李朝朝鮮

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Re: 羊月城さん

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/10/27 02:31 投稿番号: [402 / 1329]
ttp://www.han.org/a/half-moon/hm121.html#No.904

Re: 妓女『黄真伊』のドラマ

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/10/27 02:18 投稿番号: [401 / 1329]
>かの『街道を逝く』の「司馬さん」ならば、感受性豊かな彼女らがウリ民ジョクだと喝破していると思います。

たしか和泉式部の姓は大江氏でしたね。
大江とは文字通り『大きな江(かわ)』、つまり『鴨緑江:阿利那礼河(ありなれのかは)』を指すもの、彼女はウリミンジョクだったのですね!東亜師父、私にも歴史創造ができました!

紫式部も、その才能もさることながら父藤原為時が越前国の受領に任じられたのは、一条天皇に詩を奉じたからだけでなく、韓半島に近い国にウリミンジョクを赴任させようということで分かっています!

清少納言も、新羅人天武天皇の皇子、舎人親王が始祖なのでウリミンジョクですね。

・・・・・・・ここまで思いつきで大風呂敷を広げましたけど、どうしましょう、師父?『街道を逝く』の司罵療太郎さんに頼みますか?羊月城さんに頼みますか?

Re: 妓女『黄真伊』のドラマ

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/10/27 01:51 投稿番号: [400 / 1329]
和泉式部の「もう恋なんかしない!」宣言のあと、すぐにまた好きな人が出来るあたり、なんとも人間臭くていいなあと思います。
同時代の大物にして、海外でも比較的著名な「レディ・ムラサキ」も、「和泉ってオンナは、ちょっと男関係がねえ…」と言っているのは、微笑ましく思えます。

後深草院二条もいいなあ…。

かの『街道を逝く』の「司馬さん」ならば、感受性豊かな彼女らがウリ民ジョクだと喝破していると思います。
和泉も、ウリ民ジョクだらけの倭王宮に飽きたらず、熊野詣での折でしたか、倭人の農民青年をツマミグイしましたっけ。

Re: 妓女『黄真伊』のドラマ

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/10/27 01:27 投稿番号: [399 / 1329]
>世界中で、女性の地位が低かった当時、日本においては女流文学が十分に花ひらいていた事は、比較的身分の低かった和泉式部の歌が(男女の区別無く)純粋な歌の価値で勅撰集に選ばれていた事や、世界初の長編小説、「源氏物語」などからも推測できます。

他にも、わざわざ女性の筆に仮託した元祖ネカマ(おい!)の「土左日記」、『源氏物語』を入手して喜ぶ少女の「更級日記」もありますね。

>平安朝時代は世界でも最高の文明の一つだったのではないでしょうか?

最高かどうかは知りませんが、世界の文学史上、奇観であったことは間違いないでしょう。
あと、勅撰集として、詩(和歌)集を、一国の帝王がわざわざ編纂させるというのは珍しいものではないかと。 (支那には皇帝個人の詩文集ならありますが、皇帝が編纂させた詩集というのはないように思います)

Re: 妓女『黄真伊』のドラマ

投稿者: faye_valentine2006 投稿日時: 2006/10/27 01:04 投稿番号: [398 / 1329]
横から失礼します。

>文才があるといえば、和泉式部も。
>妓女も芸者と同様、パトロンが必要で、そのため色香で無理に男を惑わす必
>要があるのでしょう。
>相手の男性の地位や数が、妓女の価値を高めるのでしょうね。

和泉式部の名前がでましたので、トピずれは承知の上で釣られちゃいます。
私は和泉式部の

  捨てはてんと   思うふさこそ悲しけれ   君になれにしわが身と思えば

と言う一首がとても好きなのです。
平安朝時代のプレイガールとでも言いましょうか、恋多き和泉式部が実は純情
で真実の恋を求めていた事を感じちゃいます。
27歳で亡くなった年下の恋人への思いを千年後の今も新鮮なエロチズムとし
て、私は感じるのです。

世界中で、女性の地位が低かった当時、日本においては女流文学が十分に花ひ
らいていた事は、比較的身分の低かった和泉式部の歌が(男女の区別無く)
純粋な歌の価値で勅撰集に選ばれていた事や、世界初の長編小説、「源氏物
語」などからも推測できます。

平安朝時代は世界でも最高の文明の一つだったのではないでしょうか?

