尖閣諸島は日本の領土である
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彭佳嶼之風光発電
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/23 21:20 投稿番号: [61 / 61]
これは メッセージ 1 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 京大井上教授の所論に反論す 88、89
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/16 19:06 投稿番号: [60 / 61]
物を作成して、各方面に配布宣伝している。
また去る3月には、東京の日本国際貿易促進協会も井上論文を援用して、中国側の主張を支持するという態度を表明したと、新聞は報じている。私は結論から先に言うならば、井上教授の主張は根本的に誤りであり、それが延いては国民に大きく誤解を及ぼしているのではないかと思う。さらにこれによってひき起こされた一連の領土問題の動きは、連鎖反応的に国民の誤解を深め、そして国際間の問題解決をより困難な方向に導いているように思えて、甚だ遺憾に堪えないものがある。とくに地元石垣市の住民として、その思いは切実なるものがある。
果して尖閣列島の日本領有は侵賂占領したものであるか?そしてそれはいうところの根拠のないものであるのか?果たして井上教授の主張は正当であるのか?これらの諸点を明らかにするために南島の色々の領属の歴史を調査し、記述してみたいと思う。但しここでいう南島とは、古く琉球国の勢力下にあった大島以南の各島と、台湾を併せて指すこととした。
離島の入貢
珠球は三山争乱以前は、舜天以来一応の統一王国を形成していた。当時沖縄島に近接する島々は既に王国の勢力圏内にあったと思われるが、球陽の記録によれば久米島・座良間・伊平屋の三島は、英祖王5年(1264年)はじめて入貢した。大島は英祖王7年(1266年)に入貢。この時英祖王問うて曰く「隔海の殊地素より我が政令の及ぶ所にあらず何ぞ来貢をなすや」
官古・八重山の入貢
宮古・八重山は14世紀の後期頃までは、未だ入貢していなかった。遠く海を隔てた両群島はおのおの独立の酋長国を形成していた。然し久米島を通じて三山で最も勢カがあり、交易の便利もある中山と連絡していたようである。
元中七年(一三九〇年)に至り、宮古
・ハ重・山は揃って中山に入貢した。両
降の入貨については、当時の宮古の支
wfハセFIIメャ
配者与那覇勢頭豊見親の先導によるも
のであるが、当時ハ重山には政治的な
支配者はおらなかりたようで、球陽に
1
八瓜山ノ宇武登嶽ノ神ハ宮古山平凪
地ノ神卜素コレ兄弟ナリ翁シテ往来
聘間スーレー一由リソノニ神相共二確
議シテ毎年款ヲ納メテ誠ヲ輸ス
とあり、当時のハ重山は醇乎たる祭政
の時代で、神を祭る司祭者が政治面の
こともとりしきっていたものと推測さ
れる。かくて先島二島も琉球国の勢力
團内に入ったのである。
然し明治五年(一八七二年)明治政府
が、琉球王国を廃して琉球藩となした
ことについて、中国情朝は「琉球を旧
態に復せよ」と異議を唱えた。これに
端を発して当時のアメリカ前大統領グ
ラントが調停に乗り出し、その結果日
本紋府は宮古、ハ重山二群島を分割、
惰国に割譲することに決定した。然し
清国側の事情によって批准はー送られ
立消えとなった。歴史上これを先島問
靭とよぷ。
与那国島の所属
八重山.か中山に入貫した一三九〇年
当時の八重山の範囲は石垣・西表阿大
島の外に、竹富・黒島・新城小浜・
鳩間・波照問・多良間の各島と、その
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Re: 京大井上教授の所論に反論す 88、89
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/16 11:51 投稿番号: [59 / 61]
物を作成して、各方面に配布宣伝して
いる。
また去る三月には、東京の日本国際
貿易促進協会も井上論文を援用して、
中国側の主張を支持するという態度を
表明したと、新聞は報じている。
私は結論から先に言うならば、井上
教授の主張は根本的に誤りであ9、そ
れが延いては国民に大きく誤解を及ぼ
しているのではないかと思う。さらに
これによってひき起こされた一連の領
土問題の動きは、連鎖反応的に国民の
誤解を深め、そして国際間の問題解決
をより困難な方向に導いているように
思えて、甚だ遺憾に堪えないものがあ
る。とくに地元石垣市の住民として、
その思いは切実なるものがある。
果して尖閣列島の日本領有は侵賂占
價したものであるか?そしてそれは
いうところの恨昂のないものであるの
り?1f『‐しで1卜’‐酋’。況JK硲″綺惣叱’ち‐で
あるのか?
これらの諸点を明らかにするために
南島の色々の領属の歴史を調査し、記
述してみたいと思う。但しここでいう
南島とは、古く琉球国の勢力下にあっ
た大島以南の各島と、台湾を併せて指
すこととした。
離島の入貢
珠球は三山争乱以前は、舜天以来一
応の統一王国を形成していた。当時沖
縄島に近接する島々は既に王国の勢力
圖内にあったと思われるが、球陽の記
録によれば久米島・座良間・伊平屋の
三島は、英祖王五年(こ一六四年)はじ
めて入貢した。大島は英祖王七年(一
二六六年)に入貢。この時英祖王問う
て曰く
隔海ノ殊地素ョジ我ガ歌令ノ及プ所
ニアラズ何ソ来貢ヲナスヤ
官古・八重山の入貫
宮古・ハ重山は十四世紀り後期頃ま
では、未だ入貢していなかった。遠く
海を隔てた両粁島はおのおの独立の雪
長国を形成していた。然し久米島を通
じて三山で最も勢カがあり、交易の便
利もある中山と連絡していたようであ
元中七年(一三九〇年)に至り、宮古
・ハ重・山は揃って中山に入貢した。両
降の入貨については、当時の宮古の支
wfハセFIIメャ
配者与那覇勢頭豊見親の先導によるも
のであるが、当時ハ重山には政治的な
支配者はおらなかりたようで、球陽に
1
八瓜山ノ宇武登嶽ノ神ハ宮古山平凪
地ノ神卜素コレ兄弟ナリ翁シテ往来
聘間スーレー一由リソノニ神相共二確
議シテ毎年款ヲ納メテ誠ヲ輸ス
とあり、当時のハ重山は醇乎たる祭政
の時代で、神を祭る司祭者が政治面の
こともとりしきっていたものと推測さ
れる。かくて先島二島も琉球国の勢力
團内に入ったのである。
然し明治五年(一八七二年)明治政府
が、琉球王国を廃して琉球藩となした
ことについて、中国情朝は「琉球を旧
態に復せよ」と異議を唱えた。これに
端を発して当時のアメリカ前大統領グ
ラントが調停に乗り出し、その結果日
本紋府は宮古、ハ重山二群島を分割、
惰国に割譲することに決定した。然し
清国側の事情によって批准はー送られ
立消えとなった。歴史上これを先島問
靭とよぷ。
与那国島の所属
八重山.か中山に入貫した一三九〇年
当時の八重山の範囲は石垣・西表阿大
島の外に、竹富・黒島・新城小浜・
鳩間・波照問・多良間の各島と、その
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Re: 京大井上教授の所論に反論す 87
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/15 22:11 投稿番号: [58 / 61]
はじめに
この二〜二年東支那海に石油資源が賦存するということに端を発して、尖
閣列島の領有問題が内外の注日を浴ぴ論議されている。まず1970年夏、台湾の国民政府は大陸棚条約に関連して、尖閣列島の領有権を主張し、かつ1972年2月に領土編入の上、宜蘭県に属せしめたと報道されている。また中華人民共和国の北京政府も1970年12月領有権を主張した。これに関連して中国学生などが香港・アメリカでテモを行なったという報道もあった。日本の国会でもしばしば論議され、その都度日本政府は「領有権問題と東支那海の大陸棚問題の二つは、全く異る問題である。即ち領有については、尖閣列島は日本
固有の領土であり、いかなる政府とも交渉をもつべき筋合いのものではない。」とくり返し答弁してきた。
本問題に関し国士館大学奥原助教授は、1970年9月及び1971年5月、その歴史的、国際法的立場から詳細に解明して、日本の領土であることを諭証した、長文の論文を発表した。ところかこのような騒然たる情勢下に、1972年2月京都大学の井上清教授は、奥原論文をへりくつとし、事実に反するとして反論し、「釣魚列島(尖閣列島)などは、中国領である。」と結論した。この論文を承けて返還間近の沖縄では、日本中国友好協会(正統)沖縄県本部理事長・大城昌夫なる人物が、「侵略占領したものは返還すべきである」という、特大ゴジック大見出しの印刷
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京大井上教授の所論に反論す 87
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/15 21:16 投稿番号: [57 / 61]
はじめに
この二圭二年束支那海に石油資源が
賦存するということに端を発して、尖
閣列島の領有問題が内外の注日を浴ぴ
論議されている。
