李朝朝鮮

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Re: >土地調査事業

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/05/18 19:17 投稿番号: [804 / 1329]
>以前韓国のご老人から
同じ一反でもよく米の取れる上質の田とあまり取れない上質でない田では
広さが違うと聞いたことがあります
田の広さの基準がその田からの収穫量で決まっていたようですね

ええ。収穫量(生産量)に応じて1から6までに等級分けされていました。
そのため、同じ収穫量の土地でも、1級と6級とでは面積には4倍の差があったといいます。

Re: 過酷な植民地政策ニダ!

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/05/18 19:13 投稿番号: [803 / 1329]
>土地収奪論と言うのはまったくの言いがかりだと思いますが、彼らの中には本当に土地を奪われたと思った人もいるのではないでしょうか?
例えば公有地を先祖代々耕していた人で由来が伝わってなければ、ある日突然土地調査事業によって「おまえの土地でない」といわれてもすんなりと納得できるものではありませんし。

たしかに、当時の朝鮮の土地所有の概念・実態と近代的な土地所有概念とが乖離していたこともあったので、そう思い込んだ人もいたでしょうね。

>土地調査によって、土地所有権が公認確定された結果、多数の農民が零細農であったり、小作農であることに定まっても、土地調査としては止むをを得ないのであって、それらの問題は、土地調査により確立安定した土地制度の基礎の上に、今後農業その他の産業の発展を図ることによって解決すべき問題である。

それはそれ、これはこれ、という別の問題ですもんねぇ…

Re: >土地調査事業

投稿者: kidoufighter99 投稿日時: 2007/05/18 17:59 投稿番号: [802 / 1329]
>「斗落」は田んぼに使う単位で、一斗の籾殻をまく範囲で一斗落
以前韓国のご老人から
同じ一反でもよく米の取れる上質の田とあまり取れない上質でない田では
広さが違うと聞いたことがあります
田の広さの基準がその田からの収穫量で決まっていたようですね

Re: 過酷な植民地政策ニダ!

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/05/18 15:27 投稿番号: [801 / 1329]
>>1910年からおよそ8年間にわたって続いた土地調査事業で韓国の農民は、先祖代々の土地を奪われ貧農、小作農に転落しました。

土地収奪論と言うのはまったくの言いがかりだと思いますが、彼らの中には本当に土地を奪われたと思った人もいるのではないでしょうか?
例えば公有地を先祖代々耕していた人で由来が伝わってなければ、ある日突然土地調査事業によって「おまえの土地でない」といわれてもすんなりと納得できるものではありませんし。

http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_1517768.html

>如何に多数の農民が長年耕作し来った土地であっても、確実な公権的文書によって、土地の私有を証明し得る者があれば、その者に所有権ありと判定せざるを得なかったのである。農民が永年子孫相伝えて耕作し来った田土でも、その実、宮庄田であったり、賜牌田であったりして、農民は、単に耕作権を有するに過ぎなかった場合には、農民の所有権を認めるわけにはいかなかった。
土地調査は農地制度の改革ではないのであるから、公田の耕作農民に土地所有権を与えるというような農地解放は行われなかったのである。
土地調査によって、土地所有権が公認確定された結果、多数の農民が零細農であったり、小作農であることに定まっても、土地調査としては止むをを得ないのであって、それらの問題は、土地調査により確立安定した土地制度の基礎の上に、今後農業その他の産業の発展を図ることによって解決すべき問題である。

Re: >土地調査事業

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/05/18 01:21 投稿番号: [800 / 1329]
>これは詳しく知りませんでした。資料ありがとうございます。

このあたり、ちょっと調べるとおもしろいんですよねぇ。

>『当国に於ては、土地の面積を表示するに、通常水田は斗落を用ひ、畑は日耕を用ゆ。』

>『「斗落」は田んぼに使う単位で、一斗の籾殻をまく範囲で一斗落。
苗を植えるんじゃなくて、直播き単位なのね。
「日耕」は畑で、一日に耕作できる範囲が一日耕。』

「斗落」は音読みでは「トゥラク」ですが、朝鮮語では「マジギ」ですね。古代世界の単位によくあるように、人間本位の単位だと言えばそれまでなんですが、あまりにもアバウトすぎるんですよ。
ま、李朝の度量衡や土地所有といった概念に対する感覚が、奈良時代程度だったと思えば不自然でもないんですが。(苦笑)

>しかし、役所は出来たが、全く実績がない。(笑)
そこで、併合後に日本は、「測量技術者の養成」から初めて、・・・。(笑)

>どこが日帝の収奪事業なんですかあ。(笑)

ええ。大汗かいて技術を指導して実地の測量もして。
ったく、民族精気断絶の鉄杭なんて打っている暇があるかっちゅーねん…つい先日まで、その測量の結果である地図をそのまま用いていましたしねぇ。(すいません、該当記事を失念しました)

>結局ね、韓国は自分たちの歴史を知らない(故意に隠蔽している)と思います。

故意に隠蔽する人が教鞭を執り論文を書いて、歴史を知らない人を拡大再生産するわけですなぁ。
李栄薫教授のように自分の力で史料に当たり考えれば、答えは出るはずなんですがねぇ。

Re: >土地調査事業

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/05/18 00:56 投稿番号: [799 / 1329]
>土地調査事業ってのは、日本統監下の大韓帝国が進めていた事業の延長継続事業でもあったんですがねぇ。

これは詳しく知りませんでした。資料ありがとうございます。

-------------------- -

『当国に於ては、土地の面積を表示するに、通常水田は斗落を用ひ、畑は日耕を用ゆ。』

『「斗落」は田んぼに使う単位で、一斗の籾殻をまく範囲で一斗落。
苗を植えるんじゃなくて、直播き単位なのね。
「日耕」は畑で、一日に耕作できる範囲が一日耕。』

で、
『1898年(明治31年)7月には量地衙門が創設され、1901年10月には地契衙門という別な機関をつくり、1902年3月には量地衙門を地契衙門と合併させ、1904年4月にはその地契衙門を廃止して量地局を置き、1905年2月に量地局を廃止して度支部司税局に量地課を設置。』

しかし、役所は出来たが、全く実績がない。(笑)
そこで、併合後に日本は、「測量技術者の養成」から初めて、・・・。(笑)

どこが日帝の収奪事業なんですかあ。(笑)

>それにしても「日本は朝鮮の40%を収奪した」っていう俗説、「土地」「収奪」の定義からして不分明な、ためにする説としか思えないですよと。

結局ね、韓国は自分たちの歴史を知らない(故意に隠蔽している)と思います。

------------------------
『朝まで生テレビ』
日中韓3国で共同の歴史書を作れるか?
(前略)
田原総一朗   たとえば韓国の教科書を読みますとね、僕は読んだんだけども、韓国の歴史がまったく書いてないんですよ。つまり反日の歴史だけが書いてある。

