竹島

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素直になったね

投稿者: wattagatta 投稿日時: 2004/10/27 11:39 投稿番号: [5960 / 18519]
>客観的に見て、その図だけに基づいて于山島が獨島だとするのは無理だろう。

君も成長したようだね。偉い偉い。(笑)

>>哀れなのは

投稿者: wattagatta 投稿日時: 2004/10/27 11:36 投稿番号: [5959 / 18519]
>「観音島」を「観音岩」と出鱈目表記したお前が、人の間違いを嘘とはな。

AHO君が意図的に歪曲しております観音島はこれですね。

http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/gwdo.htm

「岩」とは、よく言ったものです。問題の大韓帝国勅令にある「石島」が、観音島である証拠はどこにもないですが、日本領竹島である証拠もどこにもありません。(笑)

ああ、それな

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/27 11:34 投稿番号: [5958 / 18519]
http://www.ullungdo.com/map/12.htm

どこに「鬱島郡」て書いてあるのかね?

凡例によれば郡守の置かれている地方には表示が為されているはずだが、それもない。
よって、その図は鬱陵島が鬱島郡に昇格し郡守が置かれる以前の情報に基づいているものと思われる。
1899年発刊の「大韓地誌」の付図である可能性がある。
また客観的に見て、その図だけに基づいて于山島が獨島だとするのは無理だろう。

せこいね

投稿者: wattagatta 投稿日時: 2004/10/27 11:13 投稿番号: [5957 / 18519]
http://www.ullungdo.com/map/12.htm

「大韓全図」に竹島(韓国名 独島)は出ていると証明してね、AHO君。

民間人の作った地図は信用できないって?(笑)

おやまあ、逆ギレかい

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/27 10:14 投稿番号: [5956 / 18519]
心外ですな。

やんわりと貴方が根拠として持ち出した資料が出鱈目だと指摘して差し上げて、撤回するよう勧めてもいるのに、貴方は逆ギレするわけですか。

なるほどね。

>大韓全図は勅令が発せられる直前に書かれたものだよ。
>つまり勅令の前段階の資料と考えれば無理はないでしょうが。

今度は、嘘に嘘を重ねて塗り固めるおつもりですかな。
つまり民間の書道家で地理学者でもある玄采が政府の勅令を事前に知り得る立場にあり、勅令の指令案もその前年に出来上がっていたと根拠も無しに出鱈目を云いたいのですか。

やれやれ

それに「大韓地誌」がその付録である「大韓全図」にすり替わりましたねえ。
あなた、「大韓地誌」に書かれていると言い張っていたでしょう。

>哀れなのは

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/10/27 10:06 投稿番号: [5955 / 18519]
お前、AHOたれ。

「観音島」を「観音岩」と出鱈目表記したお前が、人の間違いを嘘とはな。

誰から見ても、必死に逃げ回っているのはお前。サイズが不正確な事はいいとして、方向が間違っている事も古地図だからと誤魔化すところがAHOらしい。

これって恩を仇で返すというのですよ

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/27 09:50 投稿番号: [5954 / 18519]
>いい加減な嘘を云わないように。
>「鬱島郡」が初めて登場するのは1900年の勅令第41号以降であって、1899年に「鬱島郡」は存在しないのだよ

大韓全図は勅令が発せられる直前に書かれたものだよ。
つまり勅令の前段階の資料と考えれば無理はないでしょうが。

>要するに貴方は田中邦貴氏の捏造HPを元ネタに、そこに書かれていることを無批判に信じてしまっているだけなのは分かっています。

私の手元にも複数の資料がありましてね。だから実際に田中氏のHP以上の指摘もやっているでしょうが。
彼のHPが色々と資料があって使い易いから引用はしていますけど、それで全てとは心外ですね。

>確かに資料に対する切り口とか着眼点が違えば、それに対する評価が違ってくることも有り得るでしょうし議論にもなるでしょう。
>しかし、元になる資料がでっち上げならば話は全く別です。

独島博物館の八道総図のレリーフには、島の位置がわざわざ現在の竹島に近い位置に捏造されているそうですね。
本当の図には鬱陵島より半島よりなのに、レリーフには反対の位置に書かれている。
パンフレットには八道総図の通り記されているから、本来の位置にある。その点を日本人に指摘されると慌ててパンフレットをレリーフの通りに改竄したそうですよ。
国立の博物館でもこの程度の国で得た知識が、世界的な常識と認められると思っているのですか?

