南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 南京大虐殺映画「金陵十三釵」が大ヒッ

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/16 16:46 投稿番号: [38201 / 41162]
>国際安全委員会の資料で確認出来るよ、チャンコロの人数は。

たかだか15人くらいのメンバーで、20万人の市民の実態の把握は無理だろう。
そんな資料は信用できんな。

Re: 南京に食糧は不足していたか?

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/16 10:06 投稿番号: [38200 / 41162]
携行口糧定量改正案   昭和十一年五月

携行糧秣定数改正要旨

現行携行糧秣の各種定量は将来戦に於ける部隊の行動竝に戦地の給養地誌的特性に鑑みるときは維持増進上不充分なるものあるを以て左の所見を考慮し改正を計るものとす

左記

一.賄い各食品増大に伴い輸送力節減の為に重量、容積を軽減す

二.戦闘、勤務の激化に伴い給養実施に要する労力及び時間を節減す

三.現地に於ける水及び燃料の取得困難なるに伴い其の所要量の減少に資す

四.凍傷予防上食品の洗浄を省き又凍結予防上食品に含有水分の除去に勉

五.現地物資特に生物、干し草等の取得困難なるに鑑み、栄養上欠陥なからしむる如く給養品を補足す

六.資源及び製造能力の関係竝動員上戦用準備品として長期貯蔵を行う必要あるにより代用品を利用す
尚携帯又は尋常糧秣は本案定量のみを以て連続的約二週間(内携帯糧秣約二日)給養実施
衛生的試験を経て成案とする予定とす

↑日本軍は現地調達が困難だと知っていたんだよね、南京攻略前から。

日本陸軍は馬鹿サヨの様に豚馬じゃ無かったという事だね。

Re: 南京に食糧は不足していたか?

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/16 09:05 投稿番号: [38199 / 41162]
英国陸軍尋常糧食一日分

一.生肉1ポンド4分の1若しくは缶詰め肉1ポンド若しくは塩肉1ポンド

一.麺麭1ポンド4分の1若しくはビスケット1ポンド若しくは麺麭粉1ポンド

一.茶   半オンス

一.ジャム   4分の1ポンド

一.砂糖   2オンス

一.塩   半オンス

一.胡椒   36分の1オンス

一.生野菜   半ポンド若しくは乾燥野菜4オンス若しくは乾果物4オンス   生野菜を給せざる時は之が代用としてレモン水320分の1ガロン及び砂糖4分の1オンス

一.ラム酒   64分の1ガロン

一.煙草   一週間に2オンス


糧食携行区分
各自携帯糧秣   携行口糧   1日分   尋常糧食   1日分

大行李      尋常食    1日分

師板糧食段列   携行口糧   1日分   禁状糧食   1日分

師団糧食補給廠   尋常食   3日分

↑これから見て見日本の陸軍の方が多くの食糧を持っていたんだよね。

Re: 昭和十二年支那軍軍隊手帳より抜粋

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/16 03:04 投稿番号: [38198 / 41162]
いいえ中国軍は之を当然として行っていたから、督戦隊というのがあるんですよ。

Re: 南京に食糧は不足していたか?

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/16 03:03 投稿番号: [38197 / 41162]
日本軍はビタミン不足にならない様に乾燥野菜を世界に魁けて開発した、と言うことを知らないお馬鹿さんだね。

其の技術がインスタント食品に応用されているよ。

壊血病になったという資料を知っていれば示して頂戴ね、昭和をの時代に。

Re: 南京大虐殺映画「金陵十三釵」が大ヒッ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/16 03:00 投稿番号: [38196 / 41162]
国際安全委員会の資料で確認出来るよ、チャンコロの人数は。

Re: 南京大虐殺映画「金陵十三釵」が大ヒッ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/01/15 22:57 投稿番号: [38195 / 41162]
>まして中国兵もいない、、となると、想像するだけでも恐ろしい。

↑中国兵がいなければ、安全なのだが、皆軍服を脱いで市民から
奪った平民服に着替えて便衣兵になったから、危険この上もなかった。

>((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル.

↑嘘つけ。

Re: 南京大虐殺映画「金陵十三釵」が大ヒッ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/01/15 22:49 投稿番号: [38194 / 41162]
>これは驚いたな。   日本軍が南京を攻め落としたときに、なんと
20万人もの南京市民が残っていたとは!

>しかもそれほどの大勢の人間が安全区にいたかどうかなんか確認の
しようがない。

↑疑わしいと思うなら貴殿が文書を調べて真実を探求すればよろしい。

Re: 南京に食糧は不足していたか?

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/01/15 21:43 投稿番号: [38193 / 41162]
>乾燥野菜ではビタミン不足になる。

↑そのような記述が栄養学あるいは医学の書籍にあるのか。

Re: 昭和十二年支那軍軍隊手帳より抜粋

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/15 20:14 投稿番号: [38192 / 41162]
>三.民間の財物を盗取する者は死刑に処す

腹が減ってパンを盗んでも死刑になるということか。
これはいかにもやりすぎだろ。
あんまり厳格すぎる法律は、守る兵士がいなくなって逆に規律を乱したんじゃねえのか?

Re: 南京に食糧は不足していたか?

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/15 20:05 投稿番号: [38190 / 41162]
>野菜類110グラム(乾燥野菜)

乾燥野菜ではビタミン不足になる。
自前の食料だけじゃ壊血病になって日本軍は全滅したはず。

Re: 南京大虐殺映画「金陵十三釵」が大ヒッ

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/15 20:02 投稿番号: [38189 / 41162]
>南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

これは驚いたな。   日本軍が南京を攻め落としたときに、なんと20万人もの南京市民が残っていたとは!

しかもそれほどの大勢の人間が安全区にいたかどうかなんか確認のしようがない。

俺は南京市民はてっきり逃げたものとばかり思っていたぜ。

まして中国兵もいない、、となると、想像するだけでも恐ろしい。

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル.

wadatumiさん ⑥ご自分の言葉で語ってね

投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/15 17:42 投稿番号: [38188 / 41162]
●>完璧な人間など、どこにも存在しない。ましてや成長過程では、誰しもが失敗を経験する。若気の至りで他人に迷惑をかけたり試行錯誤を経て世間に尊敬されるような人格者に成長していく。同様にはじめから「完璧な国家」も存在しない。(以下省略)

あなたのお考えが高邁で崇高であることはよくわかりましたし、一般論としては条件付で賛同できるところもありますけれども、歴史事実の検証、特に外交問題が絡むデリケートな事案においては、そのような “きれいごと”はそれこそ「個人的な思い込みに基づく主観」でしかなく、公正で科学的な研究の推進や、諸外国との健全な外交関係の構築に何ら貢献するものではありません。
むしろ邪魔になるだけです。

これまで申しあげてきたとおり、あなたのご投稿は論文を気取っていらっしゃる割には「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」だらけであり、また林茂氏についてのくだりのように、論理的に成り立たない牽強付会ぶりも目に余るものがあります。
少なくともこのトピックスは、参加者の方々がそれぞれの見識や論拠に基づき、ロジカルな議論を比較的短いスパンで重ねることによって運営されてきていると私は認識しております。
これはあくまでも個人的な希望なのですけれども、そうした環境を維持するためにも、あなたの個人的な“随筆”のご開陳ならば、ご自分のブログ限りにしていただけると幸甚でございます。