>奴婢なんて、下手をすれば売買の対象

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/26 21:50 投稿番号: [397 / 1329]
でしょう〜。( ^∇゚)b

でも、最年少で科挙に合格したそのエリート武官は、
チャングムが奴婢になっても内人(ナイン)と女官の尊称で呼び続けます。
(日本語ではチャングムさんだけど)
それを尊重して、
「正妻が来るかもしれないけど(前妻死亡という設定)
妾になりませんか?不安定な奴婢の生活を守ってあげます。」
と言えなかったのかな?

いがらしゆみこ (絵) の「とわずがたり」図書館で読みました。
感想・・・やっぱりいがらしゆみこはアダルト路線は似合わない(笑)
『新とはずがたり』   講談社文庫   1993   杉本苑子は面白かったですよ。
和泉も二条もそこそこの身分があるから恋愛は奔放でも、それが終わった時の悟りのようなものがあって、品がありますね。

>妓女も芸者と同様、パトロンが必要で、そのため色香で無理に男を惑わす必要があるのでしょう。

身売りされてる存在ですから、宮中のものとはまた違うのでしょう。

Re: 妓女『黄真伊』のドラマ

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/25 22:51 投稿番号: [396 / 1329]
>チャングムが奴婢になって流刑になり、彼女に恋するエリート武官が流刑地に彼女を追って赴任して来ますが、
>現実ならあの時点でお妾になってると思うので、あのどこまでも彼女が満足するまで&目標を達するまで待つ姿は少女漫画だな〜と。
>(ありえない見守る男度はベルバラのアンドレなみ)

ぐふっ。そういうストーリーなんですか。
奴婢なんて、下手をすれば売買の対象ですからねえ。
歴史的に女性が過酷な状況に置かれたのは悲しい話ですが、現代の価値基準、ラブロマンに作り変えられると男性は付いて行けません。
元々李朝時代に純愛が成立する可能性はゼロですから、女性が活躍するフランスより無理な設定です。

>こういうレベルなら、どちらかというと、鎌倉時代の中後期に後深草院二条の「とはずがたり」の方が好きです。

そうそう、艶っぽいのは、明るいのがいいですね。
文才があるといえば、和泉式部も。
妓女も芸者と同様、パトロンが必要で、そのため色香で無理に男を惑わす必要があるのでしょう。
相手の男性の地位や数が、妓女の価値を高めるのでしょうね。


『とはずがたり―マンガ日本の古典〈13〉』中公文庫   後深草院二条(原作)   いがらしゆみこ (絵)
『後宮』   海野つなみ 2005-   講談社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%9A%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%82%8A

和泉式部日記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%B3%89%E5%BC%8F%E9%83%A8%E6%97%A5%E8%A8%98

Re: 妓女『黄真伊』のドラマ

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/24 21:22 投稿番号: [395 / 1329]
>芸者としての立ち居振る舞いや踊りはどうだったんでしょうか。

設定が戦前だったので、芸者がスポットライトを浴びて斬新な踊りを披露する場面があったので、すらりとした中国人女優はぴったりだったと思います。扇を回すのもお上手でした。ただ、やっぱり日本人と、特にあの時代の日本人の体つきとかなり違いますね。

>韓国映画やドラマは、闘争の激しい韓国社会の現実から逃避したものが多いですね。
設定や展開に無理があるので、少女漫画ぽく、純愛路線が好まれるのでしょう。

チャングムが奴婢になって流刑になり、彼女に恋するエリート武官が流刑地に彼女を追って赴任して来ますが、
現実ならあの時点でお妾になってると思うので、あのどこまでも彼女が満足するまで&目標を達するまで待つ姿は少女漫画だな〜と。
(ありえない見守る男度はベルバラのアンドレなみ)

>例の「韓国・堕落の2000年史」崔基鎬著にも、詳しく出てきますよ。
以下、抜粋ですが、詩才は別して、色は奔放です。

絶対惚れないと言い張る偉い男が次々と彼女の色香に参る図は朝鮮的かな?
日本でこういうのはあまり聞かないような気がする。

こういうレベルなら、どちらかというと、鎌倉時代の中後期に後深草院二条の「とはずがたり」の方が好きです。

Re: 妓女『黄真伊』のドラマ

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/24 21:22 投稿番号: [394 / 1329]
>芸者としての立ち居振る舞いや踊りはどうだったんでしょうか。

