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ちゃんと自分の考えを持とう

投稿者: tjtttutuaoyouaouffa 投稿日時: 2005/12/25 17:15 投稿番号: [3213 / 7270]
このカテは一部の人間が頑張りすぎているので悪い面ばかり目立ってしまい偏っているが、実際は韓国はいいところのほうが多い。
このカテしか韓国と通じていない人は世間を見たほうがいいです。
例えば日本で悪いニュースがあった時そのニュースだけしか語らないと日本は悪い国に見えてくる。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/suicide/
このニュースしか語らないと日本は自殺王国というイメージになる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051225-00000009-khk-toh
このニュースだと日本はドラッグが蔓延しているというイメージになる。

ネットの世界、掲示板では悪いところばかりを言う人が多いので偏っていますが、世間では韓国のものが評価されています。
証拠として一つ言わせて貰うと、日本人が感じる韓国人の素晴らしさへの共感がないとドラマや映画が一位になることはないんですから。

Re: >「請負政治」

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/22 01:11 投稿番号: [3212 / 7270]
亀レスで申し訳ないです。

>「請負制」ならピンときます。効率がいい場合もあるけれど弊害も起きるとかなり深刻です。

松前藩の「場所」ですね。
支那の場合、松前藩と違い、役人は役所を離れればただのパンピーであり、むちゃな収奪をすれば、退勤後無事に帰宅できない可能性が高かったということがあります。
ゆえに、地方役人(地元採用がほとんど)は、中央から来る上司と地元社会との折り合いをつけるために奔走するわけです。

逆に、中央から来る高級官僚は、「幕僚(客ってやつです。友人や後輩筋を採用します)」を連れて赴任しますが、土地のことを知らないため(出身地近辺への赴任は禁じられています)地元官吏に頼らざるを得ない。ひとつよろしく頼む、って具合です。

>(また話をズラして申し訳ありません)

>日中戦争時の大陸の「中国軍」もそんな感じだったのかなあと考え中・・・(独り言です)

「独り言」ゆえ、直接の返答にはなりませんが、当時もっとひどい連中がいました。(固有名詞・数字はフィクションですよ)

「共産党に負けたことにして退却しよう。そのさい、このまちの富もどさくさにまぎれて頂戴しようや。金や財産が、敗戦の混乱のなかで行方不明になるのはよくあることだぜ」と同僚にもちかけた上○の国民党総司令官。

兵が何人戦死しても「損害無し」と報告して、従前どおり支給される兵の給与装備を横領(実際の戦死者の分浮くから)して横流しする司令官。

帳簿に「砲弾5千発射撃」と記録させておいて、実際には2千発しか撃たず、残りの砲弾は屑鉄屋に売り払った共○党指揮官。

私、耐性ができてしまって、こういうのを読んでも笑えるようになってしまいました。

卑屈と傲慢

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/22 00:42 投稿番号: [3211 / 7270]
韓国メディアや、この掲示板でもかの国の人たちの主張、「日本はアメリカの犬」が今ひとつ理解できなかったのですが、なんか韓国の「被害者意識」の延長、ご都合主義による解釈という気がしてきました。

ところで、「右翼」と「右派」の違いについて。

>韓国紙の「右翼」という表記は、日本語では「右派」のニュアンスに近い。

とは、例の街宣車の「右翼」ではなく、「右派」というニュアンスでしょうか。(笑)


>第37回   2005年春、日韓メディアウォッチ
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/news/20051125org00m030044000c.html
>韓国の最大手紙、朝鮮日報3月12日付の社説である
>「日本は米国に対して公式的にも、また教科書の記述を通じても『(日本の)太平洋戦争は正当だった』という主張を提起したことがない。一方、日本は植民地支配、強制動員、虐殺などで被害を与えた周辺国には、事実歪曲を繰り返すことによって過去の傷に塩を塗ってきた。
>日本の戦後対外関係史におけるこうした『卑屈』と『傲(ごう)慢』という両面が、経済力を土台にし国連安保理をはじめとする世界政治の舞台に上がろうとする日本の政治的抱負を挫折させるおもな原因だった」

>日本の対外関係史に「卑屈」と「傲慢」の両面性があると指摘しているのは、従来から韓国紙によく見られた論調である。ここには植民地支配(日韓基本条約で外交決着)と侵略戦争(サンフランシスコ講和条約による東京裁判の判決受諾)に対する日本側の「国際法解釈」に関する無理解が指摘できる 。
>ちなみに、韓国紙の「右翼」という表記は、日本語では「右派」のニュアンスに近い。これはソウル特派員が日本語訳する際に注意すべき留意点のひとつだが、韓国語日本語ネット版では朝鮮日報のように、韓国語の「右翼」をそのまま日本語の「右翼」と翻訳している例が多い。

Re: この写真の左下の人って誰ですか

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/20 00:24 投稿番号: [3210 / 7270]
うーん、誰でしょう。
見たことがあるような、ないような。(苦笑)

木戸幸一ではないでしょうか。
普段の丸眼鏡をはずすと、額と頭髪、ひげの感じが似ていると思いますが。
まったく違う人物かも知れません。(笑)

ルーズベルトではなく、トルーマン大統領ということは、ポツダム宣言、終戦にまつわる場面ではないかと。
そして、日本の終戦工作を昭和天皇に建策し、努力したキーマンとして、木戸幸一内大臣が登場。

どういう番組で、どういう文脈で挿入された写真なのか、示していただければ、もっと考えられるのですが。

Re: >Re:  ・・・・・

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/20 00:22 投稿番号: [3209 / 7270]
>朝鮮半島編はヨ・ウンヒョン(呂運亨)という人物を中心に描かれていました。

この時代の朝鮮半島史は、何度読んでもすんなりと理解できません。
色々な視点や立場から多角的に眺めると、ますます混乱します。
以下のサイトは、いささか偏りがありますが(失笑)、呂運亨を次のように紹介しています。

http://web.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~ai369/kouen.html
>>特にこの呂運亨という人が注目されるのは、日本の敗戦の1年前、1944年8月の時点で日本の敗戦を予測し、そして日本が戦争に負ければ、朝鮮は独立することになるわけだから、独立国家の建設を準備するための秘密組織を、戦時体制の下で結成したことです。彼は同志を集めて1944年8月に、朝鮮建国同盟という組織をつくっております。

>>日本の敗戦により、朝鮮を統治していた朝鮮総督府が、もはや自分の力では朝鮮を統治することができない、いままで植民地統治によってさまざまな苦痛を与えてきたわけですから、朝鮮の人々が日本人に対して復讐を企てるかもしれない、危害を加えるかもしれない、少なくともこれを何とか防ぐために、朝鮮の人たちに信望の厚い人物に朝鮮の治安を委ねることを考えます。そこで選ばれた朝鮮人のリーダーが、呂運亨であったわけです。

>>日本側は単に治安維持だけを考えていたわけですけれども、かねてより日本の敗戦を予測し、新しい国づくりのために準備していた呂運亨は、それ以上にさまざまな要求を朝鮮総督府に出し、これを認めさせることになります。つまり建国準備委員会という組織は、治安維持だけではなく、事実上、朝鮮の行政を担う朝鮮人の自治的な機関という役割をもつことになりました。そして注目されるのは、この呂運亨という人は、朝鮮の民族解放運動、独立運動の中にもいろいろな考え方があり、お互いの関係が必ずしも円滑であったとは言えなかったのですが、祖国の独立という事態に直面して、できるだけ幅広い政治勢力を結集して新しい国づくりをしていこう、そのために建国準備委員会を一つの統一戦線体にしていこうという方針のも
とに、活動を始めたということす。
(サイト引用、ここまで)

しかし、9月9日、第24軍司令官ジョン・ホッジ中将が米駐留軍司令官として着任。翌日、ホッジと安部朝鮮総督と会見。安部総督を米軍統制下における朝鮮政府暫定主席に指名。ホッジは「現行政府(総督府)の機構を通じて」統治すると声明。記者会見では「ほかに適当な機関がないので、やむを得ず総督府とその日本人を利用する」と述べる。

もっとも、のちのアメリカの公開文書によれば、軍政部は日本総督府と日本人官僚を留任させようとしたが、アメリカ本国の軍・政幹部の一致した反対により挫折。その後の数ヵ月で7万5千人の朝鮮人が政府職員として採用されるが、その資質・能力は絶望的に低かった。と記録されていますね。

その後の混乱は、説明不能。(笑)

この写真の左下の人って誰ですか

投稿者: fijeirgsg 投稿日時: 2005/12/19 16:58 投稿番号: [3208 / 7270]
http://www.nhk.or.jp/bs/navi/pic/prog_051218_asia.jpg