それから、ご投稿を読ませていただいて、すぐにぴんときたのですけれども、あなたのお書き込みのソースはその大半が(全部とはいいませんけれども)、ネット上の他のウェブサイトから拾ってこられた著作物の受け売りですね。
初めて拝見する文章にも拘らず、かつてどこかで読んだ記憶のある言い回しや表現が複数組み合わされてセンテンスが作られていることを直感致しました。
現に今回のご投稿にあたっても、ネット上のあるサイトの一文を、引用表示することなく、あたかもご自分の文章のようにそっくりそのまま丸写しされていることも、私は気づいています。
また、あなたは38146において、防衛研究所戦史研究センター資料室に言及されましたけれども、おそらくあなたご自身が実際にここに足を運ばれたことは一度もおありにならないものと推察致します。
それどころか、ここに収められている資料を、直接ご自分の目でお読みになったことすらおありにならないのではありませんか?
お読みになっていらっしゃれば、私が上で申しあげたような欠陥だらけの文章をお書きになったり、ウェブサイトや百科事典の記載に頼る必要はないからです。
あなたのご投稿が教訓調でありながら、ひたすら冗長で説得力に欠けるのは、ご自分の言葉で語っていらっしゃらないからです。
ネットからの二次引用、三次引用は見る人が見ればすぐにわかりますし、内容に訴求力がなく、読む気を喪失させてしまいます。

もっともそれがあなたの狙いなのでしょうか?
多いときには一度に20本近くにも渡るお書き込みを、複数のトピックスにわたって何度もマルチ投稿されていらっしゃるのは私の知る限りあなただけです。
多くの人はタイトル一覧を見ただけでうんざりし、中身までは読まないであろうことを承知のうえで、あえてこのような投稿行動を続けていらっしゃるのは、ご自分の投稿を読んでもらうのが目的ではなく、参加者、特に否定派にトピへの参加意欲を失わせることを意図していらっしゃるのではありませんか?
仮に読む人がいたとしても、無意味な長文化によって論点を散逸させ、反論投稿を牽制する、そういう魂胆もおありなのかも知れませんね。
もちろんこれは私の勝手な想像ですから、事実でなければご放念いただいてけっこうです。
ただ、私は職務上、毎日大量の稟議書や報告文の審査・検証を行なう立場にあり、“行間”を読む能力にはそれなりの自負を持っておりますので、上で申しあげたことはそれほど実態とはかけ離れていないと思っております。
文章というものは、たとえそれが匿名での投稿であっても、無意識のうちにいろいろな情報を発信してしまっていることがあります。
よろしかったら今後のご参考にしていただければと思います。



長い時間おつきあいくださいまして、ありがとうございました。
では、よい1週間をお過ごしくださいませ。



your Steffi

wadatumiさん ⑤「南京」はイデオロギー

投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/15 17:18 投稿番号: [38187 / 41162]
●>日本軍の数々の蛮行は世界に報道され、「南京アトロシティーズ」として大きな非難を浴びる結果となった。

誰が、いつ、どのように「大きな非難」を浴びせたのでしょうか?
具体的な事例をお示しのうえ、ご説明くださいませ。
ただし、当時の日本は戦争状態にあったのですから、交戦相手国およびその支援国が戦略上の理由から、誹謗中傷を交えた情報戦を展開するのは当然のお話です。



●>東京裁判になって   いきなり湧いてきたものではない。

では、それまでの間、いわゆる“南京大虐殺”が国際社会において、コンスタントに大きな非難の対象となってきたということを示す出典をお示しください。



●>日本で発刊されている主な辞書事典類、歴史専門書などで南京虐殺事件自体を否定している記述のものは、おそらくひとつもないだろう。いずれも学術的な書籍だからだ。(38150)

「いわゆる“南京大虐殺”」を否定する、あるいは疑問視している研究書や論文が現実に多数発刊されているにも拘わらず、それらを根拠なく学術的でないと決めつけるのは、「見たくないものは存在しないものとする」という幼児的な心理であり、あなたのおっしゃる「個人的な思い込み」以外の何ものでもありません。
先ほども申しあげましたとおり、学問の自由が保障されているこの日本で、もし否定論や懐疑論に一片の正当性も学問的根拠も存在しなかったとしたら、いわゆる“南京大虐殺”をめぐる激しい論争が、戦後70年近くも経過した現在においてもなお継続しているはずがないのですよ。
あなたがこれらの論陣に大きな苛立ちをお感じになるお気持ちはわかりますけれども、それらが学術的であるかないかを決めるのは、長い時間をかけての検証の積み重ねであって、あなたではないということをお忘れなく。



●>純粋な学問とは次元の異なるイデオロギー、政治思想が絡んできて、はじめて「虐殺はウソ」「捏造」という否定論が持ち出される余地が生じてしまうということだ。(38150)


いかにも大所高所からの公正中立ぶりを装って、的外れなことをおっしゃらないでいただけますか?
そもそも中国が発生後8年も経過してから、いわゆる“南京大虐殺”の被害者数として30万人などというあり得ない数字を持ち出してきたこと、そしてその審理が東京裁判という連合国側の軍事行動(軍律審判)の場でなされたという時点で、この問題はすでに「イデオロギー、政治思想」の落とし子でしかなくなってしまったのですよ。
つまり、南京事件にイデオロギー論争としての位置づけを与えたのは、中国であり、アメリカであるということです。
ただし、私はそのこと自体はやむを得ないと思っています。
彼らも主権国家である以上、戦争遂行(軍律審判も戦争行為の一環です)にあたっては、国益追求のためにどんな手段でも用いるでしょうから。
ただ、この論争の出自がそうしたところにある以上、否定派・懐疑派としてもその経緯を踏まえたうえで史料研究なり反論なりを行なうことは当然であって、その検証姿勢を“イデオロギー”呼ばわりすることは本末転倒というものです。
むしろ、先ほど申しあげた「虐殺はあった、しかし数など問題ではない」という破れかぶれな論調こそ、犠牲者数30万人という荒唐無稽な主張を続ける中国に妙な配慮をしてみせることによって事件の真相解明を妨害する「イデオロギー、政治思想」の発露にほかならないのですよ。



●>歴史辞典や歴史教科書、公文書類は、特定思想や政治宣伝に関係して編集されるものではない。(38150)


おっしゃるとおりだと思います。
だとしたら、“捏造派”同様、否定派・懐疑派が今後も自由に研究を続け、その成果を自由に発表することに何の問題もないはずですよね?
いわゆる“従軍慰安婦”問題のように、在野の学者たちによって徹底検証が行なわれた結果、新たな事実が発見されて、歴史事典や教科書が全面的に書き改められるということだって現実に起こっているわけですから。
それはまた、国民をそれまでの固定観念から解放し、新たな知識や視点を与えるという点で、国民の利益にも資するお話だと考えます。
あなたも「歴史の真実に向き合うためには、偏狭な民族感情や頑迷固陋な政治思想を持ち出すべきではない」(38150)とはっきりとおっしゃっていらっしゃる以上、当然ご異論はないものと拝察申しあげます。



(つづく)

wadatumiさん ④国際社会の反応

投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/15 17:15 投稿番号: [38186 / 41162]
●>上記の記事の執筆者は戦前・戦後を通じて有名な日本を代表する歴史学者である林茂氏だ。はっきり言って悪いが、実際には、林氏の記述のほうが正しい。

「有名な」「日本を代表する歴史学者」だから「林氏の記述のほうが正しい」とお考えになるのはご自由ですけれども、それはあなたのおっしゃる「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」(38146)でしかありません。
なぜならば歴史認識の世界では、お互いいくら「有名な」「日本を代表する歴史学者」であっても、その解釈をめぐって180度見解を異にする事例など、掃いて捨てるほどあるからです。
歴史は正解がひとつしかない自然科学の世界とは違います。
時代・立場・信念・価値観等によって、きわめて多種多様な解釈や評価が成立するのは、むしろ当然なのです。
また、研究が進み、新たな史料が発見されることによって、それまでの評価が一転してしまう歴史上の出来事だって稀ではありません。
そのような可能性を追求する自由を最大限に保障する、つまり単一の歴史観を国民に強制しないというのが、あなたのお好きな近代民主主義社会とやらではないのですか?
研究・学問の自由とはまた、科学的根拠に乏しい劣悪な学説を自然淘汰するという機能も併せ持っています。
あなたがあえて「○○氏のほうが正しい」などとおっしゃらなくとも、質の低い学問研究は“市場原理”によって、おのずと学界から駆逐されていくものです。