設定が戦前だったので、芸者がスポットライトを浴びて斬新な踊りを披露する場面があったので、すらりとした中国人女優はぴったりだったと思います。扇を回すのもお上手でした。ただ、やっぱり日本人と、特にあの時代の日本人の体つきとかなり違いますね。

>韓国映画やドラマは、闘争の激しい韓国社会の現実から逃避したものが多いですね。
設定や展開に無理があるので、少女漫画ぽく、純愛路線が好まれるのでしょう。

チャングムが奴婢になって流刑になり、彼女に恋するエリート武官が流刑地に彼女を追って赴任して来ますが、
現実ならあの時点でお妾になってると思うので、あのどこまでも彼女が満足するまで&目標を達するまで待つ姿は少女漫画だな〜と。
(ありえない見守る男度はベルバラのアンドレなみ)

>例の「韓国・堕落の2000年史」崔基鎬著にも、詳しく出てきますよ。
以下、抜粋ですが、詩才は別して、色は奔放です。

絶対惚れないと言い張る偉い男が次々と彼女の色香に参る図は朝鮮的かな?
日本でこういうのはあまり聞かないような気がする。

こういうレベルなら、どちらかというと、鎌倉時代の中後期に後深草院二条の「とはずがたり」の方が好きです。

Re: 妓女『黄真伊』のドラマ

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/21 23:51 投稿番号: [393 / 1329]
>日本の妓女の話ですが、ハリウッドの「SAYURI」を見ましたよ。
>なんでチャン・ツィーが主役に抜擢されたのかわかりました。
>日本人でもあれだけ派手に踊れる女優はなかなかいないからです。

カッポレですか。(冗談)
でも、芸者としての立ち居振る舞いや踊りはどうだったんでしょうか。
日本の女優が時代劇に出る場合、やはりこの辺りが大変だと思いますが、演技が出来て歌って踊れる女優が少ないのも確かですね。

>もともとこの時間帯は人気海外ドラマ枠でアメリカものがほどんどだったような。

ERとか、アーリー・マイ・ラブとかやってたような。
それなりに、フリークがいたと思いますが。

>ちょっと少女漫画な部分があると思いますよ。

韓国映画やドラマは、闘争の激しい韓国社会の現実から逃避したものが多いですね。
設定や展開に無理があるので、少女漫画ぽく、純愛路線が好まれるのでしょう。

>才色兼備の妓女達の話をかなり前に朝鮮女性史の本で読んだことがありました。
>もう何年もことで忘れてしまったのですが、彼女もその中の一人として書かれたのかしら?

例の「韓国・堕落の2000年史」崔基鎬著にも、詳しく出てきますよ。
以下、抜粋ですが、詩才は別して、色は奔放です。

『黄真伊は妓生であった。1502年に開城で生まれ、34歳で没したと推定されている。
彼女は心を以て接して来る男性に対しては愛情を注ぎ、愛を奔放に発散して、自由と人権と愛情を渇望した。
黄真伊は絶世の美人であった。

ある時、黄真伊は、大臣に相当する判書などを歴任した高官である蘇世譲と会った。蘇世譲は日頃、家臣に「女色に惑わされる様では、男と言えない」と語っていた。彼は黄真伊と初め30日だけと日数を限って、共に過ごしたが、当初はそれ以上過ごしたら人間では無いと言っていた。
30日になって、蘇世譲が帰る支度をして居る時に、真伊が漢詩を読んだ。それを聞いた途端、「俺は人に非ず」と嘆いて、衣服を脱いで同宿し続けた。黄真伊の真骨頂を表わす逸話である。

ある時、碧渓守という高名な詩人が、「自分だけは、絶対に黄真伊に惚れる事は無い」と言って威張って居たが、ある時馬に乗って、真伊を山の上の満月台に誘い出した。真伊は碧渓守の馬の息が荒いのを見て、「馬の息がどうして荒いのか、貴方の恋心を乗せているからでしょう」とからかった。

知足禅師という30年間も修道して、悟りを開いた有名な高僧が居た。真伊はこの禅師を誘ったが、全く心を動かさなかった。それでも禅師を虜にして、自分との愛欲生活に引きずり込んだ。禅師は「花潭(徐敬徳)、朴渕瀑布、黄真伊」といって、真伊を「松都三絶」の一つであると讃えた。』

妓女『黄真伊』のドラマ

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/21 11:03 投稿番号: [392 / 1329]
才色兼備の妓女達の話をかなり前に朝鮮女性史の本で読んだことがありました。
もう何年もことで忘れてしまったのですが、彼女もその中の一人として書かれたのかしら?

