Re: 中国人を救った日本軍 <1
投稿者: sada5ro 投稿日時: 2007/05/27 01:23 投稿番号: [18575 / 41162]
> 一九四三年、日本人は河南の被災地区に入り、わが故郷の人々の命を放ったのだ。
> ・・・
> 彼らはわれわれにたくさんの軍糧を放出してくれた。
> われわれは皇軍の軍程を食べて生命を維持し、元気になった。・・・
> われわれは、・・・生き延びるために、乳を与えてくれる者は誰でも母親とみなした。
> 日本の軍糧を食べ、国を売り、売国奴となったのだ。
いろいろな事実が,中国の農民を救おうとしたのは日本だったことを示しています
---------------------------- -
◆ 近代中国の農民の貧困を救った日本軍(1)
黄 文雄 「反日教育を煽る中国の大罪」より要約
・日本軍は支那事変勃発翌年の1938年(昭和13年)10月に武漢を攻略、大規模な軍事行動は終結
・それ以降は「日満支共栄圈」を打ち立てるため、占領地の経済建設に乗り出す
・当時、日本政府が発表した「重大声明」
「帝国の冀求する所は東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設にあり、今次征戦究極の目的亦此に存す。この新秩序の建設は日、満、支三国相携え政治、経済、文化など各般にわたり互助連環の関係を樹立するをもって根幹とし、東亜における国際正義の確立、共同防共の達成、新文化の創造、経済結合の実現を期するにあり」
(共産主義に対する防衛を明確に打ち出している,アメリカのルーズベルトなどがとった馬鹿な政策と違う・・・中共が目の敵にする理由)
・日本による、中国の近代建設が着手された
中国を近代国家に押し上げるというもので、従来中国人自身がなし得なかった、雄大そのものの構想だった―――それは思いつきでも冒険的行為でもなく、また「侵略」の野心の糊塗などでもない
すでに日本人は台湾、朝鮮、満州で近代化に成功し、それと同じことを中国でも行なおうとした
・このように、日本が中国に対して行なったのは、実は侵略ではなく貢献であった
日本軍が来る以前と以後の農民の生活を見れば、すぐわかる。日本軍が近代中国の農民を救った
・日中戦争前の中国農民は、実に悲劇的な状態におかれていた
当時は中国人の90%近くが農民だったにもかかわらず、食糧は外国からの輸入に頼っていた
もちろん、それがすべての農民にいきわたるわけもなく、食糧不足による餓死者は毎年続出、満州事変当時の中国・西北地方では、1930〜32年の3年間で餓死者だけでも1000万人に上った。それ以降も毎年100万人単位で餓死者が出ていた
水害と旱魃が繰り返され、毎年ほぼ1000万人単位で被災者が出ていた
満州事変の直前の1928〜30年の西北大飢饉においては、ことの重大さを認識した日本政府が調査団を派遣しているが、それによれば、37県で土地を離れた婦女は100余万人、売られた婦女は70余万人に上っている。
『中国災荒史記』(孟昭華編、中国社会出版社、1999年)によれば、日中戦争が始まる1937年までの自然災害は77回に上るという。
◆ 中国占領政策の鍵を農民対策と認識していた日本
・当時の農民はさまざまな国から救援を受けてきたが、最終的に彼らを救ったのは、間違いなく日本軍である
単に食糧援助をするのではなく、綿の栽培や農作物の改良といった農業政策を展開
自力更生を実現する支援を行なった
中国共産党のように掛け声と人民の苦闘の奨励による自力更生ではない
そのための基盤整備を担った
(つづく)
> ・・・
> 彼らはわれわれにたくさんの軍糧を放出してくれた。
> われわれは皇軍の軍程を食べて生命を維持し、元気になった。・・・
> われわれは、・・・生き延びるために、乳を与えてくれる者は誰でも母親とみなした。
> 日本の軍糧を食べ、国を売り、売国奴となったのだ。
いろいろな事実が,中国の農民を救おうとしたのは日本だったことを示しています
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◆ 近代中国の農民の貧困を救った日本軍(1)
黄 文雄 「反日教育を煽る中国の大罪」より要約
・日本軍は支那事変勃発翌年の1938年(昭和13年)10月に武漢を攻略、大規模な軍事行動は終結
・それ以降は「日満支共栄圈」を打ち立てるため、占領地の経済建設に乗り出す
・当時、日本政府が発表した「重大声明」
「帝国の冀求する所は東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設にあり、今次征戦究極の目的亦此に存す。この新秩序の建設は日、満、支三国相携え政治、経済、文化など各般にわたり互助連環の関係を樹立するをもって根幹とし、東亜における国際正義の確立、共同防共の達成、新文化の創造、経済結合の実現を期するにあり」
(共産主義に対する防衛を明確に打ち出している,アメリカのルーズベルトなどがとった馬鹿な政策と違う・・・中共が目の敵にする理由)
・日本による、中国の近代建設が着手された
中国を近代国家に押し上げるというもので、従来中国人自身がなし得なかった、雄大そのものの構想だった―――それは思いつきでも冒険的行為でもなく、また「侵略」の野心の糊塗などでもない
すでに日本人は台湾、朝鮮、満州で近代化に成功し、それと同じことを中国でも行なおうとした
・このように、日本が中国に対して行なったのは、実は侵略ではなく貢献であった
日本軍が来る以前と以後の農民の生活を見れば、すぐわかる。日本軍が近代中国の農民を救った
・日中戦争前の中国農民は、実に悲劇的な状態におかれていた
当時は中国人の90%近くが農民だったにもかかわらず、食糧は外国からの輸入に頼っていた
もちろん、それがすべての農民にいきわたるわけもなく、食糧不足による餓死者は毎年続出、満州事変当時の中国・西北地方では、1930〜32年の3年間で餓死者だけでも1000万人に上った。それ以降も毎年100万人単位で餓死者が出ていた
水害と旱魃が繰り返され、毎年ほぼ1000万人単位で被災者が出ていた
満州事変の直前の1928〜30年の西北大飢饉においては、ことの重大さを認識した日本政府が調査団を派遣しているが、それによれば、37県で土地を離れた婦女は100余万人、売られた婦女は70余万人に上っている。
『中国災荒史記』(孟昭華編、中国社会出版社、1999年)によれば、日中戦争が始まる1937年までの自然災害は77回に上るという。
◆ 中国占領政策の鍵を農民対策と認識していた日本
・当時の農民はさまざまな国から救援を受けてきたが、最終的に彼らを救ったのは、間違いなく日本軍である
単に食糧援助をするのではなく、綿の栽培や農作物の改良といった農業政策を展開
自力更生を実現する支援を行なった
中国共産党のように掛け声と人民の苦闘の奨励による自力更生ではない
そのための基盤整備を担った
(つづく)
これは メッセージ 18573 (anti_mainas_shikou さん)への返信です.