南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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猟奇的虐殺は中国文化

投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/05/04 13:19 投稿番号: [5246 / 41162]
(以前、アマゾン・コムにあった「Rape of Nanking」の読者レビューです。今は削除されています。)
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Sense of imagination April 15, 2000
Reviewer: Dave (see more about me) from USA

Iris Chang's shocking description swept away some intellectual people's thinking ability. But if they lose such ability, they are no longer intelligent. On page 6, the author starts the shocking description. These torture stories are cited from Chinese books and testimonies, so I verified the credibility of the description with background information. The following shows shocking descriptions on page 6 and my verification.

"disembowel women" ... It is called pou-fu in traditional Chinese penalty. China had been executing unique cruel torture for a thousand years. A number of cruel torture methods were written as official methods until 1898, but similar cruel torture was still being implemented after that. For instance, the same methods were said to be implemented at 2-28 Massacre in 1947 and political clampdown during cultural revolution in 1970's. Pou-fu was written in the penalty book as the official execution method of China, and it was often executed in public eyes.

"slice off their breasts" ... It is a series of the slicing methods called luan, which basically slices off every body part. When the objects are ear and nose, these are specifically called ge-reng and ge-bi, respectively.

"nail them alive" ... Utilization of nail or so-called zhui-zi was the flagship of traditional execution method of China. Whether they use knife or zhui-zi was often executor's own discretion.

"Fathers were forced to rape their daughters, and sons their mothers, as other family members watched." ... Though rape was not official method, the execution forced every female prisoner to remove all cloths and either impaled a stick, seamed genitalia, or sliced it off in public eyes, including those of their parents. It's certainly rape in a broad sense.

"live burials" ... huo-mai is also traditional execution method in China.

"castration" ... Gong-xing cuts genitalia off. It's not unknown that even Chinese officers had been forced castration by the government.

"the carving of organs" ... Carving body parts was popoular among traditional execution methods of China.

"roasting of people" ... The method called pao-luo roasts prisoners by copper columns.

"hanging people by their tongues on iron hooks" ... jie-she specifically cut tongue off by iron hooks.

"get torn apart by German shepherds" ... shou-yao let mad dog bite prisoners to death.

Though I researched over 100 historical materials about Japan, I didn't find any matching traditional Japanese torture. On the other hand, there are a number of historical materials about China that verifies these tortures as China's traditional methods. Though most of them are written in Chinese, these tortures had been implemented in public. Such contradiction casts a serious doubt on the credibility of this book. The Diaries of John Rabe is more accurate at least.
 

証言の猟奇性

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/04 13:11 投稿番号: [5245 / 41162]
>日本軍協力者の拷問・処刑が始まり、日本軍の悪行を訴えるものが英雄として厚遇されるようになると、瞬く間に大量の証言が集まりました。

その証言の中で特徴的だったのは

「女性の性器に銃剣や棒を突っ込んで殺す」
「妊婦の腹を裂いて胎児を取り出す」
「老婆を好んで犯す」
「赤ん坊や幼児を放り投げて串刺しにする」
「赤ん坊を食べる」
などのように非常に猟奇的であることです。


日本兵も「殺す必要があれば殺す」と思いますし、「我慢できずにレイプもする」かもしれませんが、日本人なら「日本人らしい残酷さ」を示すはずです。

しかしはっきり言って、これは「中国や朝鮮の文化そのもの」であって、とても日本の文化とは言えません。

なぜ、女性器、妊婦、胎児、幼児をターゲットに陵辱的に惨殺するかといえば、これは「敵の血族の滅亡を祈願する」という意味合いがあるのではないかと私は考えています。

「老婆」すなわち「親」を陵辱するのは、「儒教上の精神的苦痛を与えるため」でしょう。

訂正

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/04 12:55 投稿番号: [5244 / 41162]
すいません。重大な勘違いがあります。

これは「第一次南京事件」ではなく「北京篭城」の記述です。
(第一次南京事件はもっと悲惨です。)

普通の戦争2

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/04 12:39 投稿番号: [5243 / 41162]
>盧溝橋事件契機に日本国が軍国主義即ち日本国家総動員法〜徴兵制が敷かれ一時200万近い兵役の徴発(おおよそ百6,7十万人の事実も確認されており

ここからも分かる事は、「日本軍が最初から中国を侵略する意図などなかった」ということです。

盧溝橋事件当時の日本軍守備隊は5千人で、全軍でも20万人程度で中国軍の220万人とは比べものになりません。
日本軍は中国に制裁することになってから泥縄式に徴兵を開始しましたが、中国軍に対抗することになった以上これは当然です。

国民党軍はドイツ人技術者の指導でトーチカをすでに完成し食料・弾薬を配備し終えてから盧溝橋事件が発生しています。
一方、日本軍は侵略に必要な物資や人員も確保していないまま戦争が開始されています。

こんな「準備不足な侵略者」などいるはずがなく(まして几帳面な日本が。)、「日本が引きずり込まれた」のは明らかです。


>規律正しいだけでは、日本国側兵役に従った個々人が自己自身の生命を助ける為、敵側・中国側民衆への虐殺含めての戦争犯罪行為(虐殺行為)に及ぶほか仕方なしといって決着つけるのが、

軍隊の行動は残酷なものです。隠密行動なら出遭った市民を殺さなければなりませんし、ゲリラの巣は殲滅しなくてはなりません。
食料が不足して(足りていても)兵士が掠奪することも世界中の戦場で起こっています。
死に直面したストレスは男性に抑えがたい性衝動を起こさせることも明らかになっていますから野も、レイプや暴行が発生するのも普通に起こりうることです。

ロシア兵の略奪・暴行・レイプ・虐殺は有名ですし、沖縄などでのアメリカ海兵隊の暴行・レイプ・虐殺も有名です。
先日NHKBSで「イラクのアメリカ兵」を放映していましたが、市民の誰が敵か分からず撃ち殺したり、毎日戦友が殺されていく兵士の苛立ちや仇を討つ復讐心の高まりなどは、現代においても様々な「報道されない出来事」が起こりうることを示唆しています。

それが「現実の軍隊」であり「普通の戦争」というものです。
理想的な(現実には有り得ない)軍隊像に対する絶対評価ではなく、「現実的な軍隊の中での相対評価」として「日本軍は規律が保たれていた」ということです。


当時の状況を解析するほど見えてくるのは「日本軍が普通の戦争をしたこと」と「中国人の特異性」です。
(一度、暗黒大陸   中国の真実   ラルフ・タウンゼント著をお読みになればほとんどの不可解さは氷解すると思います。世界中の人がこの本を読むだけで中国のやり方を理解するでしょう。)

普通の戦争1

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/04 12:35 投稿番号: [5242 / 41162]
>ご案内の日本軍の中国領土への進攻、当然の如く、同進攻に伴う多数の無関係、無差別な中国庶民に対する虐殺含む中国人民のハクガイ(強奪・強姦等)人権蹂躪が展開されたことは、いわゆる極東軍事裁判上において明らかにされ、

GHQにとって東京裁判の目的は「日本の指導層を一掃するための理由付け」です。

「通州事件は却下」し「便衣兵は無視する」などの「中国側に都合が悪い要因を全て排除」したら、確かに「日本軍は中国人が何もしないのに虐殺や暴行した」としか見えないでしょう。

日本が中国に配慮しながらも自らの意思を示す行動をすると、中国は必ず大量の耐え難い暴行・掠奪・レイプ・虐殺で応じ、「日本軍の任務は日本人居留民の保護」ですから軍隊出動せざるをえません。