私は踊りを見るのが好きなので、日本で放送されてたら見てしまうかな?
韓国の伝統舞踊は実際見て素敵だったと思うし。

日本の妓女の話ですが、ハリウッドの「SAYURI」を見ましたよ。
なんでチャン・ツィーが主役に抜擢されたのかわかりました。
日本人でもあれだけ派手に踊れる女優はなかなかいないからです。
この韓国ドラマの主人公役の女優もかなり頑張ってるようですね。

韓国現代ドラマは昼間も放送されてるようですが、私は見ていません。
チャングムは土曜の11時頃なので、12時就寝でOKの人にとっては都合が良い時間帯だと思います。
もともとこの時間帯は人気海外ドラマ枠でアメリカものがほどんどだったような。

>若い女の子が健気に頑張るドラマだと男性は見ると思います。

ちょっとありえないほど、男性が女性に合わせるっていうか、権力闘争で大変な時代なのに、罪人となって奴婢に身分を落とした女性のために流刑地までエリート両班が追っかけていくかな〜。職場放棄して思い人を探しに行ったり・・・。ちょっと少女漫画な部分があると思いますよ。

>日本の日曜日の夜の大河ドラマは、いい時間帯です。

そうですね。最近の大河ドラマの演出・解釈には異論が出ますが、ついつい見てしまいます。

Re: 「倭国との密貿易」

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/21 01:44 投稿番号: [391 / 1329]
資料、ありがとうございます。
やはり輸出入額から見ても、日清・日蘭貿易が主力ですね。

当時、オランダとの交易は重要で、輸入品の中には蘭書、機械類が主品目になっています。
中国からの輸入は、漢書や漢方の薬材が主品目です。
つまり、朝鮮との交易は補助的、対馬藩宗氏のためにやっていたようなものですね。

韓国では、日本の江戸時代は「鎖国」で、朝鮮としか交易していなかったと思い込んでいるみたいです。
まあ、古代から、朝鮮ルート以外、日本への文化経路の中国・東南アジアルートは、ことごとく無視されていますが。(苦笑)
仁江にいくら証拠を突き付けても認めなかったのは、見事でした。(笑)

Re: >チャングムがいつ頃の話なのか

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/21 00:57 投稿番号: [390 / 1329]
>>韓国でも男の人がテレビ・ドラマを見ているというのは、少ないでしょうけど。

>そうですか?大河ドラマは日本の男性もけっこう見てるのではと思いますけど。

他意はありません。
韓国ドラマというのは、週2回放送されるんですよね。
それとも、チャングムは日本の大河ドラマのような扱いだったのでしょうか。
普通に仕事をしてると、家に早く帰宅してテレビを見ることができないものですから、韓国でもそうかなと思っただけです。
韓国人3人というのも、サンプルとしては少なく、たまたまかも知れません。
日本の日曜日の夜の大河ドラマは、いい時間帯です。
それに、若い女の子が健気に頑張るドラマだと男性は見ると思います。(笑)

>2人の年代見たら、多少かぶさっていたので。<(_ _)>

了解しました。こういう正確なところが日本人ですね。(笑)

ところで今、妓女『黄真伊』のドラマや映画が韓国では流行っているようですが、これは実話通りならば、才色兼備の女性ドラマというより愛欲ドラマ(笑)になると思うんですが、どうなんでしょう。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/16/20061016000038.html

Re: ドラマ:チャングムの訳は

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/10/20 22:05 投稿番号: [389 / 1329]
>倭寇の一番偉い人なら、「おやかた」じゃなくて、あの時代そうじゃなくても、今の時代劇から言ったら「おかしら」が適当と思うよ。
>だって、倭寇って武士って言うより、盗賊だもん。


う〜〜ん・・・・
今の感覚からすれば、そうなのでしょうね・・・

最も当時の感覚からすれば「棟梁」「長」が一番しっくりしてる気が・・・
実際の倭寇は、半漁(半農)半士の在地武家(郷士)が結構居ましたから。

Re: >チャングムがいつ頃の話なのか

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/10/20 22:01 投稿番号: [388 / 1329]
>NHK大河「武田信玄」までの大河や痛快娯楽時代劇での主君は皆
>「殿」「上様」でした

