頑張れイスラエル!

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スナップ写真

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/16 08:15 投稿番号: [1209 / 2453]
なかなかこういう写真が報道されることが少ないので
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021215-00000336-reu-int.view-000

>記念講演

投稿者: tohzainanboku 投稿日時: 2002/12/15 20:30 投稿番号: [1208 / 2453]
suiheisen2002さま
レスが遅くなりましたが、
守口市の記念公演のご報告、ありがとうございました。

小生も日イ親善協会に入会しましたが、
まだイベントには顔を出しておりません。
そのうち機会があればと思っております。

ありがとうございました。

教えてください

投稿者: kazetokomorebi 投稿日時: 2002/12/13 23:22 投稿番号: [1207 / 2453]
①どうして、ヨルダン西岸が問題になるのですか?
②どうして、ヨルダン西岸やイラクに日本赤軍が関わっているのですか?
③イラクのフセインって、預言者ムハンマドの子孫?

有り難うございました、ojin_8823さん

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 20:22 投稿番号: [1206 / 2453]
  実はジャボティンスキーの発想が今こそ必要ではないかと考えています。「哀れで可哀想なパレスチナ人」ではなく、「生きた民族」だという認識が我々に必要な気がするのです。
  そこにいるのは人間として、狡猾さ、激しい憎悪、復讐心、喜び、涙、涙、怒り、怒り、怒りを持った「生きた民族」だと思います。暴力に満ちた無法地帯で、人の哀れみにすがっても、土を食べても、生まれた大地で生き残ろうと決意した「生きた民族」だと思います。それがパレスチナ人を見て不快に感じるイスラエル兵への「生きた民族」に持つことが許された、最初の抵抗であり、イスラエルの一瞬の気のゆるみを一日千秋の思いで待ち続ける姿のような感じがします。

  彼らが如何なる独立への希望も失い、あらゆる平和への希望を失ったとき、民族として「絶対にユダヤ人との共存は不可能」と決意したとき、何が起こるか恐ろしいのです。すべてのユダヤ人がたった一つの希望に死力を尽くしたとき、独立国家が出来たのですから。

  また、「鉄の壁」が存在しない限り、シオニストは民族郷土を無意識に求めてしまいます。「戦争も終わった、占領地をどうするか」、ここで躊躇いが生じます、民族郷土ですから。そこに暴動が知らせが入ります、「やはりしばらくは、我々が管理せねば」と考えるでしょう。テロが起こります、「早く和平を実現せねば。そうだ、過激な奴が入植とか言ってたな、やってみよう。アラブ人も土地が減っていくのを見れば、交渉に応じるだろう。その時返せばいいさ。」と考えるでしょう。そうやって何か口実があると無意識に民族郷土を求め、行動をエスカレートさせるのではないでしょうか?

  しかし、パレスチナ人にとって、そのすべての行動がイスラエルに共存する意志がないと感じるのではないでしょうか?。結局、「われわれを皆殺しにするか追っ払うつもりではないのか?」、「われわれを虐殺するか海に追い落とすつもりではないのか?」という相互不信があり、先ずそれを扇動家が確信して行動する。そして、パレスチナにいるすべてのユダヤ人、アラブ人が確信して、真実となる、「鉄の壁」が存在しない限りは、行き着くところは全面衝突しかあり得ないのでは?、と感じるのです。

  だから、私はパレスチナ人のすべてがテロリストだと考えています。「哀れで可哀想なパレスチナ人」の朝日新聞では解決しません、イジメが終わればそれでいいのですから。「鉄の壁」の必要性を伝える事こそが、ジャーナリストの責務だと思います。残念ながら、日本にはその様な姿勢の報道がありません。

  ojin_8823さん、是非、今後も歪んだアラブ・シンパの「哀れで可哀想なパレスチナ人」像を破壊して下さい。
  出来れば、ojin_8823さんに怒りが向けられないような、アラブ・シンパがパレスチナ人を不快に、怒りの対象にさせるようなスタイルで発言していただくと。例えば「私もパレスチナ人に同情していたのですが、最近信じられないのです。。。」とシンパを装うような(^^;



  大変失礼な発言を繰り返したこと、心からお詫び申し上げますm(_ _)m。
  言い訳させていただきますと、お気づきとは思いますが私は親イスラエルから、シオニストを批判する立場で参加しています。だからアラブのタブーもシオニストのタブーも私にはありません、っていうか何も守ろうとしていません(笑)。圧倒的に有利な立場なのですが、物量を投じて挑発を繰り返すことで失言を引き出したかったのです。すみませんでした。

  こちらからは言いにくいのですが、ojin_8823さんとやり取りを終了させていただけないでしょうかm(_ _)m?、年末ですし、これ以上手の内を見せると今後が。。。(^^;


  f3nasaさんもありがとうございました。ちょっとお休みします(^^;

有り難うございました、ojin_8823さん

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 20:21 投稿番号: [1205 / 2453]
【ジャボティンスキー他、残りについて少々】
  ジャボティンスキーの言動はかなり過激だったようで、1931年の世界シオニスト会議で『ベン・グリオンはジャボティンスキーを「ウラディミール・ヒトラー」と呼んだ。(ユダヤ人の歴史   ポール・ジョンソン)』そうです(^^;
  自警団の名は「ハガナー」ですよね、私は見たことないのですが、ジャボティンスキーが暴動を止めるのにやや過剰な行動に出たのかな?と今のところ考えております。また、初期の入植者には、ガッツの足りないところが見受けられ、話が大げさになる傾向があったようです。(繰り返しになりますが、まだ少人数のユダヤ入植者集団にとって防衛は可能だったとしても、耐えに耐えて一切の挑発行為は取らなかったのだと思います。ただ建国前夜、純粋な独立心からとは言い難い要素が混じってしまったのは仕方がないですね。)
  それが感じられるのは英国によって、彼らが熱望するユダヤ系英国人でワイツマンとは別行動でしていたが、やはりシオニストとしてイスラエル国家を目指していたハーバート・サミュエル=初代パレスチナ高等弁務官が任命されたときの様子です。それは、『ユダヤ人は歓喜して勝利を宣言し、サミュエルが到着すると一斉に苦情と要求を突きつけた。ヴァイツマンは激怒した。「すっかりうんざりしたサミュエル氏が他の人々と同様ユダヤ人共同体に背を向け、われわれは絶好の機会を逃してしまうだろう」と、彼はパレスチナのシオニスト事務局でエドゥ博士に書いた。(ユダヤ人の歴史   ポール・ジョンソン)』からです。
  ただし、入植者も当時プロトコルと持っていた?(か読んでいた)すべての英国兵からは、「ロシアから来た屑ども」として扱われていましたので難しいところです。
  その様子を見て着任したサミュエルは、ユダヤ人である前に英国人として公平に振る舞おうとしてジャボティンスキーを釈放するには、フセイニーの解放も必要だと考え行動したそうです。さらにアラブ人の不満を解消するためにフセイニーを任命しました。

  このように入植者にとっては結局、初めから親ユダヤ政策とはならなかったようです。元々英国はペルシャに持つ油井からパイプラインを引いて地中海側に終端を設置しようとしていた時に、シオニストの話が「ユダヤ人でも同じ西洋人に任せる方が簡単だ」と聞こえたようです。これが成功すれば、1956年にスエズ運河の契約満期を控えていた英国にとって、イラク、ヨルダン、パレスチナと実質的には統治国を通し、安全に石油という戦略物資を確保できたはずなのです。ところが、アラブの反対があまりに強く、ドイツとの戦争を現実の物と感じるようになった英国は、親ユダヤ政策をあっさり捨て、親アラブとなったのです。また、後の第一次中東戦争におけるヨルダンの怪しげな動き、第二次中東戦争の植民地政策むき出しの介入として現れたようです。

  余談ですが、その後は日本の建造技術による、スエズ運河の航行不能なスーパー・タンカーの登場で、運河の戦略的な価値が無くなったこと、北海油田が発見されたと、大英帝国では無くなったことが英国の野心を断念させたようです。入れ替わるようにやってきた米国は当初100%の自給率で単に競合する外資系石油会社のバックに国がついていたので、自国企業の保護のため国務省が先ず介入。輸入国に転じてからは、軍事的な支援。輸入量が経済を左右するようになってからは直接介入となっています。ようするに国家安全保障上、絶対必要量──東京-大阪間の移動に50リットルガソリンが必要なら、1リッター100円でも1000円でも購入しなければならない。石油が持つ性質(逆に安くなってもコストは変わらないので産油国は売りまくる)──を下回ることが出来ないからです。

有り難うございました、ojin_8823さん

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 20:20 投稿番号: [1204 / 2453]
> 当然、協定もその中に入ってくるでしょう。   しかし、協定だけがすべてではないこともわかって欲しいのです。

  文献には、宗教以外の要素が説明されているのですが、「ほとんど宗教だろ」っと思ってました、主張しているうちに思っていることと、知っていることがやっと一致してきました(^^;   ありがとうございます、ojin_8823さん。

  だいたい、アラブ人言うことが大げさだから。イスラエルを殲滅するといった発言を繰り返していたナセル、サダム・フセインも、ナセルは6日で、フセインは地上戦を100時間で止めちゃいましたからね(笑)。負けるとわかれば、COOOLな奴らです。「最期の血の一滴まで戦う」精神はどこにあるんだよぉ〜って感じです。しかし、現在の査察に関して、瀬戸際でごねりまくる姿を見ていると、あれだけ交渉できれば、日本の戦争も違ったかなって感じもします。ユダヤ人もその文明もを受け入れたことで、アラブ人も昔から賢いみたいです(笑)。
  まあ、言葉だけだと本気なのか、分かり難いです。「キリスト教徒を海に追い落とせ!」って12・3世紀に叫びまくってたのですが、戦争中は本気みたいなんですがって感じです。


> この時代の西欧の産業革命を受けて先進国が、まだそれを知らない産業
> が遅れた遊牧民主体のアラブ。   関係の無いところで宣言・協定が勝手
> に行われ、それがアラブの運命を決めていく。   それを目の当たりにし
> たのがアジ・アミン・アル・フセイニであると思っています(偏見だと
> いわれるでしょうが)。

  全く同感です。我が国の近代化に父たち、トルコのケマル、ある意味ではイスラエルのシオニストたちは近代国家を作った。扇動家のフセイニーは闘争を選んだのだと思います。それがパレスチナ人の不幸だった。


> イスラム穏健派が、ことごとく圧制されたのもこの時代ではないでしょうか。

  実は、フセイニーはユダヤ人よりアラブ人を多く殺したらしいです(苦笑)。まさに生粋のテロリスト。が、彼の建国の父とテロリストの分岐点は何だったのか、考えるときもあります。


  それから「鉄の壁」の英文、ありがとうございましたm(_ _)m。

** ル・モンドの記事を利用して、一部、補ってみました。
》   私が言いたいのは、パレスチナのアラブ人との合意が、どんなものであれ完全に論外だという
》 ことではない。彼らの心の中に、いつか我々を追い払うことができるだろうというかすかな希望
》 の光がある限り、どんな美辞麗句や魅力的な約束も、彼らにその希望を捨てさせるには至るまい。
》 それはつまり、彼らが卑しい下層民などではなく、生きた民族であるからだ。そして、生きた民
》 族である以上、『我々を追い払う』という希望が完全に失われ、『鉄の壁』に一部の隙も見出せ
》 なくなるまでは、その存亡にかかわる問題を前にして譲歩することはないだろう。
》   我々を追い払う希望を失った時だけが、我々と共存する話を持ち込むだろう。希望を失った時
》 だけが、現実を直視して、我々の生存と国家を認める協定を結ぶだろう。

》   私には見える、アラブ人が我々の生存を完全に認める協定をさえ持てば、良き隣人としてお互い
》 平和のもとで暮らす様子が。   だがしかし、その協定とは『鉄の壁』だけであり、それは如何なる形
》 でもアラブの支配を受けない強固なイスラエル政府と呼べるものだ、アラブと十分戦えると呼べ
》 るものなのだ。言いかえれば、我々にとって、将来に向けた協定へのただ一つの選択は、今
》 ある如何なる協定への試みも、絶対に拒絶する事だ。