そういえば核開発疑惑でも、研究者が独断でやったと主張したとか、
莫大な資金と大規模な設備が必要なウラン濃縮が国家規模でなければ出来るわけがない。
それを研究者の独断だと、あまりにも見え透いた弁明に終始しているので世界中の大顰蹙を食らい。日本とアメリカの反対がなければ国連安保理の制裁を受けるとこだったとか。。
こんな国の常識とやらをどこの国の人が信じると思います?
そもそも制裁回避に尽力を尽くしてくれた日本に対して恩をあだで返す言動を繰り返している。そんな国を相手にする必要性も私は感じないけどね。

>それって墓穴を掘るって言うのですよ

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/10/27 09:49 投稿番号: [5953 / 18519]
>竹島の位置も違っているし、これは竹島ではない、別の島より近い位置にあるチェクドと反論されても何もいえないでしょう。

その島は白加勿の嘘の流山国島から始まった架空の島だよ(太宗12年4月巳巳条)

哀れな2

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/27 09:37 投稿番号: [5952 / 18519]
>反論になっていませんね。

当たり前でしょう。
貴方の出鱈目を一方的に指摘して差し上げているのですから、「反論」なんかじゃありません。
正しい資料を元にしていれば、その共通の認識の上で議論も成立しうるでしょうが、貴方が出鱈目な資料を撤回しない以上は議論が成立する余地はありませんね。

哀れな

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/27 09:06 投稿番号: [5951 / 18519]
>同じようなことをあなたは何度言われましたか?

愚生は、貴方のように実在しない資料をあたかも実在するかのように偽って提供したことはありません。
また間違えたことは無いとは云いませんが、貴方のように女々しく泣きながら逃げ回るような真似はしませんね。

貴方が嘘を吐いて逃げ回っている証拠はログに残されています。


net_browney wrote(#5767):
>1899年の大韓全図では
>「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」
>との記載がある。

I wrote(#5804):
いい加減な嘘を云わないように。
「鬱島郡」が初めて登場するのは1900年の勅令第41号以降であって、1899年に「鬱島郡」は存在しないのだよ。

net_browney wrote(#5821):
>それで?
>実際にその勅令とやらが本当である証は?
>アホくさ。他人の指摘を嘘だといえばそれで通るならこの場の議論など成立するか。
>実際に出されているのだから仕方があるまい
>ほれ
>http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-korea.jpg

I wrote(#5824):
お前さんは、1900年の勅令も知らずにいい加減な嘘を爆裂していたのかね。
そこで初めて「鬱島」に改称されて郡に昇格したのも知らなかったわけだな。

net_browney wrote(#5826):
>ああ。その経緯なら知っているが、あんまり無茶なことを言うので皮肉っただけですけどね。
>ちなみにその際には鬱群は鬱陵島と他二島で成り立つと記されている。
>しかしその他二島が竹島だと証明できるだけの根拠は乏しいね
>そうなると後に出された大韓新地志を参考にするしかないが?

I wrote(#5828):
じゃあなんで1899年に「鬱島郡」が存在したような嘘を言うのかね。
いい加減な野郎だね。

net_browney wrote(#5830):
>実際に現物の書類を提供したでしょう?
>それで確かにあの文献があったことは私は証明したよ
>鬱群云々については、1900年の勅令は当時の一般の認識を国家が再確認したものであり、鬱郡の名称はすでに定着していた。
>そう考えることだって出来るのでないの?
>あいにく私も専門家でないから、そこまで資料を提供できないが

I wrote(#5832):
嘘吐くな。
お前さんが妄想に基づいて書いただけなのが理解できないのか。
どこに現物の書類があんだよ。

net_browney wrote(#5834):
>だからリンクでその資料の画像を示したでしょうが。ネット上でアレ以上の証拠提供は無理だよ。
>どしてもと真っ向からリアルの世界でやれる論争の場を提供してくださいよ

要するに貴方は田中邦貴氏の捏造HPを元ネタに、そこに書かれていることを無批判に信じてしまっているだけなのは分かっています。
確かに資料に対する切り口とか着眼点が違えば、それに対する評価が違ってくることも有り得るでしょうし議論にもなるでしょう。
しかし、元になる資料がでっち上げならば話は全く別です。

何度もチャンスを差し上げているのに甘えて逃げ回るのは傍目にも格好の良いものではありませんよ。
潔く撤回すれば終わる話でしょうが。

それって墓穴を掘るって言うのですよ

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/27 08:24 投稿番号: [5950 / 18519]
>要するに貴方は実際の資料を見ていないわけですね。
>それなのに、発行年と書名を特定して書かれていないことを書かれていると主張したのですよ。
>本来ならば、この様なイカサマが発覚した時点で完全にアウトです。
>撤回するチャンスを差し上げますから、潔く撤回なさいな。

同じようなことをあなたは何度言われましたか?

