ビックリ台湾!?

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霾る台北

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/04 02:21 投稿番号: [1456 / 3149]
タイトルは「つちふるたいほく」と読んで貰うつもりです。

IMEには霾の字があって、ヤフーの掲示板にこの字を使っても、化け字にならないことがわかりました。IMEによるとこの字の訓読はバイまたはメイです。

今日、霾る台北の空はかすんで、太陽は黄色い光芒に包まれています。台湾まで漂流してくる黄砂は超微細な砂塵ばかりですから、汚い感じはありません。視界距離はさほどわるくはありませんが、5.6km離れた101ビルは、まったく見えません。5.6kmとは、グーグルアースで測量した正確な値です。

「つちふる」をヤフーで検索したら、たくさんの記事が出ました。俳人たちが「霾」を詠むためのに奮闘していますが、まだ人をうならせるような名作は出現していません。『奥の細道』には「雲端に霾る心地して・・・」という記述があるとのことですが、句はありません。芭蕉にも「霾」は難題だったと見えます。

わしは霾った今日の台北のうつくしさが嬉しかったから、愚作を一句掲げます。

     霾って夢のやうなる台北市    unhoo

台湾に土が降る

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/02 21:25 投稿番号: [1455 / 3149]
徳川時代の日本語に「つちふる」という言葉があって、蒙古の黄砂が日本まで吹き寄せられてくる現象を言う。日本ではこの現象がおこるのは春だけだから、俳句では「土降る」が春の季語になっている。北京は蒙古に近いから、この現象は春とは限らず、年中起こるそうだ。

霧の字の「務」の部分を「貍」に変えた字があって、その字一字だけで「つちふる」と読む。

台湾の気象局の発表によれば、昨日から黄砂が台湾に達したそうで、この現象は3日続く見込みで、第三日目の明日がもっともひどいであろうという。台北では今日の昼間は、久しぶりに日が照ったが、たしかに太陽の光が黄色っぽい。わしの家ではこの3日間はなるべく窓を開けないことにしている。台湾まで吹いてくるのはよほど細かな砂塵であろう。

Re: 台湾紀行↓訂正

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/26 02:08 投稿番号: [1454 / 3149]
佐藤治夫   間違い
佐藤春夫   と訂正

Re: 台湾紀行

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/26 02:03 投稿番号: [1453 / 3149]
佐藤治夫が台湾へ来たことがあるとは知らなかった。

わしがまだ三十台のころ、わしと同年齢の友人が、佐藤・谷崎の夫人交換の事件をしきりにわしに話していました。なぜそんな話しをしたがるのか、当時はわからなかったが、だいぶ後に気が付いた。奴はわしと夫人交換をたくらんでいたのです。わしが鈍感で話しが軌道に乗らなかったから、奴はついにあきらめました。今では奴もよぼよぼのジジイになって、古女房との金婚祝いもとうにすませました。

昭和一桁時代に北原白秋も台湾へ来たことがあります。白秋は接待を受けたお礼に、台湾に「華麗島」という美称を贈りました。この美称は内地人、本島人双方から喜びをもって受け入れられました。これが戦後、美麗島に変わってしまいました。

Re: 台湾紀行

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2008/02/21 04:31 投稿番号: [1452 / 3149]
tokyo_cachito3`sama:
横から入り申し訳ありません。2005年にCA.のPasadena cityで李前
総統の講演があり前を歩く総統は背が高く、顎だ出ていて威風堂々としていたが顔は笑った顔を記憶しますね。NY州のコーネル大学で講義を日本語に通訳
したとき、教授は李前総統をしっていました。彼が蒋径国から受け継いだ後は、まさしく関が原の合戦宜しく毎日が政治策略との戦争であったとか。一番策略を陰謀化したがフロリダに隠居して華麗な生活をしていた宋美麗であった。金銭をばら撒き、米国政治家まで巻き込んで追い落としを図った。だが当時のレーガン大統領、国務省担当官の頭はもう古い政治体制を捨てていた。
李前総統の意図と米国の民主化とが一致した時点で新総統はきまった。

台湾を日本に大作家として紹介したのは昭和6年の台湾紀行を書いた佐藤春夫
であった。佐藤春夫全集の1巻に集る1ヶ月の足で見た彼の台湾紹介は絶品である。是で「霧社」など3編の台湾短編紀行が日本に知られたそうです。中学で
ストライキを先導して退学にあい、谷崎潤一郎の奥様と交換をした慶応ボーイは私の地元の道むかいに実家があり(前の家)、新宮中学(和歌山県)の先輩ですが。海外から見ると、Sapio雑誌で書いている連中は中道のまともな論旨を
発表している感じです。左翼は終戦後から同じ頭で反論している感触です。
毎年12月13日には南京市でサイレンがなりひびきます。昭和12年のこの日を全市民に南京虐殺事件を覚えさせる共産党式の愛国心教育だそうです。
こんな教育で生育した若者が北京で競技する日本とのサッカーに冷静に観賞
するのは無理でしょう。応援団も命がけです。少しはずれましたが了承ください。

Re: 李登輝は法統に合わない総統?

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/02/15 22:20 投稿番号: [1451 / 3149]
unhoo先生

ご見解、ご説明をありがとうございました。

  ご返事を書いてからいよいよ「投稿ボタン」を押そうとして、どこのキーに触れたのか判りませんが画面がヤフーのホームページに…。こうなると復元は不可能で「履歴」にも残っていないのです。ときどき、これをやって失敗し、「ありゃりゃ」と思っても後の祭りです。これを「水泡に帰す」とか「元も子も失う」、あるいはちょっと難しい表現で「九ジンの功をイッキにカク」などと申しますが、これはきちんと漢字に転換できません。

李登輝は法統に合わない総統?