まず一九七〇年夏、台湾の国民敦府
は大睦棚条約に関遮して、尖閣列島の
領有権を主張し、かつ一九七二年二月
領士編入の上、宜蘭県に属せしめたと
報道されている。
また中華人民共和国の北京政府も一
九七〇年十二月領有権を主張した。こ
れに関連して中国学生などが香港・ア
ゞリカでテモを行なったという報道も
あった。
日本の国会でもしばしば論継され、
その都度日本政府は
領有権問題と東支那海の大陸棚問題
の二つは、全く異る問嗣である。即
ち領有については、尖閣列島は日本
固有の鯛土であり、いかなる政府と
も交渉をもつべき筋合いのものでは
ない。
とくり返し答弁してきた。
本問題に関し国士館大学奥原助教授
は、一九七〇年九月及び一九七一年玉
月、その歴史的、国際法的立場から祥
細に解明して、日本の領土であること
を諭証した、長文の論文を発表した。
ところかこのような騒然たる情勢下
に、一九七二年二月京都大学の井上攘
教授は、奥原論文をへりくつとし、事
実に反するとして反論し
釣魚列島(尖閣列島)などは、中国
恢である。
し・結除した。
この除文を承けて返還間近の沖縄で
は、口本申国友好協会(正統)沖縄県
本鄭理事長大城昌夫なる人物が。「侵
略占頼したものは返還すべきである」
というヽ特大ゴジック大見出しの印刷
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琉球新報 1917年
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/12 20:22 投稿番号: [56 / 61]
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国史館と档案館
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/05 23:20 投稿番号: [55 / 61]
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尖閣「宣伝」に補助金 国家安全会議が承認
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/03 21:27 投稿番号: [54 / 61]
<台湾>尖閣「宣伝」に補助金
国家安全会議が6月承認
毎日新聞 10月2日(日)20時36分配信
【台北・大谷麻由美】台湾総統府直属の国家安全会議が6月、尖閣諸島(沖縄県)に対する台湾の領有権意識を高める教育・宣伝活動を強化するため、台湾の民間団体「中華保釣(尖閣防衛)協会」に補助金60万台湾ドル(約150万円)の提供を承諾したことが分かった。中華保釣協会は尖閣諸島への上陸を目指して出航を繰り返し、昨年も日本の排他的経済水域に入るなど挑発行為を続けており、台湾当局に対する日本側の不信感が高まりそうだ。
野党・民進党の立法委員(国会議員)が9月26日に公表した国家安全会議の資料によると、補助金は「正確な」台湾と尖閣諸島の関係を宣伝するためのもの。中華保釣協会の「長期支援制度」を創設することも規定した。協会のほか、教育部(教育省)や大学などに計315万台湾ドル(約800万円)を提供することも決めた。
国家安全会議が承諾した時期は、尖閣諸島が沖縄県の一部とされた日米の沖縄返還協定調印から40年の記念日(6月17日)で、中華保釣協会などが活動を活発化させるとみられていた。
協会の黄錫麟総幹事は台湾メディアに「補助金は全く受け取っていない」と否定している。
国家安全会議は台湾の安全保障政策を決定する機関。尖閣諸島については台湾も領有権を主張している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111002-00000039-mai-int
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沖縄県統計書 大正8年版
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/02 15:38 投稿番号: [53 / 61]
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なぜ朝鮮人は嘘をつくのか
投稿者: maotaoton_001 投稿日時: 2011/09/26 16:31 投稿番号: [52 / 61]
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Re: 尖閣諸島は日本の領土である
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/09/23 18:45 投稿番号: [51 / 61]
瞰
暾
轇
韜
蠔
晡
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劉暁波「中国政府に操られた反日デモ」(4)
投稿者: maotaoton_001 投稿日時: 2011/09/20 10:43 投稿番号: [50 / 61]
3.内外を区別する操られた宣伝パターン
最も明らかな操作は、マスコミの報道である。今、中国における体制の下で、多くの重要な都市で大規模なデモが発生するのが、間違いなく珍しいホット・ニュースである。従って、世界の各大手新聞社は、目立つところにこのニュースを載せ、そしてたくさんの写真、取材、また論評を添えたが、中共政権は、そのとき、国内のメディアに反日風潮への報道を抑えるよう、という指令を下した。それによって、中国のメディアは、反日風潮に対して沈黙を守っているので、まるで何も起こらなかったようだ。新華社がこれについていくつかの短いニュースを発信したが、他のテレビ、ラジオ、新聞はこれについての報道が何もなされなかった。各サイトも沈黙を保ち、政府筋のサイトとテーマ別のサイトには何の報道もなかった。一部の有名な民間掲示板にも、それに関連する情報も少ない。国内のメディアより開放度の高い香港の鳳凰衛視テレビ局も関連する報道はほとんどなかった。
しかし、新華社の外国のメディアに提供する英文の報道原稿は、より詳しくデモの詳細を紹介した。またこれらの報道は、反日運動に参加者の人数と中国人の反日感情を誇張するねらいもあると思われる。例えば、新華社の16日の英文の報道原稿は、上海のデモ参加者数は10万人に上った、と言ったが、AP、AFP、BBC、そして日本のメディアなどの外国の中国に駐在する数社のメディアの報道した反日運動に参加者数は、少なくて数千人、多くとも2万人くらいだ、と報道された。
このような内外の区別する宣伝パターンは、明らかに国内の安定のためだが、またこの事件を国際的に注目される焦点とする意図もある。また、これによって、中共政権は民意とデモの権利への尊重を示したが、日本の「常任理事国入り」を阻止する目的を果たすため、現政権の外交政策は、民意からの強い支持を得ているのだと示すことができた。
これは中国のマスメディアの最も悲しいことである。すべての国際で注目されている中国に関するホット・ニュースは、ただ中国のメディアは、ほとんど「局外に立つ」また「何の関心を示さない」。中国国内で起こった事件について、ニュースの価値があればあるほど、中国のメディアは、取材の席をはずさざるを得ない。しかし、これは決してただ政権によるものではない。各メディアとメディアのスタッフの従順さによるものである。彼らは自ら進んで「代弁者」を務め、積極的に、或は仕方がなく独裁体制に協力しているのであろう。政府は、これらの街頭活動をすでに恩典をもって許したのに、メディアはなぜ報道しないのだろうか。もしも、国内数十社のメディアがこれを同時に報道すれば、中共の宣伝部はなすすべもないだろう。
4.恩典で許された話題と勇気―偽りの民意
中国では、民衆の公共活動への参与が厳しくコントロールされている環境なので、国のことも「話していいもの」と「話してはいけないもの」に厳密に分けられる。時事政治のことに関心を持っている人たちは、大体ただ「話していい話題」と「やれること」に関して、自分の「国を憂い、民を憂う」気持ちを表すだけである。しかし、反米・反日・反台湾独立の愛国主義は、当面の間、政府と民衆の両方から認められた、唯一の「政治的に正しい」ものになった。また、これは唯一、自由に話題にし、そして制限されたものであるが行動できる「重大な国事」である。従って、独占されている代弁者に誤って導かれ、また恐怖の政治に圧制されている愛国者たちは、ただこの絶対に「政治的に正しい」国事への関心をもって、自分の国を憂い、民を憂う「社会的責任感」を表明するだけである。日本製品をボイコットしている若い世代や中産階級の管理層の人たちも、これによって「恩恵で許された勇気」を最大限に発揮できる。 しかし、操られた民意は、いくら猛烈でも、やはりこれは偽の民意である。政治の恐怖を充満されている舞台で操られた愛国の団体運動は「誠意のある」うわべだけの親切に導かれざるを得ない。海の向こうにしか発することができない喊声は、ただ用意周到に計算された勇気にすぎない。特に、あのような投石という形で反日を訴える人々は、卑しいほど気が弱いのである。
2005年4月18日、北京の自宅で。
これは メッセージ 49 (maotaoton_001 さん)への返信です.