>随分とトーンダウンしますね。
>これもあなた実際の資料に当たってないでしょう。

反論になっていませんね。

>「東国文献備考」に記載されているのは政府の公式見解であり、「東国文献備考」は王命により編纂され公刊されたものです。どうしても一民間人に過ぎない>安同知の主張に矮小化してすり替えたいようですねえ。
>まあ、好きになさいな。

東国文献備考には鬱陵島を初めとする三つの島全てが鬱陵島のように描かれています。
当時は空地政策が取られ、この近辺の知識に乏しかったのは仕方がないが

>あなた「八道総図」も見てないでしょ。
>そこに描かれている島の大きさを問題にすると云うことは、「八道総図」には鬱陵島より遙かに巨大な済州島もほぼ同じ大きさに描かれているのも知らないわけだ。
>中世の国絵図なんて、その程度の代物なんですよ。

確かに調査が不十分な古地図にはよくあることだが、その程度の資料では竹島領有を主張する根拠が乏しいですね。
竹島の位置も違っているし、これは竹島ではない、別の島
より近い位置にあるチェクドと反論されても何もいえないでしょう。
実際、高宗実録では鬱陵島から三キロあまりの距離に松竹島があるとされています。これは明らかに間違っている
つまりこの時点でも韓国側は竹島の存在を知らなかったわけですから。
より新しい政府の見解でも竹島の存在を見出すことが出来なかった。
つまり韓国側は竹島の存在を知らなかったわけだ

資料を吟味なさい

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 23:25 投稿番号: [5949 / 18519]
>1900年の勅令42号が発せられる直前に編纂された文献なら、その時点で郡とされることが決定済みとすれば不思議はないのではないですか?

要するに貴方は実際の資料を見ていないわけですね。
それなのに、発行年と書名を特定して書かれていないことを書かれていると主張したのですよ。
本来ならば、この様なイカサマが発覚した時点で完全にアウトです。
撤回するチャンスを差し上げますから、潔く撤回なさいな。

>だから大韓新地志の経度は鬱郡全域の範囲を示したものですって、その範囲に入る鬱陵島以外の二つの島となればチェクドと観音岩しかないですけど?

随分とトーンダウンしますね。
これもあなた実際の資料に当たってないでしょう。

>安龍福の主張する松島は隠岐のことだと述べたでしょうが。隠岐を朝鮮が侵略したことは蒙古来襲の際など何度かありますが、少なくとも江戸時代にはありませんから抗議する必要もないでしょう。

「東国文献備考」に記載されているのは政府の公式見解であり、「東国文献備考」は王命により編纂され公刊されたものです。どうしても一民間人に過ぎない安同知の主張に矮小化してすり替えたいようですねえ。
まあ、好きになさいな。

>東国輿地勝覧に所収されている八道総図には于山島は鬱陵島の西側に記されている。大きさも鬱陵島の四分の三ほどで明らかに鬱陵島より遥かに小さい竹島と呼ぶのには無理がありますね。

あなた「八道総図」も見てないでしょ。
そこに描かれている島の大きさを問題にすると云うことは、「八道総図」には鬱陵島より遙かに巨大な済州島もほぼ同じ大きさに描かれているのも知らないわけだ。
中世の国絵図なんて、その程度の代物なんですよ。

実際の資料を吟味もせず、勝手に脳内で妄想しただけなら何とでも言えますよね。

RE分からない?

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 23:12 投稿番号: [5948 / 18519]
>どうしても1899年に存在しないはずの「鬱島郡」が存在したと強弁しないと何か都合の悪いことでもあるのかな。

1900年の勅令42号が発せられる直前に編纂された文献なら、その時点で郡とされることが決定済みとすれば不思議はないのではないですか?


>その1907年の『大韓新地志』に石島が出てれば確定するんじゃないの?

だから大韓新地志の経度は鬱郡全域の範囲を示したものですって、その範囲に入る鬱陵島以外の二つの島となればチェクドと観音岩しかないですけど?