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/13 14:37 投稿番号: [1450 / 3149]
李登輝氏が総統になったことは、当時の外省人に言わせれば法統に合わないのだそうだ。それでは法統とは何ぞやと聞いても、彼等は返事できなくて、黙ってしまう。彼等は理論を述べていたのでなく、感情を述べていたのである。蒋介石の一族か、または蒋介石父子の譜代の家来でない者が、総統という地位に就いたことに反発していたのだ。李登輝総統の在位12年間、外省人は法統論をぶつぶつ言い続けていた。しかし陳水扁が総統になったときには、彼等もやっと脳の掃除ができて、法統論を言わなくなった。

総統とか、総理の地位が転がり込んで来た者にとっては、その地位をしっかり掴んでおくことが先決問題である。地位を確保して、はじめて政治上の抱負を実行することができる。だから陳水扁氏はそれまで拒絶していた青天白日満地紅旗への敬礼や、三民主義の歌を歌うことを、総統に当選した後は実行した。小泉純一郎氏は、公約であった八月十五日の靖国参拝を、八月十三日というわけのわからぬ日に切り替えた。そこは大事の前の小事と、意地を引っ込めたのである。

李登輝が総統になた当初、意外な言行があったとしても、それは大事の前の小事を引っ込めただけのことである。

蒋経国が死んだ日から、李登輝氏は総統府から大直の蒋経国官邸まで、3km以上の道のりを、毎日2回車隊をつらねて遺体を礼拝しに行った。3回行った日もあった。おそらくは周囲に「法統に合わない」というつぶやきを感じて、俺は蒋経国から任命された副総統で、憲法により総統の職位を継承するのだぞということを、強調して見せたのであろう。蒋経国が死亡してから遺体が大溪に建築された遺体保存所に移されるまで1ヵ月半以上、毎日2回か3回押しかけられて、喪主の蒋孝勇氏はずいぶん迷惑したにちがいない。だから蒋孝勇氏は、数年後に喉頭癌で死ぬまで、最も強硬な反李登輝派だった。

台湾紀行

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/02/12 01:07 投稿番号: [1449 / 3149]
  司馬遼太郎の「台湾紀行」を読み返している。昔、新刊本で買ったこの本が「また読んでくれ」と言わんばかりにヒョイと出て来たのである。これはそんな安い本ではなかったので買った本屋まで覚えている。巻末には、当時は初対面だった中華民国総統・李登輝との対談が載っていて興味深い。だが、この李登輝と言う人がわたしにはいまだに謎である。総統就任時の記者会見で「2.28事件」についての感想を求められたとき、この台独の宗家のような人が、「君のように若い人がどうしてそんな昔のことを聞くのか」と、けんもほろろにこれを一蹴している。これが本心でなかったのは自明だが、このあたりは常人にマネのできることではない。前の投稿で「お追従だって本気でやれば誰も気がつかない」と書いたが、蒋経国にはあの大きな口を開けて、これ以上はできないような笑顔を向けていた画像を記憶している。彼は孫文、訒小平、葉剣英などと同族の客家人であるが先鋭的な「反中国」で、今日の民主台湾を築き上げた特別功労者でもある。大変な親日家であり、「尖閣は日本の領土」と発言してもいる。だが、先の選挙で一挙に政治基盤を失い、もはや影響力はまったくない。ちょっと言いにくいことを思い切って言えば、真実を言えば、日本の保守層や右翼陣営が喜ぶ、「親日、反中国」も、度を越すと台湾の政治地図から追放されるのである。

Re: 「グーグルアース」の紹介写真

投稿者: edozaijyu 投稿日時: 2008/02/12 00:56 投稿番号: [1448 / 3149]
>食肉用の馬は日本では飼育されておらず、輸入されているわけでもない。あれはすべて、年明け数回の「三歳未勝利戦」に敗退した一群の競走馬なのである。

これがですね、最近はちょっと違いまして、世界各国から輸入されたものが多いんです。

先日も長野から馬刺しや干し肉などが送られてきたのですが、これが全部モンゴル産。

地方の特産品であるはずのものさえこの有様ですよ。

国共内戦

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/02/11 23:14 投稿番号: [1447 / 3149]
  本は横に積んでおくのがいいらしいが取り出すのが面倒だ。田中角栄が中南海の毛沢東の私邸に「伺候」したのは随分まえの話だが、この中国の「帝王」の部屋には「和綴じ」の書物が本棚に山のように積まれていた。角栄さんはその中から「楚辞集註」という本を貰ってきたが、なんだか、皇帝から蔵書を下賜されたというふうで「誠に恐憚の至りに耐えず」であった。当時の日本は佐藤内閣の長く重苦しい時代が終わり、田中角栄人気とともに日中国交回復の熱に浮かされていて、そうした光景もにこやかに迎えられたのである。しかし、糸で綴じた昔の本は中国語ではなんというのだろうか。ただ「書」というだけかもしれない。成金趣味のコテコテした調度品や骨董を並べておくより、積み上げた古本の山のほうがよほど凄みがある。田中とその一行を「帝王の間」に案内したのは、昔、ハマーショルド国連事務総長をして、「まれにみる優雅な人物で、自分が野蛮人のように思えた」と言わしめた周恩来である。このとき、この人物が毛氏のまえで身を捩(よじ)り、人見知りをする幼稚園児のように含羞(はにか)んでいる姿がテレビに映っている。これには田中とその番頭たちが驚いたらしいが、むろん、「こんな者たちが拝謁に参りましたが…」という周恩来一流の演技である。この程度の才覚がなければ権力闘争の渦のような中南海では生きてゆけない。お追従だって本気でやれば誰も気がつかない。こうした飛び切り一級の者たちが、つまり、国民党政府のいう「流族集団」が、「戦争の疲弊に乗じて」瞬く間に中国大陸を奪取してしまった。そのあたりはまるで大掛かりなマジックを見るようで、百万を越す戦死者が出たであろうその「国共内戦」と言われる戦史を詳しく知りたいのだが、日本語で出版されたものはなぜかまったく見つからない。その一方で、望みもしないのに負け戦の敗残兵や難民を大量に抱え込んでしまった人々の苦難も併せて知らなければならないだろう。

