李朝朝鮮

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Re: これが欧米のやり方

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/05/15 22:15 投稿番号: [791 / 1329]
『(前略)
  国王はちょうど満一カ年後に露国公使邸から慶運宮に帰ったが、このあいだに露公使は米公使と策応して、数々の利権を獲得した。森林伐採権は露人プリノに、平安北道の雲山金鉱は米人モーリスに、京義鉄道の敷設権が仏人グリルに与えられたのはその一例である。(中略)
露国士官によって公然と韓国兵を訓練しはじめたのはまだよかったが、外務大臣を強制して露韓同盟条約に調印させ、韓国総税務司英国人ブラオンを罷免し、露国人アレキセーフを海関総弁に就任させて、一挙に兵権と財政権をにぎってしまった。
  これに対して英国と日本は強硬に抗議し、アレキセーフとロシア武官たちは罷免、ブラオンは復職した。(中略)
  親露派の李範晋、沈相薫などは恐慌し、朝廷もまた露国を敬遠して、米国への接近をはかりはじめた。京城の水道、電灯、電車は米人コールブランに特許され、彼はまた朝廷と合資して漢城電気会社を設立した。京仁鉄道の敷設権を得たのも同じく米国人モーリスであった。(中略)
  露国は翌年、パブロフ条約の締結者として北京外交界で敏腕をうたわれたパブロフを公使として京城に送り込んだ。彼は関東州の租借に成功し、東清鉄道をウラジオストックに直結した上は、朝鮮半島を手中におさめることは易々たるものと自信していたようだ。着任間もなく、伯爵ゲーゼリングに、咸鏡、江原、慶尚三道に捕鯨の根拠地を獲得させ、さらに韓国政府と密約して馬山浦に露国東洋艦隊用の石炭貯蔵所と海軍病院建設の許可を得た。

鎮海湾軍港事件
  三十二年四月、露国艦隊四隻は馬山浦に入港し「東洋汽船株式会社」と表記した木標と石標一千本を陸揚げし、海岸地帯約三十万坪に打ち込んだ。
  「露国の馬山海軍根拠地は表明化し、日本の朝野を震撼した」と広江沢次郎は書いている。時の参謀総長は大山巌、次長は寺内正毅、釜山領事は伊集院彦吉であった。領事の密電によって、参謀本部は、鋳方中佐を派遣し、領事及び釜山の実業家迫間房太郎とともに秘密の活動を開始した。工作は困難をきわめたが、露国の標柱は朝鮮人墓地にも打ち込まれている、つまり祖先の聖地を串刺しにしたわけだから、朝鮮人は怒り、土地不売同盟を結んだことが日本側に幸いした。日露双方は朝鮮人の密偵を使い、猛烈な買収戦を開始し、露国艦隊は郡守を軍艦に監禁脅迫することまで敢えてしたが、ついに日本側の抵抗が功を奏し、露国は馬山浦をあきらめ、その隣の鎮海湾の軍港化を狙った。
  パブロフ公使は京城で鎮海湾租借に奔走しはじめた。林公使の妨害運動もききめがない。日本軍部は重大決意をもって、軍艦を対馬竹敷港に集中し、ある日突如として水雷艇隊十数隻を湾に進入させ、四隻の露国艦隊の間を一列縦陣で旋回せしめた。
  露国艦隊は胆をつぶし、抜錨して逃げ出したと広江氏は書いているが、朝鮮における日露戦争は、この時すでに始まったと見ることもできる。なお、同氏によれば、露国側の文献にも、この事件について次のような記述があるという。
  「日本軍隊の忠烈義勇には驚嘆のほかはないが、日本人は商人に至るまで、強烈な祖国愛に燃えている。露国がかつて朝鮮馬山浦に海軍根拠地を作らんとした時も、日本の一商人が機先を制し、勇敢にドンドン土地を買占め、ついに露国の計画を目茶目茶にした。実に日本人一般の熱烈なる愛国心には驚くべきものがある」
  これが勃興期のナショナリズムであろう。』
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