入って中国人に南京事件真相議論しましょう
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1月11日 和平関係の大本営御前会議
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/23 16:08 投稿番号: [290 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 263〜264p
一月十一日、政府、大本営首脳をあつめた御前会議がひらかれた。
近衛首相が回答期限を十日にしたのは、この日の御前会議が予定されていたので、
その前に中国側の姿勢を知っておきたい、と思ったからである。
だが、返事は来ない。
大本営御前会議は、日本にとっては、日露戦争いらいの行事である。
とかく〝欲ぼけ〟的に長期戦にはまりこむことをおそれた参謀本部が、
とくに強硬に開催を主張した。
このさい、情勢の変化に応じて転変しないよう、
はっきりと和平交渉の基本方針を確立しておく必要がある。
その方針を最重要のものとして 「確固不動」 にするには、閣議や大本営・政府
連絡会議ではなく、御前会議での決定こそ望ましいし、また、ふさわしい……。
外務省や海軍、陸軍の首脳部の間には、御前会議をひらくほどのこともない
との意見が強かったが、参謀本部はがんばった。
第二課員堀場一雄少佐は、海軍省軍務局第一課長保科善四郎大佐と激論し、あわや、
「彼、逆上して短剣を抜きて迫らんか、余は水月をもって之に応ぜん」
と、身がまえる一幕もあったほどだが、ともかく御前会議開催にこぎつけたのである。
会議は、前年十二月二十一日の閣議で決定した和平条件を
「支那事変処理根本方針」 としたが、「支那現中央政府」 が
「和ヲ求メ来ラザル場合」 の対策を、次のように規定した。
「帝国ハ、爾後 (じご) 之 (これ) ヲ 相手トスル
事変解決ニ 期待ヲ掛ケズ……
之ガ潰滅ヲ図リ、又ハ 新興中央政権ノ 傘下ニ
収容セラル如ク施策ス」
そして、中国側の回答期限を、あらためて 「一月十五日」 に設定した。
なぜ、十五日なのか。
一月二十日ごろに再開される第七十三帝国議会にそなえるためだ、と知り、
「血ノ気ノ多イ」 参謀本部第二課員堀場少佐は、またもカッとした。
「国家の運命を決する大事を、議会対策の便宜より割出す。
本末顛倒も甚しきものなり」
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1月11日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/22 18:44 投稿番号: [289 / 2250]
一月十一日
イギリス大使館を訪ね、プリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、ローゼン、
アリソン、ヒュルター各氏と会う。
イギリス、ドイツ、アメリカの大使館で私の頼みを引き受けてくれた。
頼みというのは、日本兵の違法行為に関する日々の報告を我々から受け取って、
日本大使館あるいはそれぞれの国の政府に転送することだ。
こうしてもらえれば委員会はうんと助かる。もし、それぞれの大使館が今後も
日本軍に抗議し続けてくれれば、じき、状況は良くなるかもしれない。
今日の昼、日本軍に米の輸送を禁止された。
これは我々が自治委員会のために計画したものだ。
午後、私がまだ本部にいたとき、日本の警察がやってきて家捜しをした。
脱走兵が略奪した古着を探しているという。
その服は、数日前、その兵士からうけとって本部のフィッチの事務所にしまってあった。
たまたまフィッチの部屋だけに鍵がかかっていたため、怪しまれてしまった。
だが、警官がドアをこじ開ける前に、クレーガーが現れ、鍵を持ってこさせて、
はいよ、と服を渡した。
まったく日本の警察のやりかたはわけがわからない。
おだやかに入ってきても、我々はやはりあっさり渡しただろう。
なにも完全包囲することなどないのだ。中国人脱走兵が服を略奪したと聞いて、
それをネタに 「事件」 をでっちあげようとしたらしい。
今度こういう目にあったときのために、大使館と連絡をとっておかなければ。
これは メッセージ 288 (kireigotowadame さん)への返信です.
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ベイツの盗品リストは語る
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/21 18:57 投稿番号: [288 / 2250]
つづき
松村俊夫著 『「南京虐殺」 への大疑問』 143〜144p
最後の三種類をのぞいた他の品物はすべて、私の敷地から持ち去られたのである。
一
食料品 ― 果物・牛肉・魚の缶詰、砂糖、食料雑貨類
(現地通貨で)
三五元
二
道具、台所道具 ― 鋸、手斧、金槌二個、ベンチ、バリカン、
重たいアルミニウム製台所道具五個、ライター四個
四五元
三
羊毛製衣料 ― 重い外套、セーター二枚、毛皮付の婦人コート
二二〇元
四
絵画 ― 中国画五巻、金箔の額つき西洋画複製大型二枚、同小型三枚
一八一元
五
蓄音機とレコード ― 蓄音機 (七五元)、レコード八五枚 (すべてアメリカ製と
イギリス製で平均四・五元)
四五七・五〇元
六
毛布 ― 北京絹の大:一六〇元と一二五元、北京絹の小:一九元三枚
三四二元
七 ランプと傘
―
大きい石油ランプ一式、特製の傘付電気スタンド一個
一九元
八
磁器
―
高級な花瓶二個、古壷五個
五五元
九
テーブルクロスと刺繍飾り
―
大きいテーブルクロス四枚 (アメリカ製
リンネン高級品、単価五二元)、ナプキン二四枚 (七〇元)、昼食会用
上質リンネンクロス六枚 (単価一二元)、ナプキン四二枚 (四〇元)、
高価な絹の刺繍飾り七枚 (六五元)
四五五元
一〇
寝具
―
尚級シーツ九枚 (単価七・五〇元)、枕おおい六枚(単価四元)、
掛布四枚(単価
一一元)
一三五・五〇元
一一
自転車
−
子供用
一五元
一二
切手アルバムと収集切手
−
二人の男の子の収集
五〇元
一三
机
−
上等なアメリカ製のウインスロップ総督型、机の上面とガラス戸、
鍵付の引き出しが壊され、切り傷をつけられる
二五元
一四
鍵
−
(トランクや箱の破損も含む)高価なダイアル錠五個
二〇元
一五
ドライ・クリーニングやアイロンないしは洗濯された物
−
家族の衣服と
家庭所有リンネンの残りがすべて汚損され踏みつけられる
五〇元
合計二〇一五・〇〇元
アメリカ通貨による請求
一ドル=三・四〇元
合計五九二・六五ドル》
〈①220〜221頁〉
この盗品リストを見るとき、明日にも前進命令が下るかもしれない日本兵が
持ち出したものか、それとも、スティールが表現した「逸品」ばかりの宝の山に
入った難民達が略奪して露店に並べた(後述)ものか、正常な判断力を持つ者なら、
ためらわず後者を指し示すだろう。》
*
二にベンチとあるのは、多分ペンチの誤植と思われるが一応元のままにしておく。
三の毛皮付婦人コート
これも兵隊は着られない。
一一の子供用自転車
こんなもの盗んでどうする。
こういう物は中国人が略奪して、露店で売っていると解釈するのが自然だろうに。
ベイツ達外国人はあくまでも、日本軍の犯行にしたいらしい。
*
「リッグズが目撃者」と書いているが、
11回の略奪すべてに立ち会ったわけでもあるまいに。
これは メッセージ 287 (kireigotowadame さん)への返信です.
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委員会が記録する日本軍の暴状
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/21 18:47 投稿番号: [287 / 2250]
12月19日〜1月上旬
児島襄著 『日中戦争4』
250〜251p
《十二月十九日から一月上旬にかけて、委員会が耳にした被強姦者は、
「七十五人」 である。
掠奪された品目は、次のとおり。
「自動車三輌、自転車六台、水牛二頭、牝牛九頭、ロバ一頭、フトン二十六枚、
フトン・カバー十二枚、ピアノ一台、タバコ七缶、靴一足、時計一個、背広一着、トランク一個」
そして、なぜか、人力車一台、蚊帳 (かや) 三、消防自動車のタイヤが〝強奪〟
された、という。
消防自動車のタイヤは、予備品としての効用があろうが、人力車はどうするのか。
とくに真冬の南京での蚊帳の利用法は、なかなかに推断し難い。
あるいは、死体が多いために冬でもハエが発生したのだろうか……。
この第二期は、まさに第十六師団が南京を管理した時期にはいっているが、同時に、
日本側が、本格的に兵士の悉意的行為の取りしまりにのりだしたころでもある。》
*
真冬に蚊帳を盗んでどうするのか、というのもあるが、背広も意味ないだろう。
軍隊では着る時がない。
それだけではない、ここには書いてないが、ベイツの「盗品リスト」によると
「子供用自転車」もある。
こんな物、兵隊が盗んでも使えないだろうに。
そこで、次に、ベイツの「盗品リスト」を紹介しよう。
松村俊夫著 『「南京虐殺」 への大疑問』 142〜143p
《『資料集①』 に、「日本兵の略奪による損失に関するM・S・ベイツの申立て」
(南京、一九三七年十二月十八日から一九三八年一月十一日まで)という文書がある
〈①219〜221頁〉。
ベイツは国際委員会の中心人物であり、金陵大学の教授で宣教師でもあった。
この文書の日付と宛名の明記はない。
しかしここには、彼の私宅へ日本兵が十回か十一回やってきて略奪し破壊して
いったという品目が書かれている。
同じ国際委員会のリッグズが目撃者だったとか、日本軍補助憲兵も侵入したなどと書き、
その件を日本大使館に文書で連絡したが関心を示さなかった、と強調している。
ここに、日本兵が 「家の二部屋の床に排便を残していった」 とまで書きつつ
示した盗品リストを転載する。
先の郭岐の文章にある盗品の品目と比べれば、略奪の真相が見えてくるのではないだろうか。
《以下に品目別に盗難および破損のリストを記す。しかし、多くの細かい物は
除外してあるし、私の家族が危険を避けて不在であることにより、不十分さは避けられない。
つづく。
これは メッセージ 286 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月10日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/20 16:05 投稿番号: [286 / 2250]
一月十日
(前略)
九時
クレーガーが、石田少佐から返事をもらって帰ってきた。
日本軍はなんと、我々に米や小麦粉を売ろうとしない。
はっきり約束したくせに。自治委員会だけに売ろうというのだ。
我々のほうでは、言われたとおり今朝早々と米の販売を中止してしまった。
難民たちはひどくがっかりした。
自治委員会がまだ専用の販売所を開いていないからだ。これは大変なことになる!