恭喜発財

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/02/11 18:24 投稿番号: [1446 / 3149]
  「恭」の字はこれで良かっただろうか。台湾ではどの家でも「富貴」など、考えつく限りのめでたい字の張り紙がしてある。もちろん、すべて原色の赤で中間色なんか探してもみつからない。これもかなり前の話だが、結婚を控えた台湾の母娘が日本のデパートで「婚礼用品」を整え、台湾で挙式するまでのルポを日本のテレビ局がオンエヤしていた。わざわざ日本まで買い付けに来るのだから裕福な家庭なのだろうが、かつて、なんでも「日本製」といえば有難がられた時代があったのである。結婚式にブーケ(花束)は欠かせない。彼女達は深紅のそれを探していたがついに見つからず、ピンクの花束(もちろん生花と見紛うほど良くできた造花である)を買って帰った。テレビカメラは挙式直前の彼女の家にまで入り込み、彼女は大勢の家族の前でスーツケースから様々な品物を取り出した。もちろん、そこには婿殿も来ていたのだが、彼はブーケを見るなり「この色は良くない」と真顔で言う。済まなそうに「これしかなかった」と弁解する彼女に、思わぬ助太刀が現れた。後ろの椅子に腰掛けていた彼女の祖父である。立ち上がって「それがいいんだ。まっ赤っかはだめ」と日本語で声をあげた。日本のテレビが来ていたから思わず日本語を使ったのかもしれないが、番組としてはこの場面が予期せぬ「絵」になったのである。婿殿と日本語世代の花嫁の祖父に色彩感覚の齟齬があるのは説明するまでもない。もちろん、「よい、悪い」の話でない。

司馬遼太郎ばかり読んでいるから文体が似てきた(笑い)。

さしみ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/11 10:07 投稿番号: [1445 / 3149]
さしみの台湾語が生魚片だから、馬刺は生馬片ですね。

台湾のデパートに生馬片が売り出される可能性はないが、将来生猪片が出ないともかぎらない。生牛片も可能性なしとしない。

Re: 「グーグルアース」の紹介写真

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2008/02/10 11:06 投稿番号: [1444 / 3149]
まこと様

  いきなり、語気つよく言っても理解出来ません。

  理路整然と説明するのが、投稿者の責務では

  ありませんか?   馬刺しと言えば、長野、熊本、

  が本場と聞きますが〜〜その根拠は??????

食用馬問題

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/10 01:07 投稿番号: [1443 / 3149]
「ばか、食用馬は日本で飼育している。よく調べて書き込め、シナ人。」

↑   makoto3618jpf殿、貴殿こそ他人の投稿をよく読んでから書き込むべきですぞ。

ところで、台湾ではさしみのことは生魚片と言います。生の魚を一片一片に切ったものという意味です。

アメリカのTV番組で見たが、ドッグレースで勝てない犬、あるいは年齢が増えて勝てなくなった犬は、人里離れたところに建てられた檻へ送られ、粗末な食物をあてがわれて、死を待つだけだそうです。ペットとして貰い受ける人があるのか、ないのか、テレビではそこまでは説明していなかったようです。

Re: 「グーグルアース」の紹介写真

投稿者: makoto3618jp 投稿日時: 2008/02/09 19:48 投稿番号: [1442 / 3149]
ばか、食用馬は日本で飼育している。よく調べて書き込め、シナ人。

旧正月用の下着

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/08 22:06 投稿番号: [1441 / 3149]
十年前に台湾ワコールが旧正月前に真っ赤な女性下着、つまり真っ赤なブラとパンティを売り出して「これをご着用になって旧正月をお過ごしになると、お金持ちになれます」と宣伝した。こんな知恵は日本人職員から出るはずはなく、台湾人職員の献策によるものにちがいないが、それが見事に中って、大いに売れた。それ以来台湾ワコールは、旧正月前に真っ赤な「内在美」(女性下着のこと)を売り出しては一儲けしていた。

しかし赤い色を使ったことで特許権を取ることはできないから、最近はほかの会社も、台湾のために旧正月前には真っ赤なのを特製して売り出している。

わしの推定では、今の台湾女性は、旧正月になると老いも若きも80%以上が真っ赤な下着をご着用あそばして、今年こそはお金を儲けるぞと、ほくほくしているらしい。

Re: 「グーグルアース」の紹介写真

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/02/01 21:17 投稿番号: [1440 / 3149]
  張さんは初め何かの冗談かと思ったらしい。スーパーの精肉コーナーで「馬刺し」と書いたトレイを見つけたのである。これが漢字圏以外から来た外国人なら何とも感じないだろう。だが、「刺身」という言葉は台湾人なら知っている。薄くスライスされた生肉に「馬刺し」とあれば「馬肉の刺身」だとは一目瞭然、どうにも隠しようがない。中国語では刺身を「魚肉片」と書くらしいが、江戸期に生まれた寿司は先進国ではすっかりお馴染みだから、その切れ身がマグロだろうが鯛だろうが誰もおどろかない。だが、あろうことか、まぎれもない馬の生肉なのである。ちょっと意外ではあったが世界のどの国でも馬肉は食用になっておらず、われわれ日本人がいくら「食文化、食文化」と騒いでも、獣肉をナマで食らいつくとは野蛮も野蛮、神をも恐れぬ所業であって、欧米先進国では絶対に容認されない「食品」である。張さんが顔色を変えて驚くのは無理もない。
だが、食肉用の馬は日本では飼育されておらず、輸入されているわけでもない。あれはすべて、年明け数回の「三歳未勝利戦」に敗退した一群の競走馬なのである。馬主がどれほどカネを注ぎ込んでも、その夏までに一勝もできなかったサラブレッドには「乗馬用」の運命しか残っていない。競馬関係者が「乗馬用」と言えば聞こえはいいが、早い話がキロいくらの「食肉用」であって、本当に「乗馬クラブ」が引き取ってくれるラッキーな馬は微々たる数である。
昨年、張さんの家族が三人連れで遊びに来たが、皇居前広場で警視庁だか皇宮警察だかの十頭ほどの騎馬隊のトレーニングに出合った。張さんの娘御は大喜びでシャッターを切っていたが、台湾の人には馬は珍しかったのだろう。
皇室に関することはちょっと書きにくいが、それらが以前に、競馬場で「三歳未勝利」の後方を走っていた馬だとすれば、それはもう、眼も眩むような幸運をつかんだというほかはない。