【参考】フランスについて
  1895年1月5日フランスで、ユダヤ人の大尉がただユダヤ人というだけで、犯人に仕立てられ軍を罷免されました。これをジャーナリストとして目撃したテオドール・ヘルツルがその後にシオニズムの創設者となったのです。これがドレフェス事件と呼ばれるもので、近代ユダヤ民族史でもとくに重要な事件です。後にでっち上げと判明したフランスのとっても衝撃的な事件でした。
  故に、バルフォア宣言に対して、『フランスは、全力を挙げてシオニストの主張を支持した。外務省事務総長ジュール・カンボンの1917年6月14日付の手紙は、1918年2月14日、外務大臣ステファン・ピコンの宣言によって確認された。(イスラエル アンドレ・シュラキ著)』程、ユダヤ人に理解を示していたのです。その後の対独協力の反省から差別的なフランス人(これにもナショナリズム発祥の地としての訳があるのですが)なのですが、反ユダヤ主義には厳しい政策をとっているはずです、ユダヤ人の人口調査も法律で禁じていますから。

>フセイニー

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/13 08:52 投稿番号: [1203 / 2453]
▲ marchingpeople さん、こちらこそ返事ありがとうございます。

こうしてやりとりをしていて思ったのですが、あなたと私の食い違いは、宣言や協定で動くパレスチナ対民衆の慣習を含めた動きにあるようですね。

私もあなたに認めねばならないのは、イスラムのコーランは kill とか slay とか fight といった言葉が並ぶ過激なものですが、庶民レベルではそこまで深入りして読みあさる人は少なく、今でいう法律を代返していたのがイスラム教であるように思っています。   つまり、marchingpeople さんが前に発言された、イスラムは異教徒に寛容であったように思っています。   だからエルサレムでユダヤ人が生き延びてこられたのでしょう。

しかし、どうも第一次世界大戦が終わったエルサレムの宗教指導者フセイニの辺りから(1、2年のズレはありますが)、アラブ庶民の感情が急変したように思っています。   そこで登場するのが、きちんと教育を受けた良家のアジ・アミンです。
この時代の西欧の産業革命を受けて先進国が、まだそれを知らない産業が遅れた遊牧民主体のアラブ。   関係の無いところで宣言・協定が勝手に行われ、それがアラブの運命を決めていく。   それを目の当たりにしたのがアジ・アミン・アル・フセイニであると思っています(偏見だといわれるでしょうが)。
で、どうするか。   民衆蜂起という彼の結論に達したのではないでしょうか。   そして、その矛先がまずは身近なユダヤ人が対象となった。   また、それは「異教徒と戦え」というコーランの教えとも合致する。   イスラム教に立っている限り、この思想を止めるものは何もありません。   そのことが、金キラ金のエルサレムのモスク復興に現れたのではないでしょうか。

なお、【当初】は意地を張っておりますが、当然、協定もその中に入ってくるでしょう。   しかし、協定だけがすべてではないこともわかって欲しいのです。
何故なら、ユダヤ人がエルサレムに居られたのは寛容なイスラム圏であったからに他ならないからです。   それはイスラムの中に穏健派という方たちがいたということでもあります。
イスラム穏健派が、ことごとく圧制されたのもこの時代ではないでしょうか。

>対話で和解

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 00:31 投稿番号: [1202 / 2453]
こんにちは、f3nasaさん
== =f3nasaさんの返事 == =

『悪法も法』である、と答えておきます。(ちなみにこの発言は、国連決議が悪法であるとの趣旨を含めた事を意味するものではありません。)

ソクラテスとその弟子クリキントンの対話を某 Webmaster が要旨に纏めたものを引用すると、

ソ「どんなにしても、故意に不正を行ってはならないということになる。」
ク「無論、そうだ。」
ソ「そうすると、たとえ不正な目にあったとしても、不正の仕返しをするということは、世の多数の者が考えるようには、許されないことになる。」
ク「それは、明らかにそうだ。」
ソ「ところで、どうかね。害悪を加えると言うことは、クリトン、なすべきことなのかね。それとも、なすべからざることなのかね。」
ク「無論、なすべからざることだと思うね。」
ソ「で、どうだね。害悪を受けたら、仕返しに害悪を与えると言うことは、世の多数の者が主張しているように正しいことなのだろうか。それとも、正しくないことなのだろうか。」
ク「それは、決して、正しいことではない。」
ソ「つまり、人に害悪を与えるとということは、不正な目にあわすということと、ちっとも違ってはいないからだ。」
ク「君のいうことは、本当だ。」

http://www.infoibis.ne.jp/~ecr33/akuhou.htm


……いやはや、流石はソクラテス。なかなか含蓄の有る言葉でございますな(笑



>だからアラブも戦争に踏み切ったのでしょうね。

歴史の if の部分、すなわちもしもアラブが中東戦争に勝利していたならば、
イスラエルは既に地図上には無く数十万人規模の犠牲者がパレスチナの土と
化した事であろうかと想像されますが marchingpeople 氏の御意見では、
やはりあれはアラブの大儀に基づいた戦いであり、聖戦という名に相応しいと
お考えでしょうか?

==================== =

  聖戦なるものがこの世にあるとは思えませんが、正戦はあると思います。ソクラテスは「法」について語っておりますから、勧告決議に従わないのは問題なく、集団的自衛権を行使したことになります。当然、第51条に従って「とった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない」ですけどね。
  ということで、アラブ側は初めから正戦なのですが(1948年5月22日の安保理決議までですけど)、イスラエルに自衛権が発生するのは独立国家となってからです。少なくとも、分割決議のイスラエルと示された範囲を超えて攻撃するのは違法です。

  ところでプラトンは「クリトン」の中で、f3nasaさん紹介していただいた内容の続きでソクラテスが、『不正を行うことも、不正に報復することも、我々が禍害を加えられたとき禍害をもってこれに答えることによって自ら防御することも、すべて正しくないという原則から出発して、』といって問答を続けています。

  どうでしょう?、私たちもこれにならって、イスラエルにとって正戦になった瞬間を探ってみませんか?、f3nasaさん。ですが、クリトンになった気持ちでf3nasaさんには「止めた方が良い」と助言しておきます(^^;

  もっとも、悪法も法なりと考え、黙って処刑されたソクラテスの話に納得するユダヤ人などいるとは思えませんので、やっぱり法の問題じゃないですよね。


> この件に関しかなり拘りが有るようにお見受けしますので、一度イスラエル大使館に
> 直接お尋ねになられては?

  いえ無いです、合理的な説明が付くものが他にあればそれでいいです。それに大使館に答えられる人がいるのでしょうか?、まあ、ヘブライ語のHPぐらいは紹介してくれると思いますが。

> 結果をこの掲示板に掲載して下さる事を楽しみにしているのは、僕だけでは無いと思われます。

  別に正史を作るわけではありませんけど、あの段落について終わったらメールしてみようかと思ってます。それにもしかしたら、「絶対探し出してやる」と気合いを入れてくれる人がいれば十分です。イスラエルへの理解が深まりますからね。

フセイニー

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 00:29 投稿番号: [1201 / 2453]
お返事ありがとうございます、ojin_8823さん
== =ojin_8823さん返事 == =

>同書から、アラブ穏健派について。
>》 実際そこここで、いくつもの案が出されていた。穏健派のアラブ人指導者たちは、ムフティの手
>》 先からの暗殺の脅しを受けながらも、パレスチナをアラブとユダヤの二つの国家に分割する解決
>》 策の可能性を、外交筋を通じて明らかにしていた。また、スイスのようないくつかの州からなる
>》 連邦政府を作ってはどうか、という案もあった。ヘブライ大学学長のイェフダー・マグネスの率
>》 いるグループは、アラブ人とユダヤ人の「連合国家」樹立をめざして奔走していた。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1195

▲ヤケクソで添付されたらしい↑の資料だけど(逆に利用させて頂き、ありがとうございます   :-))、 marchingpeople さんさ、それをアラファトの叔父フセイニは↓のように奨励したんでしょうに(嘲笑:また斜め読みですか?)。


>> 彼はさらに、アラブとユダヤ人の協調はイスラエル郷土発展の貴重な機
>> 会にだけ在ると確信した、すべてのアラブ人への拷問と殺戮を奨励した。
                    **引用元は英文(marchingpeople)**

だから、イスラエル大使館の「【当初】シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、結局うまくいかなかった」で良いのと違いますかねぇ♪

======================
↑私の目にはこんな感じに映るのですが。。。


  ご紹介させていただいた内容は分割案が話題になる30年代の話です。初期の入植の様子として『ヘルツルはパレスチナをよく知っているホルマン・ハントが「アラブ人は芝刈りと水くみをする者でしかない。ユダヤ人に非常に便利なサービスを提供してくれるだろう。だから彼らを追い立てる必要などない」という言葉を信じた。(ユダヤ人の歴史   ポール・ジョンソン)』とあります。だから違いませんか?

  なお、ジョンソン氏は別の著作「アメリカ人の歴史」でユダヤ系アメリカ人のキッシンジャーから賞賛されてます。また例のミルトス本「イスラエル vs.アラブ   真実と誤解」で「西側は反シオニズムであった」という箇所で氏の記事を引用されている方です。

  ちなみに、甥のアラファトについて語るとき、良かったら↓のもう一人の甥についての人物評を参考にして下さい。
》 彼(フセイニ)は、エルサレムの名家の出身である。父親のアブデルカデル・アル・フセイニは
》 48年の第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)で戦死した伝説のパレスチナ人闘士である。宗
》 教上の元指導者ムフティの甥でもあるファイサル・フセイニはほぼ20年間にわたり、占領地域
》 のPLOの政治部門ファタハで陰の指導者を務めている。シャミル首相はファタハとの関わりを
》 理由に、フセイニをテロリストだとみなしていた。これについては私たちの情報では確かたる証
》 拠はないのだが、イスラエル側は信じて疑わなかった。フセイニはおそらくもっとも信頼できる
》 パレスチナ人だが、イスラエルは彼をパレスチナの代表としては決して認めないと思われる。
    ──シャトル外交   激動の四年   ジェームス・A・ベーカーIII 他著──

  父親ブッシュ大統領の国務長官だったベーカー氏は、マドリッド会議開催の大立役者です。弁護士出身のベーカー氏の交渉相手を見極める能力と、情熱がなかったら開催は不可能だったでしょう。大使館もマドリッド会議の開催はかなり良い評価をしていると思います、「イスラエルは現在162ヵ国と国交をもつが、うち70ヵ国は1991年のマドリード会議開催以来新たに加わった国である。」
http://www.israelembassy-tokyo.com/peace/fop/index.html


他は別の日に(^^;

そろそろ

投稿者: natas_fo_dlihcdnarg 投稿日時: 2002/12/13 00:19 投稿番号: [1200 / 2453]
核でも使ってみたらどうだろう。
せっかく持ってるんだから。

ソは間違ってますな。

投稿者: natas_fo_dlihcdnarg 投稿日時: 2002/12/13 00:17 投稿番号: [1199 / 2453]
>ソ「つまり、人に害悪を与えるとということは、不正な目にあわすということと、ちっとも違ってはいないからだ。」

頑張れイスラエル!

>>対話で和解

投稿者: f3nasa 投稿日時: 2002/12/12 20:50 投稿番号: [1198 / 2453]
>つまり「シオニストは人種差別主義だ」とした国連決議が後に撤回されたように、
>内容がいかがわしければ分割決議も撤回されべきで、イスラエルもそれに従うべきだと
>お考えでしょうか?、あるいは私と同じ立場なら、 やはり決議内容の正当性とは?
>もちろん、イスラエルが決議は不当だと感じたら従う必要はないと思います。
>だからアラブも戦争に踏み切ったのでしょうね。

『悪法も法』である、と答えておきます。(ちなみにこの発言は、国連決議が悪法であるとの趣旨を含めた事を意味するものではありません。)

ソクラテスとその弟子クリキントンの対話を某 Webmaster が要旨に纏めたものを引用すると、

ソ「どんなにしても、故意に不正を行ってはならないということになる。」
ク「無論、そうだ。」
ソ「そうすると、たとえ不正な目にあったとしても、不正の仕返しをするということは、世の多数の者が考えるようには、許されないことになる。」
ク「それは、明らかにそうだ。」
ソ「ところで、どうかね。害悪を加えると言うことは、クリトン、なすべきことなのかね。それとも、なすべからざることなのかね。」
ク「無論、なすべからざることだと思うね。」
ソ「で、どうだね。害悪を受けたら、仕返しに害悪を与えると言うことは、世の多数の者が主張しているように正しいことなのだろうか。それとも、正しくないことなのだろうか。」
ク「それは、決して、正しいことではない。」
ソ「つまり、人に害悪を与えるとということは、不正な目にあわすということと、ちっとも違ってはいないからだ。」
ク「君のいうことは、本当だ。」

http://www.infoibis.ne.jp/~ecr33/akuhou.htm


……いやはや、流石はソクラテス。なかなか含蓄の有る言葉でございますな(笑



>だからアラブも戦争に踏み切ったのでしょうね。

歴史の if の部分、すなわちもしもアラブが中東戦争に勝利していたならば、
イスラエルは既に地図上には無く数十万人規模の犠牲者がパレスチナの土と
化した事であろうかと想像されますが marchingpeople 氏の御意見では、
やはりあれはアラブの大儀に基づいた戦いであり、聖戦という名に相応しいと
お考えでしょうか?