>以後の戦国モノは皆「御屋形様」「御館様」に統一され
>痛快娯楽時代劇では将軍家が「上様」
>大名や旗本などは「殿」にほぼ統一されたように思われます


因みに、鎌倉・室町・戦国期には。
守護、守護代、国持大名の尊称は「御館様」、時代が下るにつれ「御屋形様」
将軍家(鎌倉・室町幕府での)は「御所様」

「上様」は言わば「貴人」に対する尊称なのですが。
江戸期の武家社会では主君(大名以上)への尊称となりましたね。

一般に「殿」「殿様」は、旗本への、家臣よりの尊称でした。

Re: 「倭国との密貿易」

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/10/20 21:49 投稿番号: [387 / 1329]
>>清は大陸を掌握した後も日本とは公式貿易をしていませんでした。

>またウソを書くから、困りますね。
>日朝貿易、1609年慶長(己酉)条約による歳遣船20隻に比較しても、日清貿易の方が盛んでした。
>江戸時代中期以降に、日清・日蘭貿易が停滞したのは、銀の流出などが続いたためです。

因みに、日朝貿易は貞享元年(1684年)の統計で
・輸出額:銀2919貫357匁
・輸入額:銀1405貫874匁
(『倭館』田代和生著)

長崎貿易は寛文元年(1661年)の統計で
・輸出額:銀3万8442貫416匁
(中国船39隻、オランダ船11隻)
(『長崎貿易』太田勝也著)

その後の銀流出の歯止めの為に、唐船(中国船)の交易隻数が制限されますが。
「海舶互市新例」(正徳五年=1715年)発布
その結果でも。
・唐船:年間30隻。交易取引額は銀6000貫
・オランダ船:年間2隻。交易取引額は銀3000貫
(『鎖国と国際関係』中村質)

更には18世紀以降、日本の銀産出量が落ちたのを境に、日朝貿易も下り坂になりましたね・・・

ドラマ:チャングムの訳は

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/20 21:41 投稿番号: [386 / 1329]
ドラマ:チャングムの訳は「え?」と思うことが多くて。

ちゅう房を「水剌間」(スラッカン)とか尚宮をサングンとか等・・・
あっちの言葉で言ったりするくせに、

急に、王妃を「皇后」、王の母を「皇太后」など不適当な言葉が出てきたりい、
日本人が知ってる「キーセン」でさえわざわざ「芸者」に置き換えていたり、

チャングムの訳の感覚ってどうなってるんでしょうね。

訳してるのなんだか日本人じゃないような気がする。
倭寇の一番偉い人なら、「おやかた」じゃなくて、あの時代そうじゃなくても、今の時代劇から言ったら「おかしら」が適当と思うよ。
だって、倭寇って武士って言うより、盗賊だもん。

Re: >チャングムがいつ頃の話なのか

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/20 21:19 投稿番号: [385 / 1329]
>韓国でも男の人がテレビ・ドラマを見ているというのは、少ないでしょうけど。

そうですか?大河ドラマは日本の男性もけっこう見てるのではと思いますけど。
チャングムは韓国で新しいタイプの女性のサクセスストーリーなので、
男性の感情移入は少ないかも。
女性の夢や頑張る姿を見守るヒロイン一筋の身分の高いエリート両班男性ってそうなかなかいないでしょう。
あの時代なら、浮き沈みの激しい夢を追うヒロインに振り回されるより、さっさと身分相応の女性と結婚して、愛人も持つのが普通なのかな?

>ところで、No.380のうるるさんの投稿が削除になっておりますが、どうした訳でしょう?

