「当初」とは?
投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/11 20:56 投稿番号: [1192 / 2453]
> ▲ウーン、なんか答えがズレてるよねぇ(笑)。
そうではないでしょう?
私もなんかojin_8823さんの答えがズレてるような感じがします。繰り返しになりますがファイサル-ワイツマン協定は署名があっても合意内容が無効な協定です。ですから「アラブ人にはこの協定が受け入れられることはなかった」という以前の話なのです。
私が協定にこだわる理由として「当初シオニスト側」の「和解の道」が「協定」しか思い浮かばないからです。
何故そう思うのかもう少し説明させていただきますと、その前文で「ユダヤ人の輸送機関」や「ユダヤ人の町」と表現し「シオニスト」ではありません。なので「当初シオニスト側」の表現は、政治的な活動を意味するだろう思う点が一つ。
もう一つは歴史、「外国の占領下」において、シオニズム創設者のヘルツル、力のベングリオンはあるのに、知のワイツマンの名が出てこない点です。
ワイツマンが建国前に果たした役割を失礼とは思いますが簡単に説明しますと、ヘルツルのイギリスとの外交努力で当時の植民相チェンバレンが「約束の地をウガンダに」と提案しました。この提案は多数の支持があったにもかかわらず、ワイツマンがシオニスト会議で葬り、運動の方向をパレスチナと決定づけたこと。
科学者として戦時中にアセトンの大量生産の技術を開発し英国の戦争に貢献し、政権に深く入り込んでバルフォア宣言の草案をまとめ上げたことです。
そしてファイサル-ワイツマン協定の当事者なのです。それ故に、略史では取り上げにくい功績を除くと協定しかないのですが、失敗した部分に名を出すのは躊躇いがあって「当初シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、結局うまくいかなかった。」と表現したのではないかと思ったわけです。ojin_8823さんはどう思いますか?
これは メッセージ 1184 (ojin_8823 さん)への返信です.
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