Re: 「グーグルアース」の紹介写真

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/30 20:41 投稿番号: [1439 / 3149]
  空港ターミナル手前の駐車場あたりから滑走路方面を写した画面がもう一枚あった。飛行機の尾翼がズラリと並んでいて遠くに海が見える。もちろん、台湾海峡である。これが「証拠写真」になって、あの全景は「入国側」ではなく、「出国側」から写したものだと確認することができた。ところで、その「飛行機」という言葉だが、これが最近はほとんど使われない。新聞もそうだし、言葉にはうるさい筈のNHKでも「航空機」と言って「飛行機」とは言わない。本来、漢語や日本語は非常に豊饒な言葉で、「飛行」と「航空」とは微妙に意味が違うのである。説明はしづらいのだが、以下の言葉から私の意図するところを汲んでいただきたい。≪飛行士、飛行雲、飛行場、飛行船、飛行甲板、飛行艇≫、そして、≪航空写真、航空便、航空標識、航空母艦、航空路≫つまり、本来、これらは互いに置き換えることができず、国語にこだわる私としてはどうしても「航空機」と言えないのである。

  夜景写真がカメラマンの「自己満足」というのは、なるほど先生のおっしゃる通りで、「そう言われればそうだなぁ」と膝を打った。もちろん見解は自由だから「いや、夜景は夜景でいいのだ」という意見もあるだろう。それについては話はちょっと脇にそれるが、ハリウッド映画は、「夜景」だからといって、「暗くてよく見えない」ということはなく、観客に不自然さを感じさせずに「夜だけどハッキリ見える」という撮影技術を持っている。そうしたテクニックはハリウッドが長い間かかって蓄積したもので、簡単にマネのできるものではない。昔みた中国映画だが、夜の路地裏のシーンが真っ暗で何も映っていなかった。「夜が暗いのはあたりまえだ」というレベルでは映画とはいえない。まぁ、中国は発展しているから今はそんなこともないだろう。
  話は変わって、昔、フィリピン人の出稼ぎの一団がわが家に出入りしていたことがある。ニセのテレフォンカードが大量に出回って公衆電話から国際電話が掛けられなくなり、わが家が彼らの電話ボックスのようになってしまった。もちろん、料金は「責任者」みたいな男が取り仕切って毎月払ってくれるのだが、この経験で良くも悪くも比国人の気質がよくわかった。かれらにはあまり経済観念がなく、忍耐心も不足していた。ただ、女性達の明るさと、あまりにも「気がきく」のには驚かされた。異文化の違いを寛容と相互理解で認め合うのは理想には違いないが、やはりその壁は厚いというほかはない。
  台北でもカトリック教会のある農安街あたりは比国人で溢れていると聞くが、空を見れば旅客機が飛んでいる現在、金満台湾にかれらが押しかけるのは時代の趨勢で平和共存しか選択の余地はあるまい。
  ただ、そうは言っても、受け入れ態勢も法整備もないまま労働力を外国人に頼る日本の現状には問題があって、最近の中国人の急増には唖然とさせられるものがある。もちろん犯罪には手を染めずに真面目に働く者が多いだろうが、中国人の空き巣がじつに多い。しかも、捕まっても「強制送還」だと思われているフシがあり、「昔の日本が中国でやったことに比べれば微々たるもの」とやられてはたまったものではない。
  昨年、親戚の女性から、「家の近くを中国人が歩いていて怖い」という電話があった。そこは外国人にはあまり用のない高級住宅地で、彼女が買い物から帰宅途中の路上で、若い二人連れの中国人が携帯電話で何事かを話しながら歩いているのに出くわし、すれ違いざまにピタッと通話を止めたという。「それだけで警察に連絡するのはよくない」と言ってあげたが、やはり気味が悪かったようだ。わたしはけっして「反中国」ではないし、程度の低い似非右翼のあんちゃん達や、あの薄気味の悪い狂信的な漫画家に同調して民族差別を煽り立てるつもりはまったくないが、なんだかんだと無制限にやってくる中国人の不審な行動、犯罪には毅然として立ち向かい、警戒する必要があろうと思う。

韓国にはしばらく行っていないが、この「反日」のかたまりような国の人々がなぜか日本人には非常に親切で、意外も意外、まさに百聞は一見にしかずである。日本人だからといって個人的に不当な扱いを受けることはまずないと断言してもいい。これは何度行っても変わらないからわたしの持論になっているが、個人的な経験と感想だから人によっては異論があるかも知れない。ただ、もちろん、「これはひどいな」というところもあったが、外国のアラ探しをして自分達の自慢をする程のバカではないからそのあたりは黙して語らずということにしたい。

調子にのって書いていたら2000字を超えてしまったので一部を割愛した。

「グーグルアース」の紹介写真

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/01/30 13:28 投稿番号: [1438 / 3149]
桃園機場のことではないが、「グーグルアース」の紹介写真には夜景が多いですね。夜景は、撮影した人にとっては、すばらしいゲージュツ写真が撮れたという満足感があるので、沢山の人に見せたいのだろうが、グーグルアースの利用者は、知らない町の光景、知らない土地の風景を見たいのだから、光と影だけの夜景写真では何の役にも立たない。何だ夜景かと、パチンと消してしまう。

第一ターミナル

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/28 18:09 投稿番号: [1437 / 3149]
わたしのパソコンの背景写真は斜め前方から撮影した桃園機場第一ターミナルの全景になっている。「グーグルアース」の紹介写真から写し取ったものだ。ただ、その向きが出入国のどちら側なのかよくわからなかった。あのターミナルは体育館をさらに大きくしたような左右対称なのである。なんとか知ろうとして、「グーグルアース」と比べてみてどうやら結論は出た。「入国側」らしい。道路沿いの駐車場のクルマの向きが違う。道路をまたぐ鉄柱の案内標識はそのどちら側にも見えるが、そこから曲がり角までの距離が違っていて、道路に切れ切れにペイントされている車線を数えて結論を出した。なぜ建物の向きにこだわるのかといえば、「いつもあの角の台北行きのバス停に並んだな」という思い出があって、自分としてはどちら側でもいいというわけにはいかない。

Re: バナナ

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/25 23:24 投稿番号: [1436 / 3149]
  胡蝶蘭は日本の業者への「ご進物」というわけですね。贈り主はなかなか如才のない人のようです。わたしが子供のころ、バナナやパイナップルは贅沢品でした。今、そうした輸入果物は一山いくらで売っていて、昔は安くて八百屋に山積みされていたスイカのほうが高級品になっています。近郊農家が例外なく億単位の資産家になって農業をやらなくなった結果です。

