盧溝橋事件の第一発砲者
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/04/28 10:36 投稿番号: [72761 / 196466]
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/rokoukyou-2.htm
『この銃撃は誰がやったのか、中国だ、いや日本だ、あるいは偶発だなど諸説あったのは事実だが今や全く真相は明らかになっている。
真実はコミンテルンの指示により蒋介石軍と日本軍を徹底的に戦わせ双方の疲弊を俟つ方針に転じた共産軍が仕掛けたものである。
コミンテルンの指示を裏付ける書類は勿論残っているし、更には「劉少奇」が「あれは自分が指揮して学生中心にやらせたものだ」と東京裁判の最中マスコミに発表したことは有名である。
多分日本では進駐軍の検閲が厳しかったから報道されなかったのであろう。
このお陰で裁判に呼ばれていた盧溝橋事件と通州事件の証人は突然「盧溝橋は何も述べなくて良い」と言われ、また訴追されていた「河辺旅団長と牟田口連隊長は突然釈放された」のです。
劉少奇の件は中国人民解放軍総政治部発行のポケット版「戦士政治課本」に
「七・七事変は、劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って党中央の指令を実行したもので、これによってわが党を滅亡させようと第六次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく、蒋介石南京反動政府と日本帝国主義であった。」
と誇らしげに書かれている。
これほど明白な証拠は無いでしょう。』
要するに、「中国共産党軍の劉少奇一派による謀略」であり、「蒋介石の国民党軍により滅亡寸前だった中共軍を救うために、日本軍と国民党軍を戦わせた」
ということです。
これが「日中戦争がはじまったきっかけ」であり、日本軍はその後も「蒋介石を追い詰めるために南京を攻略」し、「蒋介石が飛行機を使って中国奥地の重慶まで逃げたので、中国奥地に進軍せざるを得なかった」ということです。
(もちろん、なにも知らされていない重慶市民が、突然の日本軍の攻撃に「侵略だ」と激怒したのは無理の無いことです。)
これは メッセージ 72724 (n_o_i_s_e_m_a_n さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/72761.html