Re:  とりあえずの資料3

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2005/12/19 10:48 投稿番号: [3207 / 7270]
亀レスで恐縮です   m(_ _)m

>一九世紀の植民地主義は、植民地の富をできるかぎり収奪しようとする残酷さを
>もっていたが、それらは一種のクールな合理的思考に裏うちされていた、ところが、
>最後の植民地帝国となろうとした日本は、その性急な軍国主義においても失敗者と
>なったと同様に、植民地経営においても成功者とはならなかった。

「日本の台湾・朝鮮併合」と「欧米の植民地経営」とを、「植民地の富をどれだけ収奪
できたか」で比較し、その結論として「日本は植民地経営においても成功者とはならな
かった」と述べているわけですね。

なんだか、浅田真央と岡崎朋美を「500 m のタイム」で比較し、「浅田真央はスケート選手
として岡崎朋美に劣る」と結論付けるのと同レベルですね。欧米の植民地経営と比較
するのであれば、薩摩藩の琉球支配や松前藩の蝦夷地経営と比較するべきでしょう。維新
後の台湾や朝鮮は北海道と同じ、地政学上の要衝であり、従って富の収奪は最初から
目的にしていないわけです。例えば北海道は松前藩が経営している間は収奪を目的とした
植民地で、ちゃんと利益を上げていましたが、対ロシアの要衝とするために幕府が直轄領
とし、その後の明治政府による開発に至るまで利益は上がっていません。

未だに利益が上がっていないのは情けない限りですが   orz

>Re:  ・・・・・

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/19 01:54 投稿番号: [3206 / 7270]
>簡略にでも、ご説明下さい。


  ひとりでブツブツ言ってしまいました。m(_   _)m

  朝鮮半島編はヨ・ウンヒョン(呂運亨)という人物を中心に描かれていました。

  左派・右派両方に人望があったこと、

  日本の敗戦決定後、建国準備委員会を作ったこと、でもって

  朝鮮人民共和国(主席に李承晩,副主席に呂運亨,国務総理に許憲,内務部長に金九,外交部長に金奎植,財務部長に曹晩植,軍事部長に金元鳳,司法部長に金炳魯,企画部長に鄭柏を選出.書記長には共産党の李康国が就任.)樹立を宣言。

  しかし、宣言翌日のマッカーサーの布告で頓挫

  「『マッカーサー布告の要旨』
朝鮮が予定通り自由と独立を実現するまで,あなた方には私への協力と服従が求められる.南朝鮮の全ての人々は,私の当局の下で発表される,全ての私の命令に従われわれなければならない.占領軍に逆らう者,私の命令に従わない者,公共の安寧を乱すものは厳しく罰せられる 」


  以上のようなことは、観ても悪くは無かったかな〜と思えますです。

  朝鮮戦争が悲惨だったというのは間違いないことではありますが、

  「日本はアメリカの庇護の下、朝鮮戦争の特需で復興を果たした」ってなナレーションはいささか頭にきましたです。
 
  第二部はスカルノ(インドネシア)とホーチミン(ベトナム)の独立運動についてでした。
 
  日本軍は「残虐でなかったはずがない」、あるいは「残虐だったと語るべし」てな感じにとれるナレーションが「耳障り」でござんした。

  これが国内の製作番組ってのは問題だなぁーと思う次第でございます。

  観なきゃよかったとは思ってませんが、NHKももう少し何とか出来なかったのかと・・残念ですorz  

Re:  ・・・・・

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/19 00:12 投稿番号: [3205 / 7270]
兎亀さん、放送内容を見てない人には、何のことだか。

簡略にでも、ご説明下さい。

 ・・・・・

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/19 00:05 投稿番号: [3204 / 7270]
  プロパガンダっぽいナレーションが邪魔で邪魔で〜(ブツクサ×沢山)


  まあ、当時何処で誰々がどのような動きをしたかも放送されたんだからいいのかな・・・

  外国の番組ならしょうがないか・・・と思ったら、

  ええ〜??国産だぁ!  

  NHKさんよ、ちょいやりすぎなんでないかい?






 

ただいま放送中のBSドキュメンタリー

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/18 22:32 投稿番号: [3203 / 7270]
  「アジアが見つめた8月15日」

  第一部   朝鮮半島   BS1   午後10時10分〜11時

  第二部   インドネシア、ベトナム〜   午後11時10分〜12時

http://www.nhk.or.jp/bs/bsdoc/
__________________________________

「 アジアが見つめた8月15日」   12月18日(日) 後10:10〜0:00

  第2次世界大戦の終結から60年。1945年8月15日その日世界各地で何が起きていたのか、そして、その後の世界をどのように変えたのかー。
  1945年8月15日正午、昭和天皇の「終戦の詔書」がラジオを通して国民に伝えられた。虚脱感と悲しみにとらわれる多くの日本国民。しかし、この日、アジアでは植民地支配からの解放のチャンスとみた人々が独立にむけて動き始めた。
  番組では、韓国、インドネシア、ベトナムなどアジアの国々にとって8月15日とは何であったのか、この日のアジアの人々の動きを当時の証言者と記録フィルムで構成。日本だけでなくアジアにとっての8月15日を改めて考える。

__________________________________

Re: >農民の間の陋弊なる思想、習慣

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/15 08:49 投稿番号: [3202 / 7270]
>そこで、毛沢東の「永久革命」とは何かというと、「農民の間の陋弊なる思想、習慣からの脱却である」。
では、「農民の間の陋弊なる思想、習慣からの脱却」とは何かというと、旧制度、旧支配者(小資本制、地主や軍閥など)からの脱却であって、「中華思想」からの脱却ではない。
したがって、「中華思想」はそのままに、農民が積極的に毛沢東革命政権を支持し、維持してくれるように思想教育するのが、「永久革命」である。

毛沢東は、何回でも文化大革命をやるんだ、といっておりましたね。
農民たちに政治参加を求めたのは、奪権闘争の手段であり、自分の政権に対する支持をするように思想教育するためでありましょうが、支那史上にはまれなことだったでしょう。(王朝崩壊の引き金となる民衆蜂起は、酷い政治のために食えなくなって流民化したひとびとの「生きるか死ぬかの瀬戸際で法律秩序なんか守ってられれるか!」という自活運動であり、中国共産党がいう「起義」ではない)

>そして、この中国共産党の中国は、農民を農奴として縛りつけ、「支配者と民衆社会の分離」という統治システムはそのままである。

現在の中国の戸籍制度では、農村戸籍と都市戸籍の2つにわけられています。以下「人民中国」より引用。

>長い間、中国人の戸籍は「農業戸籍」と「非農業戸籍」と分けられてきた。都市に居住する人々は非農業戸籍(都市戸籍)をもち、教育、就職、医療、社会保障などの面で多くの優遇条件が得られるよう国が規定している。一方、農民は農業戸籍を持ち、勝手に都市に転居することはできず、都市の中で各種の福祉を受けることはできない。また、農民の子供はどこで生まれようとも、農業戸籍しか持てない。

http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200311/zhuan52.htm

>孫文や魯迅は、小資本家や知識階級、学生などの支持を受け、中国を近代化によって中華たらしめて欧米列強に対抗しうる国にするという点で、毛沢東とは違うと考えます。

孫文は、支那の民度は、民主主義を理解実践できるほど成熟していないと考えていました。「人民は砂のようなもので、かたく握り締めていないと、ばらばらになる」と言いました。
それゆえ、農民ではなく、知識人たちに期待をしたのでしょうね(在米華僑の幇会の支持支援も受けましたね)。そのぶんだけ、民衆社会から遊離してしまったのかもしれません。

>中国共産党の中国

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/15 03:26 投稿番号: [3201 / 7270]
>農民を農奴として縛りつけ、「支配者と民衆社会の分離」という統治システムはそのままである。


  ソビエト共産党の「ソビエト」もそんな感じだったかもしれないですね。

  革命後の農民は「スターリンというツァーに会ってきた」といった感覚だったそうです。

  じゃあ、「社会主義革命ってなんだったんだ?」てな話は、

  またまた論点拡大ですので(おまけにカテズレ)ひかえますです(大汗)
 

>中国を近代化によって中華たらしめて欧米列強に対抗しうる国にするという点で、毛沢東とは違うと考えます。

  う〜ん、もう少し孫文を勉強してから(孫文のイメージした「近代化」と「中華」がどんなものだったかとか)出直します。

Re: れRe: >農民の間の陋弊なる思想、習慣

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/15 02:59 投稿番号: [3200 / 7270]
>毛沢東の革命は中華思想の打破とは無関係だ、ということのみだったような気がします。

