竹島

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Re: 于山島はやっぱり独島

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/12/23 11:38 投稿番号: [16056 / 18519]
続きです。

こちらが『西溪雑録』の原文のdjvuファイルです。

http://hanmaum.web-bi.net/zbxe/?module=file&act=procFileDownload&file_srl=528&sid=a5dbef0ae749db40acb96d02338e09f6


  これを見れば「遇一僧自稱壬辰之亂」以降は一段下げて書かれていて、これより前が本文であってこれ以降が本文についての補足説明であることが分かります。
  本文にあたる箇所をよく読むと1530年成立の『新増東国輿地勝覧』とほとんど同じ内容であって違っているのは『輿地勝覧』では
于山島鬱陵島一云武陵一云羽陵二島在県正東海中三峯及業掌空南峯梢卑風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴々可見風便則二日可到一説干山鬱陵本一島地方百里
にあたる部分が、『西溪雑録』では
鬱陵島鬱陵或曰武陵亦曰羽陵登高望之三峰岌業&#25745;空而南峰稍低日初出時風恬浪靜則衆峰&#25890;逭岩壑呈露沙汀樹木歴歴可指
になっている所だけです。つまり『輿地勝覧』では于山島と鬱陵島について二島説と一島説とを併記していたのが『西溪雑録』では一島説のみに変化しているのがわかります。
  私の推測では朴世堂が『西溪雑録』を書いた当時『輿地勝覧』の記述を一島説に改変した地誌が存在していてこれを彼は『西溪雑録』に記載したものの、彼自身は二島説が一島説に変化したのは鬱陵島は標高が高いために朝鮮半島からよく見えるが于山島は標高が低く朝鮮半島から見て存在が確認しにくいためと考え「于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見」と補足の説明を加えたのではないかと思います。
  それに『西溪雑録』が完成した時代(恐らく1696年から1703年の間)の鬱陵島の地図には鬱陵島の北東にある竹嶼に、「大于島」・「大干島」と于山島を連想させる表現が使われています。

  http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=445698006
  http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/1.html

これは当時の李朝の朝廷では竹島=独島は于山島とは見なされていなかったことを意味しているのではないでしょうか

Re: 于山島はやっぱり独島

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/12/23 10:51 投稿番号: [16055 / 18519]
ararenotomoさん、

  >>「壬辰之亂の俘」と称したのは朝鮮社会で生き抜くための偽称でしょう。彼らは竹島が物産豊富な島と聞き、自主的に竹島へ渡ったのかもしれません。

  たしかに当時鬱陵島に行くことは国禁であり、朝廷にばれたら処罰されてしまいますから、偽称である可能性はあると思います。朴世堂も「自稱壬辰之亂俘入」と「自稱」という微妙な表現を使っていることを考えると僧侶の言葉を額面通り受け取っていなかったのかもしれません。

  >>非常に大胆な推測ですが若しかすると、この僧は行方不明になったとされる船で欝陵島へ来たのかもしれません。

  むう。。これは非常に大胆な推測と言うより荒唐無稽な話のように思います。ararenotomoさんが「彼らは竹島が物産豊富な島と聞き、自主的に竹島へ渡った」とお書きになったのは行方不明になった船で朝鮮半島から鬱陵島に渡ったという意味でしょうか。行方不明になった船は隠岐から鬱陵島に渡って隠岐に戻る途中で行方不明になったわけですからその可能性はありません。
  それに私は行方不明になったとされる船は朝鮮に漂着した事実も自力で日本にたどり着いた事実もないからこそ行方不明になったとされているのだと思います。行方不明になったとされる船は乗員もろとも海の藻屑と消えてしまったというのが常識的な判断だと思われます。朴世堂に鬱陵島の話を語ったのはこの世に未練を残しつつ溺死してしまった僧侶の亡霊だったのでしょうか。。。

  >>この僧は欝陵島や于山島を知悉しているように見えます。

  『西溪雑録』で于山島について言及している箇所は朴世堂が自らの見解を述べている箇所であり僧侶が于山島について何らかの知識を持っていたと判断できる箇所はありません。これは決して私の我田引水的な解釈ではありません。朝鮮日報日本語版の記事には、


    朴世堂は船に乗り鬱陵島に行ってきた僧侶から伝え聞いた話を記録し、次のように述べている。 「大体、2島(鬱陵島と于山島)はさほど離れておらず、1度大きな風が吹けばぶつかってしまうほどだ。(以下略)

     http://www.chosunonline.com/article/20071206000065
     http://www.chosunonline.com/article/20071206000066

とあります。これは韓国の学者も「盖二島去此不甚遠」以降は朴世堂が自ら述べている箇所であり僧侶から伝え聞いた話の内容ではないと判断しているということではないでしょうか。

  >>「麋鹿熊シヤウ(獣偏に章:ノロ)徃徃越海出來」即ち「オオジカや鹿や熊やノロが時々海を越えて出で来る」は、朝鮮半島から140kmも離れた欝陵島に、これらの動物が海を越えて来るとは、本来あり得ないことです。しかし欝陵島は、朝鮮本土に近く、自分たちが頻繁に往来していることを、示したかったのかもしれません。

  むしろ朝鮮半島と鬱陵島との間の距離を鹿や熊が渡ってこれる程度の近い距離にあると勘違いしていたと判断すべきです。これは「盖二島去此不甚遠」以降は確実な情報をもとに書かれた文章ではないことを示唆しています。

于山島はやっぱり独島

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2007/12/21 22:22 投稿番号: [16054 / 18519]
yabutarou01さん

朴世堂『西溪雑録』と『臥遊録』「欝陵島地誌」の紹介を有難うございます。

『臥遊録』の「嘗遇一僧自稱壬辰之亂俘入日本丙午隨倭船至欝陵島」の記述に大変興味があります。「嘗って一人の僧に遇ったが、彼は壬辰之亂で日本に連行された俘(の子孫?)と自稱し、丙午の年、倭船に隨い欝陵島に至った」と書かれています。
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/12/wayurok-ulleungdo.html
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/12/early-1800s-gwang-yeodo-gangwondo.html

朴世堂(1629〜1703)が存命中の丙午は1666年です。この年は池内敏氏の「近世日本人の朝鮮漂着年表」(『近世日本と朝鮮漂流民』臨川書店, 1998)によると、米子の商船が「いそたけ」へ渡海し戻る途中で漂流し、3艘のうち2艘が行方不明になった、とされています。さらに川上健三氏の『竹島の歴史地理学的研究』(古今書院, 1966)には、寛文6年は大谷家の番で、13反帆の船2隻に50名が乗組み4月6日隠岐出帆、同8日竹島着、竹島で15反帆の船1隻を作り、3隻に分乗して7月3日帰路についたが、途中暴風にあって遭難し、新造の15反帆の船だけが朝鮮に漂着し乗員21名が救助された、とあります。

非常に大胆な推測ですが若しかすると、この僧は行方不明になったとされる船で欝陵島へ来たのかもしれません。『臥遊録』には「鄰船適有同俘七人夜與相語」と記されているので、彼には少なくとも7人の仲間がいたと思われます。「壬辰之亂の俘」と称したのは朝鮮社会で生き抜くための偽称でしょう。彼らは竹島が物産豊富な島と聞き、自主的に竹島へ渡ったのかもしれません。

「壬辰之亂の俘」と自称する人たちが、欝陵島周辺海域に住み着き欝陵島と往来していたことは極めて重要と思います。彼らは、欝陵島にかなりの長期間滞在し、大谷・村川両家の渡海事業とも関わり合いを持っていたかもしれません。「倭方伐竹採藥留渠守船」は、倭人と接触があり、実際に近くで見ていなければ書けないでしょう。

倭船に隨い欝陵島に至った僧は、松島を経由して来たと考えられます。従って、松島も彼にとっては甚だ遠い島とは思わなかったでしょう。「盖二島去此(寧海)不甚遠一ハン(馬偏に風)風可至」欝陵島も于山島=松島も「ひとたび風に乗れば至ることができる」と認識していたに違いありません。

