六歳の娘は、ロバの背中に乗せて、河南省東部の駄河、周家口、
界首などの人売りの市場まで連れて行き、娼妓として売った。
一人売っても、四斗の穀物も買えない。
・・・


46頁
しかし、食糧徴発計画は変わらなかった。

45〜46頁

農民に課せられた軍糧は実際の必要を上回っていた。 中国軍隊において長い歴史があり、
今も依然として横行している慣例では、上級組織にたいして報告する部隊の人数は水増しされる。
こうして彼らは水増し報告によって支給された人件費を着服し、私利を貪るのである。
洛陽の公開市場に山積みされている穀物は、このようなルートを経たものである
・・・

楡の皮や乾いた木の葉を食べる被災民が、彼らの最後の食糧である種子を納税機関に渡すことを余儀なくされた。
虚弱な身体で、ほとんど歩けないような農民も、軍隊に軍馬の飼料を納めなければならなかった。
これらの飼料は、彼らが自分の口に押しこむものより、ずっと栄養価値の高いものであった。


47頁
重大なのは、これらの被災民を統治する何人もの役人が、この災難を利用して、金儲けのチャンスを狙ったことである。
アメリカの記者、ホワイトは、ある部隊の司令官が部隊の余った食糧を被災民に売りつけ、
大儲けしたことを、その目で確かめている。
西安と鄭州から来た商人、政府の木っ端役人や軍の士官、そして、食糧を手にして儲けている地主らが、
しきりにあくどい低価格で農民の祖先が残してきた田畑を買いあさっていた。

――――

中国のすさまじい所は、国民の苦痛など顧みない所だろう。
これでは、優しい日本軍に寝返るのは当然だろうね。

Re: 全然、再反論してないくせに

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/27 20:59 投稿番号: [18583 / 41162]
>瑕の入ったレコードみたいですなぁ…。だから、厚生省に提出されたときにはすでに拘束を解かれたあとだったし、「極秘」扱いだから国民党を意識する必要もないんですよ。国民党の目をはばかって修正したところがあったのならもとに戻せば良かったんです。


説明済み。
岡村寧次にとって蒋介石は自分や部下たちの命の恩人であり、恩を仇で返す支那人みたいな真似ができるわけがないから、帰国後岡村は「白団」を組織して1949年から長年にわたり蒋介石の国民党政権に協力した。
そもそも、岡村は南京戦当時は満州に居て南京のことなど知るわけがないのだ。



>だいたい、国民党に遠慮したというのなら、なぜ「殺戮」の数字が「30万」になってないんですか?   おかしいじゃないですか。南京軍事法廷の判決を否定してますよ?   これをどう説明しますか?


南京軍事法廷の「殺戮」の数字が「30万」って本当なの?
ベイツは東京裁判で30万人大虐殺などとは言わず、騙し易いように市民1万2千人大虐殺を主張した。
だから、岡村が4〜5万と言っても、おかしくはない。
最近は、共産支那でさえ、30万人説を放棄しようとしている。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12924615.html



>ほんとに『南京戦史』読んだことあるわけ?


俺は一部しか読んでない。
オマエは全部読んだのか?!
ん?

Re: ウソと断定するのは、もう少し待ちまし

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/27 20:45 投稿番号: [18582 / 41162]
>>そうではなく、ちゃんと質問に答えろよ。

>あなたこそちゃんと質問に答えなさいよ。知らないのに×にしたんですか?


オマエが最初に答えなきゃならないんだよ。

その名簿って、いつ、どこで、誰が作ったの?
人数は何人?



>武器を捨てて投稿してきたので投降を受けいれた場合にそれを「捕虜」と表現し、それを縛ることを「捕縛」と表現してもまったくおかしくはない。


そのとおりだ。
日本軍は投降兵のことを非公式な呼び方で「捕虜、俘虜」と呼んでいた。
投降兵であれば状況に応じて殺しても合法なんだよ。



>その根拠は?   だいたい、攻略戦の最終段階でもはや「投降兵」を殺害する「軍事的必要」なんて存在しないと思いますが?


