wadatumiさん ④国際社会の反応
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/15 17:15 投稿番号: [38186 / 41162]
●>上記の記事の執筆者は戦前・戦後を通じて有名な日本を代表する歴史学者である林茂氏だ。はっきり言って悪いが、実際には、林氏の記述のほうが正しい。
「有名な」「日本を代表する歴史学者」だから「林氏の記述のほうが正しい」とお考えになるのはご自由ですけれども、それはあなたのおっしゃる「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」(38146)でしかありません。
なぜならば歴史認識の世界では、お互いいくら「有名な」「日本を代表する歴史学者」であっても、その解釈をめぐって180度見解を異にする事例など、掃いて捨てるほどあるからです。
歴史は正解がひとつしかない自然科学の世界とは違います。
時代・立場・信念・価値観等によって、きわめて多種多様な解釈や評価が成立するのは、むしろ当然なのです。
また、研究が進み、新たな史料が発見されることによって、それまでの評価が一転してしまう歴史上の出来事だって稀ではありません。
そのような可能性を追求する自由を最大限に保障する、つまり単一の歴史観を国民に強制しないというのが、あなたのお好きな近代民主主義社会とやらではないのですか?
研究・学問の自由とはまた、科学的根拠に乏しい劣悪な学説を自然淘汰するという機能も併せ持っています。
あなたがあえて「○○氏のほうが正しい」などとおっしゃらなくとも、質の低い学問研究は“市場原理”によって、おのずと学界から駆逐されていくものです。
なお、事典なるものが往々にして間違ったことを書くものであるということは、先ほどの家永訴訟の例でも明らかなとおりですけれども、あなたがここでご引用なさった林茂さんによる執筆記述にも重大な誤字があります(誤:追求→正:追及)。
林さんのミスなのか、出版社による誤植なのかはわかりませんけれども、どちらにしても“学”を売り物にする書物としてはお粗末なお話で、もし前者だとしたら「有名な」「日本を代表する歴史学者」の名が泣こうというものです。
あ、これは場を和ませるための単なる“揚げ足取り”ですから、あまりお気になさらないでくださいね。(笑)
●>当時、アメリカの新聞では 『シカゴ・デイリーニューズ』や『ニューヨーク・タイムズ』、また、中国では『大公報』などのによって“Nanking Massacre Story”、“Rape of Nanking”“Nanking Atrocities”として報道されていた。(ママ)
報道の有無などはどうでもいいのですよ。
問題はそれらの記事の信憑性、つまり情報源が記者自身の直接の取材に基づくものか否か、また報道された“虐殺”が国際法上明らかに違法なものであったかのか否かという点です。
あなたがお挙げになったメディアのひとつ『The New York Times』は、昭和13(1938)年1月4日付の記事で、「安全区に侵入した中国人便衣兵が自国民に暴行を働いてその罪を日本兵に転嫁した」とも報じていますし、同紙のダーディン記者は平成元(1989)年10月の文芸春秋社の取材に対し、南京で数千の民間人の殺害があったとの自分の記事は「伝聞等による推定であった」ということをはっきり認めています。
つまり、この報道はあなたのおっしゃる「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」(38146)に過ぎなかったということです。
そして記事の内容以上に重要な点は、それらが【当時の】国際社会にどう受けとめられたかということです。
先ほども触れましたけれども、南京陥落後ほぼ2か月後の昭和13(1938)年2月、国際連盟理事会において中華民国代表顧維鈞は『The Daily Telegraph』『The London Times』『South China Morning Post』等の記事を引用して、南京で日本軍によって2万人を超える中国人市民が虐殺されたと訴えました。
しかし、連盟は何らの声明も行動も起こしていません。
それ以降、中華民国の当局者を含めて、国際社会でいわゆる“南京大虐殺”が問題視されたことは、昭和21年の東京裁判で唐突に持ち出されるまで、ただの一度もなかったのですよ。
(つづく)
「有名な」「日本を代表する歴史学者」だから「林氏の記述のほうが正しい」とお考えになるのはご自由ですけれども、それはあなたのおっしゃる「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」(38146)でしかありません。
なぜならば歴史認識の世界では、お互いいくら「有名な」「日本を代表する歴史学者」であっても、その解釈をめぐって180度見解を異にする事例など、掃いて捨てるほどあるからです。
歴史は正解がひとつしかない自然科学の世界とは違います。
時代・立場・信念・価値観等によって、きわめて多種多様な解釈や評価が成立するのは、むしろ当然なのです。
また、研究が進み、新たな史料が発見されることによって、それまでの評価が一転してしまう歴史上の出来事だって稀ではありません。
そのような可能性を追求する自由を最大限に保障する、つまり単一の歴史観を国民に強制しないというのが、あなたのお好きな近代民主主義社会とやらではないのですか?
研究・学問の自由とはまた、科学的根拠に乏しい劣悪な学説を自然淘汰するという機能も併せ持っています。
あなたがあえて「○○氏のほうが正しい」などとおっしゃらなくとも、質の低い学問研究は“市場原理”によって、おのずと学界から駆逐されていくものです。
なお、事典なるものが往々にして間違ったことを書くものであるということは、先ほどの家永訴訟の例でも明らかなとおりですけれども、あなたがここでご引用なさった林茂さんによる執筆記述にも重大な誤字があります(誤:追求→正:追及)。
林さんのミスなのか、出版社による誤植なのかはわかりませんけれども、どちらにしても“学”を売り物にする書物としてはお粗末なお話で、もし前者だとしたら「有名な」「日本を代表する歴史学者」の名が泣こうというものです。
あ、これは場を和ませるための単なる“揚げ足取り”ですから、あまりお気になさらないでくださいね。(笑)
●>当時、アメリカの新聞では 『シカゴ・デイリーニューズ』や『ニューヨーク・タイムズ』、また、中国では『大公報』などのによって“Nanking Massacre Story”、“Rape of Nanking”“Nanking Atrocities”として報道されていた。(ママ)
報道の有無などはどうでもいいのですよ。
問題はそれらの記事の信憑性、つまり情報源が記者自身の直接の取材に基づくものか否か、また報道された“虐殺”が国際法上明らかに違法なものであったかのか否かという点です。
あなたがお挙げになったメディアのひとつ『The New York Times』は、昭和13(1938)年1月4日付の記事で、「安全区に侵入した中国人便衣兵が自国民に暴行を働いてその罪を日本兵に転嫁した」とも報じていますし、同紙のダーディン記者は平成元(1989)年10月の文芸春秋社の取材に対し、南京で数千の民間人の殺害があったとの自分の記事は「伝聞等による推定であった」ということをはっきり認めています。
つまり、この報道はあなたのおっしゃる「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論」(38146)に過ぎなかったということです。
そして記事の内容以上に重要な点は、それらが【当時の】国際社会にどう受けとめられたかということです。
先ほども触れましたけれども、南京陥落後ほぼ2か月後の昭和13(1938)年2月、国際連盟理事会において中華民国代表顧維鈞は『The Daily Telegraph』『The London Times』『South China Morning Post』等の記事を引用して、南京で日本軍によって2万人を超える中国人市民が虐殺されたと訴えました。
しかし、連盟は何らの声明も行動も起こしていません。
それ以降、中華民国の当局者を含めて、国際社会でいわゆる“南京大虐殺”が問題視されたことは、昭和21年の東京裁判で唐突に持ち出されるまで、ただの一度もなかったのですよ。
(つづく)
これは メッセージ 38149 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.