なお、事典なるものが往々にして間違ったことを書くものであるということは、先ほどの家永訴訟の例でも明らかなとおりですけれども、あなたがここでご引用なさった林茂さんによる執筆記述にも重大な誤字があります(誤:追求→正:追及)。
林さんのミスなのか、出版社による誤植なのかはわかりませんけれども、どちらにしても“学”を売り物にする書物としてはお粗末なお話で、もし前者だとしたら「有名な」「日本を代表する歴史学者」の名が泣こうというものです。
あ、これは場を和ませるための単なる“揚げ足取り”ですから、あまりお気になさらないでくださいね。(笑)



●>当時、アメリカの新聞では   『シカゴ・デイリーニューズ』や『ニューヨーク・タイムズ』、また、中国では『大公報』などのによって“Nanking Massacre Story”、“Rape of Nanking”“Nanking Atrocities”として報道されていた。(ママ)

報道の有無などはどうでもいいのですよ。
問題はそれらの記事の信憑性、つまり情報源が記者自身の直接の取材に基づくものか否か、また報道された“虐殺”が国際法上明らかに違法なものであったかのか否かという点です。
あなたがお挙げになったメディアのひとつ『The New York Times』は、昭和13(1938)年1月4日付の記事で、「安全区に侵入した中国人便衣兵が自国民に暴行を働いてその罪を日本兵に転嫁した」とも報じていますし、同紙のダーディン記者は平成元(1989)年10月の文芸春秋社の取材に対し、南京で数千の民間人の殺害があったとの自分の記事は「伝聞等による推定であった」ということをはっきり認めています。
つまり、この報道はあなたのおっしゃる「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」(38146)に過ぎなかったということです。

そして記事の内容以上に重要な点は、それらが【当時の】国際社会にどう受けとめられたかということです。
先ほども触れましたけれども、南京陥落後ほぼ2か月後の昭和13(1938)年2月、国際連盟理事会において中華民国代表顧維鈞は『The Daily Telegraph』『The London Times』『South China Morning Post』等の記事を引用して、南京で日本軍によって2万人を超える中国人市民が虐殺されたと訴えました。
しかし、連盟は何らの声明も行動も起こしていません。
それ以降、中華民国の当局者を含めて、国際社会でいわゆる“南京大虐殺”が問題視されたことは、昭和21年の東京裁判で唐突に持ち出されるまで、ただの一度もなかったのですよ。



(つづく)

wadatumiさん ③数は重要なファクトです

投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/15 17:13 投稿番号: [38185 / 41162]
●>第十六師団長の日記によると、同師団は12月13日だけで2万4千〜5千人の捕虜を「片づけた」と記録しており、同師団の旅団長も「我支隊のみで二万以上の敵は解決した」と記録している。また、同師団隷下の歩兵第三十三聯隊の戦闘詳報では、13日に捕虜2,896を「処断」したと記録している。

私文書に過ぎない個人の日記、あるいは「片づけた」「敵は解決した」「処断した」といった不明確な表現が、即捕虜の違法な虐殺を“証明”しているとおっしゃりたいのであれば、それが確実に実行されたということを疑問の余地なく立証する裏づけ史料をお示しください。
もし1日で2万人超もの捕虜が違法に殺害されたのであれば、当然第三者による記録や証言等が複数残されているはずです。



(幕府山事件)
●>支隊長の日記には、捕虜の処置について軍司令部と打ち合わせしたこと、その結果、皆殺しにせよとの指示があったことが記されている。

この指示がそのとおり実行されたのであれば、それは明らかにハーグ法違反です。
けれども、その事実を示す客観性のある証拠は何ひとつ存在しません。
確かなことは、日本軍が当初確保した約15,000名のうち、非戦闘員約7,000名を解放したこと、残りの約8,000名については移送中(現地部隊の判断で釈放方針であったという説もあります)に脱走騒ぎが発生したために約半数が殺害されるという事態を招いたこと、その点については捕虜側に非があったとして中国および連合国側も戦後の戦犯裁判で問題にしなかったということです。
この事件に言及されるのであれば、こうした事実にもきちんと触れるべきではありませんか?



●>30万人という数字は、戦後になってから中国政府が主張した犠牲者数であり、事件当時は、その数字は報道されていないし、また、戦後においても、その数が確定されたものではない。

なぜ、現在に至るまで犠牲者数が確定できないのでしょうか?
後述のとおり、中国政府は“事件”直後、国際連盟理事会における演説で、犠牲者は2万人であると主張していました。
それが8年後の東京裁判では一気に15倍の30万人に膨れ上がっています。
“虐殺”は南京、それも多くは国際委員会が監視する安全区という狭い空間で、きわめて短時日のうちに行なわれたということになっています。
それが事実とすれば、たとえ概算ベースであっても、犠牲者数にこれほど大きなぶれが生ずることはあり得ません。
これをあなたがたはどうご説明なさるのでしょうか?

よく“数”など問題ではないとおっしゃる“捏造派”の方が少なからずいらっしゃいますけれども、冗談ではありません。
もし当時の日本軍の行為に何らかの違法性があったとした場合、その被害者数が30万人であるか数千人・数百人であるかは、その事件の歴史的重みを評価するうえで、決定的に重要なファクトです。
少なくとも、私たち良識ある日本人にとっては、祖国がいまだに“加害者”呼ばわりをされる以上、“数”には重大な関心がありますし、主権者のひとりとして、それを主張する相手方に対し、その根拠について納得のいく説明を求める権利があります。
なぜならば、先の大戦においてはわが国民も、中・米・ソといった国々を中心に非戦闘員を含めて百万人単位の同胞を敵国に違法に殺害されており、公正な歴史事実の検証や評価を行なうためには、それらの数字の比較を抜きにしては考えられないからです。

いまさら改めて申しあげるまでもないことですけれども、南京において日本軍による大量虐殺があったと主張されるからには、その立証義務はあったと主張する側に存在します。
ましてや、あなたのおっしゃる「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」(38146)を排除するのであれば、その立証は、【一切の疑問を差し挟む余地のない】明瞭で強力な客観的証拠をもって行なわれなくてはなりません。
その際、犠牲者の数は事件の性格や戦争史上の位置づけを判断する上で、決定的な意味を持ちますから、「虐殺はあった、しかし数など問題ではない」は通用しません。
いっぽう私たち否定派には、(大虐殺呼ばわりされるような違法行為は)“なかった”ことを立証する義務はなく、ただ“捏造派”の論拠の瑕疵や矛盾を指摘すれば足りるということですから、くれぐれもお忘れのなきよう。



(つづく)

wadatumiさん ②南京事件の大きな特徴

投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/15 17:12 投稿番号: [38184 / 41162]
●>南京事件には大きな特徴があり、それが国際的に注目されいまだに語られる原因となっていることを理解すべきだ。

「国際的に注目されいまだに語られ」ているかどうかは別として、「いわゆる“南京事件”」の背景には、他の戦闘に類を見ない、きわめて大きな特徴があったという点については私も同意見です。
すなわち、①中国軍司令官が陥落寸前になって撤退を決断し、その命令が全軍に伝達されないまま多くの中国兵が南京城壁内に取り残されたこと、②それによって中国軍は指揮・命令系統を喪失し、大混乱に陥ったこと、③そのため多くの中国兵が便衣兵となって安全区に逃走し、日本側が掃討作戦を行なわなければならなかったことです。
あなたはどうしてこうした“特殊性”に言及なさらないのですか?