オマエがそう思っても、その時、その場に居た日本軍がそう判断したのだ。
オマエに分かるわけがない。



>そんなバカなことはもちろん認めない。市民殺害は第十軍法務部陣中日誌など日本側資料にも記録されているし、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録がある(秦郁彦の『日本人捕虜』でもご覧になってはいかが?)。


第十軍法務部陣中日誌などに、日本軍による市民殺害が記録されているなんて知らん。
何と記録されているか示してくれ。
「知らないのに市民虐殺がゼロ(0人)だったなんて言ったんですか?」などと馬鹿なことは言うなよ。
「ある」と言ってる方がある物を示すのが最初だ。
同じく、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録は、いったい、どのようにあるのかね?
本当に国民党軍の話か?

犠牲者名簿といい、市民虐殺の記録といい、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵の記憶といい、どうして、「ある」とだけ言って、いつも具体的に示さないのだ?

Re: 中国人を救った日本軍 <3

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2007/05/27 19:07 投稿番号: [18581 / 41162]
は〜?

確か、ニュースとして出ていたんだが?何の検証もせず、唯喚いているキチ外としか思えない。

Re: 中国人を救った日本軍 <3

投稿者: totoro_ootoro3 投稿日時: 2007/05/27 18:31 投稿番号: [18580 / 41162]
>みんなウソ。   あなたの書いた事はみんなあとからのコジツケです。

お主、ウソと言うならそれなりの納得する資料や詳しい説明はないのか?
それが出来ないならお主の頭の中は洗脳されてるだけだ。

Re: 中国人を救った日本軍 <3

投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/05/27 18:14 投稿番号: [18579 / 41162]
>みんなウソ。   あなたの書いた事はみんなあとからのコジツケです。   だから中国人に感謝されない。

あくまでも汪兆銘南京国民政府の存在を否定したいみたいだな。
南京戦の後、汪兆銘南京国民政府はあったんだよ。
それも日本の植民地じゃなく日本が大正デモクラシで導入した世界でもとっとも民主的な普通選挙制度でね。
まぁ、南京国民政府の普通選挙制度では独裁共産支那は感謝しねかも知れんがね。

社会秩序が再建された南京
東京大学文学部人文社会系研究科博士論文
汪政権による「淪陥区」社会秩序の再建過程に関する研究
中国人留学生   曽支農
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=34
本論で扱う汪政権とは、日中戦争期に日本側の支持を得て、1940年3月30日に「重慶から還都南京」という形で成立し、日本の敗戦に伴って1945年8月16日に滅亡した、「和平反共救国」を唱える汪兆銘を首班とした「中華民国国民政府」(「汪兆銘南京政府」とも言う。中国側は同政権を「汪偽政権」と称している)である。同政権は、中国全土を治める中央政権として樹立されたが、戦争状態が続く中で、実際に支配した地域は日本軍占領区、言わば「淪陥区」(同時期に国民党重慶政府と共産党が支配した地域は、それぞれ「国統区」・「抗日根拠地」と称す)であった。
  この汪政権は、中国近・現代史においても、また日中関係史研究の分野においても、その際立った特色の故に、具体的に、かつ正面から史的考察を加えられるべき価値を有するものと認められるにもかかわらず、抗日戦争を勝ち取った国民党蒋介石陣営と中国共産党に日本の「傀儡政権」と断罪された「盖棺論定」(棺をおおいて事定まる)的な政治的評価の影響と、その政治的評価に都合のいい史料しか公開が許されない事情があったため、従来検討されることが少なく、また典型的に政治的な評価が先行していたと思われる研究分野の一つである。