Re: バナナ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/01/25 00:32 投稿番号: [1435 / 3149]
ヒリッピンや南米のバナナは食ったことがありませんが、台湾ではバナナとパパヤは夏の方がうまくて、冬はうまくない。蓮霧は晩秋のものがいちばんよく、盛産期の初夏のものは水っぽくてまずい。

終戦の5,6年後に、台湾のバナナを日本へ輸出する商売が勃興しました。わしの家の庭に植えていた胡蝶蘭を、バナナ輸出業者が見つけて、数株売ってくれとたのまれました。日本のバナナ輸入業者に贈るのだという。胡蝶蘭は、日本では温室がないと、冬に凍死してしまうよと言ったら、そのことは説明しておきますと。

台湾の南端、恒春半島の低い山地に、胡蝶蘭の一種が野生していて、それを採集して、都市の園芸家に売るという商売が、日本時代からありました。日本時代に、一時濫獲のために絶滅しそうになったが、日米戦争中は採集しても買い手がないので、採集されなくて野生が増えて、戦後また採集業が復活しました。わしは、採集業者が売りに来たのを数十株買って植えたら、一年後にみごとに花が咲きました。それをバナナ輸出業者に見つかって、数株買われてしまったのであります。

戦後60年以上たった今では、野生の胡蝶蘭は絶滅したらしい。現在世界的に商業栽培されている胡蝶蘭は、人工交配で改良されたもので、野生原種にくらべると、花の形も、サイズも、色もはるかに進歩していますが、まれに栽培家のところに大切に保存栽培されている原種胡蝶蘭を見ると、楚々たる野生の姿に反って心を惹かれます。

バナナ

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/22 21:45 投稿番号: [1434 / 3149]
  近所の八百屋に「台湾バナナ」があった。値段は覚えていない。プラスチックのザルの脇にマジックでそう書いてあっただけで、他に何の証明もない。日本で売られているバナナの殆どがフィリピン産だと聞いていたから、あらためて「Wikipedia」で調べてみたが、案の定、比国産が輸入量の99%を占めていた。あれが本当の台湾バナナだったのか疑わしい。デルモンテなどの米資本が広大な農場で栽培して流通システムも確立したので、台湾の零細農家が出荷するバナナは日本の市場からすっかり姿を消してしまった。若い人から「台湾バナナのほうが美味いのか」と聞かれても、もちろん台湾では何度か食べたが、比国産とハッキリ違うという印象もなく、味の優劣や糖度などは正直よくわからない。一時期、南米エクアドル産の大型のバナナも出回ったが、やたらに不味いのが知れてこれも姿を消した。

Re: 小選挙区

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/16 17:16 投稿番号: [1433 / 3149]
  国民党が台北の八議席を独占したという。落選した民進党の王某が約束どおり海に飛び込むらしいが、それは「寒波が去ってから」だという。しっかり救命具をつけてドボンとやるんだろうが、いくら台湾の海だってまだ水は冷たかろうし、心臓マヒに気をつけろよ。どうせなら、中山北路の端から端までパンツ一丁で逆立ちして歩くと言えば良かったと思う。次の選挙まで、「今日はここまで、今日はここまで」とやればテレビは追いかけるし、次回の当選は間違いない。前回の投稿で「選挙結果の論評はしない」とは言ったが、最低限の持論開陳は見逃してほしい。

  小選挙区制度は民主主義を破壊する。第二党以下の候補者の当選が阻まれ、大量の「死票」が出て、民意が議会に反映しにくいからだ。五割の投票で八割の議席が獲得できるのは、どう考えてもマトモな選挙制度とは言えない。台湾の有力なメディアは今なお国民党の支配下にあって、選挙戦になるとテレビは露骨に国民党候補の応援をする。そうしたなかで民進党がよくぞ健闘してきたものと思うが、今回の結果は陳水扁氏の拙速であまりにも急進的なやり方にも原因があったように思う。今日の台湾の政治地図、両岸の現状を正しく認識していれば、あの少年のような純粋さ、言葉を替えて言えば「未熟さ」では周辺に利用され、政敵につけ込まれるだけだ。

Re: 小選挙区

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/15 01:23 投稿番号: [1432 / 3149]
  選挙結果については、台湾人民の「総意」ということで外国人のわたしがあれこれと論評することはできません。昨年の暮れあたりに消えてしまいましたが、この「台湾」のカテゴリーで、いくつものトピを立て、「われこそは両岸問題の第一人者、正義の調停者」とばかりに「ああすべき、こうすべき」と一人で頑張っていた御仁がいました。彼、「この問題については自分が考えて最終の解決策を見出したので、何百億もの値打ちがある。タダでは教えられない」と書いていたのを覚えていますが、だれからカネを貰うつもりでいたのでしょうか。国共両党が百億円ずつでも出してくれたら大儲けなんですが、本気で大使館に手紙を書く人なので、成功報酬を条件に自分を含めた巨頭会談のお膳立てくらいは画策したかもしれません。壮(躁)大な夢があっていいんですが、世の中にはおもしろい人もいたものです。

相撲は外国人にまだ誤解も多く、「筋肉より脂肪の多いほうが有利な唯一のスポーツ」だという英文の記事を記憶していますが、とんでもない偏見で、体脂肪率は一般の人より低く、「過食と稽古不足で贅肉が付くと相撲どころじゃない」と学生相撲のキャップテンから直接聞いたことがあります。

小選挙区

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/01/14 22:31 投稿番号: [1431 / 3149]
たしかに小選挙区のせいで外省系議員だらけになりました。投票者の人数で言えば、国民党に投票した人の数は民進党に投票した人よりも15%多いだけだそうです。本省人と外省人との区別は、厳然として存在します。外省人有権者が本省人候補者に投票する可能性は限りなく零に近いが、本省人有権者はいともあっさりと外省人候補者に票を献じてしまいます。

台湾とは限らず、どこの国で、お金が足りないと思っている家庭が絶大多数ですが、国民党は立法院で、あらゆる議案をボイコットして、政治の進行を不可能にした上で、民進党は政治をおこなう能力がない、そのために人民は貧乏していると宣伝し、本省人は簡単にこの宣伝にのってしまって、積極的な者は国民党に投票し、消極的な者は投票に行かないということになってしまいます。

