竹島

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大事と思われる

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 13:52 投稿番号: [3550 / 18519]
風景描写のくだりが二の次三の次の問題になってしまいましたね。ご愁傷様です。笑

結局、竹島(独島)に風景描写と一致する視点は見つからなかったんですか?

>まず鬱陵島である可能性を完全に排除...
りっぱな資料理解の姿勢ですね。
感服しました。

>必然性

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 13:45 投稿番号: [3549 / 18519]
>そもそも三峯島が鬱陵島であるならば、新たに鬱陵島を捜得する必要はないわけです。

もちろん、そうです。

>成宗7年条の記述を見ても明らかなように、政府は三峯島を鬱陵島とは別の島と考えていました。

もちろん、そうです。

>同条に記された金自周の報告は、まず鬱陵島である可能性を完全に排除して読まねばならんのです。

金自周は金漢京の案内で「三峰島」に出かけたわけですが、この金自周も永興の人でした。鬱陵島の存在は知っていても行ったことはなかったのでしょう。金漢京の言うままに「三峰島」をそのまま「三峰島」と考えただけかと思います。しかし、それは結局、現在でいう鬱陵島にほかならなかったということです。

朝廷が二島と考えたことはそれはそれでいいでしょう。しかし、それは独島をすでに認識していたことを意味することにはなりません。現在の目からするとそれは鬱陵島・独島ではなく、鬱陵島ただ一島を指すに過ぎなかったのです。

「獨島」を「四峰島」と読む必然性

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/03 13:41 投稿番号: [3548 / 18519]
>西から見たとか、東から見たとかは、二の次三の次の問題に過ぎません。

確かにな。「三峰島=獨島と読む必然性」は分かるが、現実には「獨島」を「四峰島」と読む必然性もあるな。(笑)

http://www.ullungdo.com/spboard/board.cgi?id=kch_photo&action=view&gul=271&page=1&go_cnt=

三峰島=鬱陵島

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/03 13:02 投稿番号: [3547 / 18519]
>獨島を描いた絵が残されていないので、当時の様子を生々しくお伝えできないのは残念ですが、実録に要約された文章でさえも、明らかに鬱陵島と三峯島は別島だと分かります。

「西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流」の記述を1882年の「鬱陵島外図」と併せて見れば、「三峰島=鬱陵島」なのは明白だな。

同外図の北東に描かれている「四石列立」は作者のケンチャナヨなミスで実際には「三石列立」、今の「三仙岩」に当たる。その西隣に大きく描かれている岩は、実際には其の次に描かれている岩(「孔岩」=「中島」)よりも小さい「竹岩」で「小島」に当たると言える。

次に、同外図北側に内方向へ二つ描かれているのが、「巌石列立」、今の「ソンゴット山(又はソンゴット・バウィとも呼ばれる)」に当たる訳だ。 因みに、「バウィ」は朝鮮語で巌石の意味だな。(笑)

http://www.ullungdo.com/map/11.htm

三峯島=獨島と読む必然性

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/03 12:48 投稿番号: [3546 / 18519]
金漢京ら永安道の民間人が鬱陵島を三峯島と呼称していた可能性と、政府のそれは切り分けて考えねばなりません。
そもそも三峯島が鬱陵島であるならば、新たに鬱陵島を捜得する必要はないわけです。
成宗7年条の記述を見ても明らかなように、政府は三峯島を鬱陵島とは別の島と考えていました。
そのことは、往年の朴宗元は至らず還った(鬱陵島には至った)のに金自周は到達した旨を大臣達が述べたと記録されていることからも疑う余地は全くありません。
同条に記された金自周の報告は、まず鬱陵島である可能性を完全に排除して読まねばならんのです。

西から見たとか、東から見たとかは、二の次三の次の問題に過ぎません。

>ややこしい

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 12:34 投稿番号: [3545 / 18519]
そうです。資料はまずそのままに読むべきです。私は金漢京が独島のことを三峰島と考えていた可能性はまったくないと思います。咸鏡道から見えるといっているのですから。

以前に触れましたが、金自周の「西距島七八里許到泊…」ですが、これは「西に島を隔てて7・8里ばかり…(つまり船は東側)」でしょう。

こういう用例は「西距」でググると現代中国語であれば(古典もひっかかります)すぐに出てきます。逆に「西距」で主語が修飾語の西方にあるという訳し方をする場合はあるのでしょうか。私は中国語にも漢文にも弱いのでよく知りませんが。とにかく、

「島の西方7,8里(2.8-3.2km)に到着し停泊して」ではなく、
「西に島を隔てて7・8里ばかりに到着し停泊して」と私は考えています。

>現在の獨島日本領派の諸君は、島の東に停泊したかもしれない、そこから透視術を使って島の北側も見えるかも知れない、等々の勝手な推測…

まぁ、訳し方の問題でしょう。透視術は必要ありません。一冊の漢和辞典とググるインターネット環境があれば「西距」の用例確認はいくらでも自分でできることでしょう。

ややこしくない

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/03 12:13 投稿番号: [3544 / 18519]
>つまり、こういうことはできるかもしれません。二島論はあった。しかし、現在の目からみれば、その二島はいずれも鬱陵島を指すに過ぎなかったということ。当時の資料で見る限り、二島(鬱陵島・三峰島)は決して鬱陵島と独島を指していないのです。