>土着の旧弊、陋習と中華思想は別個の問題だ、ということだったような気がします。

  わかりました。ありがとうございます。

>中国が外に向ける顔が中華思想

  なんだか、看板だけ立派に残っている崩壊寸前の元大店(おおだな)のイメージが浮かびました。


>その教師はとにかく毛沢東が好きで

  きっと、個人的魅力(カリスマ性?)のある人物だったんですね。

  私は、なんとなく周恩来のほうが(人柄も思想も知らないのですけど)好きですが。

Re: >農民の間の陋弊なる思想、習慣

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/15 02:55 投稿番号: [3199 / 7270]
>>永久革命も、中国の特に農民層の陋習を打破するには半永久的な忍耐がいる、ということの一面ではという気もしますので、

>土着の思想・習慣のために「中華思想」が本来の姿に機能していない(おかしな表現ですみません)ということでしょうか。

ここまでの皆さんの意見をまとめと、こういうことではないでしょうか。

「中華思想」は我こそが世界の中心であるという思想である。
そして、中国の伝統的統治システムとして、「支配者と民衆社会の分離」がある。

そこで、毛沢東の「永久革命」とは何かというと、「農民の間の陋弊なる思想、習慣からの脱却である」。
では、「農民の間の陋弊なる思想、習慣からの脱却」とは何かというと、旧制度、旧支配者(小資本制、地主や軍閥など)からの脱却であって、「中華思想」からの脱却ではない。
したがって、「中華思想」はそのままに、農民が積極的に毛沢東革命政権を支持し、維持してくれるように思想教育するのが、「永久革命」である。

そして、この中国共産党の中国は、農民を農奴として縛りつけ、「支配者と民衆社会の分離」という統治システムはそのままである。


>孫文や魯迅も毛沢東のそういう部分と共通してたのかなあと思いました。

孫文や魯迅は、小資本家や知識階級、学生などの支持を受け、中国を近代化によって中華たらしめて欧米列強に対抗しうる国にするという点で、毛沢東とは違うと考えます。

れRe: >農民の間の陋弊なる思想、習慣

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/12/15 02:23 投稿番号: [3198 / 7270]
  >土着の思想・習慣のために「中華思想」が本来の姿に機能していない(おかしな表現ですみません)ということでしょうか。

今となっては記憶がおぼろなのですが、毛沢東の革命は中華思想の打破とは無関係だ、ということのみだったような気がします。土着の旧弊、陋習と中華思想は別個の問題だ、ということだったような気がします。

中国が外に向ける顔が中華思想で、それが国内的陋習の故に十分機能していないというような関係はないということだったと思います。

その教師はとにかく毛沢東が好きで、矛盾論、実践論を読め、これはケネディーも論破できなかった理論だ、などとよくいってました。喧嘩したおかげで読みませんでしたが。(買うだけはかったので、本箱をさがせば、出てくると思いますが。喧嘩の理由は日露戦争は防衛戦争か侵略戦争かでした。)

>「請負政治」

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/15 02:22 投稿番号: [3197 / 7270]
>重要なキーワードだと思います。



  「請負制」ならピンときます。効率がいい場合もあるけれど弊害も起きるとかなり深刻です。

 

  ↓「場所請負制」(部分引用ですがご容赦ください)
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O271C200.HTM
__________________________________

〜略
請負人には種々の御用金・借上金が課され,しかも契約はいつ破棄されるかわからない不安定なものであったため,勢いその活動も極端なものとなった。交易にあたり無防備ともいえるアイヌに対し,交換比率の不当,勘定の不正,果ては暴行,略奪に等しいこともあった。とくに漁場労働においては奴隷的に酷使され,なかには冬場を凌ぐ食糧さえ得られず餓死したものもいた。1789年(寛政1),国後・目梨におこったアイヌ民族の蜂起は,こうした場所請負制の矛盾にむけられたものである〜略
__________________________________


  ↑このあたりのことはトピ主のyusuraさんが冷静で詳しいです。(週末にはご帰還?)

   私はこの件では少々感情的になる可能性が・・・・(苦笑)


>〜将軍は戦争の勝利を請け負っております。担保は自分、あるいは一族の生命。

  (また話をズラして申し訳ありません)

  日中戦争時の大陸の「中国軍」もそんな感じだったのかなあと考え中・・・(独り言です)

>農民の間の陋弊なる思想、習慣

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/15 01:44 投稿番号: [3196 / 7270]
>永久革命も、中国の特に農民層の陋習を打破するには半永久的な忍耐がいる、ということの一面ではという気もしますので、

>その教師のいっていたこともあながち当っていないというわけでもないと感じます。


  土着の思想・習慣のために「中華思想」が本来の姿に機能していない(おかしな表現ですみません)ということでしょうか。

  (よく知らないので見当外れかもしれませんが)孫文や魯迅も毛沢東のそういう部分と共通してたのかなあと思いました。

>「中華思想」そのものは打破

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/12/15 01:22 投稿番号: [3195 / 7270]
されたのでしょうか。

私の高校に中共軍の捕虜になり、毛沢東フアンになった元日本兵の老教師がいました。

中華思想や永久革命のことをよく話していました。

毛沢東が目指したのは中華思想の打破などではなくて、特に農民の間の陋弊なる思想、習慣である、といっていたような気がします。

毛沢東(や訒小平等)のソ連その他の国に対する姿勢を見ると、中華思想そのものという感じがする所があります(ソ連とは敵ーアメリカーの敵は味方だという結びつきだったような気がします)。毛がロシア人のことを愚鈍で残酷な民族などと言っていたことなどにも。

永久革命も、中国の特に農民層の陋習を打破するには半永久的な忍耐がいる、ということの一面ではという気もしますので、その教師のいっていたこともあながち当っていないというわけでもないと感じます。   思想的な面で喧嘩して以来長らく会ってはいないのですが。

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/15 00:40 投稿番号: [3194 / 7270]
>果たして、毛沢東思想によって、「中華思想」そのものは打破されたのでしょうか。
漢民族の毛王朝の登場という風には考えられないのでしょうか。

今の支那社会を見れば、結果的に「中華思想」は打破できなかったと考えております。

支那社会の持つ復元力とでもいいましょうか、いかなる改革や「革命(易姓革命ではなくレボリューションのほう)」も、「変化」を好まない彼らの手によっていつのまにか骨抜きにされていった、とおもっております。

ついでながらいいますと、毛沢東の文革の発動には、革命の成果がなし崩しにされていくことに対する危機感があったのでしょう(それが主因とは思わないですけど)。その毛さえ結局は「毛王朝の皇帝」となってしまいましたが。

>>支那の場合、支配者と民衆社会の分離があります。

>これは現在も継続中ではないでしょうか。
共産党一党独裁で民主主義でないから、そう見えてしまうのか、全く違うシステムなのか。

はい、継続中だと考えます。
「儒教国家」の正体が、儒教を奉じるのは皇帝と士大夫層だけ、その他大勢は関係なし、であったの同様に、「共産主義国家」の正体は、共産主義を奉じるのは党員だけ、その他大勢は関係なし、といった感じだと思います。
いくら名称や看板を儒教もしくは共産主義らしいものにしたところで、本質はそうそうかわらないものでしょうね。

>韓国の場合でも民主主義といいながら、結局は任期限定の王朝を築いているだけと考えると自分ながら妙に納得してしまうのです。(笑)
「易姓革命」とか、官によるピンはねとか、中華文明そのままのようですし。

たしか、90年代前半には、大統領の顔を「龍顔」という側近がいたり、大統領の怒りを「震怒」とマスコミに書かせたりしたそうです(「海外事情」1991年4月号の田中明氏の寄稿)。
なお、韓国において「龍」の字の右下部の横棒は3本ではなく2本です。龍の絵を描く際も爪を一本減らすのと同じく、宗主国様の手前、一画を欠いているということです。

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/15 00:16 投稿番号: [3193 / 7270]
東亜さん、解説ありがとうございました。
非常に分かりやすいと思います。

ただ一点、これは朝鮮半島を含めて、常々疑問に思っているのですが、

>それが「中華思想に染まる」ということの実態ではないかと思っています。
>これを破るには、結局、毛沢東が「共産主義」という新しい思想とシステムを持ち込むのを待つしかなかったんでしょうね。

果たして、毛沢東思想によって、「中華思想」そのものは打破されたのでしょうか。
漢民族の毛王朝の登場という風には考えられないのでしょうか。
というのも、

>支那の場合、支配者と民衆社会の分離があります。

これは現在も継続中ではないでしょうか。
共産党一党独裁で民主主義でないから、そう見えてしまうのか、全く違うシステムなのか。

韓国の場合でも民主主義といいながら、結局は任期限定の王朝を築いているだけと考えると自分ながら妙に納得してしまうのです。(笑)
「易姓革命」とか、官によるピンはねとか、中華文明そのままのようですし。