●>日本軍の特徴は、兵士に対する絶対服従の強制があり、兵士の自主性を尊重することなく、がんじがらめの規則と厳しい罰則とで、軍隊の秩序を維持していた。

それが何か?
このようなことは、およそ軍隊と名がつく以上、古今東西を問わず共通のことであって、
別に日本軍だけの特徴ではありませんけれども?
それともあなたは日本軍以外のすべての軍隊は、上官に対する絶対服従の強制など存在せず、戦時においても兵士の自主性(笑!)とやらを尊重し、がんじがらめの規則と厳しい罰則などなくても、戦闘組織たる軍隊としての秩序を維持していたとでもおっしゃるのですか?
でしたら、それを立証する資料をお示しくださいませ。



●>自国の中でも、自己の軍の中でも、人権と自由を尊重しないのだから敵国の捕虜や民衆に対する処遇に、人権尊重を求めるのは無理な話だ。

いかに民主的な国家であっても、戦時においては軍の将兵はもとより、一般国民の人権と自由すらも一時的に制限されるのは当然のことであって、別に日本軍に限ったお話ではありませんけれども。
あなたのご論旨ですと、戦時においても人権と自由が平時同様に保障されていない軍隊は、すべて敵国の捕虜や民衆の人権を蹂躙するということになりますね。



●>このような残虐事件の主役になったのには、相当の背景と原因があったはずだ。

>旧日本軍の構造に、事件誘発の因子があったのだと考えられる。

「あったはずだ」「考えられる」とお思いになるのはご自由です。
けれども、それを以って「いわゆる“南京大虐殺”」が存在したという結論に結びつけるのは、あなたのおっしゃる「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」(38146)そのものです。
南京で発生した惨劇の最大の原因は、「旧日本軍の構造」などという、わけのわからない抽象的なものではありません。
指揮・命令系統の崩壊で総崩れとなった中国兵が便衣兵となって安全区に逃げ込んだことがすべてです。
そのために日本軍が無用の掃討作戦を行なわざるを得なかったことは、当時中国国民党の手先となって反日教宣活動に奔走していたダーディン元記者ですら、平成元年に従来の主張を翻して明確に認めているのに、なぜあなたはこの重要な事実に言及なさらず、「旧日本軍の構造」とやらだけにすべての責任を押しつけるのですか?



●>皇軍の特徴には、非合理な精神主義の強調があった。

>いさぎよく死を選べ、生きて虜囚の恥はさらすな、という規範が日本軍兵士一人ひとりに徹底して刷り込まれた。自軍の捕虜を認めないぐらいだから、相手国捕虜の処遇についてはじつに非道なものとなったのは当然だった。

私も、特に対米宣戦以降、旧軍が精神論だけで戦争を乗り切らせようとしたことは、天皇の神格化と並んで、戦前戦中の日本が犯したおろかな過ちであり、その限りにおいては相応の批判がなされてしかるべきと考えております。
しかし、だからといってそれが「いわゆる“南京大虐殺”」を引き起こしたという客観的な根拠にはなりません。
ましてや「『戦陣訓』があったから相手国捕虜を非道に扱ったのは当然」とのご発言は、論理的因果関係を欠いたきわめて情緒的なご意見であり、さきほどの「旧日本軍の構造」論と同じく、あなたのおっしゃる「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」でしかないのですよ。



(つづく)

wadatumiさん ①重要なのは一次史料です

投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/15 17:10 投稿番号: [38183 / 41162]
wadatumi_voice21さん、はじめまして。
横レスかつ相当な遅レス、失礼致します。



●>丹念に収集された当事者たちの証言、詳細な記録資料などに基づいて検証された、客観的な事実を述べているのだ。

いわゆる“南京大虐殺”など存在しなかったという「丹念に収集された当事者たちの証言、詳細な記録資料」だって山のようにありますよ。
それに「客観的な事実」とは、立場や解釈の相違を超越し、一切の価値判断や推測・憶測を差し挟む余地なく、万人が等しく認知できる事象を言います。
南京事件について申しあげれば、日本軍の進攻時に中国の軍民に相当数の死者が発生したというところまでは客観的事実と呼んでいいと思いますけれども、それらがすべて日本軍による違法な殺害によるものであったかどうか、また世界の戦争史全体の中でそれをどう評価すべきかという点については、いまだに論争が継続中なのですから、その部分についてまで、どちらか一方のロジックで「客観的な事実」が成立していると決めつけるのは妥当性を欠きます。



●>南京事件に関しては、『歴史学事典7戦争と外交』(弘文堂)が詳しく解説している。

これは以前、別の方と「いわゆる“従軍慰安婦”」問題について議論をさせていただいたときにも申しあげたのですけれども、執筆者や出版社の思想的背景や価値判断が色濃く反映された二次的・三次的著作物に過ぎない百科事典の記述などは、歴史的事実を立証するうえで何の根拠にもなりません。
重要なのは、その記述の根拠となった【原史料】【一次史料】です。
あなたもこの事典の記述が正しいとお考えになるのなら、その理由を原史料に基づいてご説明してください。
お出来にならないのであれば、あなたのご論拠は「百科事典にそう書いてあったから」ということにしかならないことになります。

同様のことは、「いわゆる“南京大虐殺”」に関する政府見解、また「いわゆる“従軍慰安婦”」問題に関する「河野談話」等についてもあてはまります。
“捏造派”はよく自分たちのご主張の根拠として、「政府が認めているから」「官房長官が認めているから」とおっしゃいますが、愚の見本です。
政府にしても国会議員にしても、学問的あるいは法的規範性を与えられた存在ではありません。
重要なのは、彼らが「何を根拠(原史料)に、どういう論理構成で」そうした結論に達したかということを検証すべきであって、そこに疑問を差し挟む余地のない明確な論理的整合性が存在しなければ、そのようなものは単なる声明(ステートメント)でしかありません。



●>いわゆる『南京大虐殺論争』が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、いずれも否定論が敗れた。

この一文だけでこの執筆者が家永訴訟について何も理解していない、あるいは意図的に事実と異なる記述をしているということが明瞭に看て取れます。
同訴訟で争点となったのは、①教科書検定おける文部大臣の改善意見の違法性、②検定に応ずることが合格の条件であるとの文部大臣の修正意見が裁量権の範囲の逸脱に該当するか否かの2点です。
そして、いわゆる南京事件に関しては、その具体的事項のひとつとして、軍が組織的に虐殺を行なったと解釈されないよう表現を改めよとの文部大臣の修正意見の適法性について争われたに過ぎず、いわゆる“南京大虐殺”の存否が当訴訟の争点になった事実などは存在しません。
そもそも特定の私人間の紛争解決の場でしかない民事裁判において、学問上の論争の白黒が法的拘束力をもって判断されることなど、常識的に考えてもあり得ないお話です。
この百科事典がいかにでたらめなものかよくわかるというものです。

ちなみに上記争点についての家永氏側の主張は、最高裁において否認されました(というより、この家永訴訟は第一次から第三次に至るまで、ほぼ全面的に原告側の敗訴なのですけれども)。



(つづく)

南京大虐殺映画「金陵十三釵」が大ヒット

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2012/01/15 16:14 投稿番号: [38182 / 41162]
「日本兵の13歳少女強姦シーン見れば『日本人、クソったれ!中国人の永遠の敵』は当然の感想だ」
チベット族出身で支那軍所属女歌手の韓紅
南京大虐殺映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(金陵十三釵)」が大ヒット
ttp://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4512.html

(一部抜粋)