>百歩譲って朝鮮王国の錯誤により古来の松島を朝鮮の領域に含めてしまったとしても、その事が公知されてから何百年も日本から抗議が為されていないんですけど。

安龍福の主張する松島は隠岐のことだと述べたでしょうが。隠岐を朝鮮が侵略したことは蒙古来襲の際など何度かありますが、少なくとも江戸時代にはありませんから抗議する必要もないでしょう。

>それより遙か以前の1481年に公刊された「東国輿地勝覧」には鬱陵島と于山島は明瞭に別島として描写されてますし、1770年当時の者がそのことを知悉していたと考えるのが妥当じゃないですか。

東国輿地勝覧に所収されている八道総図には于山島は鬱陵島の西側に記されている。大きさも鬱陵島の四分の三ほどで明らかに鬱陵島より遥かに小さい竹島と呼ぶのには無理がありますね。
しかし独島博物館にあるレリーフには、八道総図とは逆に島の東側それも現在の竹島に近い位置に島の位置が移されている。こんな捏造を現実に見せられて信じられないのは無理はないが、東国輿地勝覧の于山島は、空地政策を続け、この地域の地理に詳しくなかった朝鮮が一つの島を古名とその当時の名称の二つに待ちえて呼んだと考えるのが妥当ですね

 ↓ AHO

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/10/26 22:24 投稿番号: [5947 / 18519]
誤魔化しては駄目だな、AHOたれ。右も左も分からぬか、お前の祖先は?


>分かるものには分かる

分かるものには分かる

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 21:55 投稿番号: [5946 / 18519]
中世の国絵図も見たことがないものには何のことやらかも知れませんね。

まあ、機会があったらどの程度の代物かご覧になると宜しいでしょう。

分からない?

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 21:53 投稿番号: [5945 / 18519]
>何が言いたいかわかりませんね

無理に分からそうとは思いませんが。

>いや、年数であなたが五月蝿く言うのに付き合いきれないのであえて無視しただけです

ああ、そうなんだ。
どうしても1899年に存在しないはずの「鬱島郡」が存在したと強弁しないと何か都合の悪いことでもあるのかな。
まあ、勝手にすれば。

>同書で記された経度は、鬱郡の範囲を示しているものであり、石島が鬱郡に属する以上はその中に入っていると見なすのが当然でしょうが

そう?
その1907年の『大韓新地志』に石島が出てれば確定するんじゃないの?
書いてあることは書いてあること、書いてないことは書いてないことなんだから、根拠もなく強引に「見なす」必要があんのかね。

>だから于山島は鬱陵島もしくは鬱陵島の属島のチェクドのことです。

そう断定する根拠が何も無くてはねえ。

>事実。1481年編纂の東国ヨチ勝覧によれば、鬱陵島はその昔、于山国と称していたと記載されていますよ

だから?
『東国輿地勝覧』の付図には明らかに二島は別の島として描かれているのは完全無視するわけね。
なるほど、そう言う論理展開に持って行きたいんだ。

>そもそもあなたが出した1770年の東国文献備考は、輿地考とあるが、そもそも同書は五ヶ月で編纂されたものだ。資料的にも過去の資料を無批判に掲載した部分が多い。

ふむふむ。

>現実に編者は編纂にあたって諸図志を考えると按記しており、松島のくだりは安龍福の供述を無批判に取り入れたものだと考えるべきです。事実、一言一句同じでしょうが。

民間人の安同知(龍福)の供述を採用するもしないも政府の自由でしょう。
結果、採用して領域表示したのは事実ですし、それに対して日本から何ら異議の申し立てが無いばかりか、明治初頭には「竹島外一島」として領有を放棄している事実がありますね。

>そして安の主張する松島とは隠岐を誤認したものだと以前説明したでしょう

そうねえ、今一説得力に欠けますねえ。
百歩譲って朝鮮王国の錯誤により古来の松島を朝鮮の領域に含めてしまったとしても、その事が公知されてから何百年も日本から抗議が為されていないんですけど。
まあ客観的に見て、それより遙か以前の1481年に公刊された「東国輿地勝覧」には鬱陵島と于山島は明瞭に別島として描写されてますし、1770年当時の者がそのことを知悉していたと考えるのが妥当じゃないですか。

REなるほど

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 21:34 投稿番号: [5944 / 18519]
何が言いたいかわかりませんが?
あなたが竹島が右側にあると主張したのでしょうが。

ああ。また墓穴をほってるんだね。

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/10/26 21:34 投稿番号: [5943 / 18519]
≫そのご1887年まで、明白な主権行為は、
≫フランス側からも、他の諸国側からもおこなわれていない。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid =5867
  で引用しておきながら記憶が維持できないとは…。
------------------------------
その「主権行為」を「自分の勘違いにより矮小化してた」ってことに気がついてないんだろうな。援軍もこのような恥ずかしい間違いをフォローしようがないわさ。
Dissenting opinion of Judge Franckもよく読んだほうがいいよ。何を理由に何に反対しているのか。それが今回の議論の対象と合致しているのか。
Minquiers and Ecrehosも読んだ方がいいな。読めば、顔から火がでちゃうから。

RE当然でしょう

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 21:30 投稿番号: [5942 / 18519]
>あのですね、もしかして教科書で使われた「初等大韓地誌」って玄菜の「大韓地誌」と同一だと思ってます?