へー(笑
とても資料は素直に読みましょうと仰った方のご意見とは信じがたいですな。
この時代の承政院日記や金自周が獨島を描いた絵が残されていないので、当時の様子を生々しくお伝えできないのは残念ですが、実録に要約された文章でさえも、明らかに鬱陵島と三峯島は別島だと分かります。
っで、現在の獨島日本領派の諸君は、島の東に停泊したかもしれない、そこから透視術を使って島の北側も見えるかも知れない、等々の勝手な推測を加えて「その二島はいずれも鬱陵島を指すに過ぎなかった」と結論しちゃうわけですか。(笑

へー(笑

ややこしい

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 11:45 投稿番号: [3543 / 18519]
そもそも竹島問題はややこしくて、なかなか議論が難しいのですが、もしかしたら私が申し上げたことも文章のまずさからアホさんに通じていない点もあるかもしれません。一応、まとめて整理しておきます。

当時、三峰島があるという話が出ることで鬱陵島とは別のこの島に対する探査は当然に必要になりました。で、探査しましたが朴宗元らのときは見当たらず、金自周の時は見当たりました(それに先立って金漢京も)。

ただし、この金自周や金漢京の見た三峰島は、現在の我々から見ると実は鬱陵島にほかならなかったのです。

私は三峰島探査を鬱陵島探索と勘違いしているのではなく、もちろん三峰島を探査しましたが、三峰島をまったく確定できなかったのであり、確定できたと思った金自周の島も、現在から見れば鬱陵島を勘違いしていたに過ぎない、と申し上げたのです。

二島論については、もちろんそういう観念をもって探査は行われましたし、民の移住も問題になったところをみると、アホさんの仰るように「確立」といっていい部分もあるかもしれません。

つまり、こういうことはできるかもしれません。二島論はあった。しかし、現在の目からみれば、その二島はいずれも鬱陵島を指すに過ぎなかったということ。当時の資料で見る限り、二島(鬱陵島・三峰島)は決して鬱陵島と独島を指していないのです。

朝鮮って不思議ですね

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 02:34 投稿番号: [3542 / 18519]
1640年ころの日本の漁師は松島(現竹島)のことを竹島への航路上にあり隠岐より60里あまりと特定していますね。竹島(鬱陵島)へも100里余りと特定されてます。

たった150年遡っただけの朝鮮の政府役人...当然教養も知識もあっただろう人間がなぜ三峯島が独島だったとして位置を特定できないんだろう?
なんで「南東の水平線上に見える」じゃなくてただの「歴々と見える」なんだろう。
なぜ朝鮮には1800年代ですら1600年代の日本の漁師が書いたような位置が特定できる書物がないんでしょう?  

不思議ですね朝鮮人って。

あっ、あくまで朝鮮国が独島の存在を知ってた場合ですよ。知らなければ書けって言われても書けませんからね。笑

松島渡海

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 01:40 投稿番号: [3541 / 18519]
私、竹島には興味がありますが、韓国語も古文も苦手です。

下記のHPに三代目九右衛門勝信が延宝九年(天和元年=一六八一年)に幕府巡検使に差出した請書があります。

http://matsu.rc.kyushu-u.ac.jp/study/takeshima/siryo-list/katsunobu.html


下部のあたりに

而御座候   廿四五年以前阿部四郎五郎様御取持を以
  拝領船渡海仕候   此小嶋ニ而茂みち之魚之油小宛所務仕候   右之小嶋江隠岐国
嶋後福浦より海上六十里余茂御座候御事

とあります。

「阿部四郎五郎の取持ちにより拝領船で松島に渡海した」との意だと思われますね。

阿部四郎五郎は老中で竹島渡海免許を幕府に上申した人物ですね。
その阿部四郎五郎が取り持った拝領船で松島に渡ったと考えるなら、幕府の渡海許可の下に渡海したと考えるのが合理的だと思えます。
「竹島渡海由来記拔書」とも矛盾がありませんね。

ただし、古文は苦手ですので間違いがあればどなたかご指摘ください。

>単に旗本の伝言を

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 01:38 投稿番号: [3540 / 18519]
歪曲はいけませんよ。

旗本の伝言は言い換えれば幕府役人の指令、もしくは命令、許可とも考えられますね。もしAHOさんの言う旗本が阿部四郎五郎のことなら老中ですね。政府要人ってところですか。

>松島に渡海する免許

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 01:04 投稿番号: [3539 / 18519]
私の提示したHPは昭和27年3月7日の朝日新聞朝刊神戸版の内容の転載のようですね。

この朝日新聞の記事に
>由来記には「その後大猷院(徳川家光)様御代、竹島海道にて松島と申す島を見出し、御注進申奉り候えば、竹島の通り支配御許し遊ばされ、右両島へ渡海仕り来り・・・」と記されている。

とあるのは前回にも書いた通りです。

「支配」の意味は国語辞典によると   「ある地域・組織を自分の勢力下に置き、治めること。」です。
すなわち上記の内容は「(松島を)竹島の通り治めることを許す」です。

私は再三根拠を示してくださいとお願いしていますがAHOさんは単に自分の考えのみで根拠を示してくれませんね。

AHOさんのおっしゃりたいことはなんでしょ?

「竹島渡海由来記拔書控」が信憑性がないとおっしゃりたいのでしょうか?   それとも朝日新聞の記事が出鱈目とおっしゃりたいのでしょうか?   はたまたHPの内容が大嘘とおっしゃりたいのですか?