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劉暁波「中国政府に操られた反日デモ」(3)
投稿者: maotaoton_001 投稿日時: 2011/09/20 10:41 投稿番号: [49 / 61]
2.反日デモをコントロールする規模と強さの類似性
大都市の反日デモは、参加人数、反日の方式、そして行為の強さの面で見れば、ほとんど同じである。
第一に、反日デモの中心的役割を担った大都市の参与人数は、北京、上海、そして広州のように、大体1〜2万人の範囲内にコントロールされていることだ。他の都市では、数千人の範囲内にコントロールされている。
街頭反日運動が発生する前のネット上の運動は、反日デモの規模を観察する参考になる数字と見なしてもいいだろう。ネット上の反日運動への署名者は、二千八百万人に上ったので、署名した氏名のその多さから、閲覧者は大いに意気軒昂したであろう。しかし、各都市でのデモ参加者の人数は、多くても2万人だった。この二つの活動の参加者数は、比較にならないほど違いがある。前者は、後者の1,400倍であり、その大きな格差から、信憑性が疑われても当然である。
第二に、デモで掲げた横断幕に書かれたスローガンは、ほとんど同じであることだ。例えば、「我が中華を愛し、日本の常任理事国入りに反対しよう」「新版歴史教科書に抗議、釣魚島(尖閣諸島)を守ろう」「日本の謝罪を求めよう」「日本製品をボイコットしよう」などである。
第三に、各都市の反日デモの強さも基本的に同じであることだ。日本の国旗と小泉の画像を燃やすほか、抗議活動において、ある程度の暴力行為を取り入れている。例えば、石、瓶などのものを投げたり、日本大使館などの建物の窓を壊して、道中日本の車、日本のレストラン、そして日系企業の公告看板を壊したりする。最も深刻な暴力行為は、デモと違っているところで行われた。二人の日本大学生はあるレストランで、人にビールの瓶と灰皿で頭部を殴られた。
これらの暴力行為は、人を殴る事件を除いて、他の行為はすべてデモのとき発生したものである。
ニューヨーク・タイムズ社北京駐在事務所の主任・周看氏の報道は、「政府による操作」の存在を証明した。ある北京のデモに参加した学生は、周看氏の取材を受けるとき、次のように語った。警察はデモ参加者をグループで分けて、彼らに順番で石を投げさせ、その後、警察は彼らに「お前はもう怒りを晴らした。もういい」と言いながら、観光バスで彼らを学校に運んだ。この学生は記者に「これは半分はデモですが、半分は政治的パフォマンスでした」と言った。彼は自分が操り人形のような存在だと語った。
また、中共の政権は、一貫して権力への恐怖を醸し出した。彼らは、反日デモの拡大を放任すると同時に、反体制者や反日活動にかかわる人へのコントロールを強めた。中共は、敏感な時期に入ると、「敏感な人物」を厳しくコントロールすると同時に、一部の反日愛国の民間組織のリーダーに何度か分けて郊外に「休日を過ごさせ」た。例えば、中国民間保釣(尖閣諸島を守る)連合会、愛国者同盟ネット、日本製品をボイコットする連盟などの伝統的な反日団体の責任者を数回に分けて北京郊外にある会議センターへ送り込んで、中で彼らに水泳、ボールなどの遊びをさせ、外出を許さなかった。
これは メッセージ 48 (maotaoton_001 さん)への返信です.
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劉暁波「中国政府に操られた反日デモ」(2)
投稿者: maotaoton_001 投稿日時: 2011/09/20 10:39 投稿番号: [48 / 61]
1.反日デモを操る中心地とその順番
今まで、中国における反日風潮における二回のピークは、ともに南北の二大都市地域などが中心的な役割を果たしている。ピークはその都度二日で続いて、それに次いでいるのが、政府からの警告である。
第一弾のデモは、南北の二大重要な都市によって遂行された。4月9日の風潮は、政治の中心である北京で遂行されたが、十日のデモは、珠江三角洲という経済の発達した地域の重要な都市である広州と深せんである。
このデモが終わった後、インターネットで貼り出された第二弾の反日デモの呼びかけに対して、北京市公安局は、14日に次のような警告を発した。デモをしようとするとき、関係機関に申し出をしなければならないが、「関係機関からの許可をもらわなかったデモに対して、法的に責任を追及する」果たして、その後北京ではデモが起こったことがなかった。
第二弾の反日デモも南北のいくつかの都市によって遂行されたのである。日本の外務大臣が訪中する前の4月16日、長江三角洲にある経済の中心である上海と北の大都会の天津などのところで、同時にデモが起こった。17日、北の遼寧省の行政府の所在地である瀋陽及び四川省の行政府の所在地である成都などの地域でデモが発生した。
デモが終わった後、上海市役所のスポークスマンの焦揚は間もなく次のように警告した。「集会、パレード、デモを行うとき、“中華人民共和国集会、パレード、デモに関する法律”により、公安機関に申請して、許可を得て……許可されなかったデモには参加してはいけない」。上海市公安局はこれと同時に次のように宣告した。「デモに紛れ込んでいる極めて少数の違法な人物を逮捕した」「法律に従って厳しく処罰を与える」。
同じところ、中共の最大の政府代弁者である人民日報は4月17日、「調和の社会を築くことから安定の問題を見据える」という論評を発表した。これは訒小平のいつもの論調を次のように再び繰り返した。「中国の問題は、安定が絶対に必要だ。安定した環境がなければ、何もできず、すでに手に入れた成果も失う可能性もある」。デモに対して沈黙を守っている三大ニュース・サイトは、この論評をニュース・ページの目立ったところに置いた。
最も矛盾していることは、政府筋からの公告の発表時間である。北京と上海は、ともにデモが終わってから警告を発表したが、二回の反日デモを呼びかける情報は、インターネットですでに広がっていた。ある意味で、これは事前に公にした「デモ」である。政府が知らないわけがない。なぜ政府はデモの前に警告せず、デモの後で発表したのか。これは明らかに、ある程度の規模での街頭反日運動が必要だが、またある程度の規模と時間内で抑えてほしい、ということであろう。
また、香港の「明報」紙18日日付の報道によれば、中共の首領である胡錦濤は、自ら日本に刺激を与える鹿瀬委のある、軍側の検討会をやめるよう命じた。
北京と上海の地方当局から発する警告、そして党の首領の自らの命令によるメッセージは明確である。これは、街頭の反日運動がここで終了し、第三弾のピークはもうない、ということである。
これは メッセージ 47 (maotaoton_001 さん)への返信です.
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劉暁波「中国政府に操られた反日デモ」(1)
投稿者: maotaoton_001 投稿日時: 2011/09/20 10:37 投稿番号: [47 / 61]
劉暁波
「中国政府に操られた反日デモ」(1)
原題:「被官方操控的反日風潮」
「大紀元」翻訳グループ
訳
「大紀元」日本ネット2005年4月31日掲載(原文BBC4月20日掲載)
--------------------------------------------------------------------------------
本来、デモ自体が厳しく制限されている中国でこのほど、20以上の省の約40都市にわたって反日デモが起こったことは、確かに珍しいことだ。さらに目立ったのは、三大都市の北京、広州、上海の政治的安定を守るのが、これまで通り中共に最重要視されていることだ。中共は、これらの都市で大規模な政治的街頭活動が発生するのを最も恐れている。平時には、数人、さらに一人のデモさえも許さないはずであるが、今はこの三大都市で、デモ行進があるのみならず、規模も一万人以上だった。
世論は、今回の反日風潮は政府筋に操られているものだと疑っているが、中共の政府関係者は、これに関する質問及び指摘に対しては、堂々と否認している。
大陸における反日風潮は、日本からの強烈な抗議を引き起こしたと同時に、海外におけるマスメディアからの注目を浴びている。これに関連する追跡報道やホット・コメントが相次いで出た。イギリスのガーディアン紙はこれを「火山の大爆発」と表現した。さらに「反日の波が激しい勢いで中国全土にわたった」という騒動を大きくするニュース・タイトルも出てきた。しかし、コントロールを失うことを懸念している人も少なくない。私が受けた海外の取材の中で、ほとんどの記者は、次のような質問を出している。「中国政府が反日風潮へのコントロールを失う可能性はあるとみていますか」。
私に言わせれば、中国の反日風潮は、「激しい勢い」はなく、「コントロールの失う」までに至る可能性もない。なぜかというと、中共の現政権は反日風潮のリズム、プロセス、強さ、そして規模をしっかりとコントロールしているからだ。
無論、すべてが密かに行われている中国では、外部が確実な証拠を出すことは難しいが、我々は注意深く今回の反日風潮にある現象を分析すれば、やはり微かな手がかりを見つかることができる。
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台湾省通志稿
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/09/12 08:52 投稿番号: [46 / 61]
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魚釣島上陸の記録
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/09/06 19:16 投稿番号: [45 / 61]
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尖閣諸島が中国領ではない5つの理由
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/09/03 18:52 投稿番号: [44 / 61]
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李登輝 尖閣は日本領土
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/08/30 03:41 投稿番号: [43 / 61]
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民進党党首 尖閣は台湾領土
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/08/22 20:52 投稿番号: [42 / 61]
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Re: 尖閣諸島は日本の領土である
投稿者: maotaoton_001 投稿日時: 2011/08/19 14:33 投稿番号: [41 / 61]
UP
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ボアソナード「台湾は無主の国」
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/08/13 20:36 投稿番号: [40 / 61]
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Re: 日清講和と尖閣列島の地位 P35
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/08/08 10:23 投稿番号: [38 / 61]
いたった。日本側は、これにも承服せず(四・一〇)季鴻
章によれば、伊藤から両次の最後通牒を受け(清暦三・二
〇、新暦四こ四電){―}、総理衛門も、それならやむをえない
と回訓する始末で(清三■二て新四・)五)(£、結局領土
条項に関するかぎり、遼東方面で、若干縮少したほか、台湾、
その附属諸島及び泌朗列島の割譲については、わが方の原
案どおりに決定し、講和条約は、両国全権により署名され
た(明治ニハ、一八九。五・四・一七、光緒二丁Ξ・二三)〔3〕。
田甲‘q吠争l蜘μ、前鴎、二I九頁
師同上
咄外交文書、罰掃、ΞΞi買以―、第一〇八】号乃奎第一〇八九号
率鴻章も、本国政府にたいし、講和条約の成立について
報告した(光緒二了三。二七、)八九五・四こ二)i}。
困中口交渉支科、を一‘一八、一八!、第二九八圖号
清暦で「光緒二十一年三月九日(一八九五・四こ一)とい
えぼ、まだ講和条約は成立していない。この日に、日本人
が寧遠州所属の釣魚台に上睦して、食橡を買ったとの記録
がある。これにたいして清帝は、軍機処(軍機大臣)を通
じて、山海関内外各軍の統制にあたっている欽差大臣劉坤
一にたいし、事情を査明tよとの諭旨を発した。紬旨が発
せられたのは、すでに講和条約が署名、調印された後のこ
とである(光緒二丁四■五、一八九五・四二九)。釣魚島上陸
問題は、一部隊の指揮者の奏上した報告によるのであるが
その内容は、『Ξ月九日、倭人が寧州所属の釣魚台海港に
上陸し、食物を購買して、即時憤遭した』というものであ
る(5)。
㈲中日交酔史料、咎四〇、匹()葉、鮪Ξ○四一i.