この僧は欝陵島や于山島を知悉しているように見えます。特に、欝陵島内陸部は「- - 登岸則白沙平鋪 - - 江水流出縁江行十餘里則ウンタウ(竹の名)作藪 - - 又穿藪行十餘里則有竹林 - - 竹林既窮而原野夷曠有村居墟落 - -」と詳しく踏査したことが分かります。「于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見」は、yabutarou01さんが的確に訳された通り、欝陵島からは「于山島は標高が低くて天気が非常によい時に標高の最も高いところまで登らなければ見ることができない」ですから、彼は実際の経験に即して語ったのでしょう。

また、「麋鹿熊シヤウ(獣偏に章:ノロ)徃徃越海出來」即ち「オオジカや鹿や熊やノロが時々海を越えて出で来る」は、朝鮮半島から140kmも離れた欝陵島に、これらの動物が海を越えて来るとは、本来あり得ないことです。しかし欝陵島は、朝鮮本土に近く、自分たちが頻繁に往来していることを、示したかったのかもしれません。

日本側の資料によれば、竹島は元禄5(1692)年に多数の朝鮮人と出遭うまで、無人の島とされてきました。しかしそれ以前にも、朴世堂がこの『西溪雑録』で述べたような、日本の資料には決して記録することの出来なかった、友好的な交流があったと思われます。

半月城さんへ

投稿者: kkgwsthm 投稿日時: 2007/12/20 23:27 投稿番号: [16053 / 18519]
半月城さんの投稿に対してたくさんの反論が出ています。
半月城さんは反論をしないのですか?

反論をしない=半月城さんの主張は間違いだと半月城さん自身が認めた

と受け取ってよろしいでしょうか?

Re: 証拠としての竹島=独島地図、舩杉批判

投稿者: yukitanhanatan 投稿日時: 2007/12/19 20:36 投稿番号: [16052 / 18519]
>結論として、韓国には舩杉氏がいうように「国際裁判において証拠となる地図が1枚もない」といえるのに対し、日本は竹島=独島の領有を否定する公的な地図のみが数多く存在します。しかも、それらは国際司法裁判所にて日本の歴史的な竹島=独島領有を否定する有力な証拠になりそうです。

半月城さん

だいぶ、エビデンスは整ったみたいですね。

是非是非、本国の方へも、あと押しお願いしますね。

獨島ならふたつ書きますよね。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2007/12/19 10:58 投稿番号: [16051 / 18519]
位置的に無理がありすぎなのはさておき。
近くに寄っても、鬱陵島から見ても、ふたつ見えるわけですから。
于山島をひとつの島に描いたところからみても、変ですね。

Re: 証拠としての竹島=独島地図、舩杉批判

投稿者: gtomr1998 投稿日時: 2007/12/19 01:53 投稿番号: [16050 / 18519]
大韓全図や大韓輿地図に記載されている鬱陵島の姿は、
朝鮮全図や海東輿地図、東輿図等の鬱陵島の詳細図を簡略化した地図。

即ち、それらの地図中の”于山”は、附属小六島の中で、最も顕著な于山島、別名JUKDOである事がはっきりとわかる。

薮太郎様の鬱陵島詳細地図リストを参照されたし。
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/5.html

地図は同一性検証の証拠になる

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/12/19 01:31 投稿番号: [16048 / 18519]
実効支配の証拠として地図は無効だけども、
島の同一性の検証において地図は有効なんですね。
ちなみに、パルマスの判例では実測に基づくものかどうかさえ不明だけども
メナドの知事が蘭印の総督に送った地図が島の同一性に有効とされてますな〜。

「それは大きさと形状において全く正しいのではないし、また、南に約40分、
東に20分も多いが最も信頼できる詳細な近代的地図、殊にイギリス海軍省海
図がタラウアー又はナヌサ諸島とミンダナオの間にパルマス以外の島を示し
てないので、パルマスに該当せざるをえない。」

そういえば、緯度経度もピッタリ、大きさ形状も竹嶼にピッタリな近代的な
大韓全図という地図があったね。

Re: 県立博物館資料 変チンポコイダー氏に

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/12/19 01:16 投稿番号: [16047 / 18519]
>ここで変チンポコイダー氏に質問ですが、
>なぜ1724年にも鳥取藩は幕府に図を提出したのでしょうか?
なぜでしょうかね。私にはわかりませぬ。

Re: 証拠としての竹島=独島地図、舩杉批判

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/12/19 01:14 投稿番号: [16046 / 18519]
>堀和生氏も于山を竹島=独島とみているようです。
>古地図の読み方は見る人によりさまざまです。
>このように位置や形状などが不正確な古地図

いくらあがいても無駄だと思うよ。
http://homepage2.nifty.com/oppekepe/takeshima/eng/korea/AF_17C/img/1899_ani.gif

証拠としての竹島=独島地図、舩杉批判3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/12/16 13:50 投稿番号: [16044 / 18519]
2.公的な朝鮮地図
2−1.朝鮮の官撰地図
   政府の担当機関による国土の近代的な測量は実施されなかったので、1905年以前に官撰地図はありません。

2−2.朝鮮の官製地図
   1905年以前、学務行政を司る大韓帝国学部から「教材用」として、下記の地図2種類が発刊されました。
(1).『大韓輿地図』、1899年?
   この地図で欝陵島の東北東に「于山」と記された島がすぐ近くに描かれました。また、欝陵島の南には実在しない島が5島も描かれました。欝陵島の形も不正確であり、測量に基づかないで描かれたことは明白です。この地図の成立年代を舩杉氏は1900年頃としましたが、愼𨉷廈氏は1898年(注4)、堀和生氏は1899年としました(注5)。

(2).『大韓全図』、1899年
   この地図は経緯度が描かれたのが特徴ですが、欝陵島近辺に関するかぎり前項の『大韓輿地図』とほぼ同じです。地図の欄外に「光武三年一二月一五日 學部編輯局刊行」と記されました。

   『大韓輿地図』および『大韓全図』に描かれた于山を韓国の多くの学者は独島であると主張するのに対し、舩杉氏はそれらの地図に竹島=独島は描かれなかったと述べ、意見が対立しました。一方、堀和生氏は『大韓輿地図』についてこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   19世紀末、朝鮮政府が欝陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより正確になった。その時点の朝鮮側の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学部編「大韓輿地図」(1899年 奎章閣所蔵)であり、古地図としては欝陵島と于山島がほぼ正しい位置関係に画がかれている(注4)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   堀和生氏も于山を竹島=独島とみているようです。古地図の読み方は見る人によりさまざまです。このように位置や形状などが不正確な古地図は万人の共通理解を得られないだけに、国際司法裁判所において証拠とはなり得ないという荒木氏の指摘はもっともです。
   結局、韓国の官製地図において于山島の記述はあいまいなままであり、証拠になる得る近代的な公的地図は存在しないようです。なお、有名な「大東輿地図」は民間人である金正浩が作成したといわれているので、その地図から国家の意志を読み取ることはできません。

   結論として、韓国には舩杉氏がいうように「国際裁判において証拠となる地図が1枚もない」といえるのに対し、日本は竹島=独島の領有を否定する公的な地図のみが数多く存在します。しかも、それらは国際司法裁判所にて日本の歴史的な竹島=独島領有を否定する有力な証拠になりそうです。

(注1)朝鮮側作製の官製地図にみる竹島
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04-d.html
(注2)半月城通信<日本の公的な官撰地図、舩杉氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm128.html#No.942
(注3)半月城通信<『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm127.html#No.940
(注4)愼𨉷廈『独島(竹島)』インター出版、1997,P126
(注5)堀和生「1905年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987,P100

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

証拠としての竹島=独島地図、舩杉批判2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/12/16 10:53 投稿番号: [16043 / 18519]
1.公的な日本地図
   江戸時代から「竹島領土編入(1905)」以前の明治時代にかけて作成された竹島=独島関連の官撰地図、および官製地図は下記のとおりです。ここでいう「官撰地図」とは地理や国土の担当部署が作成した地図をさし、それ以外の政府機関により作成された地図を「官製地図」と呼びます。

1−1.日本の官撰地図
(a)1821年「大日本沿海実測全図(実測輿地全図)」、俗称「伊能図」、幕府作成
(b)1867年「官板 実測日本地図」、幕府出版(1870年に明治政府の開成学校から再版)
(c)1879年「大日本府県管轄図」、内務省地理局出版
(d)1880年「大日本国全図」、同上
(e)1881年『大日本府県分轄図』、同上(1883年に改訂版)