くどいようですが根拠を示してくださいね。

>横レス

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 00:19 投稿番号: [3538 / 18519]
>単に旗本の伝言を書き留めたように書かれておりますが、幕府が大谷家に松島を領地として与えた記録も存在しませんし、

歴史学において「拝領」なる用語がどういう意味で使われるかは知りませんが、普通この単語はもらうこと、頂戴すること全般を指すのであって、必ずしも領地だけを指すのではありません。

この渡海許可は塚本孝も書いているように「独占的開発権というべきもの」の性格のものでしょうから、その権利を頂戴したと考えるべきではないでしょうか。領地問題ではなく権利問題です。

そう

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/02 23:55 投稿番号: [3537 / 18519]
>鬱陵島のほかに三峰島なる存在があるかもしれない(見つからなかったけど)、ある人がそういう島があるといっていた(見つからなかったけど)というだけで「二島論が定着した」と言えるかは疑問だということです。

金漢京・金自周は見つけたとして報告はしていますがね。どうみても鬱陵島を指すとしか思えない例の報告です。これはその後まったく話が出てこない(朴宗元は出てきますが)ところを見ると、あまり三峰島としての信憑性を認められていなかったのかもしれませんね。

まぁ、考えてみると、なるほどアホさんのいうとおり「二島説定着」という部分はあったかもしれませんね。民の移住の話も出てくるわけですから。それは後世の我々から考えればそれが単に鬱陵島に行ったに過ぎなかったわけですが。

>二島説確立

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/02 23:12 投稿番号: [3536 / 18519]
「二島説確立」というものの言葉の理解が私とアホさんにずれがあるようです。話が食い違ってしまいます。

私は当時、朝鮮は具体的に三峰島を全く捉えていなかったと申し上げているのです。

鬱陵島のほかに三峰島なる存在があるかもしれない(見つからなかったけど)、ある人がそういう島があるといっていた(見つからなかったけど)というだけで「二島論が定着した」と言えるかは疑問だということです。

観念として二島の考えがあったのは、太宗や世宗の時代までさかのぼることができることであって、ここで三峰島が問題になるのは、独島としての存在がどこまで具体的に捉えられたかにあるべきではないですか。

ちょっと、話がずれてしまったようです。

>腑に落ちる

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/02 23:03 投稿番号: [3535 / 18519]
>永安道観察使が「東北之海風浪険悪非他海之比、且不知三峯島」と云っているのはご存じですな。

もちろん、存じ上げています。その後に続く言葉「的在何処」は文脈から見て省略すべきではないと思いますが。「東北之海 風浪険悪 非他海之比 且不知三峯島 的在何処」。つまり、三峰島がどこにあるか知らないと言っているのです。

そもそも、三峰島の存在が分からないから永安道観察使が調査を申し出ているのでしょう。金自周探査の5年後にもかかわらず。

>三峯島探索事業の成果が浸透した結果、良く所在が知られている鬱陵島とは、明らかに別島と認識されております。

当然に別の島を念頭においています。しかしそれがどこにあるかも分からず、正しい情報であるかまったく理解できていなかったのです。そして、結局のところ、それは実は鬱陵島に過ぎなかったのだと申し上げました。

三峰島なる島があるかと思っていたが、何もなく、ただ、そこには鬱陵島があっただけであり、または鬱陵島を三峰島と勘違いした金漢京・金自周がいただけのこと。

二島に対する明確な意識はここにはありません。「話によればあるかもしれないから調査する」という次元です。結局、その後、三峰島の名は、鬱陵島を指すものとして随所に見られるようになっていくのではないですか。

アホさんは3473で「漠然とした認識など、何処にもありません」と書きました。実際は完全に漠然としまくっていたということです。始めから最後まで、何も把握できていなかったと。

成宗7年には二島説確立

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/02 22:59 投稿番号: [3534 / 18519]
朴宗元による探索では三峯島には達していませんが、鬱陵島は訪れています。

成宗実録巻72(ソウル大の原文情報ではPDFファイルの35ページ目に相当)をご覧頂きたい。
「往年朴宗元 由江原道 發船遭風 不至而還」と書いてあるのが読めますか。
鬱陵島には訪れた筈の朴宗元は三峯島には至っていないと明瞭に記されているじゃないですか。
どうして三峯島を鬱陵島と同一と言い張れるのか、全く理解できません。

電波少年さん

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/02 22:29 投稿番号: [3533 / 18519]
>1.松島に渡海する免許
許可されたと「竹島渡海由来記拔書控」にある。

愚生の投稿を良くお読み頂きたい。
「竹島渡海由来記拔書控」には領地を拝領したなどとは書かれていませんな。
単に旗本の伝言を書き留めたように書かれておりますが、幕府が大谷家に松島を領地として与えた記録も存在しませんし、渡海を免許したことを証明する「奉書」も存在しません。
よって、撤回するつもりはありません。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/

『1650年代に伯耆藩(鳥取)の大谷、村川両家が「松島」を幕府から拝領し経営していたという記録があり』とあるが、これは大嘘。
幕府が町民である大谷・村川両家に領地を与えた記録は存在しない。松島に渡海する免許すら与えていない。

腑に落ちませんな

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/02 22:18 投稿番号: [3532 / 18519]
>私は以下のことを指摘しました。
①「西距島七八里許到泊」を「島を西にして…」の意味で考えうること。
②咸鏡北道から行ったので当然「四昼三夜」かかること。
③金漢京は鬱陵島を三峰島を考えていたこと。
④何年か後、咸鏡北道観察使は金漢京を罰することを進言していること。
⑤朴宗元探索隊は独島をまったく見ていないこと。