それらの「事実の連鎖」の中で「中国に都合の悪い行動は全て抹消され、日本側の反応だけ増幅・捏造して取りあげる」のですから結論は明らかです。

南京でも東京裁判当初、南京で証言集めをしてもむしろ「日本軍の統治は良かった」「日本人は優しかった」と日本に好意的な意見が大勢を占めていました。

しかし、日本軍協力者の拷問・処刑が始まり、日本軍の悪行を訴えるものが英雄として厚遇されるようになると、瞬く間に大量の証言が集まりました。



>北京郊外盧溝橋での日中両軍の武力衝突等々で日本軍隊延べ約20万投入しての侵略であることから南京虐殺30万云々もアナガチ、「一笑にフス」と切りすてられないかも知れません

「軍隊同士の戦闘による死亡」は虐殺30万人に含めるべきではありません。
これは虐殺でもなんでもない「通常の戦死」です。(そこには督促隊に背後から撃ち殺された国民党軍兵士も含まれています。)

また、日本軍が近づきつつある南京城内ではすでに「国民党兵士による一般市民の大量虐殺」があったことが外国人記者によって伝えられていますが、
それらの「日本軍以外に殺害された死体」は誰が処理したのでしょう?また、国民党軍が逃亡するとき、前方を帯になって逃げていく一般市民の群れを無差別に殺害して退却していますし、逃げそこなった兵士は安全区の市民を次々に殺害して衣服を奪って便衣兵となって潜伏しました。

ダーディンは「折り重なる大量の一般市民の死体を日本軍が処理しているのを見た」と言っていますが、少なくともここには「国民党兵士に殺害された死体」も大量に含まれています。

(日本軍が上海の国民党軍拠点を攻撃するときも、国民党軍はなにをしたかといえば、前日に「上海の外国人租界を無差別爆撃」しました。次の日、日本軍は当然のことながら外国人租界や一般市街に配慮しながら爆撃しましたが、後から現地を見た外国人記者らに「日本軍が無差別爆撃した」と触れて回りました。)

>お尋ねします(日本軍装備について)

投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/04 10:59 投稿番号: [5241 / 41162]
簡単ですが!
日本軍にも機関銃はありましたが、数人
で運ぶ大型のもので、個人でつかうサブマシンガン
のような軽機は終戦近くまでは開発されていません。
機関銃にしても日本の重機関銃は欧米の
軽機関銃クラスのもので口径も小さく、
30発程度のクリップ弾奏を装てんする
タイプでベルト式のものはありません。
日本兵が中国軍(米軍給与)の機関銃を
羨んだと言うはなしもあります。

対真実に反論してください>namiyu様

投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/04 10:31 投稿番号: [5240 / 41162]
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/door.htm
http://jpn.dyndns.ws/~nanking/

mamiyu様!こういうトピには不似合いです。
存分に馬鹿チョントピで暴れてください!

ポンキーって

投稿者: kanntaroudayo 投稿日時: 2005/05/04 09:57 投稿番号: [5239 / 41162]
シナポンのことでしょ?外国人を他の外国人として読むと普通人は理解できますが?

>ダーディン記事の原文

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/05/04 09:42 投稿番号: [5238 / 41162]
ありがとうございます。ざっと一読しました。伝聞もかなりあるような印象です。そして、日本軍に対する敵意も。

ダーディンが中立ということは、ほとんどありえないでしょう。

彼の記事からは、30万南京市民虐殺は到底うかがえません。注意深く再読する必要がありますが、彼がいた2〜3日中に殺された南京市民は、運悪く便衣兵に間違われたケースがかなりあるような印象をうけました。

略奪暴行の不祥事はあったでしょうが、ダーディンの記事からは、30万南京市民大虐殺はとうてい読み取れません。

彼が虐殺と言っているのは、大部分逃げ遅れた兵士や捕虜や便衣兵掃討(あるいは、便衣兵と誤認された市民処刑)による「虐殺」のように読めました。

ダーディンは、南京悲劇の大きな原因として、蒋介石や唐生智の失策を強く責めていますね。

お尋ねします(日本軍装備について)

投稿者: ishiis1512 投稿日時: 2005/05/04 09:28 投稿番号: [5237 / 41162]
うちの地方紙(西日本新聞5月3日朝刊デスク日記)で、
日本と中国の教科書の内容を載せて、南京虐殺の部分で比較していましたが、
そこで気になったのが、中国の教科書が強調する虐殺の「機銃掃射し」という部分。

旧日本陸軍の装備で、機銃ってありましたっけ?。

機関銃は作ってないし(これは軍の方針)、
だいたい、基本装備は拳銃と小銃。
玉が絶対数不足なので、単発しか認めなかったし。

据え付け式の大型はあったかどうか知りませんが、
あったとしても、陣地防御用の車で移動するレベルのもので、
逃げる人を追いかけて打つなどできないものだし。

旧日本軍装備について、詳しい方おられました、教えてください。

>>でりちゃん、常識で判断しよう

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/04 09:06 投稿番号: [5236 / 41162]
>>   「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかったからです。
  上海付近では日本軍の戦いを何度もみたけれども、民間人をやたらに殺すということはなかった。
  漢口市内では日本軍は中国人を処刑したが、それでも規模はごく小さかった。
  南京はそれまでの日本軍の行動パターンとは違っていたのです。南京市民にとっても、それはまったく予期せぬ事態でした」
http://jpn.dyndns.ws/~nanking/dathin.html
>とあわせて判断しないといけないと思います。ダーディンは、単なる見聞ではなく、自分が実際に目撃したり経験したりしたことにもとづいて発言しているように思われますが

「上海周辺」と「南京進撃途上」は別だということは言うまでもないと思います。


>ダーディンは、単なる見聞ではなく、自分が実際に目撃したり経験したりしたことにもとづいて発言しているように思われますが

はい、戦後のインタビューでダーディンは自分が直接見聞していないことを、
直接見聞していないとはっきり言っているいうだけのことです。
私が言ってるのは、南京進撃途上の出来事について、ダーディンが直接目撃、体験することが
物理的に不可能な以上、「知らない」と表現するのは当然であって、それは「あった、なかった」と無関係に
自分の体験に誠実に発言しようとすれば、それしか言いようがないと言うことです。


漢口などについて言いますと、南京事件の再発を防ぐために、日本側でいろいろと対策を取った
ということで、残虐行為が少なかったのです。

たとえば次のような旧軍将官の手記、旧軍の命令書が残っています。

「後日九江に滞留中の八月六日、第六師団の連絡将校(工兵聯隊の三野村中尉)が来訪したとき『軍司令官閣下は潜山で、漢口は第六師団に取らせると言われたそうで士気大に振っています』と述べたところからみれば、地形の関係もあり自然漢口に突入するのは第六師団のみであるので、この訓示は誇張されて師団将兵の士気益々振う動機となったらしい。
  しかしそれだけに、南京攻撃戦で前科のある師団でもあり、如何にして漢口入城に際して立派に軍、風紀を維持せしめるかについては、私も、稲葉師団長も、牛島旅団長も相当苦心したことは後述するとおりである。」
(「岡村寧次大将資料」(上)   P293〜P294)
十六   南京事件の轍を覆まないための配慮
  十月十一、十二日の両日、私は幕僚を伴い北岸の広済に第六師団を訪問した。その目的の一つは、私の主義である前線部隊を訪問する毎になるべく下級の将校下士官兵の実戦談を聴取することであり、事実この両日に亘り十一名の下級将校の実戦談を聴いたのであるが、もう一つの重大な目的は、近く漢口に進入するに際し、南京で前科のある第六師団をして如何にして正々堂々と漢口に入城せしむるかを師、旅団長と相談するに在った。
(「岡村寧次大将資料」(上)   P312)