Re:韓国の現政権

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/14 23:46 投稿番号: [3192 / 7270]
>>   国政は棚上げにして、何が何でも政権を守りきらなければ生き残れないという執念のなかで、早くも2007年選挙での政権の延長だけに躍起になるしかないのだ。国の行く先が実に心配だ。

>半島版「いつか来た道」でしょうか。選挙まで待てずに「クーデター」なんてことには・・・時代も違いますし、これは無さそうですね。

やはり、南北ともに何十年間か、国連の「信託統治」で行くべきでしたね。
兎亀さんが、「ダーバン世界会議」でアフリカ統治について、述べたように。

>こうなると、「人道的見地」から「内政干渉」も辞さず!〜というのが手っ取り早いような(これは昔ありましたっけ?)・・・過激でしょうか?
>「内政干渉=悪」と単純にはいえない時期に入るのかな〜などとふと思いますです。

正解ですね。
韓国が経済的にはIMFの管理下にあるように、自分たちで国家運営できない訳ですから、国民や周辺国救済のためには最適な方法でしょう。
「民族自決・自立」というのは、その能力がある民族がいうことで、南北朝鮮には無理な話です。

Re: 日本と中国の清潔不潔

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/14 23:08 投稿番号: [3191 / 7270]
>どうも、清潔、不潔は近代化の進度とは無関係な民度、文化のようですね。

これをフランスでみますと、ベルサイユ宮殿にトイレがなかったように、当時のパリの街でも寝室に便器が置いてあって、汚物を窓から道路に捨てることが普通だったようですし、アンリ四世も生涯で体を洗ったのは二度ほどで、腐った肉のように臭かったと、なんかで読んだ記憶があります。(笑)
やはり市民革命で浪費家の専制君主が倒され、帝国主義で植民地から集まる富を社会資本に投資できる余裕が生れ、さらに科学的な衛生観念が伴って、市民の民度も上がっていくように考えます。

中国市民は収奪されるだけで、富が還元されることなく、都市生活が古代からあまり進歩しなかったとすると、欧米から半植民地化されることによって、格段の恩恵を受けていることになります。
ただそれを受け入れる市民の民度の問題が一番のネックですね。

日本でいうと、入浴は神道や仏教の影響で、不浄を清めるという習慣から始まったように思います。
鎌倉時代に東大寺の僧侶が労働者の慰労のために蒸し風呂を作るなど、古い寺社には必ず湯殿がありますね。
入浴の功、徳というのがまずあって、それに慣れ親しむことにより、常に清潔にすることが嗜みとされる美意識が生れ、
それは住まいや服装にも現れて、貧富にかかわらず、小奇麗に暮し、木々や花を楽しむ文化になり、
大名による城下町の整備、町衆・町役による自治的な町内の運営など、近代都市造りの共同体意識が生れたことが、これらの日本文化を支えたと。
散文的でありますが、かように考えます。(笑)

と書いた後で、いい加減ではいけないと思い、お風呂についてのサイトを探してみました。
まあ、当らずといえども、遠からじ。(笑)
ヨーロッパで風呂に入らなかったのは、理由があったんですね。なーるほど。
残念ながら、韓国の風呂の起源は出てないけど。(笑)

「お風呂の歴史」
http://takejoy.fc2web.com/

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/14 09:58 投稿番号: [3190 / 7270]
呼ばれたようですので参上しました。
「くつわ十字」って島津ですか?そうならうれしいです(笑)

>隋・唐・(五代十国)・宋(北宋・南宋・金・西夏)・元・明・清と変遷しています。
>前代の王朝を追いやった勢力は攻めた時点では「蛮族」で、覇権を握った時点で(あるいは覇権を握る条件として)

>中華思想に染まっていったのでは?(平安時代、平家が公家風に染まったように)

支那の場合、支配者と民衆社会の分離があります。
支配者が、民衆社会への過度な干渉をせず、税金をとりたてるだけであれば、民衆は適度に支配者層とは距離を置いて生活します。
逆に、苛斂誅求やたび重なる外征などの酷い政治を行なわれて、民衆社会の生存に危機が及べば、武器を執って蜂起する。それが成功すれば「易姓革命」、失敗すれば「反乱」というだけの話になります。

支配者が変わって民衆社会に絶大な影響があった例は、清が辮髪を強要したのと、毛沢東の革命程度ではないでしょうか。

話がややずれてしまいましたが、支那史において「中華民族」というものは存在しません。匈奴や女真などの北方民族、もっと古代ならチベット系羌族、ベトナム系の呉越・楚など周辺民族が、中原の文明に参加すれば、それで「中華の人」認定なわけです。日本人なら唐の官吏になった阿倍仲麻呂も「中華の人」ですね。

それと、支那の統治システムは秦漢の時代でほぼ固まっています。
おおざっぱにいえば、皇帝が官吏を任命、官吏は民政を担当し、民衆社会に租税徴収を請け負わせる、というものです。
また、「中華的=儒教的」というのも、美しい偏見であり、実際は、皇帝らは儒教の徳治をお題目に唱え、下級官僚たちの実務は法治、という「本音と建前」統治制度です。

「請負政治」というのは、重要なキーワードだと思います。
皇帝が租税3千万円の徴収を命じれば、官吏は3千5百万を徴収して、5百万円は自分の成功報酬とする。
軍事でいえば、戦地に赴く将軍は戦費を請求した分、無問題で支給されます。そこから自分の取り分を差し引いて実際の戦費を支出する。兵の給料や食料費をピンハネするというのは、取り分を欲張っているということです。
その代わり、将軍は戦争の勝利を請け負っております。担保は自分、あるいは一族の生命。敗戦の責任を問われて処刑されるということですね。有名なところでは、「街亭の戦い」の蜀の馬謖、「城ボク(さんずいに僕)の戦い」の楚の子玉あたりですかね。
現代なら「経済解放区」が請負政治に近いでしょう。国家への上納金さえ納めればオッケーというやつです。

またずれてしまいましたが、そういった社会統治システムが固定されている以上、天下を取った支配者はそのシステムに乗るしかないわけです。楽ですし、代案に妙策もないですし。官職名を変えたり、ポストを新設したりしますが、本筋は全然変わってないのです。

それが「中華思想に染まる」ということの実態ではないかと思っています。これを破るには、結局、毛沢東が「共産主義」という新しい思想とシステムを持ち込むのを待つしかなかったんでしょうね。

 韓国の現政権

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/14 05:35 投稿番号: [3189 / 7270]
  韓国内での評価もかなりの「トンデモ」のようです。

  ↓「盧武鉉政権の被害妄想を憂慮する」

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/12/09/20051209000001.html

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ホーム > 社説・コラム > 社説 記事入力 : 2005/12/09 07:05

  李炳浣(イ・ビョンワン)大統領府秘書室長は今月7日、光州(クァンジュ)朝鮮(チョソン)大学での特別講演で「もっとも本質的な問題は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権を認められないという本質的な反対派勢力が社会の重要勢力を形成しているという点」と述べた。

  李室長は、「金大中(キム・デジュン)政権下で権力の禁断症状に震えたその勢力が、今は権力の錯乱症状を示している。2002年には露骨に手を組んで権力を取り戻そうとしたが、とうとうと流れる時代の変化に(挫けて)失敗した。しかし、失敗はしたものの、認められないとと抵抗し、2007年には必ず取り返そうと総動員令を出している」と述べた。

  李室長は大統領秘書室長らしく、現政権の本質的な問題点を総合的に身をもって見せている。

  この政権の根本的問題は、李室長のような時局を誤って判断し、国民の世論を間違って読み取り、国民を恐れることも知らず、大統領の目と耳を塞いでいる人々が秘書室長、広報首席などの重要なポストを占めて居座りつづけていることにある。

  彼らの共通点は、現政権の失政に対して失望したあまり、もはやこれ以上何も望めないという境地に至った国民世論を、最後まで認めようとしない点にある。

  この政権は、自らの口で、金大中政権の後継だと主張してきた。だとすると、現在、政権は発足8年目だといえる。

  考え方の似通った両政権は、前政権も現政権も、天下りの人事によって権勢のあるポスト、稼ぎの良いポストを選んで国中の至るところに身内を送り込んだ。

  それにもかかわらず、李室長が口にしたように、反対勢力が社会の中心部を占めているなどと決めつけながら、反対勢力を「錯乱症状」だの「禁断症状」だのと、放言するのがこの政権の常套手段となっている。