   これらの地図の概略はすでに書いたとおりです(注2)。上記5種類の官撰地図で竹島=独島が含まれるのは、(e)『大日本府県分轄図』中の極東図「大日本全国略図」のみです。それ以外の地図に竹島=独島はまったく描かれませんでした。
   ただし『大日本府県分轄図』ですが、その中の島根県など各府県図に竹島=独島は描かれませんでした。また初版では「大日本全国略図」に竹島と松島は山陰道と同色に彩色されましたが、これは作成者の無知による誤りと思われ、改訂版では訂正され無彩色にされました。すなわち、改訂版にて竹島=独島は日本領外と認識されました。蛇足ながらつけ加えれば、上記すべての地図ならびに下記の官製地図に「リアンクール」の名前は登場しません。
   このように「竹島編入」以前、日本政府の官撰地図はすべて竹島=独島を日本領外と認識しました。

1−2.日本の官製地図
(a).陸軍参謀局「大日本全図」1877、竹島・松島なし。
(b).文部省「日本帝国全図」1877、竹島・松島は無彩色。
(c).陸軍陸地測量部「輯製二十万分一図一覧表」1885製図、1890修正、1892再修
   松島はなし。竹島に相当する島は点線表示で島名がなし。
(d).「磯竹島略図」、『公文録』付属地図として取り扱われる。

   上記(a),(b),(c)のすべての地図において、竹島=独島は日本領外として扱われました。また(d)「磯竹島略図」自体には領土の概念はありませんが、『公文録』本文で竹島外一島、すなわち竹島と松島を版図外とする際に付属地図として使用されたので重要です。このようにすべての官製地図においても竹島=独島は日本領外として描かれました。

   まとめると、日本政府は竹島=独島に関して「主権を享有しないことを自ら認めている公的地図」を作成しましたが、主権の享有を示唆する地図は一時的に誤った「大日本全国略図」を除いてまったく作成しませんでした。
   さらに官撰地誌『日本地誌提要』も竹島・松島を日本領外として記述し、明治時代の地理専門家もそのように確認していることはすでに書いたとおりです(注3)。こうした認識が明治初期の日本政府の公式見解です。
(つづく)

証拠としての竹島=独島地図、舩杉批判1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/12/16 10:50 投稿番号: [16042 / 18519]
   半月城です。
   最近、ここの会議室に書いた私の文に対して「Web竹島問題研究所」のホームページにて舩杉力修氏から「朝鮮側作製の官製地図にみる竹島」と題して、下記のような批判がありました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  さて、最近地図の分析について次のような指摘がありました。「元来、地図は視覚的に訴える力が大きいだけに、ややもすると数枚の古地図をとりあげて領土を論じがちですが、実のところ、不正確な古地図は国際裁判においてはせいぜい伝聞証拠くらいの価値しか持たず、特に測量にもとづかない地図は証拠能力に乏しいのが実状です」(半月城通信No.127)。国際法が専門の荒木教夫氏の論文を引いて、不正確な古地図は国際裁判には価値がないとしています。
  しかしながら、荒木氏の論文を読むと、一部のみの引用であることが分かります。荒木氏は、国際裁判において価値が認められてきた地図は、過去の国境画定作業に基づいた国境条約に附属した地図でも「当事国の合意」を示すものが基本であること、紛争当事国の公的地図は紛争解決の決定的証拠とならないものの、関係領土において、主権を享有しないことを自ら認めているような地図は重要な意味を有するとしています。
  しかしながら、韓国側では、係争地(竹島)を自国にとって有利に描いた公的地図など1枚もなく、それ以前の問題であり、係争地そのものを描いた公的地図が存在しないのです。さらに、係争地での主権を行使した記録すらないのです。つまり、韓国側には、国際裁判において証拠となる地図が1枚もないということが明らかになったといえます(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   舩杉氏は荒木論文の趣旨を認めているようなので、それを土台に議論をすすめることにします。同氏は、古地図など測量に基づかない地図は国際裁判にて証拠能力に乏しいものであり、価値が認められる地図は下記の二つの場合に限られると理解しているようです。

(A).国境条約に付属した地図
(B).主権を享有しないことを自ら認めている公的地図

   このように整理すると、舩杉氏が熱心に収集して『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』に発表した多くの地図や絵図は「測量に基づかない」ことと、公的な地図でないので、国際司法裁判所においてほとんど意味をもたないということになります。ひいては、竹島=独島の領有権論争においてもほとんど意味をもたないということになります。『最終報告書』は、しょせんは趣味的に古地図を収集したようです。
   趣味の世界は好事家にまかせて、ここでは竹島=独島論争に価値のある地図をピックアップすることにします。上記(A),(B)ですが、竹島=独島に関していえば、国境条約自体が存在しないので、上記(A)に該当する地図は存在しません。したがって議論は(B)の公的地図に絞られます。それを踏まえて日韓両国の地図を概観することにします。
(つづく)

『明治三十七八年海戦史 第一部 巻十一』

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/12/15 00:47 投稿番号: [16041 / 18519]
準決勝のバーレーン戦も2-3で日本が負けてて残り時間わずかだったのですが、中澤が最後の最後に決めましたね。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/data/asiacup04_tournament.html
http://www.youtube.com/watch?v=ObMcZSsGv7M&feature=related

そして決勝は開催国の中国です。
http://www.youtube.com/watch?v=FcOym6lVSmc&feature=related
日本の2点目はハンドのような気もしますが、ダメ押しの3点目入れたら中国人もさすがに実力の差を感じたと思います。川口はここでもファインプレー連発です。それにしてもかの国の国民はブーイングが酷いですね。これが黄河文明発祥の国なのでしょうか?


さて、掲題の件ですが 『明治三十七八年海戦史 第一部 巻十一』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chiyoda484/

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日転載予定)


next, coming up
『中華民国年鑑』台湾でGET予定
『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
『日本水路誌 第2巻下』
『日本水路誌 第6巻』
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『明治三十七八年海戦史 第一部 巻十一』(本日アップロード完了)
『陸軍省 大日記』


『皇城新聞』
『大韓毎日申報』
※上記2の新聞を掲載するにあたり、イラストレータかフォトショップをお持ちの方はご連絡下さい


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「2002年W杯   日本代表の軌跡」
http://www.youtube.com/watch?v=l-Z35KkPEhw&feature=related

『リアンコルド島略図』

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/12/15 00:12 投稿番号: [16040 / 18519]
いま思うと、2004年のアジアカップは凄かったですね。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/data/asiacup04_tournament.html
決勝トーナメント1回戦はヨルダンとPKでした。キャプテンの宮本のサイドチェンジを主張したのは良かったです。それにしても中国のブーイングは何なんでしょうか?

日本vsヨルダン   PK戦
http://www.youtube.com/watch?v=Cmo1GDfcCrA&feature=related
松木「おや?サントスがゴールに行ってますね」
アナ「(審判が)それは違う、それは違うと」

サントス、ナイス小芝居です(笑)。

PK3回戦終わった時点で負けたと思いましたが、川口は凄いですね。彼は世界のゴールキーパーの中でトップ10に入ると思います。川口は何か神がかりですね。

さて、掲題の件ですが 『リアンコルド島略図』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chiyoda485/

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日転載予定)


next, coming up
『中華民国年鑑』台湾でGET予定
『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
『日本水路誌 第2巻下』
『日本水路誌 第6巻』
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『リアンコルド島略図』(本日アップロード完了)
『明治三十七八年海戦史 第一部 巻十一』
『陸軍省 大日記』


『皇城新聞』
『大韓毎日申報』
※上記2の新聞を掲載するにあたり、イラストレータかフォトショップをお持ちの方はご連絡下さい


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「2002年W杯   日本代表の軌跡」
http://www.youtube.com/watch?v=l-Z35KkPEhw&feature=related

独島で大統領選不在者投票、

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/12/13 23:14 投稿番号: [16039 / 18519]
住民ら「感無量」
12月13日15時19分配信 YONHAP NEWS