例えに出した杉田玄白等の話が適当でなかったので、削除したのです。
2人の年代見たら、多少かぶさっていたので。<(_ _)>

Re: >チャングムがいつ頃の話なのか

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2006/10/20 01:24 投稿番号: [384 / 1329]
>そういえば、武田信玄のドラマだったと思いますが、信玄を「おやかた様」と呼んでいたようです。

NHK大河「武田信玄」までの大河や痛快娯楽時代劇での主君は皆
「殿」「上様」でした

以後の戦国モノは皆「御屋形様」「御館様」に統一され
痛快娯楽時代劇では将軍家が「上様」
大名や旗本などは「殿」にほぼ統一されたように思われます

カテズレレスでした(笑)

Re: >チャングムがいつ頃の話なのか

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/20 00:50 投稿番号: [383 / 1329]
>針技術に実力があるけど自身の無いチャングムに「おやかた」(なんかへんですよね。頭領なのに)の治療をして助けないと、回りの朝鮮人も殺すと言われ、こわごわと針治療をしなけばいけないという場面なんですね〜。

「おやかた」は、棟梁、頭(かしら)、長(おさ)の方がいいでしょうね。
やはり、建築土木関係の日本語が今でも韓国で使われているなごりなのでしょうか。
そういえば、武田信玄のドラマだったと思いますが、信玄を「おやかた様」と呼んでいたようです。
「御屋形」様か、「御館」様か分かりませんが。

チャングムって、日韓ともに視聴率が良かったんですよね。
でも、私の兄が会った3人の韓国人は、チャングム・ネタには反応が鈍かったそうです。(苦笑)
まあ、韓国でも男の人がテレビ・ドラマを見ているというのは、少ないでしょうけど。

ところで、No.380のうるるさんの投稿が削除になっておりますが、どうした訳でしょう?

Re: >チャングムがいつ頃の話なのか

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/19 12:09 投稿番号: [382 / 1329]
>でも海賊の倭寇だったら、美人で賢明なチャングムを何故拉致しなかったのでしょうか。(笑)

武官の恋人と連絡しあって戦うチャングムという図でOKだったのでしょう。
拉致ってほどじゃありませんけど、ある意味拘束状態ではありました。
針技術に実力があるけど自身の無いチャングムに「おやかた」(なんかへんですよね。頭領なのに)の治療をして助けないと、回りの朝鮮人も殺すと言われ、こわごわと針治療をしなけばいけないという場面なんですね〜。

>日本の剣道大会と、写真を見ると日本刀による試し斬りが行なわれているようですし、

ありゃりゃ、もうこうなったらなんでもありですね。
妄想するのは勝手ですけど、日本人は間違ったことに合わせる必要はないですね。

Re: >チャングムがいつ頃の話なのか

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/18 23:06 投稿番号: [381 / 1329]
>室町時代の倭寇があんな姿してる訳ないし、正座をするのも可笑しいのですが。

あれ、倭寇だったんですか。(爆)
戦国末期か、江戸時代のような武具で、全員揃っているし、奇妙なサムライでしたね。
そうそう、写真を見て思い出しました。
http://gongenbashi.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_14b1.html
サムライの髷が立っているのも、可笑しくて。
でも海賊の倭寇だったら、美人で賢明なチャングムを何故拉致しなかったのでしょうか。(笑)

>チャングムの師匠は実在の医女 チャンドク(長紱) だけど、時代が違うのにいいんかいな〜。
>まぁ、物語だからいいといえば、それまでだけど。

そうですね。
韓国の時代ドラマやお祭りなど見ていると、時代考証というのが全くないように思います。
多分韓国では、「歴史」は自分たちの都合に合わせて作るものだと考えているからでしょうね。


高句麗の温達将軍のお祭り
>祭りでは、温達将軍選抜大会、高句麗武芸のデモンストレーションのほか、剣道の全国大会が行われ、男性優勝者には温達杯が、女性優勝者には平岡公主杯が授与されます。
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_rainhistory_detail.htm?No=181

日本の剣道大会と、写真を見ると日本刀による試し斬りが行なわれているようですし、李朝時代の楽隊も出てきます。(爆)

Re: >チャングムがいつ頃の話なのか

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/16 21:24 投稿番号: [379 / 1329]
>16世紀初頭の朝鮮王朝時代

では1510年の日本人居留民の三浦の乱があって、日朝貿易が衰退していった時期ですね。
1512年に壬申約条で交易が復活しましたが、日本の対馬からの歳遣船は半減、日本人の居留も認められなくなりました。
そのため、この頃は密貿易も盛んだったかも知れませんね。
香辛料や薬材は多く日本を頼りにしていたと思います。


ところで、チャングムに出てきた(テレビの予告でちらりと見ただけ)日本の武士(?)は何でしょうか。

>チャングムがいつ頃の話なのか

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/15 20:46 投稿番号: [378 / 1329]
16世紀初頭の朝鮮王朝時代
中国では明、日本では室町時代でした。

http://www3.nhk.or.jp/kaigai/gtv/chikai/basic/index_02.html

第9代王成宗<ソンジョン>(在位1469〜1494)〜
第10代王燕山君<ヨンサングン>(在位1494〜1506)〜
第11代王中宗<チュンジョン>(1488〜1544)〜