朴宗元は途中で難破しましたから獨島に達していません。
④に就いて読んでいるのならば、永安道観察使が「東北之海風浪険悪非他海之比、且不知三峯島」と云っているのはご存じですな。
三峯島探索事業の成果が浸透した結果、良く所在が知られている鬱陵島とは、明らかに別島と認識されております。
貴殿は、「不知鬱陵島」だとでも主張なさるおつもりか。

バカチョンのカメラで撮って

投稿者: yosyat36nai46 投稿日時: 2004/02/02 15:26 投稿番号: [3531 / 18519]
見えた見えないは貴方が現地で調べる事です
過去の書物での議論は正確では有りません貴方が島に行って望遠レンズを使わず写真を撮って公表すれば良いでしょ
でも現在のキャメラは、肉眼以上の性能ですからバカチョンカメラで撮ってください
学校で習わなかったのですか実験と確かめる事の大切さを
南朝鮮政府が拘束した南朝鮮人の学問低さに同情します
たぶん朝鮮島から見えるのは蜃気楼です
中国東南亜細亜日本は南朝鮮人は日本同様嫌われています

>>>三峰島(付言)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/02 11:17 投稿番号: [3530 / 18519]
>④何年か後、咸鏡北道観察使は金漢京を罰することを進言していること。

これについて、ちょっとまずい書き方だったので、一言付言します。この進言があったのは金自周の探査から5年後のことで、原文はさきに示したように、以下の通りです。
------ -
(三峰島…アヒル注)前者往来者 或云遥見 或云不得見 莫辨真偽 今也 遣人捜覓 如終無此島 則将初発言金漢京輩 明其 語惑衆之罪 置之極刑 伝屍一道 以示衆目 則愚民亦知三峯島之必無 而其胥動之惑 自解.(成宗実録:成宗12年、永安道監察使)
------ -
で、この進言について、一応説明しておきます。これは、永安道監察使が三峰島探査を申し出るときに出されたものです。

引用からはずれますが、三峰島がどこにあるかも明らかではないこと、愚かな民が財産を捨てて移っていること、この国を背く者たちの島を探査する必要があるとしています。そして、これにおいて島の存在がないことが確認されれば、初めに三峰島の存在を言い出した金漢京を罰する必要があるとしているようです。(全文は、アホさんご紹介の独島資料サイトにもあります。)

ここで分かることは、金自周探査から5年後において、
・三峰島が相変わらずどこにあるか分からないこと。そして、愚かな民に島に移り住む者たちがいること。探査して島を探す必要があるとしていること。
・島の存在が否定されれば金漢京を罰する必要があること。つまり、この時点で必ずしも二島論が確立していなかったということ。
です。

以上、ご参考まで。

大きな成果?

投稿者: tinopure 投稿日時: 2004/02/01 23:08 投稿番号: [3529 / 18519]
> 鬱陵島に日本人はひとりも残らなかった。これは開拓使・金玉均の鬱陵島、独島再開拓事業の大きな成果であった。

そのときに交わされた   檜垣内務少書記官と島長(幼学)さんの会話
檜垣書記官   曰   小官此度渡航シ来ルハ他ノ義ニ非ス   当島ニ在留スル我国人民ヲ残ラス召連還ルヘキ我政府ノ命令ヲ奉シ汽船ニ塔シ昨日着島セリ   依テ本船ヘ該人民等ヲ乗込マシメントス   諒知セラレヨ

(このたび小官が渡航して来たのは他でもありません。当島に在留する我が国の人民を残らず連れて帰れという政府の命令を受けて、汽船で昨日着島しました。   よって、本船に日本人を乗り込ませようと思います。ご承知をしていただきたい。)

幼学曰   仰ノ如ク貴国人民悉帰国セラルル誠ニ賀スヘキ事ニ候得共交情ニ於テ忍ヒサル所アリ   何トナレハ本島ヘ渡来スル所ノ我国人民食ニ乏シク時々貴国人ノ恩恵ヲ蒙リタル事不尠此恩忘レルヘカラス   願クハ巳ニ採伐スル材木ハ悉ク帰国ノ序持帰ラレン事ヲ企望致候・・・・

(おっしゃるように   貴国の人民がすべて帰国されるのは喜ばしいことですが、ご交情を頂き、忍びがたい所があります。なぜかと言いますと、我が国民が食べ物に乏しく、時々貴国の人の恩恵をたまわりましたこと、恩を忘れません。できれば   伐採する木材は全てお持ち帰りいただけますか?・・・・)

括弧内   tinopure意訳

さて、事実はこうでした。どう思われますか?
決して追い出されたような話ではなく、恩に感じていただいて、大切な材木もお土産に下さろうととしたのが事実です。

・・・開拓事業の大きな成果だそうです。

見えるかどうか?

投稿者: nobuo_shoudoshima 投稿日時: 2004/02/01 22:26 投稿番号: [3528 / 18519]
そもそも、どこから何が見えるかが問題でして…

「江原道から鬱陵島が見えるという」等の記述は「竹島(takeshima)」に関しては無意味では?