笠原十九司   まあ、国がなくなりますからね、1910年から。

田原   いやいや、その前も。

笠原   ああ、その前も。

田原   国があったときから。

>土地調査事業

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/05/18 00:02 投稿番号: [798 / 1329]
>「土地調査事業」で正確に耕地面積を把握することは、食料計画から、農業政策の立案、課税収入の安定、国家予算の配分まで、国家の運営に必要不可欠。この結果、実は税金を逃れる両班や地主の隠田が数多く発見された。
朝鮮総督府がこまやかな説明を農民に行い、農民の協力の下に行われた。少なからぬ農民は強奪された土地を取り戻すこともできたし、自作農になれた場合もある。
「土地調査により所有不明などで、総督府が接収した土地は全耕地の3%」
日本人関係所有土地は、「全耕地面積の5.7%」
(「日本植民地経済史研究」(名古屋大学出版会刊))

土地調査事業ってのは、日本統監下の大韓帝国が進めていた事業の延長継続事業でもあったんですがねぇ。

うまい具合に、以下のブログでネタにしている最中ですので。

獄長日記
http://ameblo.jp/dreamtale/

それにしても「日本は朝鮮の40%を収奪した」っていう俗説、「土地」「収奪」の定義からして不分明な、ためにする説としか思えないですよと。

トリップさんたちにレスしようとしたら、

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/05/17 23:50 投稿番号: [797 / 1329]
はじかれた・・・(つд`)

長文書いてたのに・・・文章が〜ぁ!!!

また出直します。

Re: 王様の誕生祝い

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/05/15 23:42 投稿番号: [796 / 1329]
おいおい、李朝・大韓帝国を否定して建てた“大韓民国”なんだろ?
その大韓民国の準政府組織が、どうして李王朝儀式の再現・継承なんだよ(笑)

>再現された

王ってことは、誰かからその地位を授与されたってことだ。
その誰かってのは宗主国さまの支那。
その点を曖昧にするなよ。

>同行事は9月30日まで毎週の日曜日に1回ずつ行われる。

でも、こういうムダづかいをしたせいで、国がガタガタだったってのは事実だわな・・・(略)

シャルル・ダレでちょっと思い出しました

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/05/15 23:42 投稿番号: [795 / 1329]
先ほど、シャルル・ダレの名前が出ましたので、ふと思い出したんですが。

朝鮮は清国に毎年美女・牛・馬3千を献じていた、という言説はどこがネタ元なんでしょうかねぇ。

黄文雄は『歪められた朝鮮総督府――だれが「近代化」を教えたか』『韓国は日本人がつくった』において、その「風聞」について記されているダレの「朝鮮事情」を引きつつも、「3000人とはあまりにも多すぎる」として疑問・不支持をも提示しているんですが…

朝鮮半島に関する言説って、思想信条立場に関係なく、アヤシイものが多いように思えるんですよねぇ…「試し腹」なんてのもそうでしたが…

Re: 過酷な植民地政策ニダ!

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/05/15 23:15 投稿番号: [794 / 1329]
>>西洋諸国の場合は、すでに植民地経営の目的は、間接統治方式でその地域の資源や自分たちのもっている資本を輸出することでした。しかし日本の場合はまだ市場経済で優位を占め朝鮮を支配する力量がありませんでした。そのため直接統治の形式をとるほかなく、それで日本の植民地支配政策は他の国々に比べて過酷だったのです。

つーか、朝鮮の場合搾取できるような資源も収奪できるものもなかったわけで、日本が一から資本主義の種を播いて育てるしかなかったと。

>朝鮮総督府がこまやかな説明を農民に行い、農民の協力の下に行われた。少なからぬ農民は強奪された土地を取り戻すこともできたし、自作農になれた場合もある。

>>1910年からおよそ8年間にわたって続いた土地調査事業で韓国の農民は、先祖代々の土地を奪われ貧農、小作農に転落しました。

総督府も万能ではないので、自作農を劇的に増やすことはできなかったんですが、それを以て収奪構造の固定化のように解釈したがる方も居ましてー。(苦笑)

>堤岩城教会事件は例外ですが、韓国の教科書のように、犠牲者は少女や乳飲み子ではなく、暴動容疑者です。
教会の被害は暴動朝鮮人の主体が天道教徒にあり、キリスト教会を排撃するため放火したのが原因。

ま、提岩里事件は、現場指揮官の有田中尉のミスなんですよね。組織的計画的な虐殺ではなくて。

王様の誕生祝い

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/05/15 23:07 投稿番号: [793 / 1329]
13日午後、ソウル鍾路区臥龍洞(チョンログ・ワリョンドン)の昌慶宮明政殿(チャンギョングン・ミョンジョンジョン)で、朝鮮(チョソン)王朝の第21代王の英祖(ヨンジョ)王の50回誕生祝いである「朝鮮時代の御宴儀礼」が韓国文化財保護財団によって再現された。英祖大王の役を引き受けた人(左)が誕生日を迎え開かれた響金友舞を鑑賞している。同行事は9月30日まで毎週の日曜日に1回ずつ行われる。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007051402128

過酷な植民地政策ニダ!

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/05/15 22:58 投稿番号: [792 / 1329]
どうでしょうか。この韓国による植民地経営の解釈は?(笑)

3.1独立運動
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=1356

>西洋諸国の場合は、すでに植民地経営の目的は、間接統治方式でその地域の資源や自分たちのもっている資本を輸出することでした。しかし日本の場合はまだ市場経済で優位を占め朝鮮を支配する力量がありませんでした。そのため直接統治の形式をとるほかなく、それで日本の植民地支配政策は他の国々に比べて過酷だったのです。

欧米列強の収奪型植民地とは、小農民から耕作地を取り上げ、プランテーションという大規模農場を始めて安い賃金で働かせ、植民地の原産品を収奪し、その加工品を売りつけ、植民地を消費地に落とすことである。二重に搾取された植民地には、過酷な労働以外は何も残らない。
VS   日本の統治。
1.鉄道、道路、橋梁などの交通機関の整備により、経済が活性化し、ダム・植林・灌漑施設の整備など農業生産も飛躍的に増大して、李朝での飢餓問題も解決された。
2.教育が普及し、医療制度も近代化して予防制度が確立した。人口と平均寿命は2倍になる。
3.私有財産の処分、移動、職業選択と居住の自由が認められ、経済秩序が確立した。
4.法治制度の下に公正な裁判が行われるようになり、賄賂の慣習が一掃された。

>1910年からおよそ8年間にわたって続いた土地調査事業で韓国の農民は、先祖代々の土地を奪われ貧農、小作農に転落しました。

フランスのダレ神父、『朝鮮事情』。
「両班は世界中で最も強力にして傲慢な階級である。彼等が強奪に近い形で農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払い無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令(知事)は一人もいない」。

「土地調査事業」で正確に耕地面積を把握することは、食料計画から、農業政策の立案、課税収入の安定、国家予算の配分まで、国家の運営に必要不可欠。この結果、実は税金を逃れる両班や地主の隠田が数多く発見された。
朝鮮総督府がこまやかな説明を農民に行い、農民の協力の下に行われた。少なからぬ農民は強奪された土地を取り戻すこともできたし、自作農になれた場合もある。
「土地調査により所有不明などで、総督府が接収した土地は全耕地の3%」
日本人関係所有土地は、「全耕地面積の5.7%」
(「日本植民地経済史研究」(名古屋大学出版会刊))