それで?
何が言いたいかわかりませんね

>まあ1899年って言い張らなくなったのは進歩だと認めましょう。

いや、年数であなたが五月蝿く言うのに付き合いきれないのであえて無視しただけです

>1907年ならば日本政府の意に反する書籍が出版されないのは当たり前です。
>第一、『大韓新地志』に石島の経度緯度って表示されてましたか?

同書で記された経度は、鬱郡の範囲を示しているものであり、石島が鬱郡に属する以上はその中に入っていると見なすのが当然でしょうが

>元々自国領なのですから新たに編入する必要はないわけです。
>日本との関係を考えれば、1770年に公刊された「東国文献備考」に松島は于山島であり于山島は朝鮮の領土と書いてあれば充分でしょう。

だから于山島は鬱陵島もしくは鬱陵島の属島のチェクドのことです。

事実。1481年編纂の東国ヨチ勝覧によれば、鬱陵島はその昔、于山国と称していたと記載されていますよ

そもそもあなたが出した1770年の東国文献備考は、輿地考とあるが、そもそも同書は五ヶ月で編纂されたものだ。資料的にも過去の資料を無批判に掲載した部分が多い。
現実に編者は編纂にあたって諸図志を考えると按記しており、松島のくだりは安龍福の供述を無批判に取り入れたものだと考えるべきです。事実、一言一句同じでしょうが。
そして安の主張する松島とは隠岐を誤認したものだと以前説明したでしょう

なかなか興味深いですな

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 21:16 投稿番号: [5941 / 18519]
>松浦武四郎や吉田松陰などが鬱陵島の開墾を主張しています。
>また1876年に外務省による鬱陵島開墾が検討されています
>その後、鬱陵島での日本人は不法伐採を行っており、この際に1882年に朝鮮側は危機感を持って空地政策を放棄し鬱陵島の開墾を始めました。
>1903年には鬱陵島には韓人は450戸   日本人が300戸入植しているとの記載があります。そのため1905年には大韓帝国内で発行された日系新聞には鬱陵島は日本の領土であると記載され、それに対して朝鮮王朝内で物議が醸されています。

是非資料を提示して貴殿の論理を展開してみて下さい。
まあ、今すぐでなくとも構いませんので、暇なときにでも考えておいて下さい。

なるほど

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 21:10 投稿番号: [5940 / 18519]
>于山島がチェクドである証明にはなっても、竹島領有の証明にはなりませんよ

で、「東国輿地勝覧」の何処にチュクドが書いてあります?

REほう

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 21:09 投稿番号: [5939 / 18519]
>貴殿は1899年に「独島」の名称が使われていたと主張するのですか?
どこで拾ってきました?
>貴殿はそれが東国文献備考だと主張しますか?

失礼、大東輿地図でした

>ほう、それは貴殿独自の説ですかな。
興味深い。

松浦武四郎や吉田松陰などが鬱陵島の開墾を主張しています。
また1876年に外務省による鬱陵島開墾が検討されています
その後、鬱陵島での日本人は不法伐採を行っており、この際に1882年に朝鮮側は危機感を持って空地政策を放棄し鬱陵島の開墾を始めました。
1903年には鬱陵島には韓人は450戸   日本人が300戸入植しているとの記載があります。そのため1905年には大韓帝国内で発行された日系新聞には鬱陵島は日本の領土であると記載され、それに対して朝鮮王朝内で物議が醸されています。

当然でしょう

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 21:07 投稿番号: [5938 / 18519]
>大韓地誌は玄菜(1886 - 1925)という歴史家兼書道家によって編纂された地理書で、大韓帝国の学校でも使われたことがある。本の中で、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」としている。竹島はその行政区の外、131度55分に在るとされ。

あのですね、もしかして教科書で使われた「初等大韓地誌」って玄菜の「大韓地誌」と同一だと思ってます?
まあ1899年って言い張らなくなったのは進歩だと認めましょう。

>1907年に発刊した張志淵の『大韓新地志』では「鬱島(1900年に鬱陵島から鬱島に名称変更)の位置を130度45分から35分に至る」と認識していた。竹島の経度は、この鬱島の外にある。したがって先の勅令に挙げられた鬱陵島の属島である「竹島(Chukdo)」も「石島」も当然、東経130度45分から35分に至る間に点在する島嶼であったことを示している。

日本政府が設置した統監府と憲兵隊により韓国内で刊行される出版物には検閲が実施されていることは指摘しました。
1907年ならば日本政府の意に反する書籍が出版されないのは当たり前です。
第一、『大韓新地志』に石島の経度緯度って表示されてましたか?