同じことは、攘朝実録にも記録されているー。
叫大柳徳俐景皇lllSgir ll11六五、四I
ここに釣魚台とは、尖閣列島に柿当する地城ではない。
その所属する寧遠州は、皐天省の所嵐であり、そのことは
大学士管理吏部を通じて、主事王栄先等が行なった呈文で
司らかにされている(光緒二I’四■七、一八九五・五・一)。
王栄先は、ほぼ講和条約の逐条的検討を行ない、領土割策
条項(第二灸)に関連して、右のとおり指攘している?)。
哨中u交s史6、前掲、巻s一、四案、lごこ七一(鮒件ご
三中国の各地に散在する釣魚台
今まで述べたことを通観すると、日本の尖閣列島編入に
関する閣鏃決定があってからニカ月余後に、日惰講和談判
は聞始されたこと、摯判中は、尖閣列島の地位については
何ら問題とされていないこと、たまたま中国側のいう釣魚
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Re: 日清講和と尖閣列島の地位 P34
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/08/08 10:22 投稿番号: [37 / 61]
如外SISt sS IIIllISSS.業九八〇号及び晰真峯。申日交渉史科、前
晩巻】『』・‐、一→i奥以下、第二豆九七今乃至禁ニ六〇ニ号(出i大脈蜃羞、孤支
癩奎電瓦件、尤Iこ一・一・こ一。て八九笠■一7一笠−!)
消国政府は、改めて大学士匯隷総督李鴻章を貧席全権に
任命し完全な全権委件状を与えて、日本に減遣した。かく
て彼我の全楡は、下関春帆啖で、第一回会見、各全権委任
状の査閲も、簡単に終りた(一八九五・Ξ・二〇)(7)。尖閣
列島に関ナるわか閣議決定よりニカ月余後のことである。
帥中日交I吏料、吻崎きミ六、IMS“S11A七一一一号〔乖鴻零朱竃、光匍一一
一一二こ一瓦2八九五・〕『7一一こ。外交文書、許捲、{一八八頁、第一〇ニー一号
’諮一向会台、贋叫全後より休歌驀厦}
二下関講和談判と領土割譲問題
李降章は、木国政府にたいナる第一電(前汪第二八七Ξ号)
で、六、七日前、軍隊輸送船多数が馬関を出港、約五千人
の兵員が畠湖、台湾に向ったとの情報を探知したが、真否
のほどは遼束方面の軍惰報で確められたいとて、本国当局
の注意を喚起している。
李全権が凶漢小山豊太郎の銃弾を受けて負傷した事件が
あり、わが方は、それまで李が強く要望していた休戦協定を
紬び(一八九五・・三・三〇)、さらに拳李の講和条件提示の
嘔求に答えて、日本側の草案を率の許に届けた(四■一)。
草案には領土条項として、旧逡東半島とともに、帥台湾金
島とその附属諸島、閲彫閤列島、すなわち東経}{九度乃
至こ一〇度及ぴ北緯二Ξ度乃至二西度の間にある諸島の割
譲が要求された(a).条約案は、李全権から知理衛凹に卵
告された(光練ニ了竺・七、一八九五‐S’IM‐1‘
i 4gM書.第一一八一1鮪ニ限.竺笠一頁、節一〇七八号
恂甲午蛾事電報録{中圏内乱外誦房史家f S1110r gSgSf
x
an4
年}一一〇六瓦以下
台湾、膨湖島の割譲要求については、これより前から、
涛国内では、すでに予想し、これに反対する立場から、強
い関心が示されていた。いよいよ日本の揖和条約草案で、
それが提示されるとともに、清国ではこれにたいする反対
が強まった。ところでこの台湾問題と関連して、尖閣列島
の地位が間屈となったか否か、それについて見ることとし
よう。尖閣列島は、清国では、釣魚台といわれたのである
から、当時の公文記録をひもどく場兪には、この固有名詞
を念頭におかなければならない。
清国全権がβ本全権に提出した臍国側の草案には、價土
割譲条項はなく2八九五・四’五)しかし日本側の態度が強
硬なため、その修正提案(四・九提示)では、台湾とその附
属諸島を除き、池湖列島については、わが原案を聡めるに
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Re: 日清講和と尖閣列島の地位 P33
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/08/08 09:21 投稿番号: [36 / 61]
館を通じて、直接日本にたいし、講和を提議するよう要求し(11月17日 ダンの国務省報告)グレシャム長官は、ワシントン駐在清国公使揚儒にたいして、その旨伝えた(11月20日)。揚儒も、アメリカ政府が日清間の講和を勧め、速やかに使節を派遺して、兵を息めるようにとの意向である旨、本国政府に打電報告した(光緒20年11月)。
foreign relations of the United States, 1894 Appendix Ⅰ pp.76 外務省蔵版、日本外交文書、第27巻、第2冊、489頁以下、第811号以下。清季外交年鑑(清季外交史料附刊之四)巻1、11月(48葉)
かくて清国政府は、北京駐在デンビー臨時代理公使及ぴ東京駐在ダン公使を介して、全権名を通告して来た(1894年12月20日、デンビーよりダンあて電報)。これに先きだち、張蔭桓、邵友漉両全権の日本派遣に関する清国皇帝の日本天皇あて国書も作成された(光緒20年12月4日、1894年11月30日)。但しこれは全権委任状ではない。ついで清帝は、両全権にたいし、『会商の事件、有ゆる応に議すべき各節、凡そ日本の請ふ所は均しく随時電奏せしむ』との上諭を発した(光緒20年12月10日、1985年1月5日)。このような制約があっては、果たして全権の名に価するかの問題となる。
(2)日本外交文書、前傾、540頁、第869号
(3)清光緒朝中日交渉料、巻27(光緒20年)18葉、第218号
(4)同上、28葉、第2205号、清季外交年鑑、前揚、第1冊、巻1、49葉12月の条
日本が閣議決定により、尖閣列島を沖縄県の所瞎として標杭を建てることにしたのは、これより間もなくのことであった(閣議決定は、明治28年・1895年1月14日)張蔭桓邵友漉等清国全権団が上海出港、海路長崎、馬関、神戸、
宇品経由、会議地の広島に到着したのは、それより17日後のことである(1月31日)。
(5)旅途につき、中日交渉史料、巻29、35葉第2347号(張蔭桓等来電1、光緒20年12月28日 = 1895年1月23日)40葉、第2359号(張蔭桓、張蔭桓来電、光緒20年12月30日 = 1895年1月25日)。日本外交文書、第28巻第2冊、227頁、第967号(1895年1月23日)及び第968号(1月24日)231頁、第972号(1月28日)第974号(1月30日)
日本政府は、清国両全権が正規の仝権委任状を携行せず全権の資格がないことは、両全権の広島到着以前、これを察知して外交経路を通じて、関係国政府に通達したのであるが(1月30日)、果して日本全権伊藤博文(首相)、陸奥宗光(外相)は、初次の会見で(2月1日)清国全権の提示した国書は、いずれも全権委任状ではなく、また全権の委任を示すものではないとして、これを返戻し、和議に入ることを拒絶した。かくて清国両全権は、広島を出発し(2月4日)、長崎より帰国の途についた(2月12日)。
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尖閣抗議デモ・田母神閣下の檄文
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/03 02:51 投稿番号: [35 / 61]
■尖閣抗議デモ・田母神閣下の檄文(2010年秋)
頑張れ日本全国行動委員会会長の田母神です。
皆さん、尖閣諸島は現在も、そして歴史的に見ても
我が国の領土です。
かつて尖閣諸島には我が国の鰹節製造工場などがありました。