蒋政権が死滅してから20年たったので、蒋政権時代の世情を体験した者(蒋政権時代すくなくとも25歳)は、今は45歳以上になっています。45歳以下の者は蒋政権時代を知らず、現在享受している人権、民主、自由は、蒋政権時代にもあったものと思い込んでいます。45歳以上の者でも南国人の楽天性のせいで、そんな時代が戻ってくる可能性はないときめてかかっています。

大相撲はNHKの海外向け衛星によって、台湾でもリアルタイムに見られます。時差のせいで、終結するのは午後5時です。台湾で見られるようになったのは、蒋政権死滅後約一年、李登輝総統によって「台湾の天空は開放された」と宣言されたときからです。「天空の開放」とは衛星放送を見る禁令が廃止されたことをいいます。

それからまた数年もたってから、NHKの衛星によって、大相撲の放送が見られることに、わしはやっと気がつきました。そのときは千代の富士の晩年期で、まもなく貴乃花(そのときは貴ノ花だったかな)が台頭しました。

Re: 売り上げ世界一の店(Re: No.1402)

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/14 17:44 投稿番号: [1430 / 3149]
  今度の選挙結果は、unhoo先生には茫然自失、「何たることか」と悲嘆にくれているのではないかと察して余りある。小選挙区制は英国のように民意が高く、民主主義がしっかり根を張っている国には適しているけれども、地方ボスや二世議員がカネと利益誘導で支配している台湾や日本には弊害が多い。それでも、日本は公職選挙法という、人が身震いするほど怖い法律があるが、台湾はどうなのだろう。まだ、レストランなどに大勢を集め、セミヌードの運動員のお姉さんが愛嬌を振りまきながら饗応しているのだろうか。

大相撲初場所が始まったが、これは衛星放送で世界のどこでも見られるらしい。誰でも知っての通り、東西の横綱(グランドチャンピオン)はユーラシア大陸の大半を制覇したジンギスカンの末裔であって日本人ではない。それどころか、ロシア人や欧州人まで活躍していて、この完全に国粋的な格闘競技はすっかり国際化されている。小錦や曙のようなサモア人はすっかり姿を消したがなぜなのだろう。もっとも巨体にものをいわせた「push、push」の押し相撲一点張りじゃ見てても面白くない。神事だ、国技だと勿体をつけ、「ただ勝てばいいんじゃないんだ」とウルサイことをいう人も多いが、そこは勝負の世界、四十八手で決まれば立派に白星が記録されて誰も文句は言えないだろう。初代「若ノ花」の「揺り戻し」という豪快な決まり手はまったく見なくなったが、体型の似た「安馬」あたりに覚えてほしい手だ。

売り上げ世界一の店(Re: No.1402)

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/01/12 22:05 投稿番号: [1429 / 3149]
台湾に売り上げ世界一のマクドナルドの店があったとは、今まで聞いたことがなかったが、言われてみると思い当たるところがあります。ただし、その店はお説の「南京東路と林森北路の交差点」の店店でなく、マクドナルドが台湾に初上陸して開いた第1号店で、場所は民生東路3段135号です。第1号店開店の時期を調べたところ、幸いに資料が見つかりました。1984年1月28日と、日までわかりました。24年前ということになります。

その店が開いたときの盛況は、新聞、テレビに報道されて、全台湾を驚倒させました。一日に数百万元の売り上げと報道されていたから、本当に世界一だった可能性があります。その報によって、マクドナルド以外のアメリカのハンバーガー店が数軒台湾へ押し寄せ、台湾本土産のハンバーガー店も数軒創立されました。やがて競争に負けて次々と消えてしまったが、マクドナルドだけは今も健在のようです。

南京東路と林森北路の交差点の店は今でもありますが、それほど大きい店ではありません。昔は大きくて、今は小さくなったのかも知れません。

以前はひっそりと経営していた日本のモスバーガーが、最近2、3年のうち、どんどん店を増やしていますが、まだまだマクドのほうが優勢です。

売り上げ世界一の店(No.1402

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/01/12 21:08 投稿番号: [1428 / 3149]
メッセージ1402への

Re: 大石主税

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/01/11 20:40 投稿番号: [1427 / 3149]
「主税」の読みがなぜ「ちから」になるのかわからない。父の大石良雄は、いまどき小学一年生になってもおかしくない名だが、大石主税では、もう古すぎますな。

Re: 大石主税

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/11 20:20 投稿番号: [1426 / 3149]
ハイビジョン・デジタルテレビは素晴らしい。「よくここまで綺麗に映るものかな」と感心する。何十年も前、腕時計だか電卓だかの「液晶」を初めて見たとき、「これはテレビに応用できるかもしれない」と感じたのを覚えている。覚えてはいるが、露ほどの貢献をしたわけではない。

松下電器がその社名を捨て、年寄りにはお馴染みの「ナショナル」も放棄するという。泉下の幸之助翁のお気持ちはどうだろうか。

家電が日本の独壇場だった時代は終わって、韓国のサムスンとLGが世界市場を席巻している。中国の「ハイアール」も爆発的成長だ。日本の大企業は熟練熟達の技師、技術者を早期退職や定年で情け容赦なく放り出す。かれらを三顧の礼で迎える韓国、台湾、中国の企業。

インド洋の無償燃料補給法案が「差し戻し」で可決。ただ、これを批判しても私服警察官が内偵にも来ないし、懲罰的な召集令状が来る心配もない。ありがたい。

日露戦争の勝利は、日英同盟による英国の起債斡旋と無償の情報提供による貢献が大きい。二次大戦中、ジェット、ロケット技術の導入の対価として、潜水艦でドイツに運び込んだ金塊の量はハンパではない。

昔、日本長期信用銀行が破綻した。4兆円ちかくの国費を注ぎ込んで国有化したあと、わが自由民主党の政府は、それをアメリカのユダヤ系資本に10億円で売り払ってしまった。しかし、だれも、なにも言わない。

学研の「地球儀問題」で、マスコミが「親台湾・反中国」に傾いている。もちろん、一時的な現象である。見ててご覧、大資本・大企業が大旦那の日本のマスコミにそんな「根性」はありゃしない。「お旦」に逆らう、お妾はいないよね。

有田焼、ホワイト・オーク木箱入りのサントリーの「THE WHISKY」。25年前のやつ。やっと手に入れたのに、値打ちも知らない張さんにやるんじゃなかった。いまさら、返してくれとは言えない。