>1905年の日本の竹島島根県編入に到るまで韓国側に独島編入を示す資料は何度も指摘したとおりまったくない。

当たり前でしょう。
元々自国領なのですから新たに編入する必要はないわけです。
日本との関係を考えれば、1770年に公刊された「東国文献備考」に松島は于山島であり于山島は朝鮮の領土と書いてあれば充分でしょう。

Reそもそも勅令第41号は(訂正)

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 20:59 投稿番号: [5937 / 18519]
>1899年に韓国の宗ケイ基が記された「鬱陵島と独島」でも、日本が独島で海驢猟など海産物の採取が行われ交易がなされていたことが記されていますが

発行は1999年の間違いでした

それでチェクドはどこにあるの?

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 20:58 投稿番号: [5936 / 18519]
>この付図を見ればこの資料に於いて二島説が確立していることは明白である。
ここでは于山島が鬱陵島の左側に描かれているが、まあ昔の国絵図はこの程度の代物である

地図を見れば朝鮮半島側にやや近い位置にあることと良い
この于山島は、竹島よりもチェクドである可能性が高いのですけど。
于山島がチェクドである証明にはなっても、竹島領有の証明にはなりませんよ

ほう

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 20:55 投稿番号: [5935 / 18519]
>1899年に韓国の宗ケイ基が記された「鬱陵島と独島」でも、日本が独島で海驢猟など海産物の採取が行われ交易がなされていたことが記されていますが

貴殿は1899年に「独島」の名称が使われていたと主張するのですか?
どこで拾ってきました?

>1770年代に記された東国文献備考を見たことありますか?
>http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/t-daitou1861.gif

貴殿はそれが東国文献備考だと主張しますか?

なんか、支離滅裂になってきていません?

慌てずに、慎重に吟味なさい。

>この時代に海軍がその戦略的位置づけに注目したのは、鬱陵島であり竹島ではない。

事実、日本海軍は獨島に無電望楼を建設しました。

>事実として鬱陵島を領土として編入する動きが日本政府にありましたから、勅令41号が発せられ韓国は領土として再認識を示したわけです

ほう、それは貴殿独自の説ですかな。
興味深い。

RE落ち着きなさい

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 20:50 投稿番号: [5934 / 18519]
>勅令の中に経度?
>本当なら大発見ですな。

ああ、この点は誤認でしたね。
しかしあなたが日本の圧力と呼んだ

大韓地誌は玄菜(1886 - 1925)という歴史家兼書道家によって編纂された地理書で、大韓帝国の学校でも使われたことがある。本の中で、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」としている。竹島はその行政区の外、131度55分に在るとされ。

1907年に発刊した張志淵の『大韓新地志』では「鬱島(1900年に鬱陵島から鬱島に名称変更)の位置を130度45分から35分に至る」と認識していた。竹島の経度は、この鬱島の外にある。したがって先の勅令に挙げられた鬱陵島の属島である「竹島(Chukdo)」も「石島」も当然、東経130度45分から35分に至る間に点在する島嶼であったことを示している。

このように前後の何れの書物でも竹島が鬱陵島から外れていることを示しているのですけど。
ちなみにこの時代は竹島は朝鮮側はリャコン島と呼んでいる。何れの資料からも朝鮮側には同島と思われる記載はない

>そもそも貴殿も指摘したように、政府の決定こそが重要なのだから民間の記録は不要と云える。

1905年の日本の竹島島根県編入に到るまで韓国側に独島編入を示す資料は何度も指摘したとおりまったくない。
この時代には鬱陵島の住人は農業を行っており漁業は島周辺以外ではほとんどなされておらず。
竹島に関しても日本側が漁業をやっていたくらいだ。
それに対して李朝朝鮮が抗議を行ったことも取り締まりを行ったことも一度もない。

三峯島は于山島

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 20:47 投稿番号: [5933 / 18519]
1481年に公刊された『東国輿地勝覧』巻之四十五の于山島鬱陵島条に次の記述がある。