Re: 中国人を救った日本軍 <3

投稿者: kanbaku9999 投稿日時: 2007/05/27 17:54 投稿番号: [18578 / 41162]
みんなウソ。   あなたの書いた事はみんなあとからのコジツケです。   だから中国人に感謝されない。   感謝しないのはけしからん、などと怒ってもそれは無理。   多い時で200万近い大軍隊を送って中国大陸で破壊、略奪、強姦を繰り広げたのです。   インフラのどうのと言うのは空しいのです。   やったとしたら、それは日本の為だっただけ。   本当に中国の為にやったのなら、頼まなくても感謝されますよ。

Re: 中国人を救った日本軍 <3

投稿者: sada5ro 投稿日時: 2007/05/27 01:23 投稿番号: [18577 / 41162]
◆   近代中国の農民の貧困を救った日本軍(3)

・それ以外にも日本は、発電所や港湾など、さまざまなインフラを建設しながら、中国社会を再建復興させた
  中国は有史以来、内戦解決を常に外力に依存してきた
  昔は、中国人に代わって中華世界を救出したのが、外力である北方の遊牧民族だった
  唐以降の遼、金、元、清といった異民族の征服王朝がそれで、これらは漢人王朝と交替で中華世界を支配した
  そして20世紀の中華世界の混乱を収拾したのが、やはり異民族である日本だった

  ところが中国人の歴史観は、そのような王朝の皇帝を「児皇帝」とからかうのである。つまり異民族、夷狄の力に依存したとして侮蔑するのである
  20世紀の満州国や汪兆銘の南京政権は、日本との提携で脱内戦を図ったことから、やはり日本の傀儡と罵倒されているのも同じことである。

  中国は日中戦争の8年間に感謝しなければならないのは明らかだろう。そして、どう歴史を掘り起こしても「三光」のような掠奪はまったく出てこない。それは中国人自身が、同胞に対してやったことである。

黄 文雄
「反日教育を煽る中国の大罪」より要約



------------------------------------------------------------------ -

◆   日本軍は,侵略を目的としていたか

  蒋介石のオーストラリア人顧問、W・H・ドナルドがルソンの日本軍捕虜収容所から解放されたあとのインタビュー(New York Times,1945/1/25)で語ったところによると、日本は1938年から1941年の間に「12の和平提案」を行なっている。
  日本側の条件は中国側に「有利」なものだった、という。つまり、日本の要求は、満州国の独立の承認、華北の経済と開発に関する何らかの権利、「外蒙古から及ぶロシアの影響力の伸長を阻止するための内蒙古の政治的調整」だけだった。ドナルドは「日本はこれらの提案の中で、領土的要求はいっさいしていない」と語っている。

  ・・・真珠湾以前のアメリカの公式資料には、これとほぽ同じ内容の日本の公式声明が記録されている。


・・・ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」より

------------------------------------------------------------------ -
日清戦争以後,日本は条約に基づき支那にいくつも工場を建て,中国人の雇用も促進していたが,中共(コミンテルン)は無知な農民や国民を騙してただただ生産を妨害することばかりしていた

いまだに,満足な生産活動が行なえない中共

毒入りの○○を世界中にばら撒き,環境対策も無い生産活動,共産主義なのに経営者がいて,環境対策費より罰金が安上がりと言う第一級の資本家の考え
炭鉱の災害防止より,賠償費のほうが安いと対策を行なわない責任者
利益第一の立派な資本主義だ

Re: 中国人を救った日本軍 <2

投稿者: sada5ro 投稿日時: 2007/05/27 01:23 投稿番号: [18576 / 41162]
◆   近代中国の農民の貧困を救った日本軍(2)

・日本人は、事変勃発前から中国の農民の窮状に関心を持っていた
  1937年(昭和12年)1月の衆議院では、社会大衆党書記長麻生久が、「北支経済工作に関しては農民大衆の福祉を招来する如き方策を講ずることが、この目的達成のため緊要である」と強調
  近衛文麿首相も「今後は支那民衆の心を把握することでなければ東洋平和の確立、しいては日支両国の提携はできない。支那は農業国であるから支那農民と結び、農業の発展に我国が手伝うことはきわめて必要だ」と答えた
  日本では、貴族宰相も無産階級の指導者も、農民対策が中国占領政策の鍵であると認識していた