Re: 大石主税

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/11 00:24 投稿番号: [1425 / 3149]
ご指摘をいただいたように、「力」ではなく、「主税」でした。まぁ、昔の武士に「力」なんて名前はありませんね。今、日本の時代劇テレビドラマで「忠臣蔵」シリーズをやっていますが、なんだか、衣装ばかり立派ですが、これが面白くないんですね。台詞をトチらなければどのシーンもOKになるから、しかめっ面で台詞をいうのが精一杯で肝心の演技がまるでダメです。いくら元禄時代だって、武士の妻にしろ女中にしろ、成人式じゃあるまいし、普段、あんなギラギラした晴れ着なんか着ちゃいなかったんですが、そういうことが判っていないから、演出もカメラワークもマンネリの時代劇ドラマのレベルを出ていない。そこそこの視聴率をとればどこからも文句がこないテレビの限界でしょうか。

靖国神社参拝の件ですが、昭和天皇も「合祀」にお怒りになってこれを中止し、今上天皇も参拝なされないという現実はどのようにご覧になりますか。それは、誰がどこの寺や神社に行こうと自由ですが、右翼を偽装した博徒やテキヤが愛国者気取りで特攻服を着込み、徒党を組んで「参拝」するのは、暴力団が靖国神社を「しのぎ」のためのコケ脅しの道具に利用していると思われませんか。



大石主税

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/01/10 18:43 投稿番号: [1424 / 3149]
調べたところ、元禄元年に生まれ、元禄16年で切腹。父良雄の許しを得て参加したとあるが、あの時代は父の一言で父子の縁を切ることができたはずですがね。

ところで今年のお正月には、靖国神社の参拝者がどれほどあったか、日本のメディアはうんともすんとも言わない。これはきっと史上最多の數に達したからにちがいない。

Re: 忠臣蔵

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/09 20:05 投稿番号: [1423 / 3149]
  今年の初詣客は史上最高で一億人に近いらしい。参詣する者を「客」というのもおかしな表現だが、なぁに、行くほうだって毎年の惰性で足が向くだけで、「信心」などはありゃしない。「客」というのがあたっているだろう。だいいち、年に何度も「お参り」をすればこそ、元旦の「初詣」という言葉が成立する理屈なのだが、大抵の人は年の初めの一回こっきりであとはテコでも行く気遣いはない。安直な信心もあったものだ。わたしは無信仰だから子供の頃に親に連れられて行ったきりだ。

台湾の三義の知り合いの家で、キレイな日本語を話す主人が宗教のパンフだの写真を持ち出してきて盛んに説明をしていた。その写真、祭壇の蝋燭の上に小さな観音様の姿がハッキリ浮かんでいたが、ピントが違っていて、どう見てもネガを重ねて焼いた合成写真である。私だってまるっきりのバカではないから神妙に頷いて、ご主人の面子を立てたのは世渡りの「分別」というものである。

宗教の話は取り止めもなくなるから中止して「忠臣蔵」に移行しよう。これも東映映画だが、そのカットは大石内蔵助が自邸で書きものをしているシーンから始まる。やがて大石は大声で妻「りく」を呼ぶ。内蔵助は片岡知恵蔵、「りく」は小暮実千代で、両人ともドンビシャリ、これ以上の嵌まり役はない。「りく」は廊下で、武家の奥方の作法通りにお辞儀をして顔をあげる≪こんな女房がいまの日本にいるかぁ?≫。   内蔵助、机の書き物に目を落としたまま、倅の「力」がいるかと問う。「まだ、稽古より戻りませぬ」。内蔵助は返事もせず、机の「書き物」を畳の上に置き、僅かに手を動かして「りく」に差し出す。「して、…去り状じゃ」。かねての覚悟で「りく」は動揺を見せない。見せないが、そこは一流の女優であるから眼で万感の演技をするのである。

さて、この「三下り半」、「去り状」とは何ぞや。unhoo先生あたりは別として、外国人にはまず理解できないと思うがどうだろうか。学がないからわからないが、外国にも時代によって似たような習慣があったかも知れない。なにしろ、男の簡単な手紙一枚で理由も言い訳もなしに離婚が成立するのである。また、この「去り状」がないと、女は再婚もできないというから恐ろしい話だ。

廊下に座って頭を下げている妻に、「して、…去り状じゃ」とは、凄い時代があったものである。「かっこいい」などと言ったら女に睨みつけられる。

Re: 忠臣蔵

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/09 02:02 投稿番号: [1422 / 3149]
東映映画のそのシーンは大勢の畳職が勅使の泊まる寺の境内で作業をしていました。ただ、さすがに東映のドル箱映画だけにカネが掛かっていて、本職の畳職がちょん髷の鬘(かつら)をかぶり、畳針の運針などは恐ろしいほどの速さで仕事をしていて、それはしっかりカメラに収めていました。あれは駒の早送りではなく実際のスピードです。出来上がったその畳を本堂、宿坊に運び込むのは浅野家家臣の仕事なのですが、武家は弓矢と鉄砲、乗馬の稽古のほかに仕事はなく、職人仕事なぞはやってはならなかった。もちろん、そんな急な場で悠長なことは言っていられない。もう若侍が畳を抱えて忙しく廊下を行き来していた。明朝までに何百もの畳を敷き詰めるのに万一間に合わないでは御饗応不届きにより浅野家はお取潰しなになるやもせずである。だが、これさえ真実かどうかに異論があるようだ。忠臣蔵に嵌まり込んだらその底なし沼からでてこれない。邪馬台国のことになればもっと大変らしい。

忠臣蔵

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/01/08 22:44 投稿番号: [1421 / 3149]
小説によれば、浅野内匠頭は、松の廊下で吉良上野介に斬りかかったその前夜は、一睡もしていない。前もって、御殿の畳換えの必要があるかと吉良上野介に聞いたところ、必要なしとの返事だった。

ところが勅使を迎える前夜に至って、畳換えをするのが慣例になっているとの情報を得て、大急ぎで江戸の畳職人を集められるだけ集め、畳換え(畳表換えのことであろう)をやらせ、内匠頭は眠らずに、報告を聞いていたという。事実かどうかわからないが、わしが読んだ大仏次郎作『赤穂浪士』では、ここがひとつの山場になっていて、中学生のわしは、手に汗を握って読みました。