【ソウル13日聯合】「独島で初の大統領選挙投票が行われ感無量。ここがまさしく韓国領だと実感しました」――。

  慶尚北道鬱陵郡・独島の東島で13日に初の大統領選不在者投票が実施され、独島住民のキム・ソンドさん、キム・シンヨルさん夫妻をはじめ、独島を守る警察警備隊員、海洋警察隊警備艦の乗組員、航路標識管理所職員ら100人余りがそれぞれ1票を投じた。キムさん夫婦は普段は独島西島の漁民宿所で暮らしているが、昨年シンヨルさんが腰を痛めたことから、冬は鬱陵島で暮らしている。キムさん夫婦と参観者らを乗せた警備艦は同日明け方に鬱陵島の港から独島に向かい、万一に備えていたヘリコプターも難なくヘリポートに着陸した。

  船着場には慶尚北道の選挙管理委員会により不在者投票所と臨時の投票本部が設置され、午前10時になると同時に投票本部前で独島警備隊員やキムさん夫婦ら不在者投票申告者が集まるなか、記念行事が行われた。行事では、大学生らで構成された独島アカデミーの会員らが「わが領土の独島で実施した大統領選挙投票に参加したという自負心を持ち、日本の領土侵奪の野望を国際社会に知らしめる」とする決議文を朗読した。続いて参加者らは、独島をテーマにした楽曲「独島はわが領土」を合唱し、たこ100枚をつなげて作った大型のたこ「独島愛」を揚げた。

  投票を終えたキム・ソンドさんは、「昨年の地方選挙でもここで投票したが、5年間にわたり国を導く指導者を選ぶ選挙だけに、一層感無量だ」と語った。独島警備隊に所属する22歳のノイ・サンホさんは、「生まれて初めての大統領選挙投票を、ほかでもない独島で行い感激した。忘れられない思い出になるだろう」と話している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071213-00000035-yonh-kr

東海呼称問題:「韓日で海域分割が理想的」

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/12/11 11:20 投稿番号: [16038 / 18519]
国連地名専門家会議のレイパー元議長が提案

  国際的な地名表記に関する学会に出席するため来韓した国連地名専門家会議(UNGEGN)のレイパー元議長(67)は7日、ソウル市内で記者団に対し、東海呼称問題の解決案として、海域を二つに分割し、韓日双方が主張する呼称をそれぞれに付けることを提案した。


  レイパー議長は「東海と日本海を並行して使用するのが、韓日間の摩擦を解決する最も理想的な方法だ。わたしが今回の学会で行った発表が東海問題の解決に少しでも助けになればと思う」と述べた。


  UNGEGNは全世界の地名表記に対する勧告案を作成し、上部機関の国連地名標準化会議に提出する専門機関だ。レイパー氏は1998年から2002年までUNGEGN議長を務めた。国連が採択した勧告案は、国際水路機構(IHO)が示す指針に反映される。


  レイパー元議長が東海問題の解決に向けて示した新提案は「東海を適正な地点で二つの海域に分け、それぞれが呼称を付ける」というものだ。90年代に学会で同様の主張がなされたことがあるが、地名決定に影響力を持つ人物が公式の場で発言したのは今回は初めてだ。


  レイパー元議長は、東海は公海に属するが、事実上は韓日両国が漁業協定を通じ、それぞれ特定水域で操業を行っているため、排他的経済水域の性格が強いと指摘。従って、中間のある地点を境界にして、自国に隣接する海域を呼びたい呼称を付けるのが合理的な解決策だとの認識を示した。


  レイパー元議長は「特定のケースを念頭に置いたものではなく、一般的にこういう場合はこうしようという意味での提案だったが、東海がちょうどそれに該当する」と述べた。

  レイパー元議長は東海呼称問題をめぐる韓日両国の対立に関する話を切り出すと表情を硬くして、「韓日両国の政治的状況に関してはよく知らない。自分は海や陸地の名前を定めるのが仕事であって、政治的、外交的な問題は韓日両国が協議を通じて調整を図るべきだ」と付け加えた。


記事/オ・ユンヒ記者


写真/チョン・ギョンヨル記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20071210000070

臨時台湾土地調査局作成 『彭佳嶼図』

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/12/09 00:17 投稿番号: [16037 / 18519]
精神科医の香山リカが「ぷちナショナリズム症候群」なる本を出版して、その後「朝まで生TV」で田原総一朗が彼女の名前こそ出さなかったが「ぷちナショナリズムじゃなくてまさにあれはナショナリズム」だと言っていました。しかし国旗を掲げて自国を応援するのは当然で、それをナショナリズムというのは違うような気がします。そこで今週の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。

さて、掲題の件ですが 『彭佳嶼図』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/houkasho-1905/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日転載予定)


next, coming up
『中華民国年鑑』台湾でGET予定
『広輿図』 34
『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
『日本水路誌 第2巻下』
『日本水路誌 第6巻』
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『彭佳嶼図』(本日アップロード完了)
『リアンコルド島略図』
『明治三十七八年海戦史 第一部 巻十一』
『陸軍省 大日記』

『皇城新聞』
『大韓毎日申報』
※上記2の新聞を掲載するにあたり、イラストレータかフォトショップをお持ちの方はご連絡下さい


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「2002年W杯   日本代表の軌跡」
http://www.youtube.com/watch?v=l-Z35KkPEhw&feature=related

Re: 于山島はやっぱり独島日本の主張覆して

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/12/08 13:08 投稿番号: [16036 / 18519]
No.16029の投稿
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=16029
の朝鮮日報の「西溪雑録」・「臥遊録」の解釈について若干修正させていただきます。


修正前

”寧海地面に到りて云う盖(がい)二島は此(ここ)を去ること甚だしくは遠からず”現代文に訳すと”寧海に到着して言うには、二島はここからたいして遠くはない。”

修正後

”寧海地面に到れりと云う蓋(けだ)し二島は此(ここ)を去ること甚だしくは遠からず”現代文に訳すと”寧海に到着したと(僧侶が)言った。(私=朴世堂の推測では)恐らく二島はここからたいして遠くはない。”

この修正についての解説はややこしいのでここでは省略しますが、興味のある方は下のページの最初のコメントを読んでください。

http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/12/wayurok-ulleungdo.html

『尖閣群島図』 『黄尾嶼』 『魚釣島』

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/12/08 09:37 投稿番号: [16035 / 18519]
韓国も韓国なら中国も中国ですね。

中国の20番が青山を倒してイエローカード、
http://www.youtube.com/watch?v=WOb7eJI4VNY&feature=related

その後20番が負傷して担架で運ばれるのですが・・・
http://www.youtube.com/watch?v=rrn-TG0cqyY&feature=related
コメントで「このくらいですむと思うなよ!!!!」というのが笑えました(笑)。



さて、掲題の件ですが『尖閣群島図』『黄尾嶼図』『魚釣島図』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/tokara-1933/
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kobisho-1936/
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/uotsurijima-1936/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日転載予定)


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『中華民国年鑑』台湾でGET予定
『広輿図』 34
『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
『日本水路誌 第2巻下』
『日本水路誌 第6巻』
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『トカラ列島及尖閣群島図』陸地測量部刊(本日アップロード完了)
『黄尾嶼図』陸地測量部刊(本日アップロード完了)
『魚釣島図』陸地測量部刊(本日アップロード完了)
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『彭佳嶼図』

『皇城新聞』
『大韓毎日申報』
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12月上旬の尖閣掲示板エンディングテーマ
「時をかける少女」
http://www.youtube.com/watch?v=nqfcSW3cX3o

『淡水庁志』 in 1871

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/12/08 08:57 投稿番号: [16034 / 18519]
岡田監督が再び日本代表監督に就任しましたね。下記、Outlookの予定表に登録しました。

日本代表の主な日程
1月26日   親善試合 日本VSチリ
1月30日   親善試合 日本VSボスニア・ヘルツェゴビナ
2月06日   W杯アジア3次予選 日本VSタイ
2月17日   東アジア選手権   日本VS北朝鮮