>そしてファイサル-ワイツマン協定の当事者なのです。それ故に、略史では
>取り上げにくい功績を除くと協定しかないのですが、失敗した部分に名を出すのは
>躊躇いがあって「当初シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、
>結局うまくいかなかった。」と表現したのではないかと思ったわけです。

この件に関しかなり拘りが有るようにお見受けしますので、一度イスラエル大使館に
直接お尋ねになられては?結果をこの掲示板に掲載して下さる事を楽しみにしているのは、
僕だけでは無いと思われます。

>フセイニーとジャボティンスキー

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/12 12:27 投稿番号: [1197 / 2453]
>それで、紹介してくれた英文のフセイニーが10年、自衛団の幹部が15年の刑はフセイニーが軽いのか、ジャボティンスキーが重いのか「ル・モンド」の記事を読んで迷っていたのですが、今は、はっきりしました。ところで、ジャボティンスキーは何をしたのでしょうか?

▲そうだね、「ル・モンド(記事↓)」の仏国は当時、覇権主義の張本人だもんね。
marchingpeople さん、覇権主義の「歴史から学んでいる」のはこれのこと(爆)?


>》   しかし、この「鉄の壁」の精神を受け継いだのは、ムッソリーニが「ファシスト」と認知した
>》 ジャボティンスキーの後継者たちだけではない。
http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/articles02/0201.html

▲ん??   『ムッソリーニが「ファシスト」と認知した』???
おいおい、気でも狂ったんですか(爆)??


Our credo, as the reader can see, is completely peaceful.

Seventy years ago, the unification of Italy was achieved, with the retention by Austria of Trent and Trieste. However, the inhabitants of those towns not only refused to accept the situation, but they struggled against Austria with redoubled vigor.
http://www.marxists.de/middleast/ironwall/ironwall.htm

アラブ人側の心を知るにつけ、絶望感が見えます。

In other words, for us the only path to an agreement in the future is an absolute refusal of any attempts at an agreement now.

▲ marchingpeople さん、このような歪曲は止めてくれませんか、みっともない(爆)。
どちらが「偏見」なのでしょう。   「訂正をお願いしたい」のは私の方ですよン   :-)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1193

>負け犬

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/12 08:18 投稿番号: [1196 / 2453]
▲どうも marchingpeople さん、又してもの盛り沢山のノイズをありがとうございます   m(_ _)m


>難民問題(2)で、私は20年から39年にかけての話をしましたから、フセイニーに一言触れてますよ。「後半では現地の状況がプロトコルを信じさせた可能性はあると思います、フセイニーがナチス・ドイツを頼ったこともありますしね。」

▲だからさ、日中韓の歴史問題じゃないけど反省しなさいよ、少しくらいさ   :-)
加害者がそのように反省するどころか威張るから、中国・韓国にスキャンくらっているんでしょう?
同じ日本人として、中にはこういう人がいるから困ったものです♪

>フセイニーもカポには味方したって事ですか、残念ですよ。が、断罪する前に何故そうせざるを得なかったのか徹底的に解明することで、歴史の教訓としたいですね。

▲だから、本当に教訓になってると思ってるわけ(爆)。
だったら、無差別自爆テロじゃあなく、話し合いをすれば。
PLO自治政府がテロをやっているということが、世界の常識に当てはまると思っているトンデモ marchingpeople さんであることが明らかとなった形だ(朝日新聞流に)♪


>同書から、アラブ穏健派について。
>》 実際そこここで、いくつもの案が出されていた。穏健派のアラブ人指導者たちは、ムフティの手
>》 先からの暗殺の脅しを受けながらも、パレスチナをアラブとユダヤの二つの国家に分割する解決
>》 策の可能性を、外交筋を通じて明らかにしていた。また、スイスのようないくつかの州からなる
>》 連邦政府を作ってはどうか、という案もあった。ヘブライ大学学長のイェフダー・マグネスの率
>》 いるグループは、アラブ人とユダヤ人の「連合国家」樹立をめざして奔走していた。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1195

▲ヤケクソで添付されたらしい↑の資料だけど(逆に利用させて頂き、ありがとうございます   :-))、 marchingpeople さんさ、それをアラファトの叔父フセイニは↓のように奨励したんでしょうに(嘲笑:また斜め読みですか?)。


>> He also encouraged the torture and murder of all Arabs who
>> correctly understood that Arab cooperation with Jews was a
>> precious opportunity for the development of the Land of Israel.

だから、イスラエル大使館の「【当初】シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、結局うまくいかなかった」で良いのと違いますかねぇ♪


▲ところで、「負け犬」ってどちらです(爆)??

> 民族主義フセイニとアラファト

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 21:51 投稿番号: [1195 / 2453]
やっぱ、人格攻撃してもつまんねーわ、ホントに。
ojin_8823さん、失礼な発言に対してお詫び申し上げます。
ごめんなさいm(_ _)m。

  同書から、アラブ穏健派について。
》 実際そこここで、いくつもの案が出されていた。穏健派のアラブ人指導者たちは、ムフティの手
》 先からの暗殺の脅しを受けながらも、パレスチナをアラブとユダヤの二つの国家に分割する解決
》 策の可能性を、外交筋を通じて明らかにしていた。また、スイスのようないくつかの州からなる
》 連邦政府を作ってはどうか、という案もあった。ヘブライ大学学長のイェフダー・マグネスの率
》 いるグループは、アラブ人とユダヤ人の「連合国家」樹立をめざして奔走していた。

負け犬

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 21:51 投稿番号: [1194 / 2453]
  ojin_8823さんは、17年から20年のお話をされているのですよね?、それと一つ助言いたしますと。私は他で確認しますので問題視しませんが、シオニスト系のHPから引用して、「こんなひどい奴だ」と叫んでも、詳しくない人には『朝日新聞を振りかざしながら「我々は正しい」と主張している北朝鮮シンパ』とどこが違うんだ?って混同されるよ。

  難民問題(2)で、私は20年から39年にかけての話をしましたから、フセイニーに一言触れてますよ。「後半では現地の状況がプロトコルを信じさせた可能性はあると思います、フセイニーがナチス・ドイツを頼ったこともありますしね。」


> ▲ノーベル賞の田中さんじゃないですが、marchingpeople さんのノイ
> ズの多さはなかなかのものですな(爆)。
> この中から本物を見つけるのに苦労します   :-)

  偽物を明確にご指摘下さい、それが知りたいのですから。


> 同じ URL に載ってるフセイニのページを「隠ぺい」する辺りは、何か朝日新聞みたいですな(爆)。
> http://www.eretzyisroel.org/~jkatz/husseini.html

「朝日新聞みたい、じゃなくて朝日新聞そのものだ」でもかまいませんよ。「双方の歴史観」の違いを確認できればね。


> この写真、話しかけられた兵士のヘルメットって見覚えの個性的なヘル
> メットですなぁ。
> marchingpeople さん、何処の国のでしたっけ(爆)??

  フセイニーもカポには味方したって事ですか、残念ですよ。が、断罪する前に何故そうせざるを得なかったのか徹底的に解明することで、歴史の教訓としたいですね。


> ▲これが、「賃金高騰に対する不満」の声ととらえて良いのでしょうかね??
> His battle cry was simple and comprehensive: "Down with the Infidels!"

  「フセイニーの扇動は単純だがすべてを意味していた『異教徒を追放せよ!』」ぐらいですか?
  元がアラビア語だと思いますので正確なのかわかりませんが、"Infidel"は辞書で調べますと「昔キリスト教徒とイスラム教徒同士で用いた」とあります。十字軍と比較してアラブが寛容だった話しはご存知ですよね?、ちなみに、十字軍の遠征でエルサレムに残ったユダヤ人は2家族だけだったそうですよ。

> どこが「高騰に対するフセイニ」なのでしょう(嘲笑)。

  フセイニーがサラディンの再来だったら婦女子を巻き込むような卑劣なことはしなかったでしょうね。事実は、名門の落ちぶれていくことに対しての抵抗とか、恨み辛みが主たる動機でしょうね。


> もっとも、こんな声もありますが。
> He also encouraged the torture and murder of all Arabs who
> correctly understood that Arab cooperation with Jews was a
> precious opportunity for the development of the Land of Israel.

> ▲おやおや、「アラファトのおじさん」がフセイニなんだってさ♪♪♪

> アラファト、しっかり家系を引き継いでますな(爆)。

  フセイニーのことは、後ほどいくらでもお付き合いしますよ(苦笑)。だから、アラファト愛好家のojin_8823さんに、ちょっと我慢してもらうためにご褒美あげとく、ほらっ



「イスラエル建国物語   (メイヤ・レヴィン著)」から
》 ムフテイはテロ作戦を展開した。パレスチナのアラブ人たちにためらいがあると、シリアから殺
》 し屋集団として知られるファウジ・エル・カブーキ一派を呼びいれた。パレスチナのアラブ人た
》 ちは、大部分が隣人のユダヤ人との平和な暮らしを望んでいた。しかしムフティの雇ったシリア
》 人の殺し屋達をかくまわなければ、彼らは殺された。フセイニーー家のライバル、ナシャシービー
》 家寄りのパレスチナ・アラブ人136人が、ムフティの手先によって殺された。いずれも重要人
》 物で、その中にはエルサレムの元市長やヘブロン市長も含まれていた。

アラファトを彷彿させるようで、涙が出るぐらいうれしいでしょ?
そんなに、しっぽ振らなくてもいいって、あ"ーもう、舐めなめるの止めてよ。


どうでしょうか、これで「2度とレスいたしません」っていう口実になったでしょうか?、ぼくの優しさね。

訂正を願いします > ojin_8823さん

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 20:58 投稿番号: [1193 / 2453]
あのー、中東における当時の英国の外交方針をご存知無いのは仕方がないにしても
================================

英国軍は何の統治をしていたのでしょうね?

▲最悪なのは、フセイニがエルサレムの「ムフティ」という宗教指導者の地位についたことですよね。
このとき、英国は選挙で4番目であったフセイニを、あの手この手を使ってその指導者の地位につかせた。
案の定、1920 年の暴動に続いて翌年( 1921 年)も、めでたくアラブ人暴動と相成った。
知っていたんでしょ、英国はフセイニの思想を?
だから、あなたの所見(英国政府の方針にかかわらず、現地の英国将兵が反ユダヤっていうか親アラブだった話は、あまりアラブ側の文献には出てきません)とはまったく違う、f3nasa 氏も述べた↓のように言われいるのです(是非、ここでの random walk 的斜め読みは右からお願いしますよ(爆))。



The British encouraged the Palestinians to attack the Jews. Haj Amin took the Colonel’s advice and instigated a riot. The British withdrew their troops and the Jewish police from Jerusalem, allowing the Arab mob to attack Jews and loot their shops. Because of his overt role in instigating the pogrom, the British decided to arrest him. Haj Amin escaped, however, and was sentenced to 10 years imprisonment in absentia. A year later, some British Arabists convinced High Commissioner Herbert Samuel to pardon Haj Amin and to appoint him Mufti. By contrast, Vladimir Jabotinsky and several
of his followers, who had formed a Jewish defense organization during the unrest, were sentenced to 15 years’imprisonment.
http://www.us-israel.org/jsource/History/mufti.html

================================
なんか偏見ありませんか?