>日本は韓国全土に憲兵と警察を配置し、完全な監視体制を構築しました。

プッ。
台湾統治に派遣された警察官の数に比較して、朝鮮総督府の警察官と憲兵の数は3分の1の人数でしかない。しかも、その半数以上は、現地の朝鮮人を採用した。朝鮮人警察官4440名を入れて総数7712名にすぎなかった。現在の東京都総人口1200万人に対し2万5000人の警官配備に比べると、2倍以上の人口の朝鮮は6分の1以下の配備比率である。

>農民、労働者、地方の人々が参加しこの運動はより過激に、暴力的な形態の運動となり、それに連れて日本の鎮圧も強力になりました。
>日本は各地のデモの主導者を逮捕し、無差別の発砲と殺戮で弾圧しました。
>日本の公式集計によれば3.1運動が起きてから2ヶ月間の死亡者は7500人、負傷者1万6千人、逮捕者6千人、そして49の教会と学校、715軒の民家が延焼したとありますが,

これは、韓国の捏造の歴史教科書の記録。
朝鮮総統府の記録では、「死者553人、負傷者1409人、収監されたのは8437人」。
その原因は、朝鮮人の暴動が日本人殺害・襲撃、放火など過激になったためです。
無差別な発砲や殺戮はしておりません。
堤岩城教会事件は例外ですが、韓国の教科書のように、犠牲者は少女や乳飲み子ではなく、暴動容疑者です。
教会の被害は暴動朝鮮人の主体が天道教徒にあり、キリスト教会を排撃するため放火したのが原因。

Re: これが欧米のやり方

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/05/15 22:15 投稿番号: [791 / 1329]
『(前略)
  国王はちょうど満一カ年後に露国公使邸から慶運宮に帰ったが、このあいだに露公使は米公使と策応して、数々の利権を獲得した。森林伐採権は露人プリノに、平安北道の雲山金鉱は米人モーリスに、京義鉄道の敷設権が仏人グリルに与えられたのはその一例である。(中略)
露国士官によって公然と韓国兵を訓練しはじめたのはまだよかったが、外務大臣を強制して露韓同盟条約に調印させ、韓国総税務司英国人ブラオンを罷免し、露国人アレキセーフを海関総弁に就任させて、一挙に兵権と財政権をにぎってしまった。
  これに対して英国と日本は強硬に抗議し、アレキセーフとロシア武官たちは罷免、ブラオンは復職した。(中略)
  親露派の李範晋、沈相薫などは恐慌し、朝廷もまた露国を敬遠して、米国への接近をはかりはじめた。京城の水道、電灯、電車は米人コールブランに特許され、彼はまた朝廷と合資して漢城電気会社を設立した。京仁鉄道の敷設権を得たのも同じく米国人モーリスであった。(中略)
  露国は翌年、パブロフ条約の締結者として北京外交界で敏腕をうたわれたパブロフを公使として京城に送り込んだ。彼は関東州の租借に成功し、東清鉄道をウラジオストックに直結した上は、朝鮮半島を手中におさめることは易々たるものと自信していたようだ。着任間もなく、伯爵ゲーゼリングに、咸鏡、江原、慶尚三道に捕鯨の根拠地を獲得させ、さらに韓国政府と密約して馬山浦に露国東洋艦隊用の石炭貯蔵所と海軍病院建設の許可を得た。

鎮海湾軍港事件
  三十二年四月、露国艦隊四隻は馬山浦に入港し「東洋汽船株式会社」と表記した木標と石標一千本を陸揚げし、海岸地帯約三十万坪に打ち込んだ。
  「露国の馬山海軍根拠地は表明化し、日本の朝野を震撼した」と広江沢次郎は書いている。時の参謀総長は大山巌、次長は寺内正毅、釜山領事は伊集院彦吉であった。領事の密電によって、参謀本部は、鋳方中佐を派遣し、領事及び釜山の実業家迫間房太郎とともに秘密の活動を開始した。工作は困難をきわめたが、露国の標柱は朝鮮人墓地にも打ち込まれている、つまり祖先の聖地を串刺しにしたわけだから、朝鮮人は怒り、土地不売同盟を結んだことが日本側に幸いした。日露双方は朝鮮人の密偵を使い、猛烈な買収戦を開始し、露国艦隊は郡守を軍艦に監禁脅迫することまで敢えてしたが、ついに日本側の抵抗が功を奏し、露国は馬山浦をあきらめ、その隣の鎮海湾の軍港化を狙った。
  パブロフ公使は京城で鎮海湾租借に奔走しはじめた。林公使の妨害運動もききめがない。日本軍部は重大決意をもって、軍艦を対馬竹敷港に集中し、ある日突如として水雷艇隊十数隻を湾に進入させ、四隻の露国艦隊の間を一列縦陣で旋回せしめた。
  露国艦隊は胆をつぶし、抜錨して逃げ出したと広江氏は書いているが、朝鮮における日露戦争は、この時すでに始まったと見ることもできる。なお、同氏によれば、露国側の文献にも、この事件について次のような記述があるという。
  「日本軍隊の忠烈義勇には驚嘆のほかはないが、日本人は商人に至るまで、強烈な祖国愛に燃えている。露国がかつて朝鮮馬山浦に海軍根拠地を作らんとした時も、日本の一商人が機先を制し、勇敢にドンドン土地を買占め、ついに露国の計画を目茶目茶にした。実に日本人一般の熱烈なる愛国心には驚くべきものがある」
  これが勃興期のナショナリズムであろう。』

