尖閣諸島は日本の領土である

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 京大井上教授の所論に反論す 88、89

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/10/16 19:06 投稿番号: [60 / 61]
物を作成して、各方面に配布宣伝している。

また去る3月には、東京の日本国際貿易促進協会も井上論文を援用して、中国側の主張を支持するという態度を表明したと、新聞は報じている。私は結論から先に言うならば、井上教授の主張は根本的に誤りであり、それが延いては国民に大きく誤解を及ぼしているのではないかと思う。さらにこれによってひき起こされた一連の領土問題の動きは、連鎖反応的に国民の誤解を深め、そして国際間の問題解決をより困難な方向に導いているように思えて、甚だ遺憾に堪えないものがある。とくに地元石垣市の住民として、その思いは切実なるものがある。

果して尖閣列島の日本領有は侵賂占領したものであるか?そしてそれはいうところの根拠のないものであるのか?果たして井上教授の主張は正当であるのか?これらの諸点を明らかにするために南島の色々の領属の歴史を調査し、記述してみたいと思う。但しここでいう南島とは、古く琉球国の勢力下にあった大島以南の各島と、台湾を併せて指すこととした。

離島の入貢
珠球は三山争乱以前は、舜天以来一応の統一王国を形成していた。当時沖縄島に近接する島々は既に王国の勢力圏内にあったと思われるが、球陽の記録によれば久米島・座良間・伊平屋の三島は、英祖王5年(1264年)はじめて入貢した。大島は英祖王7年(1266年)に入貢。この時英祖王問うて曰く「隔海の殊地素より我が政令の及ぶ所にあらず何ぞ来貢をなすや」


官古・八重山の入貢

宮古・八重山は14世紀の後期頃までは、未だ入貢していなかった。遠く海を隔てた両群島はおのおの独立の酋長国を形成していた。然し久米島を通じて三山で最も勢カがあり、交易の便利もある中山と連絡していたようである。




  元中七年(一三九〇年)に至り、宮古
  ・ハ重・山は揃って中山に入貢した。両
  降の入貨については、当時の宮古の支
   wfハセFIIメャ
  配者与那覇勢頭豊見親の先導によるも
  のであるが、当時ハ重山には政治的な
  支配者はおらなかりたようで、球陽に

  1
   八瓜山ノ宇武登嶽ノ神ハ宮古山平凪
   地ノ神卜素コレ兄弟ナリ翁シテ往来
   聘間スーレー一由リソノニ神相共二確
   議シテ毎年款ヲ納メテ誠ヲ輸ス
  とあり、当時のハ重山は醇乎たる祭政

の時代で、神を祭る司祭者が政治面の
こともとりしきっていたものと推測さ
れる。かくて先島二島も琉球国の勢力
團内に入ったのである。
  然し明治五年(一八七二年)明治政府
が、琉球王国を廃して琉球藩となした
ことについて、中国情朝は「琉球を旧
態に復せよ」と異議を唱えた。これに
端を発して当時のアメリカ前大統領グ
ラントが調停に乗り出し、その結果日
本紋府は宮古、ハ重山二群島を分割、
惰国に割譲することに決定した。然し
清国側の事情によって批准はー送られ
立消えとなった。歴史上これを先島問
靭とよぷ。

与那国島の所属
  八重山.か中山に入貫した一三九〇年
当時の八重山の範囲は石垣・西表阿大
島の外に、竹富・黒島・新城小浜・
鳩間・波照問・多良間の各島と、その
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)