ローゼンが本部に訪ねてきた。日本軍は、私にだけでなくローゼンにも、
報告書に少し手加減してもらいたいといってきたという。
ローゼンはいった。「だから、『あなた方に水と電気をとめられたと報告して
おきましょう』 といってやりましたよ」
十六時
自治委員会は、安全区のなか、我々の本部の近くに販売所をつくった。
これで、さしあたっての最大の難問は解決したことになる。
アリソン氏に引き合わせるため、ミルズは私をつれてアメリカ大使館に行った。
これまで我々が日本大使館に毎日提出してきた、ひきもきらない日本兵の犯罪に
関する報告書を代わって作ってくれることになったのだ。
ヒュルターから聞いたところでは、クトゥー号の船内で、P氏とⅤ・S氏が衝突したそうだ。
その結果、P氏はⅤ・S氏に (武器はピストル、距離は三十歩の) 決闘を申しこんだ。
そうこうしているうちに、二人は香港についた。
だが、香港では決闘がゆるされていないので、ドイツにもちこすことになった。
その後P氏もⅤ・S氏も別々の船で帰国した。
まったくなにをかいわんやだ。
われわれはここで、命がけで他人の命を救おうとしているというのに、
同じドイツ人が自分の命をもてあそんでいるとは。
これは メッセージ 284 (kireigotowadame さん)への返信です.
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Re: akbsol333eさんへ
投稿者: akbsol333e 投稿日時: 2009/12/20 03:08 投稿番号: [285 / 2250]
ありがとうございます。
参考図書は少しずつ読んでみます。
あと投稿されている内容もゆっくり読んでいこうと思います。
これは メッセージ 282 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月9〜10日 日本人各人の対中意見
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/19 16:11 投稿番号: [284 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 263p
(川越大使の談話の) 二日後 (9日) の閣議では、かねて強硬意見を開陳している
末次内相が、よりエスカレートして強調した。
「ことここにおよんで、なお国民政府が迷夢よりさめず、妄動をつづける以上、
断乎として宣戦布告によってさらに徹底的戦果をあげるとともに、
軍需品の送道をたち、軍事上、財政上、ともに最後的打撃をあたうべきである」
そうかと思えば、回答期限にさだめた一月十日、
駐独大使東郷茂徳はドイツ外相ノイラートに、通告した。
「日本政府は、もはや蒋介石を中国の中央政府の代表とは考えていない……。
中国側が軍事的勝利をおさめる可能性を考えるのは、幻想である」
これは メッセージ 278 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月9日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/18 18:56 投稿番号: [283 / 2250]
一月九日
午前十時。自治委員会のメンバー、王承○(字がない)(通称ジミー)との談合。
数日前、国際委員会の活動を日本軍が力ずくでやめさせようとしていたと聞かされる。
結局これは実行には移されなかったが、
我々は今後難民に米を売ってはならないことになった。
もし、自治委員会が販売を引き受けるというのなら、異存はない。
ローゼン家とヒュルター家、それから大使館にいってみた。
どこも問題はないが、電気も水もとまっている。
十一時にクレーガーとハッツが本部に来て、
たまたま目にするはめになった 「小規模の」 死刑について報告した。
日本人将校一人に兵士が二人、山西路にある池のなかに中国人 (民間人) を追いこんだ。
その男が腰まで水につかったとき、兵士のひとりが近くにあった砂嚢のかげに
ごろりと寝ころび、男が水中に沈むまで発砲し続けたというのだ。
ローゼンとヒュルター、シャルフェンベルクの三人が
イギリス砲艦クリケットで到着した。
イギリス大使館の役人三人とプリドー=ブリュン領事、
フレーザー大佐、空軍武官のウォルサー氏もいっしょだった。
だがウォルサー氏は、事前に報告しなかったといいがかりをつけられて、
上陸させてもらえなかった。
午後二時、クレーガー、ハッツ、私の三人で、ドイツ大使館にいった。
三時に、日本大使館の田中、福田両氏といっしょにローゼンたち三人がやってきた。
我々はクレーガーがどこからか接収してきたシャンパンで歓迎の意を表した。
ローゼンは、盗まれた車の代わりに、豪華なビュイック一台と、
ドイツ大使館用の公用車を一台、日本から借り受けた。
ぜったいに返すものかと息巻いている。
それからみなでシャルフェンベルクの家に行ってみた。
家中ひっかきまわされ、目も当てられない状態だ。
大切にしていた品のなかでも彼がとくに残念がったのは、シルクハットと
ネクタイだった。なにしろ四十本もあったのだ。
今度また休暇で日本へ行ったら、みなでぬかりなく目を光らせ、シャルフェン
ベルクの高級ネクタイをしている奴をとっつかまえてやろうということになった。
それを除けば、シャルフェンベルクは冷静だった。
怒り狂うのではないかと思っていたのだが、そんなことはなかった。
三十七年間中国にいる間に、めったなことでは動じない人間になっていたのだ。
夜八時。ドイツ大使館の三人とクレーガーを夕食に招いた。ワインもある。
クレーガーが以前、シャルフェンベルクの家から失敬してきたものだ。
そしてジャーディン海運社の船客のその後の様子、それからピー号と
パナイ号のことを話してもらった。
(以下字数の都合で略)
*
「日本人将校一人に兵士が二人、・・・男が水中に沈むまで発砲し続けた」とあるが、
事実なら、これは処刑ではなく虐殺にあたる。
ただ、日本軍は弾薬を節約しており射耗報告がやかましい。
ムダ弾は許されていない。
日本軍の鉄砲はボトム・アクションと言って、一発撃ったらガチャンとやって
次の弾が出せるようになっており、連発はできない構造。
それほど、ケチケチしているのに、一発で仕留めず、わざと外して
水に潜るまで弾を撃ち続けるのは不自然。
わずかの守備隊で警備し、いつ中国軍が反撃に戻ってくるか判らない状態で、
弾を無駄に消費するのは理解に苦しむ。
これは メッセージ 281 (kireigotowadame さん)への返信です.
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akbsol333eさんへ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/17 19:09 投稿番号: [282 / 2250]
ありがとうございます。
推薦図書ですか。
難しいですね。
それぞれ、一長一短ありまして。
ある部分はA本に詳しく、別の部分はB本に詳しいとか、
B本にある事がA本にはないとか、色々ありますので、難しいです。
色んな本を総合すると、殆ど間違いないと思われる本でも、
著者が勘違いしている部分もあるのです。
昭和元年から、大東亜戦争までを通してなら、児島襄著 『日中戦争』 でしょうか。
これには、文庫本と大きい本の二種類があります。
盧溝橋事件から通州事件までなら、
寺平忠輔著 『盧溝橋事件』 読売新聞社刊
昭和45年発行があります。
ただし、これは、現地での話ですから、日本国政府の動静はよくわかりません。
そっちの方は戦史叢書の 『支那事変
陸軍作戦1』 になります。
上海での話なら、松本重治著 『上海時代・下』 中公新書と
塚本誠著 『ある情報将校の記録』 中公文庫が参考になります。
詳しくは、戦史叢書の 『中国方面海軍作戦〈1〉』 となります。
という具合でややこしいのです。
最初は自分の言葉で要約して書いていたのですが、それだと 「文献は」
という声が聞こえた時、面倒になるので、文献を書く事にしました。
南京なら鈴木明著 『「南京大虐殺」のまぼろし』 新・旧とかありますが、
それだけをよんでも分かりづらいと思います。
申し訳ありません。
徹夜などせず、少しずつ読んで下さい。
健康に悪いですから。
これなら、完璧という本はありません。色んな文献を総合したとき、大体の様子が見えてきます。
悪しからず。
これは メッセージ 280 (akbsol333e さん)への返信です.