  現政権の人々は、「現政権が仕事をうまくこなしている」と考えていない80%の国民を反対派勢力と見なす被害妄想に悩まされている。

  権力者たちの被害妄想は、国家の不安要素だ。やみくもな攻撃本能をあからさまに現し始めるからだ。李室長の言動がそうしたケースだ. 周りを敵に取り囲まれて八方塞がりという心理状態で、どうやってきちんと国政を運営できるだろうか。

  国政は棚上げにして、何が何でも政権を守りきらなければ生き残れないという執念のなかで、早くも2007年選挙での政権の延長だけに躍起になるしかないのだ。国の行く先が実に心配だ。

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>   国政は棚上げにして、何が何でも政権を守りきらなければ生き残れないという執念のなかで、早くも2007年選挙での政権の延長だけに躍起になるしかないのだ。国の行く先が実に心配だ。

  半島版「いつか来た道」でしょうか。選挙まで待てずに「クーデター」なんてことには・・・時代も違いますし、これは無さそうですね。

 12月13日の記念式典

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/14 05:11 投稿番号: [3188 / 7270]
  中国の某記念館のサイトです

  ↓たくさん報道されたということだけはわかりました。

http://www.nj1937.org/zxxx.asp

http://www.nj1937.org/rdbd.asp


  たぶん、「有ること無いこと」記事になってるんだろうなあ〜orz
  (   あ、「無いこと無いこと」のほうが的確かも・・・)

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/14 04:54 投稿番号: [3187 / 7270]
>〜高校の教科書程度の知識しかありません。

  いつも中学程度の基礎知識からひねくっている私の「蘭学事始」にお付き合いいただいて感謝しておりますよ(多謝)

  tripさんのかみくだいてのわかりやすい解説や提示していただく資料はたいへん有難いものと思っております。

>これは、東亜さんにでも分析して貰いたいですね。(笑)

  では、「くつわ十文字」としましてご登場をほのかな期待とすることにしますです(笑)

>〜有無を確かめるのが任務と勘違いしたためで


  そんなことがあったんですか(驚いてます)これだけの装備だと港町の占領も可能かぁ

  なんだか、日本てそうとうに運が(「も」かな?)強い国だったんじゃなかろか・・

  日本の開国の後も欧米は自国の周辺問題で軍事的に忙しい時期だったそうですし(クリミア・南北・普仏とか)

  この辺の欧米の自国事情も当時の日本には鎖国から開国への転換後の体制を整えるのにプラス働いたのかなと感じます。

>砲艦外交をやられたのかと比較できれば面白いですね。

  欧米の当時の報告書などは確実な資料なのでしょうね。
(「被害意識の共有」目的ではない研究が本になっていればなぁと・・とてもそこまで手は広げられないですが。苦笑)

 
>なお、ビッドルの前年に、日本人漁民の漂流者22人を救出したアメリカの捕鯨船マーカトル号が来航します。

>日本人漂流民には大変親切で、日本人を降ろして水と食糧を受け取って出航しました

  ズレますが、小笠原諸島に捕鯨関係で米国人が住みはじめたのが19世紀前半だったとか、

  もしそうなら、八丈島方面の漁民達とは既に接触(交流)があったかもしれませんね。

日本と中国の清潔不潔

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/12/14 03:38 投稿番号: [3186 / 7270]
幕末、ほぼ同じ頃日本を訪れたシュリーマン(トロイの遺跡発掘者)とロバート・フォーチュン(植物学者)は中国も訪れ、旅行記をだしていますが、清潔度については両者は両国についてほぼ同じことをいっていますね。

シュリーマンは、「シナ人に特有の不潔さを別にすれば」とか「私はこれまで世界で不潔な町をずいぶん見てきたが、とりわけ清国のまちは汚れている。しかも天津はその筆頭にあげられよう」とか「特に北京では劇場が特に不潔で」とかいってます。

「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない。どんな貧乏な者でも少なくとも日に一度は町のいたるところにある公衆浴場に通っている」

「日本人はみな園芸家愛好家で、日本の住宅はおしなべで清潔さのお手本になるだろう」

フォーチュン
「シナの町は不潔と悪臭で派有名であるが、天津ほど胸が悪くなるような汚いところへ行ったことはなかった」

「花好きの市民・日本の中流以下の民家は商店は表や裏を開けっ放しにしてあるので、ささやかな花壇をよく覗き見下。どの家も非常に丁寧に歓迎してくれたので、私は彼らが大切にしている花や花壇を勝手に見て回った」(長崎で)

二人は驚くほど同じことを言っています。

どうも、清潔、不潔は近代化の進度とは無関係な民度、文化のようですね。

Re: >善悪抜きのクールな解説②

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/14 01:49 投稿番号: [3185 / 7270]
>西洋のものを東洋(主に中国)と比べてはじめから優れていると思ったかはいささか疑問に感じています。

いやー、そりゃそうですね。
蒸気船を見て、すごいと思うには、基礎学力がないと、何がすごいのか分かりませんね。
魔術や奇術と思っても当然です。

蘭学は例の杉田玄白の「解体新書」に始まるようですが、やはり解剖してみたら、解剖図通りだったことの衝撃があると思います。
東洋医学の思考方法と全く異なる、精緻なまでのクソ・リアリズムの世界にカルチャー・ショックを受けたと申しましょうか。

そもそも江戸時代に東洋的、日本的な最高水準の学者や専門技術者が大勢いたからこそ、西洋の素晴らしさも理解できたのでしょう。
また、江戸時代の蘭学者の経歴を見ても、いきなり蘭学を学ぶのではなく、漢学の素養が充分ですね。
つまり、漢字、言葉に対する豊かな知識があればこそ、蘭書を読んでも意味が分かろうというものです。
蘭学輸入期の「出島学問」的ではありますが、まず翻訳能力がないと、西洋学問を国内に扶植することはできません。
彼らの造語の多さ、巧みさ、西洋の概念を東洋的なものに置き換えて理解していく能力があって初めて、一般人にも学習できます。

それにしても、朝鮮半島では世界初の西洋的なオリジナル技術の発明が多いようですが、どうして発展しなかったのでしょうね。(大笑)

冗談は置いて、やはり、19世紀には中国的なものは行き詰まりを見せて、西洋文明に比較して輝きを失ってしまった。
そして、今世紀、「東洋の国際的平和は、文明のセンターとしての中国の絶対的な文化的・経済的・政治的実力」だけでなく、軍事的復権を目指す中国と日本は対峙せざるをえない。
その中国に、韓国と北朝鮮が便乗している状態でしょうか。
「中華文明どっぷり漬かり度」の程度によって、国民性まで分かれてきますね。

>「日清・日露戦争後、一般の日本人が中国・朝鮮人を嫌うようになった〜」というようなことを話していました。
>戦役で大陸に行った庶民の日本人は、当時の中国・朝鮮の庶民の振る舞い(番組では「ものの食べ方とか〜」といってました)を見て中華への尊敬が軽蔑に変わったらしいです。
>日本は当時の欧米と比較しても相当な「きれい好き」だったしなあ、まあ、軽蔑するなといっても、難しかったかもしれませんね。

朝鮮の不衛生については、沢山の資料が残っていますしね。
ご存知、イザベラバードの「朝鮮紀行」でも、「北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!」と書いてあるように、中国の汚さもあのソウル以上だったのですから、清潔好きな日本人にはたまらなかったでしょう。

そうそう、戦争末期に中国の南京と漢口にいた我が家のGさんは両都市ともに水洗便所だったので驚いたそうですが、いずれも租界を作った欧米がまず上下水道を作ったらしいですね。
しかし、漢口の街は雨が降ると泥だらけ。揚子江(長江)の水が溢れて土葬の死体が流れ出すこともあり、また晴れた日には砂塵が舞って、埃だらけ。そんな中でも平気で中華饅頭などの食い物を売っている露店が多く、とても食べる気がしなかったと言っています。
また毎日入浴する日本の兵隊に比較して、入浴の習慣がなく、にくにく臭いのには閉口したようです。

文化が違うといえば、現代人には理解できますが、当時はやはり努力向上しない中国人の怠慢に呆れたことでしょう。
「皇帝と私しか存在しない」というのが中国ですから、仕方ないのかも。

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/14 01:48 投稿番号: [3184 / 7270]
>前代の王朝を追いやった勢力は攻めた時点では「蛮族」で、覇権を握った時点で(あるいは覇権を握る条件として)
>中華思想に染まっていったのでは?(平安時代、平家が公家風に染まったように)

兎亀さん、中国についてはこのカテにも相当な知識を持った方が大勢いらっしゃいますし、私は高校の教科書程度の知識しかありません。
講釈を述べるほど厚顔でもありません。
これは、東亜さんにでも分析して貰いたいですね。(笑)