(爆)でも(藁)でもかまいませんが、ハーバート・サミュエルのリンクぐらいは確認したらいかがでしょうか?
リンク先について一言申し添えるのなら、サミュエルを任命したのは、ワイツマンに大いに協力したロイド・ジョージ首相です。

何を勘違いされてるのか知りませんが、その点の報告と訂正をお願いします。

もし、しばらく様子を見ても、やらないようなら私が責任を持って訂正します。
ですが、ojin_8823さんの信用が「北朝鮮シンパの戯れ言」程度まで、がた落ちしますよ。

「当初」とは?

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 20:56 投稿番号: [1192 / 2453]
> ▲ウーン、なんか答えがズレてるよねぇ(笑)。   そうではないでしょう?

  私もなんかojin_8823さんの答えがズレてるような感じがします。繰り返しになりますがファイサル-ワイツマン協定は署名があっても合意内容が無効な協定です。ですから「アラブ人にはこの協定が受け入れられることはなかった」という以前の話なのです。

  私が協定にこだわる理由として「当初シオニスト側」の「和解の道」が「協定」しか思い浮かばないからです。
  何故そう思うのかもう少し説明させていただきますと、その前文で「ユダヤ人の輸送機関」や「ユダヤ人の町」と表現し「シオニスト」ではありません。なので「当初シオニスト側」の表現は、政治的な活動を意味するだろう思う点が一つ。

  もう一つは歴史、「外国の占領下」において、シオニズム創設者のヘルツル、力のベングリオンはあるのに、知のワイツマンの名が出てこない点です。
  ワイツマンが建国前に果たした役割を失礼とは思いますが簡単に説明しますと、ヘルツルのイギリスとの外交努力で当時の植民相チェンバレンが「約束の地をウガンダに」と提案しました。この提案は多数の支持があったにもかかわらず、ワイツマンがシオニスト会議で葬り、運動の方向をパレスチナと決定づけたこと。
  科学者として戦時中にアセトンの大量生産の技術を開発し英国の戦争に貢献し、政権に深く入り込んでバルフォア宣言の草案をまとめ上げたことです。
  そしてファイサル-ワイツマン協定の当事者なのです。それ故に、略史では取り上げにくい功績を除くと協定しかないのですが、失敗した部分に名を出すのは躊躇いがあって「当初シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、結局うまくいかなかった。」と表現したのではないかと思ったわけです。ojin_8823さんはどう思いますか?

フセイニーとジャボティンスキー(2)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 20:42 投稿番号: [1191 / 2453]
  それで、紹介してくれた英文のフセイニーが10年、自衛団の幹部が15年の刑はフセイニーが軽いのか、ジャボティンスキーが重いのか「ル・モンド」の記事を読んで迷っていたのですが、今は、はっきりしました。ところで、ジャボティンスキーは何をしたのでしょうか?

》 「私が言いたいのは、パレスチナのアラブ人との合意が、どんなものであれ完全に論外だという
》 ことではない。彼らの心の中に、いつか我々を追い払うことができるだろうというかすかな希望
》 の光がある限り、どんな美辞麗句や魅力的な約束も、彼らにその希望を捨てさせるには至るまい。
》 それはつまり、彼らが卑しい下層民などではなく、生きた民族であるからだ。そして、生きた民
》 族である以上、『我々を追い払う』という希望が完全に失われ、『鉄の壁』に一部の隙も見出せ
》 なくなるまでは、その存亡にかかわる問題を前にして譲歩することはないだろう」

》 これは、ゼエヴ(ウラジーミル)・ジャボティンスキーが1923年、「鉄の壁(アラブ人と
》 我々)」と題して発表した文章からの引用である。10年後、いわゆる「修正主義」シオニズムの
》 創始者である彼は、世界シオニスト機構と袂を分かつことになる。ヨルダン川両岸にまたがるユ
》 ダヤ人国家建設のために戦おうとせず、その目的に向けて強力なユダヤ人軍隊を編制しなかった
》 ことを非難したのである。現在のリクード党は、この修正主義運動の流れを汲み、イルグン、レ
》 ヒ、さらにヘルートといった組織を経て現在へと至る。そして、当初は労働党(旧マパイ党)に
》 所属していたアリエル・シャロンが、メナヘム・ベギン、イツハク・シャミルに続き、ジャボ
》 ティンスキーの後継者たるリクード党首に就任した。

》   しかし、この「鉄の壁」の精神を受け継いだのは、ムッソリーニが「ファシスト」と認知した
》 ジャボティンスキーの後継者たちだけではない。
http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/articles02/0201.html

  当初、扇動家のフセイニー、ジャボティンスキーだけが相手の本質を見抜いていた。これが悲劇だった。

フセイニーとジャボティンスキー(1)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 20:41 投稿番号: [1190 / 2453]
> 更に第二次世界大戦では、「あからさまにナチスの支援を受け、シリア
> に逃げたフセイニ」が事実ではありませんか?
> ナチスがユダヤ人に対してどういう感情を持っていたかは知っていますよね   :-)
> それがフセイニという人物なんでしょ?

  暴動の背景には詳しそうですね。フセイニーが名家の出身で悪党だには同意見です。
  ただ、「1920 年 4 月 7 日のアラブ人暴動」の当時、「わが闘争」は出版されてませんよね?、ojin_8823さんが17年から20年の話をされているので、そこは限定して検証しましょう。
  勿論、ナチスと組んだ後のフセイニーの悪行についても知りたいので、是非、ご面倒でしょうがお付き合い下さいm(_ _)m。



> ▲ところで、その 1920 年のアラブ人暴動では、英軍の元ユダヤ人部隊
> らがこれを予見して自衛団を作っており、この暴動のとき騒ぎを聞きつ
> けて直ぐに駆けつけたものの、英国軍に旧市街の城門で阻止されてし
> まった。   押し問答の末、やっと現場にたどり着いたら暴徒の略奪に
> 遭っていた。   そして殺害とレイプ(処女を失うはイスラムでは汚れた
> の意)。
> marchingpeople さん、違いますか?

  20年の暴動以降、悲惨さは増すばかりなのですが初めの暴動がこれほど衝撃的だとは。私は「パレスチナ民政に関する中間報告」ぐらいのの情報しか知らなかったので、暴動はもっと政治的な対立と思ってました。だから、多くの死傷者と店舗が略奪されたことぐらいしか知りませんでした

「パレスチナ民政に関する中間報告」
Meanwhile, however, a section of native opinion in Palestine was becoming disturbed as to the meaning of British policy. Welcoming release from Turkish misgovernment, anxious to accept the benefit of British assistance in securing an efficient administration, it was uneasy as to the implications of the Balfour Declaration. To instal the Jews in Palestine might mean the expulsion of the Arabs. If there were an unlimited Jewish immigration and finally a Jewish majority in the population, how could the safeguards embodied in the second half of the Declaration be enforced? The ownership by the Arabs of their lands and homes would be imperilled. The Moslem Holy Places, and particularly the Haram-esh-Sherif on Mount Moriah, might be taken from them. Quotations from the speeches and writings of Zionist leaders, which were said to justify these forebodings, were translated into Arabic and circulated by the press among the people. An organization was formed, with branches in many parts of the country, to combat the application of the Zionist policy. Individuals or groups, in Palestine or elsewhere, who had some interest in causing embarrassment to the Administration, stimulated the agitation. The wildest stories as to the intentions of the Jews and the fate awaiting the Arabs were circulated in the towns and villages, and were often believed by a credulous people. Among a section of the Arabs, who had all previously lived on excellent terms with the Jewish population, a bitter feeling was evoked against the Jews. It was fostered and developed until it culminated in a serious outbreak in the streets of Jerusalem in April, 1920, when a number of Jews were killed and wounded and Jewish shops were looted.
http://domino.un.org/UNISPAL.NSF/a47250072a3dd7950525672400783bde/349b02280a930813052565e90048ed1c!OpenDoc ument

  これ自体も痛ましいことなのですが、ojin_8823さんが教えてくれた話は、はるかに凄惨なものなんです。この内容は当時の治安裁判所の記録でしょうか?、ジェノサイドのようにイスラエル政府が生存者の証言を集めたものでしょうか?、直接読んでみたいので教えて下さい。
  だから、ユダヤ難民たちの苦情をなだめようとして。希望する高等弁務官が任命されたのですね。あまりの喜びに一斉に苦情と要求を弁務官に突きつけたので、ワイツマンは難民たちに激怒したらしいですが仕方がないですね。

民衆史ですか?(2)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 20:28 投稿番号: [1189 / 2453]
> 実際問題、1917 〜 1920 年当時、どれほどのパレスチナに住むアラブ
> 人たちがこの内容を知っていたとお思いでしょうか?

  第一次大戦でエルサレムの解放を目指し、アラブ人が戦った相手はイスラム教徒のトルコ人です。解放に歓喜したアラブにとって、仮にトルコ人でもペルシャ人でもエルサレムを乗っ取ろうとしたら激しい衝突になったと思います。だから、学識の高いユダヤ人家系の出身でフランスで法学を学び、世界イスラエル同盟の常任委員としてイスラエルのために働いたアンドレ・シュラキ氏が著書の「イスラエル」で『1921年以降、流血の紛争が相次いで突発した。アラブ人は「ユダヤ民族郷土」に対して増大する敵意を絶えず表明した。』と述べています。
   だから、ojin_8823さんが仰るとおりフセイニーが画策した「1920 年 4 月 7 日のアラブ人暴動」の前に、難民の増加に不安を感じたアラブが「協定ってなんだ?」と反ユダヤな将兵たちに聞いた可能性もありますよね?


  最初の質問に戻って申し訳ないのですが「当初シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとした」内容を教えて下さいm(_ _)m。

民衆史ですか?(1)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 20:27 投稿番号: [1188 / 2453]
> ラジオもない状況で急に協定違反とかアジっても、庶民にはチンプンカ
> ンプン(宇宙人の世界)と違いますか?

  ラジオがない事と、協定が理解できるかは別問題でしょうね。プロトコルにはワケワカランかも知れませんが、協定は自分にかかわる事ですからね。イスラムもユダヤも律法の宗教と言われるぐらいですから、契約にうるさくありませんか?。
  ただしラジオもない状況でですからojin_8823さんの仰るとおり「情報の少ない地域環境にあったから故」に正確さに欠けていたと思います。

> それより、大事な日常生活に密着したアラーの冒涜(アラーに背く者、
> 地獄へ落ちる)だと私は思いますけどね   :-)

これと以下は矛盾しているように感じるのですが。。。

》 当初シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、
》 結局うまくいかなかった。それ以後、シオニズムとアラブ民族主義は
》 完全に離反し、いつ衝突してもおかしくない対立関係へとつき進んだ。

  ojin_8823さんが「当初シオニスト側」について言及してくれないので、推察するしかないのですが、「当初ユダヤ難民たち」の意味で捉えているのですよね?
  そうすると、地元のユダヤ人は「アラーの冒涜」を知ってます。ユダヤ難民たちの場合、冒涜ととられかねない事は地元民と相談して厳に控え、出身地でそうだったように宗教的儀式もひっそり行いますよね?、「和解の道をさぐろうとした」ならば。
  つまり「当初シオニスト側」が難民たちを意味するのならば、細心の注意を払っている難民たちの様子を指して、冒涜していると扇動するのは難しいと思います。やっぱり現地の状況を反映させて、まず第一に「乗っ取ろうしている」と扇動すると思いますが。その根拠に協定は有効です。
  実際は、ユダヤ難民たちはアラブ人にあまり注意を払っていなかったようですよ。

  たぶん口頭で扇動したみたいで、正確なアジテーションの記録が無いようなのです。ですが「パレスチナ(笹川   正博 著)」に当時について触れた箇所に。。。
》   移民政策は、土地の購入とともにシオニストがもっとも重視した政
》 策であったが、大衆の感情に訴えるフセイニーの巧みな扇動によって、
》 アラブ大衆はバルフォア宣言に対する漠然たる不安を確信にまで強め
》 るようになる。
もっとも著者は元朝日新聞カイロ支局長です(笑)。一応、フセイニーと会見してその時の写真も載ってますけどね。

  信頼性について不明ですが、ネットで見つけたのは。。。
He celebrated his succession by organising a Jewish pogrom in May 1921, followed by the annual anti-Balfour riots.
1921年5月、彼(フセイニー)は、例年の反バルフォア暴動に伴い、ユダヤ人虐殺を組織化したことを祝福した。
Muftism and Nazism
http://notendur.centrum.is/~snorrigb/mufti1.htm

  ですから、≪良家のおぼちゃまらしく教育を受けたことが、西欧の覇権主義、あるいは世界経済の知識を得ることになった≫フセイニーならば、ファイサル-ワイツマン協定も「ユダヤが土地をだまし取ろうとしている証拠だ」とか扇動に利用したと思いますよ。
  それで、「バルフォア宣言だ!」とか「ファイサル-ワイツマン協定!」だとかだけ叫んでもそれこそ≪チンプンカンプン≫でしょうから、今のイラクに対する安保理決議を精査している一般人がいないように、すべてのアラブ暴動参加者が内容を正確に把握していることはあり得ませんが、少なくとも歪んだ形で知っていた可能性もありますよね?