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1月8日 便衣兵による反乱工作
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/17 18:32 投稿番号: [281 / 2250]
松村俊夫著 『「南京虐殺」 への大疑問』 154p
《『資料集②』 の郭岐の手記
・・・
〈日本の獣兵は南京市を占領していたが、周辺のデマで日夜不安であり、
まるで針の延に座っているかのようだった。
あるとき、中央〔国民政府〕の便衣隊約五、六人が入城し、
中華路付近の地下室内に潜んでいた。
ちょうど五人の獣兵が三、四人の人夫をともなって北から南へやって来ていて、
わが便衣隊の近くに来た。
彼らはすぐさま発砲して獣兵を皆殺しにし、四人の人夫に
「中央軍はすでに入城した」と言って、人夫たちを安心させた。
この四人の人夫は常態を失して狂気乱舞した。
彼らは大あわてで道をかけ、途中、日本人・中国人を問わず、
人に会うごとに「中央軍が来た!」「中央軍が入城した!」と大声で叫んだ。
中華路からずっと難民区内まで叫び続けたので、町中にうわさが広がり、
みな疑心暗鬼になった。・・・〉》
松村俊夫氏の 『「南京虐殺」 への大疑問』 136p
《ウィルソンの一月八日付の手紙にも次のような話がある。
〈南京市は絶えずでたらめの噂で一杯だが、私たちはこうした噂をラジオで
チェックしている。きょう面白い事件があった。
中国人の噂によると、中国軍が城門のところまで来ていて、
再び市を奪還しようとしているというのだ。
日本大使館に行って衣類の洗濯をしていた女性が数人、
手に大きな包みを抱えて家に帰ってきた。
彼女たちが大学に近づくと、日本人が大使館を出ていったので、
この女性たちが略奪品を持って帰ってきたというニュースが野火のように広まった。
たちまち一群の女性たちが略奪の分け前にあずかろうと、
有刺鉄線のある柵を乗り越えて入って行った。
由々しい事態が発生しないうちに彼女たちは大使館の建物の裏から、
中国人使用人に押し出されたという。〉
(①297頁)》
注:松村俊夫氏の言う資料集とは、青木書店刊『南京事件資料集』の事
①はアメリカ関係資料編
②は中国関係資料編
*
この話はラーベの日記の内容と符合している。
そして、中国人は女性といえども、かわいそうな被害者ではなく、
隙あらば、大使館にでも略奪にはいる連中だということも示している。
しかしながら、ラーベは、それでもなお、略奪者は日本兵と信じて疑わない。
これは メッセージ 279 (kireigotowadame さん)への返信です.
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Re: 1月8日 ラーベの日記
投稿者: akbsol333e 投稿日時: 2009/12/17 04:02 投稿番号: [280 / 2250]
あなたはすごいですね
ちょっと震えちゃいました。
時系列で追えなかった南京攻略が分かりやすい
昨日徹夜して携帯で170位まで読んだけどもう一度PCで読み返します
参考書籍がたくさん出てきますが推薦図書(複数で構いません)はありますか?ちょっと混乱してて何から読めばいいのか分からなかったもので
匿名で急に失礼かと思いましたが教えていただけると嬉しいです
これは メッセージ 279 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月8日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/16 18:40 投稿番号: [279 / 2250]
一月八日
ローゼン、ヒュルター、シャルフェンベルクの三氏が、明日イギリス大使館の二人と
いっしょに南京にくると福井氏が知らせてくれた。
ローゼン、ヒュルターの家はどちらも無事だ。ドイツ大使館も。
ただローゼン家からは車と自転車、それから酒が数本盗まれた。
イギリス人の家の様子はわからない。シャルフェンベルクの家は安全区の外
だったこともあって、ひどい荒らされようだった。
ヒュルターの家に泊めてもらわなければなるまい。
こまったことに、どこも電気や水がとまっている。
そこで福井氏にまた手紙を書いた。
アメリカ大使館の人たちの家も同じ状態らしい。
みな、寒い寒いと言いながら、大使館の大きな暖炉にへばりついているという。
電気や水が使えるよう、日本軍に要求すればいいと思うのだが。
福井氏がいうには、日本大使館が国から新しい車を取り寄せるそうだ。
ドイツ大使館に、おそらく他の大使館にもだろうが、盗まれた車を弁償するという。
今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪いかえそうとしているという噂が、
またもやひろまった。
それどころか、市内で中国兵の姿をみかけた、という話まで出ている。
まず、安全区の家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。
日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつけていたのだが。
そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が
日本大使館を襲おうと考えていたという。
このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になった。
いままで安全区が平穏でいられて、本当によかった。
どうかこういう悲惨なことにならないようにと祈るばかりだ。
*
この中国人の反乱は、便衣兵による攪乱工作であった。
それは、安全区に潜伏していた郭岐が手記に書いている。
郭岐の手記は翌日に記す
これは メッセージ 278 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月7日 川越大使の談話
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/15 18:33 投稿番号: [278 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 261〜263p
近衛首相は、六日、四相会議(首相、陸、海、外相)を招集して、十二日までは待てぬ、
十日までにする、と定め、回答を催促する内閣書記官長談を発表した。
この声明をうけて、翌日、駐支大使川越茂が、上海で、談話を発表した。
「日本軍占領地域内の支那民衆は、
国民政府からはなれて新しい国家の出現を熱望している
―
。
新しい中支の政権は従来の南京政府の如き軍閥政権でもなく、
古い政治家の政権でもなく……財界人、実業家を中心とする
『経済的民衆的国家』 が出現するものと思われる。
新政権が出現するには、日本政府が南京政府を公式に否認することが必要だ。……
日本は腰をすえて、支那民衆を援助する。
再び国民党政権の復活はあり得ないことを、十分に認識させてやらねばならない」
蒋介石が和平を求めてこなければ、北支のほかに中支にも新政権を誕生させるぞ、
というよりも、もはや蒋政権に用はない、
はやく否認すべきだとの趣意がうかがわれる発言である。
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 473p
このような情勢のうちに、現地にある川越大使もまた一月七日、
上海で新聞記者に対し
「中支新政権が出現するためには、日本改府が国民政府を公式に否認することが
必要だ」 という意見を発表した。
これは メッセージ 277 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月7日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/14 18:50 投稿番号: [277 / 2250]
一月七日
福田氏に国際委員会の趣意書を渡す。
氏の話だと、なにがなんでも南京の秩序を即刻回復せよ、
と東京から厳命があったとのこと。
また、行政的な職務 (この私、ラーベの 「市長職」 も?) も我々 「よそ者」 ではなく、
すべて自治委員会が担当すべし、といってきたという。
そういわれてしまっては、手も足もでない。
願わくは自治委員会にそれだけの能力があらんことを。
南京の危険な状態について、福田氏にもういちど釘を刺しておいた。
「市内にはいまだに何千もの死体が埋葬もされずに野ざらしになっています。
なかにはすでに犬に食われているものもあります。
でもここでは道ばたで犬の肉が売られているんですよ。
この二十八日間というものずっと、遺体を埋葬させてほしいと
頼んできましたがだめでした」。
福田氏は紅卍字会に埋葬許可を出すよう、もう一度かけあってみると約束してくれた。
きょう午前十時ごろ、私の留守中のことだった。日本兵が一人、
使用人の部屋に押し入り、女たちが悲鳴をあげながら私の住居へ逃げこんできた。
屋根裏部屋まで追っていったところで、この日本兵は、たまたま私を訪ねてきた
通訳の日本人将校に取り押さえられ、放り出された。
占領されて今日で二十六日。
南京のヨーロッパ人住宅の治安状況がどんなものか、これでもわかるだろう。
リッグズが今日の視察の報告書をもってきた。
うつろな目をした女性がひとり、通りをふらふらさまよっていたという。
この人は病院に運ばれ、身の上を話した。
十八人家族だったが、生き残ったのはこの人ひとりだという。
残りの十七人は射殺されるか、銃剣で突き刺されるかして死んだ。
家は中華門の近くだそうだ。
わが家の収容所にやはり近くに住んでいた女性がいる。
弟が一緒だが、こちらは両親と三人の子どもをなくした。
全員日本兵に射殺されてしまったのだ。
せめて父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺桶を買ったところ、
これを聞きつけた日本兵たちが蓋をこじ開け、亡骸 (なきがら) を放り出したという。
中国人なんかその辺に転がしておけばいいんだ、というのが、かれらの言い分だった。
*
義和団の前、清国の官憲が、“中国人の訴えを信用するな”
とやっていたが、まさにこういう事だろう。
「なけなしの金で棺桶を買った」 というが、どこで棺桶を売っているのか?
どこにそんな店が開いている?
「棺桶を買ったところ、これを聞きつけた日本兵たちが蓋をこじ開け、
亡骸 (なきがら) を放り出した」
と言うが、日本兵は中国語が分からない。そんな個人情報をどうして知り得る?
棺桶を買ったのが、どこの誰とも分からないのに、わざわざ捜し出して
埋葬の妨害に出動し、嫌がらせするほど日本兵は暇か?
仮に、中国人が日本軍に密告したところで、そんな事で一々出動するか?
追い返すのが、普通だろう。
これは メッセージ 276 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12月6日 回答期限を十日に変更
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/13 16:05 投稿番号: [276 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 262p
駐日大使ディルクセンが、四日、広田外相にたいして、ドイツ側は中国に回答を
督促している、と語り、外相は、十二日まで待つと応えた。
だが、近衛首相は、六日、四相会議 (首相、陸、海、外相) を招集して、十二日
までは待てぬ、十日までにする、と定め、回答を催促する内閣書記官長談を発表した。
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 472p
日本政府は、独大使を通じて示した和平交渉条件の中国側回答が一月五、六日ころ
までには到着するものと期待しつつ年を越した。
ディルクセン大使は、従来の責任上これを捨てておけないので、
一月四日、広田外相に対して国民政府との接触経過に関し中間連絡を行う
とともに、本国政府及びトラウトマン大使にあて、
日本政府から速やかに国民政府の諾否を求められていることを通告した。
(このとき、中国側回答期限を十二日ころとしたが、
のち六日の四相会議で十日ころとするよう変更した)
一月六日、しびれをきらした近衛総理は、陸海外三相を招き、
国民政府にだめを押す相談をした結果、
早く回答しないとためにならぬという意味の内閣書記官長談を発表した。
この談話のなかでは 「もし中国側が如実に反省の真意を示すならとにかく、
わが方としては、あくまで所期の目的達成に邁 (まい) 進すべく、
今後この決意のもとに百般の対策を講ずる」 と述べている。
このころ、すなわち年末から年始にかけて日本側の対支態度には非常な変化があった。
中・北支における軍事的進展と北支、蒙疆における新政権の成立等により、
軍部はもちろん政党、ジャーナリズム、有力な国民層とくに右翼団体等の間に、
蒋介石の国民政府を相手にしなくても中国側を屈服させることは
必ずしも不可能でない、という空気が濃厚に台頭してきたので、
講和促進論者は沈黙せざるをえない情勢となっていた。
従って、前記書記官長談も、一般国民には和平無用論のような印象を与えた。
しかし参謀本部首脳は、長期戦に対する戦力の限界を考え、和平策を堅持していた。
これは メッセージ 271 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月6日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/12 16:13 投稿番号: [275 / 2250]
一月六日
ばんざい!