我が国は尖閣諸島を実効支配していたのであります。
中国は歴史的に見て
一度も尖閣諸島を実効支配したことはないのです。
しかし国連の調査で尖閣諸島周辺に貴重な海底資源があることが
わかった途端に1971年から中国は尖閣諸島の領有を主張し始めたのです。
1960年までに中国が作った世界地図では、尖閣諸島が日本領であることを
中国自身が認めているのです。
我々は今、我が国固有の領土である尖閣諸島を守ることが必要です。
9月7日には尖閣諸島周辺海域で、中国の不埒な漁船が
海上保安庁の巡視船に体当たりしてきました。
何故こんなことが起きるのか。
漁船は中国政府の意を受けてやってきているからです。
皆さん、あの船長は中国海軍の海軍大佐なのです。
『お前、体当たりして来い。日本の巡視船に逮捕されるかも
しれないけど、日本政府に圧力をかけて必ずお前を助け出してやる。
帰ってきたらボーナス弾むから』
などと言われてやって来ているに違いありません。
あんな船、銃撃して沈めたらいいんです。
そうすれば 2度と来ないのです。
それをやると戦争になるという人がいます。
どこの国でも国際法に基づいて国土の警備をしているのです。
銃撃があったから直ちに戦争になったことなどありません。
通常は 5百人や千人の人間が殺されても
中国政府が騒ぐこと
などありません。あの国はもともと人権無視の国ですから。
それが船長一人を取り返すためにあれほど騒ぐのは、
何か政治的目的があってのことなのです。
日本政府は、我が国の法に基づき毅然とした対応をすべきなのです。
しかしまたしても、我が国は腰砕けの対応をして、
法的手順も経ることなく船長を帰還させてしまいました。
こんなことを繰り返していては我が国の権益はどんどん侵され、
やがて尖閣諸島はおろか沖縄本島までも中国に支配されてしまいます。
皆さん、今こそわれわれ保守派の日本国民の意思を
日本、中国の両国政府に届けることが必要です。
これまでは集会やデモといえばサヨクの専売特許みたいなものでした。
しかし、ここまで日本政府が左傾化してしまった今、我々保守派が
サイレントマジョリティだけであってはいけないと思います。
わが国政府には腰を据えて
中国の日本侵略に立ち向かってもらわなければ困ります。
そういう意味で、本日ここに、これだけ多くの皆さんに
お集まりいただいたことは、大変意義のあることだと思います。
日本は素晴らしい国です。
この素晴らしい国を子供や孫の世代に、素晴らしいままで
残してやることこそ我々に課せられた使命であると思います。
皆さん、頑張りましょう。
.
これは メッセージ 34 (ajisai110701 さん)への返信です.
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Re: 田母神氏が激白 、これは情報戦争
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/03 02:48 投稿番号: [34 / 61]
−−有事とはどういうことか
「直接的な戦争ではないにせよ、尖閣問題を契機に、
史上最大級の高度な情報戦争を仕掛けられた。
ウソ、デマ、ねつ造。ありとあらゆる情報を駆使して相手国を追い込み、
自国の富を引き寄せるのは国際社会では当たり前の駆け引き。
政府は、旧自民党政権時代から、こうしたシビアな状況下で、
『国家国民の富を守る』という覚悟が欠如している。
尖閣問題を機に、国民もその事実に目を向けて、怒りを行動で示すときだろう」
−−尖閣問題の切り札になるビデオも11月1日に衆参予算委の理事が
視聴することになったが、一般には実現していない
「ビデオの非公開は“人質”になったフジタ社員の釈放の引き換え条件に
なった可能性が高い。
日本が、抑止力としての軍事バランスの均衡がとれていないことに
つけ込まれた側面がある。初期対応としては即時に公開すべきだった」
−−それにしても、日本は中国にやられっぱなし
「まともに取り合う必要はない。
日本人の反中感情が高まると、(日本人による中国製品の不買運動などで)
窮地に立たされるのは中国政府。
反日デモも、すぐに矛先が(中国)当局に向かい、これを恐れ、
中国政府は取り締まりを強化するだろう。
中国国民も共産党のご都合主義を見抜き、自由のありがたみを噛みしめるはずだ」
.
これは メッセージ 33 (ajisai110701 さん)への返信です.
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田母神氏が激白 、これは情報戦争
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/03 02:47 投稿番号: [33 / 61]
田母神氏が激白
中国に史上最大級の情報戦争を仕掛けられた
2010.10.31 00:00
産経ニュース
“草食系国家”になった日本を、市井の立場から牽引する田母神氏。
もはや「有事」であると冷静に語った
東南アジア諸国連合(ASEAN)
関連会議でベトナム訪問中の菅直人首相と、中国・温家宝首相との
日中首脳会談は29日、中国側の拒否で中止となった。
依然として続く沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件の余波。
中国では反日運動が収まらず、今週末も各地のデモなど緊張感が高まっている。
一方、日本では、元航空幕僚長で軍事評論家の田母神俊雄氏(62)が
先頭に立って抗議運動を展開している。
田母神氏の目に事態はどう映るのか、直撃した。(聞き手・小川健)(夕刊フジ)
−−田母神氏が会長を務める「頑張れ日本!全国行動委員会」が今月2日、
東京で行った抗議集会には3000人もの人数が集まった。
31日にも名古屋で抗議集会を予定している。中国も敏感に反応すると思うが
「そんなことは想定の範囲内。
ただし、彼ら(中国)のデモと日本のデモは異なる。
われわれは100%“民製”で、中国国民や中国国旗の尊厳を傷つけたりはしない。
あくまで日本国民の怒りや憤りを行動で示している。
だが、あちらは100%“官製”。
尖閣や反日を利用し、共産党や指導部が、(自分たちへの)不満の矛先を変えている。
海上保安庁に拘束された船長も人民軍の意を受けた工作員。
まともに取り合っては、中国の思うツボになる」
−−思うツボとは
「尖閣での漁船衝突事件をみてもわかるように中国の情報戦略は、
第1段階として、問題がない事象に言いがかりをつけ、
第2段階で国をあげて騒ぎたてる。
第3段階で、懐柔策として問題の棚上げを提案し、
結果的に問題自体を既成事実化する」
−−いまはどの段階か
「第2段階にあたる。民衆の扇動を(日本が)深刻に受け止めた時点で、
たちまち問題を既成事実化する。(日本政府は)絶対に引っかかってはいけない」
−−23日に開幕した東京国際映画祭では、中国が台湾の表記をめぐり
「中国台湾」にしろなどと噛みつき、台湾人女優が開会式に出席できなかった
「イベントの主催者や監督はなぜ台湾人女優を出さなかったのか。
巨大な中国市場からの締め出しを恐れて黙殺したのなら、彼らに芸術や文化
としての映画を語る資格はない。非常に残念な出来事といっていい」
−−官製デモの勢いはますばかり
「習近平・国家副主席が共産党中央軍事委員会副主席に選出(18日)
されるのとタイミングを一にして、内陸部の都市で3日連続の大規模な
デモが起きた。日中関係が修復に向けて動き出したときだっただけに、
反日的な彼の意向が強く反映されたとみて間違いない。
(習氏は)人民軍とつながりが深く、今後、指導部への影響力が強まることが
懸念される。日中関係は、すでに『有事』と考えるべき」
つづく
これは メッセージ 32 (ajisai110701 さん)への返信です.