>この問題について韓紅氏は「映画を見た普通の感想を書き込んだだけ。日本兵が13、4歳の少女を強姦しているシーンを見れば、当たり前の感想でしょう」とコメント。


日本兵が13、4歳の少女を強姦しているシーンが現実だったと痛い勘違いをしている。

1937年12月に南京を占領した日本軍兵士による強姦事件は7件〜10件程度しか確認されておらず、被害者が13、4歳だったという話は聞いたことがない。

日本軍への通報記録や軍関係の裁判を司る法務部の塚本浩次部長(上海派遣軍法務官)の証言によれば、南京における日本軍による強姦事件は約7件〜10件だった。

1937年12月13日の南京陥落以降に発生した強姦件数が僅かに10件程度で、掠奪事件も同程度だったことは、驚くほど少ない。

支那軍やソ連軍や米軍などは、その何万倍も虐殺、強姦、掠奪を働いた。

さらに、第十軍法務部長の小川関次郎氏も、1937年11月15日〜12月14日に軍紀及び風紀犯で処罰したのは約20件程度と証言している。


▼「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー」(金陵十三釵)出演の売国奴▼

渡部篤郎(長谷川大佐)

山中崇 (朝倉中尉)

小林成男(加藤中尉)

梶岡潤一

安長博文


●まとめ

日本軍による南京市民虐殺はなかった(犠牲者0人)。

まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領していた上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が徐々に南京に戻って来たからだ。

また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、軍関係の裁判を司る日本の法務部で把握されている。
日本軍では、日本軍将兵が道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけていた。
ところが、「虐殺」事件については南京に居た日本軍憲兵隊などが目撃したことも通報を受けたことも全くなかった。
つまり、日本軍による虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見も全くなかった。

更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日〜1937年10月24日まで300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。

最後に、戦後しばらく経ってから「南京で虐殺した」と自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

以上のことから、支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による死亡事故はあったが、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件は全くなかったと断定できる。

結論!
日本軍による南京虐殺事件は全くなかった(0件)。

Re: 日本のメディアはまだまだおかしい

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/13 08:21 投稿番号: [38181 / 41162]
韓国の従軍慰安婦は戦後の御話しだよね、謝罪したのかい、名誉回復させたのかい?

聞いたことが無いよね。

米国はベトナム戦争時の売春婦達に対して、謝罪したのかい、名誉回復させたのかい?

聞いたことが無いよね。

日本のメディアはまだまだおかしい

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/01/13 00:36 投稿番号: [38180 / 41162]


★『元従軍慰安婦のハルモニの話を日本人はまず聞いてください。』の、さらに続きです。

毎日、東京、朝日と、女性の尊厳を切り売りしたり値切ったり経済と引き換えにしたりするひどい社説ばかりで、日本国の指導者層や支配層の下劣さに悲しくなりました。

前の記事で朝日新聞と、それ以外にいろいろな地方紙の社説を見ましたが、愛媛新聞と北海道新聞が、雑音混じりながら辛うじて(あくまでも辛うじて)他紙とは違いを見せたくらいで、あとはほとんど全滅でした。

日本の新聞の中で、この件で最も良い内容の社説は、琉球新報のようです。

日韓協定の不十分な理解にもとづいて元慰安婦の願いをシャットアウトすることもなく、韓国与党のスキャンダルと絡める横道にそれることもなく、元慰安婦の尊厳を日韓経済と相殺にすることもなく、


他紙が決して触れようとしなかった、『未成年の少女たちも多く含まれていた。軍や警察の統制下で移送され、居住の自由、外出の自由もなかった。』ということにも触れて、慰安婦問題の本質の多くを混じり気なしにずばりと書ききったものだと思います。

記録させていただきます。


このような内容は、歴史や事実のおさらいとしても、女性の尊厳の尊重のためにも、言論機関として言うべきことではないでしょうか。


●琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
社説
「慰安婦」問題   国の責任を明確にせよ
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-185305-storytopic-11.html
2011年12月18日

  日本政府に過去の歴史と謙虚に向き合う姿勢が求められている。
  来日した李明博大統領は日韓首脳会談で、旧日本軍による「慰安婦」問題を取り上げる意向だ。しかし日本は、過去に何度も謝罪しており「解決済み」との従来の立場を変えていない。


  「解決済み」とは加害側が使う言葉ではあるまい。


一般的に加害者が罪を認めて謝罪し、被害者がそれを受け入れなければ解決とみなされない。


  アジア太平洋戦争中、中国や朝鮮半島などから女性が暴力的に拉致されるなどして、日本軍による性暴力被害に遭った。未成年の少女たちも多く含まれていた。軍や警察の統制下で移送され、居住の自由、外出の自由もなかった。


  日本政府は1993年、当時の河野洋平官房長官が軍の関与を認め「おわびと反省」を表明する談話を発表。「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させ、国家賠償ではなく民間募金を「償い金」として渡した。


  だが、この官房長官談話は、政府の最高意思決定手法である閣議決定を受けていない。被害者は日本政府の明確な謝罪を求め、「償い金」の受け取り拒否が続出した。


  来春から使われる中学教科書に「慰安婦」の記述はない。歴史教育の中で、軍による女性に対する性暴力の事実は伝えられない。



  韓国国会は2008年、日本政府による公式謝罪、被害者への賠償、歴史教科書への反映などを求める決議案を全会一致で採択している。ことし8月、解決策を講じない韓国政府に対し、同国の憲法裁判所が違憲判断を示した。


  日本は国際社会からも批判されている。

「20世紀最大の人身売買」(米議会)として米国、カナダ、欧州議会は07年、日本政府に公式謝罪を求める決議を可決した。


  沖縄戦中、朝鮮半島出身の「慰安婦」が存在した。約150人の女性たちを韓国に送還したことが米軍政活動報告(1945年)に記録されているが、詳細は分からない。


  「未来志向の日韓関係」を築くためには過去の歴史に目を閉ざしてはいけない。被害者は高齢であり、日本政府がこれ以上訴えを放置し続ければ、「人権侵害国」と批判されても仕方ない。


  早急に国会決議や閣議決定などの形で国の責任を明確にし、被害者に謝罪と賠償を行い、名誉を回復しなければならない。

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3076.html

終わった

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/01/08 14:13 投稿番号: [38179 / 41162]
YAHOO警告により、投稿不可。
私のIDも削除か。短文は平気?

私のホームページがなくなるかもしれない。

「南京事件元兵士の日記はニセモノ」
「井家又一日記の日本語」今のうちにコピーしておいてほしい。

Re: 海軍主計官のお仕事の一つ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/07 05:29 投稿番号: [38178 / 41162]
海軍の慰安所は、何処にでもあるよ。

特に病院にはね。

特殊慰安所は無いよ。

Re: 海軍主計官のお仕事の一つ

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/01/07 00:38 投稿番号: [38177 / 41162]
やはり、生きてるうちにバレましたね!



★中曽根康弘元首相が旧海軍の主計中尉のころ、ボルネオのバリクパパン(現インドネシア)で慰安所の設置に関与したことを示す旧海軍の資料を市民団体「平和資料館・草の家」(高知市)が入手し、発表した。中曽根氏は回顧録で「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と記していることがすでに明らかになっている。

  資料は「海軍航空基地第2設営班資料」。同館が防衛省防衛研究所の史料閲覧室で見つけた。「第二設営班   矢部部隊」の活動状況が25ページにわたり記されている。隊長、工営長、軍区長と並び、主計長として中曽根氏の氏名があった。

  資料によると、部隊はダバオに上陸した翌1942年にバリクパパンで飛行場の整備などに従事。その際、「(隊員の)気荒くなり、日本人同志けんか等起る様になる」などとして、「主計長の取計(とりはからい)で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」と書かれている。慰安所の場所を示す地図もあった。

  27日に記者会見した同館は「中曽根氏が現地の女性を集めて慰安所を設置するよう計らったことは明らか。軍の関与を示す重要な資料」と主張している。

  【中曽根氏は「終りなき海軍   若い世代へ伝えたい残したい」(文化放送開発センター出版部、1978年刊)に回顧録を寄稿。設営隊の主計長としてバリクパパンに上陸した当時を振り返り、「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と記していた。】


  中曽根氏の回顧録をめぐっては、辻元清美衆院議員(当時社民党)が2007年3月に質問主意書で取りあげたところ、政府は答弁書で「回顧録の中に(慰安所の)記述があることは承知しているが、関係者からの聞き取り調査については答弁を差し控えたい」と回答していた。


  朝日新聞は記者会見があった27日、中曽根康弘事務所にコメントを求めたが、31日までに回答はなかった。(中島嘉克)
.
http://www.asahi.com/national/update/1101/OSK201110310228.html

>↑主計官の御仕事の一つだったんだね。


そうですねー!!