アメリカ大使館のアリソン、エスビー、マクファディエンの
三氏がアメリカの砲艦オアフ号で今日上海から到着した。
すでに十二月三十一日に南京を目の前にしていたのだが
上陸の許可が下りず、蕪湖で待機していたのだ。
アリソン氏はかつて東京で勤務したことがあり、日本語ができる。
これで日本の軍当局から米と小麦粉 (これは軍が略奪したものだが) が買える。
価格は高いが (米一袋約十三メキシコドル)、約五万メキシコドル買うことにした。
石炭も一万二千メキシコドルぐらい買っておかなくては。
難民の蓄えが底をついてきたので早急に手を打つ必要がある。
韓はあまり乗り気ではない。
米屋から、中国軍が南京を奪還しようとしていると聞かされたからだ。
すでに南西部では砲声が聞こえたという。
「そうなれば米だって小麦粉だってただで手に入りますよ」。
けれども私は、心ならずも韓に言い聞かせなければならなかった。
「決してそんなことにはならないよ」
十時ごろ日本軍のトラックがきて、うちの収容所から下関の発電所の作業員を
十五人連れていった。みなしぶしぶ出かけていった。
前回、食事をちゃんと与えると約束しておきながら、ろくなものを食べさせて
もらえなかったからだ。まったくありつけなかった者もいた。
それだけではない。発電所ではなく、市の南部の門のちかくで
塹壕 (ざんごう) 掘りをさせられた者も何人かいた。
午後五時、福田氏来訪。軍当局の決議によれば、我々の委員会を解散して、
その資産を自治委員会に引き渡してもらいたいとのこと。
自治委員会が今後われわれの仕事を引き継ぐことになっているからだという。
資産を引き渡す?
冗談じゃない。私はただちに異議を申し立てた。
「仕事を譲ることに関しては異存はありませんが、これだけはいっておきます。
治安がよくならないかぎり、難民は元の住まいには戻れませんよ」。
難民の住まいの大半は壊され、略奪されている。
焼き払われてしまった家もあるのだ。
さっそく委員会の会議を開いて、福田氏にどう返事をしたものかと相談した。
また、治安や秩序をとりもどすためにどういう提案をするかについても。
日本から助言を得てはいるが、自治委員会はまるで無策だという気がする。
どうやら狙いは我々の金だけらしい。
つまり、「国民政府からもらったのだから、おれたちの物だ!」というわけだ。
しかし我々の考えは全く違う。なんとしてもこちらの主張を通そうということになった。
アメリカやドイツの大使館が支持してくれると当てにしたうえでの結論だ。
といっても、先方が果たしてどう考えているのか、まるっきりわからないのだが。
これは メッセージ 274 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月5日 石川達三南京到着
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/11 18:37 投稿番号: [274 / 2250]
『生きている兵隊』 中公文庫のあとがき・解説 (半藤一利) 205pより
《南京に着いたのは、十三年一月五日。
念のために書くが、南京を日本軍が攻略したのは十二月十三日。
石川はずっと遅れてその地に着いている。
東京裁判でいう暴虐事件を目撃することはなかったが、なお血なまぐさい、
なまなましい事件後の状況を見聞することは可能であり、
そこで日本軍の実態に接してふかい衝撃をうけた。
その回想が残されている。
「小便くさい貨車に便乗して上海から南京へゴトゴトゆられて行きました。
南京市民は難民区に隔離され、町のなかにゴロゴロと死体がころがっていて、
死の町という言葉がピッタリでした。
はじめて目撃した戦場は、ショックでした」
そして南京で八日、上海で四日、精力的な取材をすませると、ただちに帰国する。》
*
ここでも、彼は、他の善良な日本人と同じ勘違いしている。
「南京市民は難民区に隔離され」 と言っているが、
別に日本軍が隔離したわけではない。
難民区は外国人が作ったのであって、便衣兵の温床・隠れ蓑となっていた。
日本軍は逆に、難民区を解体しようとしていた。
そして、それを外国人は快く思っていなかった。
次に
「町のなかにゴロゴロと死体がころがっていて、・・・ショックでした」
と衝撃を受けた感想を述べているが、
彼も、この死体を作ったのは日本軍だと勘違いしているようだ。
本当は、中国軍脱出の時の混乱による同士討ちで生じたものなのだけど。
結果として、彼が、描きたかった残酷シーンに相応しい現場の状況を見聞でき、
好材料を得て 『生きている兵隊』 という、
日本兵が残虐行為を働く小説が完成する事になる。
これは メッセージ 250 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月5日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/10 18:35 投稿番号: [273 / 2250]
わがジーメンス・キャンプはほかの収容所からあまり芳しくない評判をとっている。
韓がちょっぴりよけいに米を配るからだ。なにしろ韓は気がいいから!
いくらなんでも五百平方メートルの庭に六百二人は狭すぎるので、
難民を一部、他の収容所に移そうとしたがうまくいかなかった。
ここだけが安全だと思っているので、だれも出たがらない。
まあ、しかたないだろう!
衛生状態が気になる。これについては私もどうしていいのかわからない。
伝染病がひろがらないといいが。
今日の午前までは水が出たのだが、午後になってとまってしまった。
電気はまだつかない。それなのに、近所ではいまだに家が燃えている。
登録はまだ終わっていない。何万人もの女の人が乳のみ児をかかえて
五列に並んだまま、もう六時間も外で待たされている。
果てしなく長い行列だ。このきびしい寒さのなか、
いったいどうやって耐えているのかと思う。
またもや漢中門が閉まっている。きのうは開いていたのに。クレーガーの話では、
門のそばの干上がった側溝に三百ほどの死体が横たわっているそうだ。
機関銃で殺された市民たちだ。日本軍は我々外国人を城壁の外に出したがらない。
南京の実態がばらされたら困るからな。
*
「漢中門のそばの干上がった側溝に三百ほどの死体が・・・
機関銃で殺された市民」
と言っているが、本当に市民なのだろうか?
ラーベ達外国人は、12月12日夜の、中国兵脱出の時の混乱で生じた、
城内の大量の死体ですら、日本軍 (まだ南京城内に入っていなかった) の
仕業と思い込んだくらいだから、そのつもりで聞いていた方がいいだろう。
便衣兵の処刑によるものなのか、
戦闘で殺されたものなのか、
脱出時の混乱で死んだものなのか、
判別はつかない。
これは メッセージ 272 (kireigotowadame さん)への返信です.
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支那軍将校…犯罪を日本軍のせいに
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/09 18:32 投稿番号: [272 / 2250]
ラーベ達が日本軍の犯罪と決めつけていた事が、実はそうではなく、
中国兵の犯罪で有った事が判明しました。
それは、『ニューヨーク・タイムズ』 の記事からですが、
それを東中野氏の本 『南京大虐殺の徹底検証』 から引用してみましょう。
東中野修道著 『南京大虐殺の徹底検証』 275〜276p
〈一九三八年一月三日上海発の 『ニューヨーク・タイムズ』 の記事
(一月四日付) である。
「元支那軍将校が避難民のなかに
―
大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」
と題する記事は、次のように言う。以下は全訳である。
《南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留している
アメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一名とその部下の将校六名を
匿 (かくま) っていたことを発見し、心底から当惑した。
実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで二番目に
権力ある地位につけていたのである。
この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから
女子大の建物に住んでいて発見された。
彼らは大学の建物の中に、ライフル六丁とピストル五丁、
砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、
それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのものであると自白した。
この元将校たちは、南京で掠奪したことと、
ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、
その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、
アメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した。
この元将校たちは逮捕された。戒厳令に照らして罰せられ、
恐らく処刑されるであろう。》
南京安全地帯は中立地帯であった。
そこに、ベイツやスマイスなどアメリカ人教授が支那軍将校を匿っていたのである。
これは重大な中立違反であった。その上、あろうことか、〈市民に変装した
現役の将校たち〉 が掠奪や強姦を重ねては、日本軍の犯行にしていた。
アメリカ人教授が 「心底から当惑」 したのも当然であったろう。しかも、彼らの十号文書
(十二月十八日付) は、安全地帯に支那兵は一人もいないと保証していたのであった。
しかし、この安全地帯で生じた重大な出来事が、不思議なことに、
『南京安全地帯の記録』 には収録されていない。
日本軍告発という目的に、合致しなかったからであろう。
しかも、これは氷山の一角に過ぎなかった。〉
これは メッセージ 271 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12月30日〜1月4日 中国の和平対応行動
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/08 18:42 投稿番号: [271 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 466〜467p
十二月三十日から翌年一月一日まで、
中国側は最高国防会議 (主席蒋介石、副主席汪兆銘) を開いた。
この会議でトラウトマン大使がもたらした回答を討議したもようであるが
その結論は明らかでない。
(汪兆銘の回想録によれは、この和平交渉条件受諾を決定したというが、
ドイツ側資料からみて、これは信じ難い)
ただ本会議において、蒋介石が行政院長の職を辞し、
孔祥煕が院長、張群が副院長になることが決定し、元旦の日に正式就任した。
二日、白崇禧、閻錫山等の将領は前線に帰り、蒋介石も四日、開封方面に向かい出発し、
あとの処置は孔、張に任されることになった。
児島襄著 『日中戦争4』 262p
その翌日(3日)、国民政府は、正式に次のように決定した。
「否認将派代表赴南京與日方講和」
(日本側との和平交渉のために代表を南京に派遣することは、認めない)
和平拒否
−
である。
だが、この決定は極秘にされ、ドイツ側にもつたえられなかった。
−
日本では、
駐日大使ディルクセンが、四日、広田外相にたいして、
ドイツ側は中国に回答を督促している、と語り、外相は、十二日まで待つと応えた。
これは メッセージ 270 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月3日 蒋介石 和平交渉使派遣拒否
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/07 18:20 投稿番号: [270 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 262p
《その翌日 (3日)、国民政府は、正式に次のように決定した。
「否認
将派
代表赴南京
與
日方講和」
(日本側との和平交渉のために代表を南京に派遣することは、認めない)
和平拒否
−
である。
だが、この決定は極秘にされ、ドイツ側にもつたえられなかった。》
*
中国は 「和平拒否」 を決定していながら、ドイツ大使に伝えないため、
当然の事ながら日本にも伝わらない。
そのお陰で日本では、無用な会議を続けることになる。
これも中国側の作戦かも知れない。
無用な疑心暗鬼をさせて、日本を精神的に疲れさせるためとか。
これは メッセージ 268 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月3日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/06 16:09 投稿番号: [269 / 2250]
一月三日
きのう夜七時に、スマイスがフィッチあての報告書を手に
医者の許伝音氏のところからやってきた。
フィッチ様!