Re: これが欧米のやり方

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/05/15 21:58 投稿番号: [790 / 1329]
いつも分かり易い説明で、理解の助けになります。
中国・インドと英国が出たので、日本と朝鮮を取り巻く欧米・中国との関係について。
次の本を読んでいると、朝鮮半島の歴史は欧州・日本が後退しただけで、現在も中国・ロシアの巻き返しと米国との確執が続いていると感じました。
六カ国協議は、形を変えた「朝鮮半島利権会議」みたいなものですからね。(笑)
------------------------ -
林房雄著「大東亜戦争肯定論」より
『日韓併合   朝鮮を狙ったのは日本だけではない
(前略)
当時、朝鮮を属領視していた清帝国の実力とロシア帝国の南下政策、および間接にこの半島を狙っていた英、米、仏の圧力であった。
  これが、日本弁護の詭弁でないことを証明するためには、まず歴史年表について見よう。
  一八六〇年(万延元年)、英仏連合軍北京に侵入。ロシアはその調停を口実にして、清国の沿海州を割譲させた。一八六一年、ロシア艦隊対馬を占領。幕府はイギリスに頼んで、半年後にこれを退去させた。一八六七年(慶応三年)、フランスはカンボジアを保護国とした。
  以上は、幕末の事件だが、維新以後の年表によれば、まず明治四年、ロシアは清国のイリ地方を占領。明治五年、千島と交換の名義でカラフトを領有。明治六年、ニコライエフスク鎮守府をウラジオストックに移し、海軍根拠地とした。
  明治十六年、フランスは清国と戦い、安南を保護国とし、つづいてカンボジアその他を併合して総督政治をしいた。この時、フランスは日本自由党員の一部に金百万円と東洋艦隊を貸与し、清国の半属領たる朝鮮攪乱を計画したが、日本政府の反対をうけて断念した。
  明治十八年、イギリスはビルマを征服、さらに朝鮮巨文島を占領したが、日・清・露の抗議により二年後に撤退。明治二十年、ポルトガルはアモイを占領した。
  日清戦争はこのような国際的背景の中で戦われ、勝利は日本に帰したが、たちまちロシアを先頭とする「三国干渉」の反撃を受け、遼東半島を還付し、朝鮮からの後退を余儀なくされた。
  明治二十九年、三国干渉の直後、ロシアはモスクワで李鴻章と交渉、ウラジオストックに達する東清鉄道敷設権を獲得。同時に露支攻守同盟の密約を結んだ。
明治三十年、ロシアは遼東半島を、イギリスは威海衛を租借。さらにロシアは釜山港外の絶影島を租借しようとし、日本の反撃によって失敗。同年、イギリスは香港対岸の九竜を租借。明治三十二年、ロシアは朝鮮随一の良港馬山浦に土地数十万坪を買収し軍港にしようとしたが、日本の妨害で中止。フランスは広州湾を租借。
  明治三十五年、鴨緑江下流の竜岩浦を租借し、砲塁を築造し、九連城、鳳凰城に一旅団の兵を駐屯させた。
  右のような前提と環境の中で日露戦争は戦われ、朝鮮併合は用意されたのだ。左翼史家は、明治九年の江華島事件(朝鮮軍による日本軍艦の砲撃)を好機として、日本が韓国に強制した「修好条約」が不平等条約であることを指摘して日本の帝国主義的侵略の開始を強調するが、右にあげた諸条件の中では、むしろそれは清国とロシアの圧力に対する日本の自衛と抵抗であったと見ることのほうが正しい。間にはさまれた朝鮮にとっては、激憤以外の何物をも生まぬ屈辱にちがいないが、私はこの日本の膨張政策も併合後わずか三十五年で崩壊したことに注目したい。
  この歴史の歩みの早さを、私たち明治生まれの者は、自分の目で見て来た。しかも、日本敗戦によって解放され、独立したはずの朝鮮は完全に二分され、北にはソ連または中共、南にはアメリカの圧力がかかっている。歴史とはこのように非情なものだ。』−続く

Re: こんばんわ、はじめまして

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/05/13 22:58 投稿番号: [789 / 1329]
>イギリスの議会でさえ、この戦争に反対した議員が居たそうですが大勢は聞く耳を持たない・・・

本当にそういうのはごく少数でしょう。
理不尽でも、難癖を付け、戦争体勢を示して威嚇することは
日本の生麦事件でも行いましたから。
これがあの時代の英国の基本姿勢なのだと思います。

>言いにくいのですが彼らを敵に回すことは私は賛成できません。
>現実の問題として中国が有ります。

歴史観を真っ向から正しいと思うことをぶつければよいという程、単純なことではないと思います。

大東亜戦争の敗戦後、力関係によって、日本に不利に歪められた歴史観で、
現在でも、日本は大変国益を損なっています。

ネットで中韓の歴史観に腹を立て、憂えてる日本人達が一番覆したいのが、
戦勝国に押し付けられた東京裁判史観です。
最近の米国での下院での慰安婦騒ぎに見られるように、中韓はそれに乗じて悪乗りしている。

日本の歴史観に憂えてる人は、欧米は話せばこの件を冷静に受け止めわかってくれるのではないかと思ってますが、
植民地支配の過去に対するオランダや英国の態度を見れば、それは無理なような気がします。

東京裁判史観を崩すためには・・・
ヨーロッパの人達は、アフリカで、アジアで、アメリカ南北大陸で、オーストラリア大陸で、
実に迷惑なことをしたと、つよ〜く認識させる歴史観を作らなければいけないのでは?と最近、ちょっと思っています。
じゃないと、日本が結果的にアジアを開放したことを、先進国であり、戦勝国の欧米は受け入れられませんよね。

英国では、あまりアヘン戦争やインドの綿製品についてちゃんと教えてないらしいです。

1980年発行の歴史辞典には、簡潔にこんな感じです。
「インドの古来からの繊維工業は、19世紀にヨーロッパからやってきた機械の繊維製品によって、
インドにとっては都合の悪い影響を受けることとなった。」

これじゃ〜、インドに悪いことしたななんて対して英国人は思いませんね。
せいぜい、大英帝国の技術的に優れた素晴らしい製品を
インドの土人が知って欲しがり、従来の製品が売れなくなったんだろうで終わりです。




>これから暫く仕事が忙しくなるのでPCを離れねばなりません。

またお邪魔するかと思いますが宜しくお願いします。


当トピは、日常生活に妨げにならない程度にゆっくり投稿していく・・・がモットーです。
文雄さんのペースでご参加ください。

Re: こんばんわ、はじめまして

投稿者: kohbunnyuu 投稿日時: 2007/05/12 23:50 投稿番号: [788 / 1329]
>生活必需品に困ってのことではなし、節約すれば済むこと。
アヘン戦争醜すぎです<

確かに仰るとおりです。

イギリスの議会でさえ、この戦争に反対した議員が居たそうですが大勢は聞く耳を持たない・・・

そのような状況だったと言うことです。

しかし・・・・

言いにくいのですが彼らを敵に回すことは私は賛成できません。

現実の問題として中国が有ります。

黄色い文雄さんの言うとおり(まだ本は読んでいないのですが)龍をきどる大国、中国はこれから世界にとって恐るべき存在になります。

その巨大な人口が彼らの望むように豊かになって行くためには膨大な量の資源が必要になって来るでしょう。

今の中国を見ていると「もっと豊かに、もっと金持ちに・・」と声を張り上げる人民を政府がむしろコントロールするのに必死・・・

私はひょっとしたらひねくれ者なのかそんな見方をしています。

米軍が半島から徐々に手を引こうとしている今、韓国はどうすべきか?