>当時の「軍事的な恫喝」はその程度(ペリーの黒船)のものが一般的な事例だったのでしょうか?
>ならば「帝国主義列強の軍艦外交」の「恫喝」イメージを改めなければなりません。
(航海も長いしなあ、海賊も出たかもしれんし・・護身用拳銃程度の感覚の装備だったのかな)

1853年のペリー来航の前、1846年にアメリカ合衆国東インド艦隊司令長官ビッドルが、アメリカ議会の「日本は開国すべし」という要望を背景に、政府の訓令を受けて、軍艦2隻で来航します。
ご存知のように、アメリカは捕鯨船の避難場所、遭難者の救助、燃料や水食糧の補給地として日本の開国を迫っていたのですが、このとき旗艦には大砲83門、小銃800挺、短銃800挺、水兵800人、もう一隻には大砲24門、水兵200人が乗り込んでいました。
房総から相模の警備に各藩が「すわ戦」と出動し、武州忍(おし)藩主松平駿河守も家臣数千を率いて出陣したが、藩士の家族は水盃を交わし、涙を流して見送ったという状態です。
しかし、ビッドルは幕府に通商を求める願書を提出し、幕府が鎖国が国法であるから願いは聞けないと返書すると、あっさりと了承して帰国したのであります。
これはビッドルが日本に開国の意思の有無を確かめるのが任務と勘違いしたためで、当然アメリカ国内で問題となり、ペリーの派遣となる訳ですね。
つまり、砲艦外交といっても、軍事的威嚇だけでなく、本格的な交渉で強硬に出る、粘ることが必要です。
そして、その国にそろそろ開国しようかなという気運がないことには、脅しと交渉だけで開国はできないと思いますが。

中国、インドシナ諸国やインドネシアが、どのような砲艦外交をやられたのかと比較できれば面白いですね。

なお、ビッドルの前年に、日本人漁民の漂流者22人を救出したアメリカの捕鯨船マーカトル号が来航します。
船の状態は、「鯨の油を取る大鍋が三つ、武器類はなく鯨を突くモリが100本、食事はブタと薩摩芋を日に三度食べ、船中にブタが10匹ばかりいてこれを殺して食べていた」ようです。
鯨が一杯いるのに、どうして捕らないのかと聞くと、まず日本人を送り届けてからという返事でした。
日本人漂流民には大変親切で、日本人を降ろして水と食糧を受け取って出航しました。

おお、盛り上がってる

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2005/12/13 07:38 投稿番号: [3183 / 7270]
ここ暫く土日も無い生活を続けていますが、ここは面白そうな話がまったり続いていますね。
今週末は久しぶりに休めそうなので纏めて辿らせて頂きます。皆様の盛り上げに感謝します。

Re: 「ダーバン世界会議をめぐるニュース

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/13 02:30 投稿番号: [3182 / 7270]
>問題の本質がますます混沌となってしまいますね。

  問題が解決しない方が都合のいい勢力もあるのかもしれません。
(アフリカにも北の「金王朝」みたいなのがあるとかないとか・・)

>アフリカ各国の現実問題ををどんどん絞っていき

  国連では各国一律ではなく統治能力のある国に優先的に援助をまわす方針にする案が採決されたかは不明ですが、

  とにかく汚職・腐敗が蔓延していて援助が必要なところに届かないわ、政治は国民そっちのけで勢力争いやってるわ、
  負けそうになった側が隣の国に加勢頼むわ・・・(なんか昔のどこかに似てますね)

  こうなると、「人道的見地」から「内政干渉」も辞さず!〜というのが手っ取り早いような(これは昔ありましたっけ?)・・・過激でしょうか?

  「内政干渉=悪」と単純にはいえない時期に入るのかな〜などとふと思いますです。

>善悪抜きのクールな解説

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/13 02:25 投稿番号: [3181 / 7270]
  >「新しい歴史教科書」より過激?(笑)

   これで過激ですと生物だの地学だのの教科書は発行できないことになりますです(笑)

   ちなみに「新しい〜」は(今年度版は見ていないので判りませんが)前回のは文章が情緒的に過ぎる気がしていました。

  >「中華思想がけっして軍事的な色彩をもたず」とは言えないでしょう。

   西洋の「軍事的な色彩」に比べて「文明の感化力に信頼をおく思想であった」ってことかも・・(苦しい)

  >中原の軍事的覇権を握った者が中国となり、その周辺国を軍事的に脅迫し続けていたのですから。

   う〜ん(年表ながめて考え中)「文明の感化力に信頼をおく思想〜」・・・と

   隋・唐・(五代十国)・宋(北宋・南宋・金・西夏)・元・明・清と変遷しています。
   前代の王朝を追いやった勢力は攻めた時点では「蛮族」で、覇権を握った時点で(あるいは覇権を握る条件として)

  中華思想に染まっていったのでは?(平安時代、平家が公家風に染まったように)
 
  >   ペリーは空砲を撃ったりして脅迫していますが、町人は黒船見物目当ての屋台まで出て、のんびりしたものです。

  >そして日米交渉も殺気立ったものではありません。

  ということは、当時の「軍事的な恫喝」はその程度(ペリーの黒船)のものが一般的な事例だったのでしょうか?

  ならば「帝国主義列強の軍艦外交」の「恫喝」イメージを改めなければなりません。
  (航海も長いしなあ、海賊も出たかもしれんし・・護身用拳銃程度の感覚の装備だったのかな)

  >江戸中期からは蘭学を通じて、西洋の優れた文明、文化、学問の存在を知ることになる

   枝葉ですが、西洋のものを東洋(主に中国)と比べてはじめから優れていると思ったかはいささか疑問に感じています。
   (唐・天竺以外の文化・文明への好奇心とか、単に新しもの好きとか・・軽過ぎますか)

    アヘン戦争で   「西洋>中華」   が目に見えるようになり、

    その後の朝鮮との外交交渉で中華思想の実態を身をもって体験する・・・と、嫌気も差しましたでしょうね。
  ↓「明治開化期の日本と朝鮮1」
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi012.html
__________________________________
〜略「朝鮮の対日交渉術」

当時の朝鮮との交渉の記録を読むと非常に興味深い。(公文別録・朝鮮事件   公文別録・朝鮮始末   公文別録・朝鮮尋交始末、その他)
  日本側は繰り返し繰り返し何度も何度も話し合いを進め、朝鮮側に配慮して文章を変更したりしている。
  これがまた半端な数ではないのである。当時の史料を見ると、書き直しにつぐ書き直し、案件につぐ案件、印章も作り直したり、どの文章がいつの書契なのかよく分からないような量と手数の多さなのである。書記官たちは同じような文章をいったい何度書かされたのか、実に同情にたえない。
  しかし日本側のそのような譲歩にもかかわらず、朝鮮側は断固受け取り拒否なのである。なんと明治元年から7年経っても!。

  朝鮮の外交官僚の態度は日本人から見るとたいへん不誠実に見える。まるで、嘘・ごまかし・公私混同の弁明・仮病・突然の前言翻し、など虚々実々の駆け引きのオンパレードである。それに対して、日本側はというと、ただひたすら辛抱強く粘り強く正論をもって交渉している。その姿はまあ馬鹿正直なほどである。そこには日朝の文化の違いすらが感じられてある意味面白い。〜略
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>結局、その気概が持てない朝鮮のために中国と戦い

  二月程前のテレビ番組で(一部しか見れませんでしたが)「日清・日露戦争後、一般の日本人が中国・朝鮮人を嫌うようになった〜」というようなことを話していました。
  戦役で大陸に行った庶民の日本人は、当時の中国・朝鮮の庶民の振る舞い(番組では「ものの食べ方とか〜」といってました)を見て
  中華への尊敬が軽蔑に変わったらしいです。
  日本は当時の欧米と比較しても相当な「きれい好き」だったしなあ、まあ、軽蔑するなといっても、難しかったかもしれませんね。


 
 
  


     
  

Re: 「ダーバン世界会議をめぐるニュース

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/11 22:28 投稿番号: [3180 / 7270]
>「欧州元凶説で民衆説得図るアフリカ指導者」

これは大変な問題ですよね。
この方面の詳しい知識はありませんが、記事を読むだけでため息が出るようです。
したがって、レスが非常に困難で、稚拙な内容になってしまいますが。(笑)

南北問題に加えて、歴史的な奴隷売買を持ち出せば欧米も反発するし、アフリカ諸国の国内事情を含めて、問題の本質がますます混沌となってしまいますね。
「朝まで」での姜尚中の発言ではありませんが、冷戦終結後、世界中で色々な歴史問題を持ち出してカオス状態になれば危険です。
南北諸国に共通の歴史認識や和解なんて不可能ですから。

知恵があるならば、南北協力してアフリカ各国の現実問題をどんどん絞っていき、援助や自助努力の重点項目を具体化することに精力を傾けるべきですよね。
不毛な歴史問題をやっている時間の余裕はないでしょう。

