12月25日 石川達三南京へ向け出発
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/20 18:34 投稿番号: [250 / 2250]
12月25日
石川達三は南京への取材のため、東京を発った。
『生きている兵隊』 中公文庫の後ろの方の “「解説」 半藤一利” 204p より引用
《各雑誌は作家の現地特派という企画で競い合うことになる。
『中央公論』 は七月にもう尾崎士郎、林房雄を中国に派遣している。
同じく 『主婦の友』 は吉尾信子を送った。九月には 『日本評論』
から
榊山潤がでかけ、その報告がそれぞれの誌面を派手に飾った。
負けてはならじと 『文藝春秋』『改造』 などの各誌がそれにつづいた。
厳しい検閲のもとに、がぜん戦意を高める現地報告、従軍記、
ルポルタージュが、主流という情勢になっていく。
このとき、その二年前に第一回芥川賞を受けた気鋭の作家石川達三が
「俺が全然こんなのとは違った従軍記を書いてみせる」 と、
ひそかな野望を抱いたとしても、なんら奇怪 (おか) しいことではない。
「毎日読む記事が画一的なんで腹が立ちました。
戦争というものは、こんなものではない。
自分の目で確かめたいと思っているところへ、
中央公論特派員の話があったのです」
と、石川は語っているが、とにかく、こうしてかれは中国戦線へ従軍することになる。
十二年十二月二十五日に東京を発ち、神戸から軍用貨物船で出港、・・・》
石川達三は、どうも、他の人達の穏和な記事が気に食わず、
残虐な光景を描きたかったようですね。
彼の小説は、最初から、そういう意図で取材され、まとめられていたのなら、
上海・南京戦の実態を表わしているとは言えないでしょう。
半藤氏は、石川達三の南京行きを 「従軍」 と書いていますが、
これは、従軍ではないでしょう。
別に、派遣軍にくっついて行ったわけでもないし、
彼が、行った時には、上海戦も南京戦も終わっていた。
彼は、適当に、現地で話しを聞き、破壊の後を見、死体を見ただけでしょう。
あとは、最初の構想のままに残虐話を作り上げたというべきです。
これは メッセージ 249 (kireigotowadame さん)への返信です.
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