「当時中国人や外国人は、南京攻略当時のわが軍の暴虐事件から推して、漢口攻略時の暴状を予想したらしいが、案外に軍紀厳粛であったために民心は大体安心していた。」(p.315)

杭州の場合、
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丁集参一第一四五号    杭州占領ニ伴フ秩序維持及配宿等ニ關スル件       十二月二十日   丁集團参謀長    第十八、第百一師團参謀長    第一後備歩兵團司令官    鐡道第四大隊長           宛    杭川攻撃参加ノ軍直轄部隊長   杭州攻略ニ關シテハ特ニ左記諸件ヲ十分諸隊ニ徹底勵行セシメラレ度依命通牒ス       左記一、掠奪婦女暴行、放火事ノ巌禁ニ關シテハ縷次訓示セラレタル所ナルモ本次南京攻略ノ實績ニ徴スルニ婦女暴行ノミニテモ百餘件ニ上ル忌ムヘキ亊態ヲ發生セルラ以テ重複ヲモ顧ミズ注意スル所アラントス
(以下略)

>でりちゃん、常識で判断しよう

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/05/04 07:55 投稿番号: [5235 / 41162]
横から失礼しますが、

>>私は当時、虐殺に類することはなにも目撃しなかったし、聞いたこともありません。虐殺は日本軍が南京を占領してからなのです」

>ダーディンは進撃してくる日本軍を迎え撃とうとする南京市内にあって、取材をしているのです。
したがって、進撃する日本軍の背後に回って、虐殺に類する行為があったかなかったかを、
自分の目で見ることは不可能です。
だから、目撃していない、当たり前の話です。
ここまではいいですね?

>それじゃあ、「聞く」ことはできたか、
日本軍は徒歩とはいえ、全力で南京めがけて進撃しているのです。
進撃途上からは、中国軍はもとより、すべての中国側機関は撤収しています。
当時、市外電話というものはないのだし、進撃する日本軍の背後に残された人々には
「虐殺があった」あるいは「虐殺などなかった」と、南京市内に伝える方法はありません。
だから、日本軍の進撃途上で虐殺があったかなかったか、南京陥落前に南京城内に伝えることが出来た人は誰もいません。

>ダーディンは、見ていないことは見ていない、聞いていないことは聞いていない、と言っているだけで、
「情報が欠落している」という事実があったことを証言しているに過ぎません。
これは、虐殺の有無について、別段何の裏付けにもならない、というだけのことです。

>事実として虐殺があろうとなかろうと、ダーディンにはそれを事実として把握する手段はなかった。
これで結論と言うことでよろしいか?

この件は、

>   「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかったからです。
  上海付近では日本軍の戦いを何度もみたけれども、民間人をやたらに殺すということはなかった。
  漢口市内では日本軍は中国人を処刑したが、それでも規模はごく小さかった。
  南京はそれまでの日本軍の行動パターンとは違っていたのです。南京市民にとっても、それはまったく予期せぬ事態でした」
http://jpn.dyndns.ws/~nanking/dathin.html

とあわせて判断しないといけないと思います。ダーディンは、単なる見聞ではなく、自分が実際に目撃したり経験したりしたことにもとづいて発言しているように思われますが。

●日本人はBOKEのまま何も知らない滓●

投稿者: papa0720nikoniko 投稿日時: 2005/05/04 07:47 投稿番号: [5234 / 41162]
何?   まだ捏造頑張ってんの?
当時は劣島の庶民もふんどし一枚の裸どうぜんじゃよ。


麻原も林もサカキバラも宅間もポンキーじゃん?
AHOちゃうー



外人の犯罪発生率は旅券法が大半。
外人の凶悪犯罪率は糞ポンキーよりはるかに下回ります。

大げさな報道は国策なんじゃ。
その反面ポンキーの凶悪犯罪は驚異的に上昇している。

捏造と騙まし討ちを繰り返し,真の教育を怠り大人の無責任体質がここに来て満開。

沈没してからやり直す以外ないな!BOKE   はは。

>>はて? 矛盾していないのでは?

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/05/04 07:42 投稿番号: [5233 / 41162]
>私も矛盾していないと思います。

おっと。ちょっと早とちりだったようですね。

>南京を掌握するにあたり、日本軍は、’これまで続いた日中戦争の過程で犯されたいかなる虐殺より’野蛮な虐殺、略奪、強姦に熱中した。

>●回顧談:
>――’上海から南京近郊に到達するまでの過程で’日本軍が中国側の捕虜や民間人を多数殺したという話しは当時あったのですか?
>『いや、それはありませんでした。(中略)虐殺に類することはなにも目撃しなかったし、聞いたこともありません。』

たしかに、齟齬がありますね。

>これまで続いた日中戦争の過程で犯されたいかなる虐殺より
>『いや、それはありませんでした。(中略)虐殺に類することはなにも目撃しなかったし、聞いたこともありません。』

この二つには、齟齬(矛盾?)があるようですね。

軍内での配達体制は確立されていますが?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/04 06:31 投稿番号: [5232 / 41162]
>戦闘移動中に中国人が郵便配達まで、してくれたのでしょうか?(笑)
>日本軍に限らず、軍内での手紙の配達体制は確立されていますが?
(映画の米軍などでも「兵士に手紙が届く場面」はよく出てきます。)

オマエはアホか?
連合国軍はクリスマスにも家族からのケーキが届くくらい、兵士と家族の連絡は蜜に取れるように配慮されていた。
部隊がどこにいるかさえ、知らされていたのだ。
一方   日本軍は手紙の配達などは2〜3ヶ月に一度くらい、しかも検閲ツキで、届いていたのだよ、終戦間近にはほとんど届いていない、また、部隊の進軍地域情報など知らせる訳がない。

部隊名を書けば届くと言う人もいるだろうがね。

よって、解放した中国人捕虜から感謝の手紙を受け取ったとするアンタの記述は大嘘と言うことになる。

中国人が敵兵に、しかも、どこに居るか解らん部隊に手紙をどのような方法で渡したのか説明する必要があるな(笑)

”日本人、、友達ね!!謝謝!!”といって
侵攻してくる日本軍に渡したか?(笑)

そして、何故、日本軍が敵兵からの手紙を部隊の一兵卒に届けたのか、非常に興味あるところである(笑)
ヒョッとして彼らは「スパイ」だったのでしょうか?(笑)

おもしろいね、、アンタは!!

>ティンパー

投稿者: prin1213jp 投稿日時: 2005/05/04 06:22 投稿番号: [5231 / 41162]
ティンパーリー

リが抜けてました。すいません

ティンパー

投稿者: prin1213jp 投稿日時: 2005/05/04 06:21 投稿番号: [5230 / 41162]
国民党軍の軍事顧問だったって話がありますよね。
ベトナムではCIAの要員として働いているし・・・

信用できるのでしょうかね???

いい加減な脳みそですな、ノーテンキだ!