残念ながら私には想像もつきません。

安部首相の言うように日本が国連の安全保障委員会の常任国になりお隣の国の窮状をお助けできれば良いのですが・・・

これから暫く仕事が忙しくなるのでPCを離れねばなりません。

またお邪魔するかと思いますが宜しくお願いします。

Re: こんばんわ、はじめまして

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/05/12 02:29 投稿番号: [787 / 1329]
トピずれですが、朝鮮を併合した時代状況を知るために、
欧米列強の世界は無視できないので話を続けます。

>>インドでも、中国でも、貿易相手国が思うように自国製品を買わないと、理不尽に怒り始め、その国を徐々に滅ぼしていく・・・これが欧米のやり方です。

かつてインドや中国をヨーロッパ人は侵略しましたが、
最初は貿易から入っていくんですよ。

インドも最初の出だしは中国と似ていて、
インドが買ってくれるのは、皮革、羊毛、蜜蝋ぐらい。
欧州はインドのような何でもある国が欲しがる商品を提供し、利益を上げることはできませんでした。
欧州が欲しがる贅沢品はそれなりの値段で、インド貿易では赤字でした。
この時代、このおかげでヨーロッパの上流階級は綿の下着を一週間に一度着替えることができるようになりましたが、
イギリスでは、インドの綿織物の輸入に悩まされていた毛織物業の組合が議会に陳情する事態になります。
綿織物が大量に輸入されたため、以前のようには羊毛が売れなくなって困っている羊の飼育者業者達の強力な支援を得て、毛織物業者は1700年代に、インドからの綿製品の輸入を禁止する法律を議会で無理やり通しました。
1702年頃には、インド綿製品を身につけても罰せられるほど厳しいものとなりました。
そして、あれこれと軍事制圧があって、インドは蒸気機関の発明で工業国化し、紡績工場を持つようになった英国に原材料の綿花だけを供給する成り下がります。
そして、東インド会社は、インド独自の何千という繊維生産の手工業をつぶしました。
(両腕を切り落とされたり、それでも足りないときは両目をくりぬかれた・・・とか;)
http://www.jca.apc.org/peacenet/back/news171f.html
ガンジーがイギリス製品の綿製品を着用しないで、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用を呼びかけたり、
「インドの糸車を廻すガンジー」の写真がシンボルとなったのは、
このことに対する反発なのですね。



私は経済は特に詳しくないのですが、
どうもヨーロッパは、非ヨーロッパ圏の国が貿易で一方的に儲けると、
自国でマスコミを煽り、相手国がどうかしてるフェアじゃないと騒いで、
闘争的な空気を作り出し、制裁だとか一方的なことをしようとするような。
これは今も同じかな〜と。
日本の経済の仕組み自体に内政干渉したり、制裁をちらつかせてますよね。

大体、イギリスがお茶や異国趣味のインテリア家具のために損害をこうむったというのは、
単なる浪費だろうと・・・(苦笑)
生活必需品に困ってのことではなし、節約すれば済むこと。
アヘン戦争醜すぎです。

Re: こんばんわ、はじめまして

投稿者: kohbunnyuu 投稿日時: 2007/05/10 21:57 投稿番号: [786 / 1329]
ご丁寧な補足有難うございます。

私は一時日本語教師を目指したことがありまして貴方のおっしゃることは
大体よく理解できます。

ただあくまで「大体」なんで貴方の言われた分類を用語としてしっかりを頭に入れないといけません。

それから色々ご教示頂ければ幸いです。

宜しくお願い申します。

Re: こんばんわ、はじめまして

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2007/05/10 01:43 投稿番号: [785 / 1329]
>確かに大体が印欧語族と言うのは征服民族ですよね。ご存知だと思いますが
>約五千年前ロシア中央平原で生まれた印欧語は馬の馴用に成功してその兵站を優位にしそれを武器にあっという間にヨーロッパを席巻しました。

少々補足させてください。

元来、印欧語派というのは、約8000年前に起こり、その発祥は南ウクライナ、或いはアナトリア(現トルコ)と言われております。

最近の比較言語学の研究では、「原印欧語」から紀元前6500〜6700年前頃に「アナトリア語派(ヒッタイト祖語)」と「印欧祖語」とに別れ。

紀元前5000年頃に「印欧祖語」からギリシャ語派・アルメニア語派が分岐し。
紀元前3000年頃にゲルマン語派・イタリック語派が分岐したと言われています。
(2003年。ニュージーランド・オークランド大学のラッセル・グレー博士による)

更に紀元前2000年頃にインド・イラン語派が分岐します。

歴史上、欧州に最初に「騎馬で」侵入したのは「スキタイ人(スキュタイ、とも)」と言われます。
*前5世紀、シレジア(シュレージェン。ドイツ・ポーランド・チェコ国境地域)文明を滅ぼしたのは、
この、ヘロドトスの「歴史(ヒストリエ)」で有名なスキタイ人です。

スキタイはインド・イラン語族と言われています。

それ以外で、騎乗・馬の馴致に秀でた印欧語族は概ね西アジアの「インド・イラン語族」でした。
*スキタイ以降、騎馬・騎乗に優れた民族は、ほぼアルタイ諸語のモンゴル諸語、チュルク諸語、ツングース諸語を話す民族でしたが。

欧州を主要活動域にした諸族は寧ろ、騎馬文化とはなじみの薄かった諸族でした。(少なくとも紀元前後までは)

Re: こんばんわ、はじめまして

投稿者: kohbunnyuu 投稿日時: 2007/05/09 20:09 投稿番号: [784 / 1329]
>これが欧米のやり方です。程度ややり方は多少は変りましたが、
今でもその姿勢は変わりないような気がします<

この間は温家宝にお怒りでしたね(^^

まあ日本人としては当然のことだと思います。

確かに大体が印欧語族と言うのは征服民族ですよね。ご存知だと思いますが
約五千年前ロシア中央平原で生まれた印欧語は馬の馴用に成功してその兵站
を優位にしそれを武器にあっという間にヨーロッパを席巻しました。

しかもヨーロッパ大陸はいくつのもの山や谷で小国にわかれ戦争ばっかり
してきた。

そういうわけで言わば西欧は「戦争のプロちゅうのプロ」と言えるのでは
ないのでしょうか?

秋風さんが言われたので思いついたのですがひょっとしてイギリスの
生み出した「議会制民主主義」というのはひょっとしてもっとも
「戦争に適した政治形態」だ。なんてことは・・・・

ありえますね(絶句)

Re: れ: 宮 クン〜ラブ・インパレス

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/05/08 23:23 投稿番号: [783 / 1329]
>「宮」ですか。韓国で大ヒットしたドラマだそうですが、私ぁ見たことありません。
続編(「宮 2」)もあったはず。


大ヒットですか・・・権力やお金を持ってる男性に見初められてハッピーエンド設定ものは、永遠の女性のおとぎ話。
西洋のハレークインロマンスや最近流行った日本の「花より男子」に通じるものがあるかもしれません。

李朝を残した方が、南北統一はしやすかったのに・・・と見るのは安易過ぎ?

こんばんわ、はじめまして

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/05/06 23:17 投稿番号: [782 / 1329]
黄色い文雄様かと思ってしまいました(笑)
黄文雄様のファンです。本も数冊持っています。

インドでも同様で、欧州人は、皮革、羊毛、蜜蝋以外でインドのような何でもある国が買ってくれそうな商品を提供することはできませんでした。

>『が天朝の茶、生糸などは汝らの必需とする所であって
天朝よりの恩典としてこれを認めるものである』


東インド会社はかなり長い間、茶貿易を行っていました。
1664年頃、東インド会社の重役達は自国の英国王チャールズ2世に、
5・4ポンドのわずかな茶を送りました。
王は海外の鳥のコレクションが趣味だったので、それを送ることができないための苦肉の策でした。
ところが、国王が茶を大変気に入り、宮廷や議会でも出され、
イギリス人の国民的熱狂な茶ブームを引き起こしました。
更に、中国様式の工芸品に、欧州の王侯貴族が狂ったように夢中になり、
支那の絹・磁器・ランプ・漆の家具を競い合って求め、
東インド会社の18世紀中の支払い超過は一億ポンドという当時としては天文学的数字の金額となりました。

