wadatumiさん ①重要なのは一次史料です
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/15 17:10 投稿番号: [38183 / 41162]
wadatumi_voice21さん、はじめまして。
横レスかつ相当な遅レス、失礼致します。
●>丹念に収集された当事者たちの証言、詳細な記録資料などに基づいて検証された、客観的な事実を述べているのだ。
いわゆる“南京大虐殺”など存在しなかったという「丹念に収集された当事者たちの証言、詳細な記録資料」だって山のようにありますよ。
それに「客観的な事実」とは、立場や解釈の相違を超越し、一切の価値判断や推測・憶測を差し挟む余地なく、万人が等しく認知できる事象を言います。
南京事件について申しあげれば、日本軍の進攻時に中国の軍民に相当数の死者が発生したというところまでは客観的事実と呼んでいいと思いますけれども、それらがすべて日本軍による違法な殺害によるものであったかどうか、また世界の戦争史全体の中でそれをどう評価すべきかという点については、いまだに論争が継続中なのですから、その部分についてまで、どちらか一方のロジックで「客観的な事実」が成立していると決めつけるのは妥当性を欠きます。
●>南京事件に関しては、『歴史学事典7戦争と外交』(弘文堂)が詳しく解説している。
これは以前、別の方と「いわゆる“従軍慰安婦”」問題について議論をさせていただいたときにも申しあげたのですけれども、執筆者や出版社の思想的背景や価値判断が色濃く反映された二次的・三次的著作物に過ぎない百科事典の記述などは、歴史的事実を立証するうえで何の根拠にもなりません。
重要なのは、その記述の根拠となった【原史料】【一次史料】です。
あなたもこの事典の記述が正しいとお考えになるのなら、その理由を原史料に基づいてご説明してください。
お出来にならないのであれば、あなたのご論拠は「百科事典にそう書いてあったから」ということにしかならないことになります。
同様のことは、「いわゆる“南京大虐殺”」に関する政府見解、また「いわゆる“従軍慰安婦”」問題に関する「河野談話」等についてもあてはまります。
“捏造派”はよく自分たちのご主張の根拠として、「政府が認めているから」「官房長官が認めているから」とおっしゃいますが、愚の見本です。
政府にしても国会議員にしても、学問的あるいは法的規範性を与えられた存在ではありません。
重要なのは、彼らが「何を根拠(原史料)に、どういう論理構成で」そうした結論に達したかということを検証すべきであって、そこに疑問を差し挟む余地のない明確な論理的整合性が存在しなければ、そのようなものは単なる声明(ステートメント)でしかありません。
●>いわゆる『南京大虐殺論争』が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、いずれも否定論が敗れた。
この一文だけでこの執筆者が家永訴訟について何も理解していない、あるいは意図的に事実と異なる記述をしているということが明瞭に看て取れます。
同訴訟で争点となったのは、①教科書検定おける文部大臣の改善意見の違法性、②検定に応ずることが合格の条件であるとの文部大臣の修正意見が裁量権の範囲の逸脱に該当するか否かの2点です。
そして、いわゆる南京事件に関しては、その具体的事項のひとつとして、軍が組織的に虐殺を行なったと解釈されないよう表現を改めよとの文部大臣の修正意見の適法性について争われたに過ぎず、いわゆる“南京大虐殺”の存否が当訴訟の争点になった事実などは存在しません。
そもそも特定の私人間の紛争解決の場でしかない民事裁判において、学問上の論争の白黒が法的拘束力をもって判断されることなど、常識的に考えてもあり得ないお話です。
この百科事典がいかにでたらめなものかよくわかるというものです。
ちなみに上記争点についての家永氏側の主張は、最高裁において否認されました(というより、この家永訴訟は第一次から第三次に至るまで、ほぼ全面的に原告側の敗訴なのですけれども)。
(つづく)
横レスかつ相当な遅レス、失礼致します。
●>丹念に収集された当事者たちの証言、詳細な記録資料などに基づいて検証された、客観的な事実を述べているのだ。
いわゆる“南京大虐殺”など存在しなかったという「丹念に収集された当事者たちの証言、詳細な記録資料」だって山のようにありますよ。
それに「客観的な事実」とは、立場や解釈の相違を超越し、一切の価値判断や推測・憶測を差し挟む余地なく、万人が等しく認知できる事象を言います。
南京事件について申しあげれば、日本軍の進攻時に中国の軍民に相当数の死者が発生したというところまでは客観的事実と呼んでいいと思いますけれども、それらがすべて日本軍による違法な殺害によるものであったかどうか、また世界の戦争史全体の中でそれをどう評価すべきかという点については、いまだに論争が継続中なのですから、その部分についてまで、どちらか一方のロジックで「客観的な事実」が成立していると決めつけるのは妥当性を欠きます。
●>南京事件に関しては、『歴史学事典7戦争と外交』(弘文堂)が詳しく解説している。
これは以前、別の方と「いわゆる“従軍慰安婦”」問題について議論をさせていただいたときにも申しあげたのですけれども、執筆者や出版社の思想的背景や価値判断が色濃く反映された二次的・三次的著作物に過ぎない百科事典の記述などは、歴史的事実を立証するうえで何の根拠にもなりません。
重要なのは、その記述の根拠となった【原史料】【一次史料】です。
あなたもこの事典の記述が正しいとお考えになるのなら、その理由を原史料に基づいてご説明してください。
お出来にならないのであれば、あなたのご論拠は「百科事典にそう書いてあったから」ということにしかならないことになります。
同様のことは、「いわゆる“南京大虐殺”」に関する政府見解、また「いわゆる“従軍慰安婦”」問題に関する「河野談話」等についてもあてはまります。
“捏造派”はよく自分たちのご主張の根拠として、「政府が認めているから」「官房長官が認めているから」とおっしゃいますが、愚の見本です。
政府にしても国会議員にしても、学問的あるいは法的規範性を与えられた存在ではありません。
重要なのは、彼らが「何を根拠(原史料)に、どういう論理構成で」そうした結論に達したかということを検証すべきであって、そこに疑問を差し挟む余地のない明確な論理的整合性が存在しなければ、そのようなものは単なる声明(ステートメント)でしかありません。
●>いわゆる『南京大虐殺論争』が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、いずれも否定論が敗れた。
この一文だけでこの執筆者が家永訴訟について何も理解していない、あるいは意図的に事実と異なる記述をしているということが明瞭に看て取れます。
同訴訟で争点となったのは、①教科書検定おける文部大臣の改善意見の違法性、②検定に応ずることが合格の条件であるとの文部大臣の修正意見が裁量権の範囲の逸脱に該当するか否かの2点です。
そして、いわゆる南京事件に関しては、その具体的事項のひとつとして、軍が組織的に虐殺を行なったと解釈されないよう表現を改めよとの文部大臣の修正意見の適法性について争われたに過ぎず、いわゆる“南京大虐殺”の存否が当訴訟の争点になった事実などは存在しません。
そもそも特定の私人間の紛争解決の場でしかない民事裁判において、学問上の論争の白黒が法的拘束力をもって判断されることなど、常識的に考えてもあり得ないお話です。
この百科事典がいかにでたらめなものかよくわかるというものです。
ちなみに上記争点についての家永氏側の主張は、最高裁において否認されました(というより、この家永訴訟は第一次から第三次に至るまで、ほぼ全面的に原告側の敗訴なのですけれども)。
(つづく)
これは メッセージ 38146 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.