ついでに2島説について面白い話を。

翻訳掲示板で韓国人と話をしましたが、韓国でもやはり以下の自然現象はあるようですね。

http://www.micnet.ne.jp/souji/

( ´H`)y-~~

to Tanaka san

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/01 22:22 投稿番号: [3527 / 18519]
常走 背汐

ハングルでeok ji hae seok

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/02/01 22:11 投稿番号: [3526 / 18519]
ahirutousagi2さん、初めまして。

>三国史記の于山国 in 512のところで「韓国側は于山国には
>鬱陵島と于山島の両島が含まれると主張しているが、それは
>強引な解釈でしかない。」ですが、この「強引」が韓国語で
>「強制的な解釈」という意味になっていますが、こじつけ
>という意味では「eok ji hae seok」くらいがいいのではないか
>と思います。

ハングルでeok ji hae seokを書いてください。

竹島に思うこと2。

投稿者: hyper0433 投稿日時: 2004/02/01 20:42 投稿番号: [3525 / 18519]
もちろん彼の国々にも人間として尊敬でき、自分の友人として何の問題もなく
付き合える人もいると思います。実際に私にも気を許せる韓国人の友人が一人います。
しかし、国家間の関係でいえば反日教育・政策(親日人名辞典−こんなものが許される国情)を
積極的に行っている国には、それに応じた付き合い方が求められと思います。
韓国人の友人に聞くところによれば、徴兵で軍隊に入ると対北というより
反日を徹底的に植え付けられるという話を聞きました。

  韓国にとっての仮想敵国は現在、北朝鮮崩壊後を見据え日本に移っているが現実
だと思いますが、日本も既に防衛力を対ロシア型から有事に即座に対応し
島嶼部の防御・奪還を果たせるような編成にシフトしました。
海上自衛隊の新型DDHはヘリコプター護衛艦というふれ込みですが陣容は空母そのものです。


http://www.asagumo-news.com/news/HP0309/nt0309.htm#a0309225


この空母を竹島の奪還作戦に向けたとすると最大で十一機の運用が出来るヘリコプターを
使い西部方面普通科連隊(新設された特殊部隊)で急襲すれば短時間で作戦は完了するでしょう。
  そうなった後で韓国側が「国際法廷で決着を!」なんて言い出しても、今の韓国がそうであるように、
聞く耳をもたなければ良いだけです。韓国の力による実効支配というやり方をそのまま日本が
やり返すだけなのですから。

  装備や環境は着々と整いつつあります。
あとは国民世論の高まりを待つのみですが、これは時間が掛かると思いますので、
皆がインターネットを媒体として竹島問題に注視して対応していけば、
早ければ十年か二十年後には竹島を奪還する日がやってくると思います。
韓国の出方次第ではその時間はもっと早まるかも知れません。
それまでは現在の国力を維持しつつ、韓国には反日政策を、北朝鮮には極東に適度の緊張感を
保ち続けてもらい、わが国の軍事力強化に貢献してもらいましょう。

竹島に思うこと。

投稿者: hyper0433 投稿日時: 2004/02/01 20:36 投稿番号: [3524 / 18519]
現在、竹島は韓国によって不当に占拠された状態に置かれていますが、
日本の防衛力、国力を持ってすれば、現在でも竹島を実力で奪回し、
維持・管理することは造作も無いことです。
しかし現在の日本の政治体系、国の情勢からいって、今すぐに
竹島を武力によって奪還することは現実にはあり得ないことであると思います。
しかし、これが十年後、二十年後であればどうでしょう。

戦後六十年が経とうとしている現在、国際環境の中で
日本の世論は変わりました。
ほんの何年か前まではマスコミが北朝鮮を表だって非難したり、
積極的に実情を伝えようとすることはほとんど無かったように思います。
しかし、金正日が日本人の拉致を認めて以来、一気にマスコミも
国民の要望に合わせるように連日報道するようになり、
そして今回、国会では北朝鮮に経済制裁を加えることが可能になる見通しです。
また、以前はそれを語ることさえ阻まれた「有事」に置いての
法整備(例−外国軍用品等海上輸送規制法案)(仮称)なども着々と進んでいます。
自衛隊を平和活動目的とはいえ、事実上の戦地に送る日がやってきました。

戦争の匂いのする歴史から目をそむけ、
日本の歴史を自分達の国策上都合の良いように捏造され、改竄されても
黙っているばかりか積極的にその捏造された歴史を取り入れようとする
左翼や日教組などが大手をふって歩いていた時代は終ろうとしています。

今まではマスコミの偏向報道や圧力団体、似非平和主義者などによって
本当のことを知ることや主張することが難しい世相でありましたが、
その軋轢を打ち破るという意味でインターネットの果たす役割は
大きいと思います。

私も以前は韓国・北朝鮮・中国という国も他の国と変わらずこちらが誠意を
持ってすれば仲良く出来ると信じていた国でありましたが、
情報の操作を受けない声を聞き、これらの国の人間の実態が分るにつれて、
これらの国には弱腰になるのではなく、
堂々と主張し、強硬に対応し、時には武力を行使することも選択肢として必要だと思うに至りました。

ちらっと見ただけですが(田中さん)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/01 19:16 投稿番号: [3523 / 18519]
田中邦貴さん、はじめまして。韓国語のページを見せていただきました。ほんのちらっとしか見ていないのですが、二つだけ申し上げます。全体的に翻訳はよくできていると思いますが、ちょっと気になった部分のみ。

①三国史記の于山国 in 512のところで「韓国側は于山国には鬱陵島と于山島の両島が含まれると主張しているが、それは強引な解釈でしかない。」ですが、この「強引」が韓国語で「強制的な解釈」という意味になっていますが、こじつけという意味では「eok ji hae seok」くらいがいいのではないかと思います。

②同じところの赤字部分「仮に于山島が竹島だとして、何故この無人島が人の住める鬱陵島より優先し、于山国という国名になるのであろうか?」ですが、これが、「仮に于山島が優先し、于山国という国名になるのであろうか?」と訳されています。ミスでしょう。これは必ず訂正してください。

とくに②は必ず訂正してください。

韓国語版「三国遺事」 早くも完成!

