証拠としての竹島=独島地図、舩杉批判3
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/12/16 13:50 投稿番号: [16044 / 18519]
2.公的な朝鮮地図
2−1.朝鮮の官撰地図
政府の担当機関による国土の近代的な測量は実施されなかったので、1905年以前に官撰地図はありません。
2−2.朝鮮の官製地図
1905年以前、学務行政を司る大韓帝国学部から「教材用」として、下記の地図2種類が発刊されました。
(1).『大韓輿地図』、1899年?
この地図で欝陵島の東北東に「于山」と記された島がすぐ近くに描かれました。また、欝陵島の南には実在しない島が5島も描かれました。欝陵島の形も不正確であり、測量に基づかないで描かれたことは明白です。この地図の成立年代を舩杉氏は1900年頃としましたが、愼𨉷廈氏は1898年(注4)、堀和生氏は1899年としました(注5)。
(2).『大韓全図』、1899年
この地図は経緯度が描かれたのが特徴ですが、欝陵島近辺に関するかぎり前項の『大韓輿地図』とほぼ同じです。地図の欄外に「光武三年一二月一五日 學部編輯局刊行」と記されました。
『大韓輿地図』および『大韓全図』に描かれた于山を韓国の多くの学者は独島であると主張するのに対し、舩杉氏はそれらの地図に竹島=独島は描かれなかったと述べ、意見が対立しました。一方、堀和生氏は『大韓輿地図』についてこう記しました。
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19世紀末、朝鮮政府が欝陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより正確になった。その時点の朝鮮側の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学部編「大韓輿地図」(1899年 奎章閣所蔵)であり、古地図としては欝陵島と于山島がほぼ正しい位置関係に画がかれている(注4)。
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堀和生氏も于山を竹島=独島とみているようです。古地図の読み方は見る人によりさまざまです。このように位置や形状などが不正確な古地図は万人の共通理解を得られないだけに、国際司法裁判所において証拠とはなり得ないという荒木氏の指摘はもっともです。
結局、韓国の官製地図において于山島の記述はあいまいなままであり、証拠になる得る近代的な公的地図は存在しないようです。なお、有名な「大東輿地図」は民間人である金正浩が作成したといわれているので、その地図から国家の意志を読み取ることはできません。
結論として、韓国には舩杉氏がいうように「国際裁判において証拠となる地図が1枚もない」といえるのに対し、日本は竹島=独島の領有を否定する公的な地図のみが数多く存在します。しかも、それらは国際司法裁判所にて日本の歴史的な竹島=独島領有を否定する有力な証拠になりそうです。
(注1)朝鮮側作製の官製地図にみる竹島
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04-d.html
(注2)半月城通信<日本の公的な官撰地図、舩杉氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm128.html#No.942
(注3)半月城通信<『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm127.html#No.940
(注4)愼𨉷廈『独島(竹島)』インター出版、1997,P126
(注5)堀和生「1905年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987,P100
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
2−1.朝鮮の官撰地図
政府の担当機関による国土の近代的な測量は実施されなかったので、1905年以前に官撰地図はありません。
2−2.朝鮮の官製地図
1905年以前、学務行政を司る大韓帝国学部から「教材用」として、下記の地図2種類が発刊されました。
(1).『大韓輿地図』、1899年?
この地図で欝陵島の東北東に「于山」と記された島がすぐ近くに描かれました。また、欝陵島の南には実在しない島が5島も描かれました。欝陵島の形も不正確であり、測量に基づかないで描かれたことは明白です。この地図の成立年代を舩杉氏は1900年頃としましたが、愼𨉷廈氏は1898年(注4)、堀和生氏は1899年としました(注5)。
(2).『大韓全図』、1899年
この地図は経緯度が描かれたのが特徴ですが、欝陵島近辺に関するかぎり前項の『大韓輿地図』とほぼ同じです。地図の欄外に「光武三年一二月一五日 學部編輯局刊行」と記されました。
『大韓輿地図』および『大韓全図』に描かれた于山を韓国の多くの学者は独島であると主張するのに対し、舩杉氏はそれらの地図に竹島=独島は描かれなかったと述べ、意見が対立しました。一方、堀和生氏は『大韓輿地図』についてこう記しました。
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19世紀末、朝鮮政府が欝陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより正確になった。その時点の朝鮮側の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学部編「大韓輿地図」(1899年 奎章閣所蔵)であり、古地図としては欝陵島と于山島がほぼ正しい位置関係に画がかれている(注4)。
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堀和生氏も于山を竹島=独島とみているようです。古地図の読み方は見る人によりさまざまです。このように位置や形状などが不正確な古地図は万人の共通理解を得られないだけに、国際司法裁判所において証拠とはなり得ないという荒木氏の指摘はもっともです。
結局、韓国の官製地図において于山島の記述はあいまいなままであり、証拠になる得る近代的な公的地図は存在しないようです。なお、有名な「大東輿地図」は民間人である金正浩が作成したといわれているので、その地図から国家の意志を読み取ることはできません。
結論として、韓国には舩杉氏がいうように「国際裁判において証拠となる地図が1枚もない」といえるのに対し、日本は竹島=独島の領有を否定する公的な地図のみが数多く存在します。しかも、それらは国際司法裁判所にて日本の歴史的な竹島=独島領有を否定する有力な証拠になりそうです。
(注1)朝鮮側作製の官製地図にみる竹島
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04-d.html
(注2)半月城通信<日本の公的な官撰地図、舩杉氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm128.html#No.942
(注3)半月城通信<『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm127.html#No.940
(注4)愼𨉷廈『独島(竹島)』インター出版、1997,P126
(注5)堀和生「1905年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987,P100
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 16043 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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