  ただし、20年の暴動にのみ限れば、前年に成立した協定について周知されてないかも、逆に生々しい記憶かも知れませんが。それに暴動が増加するにしたがいフセイニーが宗教的な対立も利用したのは事実です。だから反バルフォア暴動がアラブとか朝日の腐れ記者のプロパガンダでもかまいませんよ。

> アラファトはテロリスト

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 20:25 投稿番号: [1187 / 2453]
> ▲長文をどうも、marchingpeople さん。

こちらこそ、ご返答ありがとうございます。今度も長文です(笑)。

> こんな治安すらできない、また働き口もないパレスチナが、果たして本
> 当に国として独立してやっていけるんですかね。   他人事ながら良く心
> 配になりませんなぁ(爆)。

  湾岸戦争終結後、年間40億ドルの資金援助を受けている国が、米国の政策に反する占領地への入植をやりたいから、100億ドルの保証人になってくれって要求した話しご存知ですよね?、ゆすり、たかりの様な話しですが、返す当てもあったんでしょうかね(苦笑)。
  あっ、今は年間援助額も半減してるんでしたっけ?、それにしても開発途上国以上ですね。まあ、テロが経済的苦境の原因なのだから、そのためにも和平は必要不可欠ですね。


> >私は「アラファトはテロリストだ」でも証明されたのなら、そんなもん
> だろうと思ってます。感じとしては、今まで生き延びたのだから狡猾な
> 面もある、テロと対話を使い分ける輩だと思っています。

> marchingpeople さん、発言に大人としての責任を持ちましょうや   :-)

  言葉が足りなかったようで申し訳ございません。
  アラファトがイスラエルの安全にとって大きな障害なんですよね?、ならば拿捕事件の後の大規模な侵攻作戦でアラファトを監禁して追放しようとした時に、、「アラファト議長が購入を命じた武器が発見されたということは、中東情勢の緊張を高めるという戦略を選択したということだ」とまでシャロンは言ってたのですから、証拠を見せたら良かった。武力がダメならちょっと強引な軍事裁判でもかまわないでしょ?、確信できるだけの証拠を持っているのだから、シャロンは。
  まさか、他国の非難が怖いとか、でも確実なら非難しないでしょう、少なくとも政府レベルでは。

  アラファトが障害なら排除すればいい、だけど排除しない。ただ侵攻の口実になるだけ。うんざりしませんか?
  だから「アラファトはテロリストだ」でも証明されたのなら、そんなもんだろうと思ってますよ。
  もし、排除できないなら、交渉するしかないでしょ?、軍事行動でテロなんか減っていないんだから。


> ▲そういえば先月、ハマスが治安警察を殺したので、その犯人検挙に現
> 地に出向いたらハマスに無視されたなんてことがありましたし、ジェニ
> ンでは、今年春の虐殺疑惑のとき、アラファト議長が慰問に訪れようと
> したら演壇が燃やされたりして、ヘリコプターから降りることすらでき
> なかった。
> 最近は、やはりスンニ派イスラム諸国から見放されている金欠症のアラ
> ファト議長と違いますか。
> それを承知で「割り切って交渉する」って、外交の常識でしょうかね?

  当然です。外交を展開したって、金がかかる訳じゃないし犠牲者が増える訳でもないでしょ?、故ラビン首相が秘密交渉中にアラファトを盗聴していたように、対策すればいいでしょ?


> イスラエルの元ペギン外相は、「パレスチナは雄軍割拠の状態にあり、
> 誰と交渉すればいいのか?」とこぼしておりました   :-)

  イスラエルは泣きを入れて、同情されて建国した国家じゃないの、わかる?
  ベングリオンはとてつもない障害を前にしてこう言ったの、「我々は、白書がないものとして戦争に協力して戦い、そして、また戦争がないものとして白書と戦う」
  だったらさあ、「アラファトをパレスチナ代表として扱い、アラファト個人をテロリストとして糾弾する」ことができるでしょ?、多くの同胞が無惨な殺され方をしている状況で、「アラファトが・・・」、「テロリストが・・・」って馬鹿じゃないの。
  言っとくけど、テロリストに無抵抗にしてろって意味じゃないよ、だけど建物にブルドーザーで八つ当たりしたってテロは減らないよ。

  まあ、愚痴の一つや二つは聞いてあげないとね。

  ところで、アラファト好きのojin_8823さんには申し訳ないけど、それより拿捕から侵攻までについてojin_8823さんのご意見を聞かせてくれませんか?

民族主義フセイニとアラファト

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/11 15:15 投稿番号: [1186 / 2453]
>大使館によると「強烈な反ユダヤ感情」によって起こったとなっています。この反ユダヤという言葉は反米などと違う響きがあります。頻繁にこの言葉を使うやり方は、異論を封殺して闘争を正当化した全体主義者にそっくりです。もし当時の状況が「反ユダヤ」だと表現するのが適切でないならば、それはジェノサイドを巧みに利用して、犠牲者を冒涜する行為に他ならないと考えています。
>当時については概要しか分からないのですが、20年代から39年はその前後も合わせて、人口動態が大幅に変化した次期です。その中でもとくに激増したのが、ユダヤ人だったことに異論がないと思います。
>当時の経済的状況については知らないことの方が多いのですが、オスマン・トルコ統治下においてロスチャイルドらによる支援により、入植者は資金が豊富でアラブ労働者も使い景気が良かったみたいです。が、この事は農奴のような扱いを受けていたアラブ人にとっては有り難い事ですが、それは賃金の高騰を意味しますのでフセイニーを初めとしたアラブ支配者層は快く思わなかったでしょう。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1180

▲ノーベル賞の田中さんじゃないですが、marchingpeople さんのノイズの多さはなかなかのものですな(爆)。
この中から本物を見つけるのに苦労します   :-)

約80年前のエルサレムの宗教指導者・ハジ・アミン・アル・フセイニ(Haj Amin al Husseini)、せっかくファイサル-ワイツマン協定を教えてくれたのに
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1167

同じ URL に載ってるフセイニのページを「隠ぺい」する辺りは、何か朝日新聞みたいですな(爆)。
http://www.eretzyisroel.org/~jkatz/husseini.html

この写真、話しかけられた兵士のヘルメットって見覚えの個性的なヘルメットですなぁ。
marchingpeople さん、何処の国のでしたっけ(爆)??

▲これが、「賃金高騰に対する不満」の声ととらえて良いのでしょうかね??
His battle cry was simple and comprehensive: "Down with the Infidels!"

もっとも、こんな声もありますが。
He also encouraged the torture and murder of all Arabs who correctly understood that Arab cooperation with Jews was a precious opportunity for the development of the Land of Israel.

どこが「高騰に対するフセイニ」なのでしょう(嘲笑)。

▲おやおや、「アラファトのおじさん」がフセイニなんだってさ♪♪♪
His mix of militant propagandizing Islam was an inspriation for both Yasser Arafat and Saddam Husein: He was also a close relative of Yasser Arafat and grandfather of the current Temple Mount Mufti. "Arafat's actual name was Abd al-Rahman abd al-Bauf Arafat al-Qud al-Husseini. He shortened it to obscure his kinship with the notorious Nazi and ex-Mufti of Jerusalem, Haj Muhammed Amin al-Husseini."

アラファト、しっかり家系を引き継いでますな(爆)。

>難民問題(2)

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/10 08:36 投稿番号: [1185 / 2453]
▲貧乏なアラブ庶民と違い、良家のおぼちゃまらしく教育を受けたことが、西欧の覇権主義、あるいは世界経済の知識を得ることになったフセイニは、当時の今をときめくビン・ラディンであった、と違いますか?
これらの暴動で移民は減少し、反対にこれを恐れてパレスチナを脱出する逆転現象まで起きていますよね。
終わってみれば、このことが暴動(暴力)はシオニズム運動を妨げることが出来る、という根拠(過去の実績)となった。
アラファト、しっかり勉強してますなぁ   :-)

▲結局、暴動に影響を与えたのはフセイニの過激な民族主義であり、ファイサル-ワイツマン協定はこの暴動に影響を与えていない。
ラジオもないメディアのまだ整備されてない庶民の無知に付け込んだ扇動がアラブ人の中に定着した。
あなた流のアラファト議長の所見並に、ファイサル-ワイツマン協定が暴動に関与との証明には至らず、

》 当初シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、
》 結局うまくいかなかった。それ以後、シオニズムとアラブ民族主義は
》 完全に離反し、いつ衝突してもおかしくない対立関係へとつき進んだ。

いかがでしょう?

>難民問題(1)

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/10 08:34 投稿番号: [1184 / 2453]
>> 実際問題、1917 〜 1920 年当時、どれほどのパレスチナに住むアラブ
>> 人たちがこの内容を知っていたとお思いでしょうか?

>これは後述するアラブ扇動家フセイニーが、バルフォア宣言を使って不安を煽ってたので、「協定も詐欺行為の証拠だ」とかアジってたと思いますよ。内容を正確に把握してた人は、少ないと思いますが。

▲ウーン、なんか答えがズレてるよねぇ(笑)。   そうではないでしょう?
私の記憶では、エルサレム生まれのパレスチナの名門・フセイニ家のハジ・アミン・アル・フセイニは、パレスチナのイギリス軍政庁の顧問官をやっていたジャーナリスト下がりだった、と記憶していますけど。
1920 年 4 月 7 日のアラブ人暴動は、第一次世界大戦後間もない当の戦時国でしたから、情報の少ない地域環境にあったから故ではないでしょうか。
そんな折、「モスクをユダヤ人が乗っ取ろうとしている」と扇動した首謀者がフセイニ(ヨルダンに逃亡)ではないのですか?
日本の石油ショックのときのように、テレビがあっても何故石油ショックなのかもわからずトイレット・ペーパー買占めに走ると同列でしょ。
ラジオもない状況で急に協定違反とかアジっても、庶民にはチンプンカンプン(宇宙人の世界)と違いますか?
それより、大事な日常生活に密着したアラーの冒涜(アラーに背く者、地獄へ落ちる)だと私は思いますけどね   :-)

更に第二次世界大戦では、「あからさまにナチスの支援を受け、シリアに逃げたフセイニ」が事実ではありませんか?
ナチスがユダヤ人に対してどういう感情を持っていたかは知っていますよね   :-)
それがフセイニという人物なんでしょ?

▲ところで、その 1920 年のアラブ人暴動では、英軍の元ユダヤ人部隊らがこれを予見して自衛団を作っており、この暴動のとき騒ぎを聞きつけて直ぐに駆けつけたものの、英国軍に旧市街の城門で阻止されてしまった。   押し問答の末、やっと現場にたどり着いたら暴徒の略奪に遭っていた。   そして殺害とレイプ(処女を失うはイスラムでは汚れたの意)。
marchingpeople さん、違いますか?

英国軍は何の統治をしていたのでしょうね?