これが事実だとしたら、その晩大勢の畳職人が御殿の門の外の通りで、やかんや土瓶の水を口に含んでプープー吹き付けていたわけだ。門の外が一面にぬかるみになったことだろう。

Re: 土産物

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/08 20:28 投稿番号: [1420 / 3149]
「世情の噂によれば、伊達家からは加賀絹数巻、黄金百枚、探幽筆竜虎の対幅などが贈られたとか…」

  東映映画「忠臣蔵」で、脇坂淡路守が浅野邸を退出するとき、玄関先まで見送りにきた片岡源吾衛門に語りかける一シーンである。浅野家から贈られた「鰹節一連」とはエライ違いだが、もちろん史実ではない。「心がこもって」いようがいまいが鰹節は鰹節で、貰うほうは「黄金百枚」のほうがいいに決まっている。進物とお土産では意味合いがだいぶ違うけれども、「台湾になにを持って行けば喜ばれますか」と聞かれても、その台湾は世界的にも富裕な国で、港の無数のコンテナを見れば一目瞭然、貿易に制限があるわけではなく、多少の高い安いはあってもカネさえあれば何だって買える。
ただ、そう言っては身も蓋もないし、まじめな質問者を愚弄するつもりもないから、台湾人が買って帰る品物を思い浮かべれば答えは出てくるだろう。昔は「正露丸」「大田胃酸」「中将湯」「救心」などの和漢薬、「ルル」などの風邪薬、名前は忘れたがペニシリン軟膏のような皮膚薬など「薬」全般に人気があったが今は買う人もいないようだ。昔、「たまごっち」という電子ゲームが流行ったとき、台湾の友人、知り合いから「子供が欲しがっているから是非送ってくれ」と矢の催促が来たが入手できないうちにブームが去ってしまった。

土産物

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/07 20:56 投稿番号: [1419 / 3149]
  時折、ここの台湾トピに「台湾にお土産を持っていたいのですが、なにが喜ばれますか」という質問が寄せられる。旅行中に世話になり、再度の訪台で「なにか、喜ばれる日本の物を」というのは私も経験があるからわかる。これには、お約束のように「心がこもっていれば値段は関係ありません」という模範回答が出てくるのだが、わたしは綺麗ごとの建前を言うのは好きではないから、以前、「ソニーの最新のビデオカメラなんか喜ばれます」と、書いてやったことがある。もちろん冗談だが喜ばれるのは確かだろう。「なにか日本的なものを…」というのは誰でも考えるが、そうしたものは浅草の仲見世か東京タワーの土産物屋に並んでいるような安物の紛い品しかない。台湾人もよく知っているからそんなものは見向きもしない。だからといって、本物の浮世絵や輪島塗、御木本のネックレスを持っていく人はいないだろう。セイコーの腕時計でも10万を超えるアナログなら見栄えもいいが、アルバ・ブランドのデジタルじゃ礼も言ってくれない。話がすこしややこしくなるが、張家の長男から高山茶をお土産に貰って帰ったことがある。彼の姉を通じて聞いたその値段はにわかには信じられないほどである。彼は仕事をしている時間より座ってウーロン茶を飲んでいる時間のほうが長いのではないか、と思うような風雅な人で、わが家に帰って煎れたそのお茶はさすがに絶品だった。「これは会社の女性達の昼時に飲んでもらおう、自販機の伊藤園やサントリーの缶ウーロン茶とはまったくの別物だ。本物のウーロン茶とはかくも美味しいものだと認識を新たにするに違いない」と思い、お茶当番の人に渡してあげた。彼女が大きな急須にお茶を煎れたのは確認した。パートの女性は十数人もいたのだが、なんの反響もない。上手いもまずいもなんとも言ってこない。数日経って、「飲まないのなら返して貰おう」と思い、湯沸し室の戸棚を探したのだがモノがない。「あのお茶、どうした」と聞いたら、「以前、勤めていた○○さんが子供を連れて遊びにきたので上げちゃいました」

Re: 畳屋

投稿者: urfraternity 投稿日時: 2008/01/07 19:59 投稿番号: [1418 / 3149]
>畳屋さんの「プーッ」については・・・

もしやっていたとすれば、切り口を束ねて縁をつけるのにプーかも。縁を湿らすのに意味があるはず。しかし畳は新しいと言っても自然材料ですから手っ取り早い埃止めまもしれない、女房と畳は・・と言われたように匂いが独特でもあるし・・。
今でこそ霧吹きは安価な大衆品かもしれませんが、昔はそんなに安くはなかったでしょうし、江戸時代からの工芸品とも思えません。あるいは工芸品だったか・・・?確かに歯槽膿漏の匂いは適いませんが何度目からは弱まるでしょう。
ところで小学生のとき全く勉強のできなかった新宿某町の畳屋の息子が高層ビルのオーナーで羽振りがいいと聞く。足し算はできるようになったわけだ・・。こちらはヘンリーの法則やランキンの法則から逃れられないというのに・・。
とまあ、たまな投稿ですが、私見です。

Re: 畳屋

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/01/07 17:07 投稿番号: [1417 / 3149]
  畳屋さんの「プーッ」については機会があったら調べてみましょう。もし、この件で話が盛り上がり、あっちこっちから論客が来て、「やった」「やらない」の論争になったら、そこは私が≪言い出し兵衛≫ですから、頃合いをみて「もう、そんな水掛け論は止めようじゃないか」と畳み掛けてお仕舞いにします。
この正月から、漱石の「我輩は猫である」を読んでいます。これは若い頃に拾い読みをした覚えがあり、小学校の国語教科書にも載っていた記憶がありますが、こんどは猫が水甕に落ちて最後を迎えるまで読みきるつもりです。長編小説としてはストーリーが雑で、超短編をを寄せ集めたようなスタイルですが、英文学者であり、漢籍から落語まで通じていた作者の力作だけに予想外に面白く、たしかに一読の価値はあります。この作者、ダテに千円札の肖像になっているんじゃないんですねぇ。この話、これだけでは「トピずれ」になりますから、本の中頃に台湾の「生×」という言葉が一瞬だが出ていたことを付け加えておきます。明治時代は実に言葉の豊饒な時代で、それだけにこの小説も、今のNHKが絶対にオンエヤーしない単語が随分でてきます。
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