竹島

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獨島問答 Q50-52

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/01 10:41 投稿番号: [3516 / 18519]
獨島問答 Q50
  いつ、どのように鬱陵島「再開拓事業」が本格的に実行されたのか?

獨島問答 Q51
  東南諸島開拓使 兼 捕鯨使・金玉均は鬱陵島、独島の再開拓に成功したのか?

ANS.金玉均など開化党は「近代国家」意識が強かったために鬱陵島・竹嶼島・独島に日本人が入りこむのを懸念して再開拓事業に熱心であった。いくつか例をあげれば次のとおりである。

(1)政府の主導下に江原道、慶尚道、全羅道地域を中心に移住民や志願者を集め、鬱陵島へ移住させ、積極的に支援した。その結果、移住民の数が1883-84年に急速に増加した。

(2)政府と開拓使は、日本へ日本人の鬱陵島不法侵入を強硬に抗議し、鬱陵島に入ってきた日本人をみな撤収させるのに成功した。日本の内務省は 1883年9月、官吏と巡査など 31名を乗せた越後丸という船を鬱陵島に派遣し、それまで鬱陵島に不法侵入し居住していた日本人 254名をみな乗船、撤収させた。
   その結果、鬱陵島に日本人はひとりも残らなかった。これは開拓使・金玉均の鬱陵島、独島再開拓事業の大きな成果であった。

(3)開拓使・金玉均は、政府の許可なく日本船籍の天寿丸船長に米穀をもらって鬱陵島の森林伐採許可証を発給した鬱陵島島長・金錫奎を罷免、処罰した。金玉均は、鬱陵島の森林は国家にとり外貨を稼ぎだせる重要な資源とみなした。

(4)開拓使・金玉均は、朝鮮政府が鬱陵島の森林を伐採し日本に輸出する政策を採択したので、開化党の白春培を1884年8月、日本に派遣し、日本船の萬里丸船長と販売契約を締結した。金玉均は鬱陵島の森林伐採と林業、漁業開発に必要な資金調達のため鬱陵島の森林を担保に借款導入を交渉した。

   しかし 1884年12月、甲申政変に失敗した金玉均たちが日本に亡命するや、開化党の鬱陵島、独島再開拓事業は障壁に当面した。

Q52.甲申政変後、鬱陵島・独島再開拓事業はどのような障壁に当面したのか?

ANS.中断はされなかったが、閔妃(明成皇后)を中心とする守旧派政府は関心を持たなかった。そのため、閔妃政府は鬱陵島に専任の島長をおかず、開港以前の捜討制度時と同じように平海郡越松浦の水軍萬戸に鬱陵島を兼任で管理させるようにした。
   甲申政変失敗後、政府の鬱陵島再開拓事業は熱意がさめたが、一般民衆のあいだでは南海岸の多島海地方から鬱陵島に移住する民が着実に増加した。
   1894年に穏健改革派が執権するや、1894年12月、鬱陵島の捜討制度を廃止して再び専任の島長をおいたが、1895年8月には島長を島監に換え、判任官職級に格上げし、初代島監に蠔季周を任命した。
   これにより鬱陵島の再開拓事業は再び活気をおびた。「独立新聞」に1897年3月現在の鬱陵島再開拓事業統計がのっているが、造成した村が 12洞里、戸数が 379戸、人口が1134名(男子622名、女子 472名)、開墾した農耕地が合計 4775斗落であった。

コメント:後に記すように、鬱陵島の朝鮮人が増えたことで竹島=独島の認識がより確実なものになりました。

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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