英国では、世論・議会が中国人が西洋の商品を買い渋ることに怒り始めてました。ロンドンの一般大衆には、どうして中国人が西洋の品物を賛美しないのか、購買することに執拗に抵抗してるのか理解できませんでした。
新聞は、中国人が何も買おうとしないのは、彼らが偏狭で文明の遅れた野蛮な人間であるからだと書き立てました。
東インド会社は、この貿易の赤字を埋めようと、2・30年間、中国の市場向けに儒教と道教の奉納画を輸出しました。が、それもうまくゆかず、ポルノ画を輸出したのですが、中国当局の抵抗に合います。
しかし、この件で知った非合法ルート(中国の役人達を買収して)でインドで栽培したアヘンを中国に輸出することになるのでした。


欧州は実は貧しい地域です。
それが世界中の物産を求め、フロンティアを求める冒険者(欧州で生きていけない難民)を輩出する原動力を生み出したのでしょう。

インドでも、中国でも、貿易相手国が思うように自国製品を買わないと、理不尽に怒り始め、その国を徐々に滅ぼしていく・・・これが欧米のやり方です。程度ややり方は多少は変りましたが、
今でもその姿勢は変わりないような気がします。

Re: 中国は銀本位制だったんですね

投稿者: kohbunnyuu 投稿日時: 2007/05/05 08:46 投稿番号: [781 / 1329]
始めまして。
ロムらせて頂いております。

中国は伝統的に銀本位ですね。
いやこの場合シナといったほうがいいのかな?

清朝では宦官が皇宮に山とつまれた銀をお尻の穴に隠して
くすねていたそうです。

19世紀に入るまで清国はイギリスなどの西洋に対しお茶
やら陶器、生糸などの輸出超過で大量のメキシコ銀が流入
し、一種のインフレでした。

もっとも景気も良かったので庶民も結構潤っていたようで
すね。

イギリスはマッカートニーという外交官に皇帝(乾隆帝)
に抗議させるのですが

『天朝は大国であって物産はあまねくこれを産し特に西夷
に求めるものは無い。西夷の毛織ものラシャなどは珍希な
ものであって天朝の必需ではない』

『が天朝の茶、生糸などは汝らの必需とする所であって
天朝よりの恩典としてこれを認めるものである』

などと宣わったとのこと。マッカートニーもその通りなので
すごすごと引き下がるしかなかったそうです。

アゲついでに・・・

中国は銀本位制だったんですね

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/05/04 01:40 投稿番号: [780 / 1329]
結局のところ、現在に至るまでアメリカは自分の国の経済が安定さえしてれば良いのです。

今でもこの傾向は変りません。マスコミが大ぴらに言わないだけです。

外出先からなので、詳細はまた後日にさせていただいきます。

Re: 宮 クン〜ラ

投稿者: hidropneumatique 投稿日時: 2007/05/02 08:19 投稿番号: [779 / 1329]
もしかしてそのおみせ・・・。
ったりして。

Re: れ: 宮 クン〜ラブ・インパレス

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/04/30 01:08 投稿番号: [778 / 1329]
>>「もしも、大韓帝国(李王朝)が続いてたら」
「日帝崩壊で保護国がなくなり、再び中国(中共だよな)の属国に」としか
想像できませんが。

ええっと、たしか、
「日韓併合後、満州に逃れた王族が抗日戦争を指揮したため、第二次大戦後に大韓帝国を復興することができた」
というように、一応の辻褄は合わせていたかと。

ま、大韓帝国からいかなる形においても統治権の委譲を受けず、朝鮮半島住民の負託をも受けておらず、さらには大日本帝国に宣戦布告も通知できていない(つまり戦争の当事者足らざる)「上海臨時政府」よりはましにみえてしまうのですよ。(苦笑)

れ: 宮 クン〜ラブ・インパレス

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/04/30 01:00 投稿番号: [777 / 1329]
「宮」ですか。韓国で大ヒットしたドラマだそうですが、私ぁ見たことありません。
続編(「宮 2」)もあったはず。

>「もしも、大韓帝国(李王朝)が続いてたら」
「日帝崩壊で保護国がなくなり、再び中国(中共だよな)の属国に」としか
想像できませんが。

宮 クン〜ラブ・インパレス

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/04/30 00:52 投稿番号: [776 / 1329]
今日、ビデオ屋で、寒流コーナーで

http://www.tv-tokyo.co.jp/love_in_palace/

こんなダサ派手なパッケージのDVDを発見しました。

東京テレビで深夜枠だから、全然知らなかったのですが、

内容が興味深い。

「もしも、大韓帝国(李王朝)が続いてたら」の話でミリオンセラーになった少女漫画が原作です。
韓国で高視聴率だったとか。アジア10ヵ国で放送されたらしいです。
HPのストーリーを読んでみたら、英国ウィリアム王子が訪韓する設定になってるwのに、
ヒロインがタイに何度もバレエコンクールに行っても、タイ王室のどなたも話しに絡んでこない不思議。

Re: 党争の効能は

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/04/30 00:52 投稿番号: [775 / 1329]
>親の霊前に灰を投げつける信長ような「うつけもの」の跡継ぎは
儒教圏の李朝では絶対、抹殺ですね。(笑)

基本的にはアウトでしょうけど、まかり間違って高麗末期のような乱世に生まれ合わせ、魏武(曹操)のように型破りを発揮すれば「奸雄」にはなれるかも。かなり低い確率ですが。
ま、体制のはみ出し者として叛乱を起こして敗死し、運がよければ「洪吉童」のように、後世の人によって理想を仮託されて物語の英雄になれるかも。

>秀吉もユニークな人物なのに、韓国では侵略者の面でしか知られていないのでしょうか。

エンコリに入り浸っているのですが、韓国にも戦国時代マニアがいるんです。そういう人間にとっては興味の対象となるんですがねぇ。一般的な人にとっては「侵略者」としてしか知らないでしょうなぁ。

韓国人って、「歴史認識」をやかましく言い立てるわりには、意外なほどに歴史そのものを知りませんしねぇ。(苦笑)

>ところで、いつの間にか百済トピが落ちてしまいました。
日韓論争トピがあるから事足りるのかな?