飢餓は少なくなりつつありますが、病気や貧困などはこのままでは克服できないです。
しかも下手に近代化にすれば貧富の格差はさらに増大し、階層・部族間の争いが増えるかも知れません。
そして農地化や工業化が進めば水不足、環境破壊にエネルギー問題という難問も待ち構えています。
均衡ある発展と差別の撤廃ができなければ、現在と近い将来の中国の混乱のようになってしまうでしょう。

いかに日本の朝鮮統治が困難で、素晴らしい成果を収めたのか、韓国もよく考えて欲しいものです。

>Re:やさしい日本人①

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/09 04:51 投稿番号: [3179 / 7270]
  前後してしまいましたが

  >こういう紋切り型の書き方をされると


  「宿題」でまた「兎亀の屁理屈」を考えてきますので・・・しばらくのご猶予を願いますです。m(_   _)m

  (独り言:紋切り型の記述から入るのは「拒絶反応」を恐れてのことかな〜。
   こりゃ穿ち過ぎか・・でも屁理屈用につかえるかも・・・もう少し練ってみようかしらん)

特別展「日米交渉〜開戦への経緯」

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/09 03:58 投稿番号: [3178 / 7270]
  本日(あ、もう昨日ですが)公開となりました。

  ↓国立公文書館アジア歴史資料センター

http://www.jacar.go.jp/?060545SL000017=PID

_______________________

2005/12/08 「公文書に見る日米交渉〜開戦への経緯〜」
特別展 を公開しました。
________________________

http://www.jacar.go.jp/nichibei/index.html

  ↑表紙のフラッシュが・・・一瞬個人のサイトかと思いました(笑)

 「ダーバン世界会議をめぐるニュース」

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/09 03:42 投稿番号: [3177 / 7270]
  欧米メディアの論調がどんなだったかなと、探してみましたが日本語のサイトにはあまりないようですね。

  ↓ここの下の方に少し載っています

http://www1.ocn.ne.jp/~yeboo/salinks/za011.html

_________________________________

  〜略〜
  ■奴隷制は「人道の罪」「現代人は責任ない」反人種主義会議宣言   英紙は否定的論調

  南アフリカ・ダーバンで8日閉幕した国連の「人種主義に反対する世界会議」は奴隷制と奴隷貿易を「人道に対する罪」と初めて規定する宣言を採択、「過去の清算」での欧州の責任が大きな焦点となったが、英国では、奴隷制に関しアフリカ自身の責任を問う論調が出るなど、おおむね同会議の結果に否定的な反応が強く、また、中東問題の取り扱いを不満とし会議から途中離脱した米国からも、会議を「時間に空費」として批判する声が出ている。

=====

(ロンドン10日=土生)

  大英帝国時代、奴隷貿易に関与した英国でも、「人道主義に反対する世界会議」は大きく報道された。奴隷貿易について賠償責任では、英マスコミの論調は、否定の立場でほぼ一致した。否定の論拠としてまず挙げられるのが、「何百年も前の政府の行為については、現代人に直接責任はない」との主張だ。「この賠償が成立するなら、イタリアがローマ帝国の征服について賠償したり、英国が十字軍についてイスラエルに謝罪しなければならなくなる」(3日、BBCインターネット)というわけだ。
  アフリカ自身の責任を問う声も目立った。「欧米が奴隷貿易を始める前に、すでにアラブ商人を仲介とした奴隷貿易が行われており、当時のアフリカ各地の指導者は、この貿易で膨大な利益を得ていた。なぜアフリカや中東の過去の対する責任を問わないのか」(9日付タイムズ紙など)。さらに、「英国は1807年に世界で初めて奴隷貿易を禁止するなど、奴隷廃止を主導してきたのは欧米だった」として、「欧米が主張しなければ、第3世界は奴隷制の非人道的に気がつかなかった」(3日付、デイリー・テレグラフ紙)との反論もあった。
  ただ、「賠償は資金ほしさの口実」として拒否する一方で、英国の歴史的責任に言及する報道もあった。3日付タイムズ紙は、賠償を主張する米の黒人弁護士を詳しく紹介した。同弁護士は、「現代社会のあらゆる分野に黒人奴隷の見えない貢献がある。例えば、麻酔もかけられず人体実験にされた黒人奴隷のおかげで医学が進歩した。また奴隷制は黒人から民族としての誇りを奪い、それが内戦や犯罪などの遠因になっている」と主張している。
  5日付インデペンデント紙も、「欧米の奴隷貿易は、従来に比べ比較できないほど大規模であり正当化は困難」とのコラムを掲載。第2次大戦中のビルマでの強制労働についての日本に謝罪を求めるのなら、なぜ自国の責任に目をつぶるのかと訴え、人種主義については、「(他者の目を通じて自分を見る)想像力こそ、唯一の治療薬」と結んでいる。

米「的外れな論議」

(サンフランシスコ9日=永田)

  ライス米大統領補佐官は9日、NBCテレビの番組で国連の「人種主義に反対する世界会議」について、「的外れな論議に時間を空費した会議だった」と述べ、過去の奴隷制を巡る議論やイスラエル批判で紛糾した会議に冷ややかな論評を加え、米国の途中退席についても「正しい判断だった」と強調した。ライス補佐官は、「現代でもスーダンのような国ではまだ奴隷制が行われている」と指摘し、今回の会議がそうした問題を取り上げず、15−19世紀の欧米の奴隷貿易の論議に終始したと非難した。

読売 2001.09.11
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  ↓キャッシュで残っているのがありました

  「どこまで歴史たどるのか    奴隷貿易で補償要求」

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E5%9B%BD%E9%80%A3++%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93%E3%80%80%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E6%94%AF%E9%85%8D++%E8%AC%9D%E7%BD%AA+%E8%A3%9C%E5%84%9F&ei=UTF-8&fl=0&meta=vc%3D&u=apc.cup.com/%3Fno%3D24.1.0.0.14.1.1.1.0.0.&w=%E5%9B%BD%E9%80%A3+%22%E5%A5%B4%E9%9A%B7+%E8%B2%BF%E6%98%93%22+%22%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0+%E6%94%AF%E9%85%8D%22+%E8%AC%9D%E7%BD%AA+%E8%A3%9C%E5%84%9F&d=YjxPmI6CL01O&icp=1&.intl=jp

「滅亡の帝国:日本の朝鮮半島支配」

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/09 03:26 投稿番号: [3176 / 7270]
>ご存知と思いますが、


  まだ完訳にはなっていないのが残念です。

  日本語版の出版は難しいのかもしれませんね。(ゲラが上がったあたりで向こうのマスコミが騒ぎそうだ・・)

  以前、国連のダカール国際会議というので植民地支配の謝罪と補償云々〜とあったんですが、

  直後の米国の大事件と大騒動のためすっかり霞んでしまったようです(私もこの秋まですっかり忘れておりました)

  ↓なかなかもめたようです「ダーバン世界会議をめぐるニュース」

http://www.imadr.org/japan/interview/wcar.international-news1.html
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「欧州元凶説で民衆説得図るアフリカ指導者」

  アフリカ指導者たちが奴隷貿易、植民地支配というテーマに焦点を当てたのは、被害者・アフリカの心理的な解放ばかりではない。貧困や内戦を自らの手で解決できない袋小路に追い込まれ、旧来の「欧州元凶説」以外に民衆を納得させられるカードを持ち合わせていないためだ。

  信頼の高い集計によると、15世紀から19世紀にかけアフリカ大陸から米大陸などに渡った奴隷は1200万人。白人を最優等人種に据え、黒人を「勤勉性のない未開野蛮人」と見る思想が、史上最大の民族の離散をもたらした。

  ナイジェリア国際問題研のアキトミワ博士は「欧州の勃興に奴隷、植民地からの搾取は不可欠だった。今も続く経済格差の根はそこにある」と指摘する。

  奴隷貿易による精神的な痛手も大きい。アフリカ人は劣等意識を植え付けられ、19世紀後半の欧州列強によるアフリカ争奪戦でもあっさりと植民地化を許してしまった。また、アンゴラ内戦の根には奴隷貿易に加担した側と奪われた側の対立があり、数世紀前からの後遺症は今も残る。

  だが、「裏切られたアフリカ」の著者アイティ氏は「アフリカの落ち込みは奴隷貿易より独立後の悪政が大きい。欧州よりひどい搾取がアフリカの指導者らの手でなされた」と説く。「かつての欧州人の方が民衆の生活向上について考えていた」(ザンビア北部の有力族長ヌクラ氏)のように、60年代に独立して以降のアフリカ人自らの責任を問う声も強い。

  「アフリカ復興まで援助を続けるのが欧米の義務」とアデボラ・ラゴス州立大教授は語る。そうと主張しなければ、世界から無視し続けされるだけだという危機感がアフリカにはある。   【藤原章生】[毎日新聞9月7日]
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Re:やさしい日本人②

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/08 22:12 投稿番号: [3175 / 7270]
>「『帝国の復讐』という有名なことば」はそういうことをさしているのでしょうか?