・また日本は中国農村経済の近代化のため並々ならぬ心血を注いだ
  その一つに「合作社運動」がある
  合作社は日本の農協と産業組合を併せたような機能を持っていた
  村落間の抗争の仲裁から、教育、技術指導、文化活動、公共事業への寄付をも含め、無秩序な農村を経済的に組織化することを図った
  当時の中国の農民は合作社の意味を解するほど教育レベルが高くなく、さしたる効果が得られないまま終戦を迎えた
  もしこれがその後も継続されたなら、台湾、朝鮮、そして満州同様、農民の文化レベルは向上し、食糧問題の解決にも大きく貢献したはずである
  このように、(日本が侵略し奪ったというが)奪われるものはなにもなかった中国の農民を、日本は根底から支え、救出した


◆   日本軍は150年続いた中国の内戦を終結させた

  もう一つの大きな貢献は、・・・(省略)

(最後の部分だけ)
  支那事変・日中戦争は、国民党の討伐を避けるために、日本軍を戦争に引き込んだ共産党の謀略の成功
  しかし,日本軍が引揚げると、たちまち国共内戦は再燃した


◆   物価の安定、インフラ建設で中国社会を再建復興させた日本

・日本が東アジア、つまり東亜の新秩序を再建した
  19世紀から20世紀にかけての東アジアは殺し合いの世界
  難民の噴出や飢饉と、あらゆる秩序が崩壊し、人びとは不幸のどん底
  当時の中国というのは、どこへ行っても匪賊だらけ、強盗だらけの社会
  その匪賊だらけの社会とともに内戦が激化していった

  これが日中戦争が始まり(日本軍が進出す)ると一転
  秩序を乱したのは中国のゲリラ
  各地には治安維持政府が作られて治安が回復し、物価も安定してきた
  150年間にわたる中国の秩序崩壊、あるいは東アジアの秩序崩壊から新たな秩序を構築して物価の安定を実現した

  実際、日本軍あるいは南京政府が支配している地域では物価が安定して財政もうまくいっていた
  一方、蒋介石の重慶政府と延安政府は搾取、それこそ搾りとるような強烈な搾取で、不安定だった
  インフラ建設を着々と進めたのは南京政府のほうだった

  これは物価を見れば非常にわかりやすい
  当時のお米1石は、終戦当時「汪精衛政権時代」で110〜130元だった
  が、蒋介石政権が入ってくるとわずか8ヵ月足らずで5万元に跳ね上がる
  このようなインフレで経済状態が安定するはずもない
  一方、日本は8年間戦争をしたとされながらも、実際に戦闘があったのは、1年四ヵ月ていど
  その後も、確かにゲリラなどの小競り合いはあったものの、物価は安定を見ている
  しかし、日本軍が去って政府が変わると、とたんに再びインフレと秩序の崩壊が始まる
  この歴史的事実、真実を見なければならない

  日中戦争の8年間、日本は戦争状態にありながらも、河北だけでも1000キロ近い鉄道を作った
  中国の建設や開発は鉄道の敷設が絶対条件で、「鉄道は実業の母」との認識は広く持たれていた
  が、中華民国建国後の軍閥内戦、国民党内戦で鉄道は各勢力に接収され、軍事上の輸送機関として濫用されただけでなく、軍閥に売上げを押さえられて軍費捻出の財源とされ、建設どころか荒廃の一途をたどっていった