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/04 06:18 投稿番号: [5229 / 41162]
>資料としては例えば
『さて筆者が目撃した場所はどこであったのか、大きな門の写真を撮ったが、その門の上には「駐軍八十八師司令部」の文字が読みとれる。さらに営門の両側の哨舎のうち、右の構舎には「伊佐部隊・棚橋部隊」、左の哨舎には歩哨の陰になっているが棚○○、捕虜収容所、占獲集積所」という文字が読める。「駐軍八十八師司令郡」の白いレリーフの文字は黒色に塗られていた。その下には横長に「青天白日」のデザインがレリーフになっている。

あんたこれは看板だけじゃないの?
こういうのを看板倒れと言うんじゃないの?(笑)

>「無かったという根拠」が否定されただけで十分ですが?
「いい加減な人柄」がとてもよく出ています。


ご自分のいい加減さを主張しているのでしょうかね(笑)
捕虜の収容人数及び、拘留期間、その部隊の責任者を提示すべきでしょう。

上海派遣軍、第26軍のどちらの部隊でしょうか?
伊佐部隊?棚橋部隊?とは、、
果たして何名の部隊なんでしょうか?

日本軍の捕虜に対する基本方針は捕虜は獲らずですがね。

脳みそがなかったという根拠を示されているのですか(笑)

シンガポール、マニラなど南方では連合国軍の捕虜の扱いにBC級戦犯として多数の日本軍兵士、朝鮮兵が死刑となっておりますが、中国本土において、敗戦後中国軍捕虜裁判は行われたのでしょうか?

それとも貴方の言う、捕虜は全部逃がしたと、、(笑)
間抜けな日本軍ですな(笑)
実際は全て殺害した、、、ではないでしょうかね(笑)

逃がした捕虜から感謝の手紙さえ受け取ったと言うのですから、、人柄なんてモンじゃないでしょう。夢でもみているのでしょうか?

戦闘終われば、、ノーサイドなとと言う馬鹿ですから、、ね

イスラエルかパレスチナ人に教えてあげれば、、日本人の馬鹿さ加減を、、、

お笑い以外のナニモノでもないようですね(笑)アキレマシタ!!

「証拠写真」を検証する、検証中

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/04 06:17 投稿番号: [5228 / 41162]
東中野「南京事件「証拠写真」を検証する」

順次記述内容の当否を検証中ですのでご覧下さい。

http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?id=imgbord

あまりいい加減なものを引用しない、

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/04 06:09 投稿番号: [5227 / 41162]
>問題の著書は、日本軍の南京攻略当時、英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員だったH・ティンパーリーの『戦争とは何か』。「四万人近くの非武装の人間が南京城外または城壁の付近で殺された」などと書かれ、「大虐殺」の証拠とされてきた。


・そもそも、『戦争とは何か』が南京虐殺の証拠とされたことなどない。
・石川記者の書きようだと、
「四万人近くの非武装の人間が南京城外または城壁の付近で殺された」
ことは、「南京大虐殺」に相当するらしいが、
「南京大虐殺」とは犠牲者30万人以上の事件の固有名詞ではなかったのかな?
秦説規模の不法殺害事件でもって「南京大虐殺」と呼ぶ人がいても、
別におかしなこととは思わないけれどね。

記事の中味自体はあちこちで電波扱いされているものなので、あらためて批判はしないけど。

でりちゃん、ベイツ顧問説は根拠がない

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/04 06:01 投稿番号: [5226 / 41162]
>国民党の顧問だった可能性が極めて高い嘘吐きベイツだった可能性が高い。

あー、またガセネタを言いふらす。
ベイツ顧問説には、まともな根拠資料はないと、何度も説明してるだろ。
出所不明の情報でしかないのだよ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&mid=6904
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&mid=6912
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&mid=7162
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&mid=7169

でりちゃん、それは勘違いだ

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/04 05:44 投稿番号: [5225 / 41162]
>>なお、でりちゃんの引用文は出所が明らかにされていませんが、
>「南京事件資料集 1」(青木書店)の417頁〜422頁だが。

ちょっと勘違いしたみたいだね。   私はこの部分のことを言ってるんだが
「しかし、その記事を読めば分かるのだが、ダーディンは日本軍による民間人虐殺を目撃していない。
見出しとその直後にある要約部分に「婦人への暴行」とか「民間人の殺害」という言葉を挿入しているが、その後にある約5000字におよぶ長文レポートにそれらに関する説明がまったくない。」

オリジナルなのかな?

でりちゃん、論点はそこじゃない

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/04 05:39 投稿番号: [5224 / 41162]
>>一般に新聞記事というのはほとんどが取材に基づくものです。
>だったら、
―――――――――――――――――――
――日本軍はやはり民間人をも無差別に殺したのですか。
  「はい、無差別の殺害といえます。銃で射つのがもっとも多かった。
  銃剣を使う場合もあった。
  とにかくウサギを殺すような感じでの虐殺が行われたのです」
―――――――――――――――――――
のように、いかにも目撃したかのような回顧談はオカシイだろ。

私は
>>一般に新聞記事というのはほとんどが取材に基づくものです。
日々の新聞のうち、記者自身が目撃したことだけ抜き出したら全体の何分の一になるか、考えてもらえば解ることで、
「新聞記事が記者自身の目撃ではないから信用できない」と主張したら、まず正気を疑われること請け合いです。
なぜか事が南京事件になると、これで納得してしまう人がいるのです。
普通に考えて非常識な主張なのですがね。
常識とか理性とか言うものは、場当たりではなく、平等に適用されなくてはいけません。

と言っている。
でりちゃんは、今朝届いた新聞の記事のうちで、
「記者が直接目撃した事柄以外の取材記事には価値がない」
などと本気で考えるのかな?

「記者が直接目撃した事柄以外の取材記事には価値がない」
という論法が無茶苦茶であることは理解できるんだよね?

でりちゃん、常識で判断しよう

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/04 05:29 投稿番号: [5223 / 41162]
>一方、回顧談では、「日本軍が南京を占領以前には虐殺がなかった」と言っています。

言っておりません。
いいですか?
言ってないのです。

●回顧談:
――’上海から南京近郊に到達するまでの過程で’日本軍が中国側の捕虜や民間人を多数殺したという話しは当時あったのですか?

「いや、それはありませんでした。中国軍は日本軍に正面から戦いを挑まず、撤退していたし、地元の住民もみな避難していたからでしょう。
  私は当時、虐殺に類することはなにも目撃しなかったし、聞いたこともありません。虐殺は日本軍が南京を占領してからなのです」
―――――――――――――――――――

「私は当時、虐殺に類することはなにも目撃しなかったし、聞いたこともありません。」

ダーディンは進撃してくる日本軍を迎え撃とうとする南京市内にあって、取材をしているのです。
したがって、進撃する日本軍の背後に回って、虐殺に類する行為があったかなかったかを、
自分の目で見ることは不可能です。
だから、目撃していない、当たり前の話です。
ここまではいいですね?

それじゃあ、「聞く」ことはできたか、
日本軍は徒歩とはいえ、全力で南京めがけて進撃しているのです。
進撃途上からは、中国軍はもとより、すべての中国側機関は撤収しています。
当時、市外電話というものはないのだし、進撃する日本軍の背後に残された人々には
「虐殺があった」あるいは「虐殺などなかった」と、南京市内に伝える方法はありません。
だから、日本軍の進撃途上で虐殺があったかなかったか、南京陥落前に南京城内に伝えることが出来た人は誰もいません。

ダーディンは、見ていないことは見ていない、聞いていないことは聞いていない、と言っているだけで、
「情報が欠落している」という事実があったことを証言しているに過ぎません。
これは、虐殺の有無について、別段何の裏付けにもならない、というだけのことです。

事実として虐殺があろうとなかろうと、ダーディンにはそれを事実として把握する手段はなかった。
これで結論と言うことでよろしいか?

