Re: 于山島はやっぱり独島日本の主張覆して
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/12/06 02:11 投稿番号: [16029 / 18519]
この文書と同じと思われる記述が”臥遊録”にあります。
http://yoksa.aks.ac.kr/jsp/aa/VolView.jsp?aa10no=kh2_je_a_vsu_24513_00 9&aa15no=009&aa20no=24513_009_0038
到寧海地面云盖二島去此不甚遠一颿風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見麋鹿態獐往往越海出來朝日纔高三丈則島中黄雀群飛來接竹邊串
私は専門家ではないのであまり自信はありませんが一応私の見解を述べさせていただきます。
この文章の最も重要なポイントは”去此”の”此”が何を指しているかだと思います。朝鮮日報の記事には”たいてい二つの島(鬱陵島と于山島)があまり遠くなくて一度大きい風が吹けば触れることができる位だ. 于山島は地勢が低くて, 天気が非常に清くないとか最高頂上に上がらなければ (鬱陵島で) 見えない.”とあってあたかも 二つの島(鬱陵島と于山島)の間のお互いの距離が遠くないと理解した上で、鬱陵島から于山島が見えると解釈しているように思えます。”鬱陵稍峻風浪息則尋常可見”は于山島から鬱陵島が見えると解釈しているのかもしれません。要するに世宗実録地理誌の韓国側解釈と同じですね。
しかし”到寧海地面云盖二島去此不甚遠”を書き下し文にしてみると”寧海地面に到りて云う盖(がい)二島は此(ここ)を去ること甚だしくは遠からず”現代文に訳すと”寧海に到着して言うには、二島はここからたいして遠くはない。”となります。これを素直に読めば寧海(寧海は朝鮮半島の地名)と二つの島(鬱陵島と于山島)との間の距離が遠くないと言っているように私には思えます。
”到寧海地面云盖二島去此不甚遠”が朝鮮半島と二つの島の関係について述べているのであれば、後ろの文章”于山島勢卑云々”も半島と二つの島との関係について述べていると解釈するのが妥当ではないかと考えます。一番最後の文”島中黄雀群飛來接竹邊串(竹邊串は朝鮮半島の地名)”も明らかに朝鮮半島と二つの島の関係について述べたものです。
となると”于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見”は朝鮮半島から于山島と鬱陵島の両方が見えると考えていたということになります。もし鬱陵島から于山島を見たのであれば”鬱陵島から見た”と明示されていないのは文章としておかしいとと思います。結果的に下條教授の世宗実録地理誌の解釈と同じになります。
ちなみに朝鮮半島から于山島が見えると書いてある文献は他にいくつかあります。
玉川先生文集卷之七 關東録
發向三陟。登葛峴望海。人言雨霽天晴時。可辨海中島嶼若鬱陵于山之屬云。
http://www.minchu.or.kr/index.jsp?bizName=MM&url=/MM/MM_NODEVIEW.jsp%3Fsectionname=total%26dbname=MM%26setid=42687%26pos=1%26tc=3
海東繹史 續集 地理考 14 山水 2
ここで再び東南方へ行ってから折れて西南方へ 100里に行くと蔚珍城の東を通るようになるのに,その東南の方海向こうには千山島 -ご遠慮よく見るが于山島にならなければならない.-行っていて,菀陵島とも言う
http://www.minchu.or.kr/index.jsp?bizName=MK&url=/MK/MK_NODEVIEW.jsp%3Fsectionname=total%26dbname=MK%26setid=41733%26pos=8%26tc=8
眉叟記言 芿士列傳 金時習
また東で引き返して楓嶽山・五台山に上がって東海最後まですべて見物した後越松亭に遊び歩いて鬱陵于山島を眺めた.
http://www.minchu.or.kr/index.jsp?bizName=MK&url=/MK/MK_NODEVIEW.jsp%3Fsectionname=total%26dbname=MK%26setid=41733%26pos=1%26tc=8
http://yoksa.aks.ac.kr/jsp/aa/VolView.jsp?aa10no=kh2_je_a_vsu_24513_00 9&aa15no=009&aa20no=24513_009_0038
到寧海地面云盖二島去此不甚遠一颿風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見麋鹿態獐往往越海出來朝日纔高三丈則島中黄雀群飛來接竹邊串
私は専門家ではないのであまり自信はありませんが一応私の見解を述べさせていただきます。
この文章の最も重要なポイントは”去此”の”此”が何を指しているかだと思います。朝鮮日報の記事には”たいてい二つの島(鬱陵島と于山島)があまり遠くなくて一度大きい風が吹けば触れることができる位だ. 于山島は地勢が低くて, 天気が非常に清くないとか最高頂上に上がらなければ (鬱陵島で) 見えない.”とあってあたかも 二つの島(鬱陵島と于山島)の間のお互いの距離が遠くないと理解した上で、鬱陵島から于山島が見えると解釈しているように思えます。”鬱陵稍峻風浪息則尋常可見”は于山島から鬱陵島が見えると解釈しているのかもしれません。要するに世宗実録地理誌の韓国側解釈と同じですね。
しかし”到寧海地面云盖二島去此不甚遠”を書き下し文にしてみると”寧海地面に到りて云う盖(がい)二島は此(ここ)を去ること甚だしくは遠からず”現代文に訳すと”寧海に到着して言うには、二島はここからたいして遠くはない。”となります。これを素直に読めば寧海(寧海は朝鮮半島の地名)と二つの島(鬱陵島と于山島)との間の距離が遠くないと言っているように私には思えます。
”到寧海地面云盖二島去此不甚遠”が朝鮮半島と二つの島の関係について述べているのであれば、後ろの文章”于山島勢卑云々”も半島と二つの島との関係について述べていると解釈するのが妥当ではないかと考えます。一番最後の文”島中黄雀群飛來接竹邊串(竹邊串は朝鮮半島の地名)”も明らかに朝鮮半島と二つの島の関係について述べたものです。
となると”于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見”は朝鮮半島から于山島と鬱陵島の両方が見えると考えていたということになります。もし鬱陵島から于山島を見たのであれば”鬱陵島から見た”と明示されていないのは文章としておかしいとと思います。結果的に下條教授の世宗実録地理誌の解釈と同じになります。
ちなみに朝鮮半島から于山島が見えると書いてある文献は他にいくつかあります。
玉川先生文集卷之七 關東録
發向三陟。登葛峴望海。人言雨霽天晴時。可辨海中島嶼若鬱陵于山之屬云。
http://www.minchu.or.kr/index.jsp?bizName=MM&url=/MM/MM_NODEVIEW.jsp%3Fsectionname=total%26dbname=MM%26setid=42687%26pos=1%26tc=3
海東繹史 續集 地理考 14 山水 2
ここで再び東南方へ行ってから折れて西南方へ 100里に行くと蔚珍城の東を通るようになるのに,その東南の方海向こうには千山島 -ご遠慮よく見るが于山島にならなければならない.-行っていて,菀陵島とも言う
http://www.minchu.or.kr/index.jsp?bizName=MK&url=/MK/MK_NODEVIEW.jsp%3Fsectionname=total%26dbname=MK%26setid=41733%26pos=8%26tc=8
眉叟記言 芿士列傳 金時習
また東で引き返して楓嶽山・五台山に上がって東海最後まですべて見物した後越松亭に遊び歩いて鬱陵于山島を眺めた.
http://www.minchu.or.kr/index.jsp?bizName=MK&url=/MK/MK_NODEVIEW.jsp%3Fsectionname=total%26dbname=MK%26setid=41733%26pos=1%26tc=8
これは メッセージ 16028 (yabutarou01 さん)への返信です.
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