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野口健さんのメッセージです。
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/03 02:37 投稿番号: [32 / 61]
★野口健さんのメッセージです。
モグラすら守れない政府に国民守れるのか
「尖閣諸島の魚釣島にはセンカクモグラをはじめ、
固有の動植物が多数確認されています。
しかし人為的に持ち込まれたヤギが繁殖したことによって、
生態系が危機的な状況に陥っています。
このような状況にもかかわらず、領有権に関する問題から
上陸調査は長いこと行われてはおらず、
生態系保護のための現状の把握すらなされていません。
今月、私は『センカクモグラを守る会』を立ち上げましたが、この会は、
我が国固有の領土である尖閣諸島に生きる動植物を守ることが目的です。
まずは現状把握のために上陸調査の要請を政府に行っています。
モグラすら守れない政府に国民守れるのか、と私は思います。
声をあげ続ける事が大事だと思います。
以上になります。宜しくお願い致します。
.
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本当の尖閣 海上保安庁1−6
投稿者: machiko_0225 投稿日時: 2011/08/01 09:02 投稿番号: [31 / 61]
これは メッセージ 1 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 日清講和と尖閣列島の地位 P33
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/30 22:27 投稿番号: [30 / 61]
館を通じて、直接日本にたいし、講和を提議するよう要求し(11月17日 ダンの国務省報告)グレシャム長官は、ワシントン駐在清国公使揚儒にたいして、その旨伝えた(11月20日)。揚儒も、アメリカ政府が日清間の講和を勧め、速やかに使節を派遺して、兵を息めるようにとの意向である旨、本国政府に打電報告した(光緒20年11月)。
foreign relations of the United States, 1894 Appendix Ⅰ pp.76 外務省蔵版、日本外交文書、第27巻、第2冊、489頁以下、第811号以下。清季外交年鑑(清季外交史料附刊之四)巻1、11月(48葉)
かくて清国政府は、北京駐在デンビー臨時代理公使及ぴ東京駐在ダン公使を介して、全権名を通告して来た(1894年12月20日、デンビーよりダンあて電報)。これに先きだち、張蔭桓、邵友漉両全権の日本派遣に関する清国皇帝の日本天皇あて国書も作成された(光緒20年12月4日、1894年11月30日)。但しこれは全権委任状ではない。ついで清帝は、両全権にたいし、『会商の事件、有ゆる応に議すべき各節、凡そ日本の請ふ所は均しく随時電奏せしむ』との上諭を発した(光緒20年12月10日、1985年1月5日)。このような制約があっては、果たして全権の名に価するかの問題となる。
(2)日本外交文書、前傾、540頁、第869号
(3)清光緒朝中日交渉料、巻27(光緒20年)18葉、第218号
(4)同上、28葉、第2205号、清季外交年鑑、前揚、第1冊、巻1、49葉12月の条
日本が閣議決定により、尖閣列島を沖縄県の所瞎として標杭を建てることにしたのは、これより間もなくのことであった(閣議決定は、明治28年・1895年1月14日)張蔭桓邵友漉等清国全権団が上海出港、海路長崎、馬関、神戸、
宇品経由、会議地の広島に到着したのは、それより17日後のことである(1月31日)。
(5)旅途につき、中日交渉史料、巻29、35葉第2347号(張蔭桓等来電1、光緒20年12月28日 = 1895年1月23日)40葉、第2359号(張蔭桓、張蔭桓来電)、。
日本外交文書、第二
八巷附。蔚、nll¥g、笛九六七号(一八九一n一一・二I己及び舘九六八号2
(一・ほ)一。一=一頁。隋九七二号(一■二八)第九七匹号2・三〇)
日本政府は、清国両全権が正規の仝権委任状を携行せず全権の資格がないことは、両全権の広島到着以前、これを察知して外交経路を通じて、関係国政府に通達したのであるが(1月30日)、果して日本全権伊藤博文(首相)、陸奥宗光(外相)は、初次の会見で(2月1日)清国全権の提示した国書は、いずれも全権委任状ではなく、また全権の委任を示すものではないとして、これを返戻し、和議に入ることを拒絶した。かくて清国両全権は、広島を出発し(2月4日)、長崎より帰国の途についた(2月12日)。
これは メッセージ 28 (senkaku_islands さん)への返信です.
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田坂広志 内閣官房参与の発言
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/30 22:27 投稿番号: [29 / 61]
「原子力政策の在り方を根本的に変えない限り、原発再稼動に国民の了解は得にくいでしょう。新増設ができなければ2050年ごろには、自然になくなっていく。早晩「原発に依存できない社会」が到来するのです。そうであるならば、短期的に埋蔵電力と省エネルギー、長期的には自然エネルギーに取り組まなければならないと思います」
菅首相は、原子力政策に関しては田坂官房参与の話だけ聞いて、役人や他の専門家の話は聞いていないようです。
これは メッセージ 1 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 日清講和と尖閣列島の地位 P33
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/28 19:40 投稿番号: [28 / 61]
館を通じて、直接日本にたいし、講和を提議するよう要求し(11月17日 ダンの国務省報告)グレシャム長官は、ワシントン駐在清国公使揚儒にたいして、その旨伝えた(11月20日)。揚儒も、アメリカ政府が日清間の講和を勧め、速やかに使節を派遺して、兵を息めるようにとの意向である旨、本国政府に打電報告した(光緒20年11月)。
foreign relations of the United States, 1894 Appendix Ⅰ pp.76 外務省蔵版、日本外交文書、第27巻、第2冊、489頁以下、第811号以下。清季外交年鑑(清季外交史料附刊之四)巻1、11月(48葉)
かくて清国政府は、北京駐在デンビー臨時代理公使及ぴ東京駐在ダン公使を介して、全権名を通告して来た(1894年12月20日、デンビーよりダンあて電報)。これに先きだち、張蔭桓、邵友漉両全権の日本派遣に関する清国皇帝の日本天皇あて国書も作成された(光緒20年12月4日、1894年11月30日)。但しこれは全権委任状ではない。ついで清帝は、両全権にたいし、『会商の事件、有ゆる応に議すべき各節、凡そ日本の請ふ所は均しく随時電奏せしむ』との上諭を発した(光緒20年12月10日、1985年1月5日)。このような制約があっては、果たして全権の名に価するかの問題となる。
卯日本外交文嘴前掃、五屈oヌ、第八六九号
4柵禿羞塀呻日交乖火料、・一←七(光錯ニ〇年)‘ハ罵!一一ハ’勿
哨月h、一尺葉、第ニニ○笠号、柵季外交年鑑、前揚、第一冊、巻一、囚九集
一一。9の条
日本が閣鏃決定により、尖閣列島を沖縄県の所瞎として
標杭を建てることにしたのは、これより間もなくのことで
あった(閣縫決定は、明治二八、一八九五・一・一四)張蔭桓
那友瞭等清国全権団が上海出港、海路長崎、馬関、神戸、
宇品経出、会議地の広島に到着したのは、それより十七日
後のことである(丁=二){5}。
叫旅途にっき、中a交渉史料、巻一一九、ヨ五集第二Ξ四七号(張陰桐等葦獲一、
光緒二〇・こ7二八、{八九五一一一一一Ξ}赳0妻、第こ二五九号’嘸筆唄、
同友一坐電、元闘こ〇■一二こ二〇。一八九五■一こ一瓦}。日本外交文書、第二
八巷附。蔚、nll¥g、笛九六七号(一八九一n一一・二I己及び舘九六八号2
(一・ほ)一。一=一頁。隋九七二号(一■二八)第九七匹号2・三〇)
日本政府は、清国両全権が正規の仝権委任状を携行せず
全権の資格がないことは、両全権の広島到着以前、これを
察知して外交経路を通じて、関係国政府に通達したのであ
るが(一■三〇)果して日本全梅伊藤博文(首相)陸奥宗
光(外相)は、初次の会兄で(二I一)梢国全権の提示した
国茜は、いずれも全権委任状ではなく、また全権の委任を
示すものではないとして、これを返戻し、和議に入ること
を拒絶した(6)。かくて情国両全権は、広島を出発し
(ニ・四)長綺より号国の途についた(ニこニ)。
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Re: 日清講和と尖閣列島の地位 P32