・ロドニー・ギルバートの『中国の誤りとは何か』によると、
  「軍閥が介入したことにより、鉄道は財政的にも物質的にも惨めな状態に陥った
  車両や機械の損失は計り知れず
  歳入は軍閥に略奪され
  借款の支払いや鉄道の改良は論外となった
  鉄道を維持運営する資金も底をつき、路盤は悪化した
  鋼鉄製の特急が通る主要幹線に沿って歩いていると、腐った枕木からレールの犬釘が指で引き抜けるほどになっていた」

(つづく)

Re: 中国人を救った日本軍 <1

投稿者: sada5ro 投稿日時: 2007/05/27 01:23 投稿番号: [18575 / 41162]
> 一九四三年、日本人は河南の被災地区に入り、わが故郷の人々の命を放ったのだ。
> ・・・
> 彼らはわれわれにたくさんの軍糧を放出してくれた。

> われわれは皇軍の軍程を食べて生命を維持し、元気になった。・・・
> われわれは、・・・生き延びるために、乳を与えてくれる者は誰でも母親とみなした。
> 日本の軍糧を食べ、国を売り、売国奴となったのだ。

いろいろな事実が,中国の農民を救おうとしたのは日本だったことを示しています

---------------------------- -
◆   近代中国の農民の貧困を救った日本軍(1)
黄 文雄   「反日教育を煽る中国の大罪」より要約


・日本軍は支那事変勃発翌年の1938年(昭和13年)10月に武漢を攻略、大規模な軍事行動は終結

・それ以降は「日満支共栄圈」を打ち立てるため、占領地の経済建設に乗り出す

・当時、日本政府が発表した「重大声明」
  「帝国の冀求する所は東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設にあり、今次征戦究極の目的亦此に存す。この新秩序の建設は日、満、支三国相携え政治、経済、文化など各般にわたり互助連環の関係を樹立するをもって根幹とし、東亜における国際正義の確立、共同防共の達成、新文化の創造、経済結合の実現を期するにあり」

(共産主義に対する防衛を明確に打ち出している,アメリカのルーズベルトなどがとった馬鹿な政策と違う・・・中共が目の敵にする理由)

・日本による、中国の近代建設が着手された
  中国を近代国家に押し上げるというもので、従来中国人自身がなし得なかった、雄大そのものの構想だった―――それは思いつきでも冒険的行為でもなく、また「侵略」の野心の糊塗などでもない
  すでに日本人は台湾、朝鮮、満州で近代化に成功し、それと同じことを中国でも行なおうとした

・このように、日本が中国に対して行なったのは、実は侵略ではなく貢献であった
  日本軍が来る以前と以後の農民の生活を見れば、すぐわかる。日本軍が近代中国の農民を救った

・日中戦争前の中国農民は、実に悲劇的な状態におかれていた
  当時は中国人の90%近くが農民だったにもかかわらず、食糧は外国からの輸入に頼っていた
  もちろん、それがすべての農民にいきわたるわけもなく、食糧不足による餓死者は毎年続出、満州事変当時の中国・西北地方では、1930〜32年の3年間で餓死者だけでも1000万人に上った。それ以降も毎年100万人単位で餓死者が出ていた
  水害と旱魃が繰り返され、毎年ほぼ1000万人単位で被災者が出ていた
  満州事変の直前の1928〜30年の西北大飢饉においては、ことの重大さを認識した日本政府が調査団を派遣しているが、それによれば、37県で土地を離れた婦女は100余万人、売られた婦女は70余万人に上っている。
  『中国災荒史記』(孟昭華編、中国社会出版社、1999年)によれば、日中戦争が始まる1937年までの自然災害は77回に上るという。


◆   中国占領政策の鍵を農民対策と認識していた日本

・当時の農民はさまざまな国から救援を受けてきたが、最終的に彼らを救ったのは、間違いなく日本軍である
  単に食糧援助をするのではなく、綿の栽培や農作物の改良といった農業政策を展開
  自力更生を実現する支援を行なった
  中国共産党のように掛け声と人民の苦闘の奨励による自力更生ではない
  そのための基盤整備を担った
(つづく)
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