▲最悪なのは、フセイニがエルサレムの「ムフティ」という宗教指導者の地位についたことですよね。
このとき、英国は選挙で4番目であったフセイニを、あの手この手を使ってその指導者の地位につかせた。
案の定、1920 年の暴動に続いて翌年( 1921 年)も、めでたくアラブ人暴動と相成った。
知っていたんでしょ、英国はフセイニの思想を?
だから、あなたの所見(英国政府の方針にかかわらず、現地の英国将兵が反ユダヤっていうか親アラブだった話は、あまりアラブ側の文献には出てきません)とはまったく違う、f3nasa 氏も述べた↓のように言われいるのです(是非、ここでの random walk 的斜め読みは右からお願いしますよ(爆))。



The British encouraged the Palestinians to attack the Jews. Haj Amin took the Colonel’s advice and instigated a riot. The British withdrew their troops and the Jewish police from Jerusalem, allowing the Arab mob to attack Jews and loot their shops. Because of his overt role in instigating the pogrom, the British decided to arrest him. Haj Amin escaped, however, and was sentenced to 10 years imprisonment in absentia. A year later, some British Arabists convinced High Commissioner Herbert Samuel to pardon Haj Amin and to appoint him Mufti. By contrast, Vladimir Jabotinsky and several
of his followers, who had formed a Jewish defense organization during the unrest, were sentenced to 15 years’imprisonment.
http://www.us-israel.org/jsource/History/mufti.html

>アラファトはテロリスト

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/10 08:25 投稿番号: [1183 / 2453]
>私は「アラファトはテロリストだ」でも証明されたのなら、そんなもんだろうと思ってます。感じとしては、今まで生き延びたのだから狡猾な面もある、テロと対話を使い分ける輩だと思っています。

▲長文をどうも、marchingpeople さん。
パレスチナ自治政府の親分が、主流派(多数派)のテロ行為を知らないは、通らないでしょう。   日本の自民党が裏で拉致をしながら拉致問題を論ずるは、「証明されたのなら」もくそもないのではありませんか?
そんないい加減な論理ですり合わせ?   それは常識ってもんじゃあないですか。
marchingpeople さん、発言に大人としての責任を持ちましょうや   :-)


>まあ、「パレスチナ・アラブのベギン」と割り切って交渉するしかないでしょ?、有能な政治家を期待して待っているのは、イスラエルらしくありません。それが絶望を糧としても生き抜き、奇跡の独立を果たした同胞たちに「包括的な平和の推進と達成のために、あらゆる糸口、あらゆる可能性を探り尽くすように」と故ラビン首相が願ったことではありませんか?

▲そういえば先月、ハマスが治安警察を殺したので、その犯人検挙に現地に出向いたらハマスに無視されたなんてことがありましたし、ジェニンでは、今年春の虐殺疑惑のとき、アラファト議長が慰問に訪れようとしたら演壇が燃やされたりして、ヘリコプターから降りることすらできなかった。
最近は、やはりスンニ派イスラム諸国から見放されている金欠症のアラファト議長と違いますか。
それを承知で「割り切って交渉する」って、外交の常識でしょうかね?

イスラエルの元ペギン外相は、「パレスチナは雄軍割拠の状態にあり、誰と交渉すればいいのか?」とこぼしておりました   :-)
こんな治安すらできない、また働き口もないパレスチナが、果たして本当に国として独立してやっていけるんですかね。   他人事ながら良く心配になりませんなぁ(爆)。

>対話で和解

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/09 20:32 投稿番号: [1182 / 2453]
こんにちは、f3nasaさん


> 現在のパレスチナ指導者は、自爆テロ実行犯の家族に報奨金を齎す以外の政策として、
> 雇用の創出と生産性の向上に対し、どのようにその実現に取り組んでいるのでしょうか?

  申し訳ございません。今の自治政府がそんなことするのか?って偏見があるせいか、見たことありません。せいぜい原因を想像するぐらいですが、いくらオスロ合意のご祝儀といっても、いきなり膨大な資金援助を行ったのはまずかった、和平の進捗状況を見ながら小出しにすれば良かったと思います。結局、国家がないけど金があるというのが、自治政府の腐敗を作ったのでしょう。もっと監視しないとね。


> >イシュヴの経済的繁栄に惹きつけられたアラブ移民が食える状態だったのは、

  これも申し訳ございません。私も中東経済史など全く知らないのです。以前読んだ「イスラエル vs. アラブ   誤解と真実   (ニアイースト・リポート 編   滝川義人 訳)」という本があって、訳者のまえがきに「”神話”となっている中東常識の誤りを訂正しつつ客観的な事実関係の情報を提供してくれる解説書が待たれる。本書はその期待に答え得ると思う。」と推奨しています。
  その中に現在のパレスチナ難民は、22年以降に他国からユダヤの経済的繁栄に惹きつけられたアラブ移民が一杯いるって話があり、ちょっと気になっただけですm(_ _)m。


> イスラエルの建国はバルフォア宣言の履行と、後の国連の決議により正式に採択された
> ものですが、

  私はたとえ決議がなかったとしても、多数案に準じて建国を宣言していれば多くの国が承認したでしょうから、この点を以てイスラエルの独立国家としての正当性に疑う余地など一切ないと考えています。
  決議が正当な手続に従ったものだとは理解していますが、f3nasaさんは内容も正しいとお考えでしょうか?
  つまり「シオニストは人種差別主義だ」とした国連決議が後に撤回されたように、内容がいかがわしければ分割決議も撤回されべきで、イスラエルもそれに従うべきだとお考えでしょうか?、あるいは私と同じ立場なら、やはり決議内容の正当性とは?
  もちろん、イスラエルが決議は不当だと感じたら従う必要はないと思います。だからアラブも戦争に踏み切ったのでしょうね。ちなみに、前出の本の巻末資料に中東略史、決議、条約やPLO憲章まで載せているのですが、分割決議が何故か無い(苦笑)。


> アラブのシンパが約束、すなわちフセイン=マクマホン協定を反古にして
> 現在の苦境に陥れた元凶である英国を声高に非難しないのは何故なんでしょうね?

  よく知らないでは?、私は親父も含めてチャーチルが嫌いです。親父はアイルランド問題を扇動して選挙に勝った奴ですし、本人は人種差別主義者で帝国主義者で、もしドイツに生まれてれば歴史的にも正しい評価が下されたと思ってますよ。まあ、連合国側でパール・ハーバーを共に喜んでくれた、数少ない人物だって事は認めます(笑)。

難民問題(2)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/09 20:31 投稿番号: [1181 / 2453]
  これらを背景に支配権を失う危機感を抱いたアラブ支配者層が、アラブ民衆を巧みに扇動した結果が暴動につながったのだと思います。強いて言えば宗教的な対立もあったかもしれませんがそれよりも、十字軍に対するトラウマやオスマン・トルコからの解放を喪失する危機感の方が強いと思います。

  それで反ユダヤ主義があったのかについて。彼らと当初に接触があったのはユダヤ人と英国人ぐらいでしょう。ユダヤ人が反ユダヤ主義を持ち込んだとは考えられません。英国人の場合だと考えられますが、いきなり「ユダヤ人には角がはえてる」みたいなキリスト教的妄想を吹き込んでも、欧州から来たユダヤ人よりも聖地にいるユダヤ人を先に知っていたイスラム教徒には、訳の分からない話でしょう。
  プロトコルについても聞かされていたかも知れませんが、社会制度に対する意識が薄く、部族間で争っていたアラブに支配がどうしたと言っても、そのまま受け入れられたとは思えません、どうでしょう?。ただ、後半では現地の状況がプロトコルを信じさせた可能性はあると思います、フセイニーがナチス・ドイツを頼ったこともありますしね。

  しかし、米国においても19世紀末から差別的な移民政策が行われていた当時、アラブが爆発的に増える難民に反感を持つのは仕方がないことです。ですから「彼らの強烈な反難民感情は、1920年、1921年、1929年そして1931年から39年にかけて、反難民暴動となって爆発した。」ぐらいですね。

  一応、大使館を基準にしてまとめますと、「合法的な乗っ取りを妨害された」は行動としてはそうなのですが、シオニストが「パレスチナに人はいない」と勘違いしたのが原因で、「乗っ取ろう」として行動を開始したわけではない事。「強烈な反難民感情」と「反難民暴動」ではくどいですし、全体を通して「強烈」だったのか疑問です。暴動を一方的にアラブが仕掛けたのは事実ですが、シオニストが仕掛けなかったのは、増加し続けてはいてもマイノリティが報復的な行動を繰り返すのは自殺行為ですし、後年は闘争の矛先を英国に向けざるを得なかった点を考慮して、

》   ユダヤの民族再興と祖国再建運動は、アラブの民族主義者によって
》 妨害された。彼らの強烈な反ユダヤ感情は、1920年、1921年、1929年
》 そして1931年から39年にかけて、反ユダヤ暴動となって爆発した。

については、以下が妥当だろうと思います。

》   ユダヤの民族主義者は、アラブの民族主義者と対立した。現地では、
》 1920年、1921年、1929年そして1931年から39年にかけて、反移民暴動
》 となって爆発した。

いかがでしょう?

難民問題(1)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/09 20:19 投稿番号: [1180 / 2453]
それで話を戻しまして、

> 実際問題、1917 〜 1920 年当時、どれほどのパレスチナに住むアラブ
> 人たちがこの内容を知っていたとお思いでしょうか?

  これは後述するアラブ扇動家フセイニーが、バルフォア宣言を使って不安を煽ってたので、「協定も詐欺行為の証拠だ」とかアジってたと思いますよ。内容を正確に把握してた人は、少ないと思いますが。
  それで、イスラエル大使館の歴史、「当初」が協定を指すならイスラエルも重視されているのでは?、勿論、別なことならば、「当初シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、結局うまくいかなかった。」が妥当かも知れません。


> また、ファイサル-ワイツマン協定の1年後の 1920 年のアラブ人暴動
> は、なぜおきたとお思いでしょうか?

この箇所の再考ですね?
》   ユダヤの民族再興と祖国再建運動は、アラブの民族主義者によって
》 妨害された。彼らの強烈な反ユダヤ感情は、1920年、1921年、1929年
》 そして1931年から39年にかけて、反ユダヤ暴動となって爆発した。

  大使館によると「強烈な反ユダヤ感情」によって起こったとなっています。この反ユダヤという言葉は反米などと違う響きがあります。頻繁にこの言葉を使うやり方は、異論を封殺して闘争を正当化した全体主義者にそっくりです。もし当時の状況が「反ユダヤ」だと表現するのが適切でないならば、それはジェノサイドを巧みに利用して、犠牲者を冒涜する行為に他ならないと考えています。

  当時については概要しか分からないのですが、20年代から39年はその前後も合わせて、人口動態が大幅に変化した次期です。その中でもとくに激増したのが、ユダヤ人だったことに異論がないと思います。
  当時の経済的状況については知らないことの方が多いのですが、オスマン・トルコ統治下においてロスチャイルドらによる支援により、入植者は資金が豊富でアラブ労働者も使い景気が良かったみたいです。が、この事は農奴のような扱いを受けていたアラブ人にとっては有り難い事ですが、それは賃金の高騰を意味しますのでフセイニーを初めとしたアラブ支配者層は快く思わなかったでしょう。
  さらに1905年の第7回シオニズム会議でパレスチナを民族郷土とすることが明確にされ運動の方向が定まったことで、増え続ける人口に対処するため、パレスチナのユダヤ社会も次第に雇用者として同胞を雇う傾向があったと思います、当然、世界恐慌の影響もあったでしょう。もし、大部分のアラブ労働者が暴動が頻発している時点でも、ユダヤ人に雇われていたのならば暴動の度に休む事を不審に思ったはずです。
  また、運動そのものが民族郷土を目指している以上、現地の事情はどうあれ土地の買収が行われています。ようするに敵対的買収によって合法的な乗っ取りを試みています。だから「ユダヤの民族主義者は、アラブの民族主義者によって合法的な乗っ取りを妨害された」程度でしょうか。

アラファトはテロリスト(2)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/09 20:18 投稿番号: [1179 / 2453]
  まあ、PLOの幹部が関与していたらしいですから、今のところ言えるのは、アラファトはテロと対話を使い分ける輩ぐらいでしょうか。
  でも、『抗議デモに参加した人々は、サアダト議長を解放しなければ、パレスチナ自治政府のアラファト議長はパレスチナ人の手によって殺害される可能性があると警告した。   PFLP議長の逮捕に対する抗議行動は、アラファト議長に対する抗議となり、主流派と反主流派の支持者のあいだで、小競り合いや怒号の応酬となった。   デモ隊は、「アラファトはサダト(元エジプト大統領)の運命をたどるだろう」などと叫んだ。(ロイター)』を見ると、アラファトは常に身内から脅かされている輩かも知れませんね。
  カリンA拿捕直後に「ソラナEU代表、イスラエル側との会見後もアラファト議長支持を表明」し、パウエル国務長官はやはり直後にPLOの関与はあるが、アラファト議長との関与はまだ見つかってないと述べたので、一瞬、彼らが朝日新聞の国際版でも読んでいるのかと思ったのですが(笑)、案外アラファトも政治家だって可能性も捨てきれなくなってきます。

  しかし、『イスラエルのシャロン首相に対する戦争犯罪訴訟で重要な役割を果たしていた元民兵組織のリーダー、エリエ・ホベイカ氏の爆弾による暗殺事件」や、シャロンの「アラファト議長を”抹殺”すべきだった』発言を読むと、侵攻直前に証拠の隠滅と虐殺に紛れて証人を抹殺した可能性もありますよね?