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/26 20:50 投稿番号: [27 / 61]
一
領土編入の決定と講和の時期
人江
啓四郎
日清講和交渉段階で、またはこれに関連して、尖閣列島に相当する中国名釣魚台列嶼に関する事項が散見するか否か、またその名か出没したとしても、それか今日日本と中国の間で問題とされている諸島と同一物であったか否かを検討して見よう。尖閣列島また釣魚台列嶼の領土的帰属に関しては、日清講和交渉の資料だけで全的に決定されるものではなく、他の関係資料や解説も、十分参照されなけれぱならない。それにも関らず、問題の一面として、以下では専ら日清講和関係資料に限定して見るのであるか、その出発点として、アメリカ政府による講和周旋から始めることとする。それは日本による尖閣列島の先占か、どのような時期に行なわれたかの時代的背景を知ることとなるからである。
日清戦争も、ようやく終局的段階に近づいた頃、アメリカの国務長官ウォーター・グレシャムは、北京駐在自国臨時代理公使チャールス・デンビー及ぴ束京駐在公使エドウィン・ダンを通じて、講和のため、日清両国政府にたいして、周旋を行ないたい旨申入れた(主要な経過だけを誌せば1894年11月6日付、グレシャム長官より各デンビー及ぴダンあて釧電、清国政府への通告、11月10日、ダンは、11月8日訓電を接受したが、当日、陸奥外相は、広島大本営へ向け出役、よって林次官に同訓電内容を通達、広島へ転電方依頼。伊藤首相、睦奥外相は相伴って、11月14日帰京、11月15日、ダンの外相訪問)。日本政府は、清国政府が北京駐在アメリカ公使
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Re: 日清講和と尖閣列島の地位 P33
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/25 07:37 投稿番号: [26 / 61]
館を通じて、匯接日本にたいし、講和を提継するよ・ワ要求
し(一丁一七、ダンの国務省報告)グレシヤム長官は、ワ
シントン駐在清国公使揚儒にたいして、その旨伝えた()
】■ニ〇)。揚儒も、アメリカ歌府が日清間の講和を勧め、
速やかに使節を派遺して、兵を息めるよ・っにとの意向であ
る旨、本国敦府に打電報告した(光緬二〇年一一月)T)。
(=lyllllls lslslisll af lil Usltla Stltll. ISdAll~abl
pp.71 4tl蔵版、日木外交文贋第一一七粉3第二冊、四八九頁以T、笛ハ
ー一号以F.漕季外交¥檻(溝季外交史料附刊之涸)巻一、十一河(同ハ葉)
かくて湾国政府は、北京駐在デンビー臨時代理公使及
ぴ東京駐在ダン公恍を介して、全権名を通告して来た(一
八九回こ二こ一〇、ヂンビーよりダンあて電雅)(2tこれに先
きだち、張蔭岨、鄙友漉両全権の日本派遣に関する隋国皇
帝の日本天塁あて国書も作成された(光柿二〇・こ)・四、11
八九四・一丁三〇)7)。似しこれは全権委任状ではない。
ついで清帝は、両全権にたいし、『会商ノ事件、有ュル
応一一鏃スベキ各節、凡ソ日本ノ請フ所ぺ均シク随時電奏
セシム』との上諭を死した(4)。(光緒二〇こニこ○、)
八九五■一・五)このような制約があっては、采して全権
の名に価するかの問鰯となる。
卯日本外交文嘴前掃、五屈oヌ、第八六九号
4柵禿羞塀呻日交乖火料、・一←七(光錯ニ〇年)‘ハ罵!一一ハ’勿
哨月h、一尺葉、第ニニ○笠号、柵季外交年鑑、前揚、第一冊、巻一、囚九集
一一。9の条
日本が閣鏃決定により、尖閣列島を沖縄県の所瞎として
標杭を建てることにしたのは、これより間もなくのことで
あった(閣縫決定は、明治二八、一八九五・一・一四)張蔭桓
那友瞭等清国全権団が上海出港、海路長崎、馬関、神戸、
宇品経出、会議地の広島に到着したのは、それより十七日
後のことである(丁=二){5}。
叫旅途にっき、中a交渉史料、巻一一九、ヨ五集第二Ξ四七号(張陰桐等葦獲一、
光緒二〇・こ7二八、{八九五一一一一一Ξ}赳0妻、第こ二五九号’嘸筆唄、
同友一坐電、元闘こ〇■一二こ二〇。一八九五■一こ一瓦}。日本外交文書、第二
八巷附。蔚、nll¥g、笛九六七号(一八九一n一一・二I己及び舘九六八号2
(一・ほ)一。一=一頁。隋九七二号(一■二八)第九七匹号2・三〇)
日本政府は、清国両全権が正規の仝権委任状を携行せず
全権の資格がないことは、両全権の広島到着以前、これを
察知して外交経路を通じて、関係国政府に通達したのであ
るが(一■三〇)果して日本全梅伊藤博文(首相)陸奥宗
光(外相)は、初次の会兄で(二I一)梢国全権の提示した
国茜は、いずれも全権委任状ではなく、また全権の委任を
示すものではないとして、これを返戻し、和議に入ること
を拒絶した(6)。かくて情国両全権は、広島を出発し
(ニ・四)長綺より号国の途についた(ニこニ)。
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日清講和と尖閣列島の地位 P32
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/25 07:36 投稿番号: [25 / 61]
一
領土編入の決定と講和の時期
人
江
啓四郎
=清撲和交渉段陛で、またはこれに関適して、尖閣列島
に相宍于る中囚名釣魚台列嘴に関する事項が飯見するか否
か、またその名か出没したとしても、それか今日日本と中
国の間で問屈とされている諸島と同一物であったか否かを
拙討して見よう。尖閣列島また釣魚台列嶼の領土的帰属に
閣しては。日清揖和交渉の資料だけで全的に決定されるも
のではなく、厄の関係資料や解説も、十分参照されなけれ
ぱならなりそれにもかでわらず、問題の一面として、以
1では専ら日湾講和関係資料に限定して見るのであるか、
その出発点として、アメリカ政府による講和周旋から始め
ることとする。それはH本による尖回列島の先占か、どの
よ・ワな時期に行なわれたかの時代的背景を知ることとなる
からである。
日攘戦争も、ようやく終局的段階に近。ついた曜、アメリ
カの国務長官ウオEター・グレシャムは、北京註在自国臨
時代理公使チャールス・デンビー及ぴ束京駐在公侠エドウ
ィン・ダンを通じて、講和のため、日消両国敦府にたいし
て、周旋を行ないたい旨申入れた(主要な経退だけを訪せば
一八九四■一一・六付、グレシャム長官より各デンビー及ぴダン
あて釧電、清国欧府への通告は、一一・一〇、ダンは、一】・ハ
訓危を接受したが、当日、睦臭外相は、広島大本営へ向け出枕、
よりて淋次官に同訓電向容を涵造、広島へ転電方依頼。伊葎首
相、睦奥外相は相伴って、】一・一四帰京、一一・一五、ダンの
外相訪問)。日本政府は、済国敢府が北京駐社アメリカ公使
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Re: 尖閣諸島研究会 16P
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/20 06:20 投稿番号: [24 / 61]
本は領土編入後、すでにのぺたごとく実効的支配を尖閣列島に対し継続的に及ぽしており、列島の自然環境、居住性、経済的価値を考慮するならば、すでに戦前早くからわが国の領有権原を確立するに十分なものがあったと結論しうのである。また、戦後において同列島がその他の南西諸島とともに日本の領有権原を認められたまま、アメリカ合衆国の管轄区城に含められ、アメリカ民政府および琉球政府によって引続き実効的支配が及ぼされてきたことは上述したごとくである。
尖閣列島が日本の領士であることはまた世界的にも広く知られている、たとえば、いずれもパーソロミュー版の地図である昭和27年(1952年)の「The Citizens Atlas of the World」尖閣列島を日本鎖に色分けしており、昭和33
年(1958年)の「The Times Atlas of the World」は、Senkaku Gunto(尖閣群島)昭和43年(1968年)の「World Series(China。 Mongolia &Korea)」では、Senkaku Shoto(尖閣蹟島)と日本語の発音でローマナイズしている
(注:この地図では島嶼名も日本音で綴り、Koubi (黄尾)Akao(赤尾)としている。ただし赤尾は正確にはセキビと発音する)。さらに昭和35年(1960年)のブリタニカ「The World Atlas」は Seakaku lslands、昭和42年(1967年)のモスクワ版英文地図「The World Atlas」は Senkaku Gunto と書き、昭和43年(1968年)のワルシャワ版英文地図「Pergamon World Atlas」も Sakau Shotoとしている。
反対に中華民国は、ごく最近まで尖閣列島に対する自国の領有権をあきらかに否定してきた。たとえば、民国43年(1954年)基隆市文献委員会編の「基隆市志」は、同市に所属する七個の島嶼名をあげているが、その中に尖