本日午後四時三十分ごろ、劉培坤は、暴行されそうになった妻を守ろうとして
日本兵に射殺されました。
近所の家が日本兵に占領されているため、
わが家はいま、逃げてきた婦人たちでいっぱいです。
私はシュペアリング氏に手紙を書き、
すぐにこちらへきて我々を守って下さるようお願いしました。
シュペアリング氏の体があかない場合、ここ寧海路五号に、
だれか他の外国人をさしむけていただけないでしょうか?
敬具
許伝音
本部に泊まりこんでいるはずのシュペアリングをスマイスが探しに行っている間、
私はマギーといっしょに日本大使館へ行った。
マギーはすでにこの件について詳しい報告を受けていた。
田中氏に軍部に出向いてもらい、この事件を調査するよう要求してもらうのだ。
これは実に計画的で残虐な犯行だ。
劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。五人の子どもがいる。
夫がかけつけ、日本兵の横っ面をはって追い払った。
午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、
台所に隠れていた劉をひきずりだした。
近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足もとにひれ伏してすがった。
だが日本兵は聞き入れなかった。
田中氏は、ただちに軍部に報告すると約束した。
私も氏が約束を果たさなかったとは思っていない。だが結局、沙汰やみだ。
兵士の処罰といえば、いつだってたかだか平手打ちどまり。
それ以上こらしめたという話を聞いたことがない。
せめてもの慰めのつもりだろう、田中氏は、そのあととてもうれしいことを教えてくれた。
目下蕪湖にいるローゼン、それからたぶんヒュルターとシャルフェンベルクの三人が、
一月五日に南京に到着するそうだ。
ということは、アメリカ大使館の人たちと同じ日だ。そちらからはすでに連絡がきている。
(数行略)
給食所と収容所の決算報告で、委員会の財政がかならずしも楽ではないことがわかったが、
これには改めてうなってしまった。
要するに、働いている中国人がめいめいしっかり手数料を取っていたのだ。
なんせここは中国だ。手数料なしにはなにひとつ運ばない。
今日うちの庭で、とほうもない値段をふっかけようとした野菜売りをつかまえた。
ちょうどそこにいあわせた女の人たちが品物をそっくり買いとろうとしたので、
私はそれをとめ、そいつを追い払った。
*
>朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持って<
「日本兵 (陸軍) はピストルを持っていない」 と私は聞いている。
「将校が自決用にピストルを持っている」 とも。
自決用なら、弾に予備はあまり無いだろう。
ピストルを持って来た兵士
便衣兵の変装ではないのだろうか?
中国人が日本兵にビンタというのもどうだか?
ビンタは日本では普通だが、中国でも普通の習慣だったか?
*
「働いている中国人がめいめいしっかり手数料を取っていた」
ラーベ達が善意で無償で働いているのに、当の助けられている中国人が
手数料をとり、人の弱みに付け込み、途方もない値段を吹っ掛けていた。
ラーベ達も大概で、自分達が何をしているのか気づくべきだろうに。
これは メッセージ 268 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月2日 蒋介石 和平拒絶を命ず
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/05 16:03 投稿番号: [268 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 261p
一月二日、外交部長王寵恵が、
ドイツ大使トラウトマンから対日回答の督促をうけていると報告すると、
「日方所授条件等
於征服
與
滅亡我国、與
其屈服而亡、不如戦敗 而亡之為愈」
(日本側の条件は、わが国を征服して滅亡させるためのものだ。
屈服してほろびるよりは、戦って敗れてほろびたほうがよい)
蒋介石は、大声で、そう、叫ぶと、王部長に命令した。
「応即厳詞拒絶」
(断乎として拒絶せよ)
*
日本は、別に、中国を征服して滅亡させるような条件などつけていないのだけど。
中国は、自分で戦争をしかけておきながら、勝手に滅亡の妄想をしている。
日本はただ、早く戦争を止めたいだけなのに。
しかし、蒋介石は、断固拒絶を命じました。
蒋介石は、またしても、和平拒絶を選んだのです。
これは メッセージ 267 (kireigotowadame さん)への返信です.
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郭岐が明かした略奪者
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/04 18:38 投稿番号: [267 / 2250]
ラーベは、略奪は日本軍がやっていて、中国人はかわいそうな被害者だと
思っていましたが、実は彼らこそが略奪の犯人だったと郭岐は書いています。
それは、松村俊夫著 『「南京虐殺」 への大疑問』 138〜141p にあります。
《ところで、いささか長文になるが、次に重要な文章を引用する。
これこそが 「略奪」 の真相だったと考えられるからである。
〈十二月十二日の後、城門は大型の荷車が通行できず、汽船の運行も断絶していたのに、
なぜ上海路ではあのように売買がおこなわれたのだろうか。
また商品はどこから来るのだろうか。
これらは
簡単なことであった。
一夜のうちに商品はすべて揃い、選ぶ手間も運ぶ時間も省け、
そのうえどれも使えそうな商品ばかりだった。
一般に生計が苦しく度胸がある難民たちは、
昼は隠れて夜活動するというねずみのような生活をしていた。
夜の間は獣兵は難民区の内外を問わず、活動する勇気がなく、
兵隊の居住する地区を守る衛兵がいるだけで、このときが活動の機会となった。
人々は難民区外の大企業、大店舗、大きな邸宅を好きなだけ物色した。
当時、食品会社には食べ物が、妙機会社には日用品が、絹織物問屋には絹織物があった。
だから一晩動くと翌日には手に入らない物はなく色々なものがすべて揃った。
長い間世に出ることのなかった骨董書画、磁器や、馬桶、たんつぼ、箸、お碗、
小皿、電球までもが揃っていて、一つの家庭を作るのも容易なことだった。
半日もかからずにすべて買いそろえることができ、
しかも価格を勝手に決めることができた。
あるときなど、私は銅貨三枚で茶壷を買ったが、帰り際に売っていた人は
「友よ、持って行けよ!」 とでもいうように笑っていた。
真新しい洋服でも、おそらく二元あれば買え、新品のソファーが三元もしなかったし、
狐の皮の長衣が十数元で、これを着て日本兵に仕えて荷物運びをしている者もいた。
一番良い上等のロシア絨毯が数元もしなかったが、
惜しむらくは、それらの書画や古い磁器が獣兵にも多く買われていたことである。
その中には、世に伝わる名品もあり、長い間、世に出てこなかった物もあったが、
今無造作に道端に並べられていた。
ある人が地中から金の碗を二つ掘り出したが、茶碗のように大きく、
表面がとてもきたなかったので、てっきり鋼製だと思い、上海路に並べて売っていた。
注意深い人が、手で持ってみたところ思ったよりも重量感があったので、
表面を少し力を入れてこすってみると、美しい光沢があったので、金ではないかと疑った。
そこで二角で二つの碗を買い取って、鑑識眼のある人に見てもらうと、
本当に金製であったとのことである。
その他にも骨董品の値打ちが分からずにやたらに買った人は多く、
磁器一つとっても、六朝時代、康煕帝時代のものまで多く含まれていた。
しかし、そのとき盗んで売った者も、買って持っている者も何の罪もとがめられなかった。
ただ金陵女子大の黄女史だけが入り口のところに次のように書いて貼っていた。
「略奪品を買って持ち込むべからず」 と。
・・・・〉
(②234頁〜235頁)
この文章を読んで、読者は誰が書いたと思ったろうか。
「獣兵」とあるのは日本兵を意味するのでとまどうかもしれないが、
これは『資料集②』に載っている郭岐の手記の一部である。
先に書いたように、彼は南京戦当時、支那軍の指揮官であった。》
注:松村俊夫氏の言う資料集とは、青木書店刊『南京事件資料集』の事
②は中国関係資料編
*
「それらの書画や古い磁器が獣兵にも多く買われていた」
つまり、中国人が略奪し売っていた 「書画や古い磁器」 を
日本兵が買ったと言うのです。
ところが、善良な日本人はその人達を略奪者と見なしていますね。
ひどい話です。
これは メッセージ 265 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12・13 南京史実を守る映画祭 開催
投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2009/12/04 13:20 投稿番号: [266 / 2250]
■□■□■
南京・史実を守る映画祭
■□■□■
http://jijitu.com/filmfestival2009/【日時】
2009年12月13日(日)
10:00開場
【場所】
東京都世田谷区区民会館ホール
【料金】
前売券900円、当日券999円。
※
一作品ごとに入れ替えを行います。
※
前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10【プログラム】
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
※ゲスト:鈴木邦男さん(一水会最高顧問)、武田倫和さん(映画監督)
※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー
遥かなる希望の道』(125分)
主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
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1月2日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/03 18:28 投稿番号: [265 / 2250]
一月二日
《本部の隣の家に日本兵が何人も押し入り、
女の人たちが塀を越えてわれわれのところへ逃げてきた。
クレーガーは、防空壕の上からひらりと塀をとび越えた。
塀はひじょうに高いのだが、警官がひとり手伝ってくれたので、
私もあとを追おうとした。
ところが二人ともバランスを崩して落ちてしまった。
さいわいかなり太い竹の上だったので、竹が折れただけで、けがをせずにすんだ。
その間にクレーガーは兵たちをとっつかまえた。
やつらはあわてふためいて逃げていった。
ただちょっと様子を見にきただけだというのだ!
