Re: 日清講和と尖閣列島の地位 P32
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/26 20:50 投稿番号: [27 / 61]
一
領土編入の決定と講和の時期
人江
啓四郎
日清講和交渉段階で、またはこれに関連して、尖閣列島に相当する中国名釣魚台列嶼に関する事項が散見するか否か、またその名か出没したとしても、それか今日日本と中国の間で問題とされている諸島と同一物であったか否かを検討して見よう。尖閣列島また釣魚台列嶼の領土的帰属に関しては、日清講和交渉の資料だけで全的に決定されるものではなく、他の関係資料や解説も、十分参照されなけれぱならない。それにも関らず、問題の一面として、以下では専ら日清講和関係資料に限定して見るのであるか、その出発点として、アメリカ政府による講和周旋から始めることとする。それは日本による尖閣列島の先占か、どのような時期に行なわれたかの時代的背景を知ることとなるからである。
日清戦争も、ようやく終局的段階に近づいた頃、アメリカの国務長官ウォーター・グレシャムは、北京駐在自国臨時代理公使チャールス・デンビー及ぴ束京駐在公使エドウィン・ダンを通じて、講和のため、日清両国政府にたいして、周旋を行ないたい旨申入れた(主要な経過だけを誌せば1894年11月6日付、グレシャム長官より各デンビー及ぴダンあて釧電、清国政府への通告、11月10日、ダンは、11月8日訓電を接受したが、当日、陸奥外相は、広島大本営へ向け出役、よって林次官に同訓電内容を通達、広島へ転電方依頼。伊藤首相、睦奥外相は相伴って、11月14日帰京、11月15日、ダンの外相訪問)。日本政府は、清国政府が北京駐在アメリカ公使
これは メッセージ 25 (senkaku_islands さん)への返信です.
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