第13代王明宗の生母で垂簾聴政を行った中宗の文定王后が医女の主人公に毒殺を命じたり、
それなりに歴史に即した(つもり?)のドラマです。

呉善花が最近の本で、このドラマは日本のおいしんぼとか料理人の物語に影響されてのことと言ってましたが。
料理人も職人のようにスポットライトをあびる存在ではなかったというからきっとそうなのかもしれません。

Re: 「倭国との密貿易」

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/14 01:52 投稿番号: [377 / 1329]
チャングムがいつ頃の話なのか知りませんが、こんな記事がありました。
韓国の電波ドラマと電波記事をネタにしても、事実は見えませんが。(苦笑)

----------------------
商人と通訳官

当時朝鮮は日本と清の両方と公式貿易をしていましたが、清は大陸を掌握した後も日本とは公式貿易をしていませんでした。そのため朝鮮を通じた仲介貿易が活発に展開したのです。当事の貿易は、国家が認めた公式貿易と一種の密貿易と言える私貿易がありました。そして公式貿易の中に訳官貿易と国境地域で商人同士が行う開市貿易がありました。
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=1053

>当事の貿易は、国家が認めた公式貿易と一種の密貿易と言える私貿易がありました。

1609年に日朝貿易が再開。対馬藩の歳遣船は20隻。
1672年寛永12年、朝鮮貿易が確定し、外交・貿易事務は対馬藩に一元化されました。
朝鮮貿易には官貿易と私貿易がありました。
取引は「現金買い」ではなく、「代物替」、つまり物々交換。
官貿易は取引枠が決められているため、やがて私貿易に重点が移ります。
月に三と八の日に倭館内で開市、周囲は朝鮮将兵が固め、朝鮮の役人も立ち会います。
私貿易が盛んになるのは、倭館が豆毛浦から草梁に移った1678年頃からだとされています。
(朝鮮の私貿易=密貿易と、日本の私貿易は概念が異なりますが。)

>清は大陸を掌握した後も日本とは公式貿易をしていませんでした。

またウソを書くから、困りますね。
日朝貿易、1609年慶長(己酉)条約による歳遣船20隻に比較しても、日清貿易の方が盛んでした。
江戸時代中期以降に、日清・日蘭貿易が停滞したのは、銀の流出などが続いたためです。

1661(寛文元)年、清王朝が中国を統一し、日清貿易に参加しました。
1688(元禄元)年、清船の来航を年間70隻に制限しました。
1689(元禄2)年、長崎の町に雑居していた清国人を唐人屋敷に移住させました。
1697(元禄10)年、清船の来航を年間80隻に増加しました。
1700(元禄13)年、年間の入港数を制限しました。オランダ船は5隻、清船は8隻に激減しました。
1790(寛政2)年、年間の入港数を制限しました。オランダ船は1隻、清船は10隻となりました。
ttp://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/101_150/119_01.htm

Re: 「倭国との密貿易」

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/12 11:57 投稿番号: [376 / 1329]
>南蛮貿易でやってくる香木や胡椒など南海の産物を輸出し

なるほど、それでチャングムが「倭国のコショウ」と言うのですね。

Re: 「倭国との密貿易」

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/10/11 01:18 投稿番号: [375 / 1329]
当時の日朝貿易は、日明の勘合貿易のような許可制でしたね。
朝鮮国王が、通称を希望する日本人にその姓名を刻んだ「図書」という銅印を与えて行なう「授図書の制」というものでした。史上初、世宗からこの印をもらったのは安芸国の国人(地方領主)である小早川則平であり、その印には「日本国西海路美作太守浄存」と刻まれていました。

他には、対馬の宗氏、安芸の村上氏、肥後の菊池氏、石見の周布氏などももらったようです。

日本側は、朝鮮ではほとんど産出しない銅や硫黄、さらには刀剣、あるいは琉球を経由して南蛮貿易でやってくる香木や胡椒など南海の産物を輸出し、綿袖や綿布などを輸入していたようです。