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/02/01 16:44 投稿番号: [3522 / 18519]
皆さん、こんにちは。今日から2月です。

韓国語版「三国遺事」が早くも完成しました。
ビューティフルとしか言いようが無いです。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/Takeshima/

原文(漢文)だけでなく翻訳文や説明文にも、漢字が分からない韓国人の為に
文章にふんだんに(かっこ内に漢字を)盛り込みました。


鬱陵島→于陵島→于山国島→于山島

韓国人の皆さん、于山島は獨島じゃなくて鬱陵島ってのが分かりましたか?
まだ分からないのであれば、次回「太宗実録」をご紹介致します。

あれだね

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/02/01 14:58 投稿番号: [3521 / 18519]
売国奴扱いしてる金玉均の言ってることを信じるのは親日派がいう妄言(韓国人の言う)を信じるのと同じなんだろ?矛盾に矛盾がはびこってるなあ、この理論は。半月城は脳内ネットワークがちゃんと連絡取れてないみたいだ。

捏造癖 II

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/01 14:06 投稿番号: [3520 / 18519]
>金玉均など開化党は「近代国家」意識が強かったために鬱陵島・竹嶼島・独島に日本人が入りこむのを懸念して再開拓事業に熱心であった。

1894年に暗殺された金玉均は、「独島」に関して、1899年に発行された「大韓全図」よりも正確な認識を持っていた、と言っているわけだな。(笑)

http://www.ullungdo.com/map/12.htm

捏造癖

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/01 13:04 投稿番号: [3519 / 18519]
は治らないみたいだな、半月城。

>鬱陵島の朝鮮人が増えたことで竹島=独島の認識がより確実なものになりました。

そう書くのであれば、「于山島=独島の認識がより確実なものになりました」と捏造しないと駄目だな。(笑)

念のため

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/01 11:43 投稿番号: [3518 / 18519]
念のため入っておきますが、

>同行した船の一隻が鬱陵島に立ち寄っているのに、どこをどう読んでも三峯島を鬱陵島と勘違いするなんて有り得ません。

朴宗元らは三峰島が鬱陵島のほかにあるかを探索しに行きましたが、遭難して鬱陵島のほかには何も見つけられなかったということ。つまり、鬱陵島と三峰島を勘違いしていたわけではありません。

一方、金漢京は三峰島を実は鬱陵島と勘違いしていたのであり、金自周が見たのも当然に鬱陵島でした。これは鬱陵島と三峰島を見誤ったのです。ということを申し上げました。

>>三峰島(その他部分)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/01 11:33 投稿番号: [3517 / 18519]
レスをし忘れていた部分にお答えしておきます。

>そもそも鬱陵島とは別島があるので探索が行われたのです。

別島がある「かどうかを確認しようと」探索が行なわれたのでしょう。

>従って、三峰島探索を鬱陵島の記事と勘違いする方には失笑を禁じ得ません。

「失笑」するほどのことはありません。資料をそのままに受け入れればいいことです。

三峰島探索は、結局、鬱陵島しか見つけられなかったのであり、三峰島と考えた島も鬱陵島を勘違いしたものでした。

私は以下のことを指摘しました。
①「西距島七八里許到泊」を「島を西にして…」の意味で考えうること。
②咸鏡北道から行ったので当然「四昼三夜」かかること。
③金漢京は鬱陵島を三峰島を考えていたこと。
④何年か後、咸鏡北道観察使は金漢京を罰することを進言していること。
⑤朴宗元探索隊は独島をまったく見ていないこと。

独島資料を集めたサイトをご紹介いただきましたが、三峰島に関する成宗実録の記録にも独島に関する知見、その存在を確認できるものは何もありません。

獨島問答 Q50-52

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/01 10:41 投稿番号: [3516 / 18519]
獨島問答 Q50
  いつ、どのように鬱陵島「再開拓事業」が本格的に実行されたのか?

獨島問答 Q51
  東南諸島開拓使 兼 捕鯨使・金玉均は鬱陵島、独島の再開拓に成功したのか?

ANS.金玉均など開化党は「近代国家」意識が強かったために鬱陵島・竹嶼島・独島に日本人が入りこむのを懸念して再開拓事業に熱心であった。いくつか例をあげれば次のとおりである。

(1)政府の主導下に江原道、慶尚道、全羅道地域を中心に移住民や志願者を集め、鬱陵島へ移住させ、積極的に支援した。その結果、移住民の数が1883-84年に急速に増加した。

(2)政府と開拓使は、日本へ日本人の鬱陵島不法侵入を強硬に抗議し、鬱陵島に入ってきた日本人をみな撤収させるのに成功した。日本の内務省は 1883年9月、官吏と巡査など 31名を乗せた越後丸という船を鬱陵島に派遣し、それまで鬱陵島に不法侵入し居住していた日本人 254名をみな乗船、撤収させた。
   その結果、鬱陵島に日本人はひとりも残らなかった。これは開拓使・金玉均の鬱陵島、独島再開拓事業の大きな成果であった。

(3)開拓使・金玉均は、政府の許可なく日本船籍の天寿丸船長に米穀をもらって鬱陵島の森林伐採許可証を発給した鬱陵島島長・金錫奎を罷免、処罰した。金玉均は、鬱陵島の森林は国家にとり外貨を稼ぎだせる重要な資源とみなした。

(4)開拓使・金玉均は、朝鮮政府が鬱陵島の森林を伐採し日本に輸出する政策を採択したので、開化党の白春培を1884年8月、日本に派遣し、日本船の萬里丸船長と販売契約を締結した。金玉均は鬱陵島の森林伐採と林業、漁業開発に必要な資金調達のため鬱陵島の森林を担保に借款導入を交渉した。

   しかし 1884年12月、甲申政変に失敗した金玉均たちが日本に亡命するや、開化党の鬱陵島、独島再開拓事業は障壁に当面した。

Q52.甲申政変後、鬱陵島・独島再開拓事業はどのような障壁に当面したのか?