  私は「アラファトはテロリストだ」でも証明されたのなら、そんなもんだろうと思ってます。感じとしては、今まで生き延びたのだから狡猾な面もある、テロと対話を使い分ける輩だと思っています。
  それで、アラファトがパレスチナの代表者として相応しいのかって話だったら、「あの年齢でだから追放した土地でポックリ逝かれたらパレスチナ人の反感だけが残るでしょ」と思ってます。本人に残された野望もやはり年齢を考えると「パレスチナ初代大統領」ぐらいでしょう。下手にパレスチナを愛している非妥協的な人物が出てくるぐらいなら、アラファトの方が無難だと思いますよ。
  まあ、「パレスチナ・アラブのベギン」と割り切って交渉するしかないでしょ?、有能な政治家を期待して待っているのは、イスラエルらしくありません。それが絶望を糧としても生き抜き、奇跡の独立を果たした同胞たちに「包括的な平和の推進と達成のために、あらゆる糸口、あらゆる可能性を探り尽くすように」と故ラビン首相が願ったことではありませんか?

アラファトはテロリスト(1)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/09 20:17 投稿番号: [1178 / 2453]
こんにちは、ojin_8823さん

> 今起こっているパレスチナの現実に、なかなかここを訪れるパレスチ
> ナ・シンパの方が答えてくれないものですから   :-)

  お察しします。領主さまの言葉しか信じない熱烈な北朝鮮シンパみたいな、シオニスト・プロパガンダ盲信者の方も見かけますから。


> 当のアラファト議長はテロを非難しているのにPLO主流派は反対にテ
> ロをしているという矛盾は、どう理解すればよろしいのでしょうか?

  ご存知と思いますが、PLOはゲリラ組織が集合したものでパレスチナ内のアルカイダ・ネットワークとも言えます。だからアラファトはテロの最高指令者とか最高指導者とも考えられますよね?、それで、アラファトの化けの皮も遂にはがれる時が来たかとおもったんですよ。
  米国のジニ特使の再派遣を目前とした今年の1月4日、50tの武器を積んだカリンAが拿捕されましたよね。これはイスラエルがノアの方舟作戦と命名し8カ月前から追跡して、海軍と空軍のF-14が2機参加したほどの力の入れようです。しかも公海上の作戦でしたので、一歩間違えれば他国と戦争になっていたはずですから、相当確実な証拠に基づいて決行したはずです。
  実際、武器は押収されましたし、船主がパレスチナ人だという書類も提示してシャロンが「アラファトが直接関与している」と叫んでましたしね。
  さらにジェニンの侵攻の一因ともなってまして、『ラマラの議長府の包囲についてベンエリエゼル・イスラエル国防相は同日、改めて観光相暗殺事件の容疑者3人と今年1月の武器密輸船拿捕(だほ)事件の容疑者1人の引き渡しを要求した。(毎日新聞)』とあり、議長府から相当量の書類などを押収してましたからアラファトの命運も尽きたなと確信したのです。

  それが、『昨年9月19日付の文書はアラファト議長の支援組織「ファタハ」活動家から議長にあてたとみられるもので、パレスチナ解放機構(PLO)の紋章入り。テロに関与したとみられるパレスチナ人3人の名前とともに、アラビア語で「計2500ドルの財政支援を要求する」と書かれていた。文書の隅に「各人に600ドルずつ割り当てる」と書き込まれている。(毎日新聞)』ぐらいで後が続かないのです。この程度なら捏造写真好きの朝日新聞の謝礼の方が多いじゃないかって思ってしまいます(笑)。
  シャロンもこの頃、アラファト追放を目指してましたから、潜入している諜報員を待避させ、持っている確実な証拠を見せてしまえばよかった思います。それに、PLOが同じことをして証拠を開示しなかったらでっち上げだと皆思いますよね?、だからPLOと同一視されないためにも見せて欲しかった(もしかしたら、続報があります?)。

Al Qaeda in Israel

投稿者: f3nasa 投稿日時: 2002/12/09 08:00 投稿番号: [1177 / 2453]
パレスチナ自治政府は、ウサマ・ビンラディン氏の組織「アルカイダ」がガザ地区で活動中であるように見せかける偽装工作を行っているとして、イスラエルの情報機関モサドを非難した。

パレスチナ側は、イスラエルのシャロン首相が対パレスチナ攻撃を正当化できるよう、こうした工作が行われている、と主張している。

シャロン首相は5日、報道関係者らとの昼食会の席上、アルカイダが対イスラエル攻撃を目的として、ガザ地区とレバノンに拠点を構えた、とコメント。ただ、詳細については言及しなかった。

この発言について、パレスチナ自治政府のアラファト議長は、ヨルダン川西岸ラマラの議長府で記者団に対し、「パレスチナ人に対する攻撃や犯罪を隠すための、あまりにも大きなデマ」と述べた。

http://www.reuters.co.jp/news_article.jhtml?StoryID=1869186&type=worldnews

Arafat: Israel Seeking Cover for Military Campaign

Yasser Arafat said on Sunday Israel was using trumped-up accusations of Palestinian links to al Qaeda and U.S. threats of war on Iraq as cover for stepping up its military campaign in Palestinian areas.

Arafat said in an interview with Reuters at his battered West Bank compound that Israeli Prime Minister Ariel Sharon had made clear he had no desire for peace and instead was intent on escalating military operations against the Palestinians.

The Palestinian president, under pressure at home and abroad for democratic reforms, also said a general election set for January 20 would have to be delayed unless Israeli forces withdrew from all Palestinian-ruled cities and towns.

Sharon said on Thursday Osama bin Laden's al Qaeda network, blamed by Washington for the September 11 attacks, had established a presence in Palestinian-ruled areas of Gaza and in Lebanon, aiming to attack Israel.

"A big, big lie. He wants to cover his military attacks against the Palestinians now with a new face," Arafat said in a cramped room in one of the few buildings left standing at his Ramallah complex following an Israeli army siege in September.

http://www.reuters.com/newsArticle.jhtml?type=worldNews&storyID=1870771

♪♪♪♪♪

真相はどうなのか、正直申し上げて僕には判断付きません。より詳しい情報を持っている方に御意見賜りたいと存じます。

NHKの「イラク情勢2002」

投稿者: sevenwhitebird 投稿日時: 2002/12/08 23:37 投稿番号: [1176 / 2453]
見た方いらっしゃいますか?

私はTVはついてたけど、見ることができませんでした。
イスラエルはいつものごとく、悪いイメージで放送されてたような気がしました。

*************************

NHKスペシャル
   「イラク情勢2002」

  アメリカが武力攻撃も辞さない構えを見せるなか、大量破壊兵器をめぐる国連の査察がスタート。イラク情勢は、緊迫した状態が続いている。

  今年1月、ブッシュ大統領から「悪の枢軸」と名指しされたイラクは、国内に向けては臨戦体制をとり、同時に周辺諸国とのつながりを強化している。この10月、7年ぶりとなる大統領選では、“100%の信任”がサダム・フセイン大統領に与えられた。

  また、ともに「悪の枢軸」とされたイランとの関係は急速に改善され、イラン・イラク戦争時の捕虜交換も本格化、イスラム教シーア派の巡礼団がイラク南部にある聖地・ナジャフ、カルバラに引きも切らず訪れている。

  一方で、慎重な態度を取り続ける周辺国……。イラクの石油に100%依存するヨルダンは、2か月分の備蓄をすでに完了。国内のイスラム原理主義の動きに神経をとがらせながら、アメリカとイラクとの間を揺れ動く。

  番組では、イラク攻撃への緊張が高まるなか、イラクとその周辺国の今を記録し、アメリカが推進する「対テロ戦争」の裏側で、活発に連携する中東世界の素顔を紹介。

*********************

アラブ市民が宗教で熱くなっているその中で、政治家たちは、現実的な駆け引きの中で宗教を利用してるような気がする。
TVほとんど見てないから、見てた方いらっしゃったら、内容教えてください。

>>対話で和解

投稿者: f3nasa 投稿日時: 2002/12/08 16:21 投稿番号: [1175 / 2453]
>アラブの大儀といっても、民衆レベルではそんなもんかも知れませんね。

そりゃあそうです。どんなに御大層な大儀を振りかざしたところで、
それでメシが食えるようになる訳でもなんでも無いんで……

なかなか西側のメディアばかりを見ている僕の目には伝わってこない事項なのですが、
現在のパレスチナ指導者は、自爆テロ実行犯の家族に報奨金を齎す以外の政策として、
雇用の創出と生産性の向上に対し、どのようにその実現に取り組んでいるのでしょうか?


>イシュヴの経済的繁栄に惹きつけられたアラブ移民が食える状態だったのは、

中東経済史にも疎いもので、なかなか marchingpeople 氏に満足して頂けるような
答えを導けないのが心苦しいですが、インティファーダ前のパレスチナ経済が
イスラエル経済におんぶに抱っこ状態だって事は、何らかの資料を通して
確認した事があります。


>英国政府の方針にかかわらず、現地の英国将兵が反ユダヤっていうか親アラブだった話

後世の今となっては当時の英国が三枚舌外交の政策に則って行動していた事は、色んな
文献を通して知ることが出来ますが、当時、現地の将校でそういった全体の事情を
把握していた人はいないんじゃないでしょうか。ロレンス自身が功遂げた後、
母国の豹変振りに身の置き場を無くして苦悩した事は有名な話であると思われます。

イスラエルの建国はバルフォア宣言の履行と、後の国連の決議により正式に採択された
ものですが、アラブのシンパが約束、すなわちフセイン=マクマホン協定を反古にして
現在の苦境に陥れた元凶である英国を声高に非難しないのは何故なんでしょうね?

協定 1 年後のアラブ人暴動

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/08 13:04 投稿番号: [1174 / 2453]
>それで、イスラエル大使館の略史というのはパレスチナ・シンパの多い日本では強調が必要だろうぐらいの趣旨だと思ってます(笑)。それで私としては、この強調と感じる部分を取り除く課程でシオニストの言い分が知りたいのですが、いきなりojin_8823さんを大使館の代弁者のように仕立て上げるのは勝手すぎるので興味がなかったら言って下さい。実は発言した後に、やっぱり面倒な作業だなと思ってきたもので(^^;


▲いえいえ、「パレスチナ・シンパの多い日本」に仕立て上げているのが、なにを隠そうクォリティペーパーを自称する朝日新聞というメディアで、そのトンデモ偏向報道に憤慨している昨今です   :-)

marchingpeople さんに朝日新聞で質問があるのですが(いきなり朝日新聞社に見立ててすみません)、
アルアクサ殉教者旅団というPLO主流派ファタハの武装部門があり、これがあからさまに無差別テロ自爆テロをやっておりますよね。
当のアラファト議長はテロを非難しているのにPLO主流派は反対にテロをしているという矛盾は、どう理解すればよろしいのでしょうか?
今起こっているパレスチナの現実に、なかなかここを訪れるパレスチナ・シンパの方が答えてくれないものですから   :-)



>ですのでこの協定が両者の署名があっても、法的拘束力を持たず履行されなかったことに抗議しないのです。シオニストの資料からよく抜け落ちているので、「なぜ、協定が存在するのに・・・」と奇妙に感じていた方も多いと思います。


▲単純な疑問があるのですが、「マクマホン書簡」とか「ファイサル-ワイツマン協定」は、今はこのようなネットがあるので誰でも直ぐに閲覧できる環境にありますが、実際問題、1917 〜 1920 年当時、どれほどのパレスチナに住むアラブ人たちがこの内容を知っていたとお思いでしょうか?