>日本の論理

投稿者: kurobiyouxi 投稿日時: 2005/05/04 03:00 投稿番号: [5221 / 41162]
noiseman さん   からの早々のご解答恐縮しました。
  小生、生来の知能容量に加えまして知識不足からの所為によりまして、乱雑な文面(小生自身のですが)から、誤解と言い得るのでありましたら、未だいくらかの救いありと思いまして再送しました
  ご案内の日本軍の中国領土への進攻、当然の如く、同進攻に伴う多数の無関係、無差別な中国庶民に対する虐殺含む中国人民のハクガイ(強奪・強姦等)人権蹂躪が展開されたことは、いわゆる極東軍事裁判上において明らかにされ、公知の事実即ち証明を必要としない程度に一般人が存在或いは疑いをはさまない程度に確実性を裁判所において明白にされた事実を勿論、根拠として申し述べるのですけれど。
  日本軍の中国への侵略開始は1914年中国領山東省(青島等)〜1931年満州植民地化〜noisemanさんご指摘どおりの北京郊外盧溝橋での日中両軍の武力衝突等々で日本軍隊延べ約20万投入しての侵略であることから南京虐殺30万云々もアナガチ、「一笑にフス」と切りすてられないかも知れません(小生自身30万説はないでしょうと言う側ですけれど、やや近いと思うんですが←脱線致しまして失礼しました)。
  さらに、noisemanさん御指摘されておられますが、日本軍は当初連合国側一員と言う立場で参戦したが、1933年日本国は国際連盟脱退以後、国際世界から孤立等々を以って1937年盧溝橋事件契機に日本国が軍国主義即ち日本国家総動員法〜徴兵制が敷かれ一時200万近い兵役の徴発(おおよそ百6,7十万人
の事実も確認されており、集中的に上海、南京、重慶等へ投入された結果として上記申し述べました約20万の大部隊が上記中国領土において中国軍との間で戦闘死闘状況の連続であれば、日本国軍隊が国際連盟脱退後は孤立修羅場の連続であったのではと強力に想定し得て、規律正しいだけでは、日本国側兵役に従った個々人が自己自身の生命を助ける為、敵側・中国側民衆への虐殺含めての戦争犯罪行為(虐殺行為)に及ぶほか仕方なしといって決着つけるのが、小生含めて
実態の戦場での戦争経験(体験)を全く
ない、掲示板投稿者の100%に極めて近い、現在の日本国民・一般庶民の「詮方ない」或いは、全く時間の無駄なる、かつ無意味な、掲示板を否定できないではありますまいか。            長ったらしくしましてご迷惑でしたかもわかりませんが、以上失礼いたします

第一次南京事件6

投稿者: noiseman_labo 投稿日時: 2005/05/03 22:49 投稿番号: [5220 / 41162]
14日、西太后の一行は西安に向けて脱出した。その午後、北京入城後最初の列国指揮官会議が開かれた。冒頭マグドナルド公使が、籠城の経過について報告した。武器、食糧の窮迫、守兵の不足、将兵の勇敢さと不屈の意志、不眠不休の戦い、そして公使は最後にこう付け加えた。

  北京籠城の功績の半ばは、とくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである。

  柴中佐が日本軍将兵と日本人義勇兵にこの言葉を伝えると、嗚咽の声が漏れた。誰もが祖国の名誉を守り、欧米の人々からも認められた誇らしい感情を味わっていた。

  柴中佐はその後も日本軍占領地域では連合軍兵士による略奪を一切許さず、その治安の良さは市民の間のみならず、連合軍の間でも評判となった。

  柴中佐には欧米各国からも勲章授与が相継ぎ、またタイムズの記者モリソンの報道もあいまってコロネル・シバは欧米で広く知られる最初の日本人となった。その後、総指揮官を務めたマグドナルドは駐日大使に転じ、日英同盟の締結を強力に押し進めていくことになる。柴中佐と日本将兵の見せた奮戦ぶりから、日本こそは大英帝国が頼みにするに足る国と確信したのであろう。

第一次南京事件5

投稿者: noiseman_labo 投稿日時: 2005/05/03 22:48 投稿番号: [5219 / 41162]
イギリス公使館の書記生ランスロット・ジャイルズは、次のように記している。

  王府への攻撃があまりにも激しいので、夜明け前から援軍が送られた。王府で指揮をとっているのは、日本の柴中佐である。・・・

  日本兵が最も優秀であることは確かだし、ここにいる士官の中では柴中佐が最優秀と見なされている。日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。わがイギリス水兵がこれに
つづく。しかし日本兵がずば抜けて一番だと思う。

  王府を守りながらも、柴中佐と日本の将兵は他の戦線でも頼りにされるようになっていった。アメリカが守っている保塁が激しい砲撃を受けた時、応援にかけつけたドイツ、イギリス兵との間で、いっそ突撃して大砲を奪ってはどうか、という作戦が提案され、激しい議論になった。そこで柴中佐の意見を聞こうということになり、呼び出された柴が、成功の公算はあるが、今は我が方の犠牲を最小にすべき時と判断を下すと、もめていた軍議はすぐにまとまった。

  イギリス公使館の正面の壁に穴があけられ、数百の清国兵が乱入した時は、柴中佐は安藤大尉以下8名を救援に向かわせた。最も広壮なイギリス公使館には各国の婦女子や負傷者が収容されていたのである。

  安藤大尉は、サーベルを振りかざして清国兵に斬りかかり、たちまち数名を切り伏せた。つづく日本兵も次々に敵兵を突き刺すと、清国兵は浮き足立ち、われさきにと壁の外に逃げ出した。館内の敵を一掃すると、今度はイギリス兵が出撃して、30余名の敵を倒した。安藤大尉らの奮戦は、イギリス公使館に避難していた人々の目の前で行われたため、日本兵の勇敢さは讃歎の的となり、のちのちまで一同の語りぐさとなった。



  後に体験者の日記を発掘して「北京籠城」という本をまとめ上げたピーター・フレミングは本の中でこう記述している。

  戦略上の最重要地点である王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。・・・   日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの士官よりも勇敢で経験もあっ
たばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。

  当時、日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったがこの籠城をつうじてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになった。

  日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本
人だけである。

  救援の連合軍が、清国軍や義和団と戦いながら、ついに北京にたどりついたのは、8月13日のことだった。総勢1万6千の半ばを日本から駆けつけた第5師団が占めていた。その他、ロシア3千、英米が各2千、フランス8百などである。籠城していた柴中佐以下は、ほとんど弾薬も尽きた状態だった。

第一次南京事件4

投稿者: noiseman_labo 投稿日時: 2005/05/03 22:47 投稿番号: [5218 / 41162]
6月19日、シナ政府から24時間以内に外国人全員の北京退去を命ずる通牒があった。抗議に赴いたドイツ大使は清国兵にいきなり銃撃され、即死した。

  20日午後からは、地域の警備についていた清国軍が公然と攻撃を始めた。暴徒とは異なり近代装備を持つ清国軍は大砲まで持ち出して、公使館区域を砲撃した。

  最初の2日間の戦いで区域の東北端に位置するオーストリーとベルギーの公使館が火を放たれて、焼かれた。西正面と北正面を受け持っていたイギリス兵は、イギリス公使館が西から攻撃を受けると、そちらに移動してしまった。

  北正面ががらあきとなり、清国軍が侵入するには絶好の隙間が生じてしまった。少数の日本将兵と教民たちがたてこもる北辺の粛親王府が破られれば、そこから清国軍は区域全体を見下ろし、砲撃することができる。清国軍は激しい攻撃を加えてきた。