昭和十二年支那軍軍隊手帳より抜粋

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/04 12:34 投稿番号: [38176 / 41162]
鐵の軍律

一.兵に縦にし民を殃する者は死刑に処す

二.婦女に強姦する者は死刑に処す

三.民間の財物を盗取する者は死刑に処す

四.人夫を強制徴収する者は死刑に処す

五.公金を横領せし者は死刑に処す

六.阿片を吸引する者は死刑に処す

七.勇者は単独に前進すべからず怯者も単独に退却すべからず之に違反せし者は死刑に処す

八.壇に歩哨の位置を離るる者は死刑に処す

九.壇に守備の位置を棄つる者は死刑に処す

一〇.武器を携えて逃亡する者は死刑に処す

一一.壇に俘虜となりたる者は死刑に処す

一二.命令を聞くも進まざるもの、援に逡巡する者は死刑に処す

一三.地方に接待を強要する者は十年の監禁に処す千元以上の者は死刑に処す

一四.売買を強要する者は十年の監禁に処す

一五.民家を強要住居する者は七年の監禁にす

一六.人民を罵りたる者は三年の監禁にす

一七.長官を侮辱する者は三年の監禁にす

一八.集会、賭博及び娼妓に戯るる者は五年の監禁に処す

一九.公物を盗買する者は五年の監禁に処す

二〇.不実の報告を為したる者は五年の監禁に処す

二一.出陣に際して仮病を使う者は三年の監禁に処す

二二.戦利品を私蔵せる者は三年の監禁に処す

海軍主計官のお仕事の一つ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/04 11:19 投稿番号: [38175 / 41162]
第一回臨時厨業講習実施報告

本講習は本年官房第四九八号に基づき実施したるものにして二月二十七日講習員一同(官氏名別紙第一の通り)参集同二十八日より講習を開始し三月十三日之を終了せり
本講習は当初計画の通り兵食に適する団体調理の研究を本旨とし之を講演・実演及び見学に分かち別紙第二及び日課表の通り実施したり
講習の実施に付いては固より本校としての最善を尽くしたるを信ずるも、而も其の成果は技術的方面に於いては特記するにたるものを得る能わざりしを遺憾とす、蓋し本講習の講習員は多年厨業に従事し現に厨業教員の任にあるのみなるが故に彼等に対しては単なる技術の移殖よりも彼等が従来会得せし厨業の技術を理論的根據を与え以て厨業の研究を一箇の科学として体形を具えしむるが如くに指導するを主としたると、我が海軍内部未だこの方面に於いて斯くの如き研究を為したるものを有せず為に已むを得ず講師を多方面に求めたるが、其の間の連絡意の如くならざりしと共に部外講師の所説が海軍の実情に暗き感ありしが為なり
然れども本講習の精神的方面の収穫に至りては極めて大なるものありたるを信ず、其の一は講習員をして厨業の任の重且つ大なる事を痛感せしめたる点にして他は厨業の研究が今後科学的に行わざるべからず所以を自覚せしめたる点に存す
−−−中略−−−

昭和二年三月二十八日
  海軍経理学校長   牧   三良

第一回厨業講習員名簿
(佐世保)海軍主計兵曹長   加藤
(横須賀)同         吉田
(呉    )海軍一等主計兵曹   藤井
(横須賀)同          諸田
(呉    )同          河本
(佐世保)同          光吉

講演
・海軍兵食の栄養価に就いて    海軍軍医大佐   菊池
・陸軍に於ける調理教育の状況   陸軍二等主計正   丸本
・食品化学上より見たる調理の原則   海軍技師   高木
・航空糧食調理            海軍主計少佐   長妻
・海軍兵食批判                   山田
・魚類の兵食調理                  野村
・団体調理と海軍兵食         好仁会食堂主任   猪俣
                  海軍主計兵曹長
・公衆食堂の調理           真砂町公衆食堂主任   大河原
                  海軍主計兵曹長

実習
・魚肉料理                野村
・支那料理   日本郵船料理人要請書講師   海老沢

↑主計官の御仕事の一つだったんだね。

海軍の糧食参考

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/04 10:32 投稿番号: [38174 / 41162]
海軍兵食(乙食)

生麺麭      60匁
骨付き生獣肉   45匁
骨付き生魚肉   45匁
白米       90匁
割麦       30匁
生野菜     130匁
砂糖        6匁
第一種漬物    30匁

一日総カロリー   3158.3カロリー

労働多き新兵は一日総カロリー   3593.9カロリー

南京に食糧は不足していたか?

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/04 09:07 投稿番号: [38173 / 41162]
日本軍の戦時糧食の内容(一日分)

主食   精米   640グラム
    精麦   200グラム

副食   肉類   150グラム(缶詰め肉)
    野菜類110グラム(乾燥野菜)
    漬物   梅干し若しくは福神漬け   40グラム
    醤油エキス   20グラム
    食塩      12グラム
    粉味噌     40グラム
    砂糖      15グラム
    茶        3グラム

加給品   清酒   0.4リットル
     火酒   0.1リットル
     甘味料120グラム
     三種の内一種類
     紙巻き煙草   20本

糧食換用品(1日当たり)
乾パン   675グラム
圧搾口糧695グラム

柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/01/04 01:48 投稿番号: [38172 / 41162]
屏東高雄さん

奥様はたしか日系アメリカ人の三世ですね。相変わらず俳句にご精励で、天
と地とをゲットされたとのこと、お祝い申し上げます。その二句をこのトピ
か台湾のトピに披露していただけませんか。

わしの孫娘、はアメリカに住んでいます。11月に台湾へ帰省し1箇月滞在
してからアメリカへ戻りました。アメリカに住んでいるわしの長女も12月
に旦那さんを連れて台湾へ帰省し12日滞在しました。その夫婦が俳句とい
うものを1句日本語で覚えたいというので、教えてやったのが「柿食えば
鐘がなるなり   法隆寺    子規」でした。日本語らしく聞えるように練習して
行きました。

Re: 去年今年貫く棒の如きもの

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/01/03 17:30 投稿番号: [38171 / 41162]
unhooさん:
南CA.の邦字紙の募集で新年の俳句に応募した家内が天と地をとりました。

とにかく謹賀新年/
健康で今年も生きてゆきましょう。
思いもかけぬ場所からの挨拶で驚くなかれ。
当時住んだ鳳山の祝祭日には、緊張して歌ったのは「金鵄輝く日本の栄えある光身にうけてーー」でありました。楽しい平和な毎日でしたね。

今の若手は本島人、内地人、高砂族の呼び名を知らない台湾インテリが一杯
です。you-tubeばかりで調べる、歴史を紐解かない連中がおおすぎます。

お孫さんが来たとあるが、何処からのお孫さんですか?   米国から?

今の台北は選挙で騒々しいでしょう。ぐっすり夜眠れるかな?