「成宗二年有告別有三峯島者之遣朴宗元往見之因風濤不得泊而還   同行一船泊鬱陵島只取大竹大鰒魚   回啓云島中無居民矣」

ろくに資料を吟味しない者の中には、資料を読みもしないで三峯島を鬱陵島と決めつけたがる者が多い。
しかし、朴宗元の船団は三峯島には停泊できずに帰還している一方で鬱陵島には停泊し大竹やアワビを持ち帰っていると書いてあるのである。
どうして三峯島が鬱陵島で有り得ようか。

Reそもそも勅令第41号は

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 20:39 投稿番号: [5932 / 18519]
>領土を編入する勅令ではないのだよ。
>地方制度上の「島」を「郡」に昇格させる勅令であって、この勅令で新たな領域表示を加えることを意図するものではない。

あのですね。そうなると独島を鬱陵島の属島と見なしていた韓国自身の主張が成り立ちませんよ。
1899年に韓国の宗ケイ基が記された「鬱陵島と独島」でも、日本が独島で海驢猟など海産物の採取が行われ交易がなされていたことが記されていますが
これらの事実に対して韓国側は一度として抗議をしたことはありません

>于山島を朝鮮領として領域表示することは、遅くとも1770年に公刊された「東国文献備考」で公知されている

1770年代に記された東国文献備考を見たことありますか?
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/t-daitou1861.gif
この通り、竹島らしい島は記されていません。于山島が記されている地図も、その位置も朝鮮半島と鬱陵島の中間の位置に記されていて明らかに竹島とは場所がずれる。
これは李朝朝鮮が当時、鬱陵島に関する知識も乏しかった証にしかなりませんよ。
繰り返しますが于山島は竹島ではなく、鬱陵島の属島のチェクドもしくは鬱陵島の古名です。
これは韓国の歴史学者の方がよく知っていますよ

>竹島を排他的に利用し、ロシアに対して戦略的優位を企図したと考えることは突飛なことだろうか。

あのですね。竹島とはどんな島だと思っているのですか?
中継基地として使えるだけの大きさがあると思っているのですか?
たかだか日比谷公園程度の広さの土地にどれほどの利用価値があると思っているのですか?
この時代に海軍がその戦略的位置づけに注目したのは、鬱陵島であり竹島ではない。
事実として鬱陵島を領土として編入する動きが日本政府にありましたから、勅令41号が発せられ韓国は領土として再認識を示したわけです

『東国輿地勝覧』(1481年)

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 20:27 投稿番号: [5931 / 18519]
<『新増東国輿地勝覧』巻之四十五>
http://kyujanggak.snu.ac.kr/IMAGE/SNUG0146.PDF

よく資料を吟味しない論者は、この資料の中で于山島と鬱陵島は一つの島と認識されていたと決めつけたがる者を見かけるが、この付図を見ればこの資料に於いて二島説が確立していることは明白である。
ここでは于山島が鬱陵島の左側に描かれているが、まあ昔の国絵図はこの程度の代物である。

そもそも勅令第41号は

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 19:58 投稿番号: [5930 / 18519]
領土を編入する勅令ではないのだよ。
地方制度上の「島」を「郡」に昇格させる勅令であって、この勅令で新たな領域表示を加えることを意図するものではない。
于山島を朝鮮領として領域表示することは、遅くとも1770年に公刊された「東国文献備考」で公知されている。
(歴代王朝の実録は一般には出回らないだろうと思われ、公知と云えるかは疑問である)

さて、1905年当時の時代背景をよく考えた場合、日本海軍内部ではリャンコ島が古来の松島である認識よりもフランスの捕鯨船によって発見された無主地であるとの誤った認識をされていたことは既に述べた。
日本海のど真ん中に無主地が在れば、ロシアが先占して領土とすることも可能と考えることは容易いことだろう。
折からロシアとの緊張が高まっている時代背景の中、海軍はその誤った認識の元で竹島の確保に急ぐことになる。
竹島を排他的に利用し、ロシアに対して戦略的優位を企図したと考えることは突飛なことだろうか。

 ↓ AHO

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/10/26 19:15 投稿番号: [5929 / 18519]
否定する根拠も存在しないな。付け加えると、「石島」を日本領「竹島」と断定する根拠も存在しないがな、法螺吹きAHOよ。

>少なくとも現在の処「石島」を「観音岩」と断定する根拠は存在しない

ところで

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 19:13 投稿番号: [5928 / 18519]
you wrote:
>1899年の大韓全図では
>「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」
>との記載がある。つまり何れの資料でも竹島は韓国の領有地外にあるのですけど