えっ、スター・ウォーズの「帝国の復讐」ですか、という冗談は置いといて、これは兎亀さんの担当です。(笑)

>それぞれの国のそれらの失敗を比較した研究があると面白いですね。

その学問のひとつの例が、欧米で盛んな「植民地近代化論」ですよね。
これは、現在の発展途上国のためにも参考になると思います。
ご存知と思いますが、改めて。

【The doomed empire : Japan in colonial Korea / M.J. Rhee著】
出版者 Aldershot : Ashgate 1997年刊・178頁より
(翻訳/重村智計・拓殖大学国際開発学部教授)

「搾取と抑圧の下、ひたすら犠牲を強いられた暗黒の36年」という植民地史観が今なお日本や韓国では根強い。
それどころか、決して疑義を差し挟んではならない絶対の真実にすらなっている。
だが、日本の植民地経営は世界史的にみてどうだったのか。
コロニアリズムというキーワードをもとに理論的、実践的にこの問題に取り組んだのが、在米の韓国人女性研究者、クリスティン・リー氏である。
リー氏はイデオロギーに振り回され学問的方法論に依らないこれまでの研究を厳しく批判する。

  私はアメリカの大学院で指導教授たちに言われた次の言葉を、今なお忘れることができません。
「日本の植民地は、その後いずれも経済発展したではないか。 そんな結論の出ている問題をいまさらどうして研究するのか」
米国の名門ラトガース大学のダン・ローデン教授は、私が博士論文の主題について日本が朝鮮半島を植民地支配した時代の教育と女性問題について研究したいとの計画を説明すると、このように反問しました。
「文明のシステムを、日本の植民地主義は朝鮮半島に導入したのではないか。スペインやアメリカ、イギリスは日本のように本国と同じような教育システムを植民地に導入しようとはしなかった。当時の朝鮮半島の人々は、文明のシステムを独自の力で導入するのに失敗した。日本の植民地主義を経ずに、あれほど早く文明の世界システムに入れただろうか」
私は、この発言に怒りが込み上げ懸命に反論しようとしたが、頭の中が真っ白になり感情だけが高ぶったのを覚えています。
そんな論文を書いたら、韓国に戻れなくなるとの不安が一瞬心をよぎりました。
論文の相談をした別の経済学専攻の教授は
「植民地化された国家の中で韓国と台湾ほどに発展した国家はない。アメリカやイギリスの植民地で、台湾や韓国ほど発展した国があるか」
とまで言うのでした。
  私の不満そうな表情を見たローデン教授は、次のようにも問いかけました。
「日本の植民地支配を非難する韓国人の留学生の一人が、自分の父親が東京帝国大学出身であると自慢げに話した。これは、暗黙のうちに日本が導入した文明のシステムを評価していることになる。本来なら、東京帝大を卒業した父親を非難すべきではないか」
  こう言われてみると、確かに東京大学はもとより京都大学、早稲田大学、慶応大学を卒業したことを誇りにする韓国人は少なくないのです。当然韓国の側に立ってくれると思った第三者のアメリカ人学者の発言は、ショックでした。
  こうして私は1997年に『The doomed empire : Japan in colonial Korea』 (滅亡の帝国:日本の朝鮮半島支配)を、英国で出版しました。
日本の植民地支配下での女性と教育問題を、学問的に整理し、感情論でなく客観的に理解する素材を提供したいと考えたからです。
当初の意図とは異なり、指導教授の理論と主張が盛り込まれました。
この本は、韓国で出版するのはまず不可能でしょう。 また、日本で出版しても、誤解を受け韓国では「親日派」と非難されかねません。
韓国で生活できなくなるかもしれません。
それをあえて覚悟したのは、近代史をめぐる日韓の対立を解消し友好な関係を築くのに微力ながら貢献したいと考えたからです。


ハーバード大学韓国学研究所長のカーター・J・エッカート博士の韓国の梨花(イファ)女子大での講演で、
「朝鮮の資本主義は、植民地支配という環境のなかで最初の真の成長を遂げたのである。確かにこれは不幸なことであり、多くの朝鮮人には認めがたい不快な指摘かもしれない。しかし、それはまぎれもない事実なのである。韓国における歴史教育において、日本の植民地支配を批判するのは理解できるが、ある事ない事をでっち上げて反日教育をしているのは日韓関係に一つもプラスにならない事だ。そのことで韓国のナショナリズムは盛り上がるかもしれないが、それが間違った教育のためだったと分かった時は、彼らはどのような思いを抱くだろうか」と語っている。

Re:やさしい日本人①

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/08 22:11 投稿番号: [3174 / 7270]
>「梅棹忠夫編著」とありましたが
>「戦争・軍隊・植民地」の執筆者は園田英弘とありました。

これは勘違いしていました。訂正します。

>まあ、もともとが「日本文明」を外国人に説明するために書かれた小冊子ですから、
>読んでおけば、外国人とのやり取りの際、場合によっては何らかの「自己防衛手段」になりそうな本です(高校生などには有効かな?)

確かに、日本を帝国主義、侵略的といいながら、それは欧米より学んだことであり、その支配は過酷でなかったと巧妙に表現しているようですね。
でも、こういう紋切り型の書き方をされると、誤解を生むと思うんですよ。たとえば、

>>1875年の江華島事件は、ペリーが日本になしたのと同じことを朝鮮になした事件であった。すなわち、軍事的な恫喝による開国の要求である。

ペリーの黒船以前に、外国軍艦による開国要求事件が沢山あります。
アヘン戦争での清の敗北を、江戸幕府も知っている。
つまり、そろそろ鎖国から開国に切り替えて、外国と交易関係を結んだ方がいいんじゃないかと幕府は思っている。
その時にペリーの黒船がきた。
もちろん、ペリーは空砲を撃ったりして脅迫していますが、町人は黒船見物目当ての屋台まで出て、のんびりしたものです。
そして日米交渉も殺気立ったものではありません。
これと同じように、朝鮮でも仏・米軍と戦闘を交えた鎖国派の大院君から、開国派の閔氏政権へと変わった。
その時期に、日本が軍艦を使って国交を迫った。
それを単純に、「軍事的な恫喝による開国の要求」と書くと、歴史の真実が見えて来ないと思います。

>>古来、東洋の国際的平和は、文明のセンターとしての中国の絶対的な文化的・経済的・政治的実力を前提として、その周辺の国々は中国に恭順の意を表し、中国はこれらの国々の姿勢を是とし、不干渉主義をとることによってたもたれていた。中華思想という中国中心主義は、けっして軍事的な色彩をもたず、文明の感化力に信頼をおく思想であった
>>日清戦争における日本の勝利は、東アジアの伝統的国際秩序の終末を意味した。この勝利によって、文明のセンターであった中国に対する日本人の劣等意識は、優越感に転じた。

これも何か違うような気がします。「中華思想がけっして軍事的な色彩をもたず」とは言えないでしょう。
中原の軍事的覇権を握った者が中国となり、その周辺国を軍事的に脅迫し続けていたのですから。
朝鮮は中国の侵略を受け続け、千年属国ですぞ。(笑)
この時代、中国が西洋にとって無力な「眠れる獅子」であっただけで。

古代中国は文明センターであったのは確かですが、その後は日本にとってどうだったのでしょうか。
平安時代から日本は中国の混乱と中華思想から逃れるために距離を置き、室町の禅宗文化、江戸初期の朱子学が最後でしょうか。
そして、江戸中期からは蘭学を通じて、西洋の優れた文明、文化、学問の存在を知ることになる。
アヘン戦争で、清の停滞も分かった。
その証拠に、中華思想に染まったままの朝鮮との外交交渉が難航すると、中国に事大する朝鮮に日本は嫌気が差して、植民地化が進むアジア情勢の中で、独立国家としての気概を持てという要求をするがダメ。
結局、その気概が持てない朝鮮のために中国と戦い、併合せざるをえなくなる。
また同様に独立国家の形を失った中国のために、ロシアの侵食で日本が圧迫される。
東アジアの軍事的安定化のために、日本がひとりで奮闘せざるを得なくなる。
その延長線で、アジアを植民地化した米英蘭との対立が出てきた。

という善悪抜きのクールな解説ではダメですか。「新しい歴史教科書」より過激?(笑)
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