十日前、銃剣でのどを突かれた近所の奥さんを鼓楼病院に運んだが、
今日ようやく退院が許された。
入院費は一日当たり八十セント。お金がないというので、私がかわりに払った。
日本軍の略奪につぐ略奪で、中国人は貧乏のどん底だ。
自治委員会の集会がきのう、鼓楼病院で開かれた。演説者が協力ということばを
口にしているそばから、病院の左右両側で家が数軒焼けた。軍の放火だ。
自治委員会の代表でありかつ紅卍字会のメンバー、孫氏がもったいぶって私にいった。
「ある重要な件につき、近いうちにお話ししたいのですが」
どうぞどうぞ!
とっくに心づもりはできている。
お宅たちがなにを狙ってるのかなんざ、お見通しだよ!
安全区の通りは、あいかわらず見渡すかぎりの人の海だ。
何千というおびただしい人々が道ばたにたたずんでいる。
値段の交渉をしている人もある。
道路の両側には行商人が鈴なりになって、食料品、タバコ、古い衣服を売っている。
だれもが日本の腕章や国旗をつけてとび回っている。
横町や道路の間の空き地には、藁小屋が所せましと建ち並び、難民村ができている。
わが家と同じ光景だ。うちの庭には、もはや草一本生えていない。
美しかった生け垣もあっという間に踏みつぶされ、見る影もなくなった。
なにしろ大人数だ、しかたあるまい。なによりまず生きることが先決なのだ!
昨夜、またしても日本兵の乱暴があいついだ。
スマイスが書きとめ、いつものように抗議書として日本大使館に提出した。
我々がひそかにおそれていたことがついに起こった。中国の爆撃機がやってきたのだ。
といったからといって、けっして友人としてではない。敵としてだ!
かつての日本軍のように、時間どおりに爆弾を落としていく。
だが、いままでのところ、幸いなことにたいていは同じ場所、
つまり南の飛行場かその近くに限られている。
日本の防空部隊が姿を現したが、人数も少なく、いとも手薄だった。
空襲がこのまま安全区の外にとどまるかどうかは、あとになってみないとわからない。
だが、そうであってほしい。
さもないと、いままでよりもっと悲惨なことになるかもしれないのだ。
いまの安全区の混み具合ときたら、日中は上海よりすごい。
そんなところに一発爆弾が落ちたが最後、ものすごい数の人命が失われるのだ。
そう思っただけでぞっとする。》
*
「日本軍の略奪につぐ略奪」・・・「軍の放火だ。」・・・「道路の両側には
行商人が鈴なりになって、食料品、タバコ、古い衣服を売っている。」
とラーベは言っているが、おかしいと思わないのだろうか。
その商人はどこから品物を仕入れたのか。
実は、彼らこそが略奪の犯人で証拠隠滅のために放火している
とは考えられないのか?
日本軍に放火のメリットなどないのに。
これは メッセージ 264 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月1日 蒋介石の戦争決意
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/02 18:37 投稿番号: [264 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 261pより
一九三八年 (昭和十三年) 元日
蒋介石は突然に内閣改造をおこない、自身は行政院長を辞任して、
「抗日戦之指揮」 に専心する旨を言明した。
副院長孔祥煕が行政院長に昇格し、副院長には秘書長張群が転出した。
しかし、改造の主眼は 〝和平派〟 の追放におかれ、蒋介石は、
前述の国防最高会議で和平交渉を提議した交通部長愈飛鵬、
教育部長王世杰を解任し、それぞれ張家ケイ (王+敬)、陳立夫を後任とした。
これは メッセージ 263 (kireigotowadame さん)への返信です.
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ラーベの日記 1938年1月1日
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/01 18:28 投稿番号: [263 / 2250]
一九三八年一月一日
(前の部分
日本軍の問題に関係ないので省略)
夜の九時に日本兵がトラックに乗ってやってきて女を出せとわめいた。
戸を開けないでいたらいなくなった。
見ていると中学校へむかった。ここはたえず日本兵におそわれている。
私は庭の見張りをいっそう厳重にして、不寝番に警笛を持たせた。
こうしておけば、いつお越し下さってもすぐに馳せ参じられる。
だが、ありがたいことに、今晩は無事に過ぎた。
*
既に慰安所を作っているのに、夜中に 「女集め」 に来るか?
しかも、喚いただけで、サッサといなくなった??
日本の正月は1月1日だが、中国は旧暦で祝う。
従って、売春婦が正月休みだとは限らない。
この“日本兵”とみられる者の行為、ラーベ達に日本兵を悪く印象づけさせるため、
わざとやっているとしか見えないのだが。
これは メッセージ 261 (kireigotowadame さん)への返信です.
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perusona2001さんへ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/30 19:09 投稿番号: [262 / 2250]
ありがとうございます。
最初の頃の 「7 もしもし」 に 「昭和元年の南京事件」 と書きましたが、
あれは 「昭和二年」 の間違いでした。
書いた時に気づかず、最近になって気付いたので訂正ができませんでした。
元々は、「第一次南京事件」 としていたのですが、
それ以前にも南京の虐殺事件は沢山あり、
「第何次」 とするのが、正しいのか判らなくなり、
年数でやったら、間違えまえました。
よろしく。
これは メッセージ 260 (perusona2001 さん)への返信です.
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12月31日 和平条件連絡の対応
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/30 18:26 投稿番号: [261 / 2250]
戦史叢書『支那事変
陸軍作戦1』467pの注
注
参謀本部では、オット少将の情報によれば、
独大使には講和交渉条件細目一一カ条が伝わっていないとのことなので、
抽象的な四条件だけでは中国側も理解できまいと判断し、
この一一カ条も独大使から中国側に提示するのを許容するよう、
十二月三十一日、陸相から外相に申し入れた。
(参謀本部は当初から具体的条件の提示を主張していたが、
多くの閣僚はこれに反対であった)
これは メッセージ 259 (kireigotowadame さん)への返信です.
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kireigotowadameさん へ
投稿者: perusona2001 投稿日時: 2009/11/29 18:43 投稿番号: [260 / 2250]
貴方のメッセージを少し読ませてもらいました。
非常に勉強になりました。
最初から最後まで読ませてもらいます。
ありがとうございます。
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12月30日 ドイツの説得と中国の対応
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/29 16:12 投稿番号: [259 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 260〜261p
駐支大使トラウトマンは、しかし、日本側の勝利を確信しているので、
軍事顧問A・ファルケンハウゼン中将を通じて、中国側説得をこころみることにした。
十二月三十日、大使は中将に中国軍の抗戦能力を質問した。
「適切な軍事措置、国民の戦意高揚、十分な弾薬補給という三要件が確保されれば、
あと六カ月間は戦えるでしょう」
「そりゃ、楽観的すぎると思うね。将軍」
大使によれば、大使は、顧問ファルケンハウゼン中将の言葉から、
中国側も同様の 「自己過信」 をしているとみなし、「極秘情報」 を提供して、
中国側の反省をうながすよう依頼した、という。
だが、顧問ファルケンハウゼン中将による説得工作は、逆効果をうんだだけであった。
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 466p
十二月三十日から翌年一月一日まで、
中国側は最高国防会議 (主席蒋介石、副主席汪兆銘)を開いた。
この会議でトラウトマン大使がもたらした回答を討議したもようであるが
その結論は明らかでない。
(汪兆銘の回想録によれは、この和平交渉条件受諾を決定したというが、
ドイツ側資料からみて、これは信じ難い)
ただ本会議において、蒋介石が行政院長の職を辞し、孔祥煕が院長、
張群が副院長になることが決定し、元旦の日に正式就任した。
これは メッセージ 258 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12月28日 ラーベの日記2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/28 16:32 投稿番号: [258 / 2250]
宣教師のフォースターからジョージ・フィッチにあてた手紙
ジョージヘ!
鳴羊街十七号付近の謝公祠、この大きな寺院の近くに、中国人の死体がおよそ五十体ある。
元中国兵だという疑いで処刑された人たちだ。二週間ほど前から放置されている。
もうかなり腐敗が進んでいるので、
できるだけ早く埋葬しなければならないと思っている。
私のところには、埋葬を引き受けてもよいという人が何人かいるのだが、
日本当局からの許可なしでは不安らしい。
許可がいるのかなあ?
もしそうなら、許可を取ってもらえないだろうか?
よろしく!