ANS.中断はされなかったが、閔妃(明成皇后)を中心とする守旧派政府は関心を持たなかった。そのため、閔妃政府は鬱陵島に専任の島長をおかず、開港以前の捜討制度時と同じように平海郡越松浦の水軍萬戸に鬱陵島を兼任で管理させるようにした。
   甲申政変失敗後、政府の鬱陵島再開拓事業は熱意がさめたが、一般民衆のあいだでは南海岸の多島海地方から鬱陵島に移住する民が着実に増加した。
   1894年に穏健改革派が執権するや、1894年12月、鬱陵島の捜討制度を廃止して再び専任の島長をおいたが、1895年8月には島長を島監に換え、判任官職級に格上げし、初代島監に蠔季周を任命した。
   これにより鬱陵島の再開拓事業は再び活気をおびた。「独立新聞」に1897年3月現在の鬱陵島再開拓事業統計がのっているが、造成した村が 12洞里、戸数が 379戸、人口が1134名(男子622名、女子 472名)、開墾した農耕地が合計 4775斗落であった。

コメント:後に記すように、鬱陵島の朝鮮人が増えたことで竹島=独島の認識がより確実なものになりました。

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

竹島=独島は見えるか2

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/01 10:39 投稿番号: [3515 / 18519]
   つまり鬱陵島の、200 - 300m の高度の東南がひらけた場所からなら、竹
島=独島は水平線上に小さくではあるがとにかく見える。そうした視認可能地
点は地図を開いてみれば鬱陵島には随処にあることが分かる。
  ・・・
   1438年に空島政策が最終的に実行されるまでは少なくとも、公式的に
も鬱陵島には多くの朝鮮人民が定住していた。
   つまり当然漁業だけではなく農業を行っていたと推定されるのだが、鬱陵
島もやはり海岸部は概して急峻で、むしろ 200 - 300mの台地上に比較的平坦
な開墾適地が多く、現在もそんな土地に少なからず人家があり畑が開かれてい
る。
   特に旧時の火田式農耕なら、そんな土地がまず開墾された可能性が高いは
ずなのである。従って、(川上氏がいうように)密林にさえぎられてどこから
も見えなかったとはどうしても考えられない。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   梶村説からすると、鬱陵島から竹島(独島)が実際に見えたようです。そ
うならば、『世宗実録』にある「二つの島はそれほど離れておらず、天気が清
明な日には望み見ることができる」という記述はやはり妥当と思われます。
   同時に、多くの資料や地図が、竹島(独島)は鬱陵島の属島ないし兄弟島
として扱ってきたことも納得がいきます。これについて梶村氏はこう続けまし
た。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   両島の関係は、八丈島と青ヶ島の関係のようなもので、兄弟島と規定する
ことは、自然地理学的に不自然な主張とはいえない。
   現在の国際法ないしは慣行では、決して自然地理学的条件が領土問題のき
めてとはされていないが、兄弟島であることが歴史的経緯に影響をもたなかっ
たはずはない。
   実際、日本側でも昔は両島をそうした関係のものととらえてきたといえる。
後述のように、江戸時代の日本では鬱陵島を「竹島」ないし「磯竹島」と呼び、
いまの竹島=独島を「松島」と呼んでいたが、松も生えないのに「松島」と呼
ぶのは、「竹島」の呼称の方が先にあって、それと対になる名称として後から
生まれたものとしか理解しがたいのである。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この説を裏付けるかのように、江戸時代、代表的な長久保赤水の地図など
が、竹島(独島)と鬱陵島を一対に描いてきたことはすでに記したとおりです。
   したがって、竹島(独島)は鬱陵島の近くにある属島という朝鮮側の認識
はまず妥当であると思います。

(注1)堀和生「1905年日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』
    24号(1987)
(注2)視力(日立デジタル平凡社『世界大百科事典』より抜粋)
  ・・・視力の単位は国際協定により決められ,視標とするランドルト環
Landolt ring(太さ1.5mm,直径7.5mm)の切れ目(1.5mm角)を5m離れて見分けら
れる視力を〈1.0〉とする。この切れ目の視角 visual angle はほぼ1分(1度の
1/60)である。外界の1点と眼を結ぶ線を方向線というが,2本の方向線のはさ
む角が視角であり,この逆数で視力が表される。そこで,この2倍の大きさ,
あるいは半分の距離で見分けられるとき,視角は2分となり視力は〈0.5〉とな
る。・・・
(注3)梶村秀樹「竹島=独島問題とは何か」『朝鮮研究』182号 1978.9
   あるいは、梶村秀樹『朝鮮史と日本人』明石書店、1992
(注4)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』古今書院,1996(初版,1966)