私がサッカーで一番楽しみにしているのは当然ワールドカップですが、2番はその前年に行われる6大陸の王者+2ゲスト国の計8カ国で行われるコンフェデレーションズカップです。日本は過去2大会連続でコンフェデレーションカップに出場してW杯出場前に世界の実力を体験していますが、今回W杯アジア予選突破しても2009年のコンフェデレーションズカップには出場出来ません。2010年のW杯はぶっつけ本番なんですね。ですから、今夏開かれたアジアカップで優勝しなければならなかったのですが、残念です。

温厚な俊介に向かって、あの韓国の10番は凄いガンの垂らしようですね。
http://www.youtube.com/watch?v=qFREPr4VtKU&feature=related

普通、監督がエキサイトしたら、コーチが冷静に対処しますが、韓国の場合は監督以上にコーチが審判に食って掛かりますね。
http://www.youtube.com/watch?v=NG_UN2Gn8W0

延長の前後半の休憩はありません。韓国選手の皆様、ルールを守って頂けますでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=_53y6vzO8oU&feature=related



さて、掲題の件ですが『淡水庁志』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/tansui-1871/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日転載予定)


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『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
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『日本水路誌 第6巻』
『淡水庁誌』(本日アップロード完了)
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『トカラ列島及尖閣群島図』陸地測量部刊
『黄尾嶼図』陸地測量部刊
『魚釣島図』陸地測量部刊
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)

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『続脩台湾府志』 in 1765

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/12/06 23:46 投稿番号: [16033 / 18519]
「ハッカー被害者は中国政府」   外相が反論
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071206-00000966-san-int
相変わらず中国は"言い訳"だらけです。

さて、掲題の件ですが『続脩台湾府志』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/zokushutaiwanshi-1765/
同書では、台湾府の北端は鶏籠嶼とされ、花瓶嶼、棉花嶼、彭佳嶼すら、台湾の行政範囲には含まれていない。とすれば、これら3島よりも、台湾から遠方に位置する尖閣諸島が、清朝統治下の台湾省の範囲に含められていなかったことは当然である。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日転載予定)


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Re: 于山島はやっぱり独島日本の主張覆して

投稿者: hisatukai 投稿日時: 2007/12/06 18:35 投稿番号: [16032 / 18519]
>二島は遠くないと最初に言ってのに、それを「二島は近くないと証明された」と逆の主張できる感性が分かりませんね。

分らなくて正解です。
分ることは、人間から朝鮮人に変異したことを意味します。
そうです、朝鮮人は人間ではないのです。
より正確には、朝鮮人には普通の人間であれば当然に理解できる
論理が理解できません。
理解しようとすると、決まって火病の発作を起こし泡を吹きます。

Re: 于山島はやっぱり独島日本の主張覆して

投稿者: na_175 投稿日時: 2007/12/06 18:05 投稿番号: [16031 / 18519]
yabutarou01さん、わかり易い解説ありがとうございます。

>二つの島(鬱陵島と于山島)があまり遠くなくて一度大きい風が吹けば触れることができる位だ。

当然、韓国側はムキになって、「于山島」=「独島」と考えたいのでしょうけど。
二島は遠くないと最初に言ってのに、それを「二島は近くないと証明された」と逆の主張できる感性が分かりませんね。

それで、韓国の方は納得できる物なんでしょうかね?

Re: 于山島はやっぱり独島日本の主張覆して

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/12/06 02:34 投稿番号: [16030 / 18519]
続きです。

韓国人の学者は于山島と鬱陵島の両方の記述のある文献があると于山島は竹島=独島であると早合点してしまいますがこれは正しくありません。例えば「朝鮮地圖帖・江原道」という地図
http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/GZD/GZD_JIMYUNGS.jsp?ptype=class&subtype=jsc&lclass=01&mclass=&sclass=GR33437_00IH0001_007.jpg&jido=
には、
”于山島在三陟之東鬱陵島在平海之東六日程地”
とあります。三陟は平海の北に位置しているので于山島は鬱陵島の北にあると認識されていたようです。一方竹島=独島は鬱陵島の東南に位置しているのでこの于山島が竹島=独島であるはずはありません。
この”于山島在三陟之東鬱陵島在平海之東六日程地”は17世紀後半から19世紀後半までの複数の地図・地誌に同じ記述が載っています。
さらに下のぺージの上から三番目の地図を見ると、
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/maps2.html
于山島が鬱陵島の西にありますが鬱陵島は蔚珍と航路を示す線で結ばれているのに対して于山島は蔚珍の北に位置している三陟と航路を示す線で結ばれています。これもやはり当時于山島が鬱陵島の北にあると認識されていたと解釈できます。

Re: 于山島はやっぱり独島日本の主張覆して

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/12/06 02:11 投稿番号: [16029 / 18519]
この文書と同じと思われる記述が”臥遊録”にあります。
http://yoksa.aks.ac.kr/jsp/aa/VolView.jsp?aa10no=kh2_je_a_vsu_24513_00 9&aa15no=009&aa20no=24513_009_0038
到寧海地面云盖二島去此不甚遠一&#39103;風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見麋鹿態&#29520;往往越海出來朝日纔高三丈則島中黄雀群飛來接竹邊串

  私は専門家ではないのであまり自信はありませんが一応私の見解を述べさせていただきます。
  この文章の最も重要なポイントは”去此”の”此”が何を指しているかだと思います。朝鮮日報の記事には”たいてい二つの島(鬱陵島と于山島)があまり遠くなくて一度大きい風が吹けば触れることができる位だ. 于山島は地勢が低くて, 天気が非常に清くないとか最高頂上に上がらなければ (鬱陵島で) 見えない.”とあってあたかも 二つの島(鬱陵島と于山島)の間のお互いの距離が遠くないと理解した上で、鬱陵島から于山島が見えると解釈しているように思えます。”鬱陵稍峻風浪息則尋常可見”は于山島から鬱陵島が見えると解釈しているのかもしれません。要するに世宗実録地理誌の韓国側解釈と同じですね。
しかし”到寧海地面云盖二島去此不甚遠”を書き下し文にしてみると”寧海地面に到りて云う盖(がい)二島は此(ここ)を去ること甚だしくは遠からず”現代文に訳すと”寧海に到着して言うには、二島はここからたいして遠くはない。”となります。これを素直に読めば寧海(寧海は朝鮮半島の地名)と二つの島(鬱陵島と于山島)との間の距離が遠くないと言っているように私には思えます。
  ”到寧海地面云盖二島去此不甚遠”が朝鮮半島と二つの島の関係について述べているのであれば、後ろの文章”于山島勢卑云々”も半島と二つの島との関係について述べていると解釈するのが妥当ではないかと考えます。一番最後の文”島中黄雀群飛來接竹邊串(竹邊串は朝鮮半島の地名)”も明らかに朝鮮半島と二つの島の関係について述べたものです。
となると”于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見”は朝鮮半島から于山島と鬱陵島の両方が見えると考えていたということになります。もし鬱陵島から于山島を見たのであれば”鬱陵島から見た”と明示されていないのは文章としておかしいとと思います。結果的に下條教授の世宗実録地理誌の解釈と同じになります。
  ちなみに朝鮮半島から于山島が見えると書いてある文献は他にいくつかあります。
玉川先生文集卷之七 關東録
發向三陟。登葛&#23796;望海。人言雨霽天晴時。可辨海中島嶼若鬱陵于山之屬云。
http://www.minchu.or.kr/index.jsp?bizName=MM&url=/MM/MM_NODEVIEW.jsp%3Fsectionname=total%26dbname=MM%26setid=42687%26pos=1%26tc=3
  海東繹史   續集   地理考 14   山水   2
ここで再び東南方へ行ってから折れて西南方へ 100里に行くと蔚珍城の東を通るようになるのに,その東南の方海向こうには千山島 -ご遠慮よく見るが于山島にならなければならない.-行っていて,&#33728;陵島とも言う
http://www.minchu.or.kr/index.jsp?bizName=MK&url=/MK/MK_NODEVIEW.jsp%3Fsectionname=total%26dbname=MK%26setid=41733%26pos=8%26tc=8
眉叟記言   芿士列傳 金時習
また東で引き返して楓嶽山・五台山に上がって東海最後まですべて見物した後越松亭に遊び歩いて鬱陵于山島を眺めた.
http://www.minchu.or.kr/index.jsp?bizName=MK&url=/MK/MK_NODEVIEW.jsp%3Fsectionname=total%26dbname=MK%26setid=41733%26pos=1%26tc=8