柿食えば   鐘がなるなり   法隆寺
さむそうですね。実がなり、落ちる前には柿の葉っぱが全部落ちて
赤い実だけがぶらさがっていますね。

那智高雄より。紀元2671年正月。

人食いの中国から南京事件を言われても

投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2012/01/03 16:20 投稿番号: [38170 / 41162]
日本人は「清朝」を支那人の国と誤解する人が多いが、真実は満州人・モンゴル人・チベット人の連合体の国で、その下に支那人がいた。

その後、清朝崩壊により、支那人が清朝から独立し、その後チベット・モンゴル・満州を侵略したのが今の中国であるので、チベット・モンゴル・満州の国々と中国・支那とは別の国であり、「中国は侵略国家」という主張は正しい。

ところで古来からの日本は、支那大陸の正統な政権と国交を結ばない期間が約1200年で、非公式な国交を結んだ期間が高々百数十年しかない訳ですが、これは日本人の英知・知恵を示すものでしょう。その理由は次のとおりです。

日本で有名な三国志(演義)では、「人食いを大変な美談」とする劉備の逸話などがあります。この他に支那では、親が病で倒れたら子供は自分の腿肉を切って親に食わせよと進めます。このように世界中で人食いを美談とするのは支那人・漢人だけです。

三国志だけでなく文科省推薦図書の水滸伝の日本語訳では、人食いが判らないように意図的に誤訳していますが、本来の水滸伝は初めから終わりまで人食い物語のオンパレードです。

支那人は幼少の時から、この反吐の出る・気色の悪い人食い水滸伝を「楽しく」・「ワクワクとして」子守唄のように聞いて育った人々です。このような支那人・漢人を理解できないし、理解したくもありません。

支那の諺として有名なものに「支那人・漢人は四足の食台以外は何でも食べる」というものがあるが、これは比喩ではなく事実であって、人肉も食べるという意味で使われたのが本来の意味でしょう。

昔の支那の食料市場では、人肉が売られていたことがマルコポーロの東方見聞録等にも記載されているが、日本人の翻訳者が何を思ったのか「事実ではない」等と訳の判らない注釈を付けています。
このように学者は信用ならないという見本ですが、仏教の坊主は、人肉食いを知り尽くしているのに沈黙していますから、もっと悪質です。

ところで人肉の値段ですが、子供(不明)・女(1斤8銭)・男(1斤7銭)との記録がありますが、支那人が人間を「両脚羊」と呼んでいたそうで、マトンとラムを思い出します。

昔の漢方の本草拾遺や本草綱目には、人肉の薬効が記されていましたが、支那の奴隷制度等と「両脚羊」とを織り交ぜると、次のような推測も強ち間違いではないでしょう。
当時の支那人は、豚や牛のように人間を家畜として飼育していた。あるいは薬効が確かめられるほど、組織的・体系的に人食いをしていたのでしょう。

さらにアフリカ等の大飢饉では、10分の1までの人口減少がないので飢饉では急激に人口は減少しない証拠と考えるしかないのですが、支那大陸では王朝交代の度に何度も人口が10分の1まで激減した。
支那の人口減少は恐らく、比較的美味しい子供と女とを先に食べる支那人の食文化が原因でしょう。

ところで今の中国は孔子を世界に広めていますが、孔子がいた頃の王は人食いが大好きでしたが、その孔子も「ししびしお」という塩辛・生ハムが大好物と言われます。
愛弟子が殺され「ししびしお」とされた時に、家にある「ししびしお」を全て捨てたと記録にありますから、その捨てた「ししびしお」は人肉に間違いないでしょうから、孔子も人肉が大好きだったのでしょう。

半世紀前の文化大革命の時でも人食いが大流行したが、その時も、馬鹿な日本の左派学者・朝日新聞・岩波書店などは「文化大革命バンザイ」でしたね、、、、、笑い

第六師団、彼我が損傷一覧

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/03 11:57 投稿番号: [38169 / 41162]
十二月十二〜十三日

師団主力   戦死    56
      戦傷   300

交戦兵力   4,000

戦場遺棄屍体数   1,700

南京攻撃に於ける捕虜数    5,500

南京攻略、指揮系統乱れ無し9

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/03 11:51 投稿番号: [38168 / 41162]
六師作命甲第八十四号
   第六師団命令十二月十四日一一三〇   於南門外司令部

一.南京城内は其の大部部概ね掃蕩せられたるものの如し

二.師団は南京西南部の警備に任ぜんとす

三.諸隊の警備上竝宿営区域別紙の要図の如し(一部は交代し他は命令受領者に記入せしむ)
   城内宿営部隊の城内進入は十四日一四〇〇とす

四.警備上特に留意すべき事項左の如し
   1.南京市内に位置せしむべき兵力は両警備区域内各々歩兵三大隊を限度とし其の各々大隊長の指揮する二中隊を以て警備に任ぜしむるものとす
   2.歩兵第三六旅団長は下関掃蕩後同地に所要の警備兵を残置すべし
   3.対空監視哨竝対空部隊を設くべし
   4.宿営部隊は務めて分散し爆撃を避くると共に給養を便ならしむべし
   5.南京城外宿営部隊各々外方に対し警備するものとす

五.独立機関銃第八大隊第三中隊
   野砲重砲兵第十四連隊第一大隊
   独立野砲兵第二連隊(第二大隊欠)
   独立軽装甲車第二、第六中隊
   は第百十四師団長の区所を以て長與に前進すべし

六.各部隊(輜重兵第六連隊を除く)は師団司令部との間に有線通信を構成すべし

七.師団通信隊は師団司令部と北警備隊及び輜重兵第六連隊間の有線通信網をを又蕪湖警備隊との間に無線通信網を構成すべし

八.予は一五〇〇現在地出発南京城内師団司令部に至る
   歩兵第四五連隊第四中隊は師団司令部直接警戒隊とす
   同第一中隊は連隊長の指揮に復帰すべし

      師団長   谷   中将
    下達法   命令受領者を集め口達筆記せしむ

注意   北警備隊の区域の一部に本十四日及び十五日夜第十八師団の一部宿営に充当しあり

南京攻略、指揮系統乱れ無し8

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/03 11:24 投稿番号: [38167 / 41162]
六師団作命甲第八十四号別紙

軍隊区分
北警備隊
  長   歩兵第三十六旅団長   牛島少将
    歩兵第三十六旅団
    騎兵第六連隊

南警備隊
  長   歩兵第十一旅団長   坂井少将
    歩兵第十一旅団
    野砲第六連隊
    工兵第六連隊
    輜重兵第六連隊

備考
   師団司令部、師団通信隊、軍無線小隊は北警備隊区域内に位置す

南京攻略、指揮系統乱れ無し7

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/03 11:19 投稿番号: [38166 / 41162]
六師命甲第八十一号
   第六師団命令十二月十日一一三〇   於楊心橋南方王家営

一.当面の敵は南京城南側大地を占領しつつあり
   歩兵第三十六旅団正面にある敵は直系軍第八十八師なりしものの如し第百十四師団は花神■付近を攻撃中、第九師団は南京城東南方四粁高橋門、第十六師団は南京城東北方六粁盆路口付近及び南京城北方四粁幕府山を攻撃中なり

二.師団は一挙南京城を占領せんとす

三.右翼隊は当面敵を駆逐し南京城南門中華門及び西南角に対し攻撃すべし

四.左翼隊は逐次兵力を北方に移動し水西門及び漢西門に対し攻撃すべし
   騎兵第六連隊を配属す、逐次迂回隊を下関方面に出し渡河妨害に任ぜしむ

五.第百十四師団との作戦地境及び左右両翼隊との戦闘地境は左の如し

   第六師団、第百十四師団間   南京城南門−朱家営の線

   右翼隊、左翼隊間   宋家王(安徳門西北五百米)−新開地−柏庄、水西門と西南角との中間の線

六.砲兵隊は第一線の推進に伴い安徳門東西の地区に陣地を占領し主力を以て右翼隊一部を以て左翼隊に協力すべし

七.工兵隊は両翼隊に各々二小隊を増加配属し爾余は到着後予備隊と共に位置すべし

八.予備隊は鉄心橋、再善橋を経て先ず子米行に至るべし

九.師団通信隊は前任務を続行し新に左翼隊に有線通信網を構成すべし

十.衛生隊各々三分の一は左右両翼隊に続行し傷者の収容に任ずべし

十一.予は予備隊と共に先ず子米行に至る

        師団長   谷   中将
   下達法   予め要旨を伝え後命令受領者に口達筆記せしむ

六師作命第八十二号
   第六師団命令十二月十三日一一〇〇   於安徳門南側六師山

一.師団は一部を以て城内及び清涼山付近の攻撃を続行すると共に主力は逐次南門外及び生門外に集結せんとす

二.前項部隊の集結地左の如し
   右翼部隊   南門南側部落東部
   左翼隊主力   西門外部落付近
   砲兵隊(野砲第六連隊及び野戦重砲第一四連隊第一大隊)   三里店救済院付近
   師団司令部、師団通信隊、軍無線小隊、歩四五の第一、第四中隊   南門外
   爾余の部隊は集結地及び細部に関しては参謀をして指示せしむ