あ!たしかに。

>でも、通信使トピなんかが落ちたら、つぶしに、
「半万年前w〜蒙古に服属まで」のタイトルで誰かが作るのもいいかも。

私はつくりませんよ。(笑)
最近、漢文史料に加えて、なぜかGHQの文書まで手を出すハメになってしまい苦労しておりますから。(苦笑)

Re: 党争の効能は

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/04/30 00:29 投稿番号: [774 / 1329]
>なんだか、与党・勝ち組になること自体が目的と化していたかのような感じがするんですよねぇ。

勝ち組になって、独創的なことをしようとする行動が少なかったことが、
李朝が活性化しなかった理由なのかもしれません。
後世から見て何かの貢献はまったくなかった訳ではないのかもしれませんが、日本や欧米と比べるとその度合いが少ないですね。

親の霊前に灰を投げつける信長ような「うつけもの」の跡継ぎは
儒教圏の李朝では絶対、抹殺ですね。(笑)
秀吉もユニークな人物なのに、韓国では侵略者の面でしか知られていないのでしょうか。

ところで、いつの間にか百済トピが落ちてしまいました。
日韓論争トピがあるから事足りるのかな?
でも、通信使トピなんかが落ちたら、つぶしに、
「半万年前w〜蒙古に服属まで」のタイトルで誰かが作るのもいいかも。

Re: 党争の効能は

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/04/29 23:26 投稿番号: [773 / 1329]
>陰謀や闘争で相手を抑えつつも、それに勝利した側は、それで得た権力・財力で何かしらの建造物を作る等、文化的なことをしたり、その闘争で勝利するだけの知力が国固めに回って、国を成長する何かをしたりするものですが、

そうですね。本人たちの意図するかどうかに関わらず、後世から見て何かの貢献を成し遂げる(あるいは貢献のきっかけをつくる)ことはあるはずなんですが。

>朝鮮の場合は、宗主国と儒教が絶対的でそれに外れる者は正統的でないとみなされ、攻撃されやすいがために、進歩が結局なかったということなのでしょうか。

なんだか、与党・勝ち組になること自体が目的と化していたかのような感じがするんですよねぇ。

それに17世紀中盤以降は、宗主国たる清ですらも蔑み、「明の衣鉢を継ぐ」おのれを尊しとして自己完結していたわけですから、そこから踏み出せない。
いや、踏み出すことは悪だったわけで。

>固執した思考で進歩しないところは、反日を国是して、これだけエネルギーを費やしている現在も同じなのかもしれません。
(北はもっと変だし)

ある意味、おのれだけを尊しとし、ひたすら自閉的に屹立する北こそが、精製され尽くした小中華の究極進化、理想的形態の行き着いた果てなのかもしれませんよ。

Re: 党争の効能は

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/04/29 23:12 投稿番号: [772 / 1329]
陰謀や闘争で相手を抑えつつも、それに勝利した側は、
それで得た権力・財力で何かしらの建造物を作る等、文化的なことをしたり、
その闘争で勝利するだけの知力が国固めに回って、国を成長する何かをしたりするものですが、

朝鮮の場合は、宗主国と儒教が絶対的でそれに外れる者は正統的でないとみなされ、
攻撃されやすいがために、進歩が結局なかったということなのでしょうか。

固執した思考で進歩しないところは、反日を国是して、これだけエネルギーを費やしている現在も同じなのかもしれません。
(北はもっと変だし)

Re: 党争の効能は

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/04/29 17:07 投稿番号: [771 / 1329]
>象徴的な権威を与える君主がいて、その下で臣民が党争というか、
闘争を繰り広げるのは、日本も同じようなところがありますし、
陰謀もヨーロッパではよくあることで、所詮人間どもがやることなんでしょうけど、

たしかに派閥抗争の類いは古今東西いずれにもある現象なのですが、それなりに何らかの進歩や変化をもたらしているわけでして。

>朝鮮は現実世界を特に進歩させることもなく、
それにあまりにも始終してしまったような節が・・・。

ええ、ほとんど現実社会に変化をもたらしていないんですよねぇ。

Re: 党争の効能は

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/04/27 22:43 投稿番号: [770 / 1329]
象徴的な権威を与える君主がいて、その下で臣民が党争というか、
闘争を繰り広げるのは、日本も同じようなところがありますし、
陰謀もヨーロッパではよくあることで、所詮人間どもがやることなんでしょうけど、

朝鮮は現実世界を特に進歩させることもなく、
それにあまりにも始終してしまったような節が・・・。

Re: 朝鮮の石炭と鉄鉱石の鉱脈

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/04/24 22:36 投稿番号: [769 / 1329]
>あの時代はそれだけの事情と理由があり、日本も生き延びるのが大変な時代で、
>その流れの中での選択だということを理解しなければいけないと思っています。

まったく同感です。
欧米の植民地政策、経済政策抜きに日韓の歴史を見るのは一面的だなあと思います。
日本にとっても辛い時代ですね。

「あの時代」からも、トピからもズレますが、こんなの見つけましたので、貼っておきます。

--------------------------
◎ニューディールと銀政策

  高校の世界史の教科書にはほとんど記述されてはいないが、F=ルーズベルトの行った恐慌対策であるニューディール政策の一つに銀政策があった。ルーズベルトは銀を基礎とする通貨の大量発行を行って、恐慌で急落した諸物価の引上げと、それによる景気の回復をはかろうとした。また低迷する銀価を引上げて、当時世界最大の銀本位国中国の購買力を増進し、アメリカの輸出を促進することで景気を回復しようとした。そのためにルーズベルトが行ったのが銀政策であった。アメリカ政府は一九三四年に銀買上法と銀国有令を出して、国内外で大量の銀の買上げに乗りだした。この政策の背景にはアメリカの銀業者の利益を代表する「銀ブロック議員」の圧力が働いていたといわれる。
  アメリカの銀買上げが始まると世界市場で銀価は急騰し、中国銀が大量に銀価の高いアメリカに流出し、中国の幣制は混乱して、深刻な銀恐慌をもたらし、ただでさえ恐慌に苦しむ中国経済の危機はいっそう増大した。結局ルーズベルトの銀政策は、その意図を実現することができずに失敗に終わった。

◎中国の幣制改革と日本の華北侵略

  当時の中国は国民党と共産党が一九二七年の第一次国共合作の決裂以来、いわゆる「十年の内戦」と後によばれる激しい戦いを展開していたうえ、中小軍閥間の争いも絶えなかった。国民党の蒋介石は、深刻な銀恐慌を打開するため、一九三五年一二月、イギリス・アメリカの援助を受けて幣制改革を断行した。これは従来の銀本位制を廃止して、政府系銀行が発行する「法幣」を、全中国の通貨として流通させるようにしたものであり、中国の経済的統一を促進し、蒋介石政権を強化するのに役立った。
  しかし、中国の一般民衆は自分たちの保持していた銀を法幣と交換したわけで、蒋介石は一挙に莫大な銀を国民からかき集めることができた。そのうえで、一九三七年の日華事変を契機に国民政府は法幣を乱発するインフレ政策をとった。通貨発行量は一九三七年を一〇〇とすると一九四四年には一三一万八五五九となった。実に一・三万倍の量である。この大インフレーションによって、銀のかわりに得た法幣の価値は紙片にすぎないほど下落した。蒋介石の国民党による国民収奪がどのようになされたのかはこの一事をみても明らかであろう。これは、第二次大戦後国民党が急速に民衆の支持を失っていく大きな要因のひとつであった。
  イギリスの財政担当者リース=ロスは、蒋介石援助の話し合いのため中国に行く前日本に立寄り、日本政府に共同で中国を援助することを申し入れた。これに対し日本は、「このようなシナに対する借款供与に参加する余裕は財政当局はとても見出すことができなかったので、リース=ロスの計画に参画するということは考えようもなかった」(重光葵『外交回想録』毎日新聞社)のである。当時の日本には中国に借款を与える余裕すらなかった。一方で、英・米・仏・独などは日本とは対照的に多額のクレジットを設定して中国に経済的進出をしており、これは日本の資本主義の弱さを暴露したできごとであった。
  日本は、第一次大戦後の戦後恐慌とそれに続く関東大震災(一九二三年)で受けた打撃も回復していないところへ、一九二七年には金融恐慌に襲われた。そこに世界恐慌の影響が加わり、もともと国民が低い生活水準に抑えこまれていたため、国内市場が狭かった日本資本主義は深刻な危機に陥った。こうして日本の資本家は日本の資本主義の弱さを軍事力で補う、いわゆる武力行使による中国への経済的進出を望むようになったのである。
http://www.shigaku.or.jp/World/silver2.htm