ちなみに日本の場合、「JOAK、JOAK、ジェー、オーゥ、エーィ、ケーィ、こちらは東京放送局であります」は、1925 ( 大正14 ) 年3月22日午前9時30分、東京・芝浦の仮放送所から東京の空に流れたのだそうです。
http://www.nhk.or.jp/strl/aboutstrl/evolution-of-tv/p04/

▲また、ファイサル-ワイツマン協定の1年後の 1920 年のアラブ人暴動は、なぜおきたとお思いでしょうか?



>》 当初シオニスト、アラブの両指導者に協力関係があったが、結局うま
>》 くいかなかった。それ以後、・・・

>いかがでしょう?


▲そうですね、これらの返事が来てから更に熟慮してみます   m(_ _)m

アルキア航空

投稿者: aletheiajp 投稿日時: 2002/12/08 10:26 投稿番号: [1173 / 2453]
こんなサイトを見つけました。

http://www.sankei.co.jp/databox/attacks_kenya/FrameSet.htm

○EU諸国を味方に付ける為には、1999年6月に結んだトルコとの軍事同盟を破棄することです。頭の柔軟なジェム氏はもういません。完全なイスラム原理主義政権ではありませんか。

> 対話で和解

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/08 08:11 投稿番号: [1172 / 2453]
はじめましてf3nasaさん、コメントありがとうございます。


> イスラエルとアラブの経済格差に関する言及はこちらのレポート、
>
> The 1929 Riots
> http://www.eretzyisroel.org/~samuel/britainriots.html
> からも読み取れますが、結局のところ今も昔も変わらない問題の本質は、
> 食い詰めたアラブがその不満をユダヤにぶつけてるって事じゃないです?

すみません、自信がないのですがこのページ違う感じが。。。ただ、フセイニーを初めとする地元の実力者がシオニストの経済支配を恐れて、まさに「状況が創出されねばならなかった」んでしょうね。まあ、今のテロリスト幹部と思考的に大差がない。そして案外、人気もあるところが似ています(苦笑)。

> 人種や主義に関係無く、メシが食えてりゃ人間はかなりの事にも耐える事が出来ますが、
> 食い詰める状況に追い込まれたなら爆発するしかないですし。
>
> 食い詰めた者相手に理性的な対話を求めて解決策を探ったところで
> そりゃあ上手く行く訳が無いですよねぇ。

  確か言えてます(笑)。アラブの大儀といっても、民衆レベルではそんなもんかも知れませんね。相手方もユダヤの大儀の名の下で貧困救済を行いましたが、大儀そのものには同胞からの強い反対もありましたからね。現在もロシアの貧困ユダヤ人を入植させて問題を複雑にしてますし。   「危ないから来るな」と諭したって、食い詰めてると理性的に考えられないかもしれませんね。まあ、アラブの大儀とかシオニズムもコミュニズムも、貧困対策としては難点があるってことで(^^;
  余談ですが、イシュヴの経済的繁栄に惹きつけられたアラブ移民が食える状態だったのは、第一次大戦直前までかそれよりずっと以前の話でしょうか?


  それで、本題の「対話」について紹介してくれたページの内容は(英語は苦手なもので斜め読みなのですが(^^;   )、大英帝国の計画とロンドンのシオニスト公認の方針がぶつかった話で、「当初シオニスト側はアラブとの対話・・・」とは違う感じがするのですがどうでしょうか?
  ちなみに、英国政府の方針にかかわらず、現地の英国将兵が反ユダヤっていうか親アラブだった話は、あまりアラブ側の文献には出てきません。だからこの点を想像してみると、親アラブの要因としては1757年のインドにおけるプラッシーの戦い以降、東インド会社の社員やインド総督なんかが贅沢三昧できたので、アラブで「夢よ、もう一度」っていう欲望があったと思うのですが、シオニストの解釈はどうなんでしょう?それからえっと、公認の方針とはワイツマンがバルフォア宣言に向けてまとめた草案ですよね?、質問ばかりですみませんm(_ _)m


> ちなみにこのページ、僕のボロい ThinkPad だとリンクを選択してから
> 表示されるまでに優に二分はかかります(汗

  トラックポイントもそうですがキーボードが最高ですよね。うちではデスクトップを駆逐したほど活躍してくれて、液晶が黄色くなるまで使ってました。とりあえず、該当部分だけコピペしときます(笑)。

// アラブの暴動と英国の反ユダヤ政策   //
  ユダヤの民族再興と祖国再建運動は、アラブの民族主義者によって妨害された。彼らの強烈な反ユダヤ感情は、1920年、1921年、1929年そして1931年から39年にかけて、反ユダヤ暴動となって爆発した。
  アラブ暴徒はユダヤ人の輸送機関を襲い、苦心して育てた森や畑に火をつけ、ユダヤ人の町や村を攻撃し住民を殺傷した。ユダヤ側から全く挑発行為がないにもかかわらず、アラブはテロに訴えたのである。
  当初シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、結局うまくいかなかった。それ以後、シオニズムとアラブ民族主義は完全に離反し、いつ衝突してもおかしくない対立関係へとつき進んだ。
  英国政府は、対立する二つの民族主義運動がそれぞれの目的を有することを認め、1922年委任統治領分割に続き、1937年には新たな分割を提案した。つまり、ヨルダン川以西の地域をユダヤ、アラブの二カ国に分割するのである。ユダヤ指導部はこの分割案を受け入れ、ユダヤ機関に英国当局との交渉権限を与えた。一方アラブ側は一切の妥協を拒み、いかなる分割にも反対した。
アラブの大規模な反ユダヤ暴動はやまず、英国当局は1939年5月に白書をだして、ユダヤ人移民の大幅制限に踏み切った。当時ヨーロッパではナチのユダヤ人抹殺政策が進行中で、英国当局の措置によって、ユダヤ人は逃げ場を失った。
この政策に抗して、指導者のダビッド・ベングリオン(後年初代首相)は、第二次大戦勃発後「我

> ファイサル-ワイツマン協定

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/08 08:07 投稿番号: [1171 / 2453]
こちらこそありがとうございます、ojin_8823さん


> 細かな殺害人数には触れませんが、このアラブ人の暴動を察するに、ア
> ラブ人にはこの協定が受け入れられることはなかった、と考えられるの
> ではないでしょうか?

  そうですね。当時、大英帝国の威光は絶大だったのですから、地図に赤線でも適当に引いて分割し、両者に逆らうのなら撃滅すると恫喝すれば今よりましだったでしょうね。


  それで、イスラエル大使館の略史というのはパレスチナ・シンパの多い日本では強調が必要だろうぐらいの趣旨だと思ってます(笑)。それで私としては、この強調と感じる部分を取り除く課程でシオニストの言い分が知りたいのですが、いきなりojin_8823さんを大使館の代弁者のように仕立て上げるのは勝手すぎるので興味がなかったら言って下さい。実は発言した後に、やっぱり面倒な作業だなと思ってきたもので(^^;
  ただ、本来は「アラブの暴動・・・」の冒頭から始めたかったのですが、提示した部分だけでもお付き合いしていただければ、助かりますm(_ _)m。


  http://www.eretzyisroel.org/~jkatz/feisal.html の「Feisal Hussein, King of Iraq and Syria agreed to Jewish National Home according to British Mandate (Israel and Jordan) in 1918.(ファイサル・フセイン=イラク・シリア国王は1918年に、英国委任統治領(イスラエルとヨルダン)におけるユダヤ民族郷土を承諾した。)」は、仰るとおりワイツマンが戦火の中アラブ衣装をまとってアカバ近いヘイワダ司令部でロレンスを通じてファイサルと会見したことを指すはずです。

  この件についてワイツマンの自叙伝から引用される言葉は「アラブとユダヤ人は中東で運命を共にしており、ともに大国の善意に依存していかなければならない。戦争が終わったら平和会議で共同行動をとろうではないか」とファイサルが提案したとあって微妙に食い違います。
  ワイツマンは当時、まず第一に移民の受け入れ体制を整え、ユダヤ移民が多数を占めたらユダヤ国家樹立を目指そうとしていたので初対面でいきなりユダヤ国家の話を切りだしたとは考えにくいです。ただし、「民族郷土」は独立国家と意味が違いますので承諾した可能性もありますが、いずれも口頭ですからシオニストも重視していないと思います。

  問題は協定の2条、アラブ国家とパレスチナ(エルツ・イスラエル?)の国境の確定なのですが、リンク先の画像(たぶん協定書だと思う)の4枚目のアラビア語の意味は「もしアラブが、1919年1月4日私が英国政府に送った覚書の要求どおり独立を勝ち得ることが出来たら、私は以上の条項に同意する。もし、覚書の要求にいささかでも変更ないし食い違いが生じたら私は本協定を無効とみなし、本協定のいかなる言葉によっても拘束されず、いかなる責任も負わない。」だそうです。もちろん私は読めません(笑)。
  覚書についてはフランクフルーターに送った書簡だとシオニストは主張しています。アラブはその書簡がタイプ(ファイサルは英語ができない)されただけで署名がなく、出所が不明だと言っています。もっとも覚書は平和会議に提出したマクマホン書簡の内容を確認した資料だとされています。
  ですのでこの協定が両者の署名があっても、法的拘束力を持たず履行されなかったことに抗議しないのです。シオニストの資料からよく抜け落ちているので、「なぜ、協定が存在するのに・・・」と奇妙に感じていた方も多いと思います。

  この協定についてはロレンス(今ではアラブでは嫌われ者)の詐欺行為と非難されています。実際のところは分かりませんが、ロレンスが両者の共存に貢献しようとちょっとごり押し気味に話を進め(パリでの会見は45分間、同行したロレンスが通訳)、思わぬ協力者を得たワイツマンが功を焦り、不安を感じたファイサルが文を付け加えた感じです。


  従って、「当初」がファイサル-ワイツマン協定と仮定した場合、目的以外では両者は協調しています。また、シオニストの存在を知らないファイサルにワイツマンが呼びかけた点を考慮して、

》 当初シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、
》 結局うまくいかなかった。それ以後、シオニズムとアラブ民族主義は
》 完全に離反し、いつ衝突してもおかしくない対立関係へとつき進んだ。

については、以下が妥当だろうと思います。

》 当初シオニスト、アラブの両指導者に協力関係があったが、結局うま
》 くいかなかった。それ以後、・・・

いかがでしょう?

記念講演

投稿者: suiheisen2002 投稿日時: 2002/12/07 21:31 投稿番号: [1170 / 2453]
本日、守口市のホールへイツハク・リオール駐日大使の講演を聞きに行きました!
…と言いたいところですが、とんでもない大ドジをしてしまいました。
駅まで行ったら、財布を忘れたのに気が付いて、急いで取りに帰ったけど、
家まで往復1時間半ほどかかってしまって、センターには3時には到着。
肝心の2時からの大使の講演を聞くことができませんでした。

会場には、500人ほどいらっしゃったでしょうか。満席で立ってる人も多くて、
みなさん、準備されたイスラエルと日本の小さな国旗を手に持ち、共に歌ったり声援を送ったりされてました。

私が会場に到着した時は、シンセサイザーの演奏をしてらっしゃいました。
ピアノの上にシンセサイザーを置き、美しい音を奏でられてました。
まるで何人もの方が演奏されてるようでしたが、演奏者は藤田意作さんただ1人。
バックにはスクリーンにイスラエルの映像がいくつも映り、
美しいイスラエルの風景を眺めながら、美しい音楽を聴くことができました。

講演や音楽の催しが終わった後、イツハク・リオール大使と奥さまが揃って
展示会を見にいかれたので、私もちょっと離れて近くをウロウロしていました。
握手して欲しいなと思ったけど、勇気がなくて言えませんでした。

最後、大使が帰られるので見送りましょうと声をかけて頂きました。
日本の国旗を手渡そうとされたのですが、イスラエル国旗の方をくださいって言って
イスラエル大使を見送りました。講演を聞けなくて残念だったけど、
大使も笑顔いっぱいで手を振っておられて、本当に来てよかったなぁ、、と実感。嬉しかった。
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