于山島はやっぱり独島日本の主張覆して

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/12/06 01:54 投稿番号: [16028 / 18519]
‘于山島’はやっぱり独島だった
海洋水産開発院ユミリム博士,朝鮮後期朴世堂が書いた資料発掘
“鬱陵島で正常上がらない于山島が見えなくて”…
‘于山島が鬱陵島’という 日 主張覆して

独島領有権で大きな争点だった「于山島が独島」という事実を立証することができる新しい資料が発掘された。韓国海洋水産開発院独島研究センター責任研究員であるユミリム(柳美林) 博士は最近この開発院が発刊する「海洋水産動向」1250号で「朝鮮後期朴世堂・1629〜1703)」が書いた「鬱陵島」を分析した結果、于山島は鬱陵島ではなく独島を指すことが明らかにされた」と述べた。
「独島が元々我が地」だったとする時、その重要な根拠は于山島の存在だった。「世宗実録」地理志に 「于山と武陵 二つの島が蔚珍県の東海の中ある。二つの島はお互いに距離が遠くなくて、天気が晴れれば見られる」と記録している。ここで「武陵」が鬱陵島、「于山」は独島というのが韓国学者たちの解釈だった。
しかし日本学者たちは「新増東国輿地勝覧」の注釈に「于山島と鬱陵島が本来一島だったという説もある」という内容を根拠に、于山島は独島ではなく ①鬱陵島とか ②鬱陵島で東方へ 2㎞ あまり離れた竹島と言う主張をしてきた。
しかしユ博士などが朝鮮後期主要学者中の一人である西溪朴世堂の記録「鬱陵島」を分析した結果は違った。この文は朴世堂の11代子孫が 2001年韓国学中央研究院に寄託した 「西溪宗宅古文書」のなかの「西溪雑録」に載せられている筆写本で、今まで史料の存在が一般に知られていなかった。朴世堂はこの文で船に乗って鬱陵島へ行ってから帰って来た僧侶から伝えて聞いた話を記録しながらこのようにに言及した。
「たいてい二つの島(鬱陵島と于山島)があまり遠くなくて、一度大きい風が吹けば触れることができるくらいだ。于山島は地勢が低く、天気が非常によくないとか、最高頂上に上がらなければ (鬱陵島で) 見えない(不因海気極清朗,不登最高頂,則不可見).」
この記録は ①「于山島」は確かに鬱陵島のような島ではないという事実と、②竹島や観音島のように鬱陵島と接した島でもないという事実を立証している。竹島・観音島は鬱陵島で高く上がらないとか天気が曇っても肉眼で見られる島だからだ。そうだったら「于山島」になることができる島は独島しかにない。
これは朴世堂と同時代人物である三陟營將張漢相(1656〜1724)が書いた「鬱陵島事蹟」で「(聖人峯で) 東に海を眺めたら東南の方に島一つがかすかにあるのに、大きさは鬱陵島の3分の1にならないほどで、距離は 300里余にならない」と言う記録とも通じるとユ博士は説明した。朴世堂と張漢相は皆日本側から独島が朝鮮地という確認を受けた肅宗の時の漁夫安龍福と同時代の人物という点でこれらの認識はもっと重要な意味を持つというのだ。これに対してシン・ヨンハ梨花女大碩座教授は「初めて発掘されもので、独島が私たちの地だったのを明らかにする非常に重要な資料”と述べた。

朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2007/12/04/2007120400027.html

『台湾府志』 in 1696

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/12/06 01:34 投稿番号: [16027 / 18519]
先日の日本VS台湾の試合は視聴率が良かったようです。来年は北京で、次の2012年はロンドンですが、2016年は東京でオリンピックが開かれればよいですね。

さて、掲題の件ですが『台湾府志』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/taiwanfushi-1696/
一六九六(康煕35)年の『台湾府志』によれば康熙20年に始めて版図に入ったとされ、また翌21年、群邑が置かれたとされている(「台湾自康煕二十年始入版図」「上二十一年特命靖海将軍候施公   師率討平之   始入版」)。康煕20年とは、一六八一年のことであるが、一七六五年『続修台湾府志』その他清朝の公文書および明治36年、大正8年の各『台北庁志』(台北庁編)によれば、版図編入は康煕22年とされているところから、右の『台湾府志』の記述は正確でないと言うべきであろう。そして台湾図に尖閣諸島はない。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日転載予定)


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『中華民国年鑑』台湾でGET予定
『広輿図』 34
『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
『日本水路誌 第2巻下』
『日本水路誌 第6巻』
『淡水庁誌』
『台湾府志』(本日アップロード完了)
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『続修台湾庁志』
『トカラ列島及尖閣群島図』陸地測量部刊
『黄尾嶼図』陸地測量部刊
『魚釣島図』陸地測量部刊
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)

『皇城新聞』
『大韓毎日申報』
※上記2の新聞を掲載するにあたり、イラストレータかフォトショップをお持ちの方はご連絡下さい


12月上旬の尖閣掲示板エンディングテーマ
「時をかける少女」
http://www.youtube.com/watch?v=nqfcSW3cX3o

『殊域周咨録』 『厦門志』

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/12/06 00:10 投稿番号: [16026 / 18519]
原田知世の歌にこういう歌詞があります。

「あなた(魚釣島)、私の元から突然消えたりしないでね。二度とは会えない場所(中国)へ、一人で行かないと誓って。」
そこで12月上旬の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。

さて、掲題の件ですが『殊域周咨録』と『厦門志』をダブルで掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/shuiki-1582/
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/xiamen-1839/
なお、厦門志はそれほど詳しく見せる必要はないので、表紙だけとしました。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日転載予定)


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『殊域周咨録』 (本日アップロード完了)
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『日本水路誌 第2巻下』
『日本水路誌 第6巻』
『淡水庁誌』
『厦門志』 (本日アップロード完了)
『台湾府志』
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『続修台湾庁志』
『トカラ列島及尖閣群島図』陸地測量部刊
『黄尾嶼図』陸地測量部刊
『魚釣島図』陸地測量部刊
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)

『皇城新聞』
『大韓毎日申報』
※上記2の新聞を掲載するにあたり、イラストレータかフォトショップをお持ちの方はご連絡下さい


12月上旬の尖閣掲示板エンディングテーマ
「時をかける少女」
http://www.youtube.com/watch?v=nqfcSW3cX3o

新資料?

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2007/12/04 13:06 投稿番号: [16024 / 18519]
お久しぶりです。

今日の朝鮮日報の記事です。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2007/12/04/2007120400027.html

この資料って今まで見たことが無いような気がするのですが、どなたかご存知ないでしょうか?

Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/12/03 06:21 投稿番号: [16023 / 18519]
te22200様、こんにちわ。

>puracyaka2007さんのおっしゃる「海外渡航禁止令」が
>a. 異国の領域に入ることを禁止したもの
>b. 日本の領域から出ることを禁止したもの
>のどちらであるかを調べたいと思っての質問です。
>もしも aであれば、竹島松島が日本領でなくても、整合性に何の問題もあり
>ません。
>私が従来主張しているように(私だけが言っていることではありませんが)、
>竹島松島は朝鮮領でもないと認識されていると解釈すれば良いのですから。

te22200様の言わんとするところは判りました。
だから、海外渡航禁止令を考慮しても、「朝鮮領であることはあり得ない」というところまでしか言えないということですね。
これについては、また後日。(最近、なかなか時間がとれないので。)

Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/12/03 01:21 投稿番号: [16022 / 18519]
puracyaka2007さん

(puracyaka2007さん:15979)>>>
竹島松島が隠岐国でないから日本領でないとすると、海外渡航禁止令とどう整合を付けるのかさっぱりわかりません。尤も、隠岐国でなくても日本領という考えは成立の余地はありますが。
<<<

に対して

(#16005:te22200)>>>
あと、私に基本的な知識が無いので純粋に質問なのですが、上で「海外渡航禁止令」と呼んでいるものは何年に出されたどういう命令のことを指しているのでしょうか。
<<<

