尖閣諸島は日本の領土である

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Re: 京大井上教授の所論に反論す 88、89

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/16 11:51 投稿番号: [59 / 61]
物を作成して、各方面に配布宣伝して
  いる。
   また去る三月には、東京の日本国際
  貿易促進協会も井上論文を援用して、
  中国側の主張を支持するという態度を
  表明したと、新聞は報じている。
   私は結論から先に言うならば、井上
  教授の主張は根本的に誤りであ9、そ
  れが延いては国民に大きく誤解を及ぼ
  しているのではないかと思う。さらに
  これによってひき起こされた一連の領
土問題の動きは、連鎖反応的に国民の
誤解を深め、そして国際間の問題解決
をより困難な方向に導いているように
思えて、甚だ遺憾に堪えないものがあ
る。とくに地元石垣市の住民として、
その思いは切実なるものがある。
  果して尖閣列島の日本領有は侵賂占
價したものであるか?そしてそれは
いうところの恨昂のないものであるの
り?1f『‐しで1卜’‐酋’。況JK硲″綺惣叱’ち‐で

あるのか?
  これらの諸点を明らかにするために
南島の色々の領属の歴史を調査し、記
述してみたいと思う。但しここでいう
南島とは、古く琉球国の勢力下にあっ
た大島以南の各島と、台湾を併せて指
すこととした。

離島の入貢
  珠球は三山争乱以前は、舜天以来一
応の統一王国を形成していた。当時沖
縄島に近接する島々は既に王国の勢力
圖内にあったと思われるが、球陽の記
録によれば久米島・座良間・伊平屋の
三島は、英祖王五年(こ一六四年)はじ
めて入貢した。大島は英祖王七年(一
二六六年)に入貢。この時英祖王問う
て曰く
  隔海ノ殊地素ョジ我ガ歌令ノ及プ所
  ニアラズ何ソ来貢ヲナスヤ

官古・八重山の入貫

  宮古・ハ重山は十四世紀り後期頃ま
では、未だ入貢していなかった。遠く
海を隔てた両粁島はおのおの独立の雪
長国を形成していた。然し久米島を通
じて三山で最も勢カがあり、交易の便
利もある中山と連絡していたようであ


  元中七年(一三九〇年)に至り、宮古
  ・ハ重・山は揃って中山に入貢した。両
  降の入貨については、当時の宮古の支
   wfハセFIIメャ
  配者与那覇勢頭豊見親の先導によるも
  のであるが、当時ハ重山には政治的な
  支配者はおらなかりたようで、球陽に

  1
   八瓜山ノ宇武登嶽ノ神ハ宮古山平凪
   地ノ神卜素コレ兄弟ナリ翁シテ往来
   聘間スーレー一由リソノニ神相共二確
   議シテ毎年款ヲ納メテ誠ヲ輸ス
  とあり、当時のハ重山は醇乎たる祭政

の時代で、神を祭る司祭者が政治面の
こともとりしきっていたものと推測さ
れる。かくて先島二島も琉球国の勢力
團内に入ったのである。
  然し明治五年(一八七二年)明治政府
が、琉球王国を廃して琉球藩となした
ことについて、中国情朝は「琉球を旧
態に復せよ」と異議を唱えた。これに
端を発して当時のアメリカ前大統領グ
ラントが調停に乗り出し、その結果日
本紋府は宮古、ハ重山二群島を分割、
惰国に割譲することに決定した。然し
清国側の事情によって批准はー送られ
立消えとなった。歴史上これを先島問
靭とよぷ。

与那国島の所属
  八重山.か中山に入貫した一三九〇年
当時の八重山の範囲は石垣・西表阿大
島の外に、竹富・黒島・新城小浜・
鳩間・波照問・多良間の各島と、その
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