  区域全体の総指揮官に推されたイギリス公使マグドナルドは、粛親王府の守備を固めるために、イタリア、フランス、オーストリー、ドイツの兵に柴中佐の指揮下に入るよう命じたが、兵達は土地は広く、建物は迷路のように錯綜する王府を見ると、「とてもじゃないが守りきれない」とそれぞれ自国の公使団保護に帰ってしまった。



  王府防衛の有様を柴中佐の指揮下に留まっていたイギリス人 義勇兵の一人B・シンプソンは次のように日記に記した。

  数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢の日本軍は、王府の高い壁の守備にあたっていた。その壁はどこまでも延々とつづき、それを守るには少なくとも5百名の兵
を必要とした。しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。公使館付き武官のリュウトナン・コロネル・シバ(柴中佐)である。・・・

  この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめていた。彼は部下たちを組織し、さらに大勢の教民たちを召集して、前線を強化していた。実のところ、彼はなすべきことをすべてやっていた。ぼくは、自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる

  この後、王府を守る柴中佐以下の奮戦は、8月13日に天津からの救援軍が北京に着くまで、2ヶ月余り続く。睡眠時間は3,4時間。大砲で壁に穴をあけて侵入してくる敵兵を撃退するという戦いが繰り返し行われた。総指揮官マグドナルド公使は、最激戦地で戦う柴への信頼を日ごとに増していった。イタリア大使館が焼け落ちた後のイタリア将兵27名や、イギリス人義勇兵を柴の指揮下につけるなど迅速的確な支援を行った。

  6月27日には、夜明けと共に王府に対する熾烈な一斉攻撃が行われた。多勢の清国兵は惜しみなく弾丸を撃ちかけてくる。
弾薬に乏しい籠城軍は、一発必中で応戦しなければならない。午後3時頃、ついに大砲で壁に穴を明けて、敵兵が喊声を上げながら北の霊殿に突入してきた。柴は敵兵が充満するのを待ってから、内壁にあけておいた銃眼から一斉射撃をした。敵は20余の死体を遺棄したまま、入ってきた穴から逃げていった。
この戦果は籠城者の間にたちまち知れ渡って、全軍の志気を大いに鼓舞した。

第一次南京事件3

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/03 22:45 投稿番号: [5217 / 41162]
日本の代表は、この4月に赴任したばかりの柴五郎中佐であった。柴は英仏語に堪能で、また地域の詳細な防御計画も持参していたが、始めのうちは各国代表の議論を黙って聴いていた。

日本の兵力が少ないこともあったが、まずは各国の人物、能力を見極めようという腹だった。さらに東洋人がいきなり議論をリードしては欧米人の反発を招くということも十分に心得ていた。

  柴は会議の流れを掴むと、目立たない形で、自分の計画に合う意見については「セ・シ・ボン(結構ですな)」と賛意を示し、また防御計画の要については、ちょっとヒントを与えると、別の列席者がさも自分の発案であるかのように提案する、という形で、巧みに議論を誘導して、自分の案に近い結論に持っていった。

  6月11日、日本公使館の杉山書記生が惨殺された。救援部隊が来ないかと北京城外に出て、戻ろうとした所を清国の警備部隊に捕まり、心臓を抉り抜かれ、その心臓は部隊長に献上された。外交団は治安維持の頼みとしていた清国官憲までも外国人襲撃に加わったことに衝撃を受けた。

  13日、公使館区域に4,5百人の義和団が襲いかかった。おおぜいたむろしている清国官兵は、見て見ぬふりをしている。しかし刀や槍を振り回す暴徒は、列国将兵の銃撃に撃退された。

14日、怒った暴徒は、公使館区域に隣接するシナ人キリスト教民の地域を襲った。凄まじい男たちの怒号と、女子どもの悲鳴が公使館区域まで聞こえてきた。一晩で惨殺された教民は千人を数えた。

  15日、タイムズの特派員G・モリソンはイギリス公使マグドナルドを説き、20名の英兵を率いて5百人余りの教民を救出してきた。しかし、それだけの人数を収容する場所がない。

困ったモリソンが、シナ事情に詳しそうな柴中佐に相談すると柴は即座に公使館地域の中央北側にある5千坪もの粛親王府を提案した。粛親王は開明派で、日本の近代化政策を評価していた。柴が事情を話してかけあうと、教民収容を快諾した。

  この王府は小高くなっており、ここを奪われれば、公使館地域全体を見下ろす形で制圧されてしまう。この事に気づいていた柴は教民たちを動員して保塁を築き始めた。欧米人と違って、日本人の多くはシナ語を話せたため、彼らは日本兵によくなつき、熱心に協力した。また30名ほどの義勇兵も出て、日本軍と共に自衛に立ち上がった。

第一次南京事件2

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/03 22:44 投稿番号: [5216 / 41162]
1985(明治28)年、日清戦争に敗北して、清国が「眠れる獅子」ではなく「眠れる豚」であることを露呈するや否や、列強は飢えた狼のようにその肉に食らいついていった。三国干渉により日本に遼東半島を返還させると、それをロシアがとりあげ、同時にドイツは膠州湾と青島、フランスは広州湾をむしりとる。イギリスは日本が日清戦争後にまだ保障占領していた威海衛を受け取り、さらにフランスとの均衡のためと主張して香港島対岸の九龍をとった。

こうした情況に民衆の不満は高まり、義和団と称する拳法の結社があらわれた。呪文を念じて拳を行えば、刀槍によっても傷つくことはない、と信じ、「扶清滅洋(清国を助け、西洋を滅ぼせ)」をスローガンとして、外国人やシナ人キリスト教徒を襲うようになっていった。


5月28日、義和団の暴徒が北京南西8キロにある張辛店駅を襲って、火を放ち、電信設備を破壊した。北京在住の列強外交団は、清国政府に暴徒鎮圧の要求を出す一方、天津の外港に停泊する列国の軍艦から、混成の海軍陸戦隊400名あまりを北京に呼び寄せた。日本も軍艦愛宕からの25名の将兵が参加した。今風に言えば多国籍軍である。

6月4日、北京?天津間の鉄道が、義和団によって破壊された。北京の外交団は万一の場合の脱出路を奪われた形となった。すぐに2千の第2次混成部隊が出発したが、鉄道の修復に時間がかかり、いつ北京にたどり着けるか、分からない状態だった。

  北京の公使館地域は東西約9百メートル、南北約8百メートルの方形であり、ここに欧米10カ国と日本の公使館があった。
6月7日、各国の公使館付き武官と陸戦隊の指揮官がイギリス公使館に集まって、具体的な防衛計画が話し合われた。

第一次南京事件1

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/03 22:43 投稿番号: [5215 / 41162]
>日本が単独で中国にいたわけではなく、英・米・日・ロ・独・仏・伊・墺の8カ国の一員として中国に駐屯していました。

このあいだの反日デモでも分かるように、日本人が中国人に殴られて警察にいったところで「日本人が悪い」と取り合ってもらえませんでしたが、当時は清王朝が滅亡した直後で、正式な警察も軍隊もない状態で、自国の居留民を守れるのは自前の軍隊だけであり、日本人を日本軍が保護するのは当然です。


ところで、「第一次南京事件」というのをご存知でしょうか?
(南京大虐殺と言われる「第二次南京事件」は、「第一次南京事件の英雄的行為を掻き消す目的」も持っていたと思います。)

世界の大国であったイギリスがアジアの片隅の日本を信頼すべき相手と認め、日英同盟を生み出すきっかけとなった事件です。

『ちょうど100年前の1902(明治35)年1月30日、日英同盟が成立した。

同盟締結を推進したのは、駐日公使マグドナルドであった。
マグドナルドは前年夏の賜暇休暇にロンドンに帰るとソールズベリー首相と何度も会見し、7月15日には日本公使館に林菫公使を訪ねて、日英同盟の構想を述べ、日本側の意向を打診した。マグドナルドは翌日も林公使を訪問して、イギリス側の熱意を示した。それからわずか半年後には異例のスピードで同盟締結の運びとなった。

