証拠としての竹島=独島地図、舩杉批判2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/12/16 10:53 投稿番号: [16043 / 18519]
1.公的な日本地図
江戸時代から「竹島領土編入(1905)」以前の明治時代にかけて作成された竹島=独島関連の官撰地図、および官製地図は下記のとおりです。ここでいう「官撰地図」とは地理や国土の担当部署が作成した地図をさし、それ以外の政府機関により作成された地図を「官製地図」と呼びます。
1−1.日本の官撰地図
(a)1821年「大日本沿海実測全図(実測輿地全図)」、俗称「伊能図」、幕府作成
(b)1867年「官板 実測日本地図」、幕府出版(1870年に明治政府の開成学校から再版)
(c)1879年「大日本府県管轄図」、内務省地理局出版
(d)1880年「大日本国全図」、同上
(e)1881年『大日本府県分轄図』、同上(1883年に改訂版)
これらの地図の概略はすでに書いたとおりです(注2)。上記5種類の官撰地図で竹島=独島が含まれるのは、(e)『大日本府県分轄図』中の極東図「大日本全国略図」のみです。それ以外の地図に竹島=独島はまったく描かれませんでした。
ただし『大日本府県分轄図』ですが、その中の島根県など各府県図に竹島=独島は描かれませんでした。また初版では「大日本全国略図」に竹島と松島は山陰道と同色に彩色されましたが、これは作成者の無知による誤りと思われ、改訂版では訂正され無彩色にされました。すなわち、改訂版にて竹島=独島は日本領外と認識されました。蛇足ながらつけ加えれば、上記すべての地図ならびに下記の官製地図に「リアンクール」の名前は登場しません。
このように「竹島編入」以前、日本政府の官撰地図はすべて竹島=独島を日本領外と認識しました。
1−2.日本の官製地図
(a).陸軍参謀局「大日本全図」1877、竹島・松島なし。
(b).文部省「日本帝国全図」1877、竹島・松島は無彩色。
(c).陸軍陸地測量部「輯製二十万分一図一覧表」1885製図、1890修正、1892再修
松島はなし。竹島に相当する島は点線表示で島名がなし。
(d).「磯竹島略図」、『公文録』付属地図として取り扱われる。
上記(a),(b),(c)のすべての地図において、竹島=独島は日本領外として扱われました。また(d)「磯竹島略図」自体には領土の概念はありませんが、『公文録』本文で竹島外一島、すなわち竹島と松島を版図外とする際に付属地図として使用されたので重要です。このようにすべての官製地図においても竹島=独島は日本領外として描かれました。
まとめると、日本政府は竹島=独島に関して「主権を享有しないことを自ら認めている公的地図」を作成しましたが、主権の享有を示唆する地図は一時的に誤った「大日本全国略図」を除いてまったく作成しませんでした。
さらに官撰地誌『日本地誌提要』も竹島・松島を日本領外として記述し、明治時代の地理専門家もそのように確認していることはすでに書いたとおりです(注3)。こうした認識が明治初期の日本政府の公式見解です。
(つづく)
江戸時代から「竹島領土編入(1905)」以前の明治時代にかけて作成された竹島=独島関連の官撰地図、および官製地図は下記のとおりです。ここでいう「官撰地図」とは地理や国土の担当部署が作成した地図をさし、それ以外の政府機関により作成された地図を「官製地図」と呼びます。
1−1.日本の官撰地図
(a)1821年「大日本沿海実測全図(実測輿地全図)」、俗称「伊能図」、幕府作成
(b)1867年「官板 実測日本地図」、幕府出版(1870年に明治政府の開成学校から再版)
(c)1879年「大日本府県管轄図」、内務省地理局出版
(d)1880年「大日本国全図」、同上
(e)1881年『大日本府県分轄図』、同上(1883年に改訂版)
これらの地図の概略はすでに書いたとおりです(注2)。上記5種類の官撰地図で竹島=独島が含まれるのは、(e)『大日本府県分轄図』中の極東図「大日本全国略図」のみです。それ以外の地図に竹島=独島はまったく描かれませんでした。
ただし『大日本府県分轄図』ですが、その中の島根県など各府県図に竹島=独島は描かれませんでした。また初版では「大日本全国略図」に竹島と松島は山陰道と同色に彩色されましたが、これは作成者の無知による誤りと思われ、改訂版では訂正され無彩色にされました。すなわち、改訂版にて竹島=独島は日本領外と認識されました。蛇足ながらつけ加えれば、上記すべての地図ならびに下記の官製地図に「リアンクール」の名前は登場しません。
このように「竹島編入」以前、日本政府の官撰地図はすべて竹島=独島を日本領外と認識しました。
1−2.日本の官製地図
(a).陸軍参謀局「大日本全図」1877、竹島・松島なし。
(b).文部省「日本帝国全図」1877、竹島・松島は無彩色。
(c).陸軍陸地測量部「輯製二十万分一図一覧表」1885製図、1890修正、1892再修
松島はなし。竹島に相当する島は点線表示で島名がなし。
(d).「磯竹島略図」、『公文録』付属地図として取り扱われる。
上記(a),(b),(c)のすべての地図において、竹島=独島は日本領外として扱われました。また(d)「磯竹島略図」自体には領土の概念はありませんが、『公文録』本文で竹島外一島、すなわち竹島と松島を版図外とする際に付属地図として使用されたので重要です。このようにすべての官製地図においても竹島=独島は日本領外として描かれました。
まとめると、日本政府は竹島=独島に関して「主権を享有しないことを自ら認めている公的地図」を作成しましたが、主権の享有を示唆する地図は一時的に誤った「大日本全国略図」を除いてまったく作成しませんでした。
さらに官撰地誌『日本地誌提要』も竹島・松島を日本領外として記述し、明治時代の地理専門家もそのように確認していることはすでに書いたとおりです(注3)。こうした認識が明治初期の日本政府の公式見解です。
(つづく)
これは メッセージ 16042 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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