三.諸隊の行動開始は一四〇〇とす

      師団長   谷   中将
   下達法   電話(報)を以て要旨を伝え後命令受領者を集め口達筆記せしむ

百十四師団死傷者及び射耗弾数

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/03 10:37 投稿番号: [38165 / 41162]
末松師団(114師団)

秣陵関付近戦傷   戦死   34    戦傷    88   戦傷死   9

将軍山付近     戦死    4    戦傷    20   戦傷死   1

南京付近      戦死   206   戦傷   682   戦傷死   6

射耗弾薬概数調査票より抜粋

三八式銃実包   戦闘前携行数   2,959,650
        受数         220,320
        射耗数        591,925
        残数       2,494,970
        補填数        464,680

三年式機関銃実包戦闘前携行数    832,800
        受数          73,320
        射耗数        234,950
        残数         638,620
        補填数        174,180

二六年式拳銃実包戦闘前携行数     45,644
        受数          −−−−−−
        射耗数          3,850
        残数          41,814
        補填数          3,850

九一式曳火手榴弾戦闘前携行数     14,400
        受数           2,480
        射耗数          4,500
        残数          12,380
        補填数          2,020

敵遺棄屍体
秣陵關付近    約200
方山付近     調査中
蒋軍山付近     800
南京付近     5,000

南京攻略、指揮系統乱れ無し6

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/03 10:13 投稿番号: [38164 / 41162]
一一四師作命甲第六十号

    第百十四師団命令十二月十日午後六時   於朱家楼子北方高地

一.敵は我歓降を容れず南京城外一連の陣地に於いて最後の抵抗を辛うじて保持しあり

二.師団主力を曾家門−南京城東南角方向に保持して夜に入るも攻撃を続行し速やかに待望の南京攻略を決行せんとす

三.右翼隊は主力を右翼に保持して当面の敵を攻撃し周家凹東方地区に進出し其の一部を以て南京城東南角及び共和門(通済門)に突入すべし

四.左翼隊は依然攻撃を続行して雨花台に進出し其の一部を以て南門及び其の東城壁に突入すべし

五.両翼隊戦闘地域の境界は周家凹−鮮魚寧−周家楼子の線(線上は左翼隊に属す)とす

六.砲兵隊は主力を以て周家楼子各一部を以て花神■及び牛王村北方地区に陣地を占領し敵砲兵の制圧、城壁の破壊に任じ且つ主力を以て右翼隊の一部を以て左翼隊の戦闘に直接協力すべし

七.騎兵隊は燕子山付近にありて前任務を続行すべし

八.軽装甲軍隊は主力を以て右翼隊の一部を以て左翼隊の戦闘に協力すべし

九.工兵隊は砲兵隊の陣地侵入を援助したる後朱家楼子北方凹地に至り予備隊たるべし

十.師団通信隊は両翼砲兵隊及び騎兵隊と師団司令部との通信連絡に任ずべし

十一.予備隊は朱家楼子北方凹地に位置すべし

十二.衛生隊は丁家港に繃帯所を開設すべし

十三.第二野戦病院は丁家港に病院を開設すべし

十四.予は朱家楼子北方五百米の高地に在り

      師団長   末松   中将
   下達法
    命令受領者を集め口達筆記せしむ

南京攻略、指揮系統乱れ無し5

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/03 02:47 投稿番号: [38163 / 41162]
軍隊区分

右翼隊

長   歩兵第百二十八旅団長   奥少将
   歩兵第百二十八旅団(未到着部隊欠)
   野砲一中隊
   工兵第百十四連隊(第二中隊欠)

左翼隊

長   歩兵第百二十七旅団長   秋山少将
   歩兵第百二十七旅団(未到着部隊及び第六十六連隊第二大隊欠)
   野砲一中隊
   工兵第二中隊(二小隊欠)

砲兵隊

長   野戦重砲第十四連隊長   井手大佐
   野砲兵第百二十連隊(二中隊及び未到着部隊欠)
   野戦銃砲兵第十四連隊(第一大隊連隊段列半部及び未到着部隊欠)
   騎兵隊
   騎兵第百十八大隊
   予備隊
   歩兵第六十六連隊第二第隊(第五中隊欠)
   工兵第二中隊の一小隊

南京攻略、指揮系統乱れ無し4

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/03 02:31 投稿番号: [38162 / 41162]
昭和十二年十二月十日

一一四師作命甲第五十八号
   第百十四師団命令十二月十日午前五時二十五分   於菓■村

一.前面の敵は退却せるものの如し

二.師団は南京に向かい敵を追撃戦とす

三.秋山旅団は先ず■田に向かい本道方面より敵を急追すべし

四.爾余の諸部隊は概ね左の順序により本道上より敵を追撃すべし
   稲垣大体の一中隊、師団司令部一班、野砲兵、野戦重量砲兵、師団通信隊、衛生隊、野戦病院、給水班は概ね列記の順序に払暁後師団主力に追及すべし
   直接掩護の為奥旅団より歩兵一中隊を配属す

          師団長   末松   中将

   下達法   命令受領者を集め口述筆記せしむ

一一四師作命甲第五十九号
    第百十四師団命令十二月十日午前八時   於■田橋北方高地

一.当面の敵は退却しつつあり

二.師団は其の重点を雨花台に指向する如く敵を攻撃して周家凹、雨花台の線に進出せんとす

三.秋山旅団は当面の敵を攻撃して雨花台付近に進出すべし
   工兵第一中隊(二小隊欠)を配属す

四.奥旅団は当面の敵を攻撃して周家凹付近に進出すべし
   工兵第二中隊(二小隊欠)を配属す

五.両旅団の戦闘地域の境界は周家凹西端及び其の南方両点線路の線(戦場は奥旅団に属す)とす

六.砲兵連隊は花神■付近に陣地を占領し主力を以て秋山旅団一部を持って奥旅団の先頭に協力すべし

七.工兵隊は第一中隊(二小隊欠)を秋山旅団第二中隊(二小隊欠)を奥旅団に配属し爾余は現在地に位置すべし

八.軽装甲車隊は主力を以て秋山旅団の一部を以て奥旅団の戦闘に協力すべし

九.師団通信隊は師団司令部と両旅団間の通信連絡に任ずべし

十.爾余は現在地付近に位置すべし
   歩兵第六十六連隊第二中隊は予備隊となり現在地に位置すべし

十一.騎兵大隊は到着するに従い現在地付近に集合し奥旅団の右翼方面に対する進出を準備すべし

十二.予は現在地に在り後秋山旅団の後方を雨花台に向かい前進す

        師団長   末松   中将

   下達法
     部隊の到着に従い直接部隊長に口達筆記せしむ

動員部隊の被服

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/02 15:12 投稿番号: [38161 / 41162]
次官より留守部隊参謀長

一.着装被服は八月二十六日陸支密第一五七号に不拘辺生地出発に当たりては冬期に応ずる被服を着装し別に毛布一枚宛を携行すること

二.留守部隊を除く各部隊は軍帽に換え戦帽を使用するものとし其の所要数を動員完結までに編成地に於いて交付す

三.防毒被服は交付せず

昭和十二年九月十日

陸支密第七九一号昭和十二年九月十日
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