と尋ねたことは無視されたようなので、質問の意図を補足します。


puracyaka2007さんのおっしゃる「海外渡航禁止令」が

a. 異国の領域に入ることを禁止したもの

b. 日本の領域から出ることを禁止したもの

のどちらであるかを調べたいと思っての質問です。


もしも aであれば、竹島松島が日本領でなくても、整合性に何の問題もありません。
私が従来主張しているように(私だけが言っていることではありませんが)、竹島松島は朝鮮領でもないと認識されていると解釈すれば良いのですから。

puracyaka2007さんが「どう整合を付けるのかさっぱりわかりません」という強い否定の言葉を述べられる以上、bを想定されていると思うのですが、それは正しいのでしょうか。

もしも、bだとすると漁や海運のため船で沖へ出ることすらできなくなってしまうように思うのですが…

石島は独島説否定鬱陵島絵図確認

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/11/28 21:37 投稿番号: [16021 / 18519]
「石島は独島」説否定   最古の鬱陵島絵図2枚確認

日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)とかかわりの深い韓国・鬱陵島の属島として、現在の竹嶼(チクショ)と観音島の二島を描いた最も古い朝鮮の絵図二枚が、確認された。二島を認識していたことで韓国側が自国領とする根拠が一段と弱まったと、日本の研究者は指摘している。
「欝陵島図形」で、鬱陵島の独島博物館であった特別展の図録への収録を、島根県の竹島資料室が確認。鬱陵島東側の竹嶼と観音島の位置に「大于島」と「小于島」が描かれ、朝鮮王朝が両島を鬱陵島の属島と認識していたことがうかがわれる。
韓国側は、日本が竹島を島根県に編入した一九〇五年の五年前に大韓帝国政府が出した「勅令第四一号」で、鬱陵島の行政区域を「鬱陵島と竹島、石島」とし、石島(ソクト)が発音の似ている独島(ドクト)として、自国領の根拠に挙げる。
竹島(チクトウ)は竹嶼の韓国名。これ以外に属島が韓国側で認識されていたことから、勅令での竹島は大于島で、観音島の位置にある小于島を石島とするのが、絵図上では整合性があるとみられる。
島根県の竹島問題研究会の座長だった下條正男拓殖大教授は「石島は地理的に鬱陵島から九十二キロも離れた現在の竹島ではなく観音島とみられるとした研究会の見解が、正しいことが裏付けられた」と指摘している。
1702年作製とみられる「欝陵島図形」。1699年の絵図とは逆方向から描かれており、「大于島」「小于島」は左側にある
  作製時期について下條氏は、朝鮮王朝を記録した粛宗実録を基に「鬱陵島探査を命じられた役人による一六九九年と一七〇二年の官製地図とみられる」と推測。従来、最も古いとされてきた一七一一年の「欝陵島図形」をさかのぼるとした。

ソース
山陰中央新報   http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=445698006


この記事は私のホームページを見て書かれたものだと思われます。
該当ページ
鬱陵島検察使の地図を考える
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/1.html
トップページ
藪太郎の研究室
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/


私が最初にウェブ上で公開したネタが山陰中央新報にとり上げられたのはこれで三回目になります。

新資料発見?『于山島が鬱陵島の北にある』2006/ 6/ 3
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=14549
竹島問題で韓国側主張覆す古地図見つかる '07/02/22
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=345809006&from=top

Re:やっぱり于山島はチュク ドであった!!! 2006/ 6/ 4
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=14569
「古地図」報道裏付ける韓国史料発見 '07/03/13
http://www.sanin-chuo.co.jp/modules/news/article.php?storyid=346535006


この記事のタイトルには『「石島は独島」説否定』とありますが、これらの地図は「勅令第四一号」の石島が観音島である可能性を証明することはできても石島が竹島(韓国名・独島)である可能性をすべて否定できるわけではないと私は考えます。誤解のないように一応指摘しておきます。

県立博物館資料 変チンポコイダー氏に質問

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/11/26 22:19 投稿番号: [16020 / 18519]
比較的恵まれた日本=慣れた相手に油断禁物−W杯サッカー抽選会
http://www.jiji.com/jc/zc?key=&k=200711/2007112600042&rel=j&g=spo

「死の組」は1組=W杯サッカー・アジア3次予選
http://www.jiji.com/jc/zc?key=&k=200711/2007112600046&rel=j&g=spo
中国に天誅が下りましたね(笑)。


さて、掲題の件ですが、下記に各種鳥取県立博物館所属資料を掲載します。

政令指定都市である北九州市は東京にも事務所があるのと同じで、当時鳥取藩も江戸に支社がありました。安龍福事件を受けて幕府は鳥取藩@江戸に対して鬱陵島の質問をしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/tottori-museum/1695-12-24/


翌日鳥取藩は鬱陵島も松島も「うちらのものじゃねーぜ」と回答しました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/tottori-museum/1695-12-25/
すると幕府から「あのさぁ、ワード文章だけじゃ分かりづらいから、パワーポイントとか使って図で説明してよ。プレゼンするときは、文章だけじゃなくて図とかも使うでしょ、普通は。ホント仕事出来ねー奴等だな〜」と愚痴をこぼされる。


http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/tottori-museum/1696-01/
慌てた鳥取藩は翌月に「竹島の図」を幕府に提出します。


ここで変チンポコイダー氏に質問ですが、なぜ1724年にも鳥取藩は幕府に図を提出したのでしょうか?
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/tottori-museum/1724-04/
この年の前後に何かあったのでしょうか?



http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日転載予定)


next, coming up
『中華民国年鑑』台湾でGET予定
『殊域周咨録』1582 31
『広輿図』 34
『日本外交文書』 18巻 534-5、573-6
『日本外交文書』 23巻 531、532、574-5
『日本水路誌 第2巻下』
『日本水路誌 第6巻』
『淡水庁誌』
『厦門志』
『台湾府志』
『日本水路史』海上保安庁S46   160-161
『竹嶋之図』 (本日アップロード完了)
『小谷伊兵衛より差出候竹嶋之絵図』 (本日アップロード完了)
『続修台湾庁志』
『皇城新聞』
『大韓毎日申報』
※上記2の新聞を掲載するにあたり、イラストレータかフォトショップをお持ちの方はご連絡下さい


11月の尖閣/竹島掲示板エンディングテーマ
http://www.avexnet.or.jp/avexdb/asian2/asx/prom07_smirnoff500.asx
country road, way to home 愛する場所(鬱陵島)へ 連れっておくれー

http://www.avexnet.or.jp/avexdb/asian2/asx/prom07_mumo500.asx

竹島の車窓から 3 変チンポコイダー氏

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2007/11/26 21:43 投稿番号: [16019 / 18519]
<男子バレーW杯>日本4敗目   3位以内は絶望的
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071126-00000107-mai-spo
あ〜あ、オリンピックで見るものなくなっちゃいますね。なぜ日本は弱いのでしょうか?

さて、掲題の件ですが、「竹島の車窓から」その3・変チンポコイダー氏との出会いを掲載します。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka46/trip2007/index.html


「竹島の車窓から」エンディングテーマ
http://www.youtube.com/watch?v=zGK-gGtDIT0
http://www.youtube.com/watch?v=RSFdhlL6v5E

Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/11/25 10:17 投稿番号: [16018 / 18519]
puracyaka2007さん


(#16017:puracyaka2007さん)>>>
赤水が「隠州視聴合紀を読んでいること」と「竹島・松島を日本領と考えた」という2点については問題は無いと思います。
<<<

同意しますが、時期によって竹島松島の所属についての考えが変わった可能性がないかの確認は必要かと思います。


(#16017:puracyaka2007さん)>>>
隠州視聴合紀は日本の地を隠岐までとしていると赤水が理解したならば、改正日本輿地路程全図にわざわざ隠州視聴合紀の一節を注記するでしょうか。
<<<


するでしょう。竹島と朝鮮の位置関係を示す有用な情報ですから。
あと、厳密には「隠州視聴合紀の一節」とは異なっていますね。


(#16017:puracyaka2007さん)>>>
他の資料から竹島・松島が日本領と判断したというのであれば、全く不用のものです。その場合は他の資料から引用するか、あるいは単に竹島松島を地図上に記載するでしょう。
<<<

ひょっとしてpuracyaka2007さんは「見高麗猶望雲州隠州」という記述が、竹島松島が日本領であることの説明だけのために書かれているとお考えなのですか?