Re: 朝鮮の石炭と鉄鉱石の鉱脈

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/04/22 22:44 投稿番号: [768 / 1329]
>特に1895年以後、列強の経済侵略の速度が速くなり、彼らは輸出を通じて利益を得るよりも、利権を奪うことに力点をおきました。

通商条約をすると、最終的にこうなるのですね。
インドも中国も結局は利権を最終的に奪われた。
日本の幕府も明治政府もこうならないために必死で戦った訳です。

のほほ〜んとしてたら、日本も、北海道・東北の森林伐採権はロシアとか、
横浜・東京付近の漁業権はアメリカへ売却となってたかもしれません。

あ〜こわい、こわい。

日本もこれに一枚かんでいますが、前述のようになぜ、朝鮮の資源を欲しがったのかを言わないと、
単純な物質良く・支配欲から、群がっただけの印象で終わってしまいます。
あの時代はそれだけの事情と理由があり、日本も生き延びるのが大変な時代で、
その流れの中での選択だということを理解しなければいけないと思っています。

Re: 党争の効能は

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/04/22 20:34 投稿番号: [767 / 1329]
ひとつツッコミを忘れていました。

>この著者の論点は、韓国学界の通説に挑戦するものだ。「勲旧派」(功臣勢力)と「士林派」(新進科挙官僚)という対立的勢力を設定し、朝鮮時代の士禍(士林派に対する政治的迫害事件)を説明する韓国学界の通説とは異なり、ワーグナー氏は、勲旧派と士林派は社会・経済的に区別される集団ではないと指摘した。

勲旧派も士林派も所詮は似たようなもんだったと。(苦笑)

党争の効能は

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/04/22 20:11 投稿番号: [766 / 1329]
ちょっと目先を変えたネタなど。

>ワーグナー氏は「党争は韓国特有の現象ではなく、韓国の党争が特別激しかったというわけでもない。むしろ、朝鮮時代の人々が選んだ方式は、王朝の永続という究極的な目的を達成するために大きく貢献した」と主張した。

そりゃ、足の引っ張り合いをしていれば王朝の永続を脅かすような大勢力は生まれないけどね、王朝の発展もしないわけで。
つーかね、党争で敗れた不満分子がけっこう謀叛・叛乱を起こしたりいるわけで(失敗ばかりだけど)、結果から遡って「党争に害無し」と結論するのは危険だなぁ、と。

>さらにワーグナー氏は、王朝の永続という目的を達成する上で、三司に代表される王への諫言(かんげん)を行う制度が決定的な役割を果たしたと指摘した。

諫言ねぇ・・・たんに敵対派閥に属する廷臣の告発弾劾でしょ・・・

>これまでにも1980年代に数編の論文が翻訳されたことはあるが、欧米の韓国学の土台を築いた学者の論文がようやく韓国に紹介されたというのは、遅きに失した感がある。また、74年に出版された著書『李朝時代の士禍』は今なお翻訳されていない。

なぜ翻訳されていないんでしょうねぇ・・・

・・・・・・・

「党争が朝鮮王朝の維持に役立った」

【新刊】エドワード・ワーグナー著(イ・フンサン、ソン・スクキョン訳)『朝鮮王朝社会の成立と帰属』

  元米ハーバード大教授で、2001年に亡くなったエドワード・ワーグナー氏は、欧米での韓国学を開拓した第1世代の学者だ。ジェームズ・パレ、マルティナ・ドイヒラー、カーター・エッカート、エドワード・シュルツなど、欧米の著名な韓国学者らの大部分が彼の影響を受けて成長した。

  この著者の論点は、韓国学界の通説に挑戦するものだ。「勲旧派」(功臣勢力)と「士林派」(新進科挙官僚)という対立的勢力を設定し、朝鮮時代の士禍(士林派に対する政治的迫害事件)を説明する韓国学界の通説とは異なり、ワーグナー氏は、勲旧派と士林派は社会・経済的に区別される集団ではないと指摘した。

  また、士禍と党争を否定的に認識する植民地史学的な見方を徹底的に攻撃している。ワーグナー氏は「党争は韓国特有の現象ではなく、韓国の党争が特別激しかったというわけでもない。むしろ、朝鮮時代の人々が選んだ方式は、王朝の永続という究極的な目的を達成するために大きく貢献した」と主張した。さらにワーグナー氏は、王朝の永続という目的を達成する上で、三司に代表される王への諫言(かんげん)を行う制度が決定的な役割を果たしたと指摘した。

  なおこの本は、著者が発表した論文18編をまとめて翻訳したもの。これまでにも1980年代に数編の論文が翻訳されたことはあるが、欧米の韓国学の土台を築いた学者の論文がようやく韓国に紹介されたというのは、遅きに失した感がある。また、74年に出版された著書『李朝時代の士禍』は今なお翻訳されていない。

李恒洙(イ・ハンス)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS

http://www.chosunonline.com/article/20070422000010

Re: 朝鮮の石炭と鉄鉱石の鉱脈

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/04/19 22:22 投稿番号: [765 / 1329]
うるるさんや皆さんの一連の投稿は勉強になりますね。

朝鮮半島の金鉱と石炭資源については、欧米列強も目を付けていたようですね。
李朝・大韓帝国は利権を幾らで「売却」したのでしょうか。
また、そんなに国家財政が逼迫した原因は何でしょうか。

------------------------
列強の進出と近代化
朝鮮は1876年に開港してから政治、社会、経済など、全般にわたって急速な変化を成し遂げていきます。特に1895年以後、列強の経済侵略の速度が速くなり、彼らは輸出を通じて利益を得るよりも、利権を奪うことに力点をおきました。日本をはじめアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどの国々です。
(以下、略)
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=1316
------------------------
大韓帝国の利権売却

1896年
・ロシアへ金鉱採掘権   石炭採掘権   森林伐採権
・アメリカへ京仁鉄道敷設権・雲山金鉱採掘権
・イギリスへ財閥顧問の派遣と海関管理権
・フランスに京義鉄道敷設権

1897年
・ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権・軍隊の教育訓練権
・ドイツへ江原・金城金鉱採掘権

1898年
・アメリカへソウルの電車・電灯・水道経営権
・日本へ京釜鉄道敷設権
・イギリスへ平南・殷山金鉱採掘権

1899年
・ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
・ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借・忠北金鉱採掘権
・日本へ京畿道沿岸の漁業権

1901年
・フランスに平北・昌城金鉱採掘権
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