フィッチにあてたフォースターのこの手紙を見れば、南京の状態が一発でわかる。
この五十体のほか、委員会本部からそう遠くない沼の中にまだいくつもの死体がある。
これまでにも我々はたびたび埋葬の許可を申請したが、だめだ、の一点張りだ。
いったいどうなるのだろう。このところ雨や雪が多いのでいっそう腐敗が進んでいる。
スマイスと私は、日本大使館にいき、福井氏や岡という少佐と二時間話し合った。
岡少佐は、トラウトマン大使から私たちのことを頼まれているそうで、次のように言った。
今南京にいるドイツ人は全部で五人だが、いっしょに暮らしてもらえないか。
そうすればこちらとしても保護しやすい。
もしそれに賛成でない場合は、その旨一筆書いてもらいたい、と。
私はきっぱり言った。
「身の安全ということなら、中国人とおなじでけっこうですよ。
日本軍は中国人を保護すると約束しているんですからね。
もしも中国人を見殺しにするつもりだったら、トラウトマン大使や
他のドイツ人といっしょにさっさとクトウー号で逃げていましたよ」
岡少佐はいった。「私はあなた方の命を守るように頼まれているんです。
それはともかく、日本兵に持ち物を奪われたり壊されたりしたことが証明できれば、
政府が弁償するか、かわりのものを支給するかします」
それについては、ただ次のように答えるしかなかった。
「南京陥落後の十二月十四日に委員会のメンバー全員で街を見まわりましたが、
ドイツ人の家も持ち物も無事でした。略奪や放火、強姦、殺人、撲殺、
こういうことが始まったのは日本軍がやってきてからです。
誓ってもいいですがね。同じことはアメリカ人の財産にもいえるんですよ。
舞い戻ってきた中国軍によって略奪された家はもともと多くありませんでしたし、
みんな太平路にありました。太平路には外国人の家は一軒もありませんでしたからね」
七時半ころ、下士官が一人、私の衛兵といっしょにやってきた。
二人ともがっしりした体格で銃剣をたずさえ、泥だらけの軍靴を履いていた。
おかげで、カーペットがすっかり汚れてしまった。
この二人は私の護衛を命じられているのだそうだ。
すぐにまた外へ出ていって、この雨や雪のなかを歩きまわらなければならない。
外はひどい天気なので、さすがにちょっと気の毒になった。
夜の九時ころ、日本兵が二人、こっそり裏の塀をよじ登っていた。
私が出かけようとしたときには、やつらはすでに食料貯蔵室にもぐりこんでいた。
私は取り押さえようとした。クレーガーには衛兵を呼びにいってもらった。
ところがどうだ、衛兵はドロンをきめこんでいたのだ!
クレーガーが私に知らせにきたときには、
こっちの二人もあわてて塀を乗り越えて逃げだしていた。
(字数の都合で、以下略)
*
またもや日本兵の侵入?
もはや第16師団しかいないのだから、
状況証拠からするとラーベのところに侵入していたのは第16師団の兵士
かと言うことになるのだが。はたして?
これは メッセージ 257 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12月28日 ラーベの日記1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/27 18:24 投稿番号: [257 / 2250]
十二月二十八日
あいもかわらず、放火がくりかえされる!
まるで重い病いにでもかかっているようだ。
おそるおそる時計の針に目をやるが、針は遅々として進まない。
難民はだれしも新年のお祝いを恐れている。
酔ったいきおいで、日本兵がますます乱暴を働くにきまっているからだ。
慰めようとするが、いまひとつ力がこもらない。
それはそうだろう、そういう我々自身、信じていないのだから!
誰だか知らないが、今日が登録の最終日だといううわさを広めた人がいるらしい。
そのため何万人もの人が登録所につめかけた。
安全区の道路は人で埋まり、歩くこともできない。
私はドイツ国旗のおかげでかろうじて前へ進める。
ここではハーケンクロイツのついた私の車を知らない者はない。
なんとかして道をあけようとして、ぶつかり、押し合いへし合いしている。
そのわずかな隙間に滑りこみつつ、ようやく目的地に着いた。
私が通ったとたん、あっというまに元通り埋まってしまう。
休憩時間にでもあたったら、ここから抜け出すのは並大抵のことではないだろう。
今日、ほうぼうから新たな報告が入った。あまりの恐ろしさに身の毛がよだつ。
こうして文字にするのさえ、ためらわれるほどだ。
難民はいくつかの学校に収容されている。
登録前、元兵士がまぎれていたら申し出るように、との通告があった。
保護してやるという約束だった。ただ、労働班に組み入れたいだけだ、と。
何人か進み出た。ある所では、五十人くらいだったという。
彼らはただちに連れ去られた。生きのびた人の話によると、空き家に連れていかれ、
貴重品を奪われたあと素裸にされ、五人ずつ縛られた。
それから日本兵は中庭で大きな薪に火をつけ、一組ずつひきずり出して
銃剣で刺したあと、生きたまま火の中に投げこんだというのだ。
そのうちの十人が逃げのびて塀を飛び越え、群衆の中にまぎれこんだ。
人々は喜んで服をくれたという。
これと同じ内容の報告が三方面からあった。
もう一つの例。これはさっきのより人数が多い。
こちらは古代の墓地跡で突き殺されたらしい。
ベイツはいまこれについて詳しく調べている。
ただ、いざ報告するときには、誰から聞いたか分からないよう、
よくよく気をつけなければならない。
知らせてきた人にもしものことがあったら大変だ。
*
掃蕩作戦は既に終了している。もう第7連隊はいない。
「五人ずつ縛って、銃剣で刺し、火の中に投げ込む」 と言うが、
5人縛られたままで倒れた者を、どうやって火に投げられる?
一人を動かそうとしたら、つながっている他の四人が邪魔になって動かせない。
ロープを切ったら、そのロープは短くなって、次には使えない。
また、五人ずつ縛られていて、どうやって塀を乗り越えられる。
三方面から、同じ内容の報告という事は、攪乱工作による、デマ宣伝の可能性大。
清国の官憲が 「中国人の訴えを信用するな」 と言った事が想い起こされる。
これは メッセージ 256 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12月27日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/26 18:44 投稿番号: [256 / 2250]
十二月二十七日
サンタクロースのまねをしようと思い、百二十六人いる難民の子どもたちに
二十セント硬貨を贈ることにした。ところがさんざんな目にあってしまった。
もみくちゃにされて、ひきさかれそうになったのだ。乳飲み児を抱いた父親たちが
押しつぶされそうになっているのに気がついて、私はあわてて中止した。
プレゼントをもらったのはおよそ八十人から九十人。
いずれ折を見て、だれがまだもらっていないか聞いてみよう。
今日、本部を片づけた。
仕事もないのに、ここには怠け者の苦力がたくさん泊まりこんでいた。
ものの二十分でぴかぴかになり、元通り堂々たる姿になった。
鼓楼病院に今日、男が一人、担ぎ込まれてきた。五カ所も銃剣で刺されている。
金陵中学の難民収容所では、およそ二百人の元兵士が選び出されたのだが、
そのうちの一人だという。
この元兵士たちは、射殺されたのではなく、銃剣で突き殺されたのだ。
目下この方法が取られている。
さもないと、我々外国人が機関銃の音に耳をそばだてて、
なにかあったのか、とうるさいからだ。
今日、張と韓が、新街口(ポツダム広場)に日中合弁商店ができて、
ありとあらゆる食料品が買えると知らせに来た。
私は韓といっしょに確かめに行った。そして − はからずも、
この建物に放火する現場を目撃したのだ!
日本軍はこの街を破壊しようというのか!
*
日中合弁の店を日本軍が何のために放火しなければならないのか?
自分で金を出して、作って、自分で放火?
だったら最初から作らなければよい。意味ないだろうに。
なぜ、日本軍の放火と決めつけるのか。
こういう事をするのは、日本軍と中国人が仲良くするのを好まない、
便衣兵のしわざとは、考えられないのだろうか。
これは メッセージ 255 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12月27日 中国側の和平案検討
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/25 18:45 投稿番号: [255 / 2250]
児島襄著『日中戦争4』259〜260p
十二月二十七日、蒋介石が国防最高会議を招集して、日本側提案を討議の対象にすると、
意外にもとにかく交渉すべきだと主張する者が、いた。
交通部長愈飛鵬、教育部長王世杰らである。
そして、会議後、交通部長愈飛鵬は大使トラウトマンを訪ねた。
「中国としては、日本の条件をうけいれるべきでしょうか。
大使閣下のご意見をうかがいたい」
「残念ながら、本使はその種の意見をのべる立場におりません」
「それでは、結局、貴国のお力で停戦にもちこむことはできないのでしょうか」
交通部長愈飛鵬は、大使トラウトマンの明答を得られぬまま、
肩をおとして帰っていった。
蒋介石は、憤然とした。
「今日除投降無和平、捨抗戦外無生存、彼等実昧於大勢、不知国家利害、
此革命之所以未能成功、一至於此也」
(いまや降伏以外には和平はなく、抗戦する以外に生存の道はない。
彼らは世界の大勢にくらく国家の利害も知らない。
革命が成就できないゆえんは、まさにここにある)
蒋介石は、ソ連の援助をもとめる決心をかため、立法院長孫科にモスクワ行を指示した。
行政院副院長孔祥煕は、ドイツ商社 『HAPRO』 代表H・クラインをまねいて述べた。
「(日本との)和平交渉開始の努力が成功しなければ、国民政府は、
たとえわが国が経済的に破綻しようとも、また、
たとえわが国民をソ連の腕の中におしやろうとも、最後まで抗戦するつもりです」
H・クラインから通報をうけた外務次官H・マケンゼンは、駐支大使トラウトマンに、
ソ連との接近強化は中独関係を改変させる旨を中国側につたえるよう、指示した。
同時に、次官マケンゼンは、駐日大使ディルクセンにも、
中国の赤化は防共協定にそぐわない、不満があっても日中関係を正常化して
中国の赤化を防止すべきだと
日本政府に勧告せよ、と訓令した。
駐日大使ディルクセンは、その程度の勧告で日本側の考え方を変えられるものでもない、
と思ったので、とっさには行動しなかった。
*
「いまや降伏以外には和平はなく」 と蒋介石は言ってるけど、
日本はそこまで解からん事を言っていない。
なぜ、彼らは、このような妄想をして、
解決を不可能にするのだろうか?