(#16017:puracyaka2007さん)>>>
しかし、2説と3説は結論は同じです。2説の立場と3説の立場で議論をする利益はあまり無いように思います。私は従前通り3説です。
<<<

1説を否定する人にとって、2説の立場と3説の立場で議論をする利益は、無いどころか逆に有害ですものね。
2説にも3説にも、それぞれ難点があることが明らかになってしまいますから。

議論を避けたい気持ちが分らないではありませんが、知的誠実さには欠けますね。

(#16017:puracyaka2007さん)>>>
理由は、整理して後日投稿します。
<<<

お待ちしています。
一点、注文ですが、以前の書き込みからお考えが変わった点があれば、その旨を明記して下さいね。

Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/11/25 08:28 投稿番号: [16017 / 18519]
te22200様

>(#16009:puracyaka2007さん)>>>
>また、赤水が竹島・松島を日本領と考えた根拠の一つが隠州視聴合紀であるこ
>とも改正日本輿地路程全図の記述から明らかだと思います。

赤水が「隠州視聴合紀を読んでいること」と「竹島・松島を日本領と考えた」という2点については問題は無いと思います。

>赤水が「隠州視聴合紀は日本の地を隠岐までとしているが、他の情報に基づい
>て考えれば竹島までを日本の範囲とすることが妥当だ」と考えた可能性はない
>のでしょうか。それを否定するのであれば、否定する根拠についてきちんと説
>明していただけませんか。

隠州視聴合紀は日本の地を隠岐までとしていると赤水が理解したならば、改正日本輿地路程全図にわざわざ隠州視聴合紀の一節を注記するでしょうか。他の資料から竹島・松島が日本領と判断したというのであれば、全く不用のものです。その場合は他の資料から引用するか、あるいは単に竹島松島を地図上に記載するでしょう。

>ちなみに、亜細亜小東洋図の写真を見ると、「竹シマ」の北西にも小さな島が
>点々と連なっています。隠州視聴合紀には記述の無い島ですから、隠州視聴合
>紀以外の情報源もあったことは間違いありませんね。

それはそうだと思います。

>どうもよく分りません。
>puracyaka2007さんは
>「長久保赤水は竹島・松島を隠州に含めた」
>と主張するのですか、しないのですか。
>その根拠も含めて明確に書いていただけませんか。

このトピでは、隠州視聴合紀の読み方については、
1   此の州が隠岐国を指す。(竹島を含まない。)
2   此の州が竹島を指す。
3   此の州が竹島を含んだ隠岐国を指す。
の3説がありました。
1説が排除されるのは赤水自身が竹島を日本領と考えていたことが明らかになった以上当然です。
残るは2説と3説です。
しかし、2説と3説は結論は同じです。2説の立場と3説の立場で議論をする利益はあまり無いように思います。私は従前通り3説です。
理由は、整理して後日投稿します。

Re: 隠州視聴合紀:無人島と「日本之地」

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/11/25 08:03 投稿番号: [16016 / 18519]
puracyaka2007さん

「竹島松島を隠州に含むか」というテーマを優先していたのでお返事が遅くなりましたが、もう一つのテーマである「無人であることが日本の地でない理由になるか」について論じます。

まず、私は #15817で次のように書きました。

(#15817:te22200)>>>
誤解があるようですが、私が主張しているのは「隠州視聴合紀の著者は、無人島であることを理由の一つとして竹島松島が日本の地ではないと判断している」ということだけであり、当時の他の立場の人が一般的に島の領有問題についてどう考えていたかについては何も述べておりません。

ですから、小笠原諸島に対する領有意識などは私の主張とは関係ありません。
<<<


それに対してpuracyaka2007さんは次のように反論されました。

(#15822:puracyaka2007さん)>>>
「隠州視聴合紀」は一種の報告書です。はじめから他人に読んでもらうことを意図して作成されたものです。「2島が無人島であるならば誰のものでもない。」と個人的に判断するのは自由ですが、他人に読ませる文書ならば、無人島であることと無主地であることに論理的関係があるというとことについて、ある程度の一般的な了解が必要なのです。
(中略)
逆に、斉藤豊仙が無人島→無主地を何の説明も無く主張しているとするならば、少なくとも違和感が無い程度には一般的了解があったのではないかという推測が成り立つ訳です。ご理解いただけますか?
<<<


これは「報告書提出先である出雲藩の人々の間に一般的了解が必要だ」ということですよね。他の立場の人々の間にどのような了解があるかは無関係ですよね。

で、puracyaka2007さんは「小笠原諸島に対する領有の事例から伺える意識が、出雲藩の人々の間でも一般的了解となっていた」と主張される訳でしょうか。これは決して自明のことではないので、理由を説明して下さい。


また、亜細亜小東洋図のことを報道した山陰中央新聞の記事に以下のような記述がありました。
( http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=407741006 )

> 島根県の杉原隆・竹島研究顧問は「改正日本輿地路程全図では、現在の竹島と鬱陵島を無人島として彩色しなかっただけ」と指摘。


改正日本輿地路程全図は、無人島であることを理由に竹島松島の彩色を日本本土とは変えた訳です。

隠州視聴合紀の書かれた当時は国際法学など未発達であり、また地籍が整備されていた訳でもないので、「日本の地」の判断基準が人により微妙に異なっていても不思議はありません。

「無人島だから日本本土とは異なる彩色にする」という判断があってもおかしくないのと同様、「無人島だから日本の地ではない」という判断があってもおかしくありません。

Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/11/24 21:31 投稿番号: [16015 / 18519]
puracyaka2007さん

(#16009:puracyaka2007さん)>>>
亜細亜小東洋図のニュースを知ったのは、te22200様はいつくらいだったのでしょうか。
<<<

正直言って赤水図については、ほとんど知識が無く、亜細亜小東洋図のことも今回初めて知りました。
で、にわか勉強で赤水の地図のことをネットで簡単に分かる範囲で調べてみたのですが、なぜ以下↓が明らかなのか私には分りませんでした。

(#16009:puracyaka2007さん)>>>
また、赤水が竹島・松島を日本領と考えた根拠の一つが隠州視聴合紀であることも改正日本輿地路程全図の記述から明らかだと思います。
<<<


赤水が「隠州視聴合紀は日本の地を隠岐までとしているが、他の情報に基づいて考えれば竹島までを日本の範囲とすることが妥当だ」と考えた可能性はないのでしょうか。それを否定するのであれば、否定する根拠についてきちんと説明していただけませんか。

ちなみに、亜細亜小東洋図の写真を見ると、「竹シマ」の北西にも小さな島が点々と連なっています。隠州視聴合紀には記述の無い島ですから、隠州視聴合紀以外の情報源もあったことは間違いありませんね。


ところで、puracyaka2007さんは、#16009で次のように赤水が竹島・松島を隠州(隠岐国)に含めたかどうかの問題を保留していらっしゃいます。

(#16009:puracyaka2007さん)>>>
竹島・松島が隠岐国に含まれるか否かは別として、長久保赤水が竹島・松島を日本領と考えたのはもう間違いありません。
<<<


にも関わらず、すぐ後の #16010では次のように、赤水が竹島・松島を隠州に含めたことを前提に論じていらっしゃいます。

(#16010:puracyaka2007さん)>>>
これと同様に、竹島松島を隠州に含むかどうかについてこれ以上議論するのは滑稽ではありませんか。te22200様が長久保赤水以上の学識の持ち主で、「長久保が間違っている」と主張するのであれば別ですが。
<<<


どうもよく分りません。
puracyaka2007さんは

「長久保赤水は竹島・松島を隠州に含めた」

と主張するのですか、しないのですか。
その根拠も含めて明確に書いていただけませんか。

地図の混乱について

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/11/24 10:37 投稿番号: [16014 / 18519]
重訂萬國全圖(安政2年=1855年)で既に「ダゲレト島即松島」、「アルゴナウト島即竹島」の記載があります。
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,4,63, 0
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