李登輝は法統に合わない総統?
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/13 14:37 投稿番号: [1450 / 3149]
李登輝氏が総統になったことは、当時の外省人に言わせれば法統に合わないのだそうだ。それでは法統とは何ぞやと聞いても、彼等は返事できなくて、黙ってしまう。彼等は理論を述べていたのでなく、感情を述べていたのである。蒋介石の一族か、または蒋介石父子の譜代の家来でない者が、総統という地位に就いたことに反発していたのだ。李登輝総統の在位12年間、外省人は法統論をぶつぶつ言い続けていた。しかし陳水扁が総統になったときには、彼等もやっと脳の掃除ができて、法統論を言わなくなった。
総統とか、総理の地位が転がり込んで来た者にとっては、その地位をしっかり掴んでおくことが先決問題である。地位を確保して、はじめて政治上の抱負を実行することができる。だから陳水扁氏はそれまで拒絶していた青天白日満地紅旗への敬礼や、三民主義の歌を歌うことを、総統に当選した後は実行した。小泉純一郎氏は、公約であった八月十五日の靖国参拝を、八月十三日というわけのわからぬ日に切り替えた。そこは大事の前の小事と、意地を引っ込めたのである。
李登輝が総統になた当初、意外な言行があったとしても、それは大事の前の小事を引っ込めただけのことである。
蒋経国が死んだ日から、李登輝氏は総統府から大直の蒋経国官邸まで、3km以上の道のりを、毎日2回車隊をつらねて遺体を礼拝しに行った。3回行った日もあった。おそらくは周囲に「法統に合わない」というつぶやきを感じて、俺は蒋経国から任命された副総統で、憲法により総統の職位を継承するのだぞということを、強調して見せたのであろう。蒋経国が死亡してから遺体が大溪に建築された遺体保存所に移されるまで1ヵ月半以上、毎日2回か3回押しかけられて、喪主の蒋孝勇氏はずいぶん迷惑したにちがいない。だから蒋孝勇氏は、数年後に喉頭癌で死ぬまで、最も強硬な反李登輝派だった。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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