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

竹島=独島は見えるか

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/01 10:38 投稿番号: [3514 / 18519]
   半月城です。竹島=独島が鬱陵島からみえるかどうかの議論はどうやら結論がでたようですが、念のために4,5年前に書いた文を転載します。

http://www.han.org/a/half-moon/hm066.html#No.434
「歴史会議室」
【名    前】半月城
【タイトル】竹島(独島)は見えるか
【メッセージ】12/19 09:45

   鬱陵島から 95km も離れた小島の竹島(独島)が本当に見えるのかどうか、
実は私も半信半疑だっただけに、みなさんの議論は参考になりました。これは
『世宗実録』など韓国側資料の文献批判に影響する重要な問題なので、この際、
すこし真剣に考えたいと思います。

   まず、実際に鬱陵島から竹島(独島)を見たという報告ですが、『軍艦新
高行動日誌』(1904.9.25)に、<松島東南望楼臺ヨリ望遠鏡ヲ以テ見タル「リ
ャンコ」島>として島の観測図が紹介されています(注1)。
   その図で島は三つに分かれていますが、水平線近くまでよく見えているよ
うです。ただし、望楼台の高さなどくわしいことはわかりません。

   さて望遠鏡が一般的でなかった『世宗実録』の時代、竹島(独島)が肉眼
で見えたかどうかですが、目の視力や気象条件など事情は複雑なようです。
   まず目の視力ですが、1.0というのは 5m 離れた所からC字型をしたラン
ドルト環の切れ目 1.5mmを見分けられる能力と定義されています。これは視角
がほぼ1分、すなわち 1/60度に相当します(注2)。
   竹島(独島)の場合、高さが174mですが、かりにそのうち100mを見るとす
るとその視角は 3.6分になり、視力的には千里眼や遠視でなくても十分識別可
能といえます。ちなみに、この視角は 5m先で 5.2mmの識別能力に相当します。

   したがって目の能力からすれば、竹島(独島)は肉眼で十分観測可能とい
えますが、問題は気象条件です。島の明るさや大気の清澄度、気温と水温の差
によっては、たとえ望遠鏡を使っても見えません。
   島の明るさからいうと、浅見さんのコメントにあったように西日が射す午
後や夕方が有利なようです。
   また大気の温度は海水温よりかなり低いと海面にもやがたつので、寒風が
強い日は無理と思われます。他方、大気の清澄度は天高く馬肥える秋が一番と
いえます。
   こうしてみると、竹島(独島)を見やすいのは秋の午後といえます。軍艦
「新高」が、鬱陵島の望楼台から竹島(独島)を観測した日付が9月25日に
なっているのもうなずけるところです。

   ところで、気象条件は最良と仮定して見える距離 D(海里)と見る人の高度
h(m)や対象物の高さ H(m)の関係式は下記のようになります(注4)。ただし
RTSQは平方根を表します。また、1海里は 1852mになります。
   D = 2.09 (RTSQ(H) + RTSQ(h))

   この式を使って、島の見え方を梶村氏はこう解説しました(注3)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   竹島=独島の最高峰を 174m として計算したばあい、49海里離れた鬱陵
島からでも、海抜 120m以上の所からなら見えることになる。ただし 120m地点
からでは、頂上の一点が点として見えるにすぎない。
   竹島=独島の海抜 50m以上の部分が面として視認できるのは、鬱陵島の海
抜 284mの地点である。また海抜 200mの地点からなら、約 96m以上の部分が見
えることになり、少なくとも竹島=独島の西島頂部の三角形が見えることにな
る。
(つづく)

>三峯島探査

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/01 01:40 投稿番号: [3513 / 18519]
に強い証拠性を持ってると思っているみたいですが、客観的に考えて無理だと思います。

もちろん三峯島が竹島の可能性を100%否定するわけではありませが、証拠性は皆無です。

先にAHOさんが貼り付けたリンクの上側の写真を見てください。
http://www.ullungdo.com/dokdo/summary.htm
地図と照らし合わせると西から若干南よりから取った写真に見えます。

つぎに成宗実録、以下は半月氏のHPからの抜粋です。

「25日に島の西方7,8里(2.8-3.2km)に到着し停泊して観察しました。
島の北側に三つの岩が並び立ち、次には小島、次には巌石が並び立ち、次には
中島があります。
   中島の西側にはまた小島があり、全て海水が通じ流れています。また、海
と島の間には人形のようなものが30ほど並び立っており、不思議に思い恐れ
て直には接岸できず、島の形を絵に描いて持ち帰りました」



全く風景が違いますね。ですので証拠性は全く議論の対象にはならないと思われます。

訂正

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/01 01:17 投稿番号: [3512 / 18519]
投稿番号2004は投稿番号3494の間違いです。

AHOさん

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/01 01:14 投稿番号: [3511 / 18519]
返事がありませんのでもう一度

>由来記には「その後大猷院(徳川家光)様御代、竹島海道にて松島と申す島を見出し、御注進申奉り候えば、竹島の通り支配御許し遊ばされ、右両島へ渡海仕り来り・・・」と記されている。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~koukokutenbo/asahi-sinnbunn.htm
松島の支配を許すとあることについて異存はありませんか?

依存がないならば投稿番号2004でAHOさんが指摘している外務省に対する2項目

1.松島に渡海する免許
許可されたと「竹島渡海由来記拔書控」にある。

2.当然、許可の史実があれば再確認で問題ない。

で、よろしいですか?   よろしければ投稿番号2004の撤回をお願いします。
もちろん異存があるなら、根拠をお願いします。
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