イギリスが日本と結んだのは、ロシアの極東進出を防ぐという点で利害が一致したからである。
しかし、当時の超大国イギリスがその長年の伝統である「光栄ある孤立」政策をわずか半年で一大転換し、なおかつその相手がアジアの非白人小国・日本であるとは、いかにも思い切った決断である。

その背景にはマグドナルド公使自身が一年前に経験した一大事件があった。 』

>>RE:はて?矛盾していないのでは?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/03 22:32 投稿番号: [5214 / 41162]
ようやく意味が理解できました。
そうすると、盧溝橋から上海までの間に日本軍による虐殺があったということですね?
支那側による虐殺の話はいくつかありますが、日本軍によるそんな話は聞いたことがないのでオカシイですね。

日本の論理

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/03 22:26 投稿番号: [5213 / 41162]
kurobiyouxi様、ありがとうございます。
まず、別に「正しい(正義の)軍隊」と言っているわけではなく、文字通り「軍隊としての規律が正しい(秩序が保たれている)」ということです。
(少なくとも日中戦争までは、日本軍は残虐な軍隊と非難されるどころか、「世界的に見ても規律の正しい軍隊のひとつ」というのが定評でした。)


>中国という外国の土地内に、しかも日本帝国軍隊   ご一同様「いらっしゃいました、歓迎します」と現地「中国国家人民」から言われたわけでもないのに、勝手に土足で侵略侵入進出した「日本軍」は「のっけ」から規律正しくなかったのではありますまいか。


日本が単独で中国にいたわけではなく、英・米・日・ロ・独・仏・伊・墺の8カ国の一員として中国に駐屯していました。

http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/rokoukyou-2.htm
『1897年(明治30年)頃から列強の中国進出に対する反感と生活不安の為義和団の暴動が始まりたびたび外国人が襲われたことから始まる。
1900年(明治33年)には遂には天津の外国人居留地まで襲われる事態になり、当時駐在していた英・米・日・ロ・独・仏・伊・墺の8カ国の連合軍と清・義和団連合軍の戦闘となった。
当初日本は外国人排撃がキリスト教に対する反感も絡んでいたので深入りする気はなかったが英米等の強い要請で結果的には日本軍が中心となり清・義和団連合軍を破った。所謂北清事変である。
この結果の協定で各国は北京・天津に兵を常駐させる権利を得たわけで日本だけではない。』



中国への侵攻作戦は少なくとも日本にとっては、日本への挑発・日本人へのテロを繰り返す「テロリストの頭目への制裁」です。

中国侵攻のきっかけは中国の盧溝橋というところでの発砲事件です。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=ffccf4x78&sid=1143582&mid=72761
要するに、「中国共産党軍の劉少奇一派による謀略」であり、「蒋介石の国民党軍により滅亡寸前だった中共軍を救うために、日本軍と国民党軍を戦わせた」
ということです。

これが「日中戦争がはじまったきっかけ」であり、日本軍はその後も「蒋介石を追い詰めるために南京を攻略」し、「蒋介石が飛行機を使って中国奥地の重慶まで逃げたので、中国奥地に進軍せざるを得なかった」ということです。

当時はもちろん共産軍の謀略とは知りませんでしたし、国民党軍の指導者蒋介石こそ、日本を挑発する張本人と目されていました。(言わばアメリカにとってのイラクバース党のフセインであり、フセインを捕まえるか倒すまではテロは終わらないと考えたようなものです)

もちろん、例によって中国当局は国民に都合の悪いことはなにも知らせませんから、何も知らない重慶市民が、突然の日本軍の攻撃に「侵略だ」と激怒したのは無理の無いことだと思います。

南京虐殺は嘘28 嘘吐きティンパーリー

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/03 22:22 投稿番号: [5212 / 41162]
―――――――――――――――――――
産経新聞(平成15年3月01日)

南京大虐殺   覆す新事実
根拠の著書   中国宣伝本と判明

これまで「南京大虐殺」の根拠とされてきた英国の新聞記者の著書が中国国民党の宣伝書籍だったことを示す極秘文書が二十八日までに、東中野修道・亜細亜大学教授の調査により台湾で発見された。「大虐殺」説を覆す決定的な証拠として注目される。(石川水穂)

  問題の著書は、日本軍の南京攻略当時、英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員だったH・ティンパーリーの『戦争とは何か』。「四万人近くの非武装の人間が南京城外または城壁の付近で殺された」などと書かれ、「大虐殺」の証拠とされてきた。

  東中野教授が見つけた文書は『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』という題で、「極機密」の印が押され、日本軍が南京を占領した一九三七(昭和十二)年十二月から約三年間の中国国民党の宣伝工作を記録していた。

  その中の「対敵宣伝科工作活動概況」という項目で、国際宣伝処が編集・印刷した単行本として『外人目睹中之日軍暴行』を挙げ、「この本は英国の名記者、田伯烈が著した。内容は、敵軍(日本軍)が一九三七年十二月十三日に南京に侵入したあとの姦淫、放火、掠奪、極悪非道の行為に触れ、軍紀の退廃および人間性の堕落した状況についても等しく詳細に記載している」と書いていた。

  『外人目睹中之日軍暴行』は、「外国人が見た日本軍の暴行」という意味で、『戦争とは何か』の中国語版の題名。また「田伯烈」はティンパーリーの中国名にあたる。

  東中野教授は台湾の調査で、一九四三年に発行された『中央党部職員録』も見つけ、その中の「対敵宣伝委員会」のメンバーに、ティンパーリーと対外宣伝について協議した曽虚白がいることを確かめた。また、国民党中央党史史料編纂(へんさん)委員会の所蔵史料から、『戦争とは何か』の中国語版に掲載されている写真と同じ写真を見つけた。

  東中野教授は「『戦争とは何か』が中国国民党の宣伝本であったことは百パーセント確実になった」と話している。

  『戦争とは何か』をめぐっては、ノンフィクション作家の鈴木明氏が、ティンパーリーが中国国民党の顧問だったことを指摘し、立命館大学の北村稔教授が、ティンパーリーと曽虚白の関係を明らかにしている。今回の発見は、鈴木、北村両氏の調査を補強する証拠になるとみられる。東中野教授の詳しい調査結果は、一日発売の雑誌『正論』四月号に掲載される。
―――――――――――――――――――



(参考)

スマイスとティンパーリー
「自伝」のみを唯一の根拠とする判断は誤り
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H15/1511/1511038only.html

>RE:はて?矛盾していないのでは?