もともと、戦争を仕掛けたのは中国であり、
日本は大幅に譲歩した和平案を出していた。
それを蹴って戦争を続けたから、こうなっただけ。
全ては、自分のまいた種。自分の責任だろうに。
どうして、自分たちの非をさとれないのだろうか。
これは メッセージ 254 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12月26日 ラーベの日記2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/24 18:56 投稿番号: [254 / 2250]
ヨーロッパ人の家をのこらずリストアップし、とられた品物の
「完全なリスト 」 を作って提出してくれと、高玉が言ってきた。
私は断った。大使館の仕事じゃないか。
第一、そんな面倒なことを引き受けて貧乏くじをひくのはまっぴらだ。
最後まで無事だった家があるのかどうか、あるとしたらどの家なのか、
それさえ正確に知らないというのに。
クリスマスの二日目の今日、私はあいかわらず家にいた。
難民が心配で、家を空けられない。だが、あしたにはまた本部で仕事がある。
安全区の二十万もの人々の食糧事情はだんだん厳しくなってきた。
米はあと一週間しかもたないだろうとスマイスはいっているが、
私はそれほど悲観的には見ていない。
米を探して安全区にまわしてくれるよう、
何度も軍当局に申請しているのだが、なしのつぶてだ。
日本軍は、中国人を安全区から出して、家に帰らせようとしている。
そのくせいつ汽車や船で上海にいけるようになるのかと聞いても、
肩をすくめるだけだ。
「それは当方にもわかりません。川には水雷がばらまかれているので、
定期的に船を出すのはとうてい無理でしょうな」
うちのボーイやコックが、食べものをいまだにちゃんと調達しているのには
いつも驚かされる。とくに私の家では奇跡に近いほどだった。
二週間ほど前から中国人を三人泊めているので、その人たちにも食事を出している。
幸運にもそれでもまだ足りているのだ。
ひょっとすると、いまや私を心から愛してくれている難民たちが、
いざとなると食べ物を手に入れる手伝いをしてくれているのかもしれない。
私は毎日目玉焼きを食べているが、
卵がどんな形をしていたかさえわすれてしまった人もいるのだ。
ミス・ミニ・ヴォートリン。実はこの人について個人的にはあまりよく知らないのだが、
アメリカ人で、金陵女子文理学院の教授らしい。
大変きまじめな女性で、自分の大学に男性の難民を収容するときいて、
びっくり仰天して反対したそうだ。
最終的には、男女別々のフロアにするからという条件で承諾した。
ところで、この人に恐ろしい事件が起こった!
彼女は自分が庇護する娘たちを信じて、
めんどりがひなを抱くようにして大切に守っていた。
日本兵の横暴がとくにひどかったころ、私はミニをじかに見たことがある。
四百人近くの女性難民の先頭に立って収容所になっている大学につれていくところだった。
さて、日本当局は、兵隊用の売春宿を作ろうというとんでもないことを思いついた。
何百人もの娘でいっぱいのホールになだれこんでくる男たちを、恐怖のあまり、
ミニは両手を組み合わせて見ていた。
一人だって引き渡すもんですか。
それくらいならこの場で死んだほうがましだわ。
ところが、そこへ唖然とするようなことが起きた。
我々がよく知っている、上品な紅卍字会のメンバーが
(彼がそんな社会の暗部に通じているとは思いも寄らなかったが)、
なみいる娘たちに二言三言やさしく話しかけた。
すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、
新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にしていないようだった。ミニは言葉を失った。
*
「川には水雷がばらまかれているので、定期的に船を出すのはとうてい無理」
これは事実。海軍による揚子江掃海・障害物除去作業は昭和十三年四月まで続いている。
*
「日本当局は、兵隊用の売春宿を作ろうという」
いわゆる、「戦時慰安婦」 はこの時始まったようだ。ここで明らかなように、
これは強制連行ではなく、売春婦を雇って働かせるシステムだった。
これは メッセージ 253 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12月26日 ラーベの日記1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/23 16:06 投稿番号: [253 / 2250]
十二月二十六日
十七時
《素晴らしいクリスマスプレゼントをもらったぞ。夢のようだ!
なんたって六百人をこす人々の命なのだから。
新しくできた日本軍の委員会がやってきて、登録のために難民を調べ始めた。
男は一人一人呼び出された。全員がきちんと整列しなければならない。
女と子どもは左、男は右。ものすごい数の人だった。
しかし、すべてうまくいった。だれひとり連れていかれずにすんだ。
隣の金陵中学校では二十人以上引き渡さなければならなかったというのに。
元中国兵という疑いで処刑されるのだという。
わが家の難民はだれもがほっとした。私は心から神に感謝した。
いま、日本兵が四人、庭で良民証を作っている。
今日中には終わらないだろうが、そんなことはどうでもいい。
将校が決定した以上、もうひっぱられる心配はないのだから。
葉巻とジーメンスのカレンダーを担当の将校に渡したとき、
百子亭にある家からもうもうと煙が上がってきた。
庭は灰の雨だ。藁小屋は大丈夫だろうか。いくぶん考え深げにその様子を眺めながら、
その将校はフランス語であっけらかんと言った。
「わが軍にも、なかには粗暴なやつがいましてね」
そう、なかには、ね。
昨日は日本兵が押し入ってこなかった。この二週間ではじめてのことだ。
やっといくらか落ちついてきたのではないだろうか。
ここの登録は昼に終わった。しかも後からこっそりもぐりこませた
二十人の新入りにも気前よく良民証が与えられた。
使用人の劉と劉の子どもが、病気になったので、
鼓楼病院のウィルソン先生のところに連れていった。
トリマー先生が病気で、いまはこのウィルソン先生一人で病院を切り盛りしている。
先生から、新しい患者を見せられた。
若い娘を世話できなかったという理由で撃たれた中年婦人だ。
下腹部を銃弾がかすめており、手のひら三つぶんくらいの肉がもぎとられている。
助かるかどうかわからないという話だ。
安全区本部でも登録が行われた。担当は菊池氏だ。
この人は寛容なので我々一同とても好意を持っている。
安全区の他の区域から、何百人かずつ、
追いたてられるようにして登録所へ連れてこられた。
今までにすでに二万人が連行されたという。
一部は強制労働にまわされたが、残りは処刑されるという。
なんというむごいことを……。我々はただ黙って肩をすくめるしかない。
くやしいが、しょせん無力なのだ。》
*
「隣の金陵中学校では二十人以上引き渡さなければならなかった…。
元中国兵という疑いで処刑されるのだ。」 とあるが、
1月4日の 『ニューヨーク・タイムズ』 には「 元支那軍将校が避難民のなかに
大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」 という記事があり、
記事では 「恐らく処刑されるであろう。」 と書かれていた。
その将校らの潜伏先は、金陵女子大学だった。
中学と女子大では違うだろうが、この処刑は犯罪の発覚と関連はないのだろうか?
その記事内容は1月4日の所に書く。
これは メッセージ 252 (kireigotowadame さん)への返信です.
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12月26日 日本側和平条件中国に伝わる
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/22 16:02 投稿番号: [252 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 466p
駐日大使から報告を受けたドイツ外務省は、
二十三日これを漢口のトラウトマン大使に伝達し、
同大使は、二十六日孔祥煕と宋美齢に伝えた。
(蒋介石は病臥) 中国側はその内容に極めて強い驚きを示した。
児島襄著 『日中戦争4』 258〜259p
駐支大使トラウトマンは、二十六日、行政院副院長孔祥煕と蒋介石夫人
宋美齢に会い、日本側覚書を手交した。
大使は蒋介石との会見を申しいれたが、病気だとのことであった。
二人は、覚書内容の日本側条件が過酷なものに一変しているのにおどろき、
夫人宋美齢は、大使に言った。
「まさか、ドイツ政府はこのような要求に味方されるはずはないでしょうね」
副院長孔祥煕も、大きく吐息して、大使に告げた。
「日本はきっと、十の自治政府、十の非武装地帯を要求するにちがいない。
とても受けいれられない。日本は将来を考えるべきです。
必ず自滅する将来を、です」
陸軍の移動
なお、この日、安全区を掃蕩していた第9師団の第7連隊が南京を去ったので、
南京に駐留しているのは、警備の第16師団だけとなった。
これは メッセージ 251 (kireigotowadame さん)への返信です.
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第十軍の杭州占領
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/21 16:05 投稿番号: [251 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 431p
第百一師団主力は、十二月十日上海出発、十九日湖州付近に集結した。
師団長は歩兵一大隊から成る捜索隊をして、
二十日湖州を出発してシンガー山付近を捜索させ、主力を二縦隊及び左側支隊に区分し、
まず武康付近を目標とし二十一日出発、
途中敵小部隊を駆逐し、二十二日武康北側地区に進出した。
二十三日、第十八、第百一師団は余杭−瓶窰−徳清の線に到達し、
二十四日朝、敵の抵抗を受けることなく杭州を占領した。
第一後備歩兵団は、二十二日嘉興出発、二縦隊となり長安方向に前進し、
崇徳、長安の敵を駆逐し、二十五日杭州に入城した。
これは メッセージ 250 (kireigotowadame さん)への返信です.
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