どこからコピペしてきたのかは知らないが、1899年には鬱島郡は存在せず、従って1899年の大韓全図に「鬱島郡」と記述することは不可能であると理解できたかね。

貴殿が拾ってきたコピペは明らかに捏造されて居るのだよ。

これはどうかな

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 19:05 投稿番号: [5927 / 18519]
>そのため1900年の勅令41号にも、その範囲には鬱陵島と竹島(竹嶋・チェクド)と石島(観音岩)しか、その領土の範囲に入っていなかったのに、日本側の船員が鬱陵島で「竹島は日本領土」となったとの発言を真に受けて韓国側は過剰反応した。

大韓帝國の勅令の通例としては、郡の所管を著すのに無人島は記載しないのだよ。
その意味では「竹島」は現在も人が定住しており、勅令の通例として問題ない。
しかし「石島」はどうかな。
鬱陵島周辺には観音岩だけではなく沢山の岩がある。そんなものは通常は勅令には記載しない。
少なくとも現在の処「石島」を「観音岩」と断定する根拠は存在しないのだ。
資料は吟味しろと云ったろ。

落ち着きなさい

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 18:53 投稿番号: [5926 / 18519]
>何度も言いますが、勅令の中にさえその経度を見れば竹島は外れていることは明らかであるのに

勅令の中に経度?
本当なら大発見ですな。

>この外一島は現在の鬱陵島の属島チェクドのことであるとしている。

それが現在の日本外務省が云うように古来の松島は放棄していないのであれば、明治時代にチュクドの領有権を主張したはずだろう。
しかしその様な事実はない。

>そもそも1903年以降に日本の海驢猟の人夫として鬱陵島の十人が渡るまでは朝鮮側は竹島に渡った記録さえ発見できない

民間人の漁労記録が必要なのかね?
そもそも貴殿も指摘したように、政府の決定こそが重要なのだから民間の記録は不要と云える。
議論には全く関係ない話であるし、その様な記録の存在を確認する必要もなし、探す必要性を認めない。

朝鮮側の過剰反応

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 18:40 投稿番号: [5925 / 18519]
>その間違いが訂正されずに活きていたと云うことだよ。
>であるからこそリャンコ島を無主の島として占領することが出来るのである。

この当時、鬱陵島の帰属を巡り、韓国側と日本側との間に対立が起こっていた
そのため1900年の勅令41号にも、その範囲には鬱陵島と竹島(竹嶋・チェクド)と石島(観音岩)しか、その領土の範囲に入っていなかったのに、日本側の船員が鬱陵島で「竹島は日本領土」となったとの発言を真に受けて韓国側は過剰反応した。
そん結果ですよ。
何度も言いますが、勅令の中にさえその経度を見れば竹島は外れていることは明らかであるのに

>恐らくは海軍主導で軍事占領を目論み、中井は単なるダシとして使われた可能性もある。

内務省が1880年が軍艦天城の測定による調べでは、鬱陵島と外一島は朝鮮の領土であると結論を出している
この外一島は現在の鬱陵島の属島チェクドのことであるとしている。
そもそも1903年以降に日本の海驢猟の人夫として鬱陵島の十人が渡るまでは朝鮮側は竹島に渡った記録さえ発見できない

慌てる必要はない

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 18:29 投稿番号: [5924 / 18519]
よくよく吟味して発言すれば宜しかろう。

落ち着いて考えれば分かることだ。

しばし待ってね

投稿者: net_browney 投稿日時: 2004/10/26 18:06 投稿番号: [5923 / 18519]
いま娘の晩飯を作るので返事はしばしまってね
私はシングルファーザーなもんで

 ↑ AHO

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/10/26 18:04 投稿番号: [5922 / 18519]
于山島は鬱稜島やがな。嘘はいかんな、AHOたれ。


>日本は古来の松島は朝鮮の于山島であり、于山島は朝鮮の領土であることを知っていたことを考慮しなければならない。

竹島問題では

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/26 18:00 投稿番号: [5921 / 18519]
日本は古来の松島は朝鮮の于山島であり、于山島は朝鮮の領土であることを知っていたことを考慮しなければならない。
1770年に朝鮮で公刊された『東国文献備考』をはじめ各種の図書に明記されているが、日本がこれらの朝鮮王国による領域表示に異議を唱えたことは一度もないのである。
それどころか、明治初頭の地籍編纂事業に於いては明白に放棄し、地籍に編纂することもしなかったのである。

しかし日本とて明白な他国領と認識している古来の松島を勝手に自国領に編入するつもりはなかった。
リャンコ島を新発見の島と思いこみ、錯誤により編入してしまったと結論すべきであろう。
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