投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/05/03 22:16 投稿番号: [5211 / 41162]
>●新聞記事:
>南京を掌握するにあたり、日本軍は、’これまで続いた日中戦争の過程で犯されたいかなる虐殺より’野蛮な虐殺、略奪、強姦に熱中した。

>●回顧談:
>――’上海から南京近郊に到達するまでの過程で’日本軍が中国側の捕虜や民間人を多数殺したという話しは当時あったのですか?
>「いや、それはありませんでした。中国軍は日本軍に正面から戦いを挑まず、撤退していたし、地元の住民もみな避難していたからでしょう。


>新聞記事は、「南京攻略戦以前に虐殺があった」ことを意味しています。

>一方、回顧談では、「日本軍が南京を占領以前には虐殺がなかった」と言っています。



回顧談は、「上海から南京近郊に到達するまでの過程で」の話で、
「日本軍が南京を占領以前」の日中戦争の過程の全てを含んでいるわけではないから、
やはり、矛盾は無いと思います。

全体(日中戦争)では虐殺があったけど、その内の極一部分(上海から南京近郊への進軍過程)では無かった、
と述べているのだと読めます。
 

>ラルフ・タウンゼント

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/03 22:12 投稿番号: [5210 / 41162]
>>ラルフ・タウンゼント
>の件、おもしろいですね。

一応、以下のトピに私のお気に入りの部分だけ日々貼り付けていく予定です。
よろしければご利用ください。

ホーム > 学校と教育 > 教育問題 > 全般 > 子供たちに『歴史』をどう語りたいですか?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=ED&action=m&board=1086165&tid=bbr6a1a4bfa4aa4ka1xnrbbka1ya4ra4ia4a 68la4ja4bfa4a4a4ga49a4aba1a9&sid=1086165&mid=11085

>>ダーディン記事の原文

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/03 22:06 投稿番号: [5209 / 41162]
>なお、でりちゃんの引用文は出所が明らかにされていませんが、

「南京事件資料集 1」(青木書店)の417頁〜422頁だが。



>「民間人多数を殺害
>   民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を日にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。
>   とくに警察官や消防士が攻撃の対象であった。犠牲者の多くが銃剣で刺殺されていたが、なかには、野蛮このうえないむごい傷をうけた者もいた。
>   恐怖のあまり興奮して逃げ出す者や、日が暮れてから通りや露地で巡回中のパトロールに捕まった者は、だれでも射殺されるおそれがあった。外国人はたくさんの殺害を目撃した。」

伝聞であり、ダーディンは目撃していないね。
しかも、外国人が誰かは明記していないが、国民党の顧問だった可能性が極めて高い嘘吐きベイツだった可能性が高い。
そして、ベイツは、ダーディンの何倍も長く南京に留まったが、日本軍による虐殺を目撃していない。


>一般に新聞記事というのはほとんどが取材に基づくものです。

だったら、
―――――――――――――――――――
――日本軍はやはり民間人をも無差別に殺したのですか。

  「はい、無差別の殺害といえます。銃で射つのがもっとも多かった。
  銃剣を使う場合もあった。
  とにかくウサギを殺すような感じでの虐殺が行われたのです」
―――――――――――――――――――
のように、いかにも目撃したかのような回顧談はオカシイだろ。

RE:はて?矛盾していないのでは?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/03 21:49 投稿番号: [5208 / 41162]
●新聞記事:
「中国軍司令部の逃走した南京で日本軍虐殺行為」   ニューヨーク・タイムズ
1938年1月9日   F・ティルマン・ダーディン
(中略)
南京を掌握するにあたり、日本軍は、’これまで続いた日中戦争の過程で犯されたいかなる虐殺より’野蛮な虐殺、略奪、強姦に熱中した。


●回顧談:
――’上海から南京近郊に到達するまでの過程で’日本軍が中国側の捕虜や民間人を多数殺したという話しは当時あったのですか?

「いや、それはありませんでした。中国軍は日本軍に正面から戦いを挑まず、撤退していたし、地元の住民もみな避難していたからでしょう。
  私は当時、虐殺に類することはなにも目撃しなかったし、聞いたこともありません。虐殺は日本軍が南京を占領してからなのです」
  ダーティン氏のこの言葉は「上海から南京までの間で日本軍による大規模な殺害や略奪があった」という一部の説とはくいちがっている。
―――――――――――――――――――



>南京攻略戦の前までと、南京攻略戦を区別して述べていますね。
>前者では虐殺が無く、後者では酷くあったとのことで、矛盾は無いですね。


うーむ、私はどう考えても矛盾があると思います。
矛盾しているのは、南京を占領する【以前に】虐殺があったかなかったかという点ですよ。

新聞記事は、「南京攻略戦以前に虐殺があった」ことを意味しています。

一方、回顧談では、「日本軍が南京を占領以前には虐殺がなかった」と言っています。

>ダーディン記事の原文

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/03 21:45 投稿番号: [5207 / 41162]
ここにほぼ全部の日本語訳があります。
ま、ゆっくり読んでみて下さい
http://www.geocities.jp/yu77799/durdin


なお、でりちゃんの引用文は出所が明らかにされていませんが、こんなこと書いてありますね。
>見出しとその直後にある要約部分に「婦人への暴行」とか「民間人の殺害」という言葉を挿入しているが、その後にある約5000字におよぶ長文レポートにそれらに関する説明がまったくない。

説明は沢山あるんですね。

「民間人多数を殺害
  民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を日にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。
  とくに警察官や消防士が攻撃の対象であった。犠牲者の多くが銃剣で刺殺されていたが、なかには、野蛮このうえないむごい傷をうけた者もいた。
  恐怖のあまり興奮して逃げ出す者や、日が暮れてから通りや露地で巡回中のパトロールに捕まった者は、だれでも射殺されるおそれがあった。外国人はたくさんの殺害を目撃した。」


>ダーディンの約5000字におよぶ長文レポートは、殆どが伝聞記事で、

一般に新聞記事というのはほとんどが取材に基づくものです。
日々の新聞のうち、記者自身が目撃したことだけ抜き出したら全体の何分の一になるか、考えてもらえば解ることで、
「新聞記事が記者自身の目撃ではないから信用できない」と主張したら、まず正気を疑われること請け合いです。
なぜか事が南京事件になると、これで納得してしまう人がいるのです。
普通に考えて非常識な主張なのですがね。
常識とか理性とか言うものは、場当たりではなく、平等に適用されなくてはいけません。

ダーディン記事は「外国人によって目撃された」という記述が多く、それに自身を含むかどうか必ずしも明確ではないですが、
同時に記事を発表したスティールは自分で目撃したと明確に書いています。
http://www.geocities.jp/yu77799/steele

noisemanさん

投稿者: kurobiyouxi 投稿日時: 2005/05/03 21:32 投稿番号: [5206 / 41162]
小生なりに、noisemanさんのメッセージを何度か拝見いたしております。
  文面が分かり易く、読み易くてセンエツですがそう言う趣旨からでありましても、模範的で当方も参考にさせていただきたいと思います。
  以下、余分なことと思いますが、疑問が一つありましたので述べさせて頂きまして終わります。
  >・・日本軍のように規律正しい軍隊   を見た・・
上記の記述部分についてですけれど、
  中国という外国の土地内に、しかも日本帝国軍隊   ご一同様「いらっしゃいました、歓迎します」と現地「中国国家人民」から言われたわけでもないのに、勝手に、土足で侵略侵入進出した「日本軍
」は「のっけ」から規律正しくなかった
のではありますまいか。
  「日本軍兵隊」が、例えば関東地方の
神奈川から関西地方の京都に「断り無く」進出しようが全く「トガメダテなし
かも知れませんが、日本帝国軍隊が、外国(中国)へ「断りなし」で乗り込むなどの振る舞いは、外国(例えば中国国家
軍隊等)人民から皆殺しされても(日本国軍隊が)文句は言えないのではありますまいか。                日本軍が極めて規律正しくない、札付きの悪党軍隊であったのではありますまいかー上記のように外国側(中国側)からの視点は、当時アメリカ・イギリス軍隊に対して、善良な日本国一般庶民・民衆は「鬼畜米英野郎」呼ばわり   を以って嫌悪感を抱いたのも当然至極だったものと言われておりますようですけれど。
  日本軍だけが規律正しい   と言いますことは妄想だったのかも知れませんですが。
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