閣列島を含めていないだけでなく、綿花、花瓶、彭佳の三島嶼すら基降市の行歌区域に入るようになったのは明治38年年(1905年)以後であることをあきらかにしている。同様に民国54年(1965年)の「台湾省地方自治誌要」およぴ民国57年(1968年)「中華民国年鑑」も戦後の台湾省の北限もしくは極北を尖閣列島よリ150キロも台湾に近い彭佳嶼であると明記している。さき
の「台湾省地方自治誌要」によれば、さらに日清戦争前(明代および清代)の台湾省の北限が鶏龍嶼であるとされ、また、彭佳嶼などが台湾省の範囲に入れられたのは「基隆市志」と同様に、日本か台湾を統治していた時代であると説明している。
中華人民共和国も同様に、1953年1月8日の人民日報において琉球群島を定義し、その中に尖閣列島を明示的に含めているが、そこでは従来の中国名である魚釣台にかえて「尖閣諸島」といった言葉を用いており、また1964年の「中華人民共和国分省地図」でも、台湾省の北端を、尖閣列島ではなく、彭佳嶼であると説明している。
このように過去において列島が行政上に台湾省の一部として中国によって扱われていなかったことから、尖閣列島か台湾の付属諸島とみなされていなかったことはあきらかである。昭和27年(1952年)4月の日華平和条約締結に際して、あるいは同列島がサン・フランシスコ平和条約第3条に含まれていたことに関連して、中華民国政府、中華人民共和国政府がいかなる抗議をもおこなわなかったことは、列島が両政府によって台湾の付属諸島とみなされていなかったことをさらに裏付けているといえよう。
いずれにせよ中国は、中華民国と中華人民共和国をも含めて、尖閣列島に実効的支配を及ぼしてきたことはなかった。それゆえ両政府が尖閣列島に対する日本の領有権原に異議を申立てることは、国際法上認められるものでないと結論しうるのである。
これは メッセージ 23 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 尖閣諸島研究会 16P
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/20 05:36 投稿番号: [23 / 61]
*は軸土纂入後、すでにのぺたごとく実効的支配を尖閣列
島に湘し継続的に及ぽしており、列島の白然環境、居住
性、経済的価値を考慮するならば、すでに戦前早くからわ
が国の領有権原を確立するに十分なものがあったと結論し
’ツるのである。また、戦後において同列島がその他の南西
踏島とともにロ本の領有権原を認められたまま、アメリカ
合衆国の管轄区城に含められ、アメリカ民政府および琉球
政府によって引続き実効的支配が及ぼされてきたことは上
述したごとくである。
尖閣列島が日本の領士であることはまた世界的にも広く
知られている、たとえば、いずれもバーソp?ヘュー版の地
図である昭和二十七年(一九五二年)の{The Citizens Atlas
of t}'e WorldJt'尖閣列島を日本鎖に色分けしており、
昭和三トΞ年(一九五八年)のjT11aTis~A1111ofllsaWQzld」
1&nhku Gunto(尖閣群島)昭和四十三年(一九六八年)
のrWorJd Sejes(Ch'na。 Mongoli &Korea)」9jj Senhku
Shoto(尖閣蹟島)と日本語の発音でローマナイズしている
(注この地図では島嶼名も日本晋pla’ Koubi (g9)Akao
(赤尾)としている。ただし赤尾は正確にはセキビと発音する)。
さらに昭和三十五年【】九六〇年)のブリター一カ「The
WorldAtlasJj’ Seakaku lslands’昭和四十二年(一九六
七年)のそスクワ版英MigMrTheWorldA11sjt! Sakau
GuQtoと書き、昭和四十三年こ九六八年)のワルシャフ
版英文地図lrlzlsman wafla jSIlllJJ Slniaku S1Sa a」
している。
反対に中華民国は、ごく最近まで尖閣列島に対する自国
の價有権をあきらかに否定してきた。たとえば、民国四十
三年(一九五四年)基隆市文献委員会細の「基啄市志」は、
同市に所属する七個の島嶼名をあげているが、その中に尖
閣列島を含めていないだけでなく、綿花、花瓶、彭傍の一’一
島鵠すら基降市の行歌区域に入るょうになりたのは明怜E
十八年(一九〇五年)以後であることをあきらかにしていJ
る。同様に民国五十四年(一九六五年)の「台湾省地方自
捨訪要」おょぴ民国五十七年こ九六八年)「中華民国年
鑑」も戮後の台湾省の北限もしくは極北を尖閣列島ょリ}
五〇キロも台湾に近い彭佳糾であると明記している。さき
の「台湾省地方自治誌要」にょれば、さらに日湾戦争部
(明代おょび消代)の台湾省の北限が羅剱嶼であるとされ、
またヽ彭佳嶼などが台湾省の範囲に入れられたのは「基隆
市志」と同様に、日本か台湾を統治していた時代であると
説明している。
中華人民共和国も同様に、一九五三年一力八日の人民日
報において琉球群島を定義し、その中に尖閣列島を明示的
に含めているが、そこでは従来の中国名である魚釣台にか
えて「尖閣諸島」といった言葉を用いており、また一九六
凹年の「中華人民共和国分省地図」でも、台湾省の北端
を、尖閣列島ではなく、彭佳嶼であると説明している。
このように過去において列島が行政上に台湾省の一部と
して中国によって扱われていなかったことから、尖閣列島
か台湾の付属諸島とみなされていなかったことはあきらか
である。昭和二十七年(一九五二年)四月の日華平和条約
締結に際して、あるいは同列島がサン・フランシスコ平和
条約第。。一条に含まれていたことに関連して、中華民国敦
府、中華入民共和国改府がいかなる抗議をもおこなわなか
ったことは、列島が両政府によって台湾の付馬諸島とみな
されていなかったことをさらに裏付けているといえよう。
いずれにせよ中国は、中華民国と中華人民共和国をも含
めてヽ尖閣列島に実効的支配を及ぼしてきたことはなかっ
た・それゆえ両政府が尖閣列島に対する日本の領有権原に
異族を申立てることは、国際法上認められるものでないと
姑論しうるのである。
これは メッセージ 22 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 尖閣諸島研究会 15P
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/20 05:27 投稿番号: [22 / 61]
高等弁務官の命による-)を大正島を含む五島に設置した。琉球政府もまた昭和43年(1968年)以後巡視艇(チトセ)によるパトロールを実施、同年8月12日南小島、昭和45年(1970年)7月11日久場島に対する現地調査をおこない、沈船解体のための台湾人労働考による不法上陸の事実を確認、ただちに退去を命じた(注:南小島には45名、久場島では14名の労働者が上陸していた)。なお、アメリカ民政府は南小島で作業をおこなっていた台湾人労働者か退去命令後正規の入域手続を申請してきたので、昭和44年(1969年)10月31日までの期限を条件として、8月30日船舶三隻を含む50各、さらに翌年4月21日、追加修正78名の入域を許可した(注:HCPS‐91203)。
なお、米施政権下での列島に対する学術、資源などの調査は7回に及んでいる。すなわち、1950年の高良鉄夫教授(琉球大)による学術(昆虫類の分布および生態)調査をはじめとして、52年には琉球大学(高良教授ほか)琉
球政府資源局(多和田真淳技官)による学術(生物相)および資源調査、53年にも琉球大学(高良教授、宮城元助助教授ほか)による学術(生物相)調査がおこなわれているか、さらに63年琉球大学(高良教授、新納義馬助教授ほか)、琉球気象庁(伊志嶺安進海洋係長)による学術(海鳥、植物生態)および海洋気象調査、68年琉球大学(高良教授、兼島清教授ほか)、琉球政府(総務局渉外課、八重山地方庁、海洋気象庁、八重山気象台)、石垣市からなる総理府派遣合同贋査団(団長高岡大輔沖縄問題等懸談会専門委員)による地下資源(石油)予備調査(注;この資源調査はエカフエの調査開始3
カ月前になされたものである)がおこなわれ、また、70年には九州大学および長崎大学の学術(地質、生物)調査、71年琉球大学(池原貞夫教授以下14名)による学術(地質動植物、海洋資源、地域汚染など)調査が実施された(注:琉球大学による学術調査は1970年にも試みられたが、このときは気象条件などのため渡島しただけで、実際の調査はおこなわれなかった)
五
結論
尖閣列島は国際法上の先占にもとづいて日本領土に編入されたものであるが、わが国は明治28年(1895年)の領土編入以後ごく最近(1970年)にいたるまでの75年間、世界のいかなる国からも抗議をうけたことはなく、同列島を平穏裡に占有してきた。そればかりでなく日
これは メッセージ 19 (senkaku_islands さん)への返信です.
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