「倭国との密貿易」

投稿者: ururu_xxx 投稿日時: 2006/10/09 00:09 投稿番号: [374 / 1329]
そういえば、ここらへんはたいして史実を調べないで書いてそう。
________________________________

主人公チャングムの宿敵大商人チェ一族が組んでいる重臣オギョモの
「倭国との密貿易」

チャングムにハートの武官ミン・ジョンホの部下が踏み込み関係者を捕らえて調べた。
すると倭国の人は正式な貿易の契約書を持っていて密貿易ではないはずと混乱していた。
調査をするとオギョモが職権を濫用して
私益のために無許可で契約書を発行していた。

Re: やっと李朝時代ドラマチャングムが

投稿者: ururu_xxx 投稿日時: 2006/10/08 23:50 投稿番号: [373 / 1329]
やっぱりね〜「恨」の国なんだから。

『一応視聴者たちがあまり復讐を渇求するんですよ.チェ尚宮に対する復讐を….そうしてみるとその部分があまり増えました.医女長今部分を全体の60%くらいで描こうと思ったが,40%くらいに減りました』
http://leeyoungae.her.jp/bbslog/bbslog20040602.html

やっと李朝時代ドラマチャングムが

投稿者: ururu_xxx 投稿日時: 2006/10/08 23:27 投稿番号: [372 / 1329]
終わる・・・いえ、チェ一族への復讐は終わったけど、まだまだ続く模様。

儒教だから親の復讐は賞賛されるんだよね〜。

http://www3.nhk.or.jp/kaigai/gtv/chikai/index.html

>黄文雄著『韓国は日本人がつくった』

投稿者: ururu_xxx 投稿日時: 2006/10/08 23:19 投稿番号: [371 / 1329]
これは私も持っています。

やっぱり北朝鮮の貧しい映像を見る度に思うけど、

豊に実る土地ではないのだなと実感。

あと、人の精神も健全なものが育くむのが困難な風土なのだろうかともおせっかいに思ってしまう。

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/06 16:29 投稿番号: [370 / 1329]
>稲作は水があればよいというモノでもなくて   水の温度も重要になります

朝鮮半島で日本が行った、水の温度調節の灌漑施設は分かりませんでしたが、
冷害に強くて、美味い品種を併合時代に持ち込んだようです。

朝鮮時代末の米は、明治9年(1876)日本の外交官宮本小一外務大丞の日誌でも、「米は日本のものと似るが、粘質に乏しく日本の下等品よりも劣る。」と書かれているように、品質が悪いため、ほとんど日本の改良品種にとって替わられたようです。
この米が、併合時代に日本に輸出されていたのですね。

逆に言えば、日本でもこの頃やっと冷害に強い米が出てきたことになりそうです。

-------------------------------- -

韓国人が食べる米の真実
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=33382

現在、韓国人が食べている米は、朝鮮固有の米ではなく、
日帝時代、日本人が人工交配で品種改良した日本米である

日韓併合前の、朝鮮の米には、赤米(古代米)や石が多く混入していたため、
日本では「人間の食べるものでは無い。」と忌み嫌われていました。

朝鮮で、最初に奨励された日本米は、「亀の尾」(kameno-o)という品種でした。
現在、日本で一番有名なブランド米「コシヒカリ」の先祖の米で、
1893年、阿部亀治が選抜した、寒さに強い米でした。
マンガ「夏子の酒」のモデルとしても有名になった

その後、「交配」という品種改良技術が日本で開発され、
「亀の尾」(kameno-o)と他の品種を交配させた結果、
1921年、「陸羽132号」(rikuu132gou)が誕生します。

詩人として有名な宮沢賢治(miyazawa kenji)が普及に努めた品種です。
資料:「陸羽132号の開発と、宮沢賢治」
http://www.reigai.affrc.go.jp/zusetu/inasaku/jittai/syuryotokei.html

この美味しくて、病気に強い「陸羽132号」(rikuu132gou)が、朝鮮でも大々的に生産されるようになったのです。
【資料】   平安北道における、日本米の普及率の変化
1914年     0.1%
1920年     39.2%        「亀の尾」(kameno-o)
1930年     71.7%        「亀の尾」(kameno-o)
1940年     96.7%「陸羽132号」(rikuu132gou)
出典:『朝鮮総督府の米穀検査制度』
著者:飯沼二郎   出版社:未来社    1993年発行


日本では、益々、米の品種改良が発達し、
1949年、「亀の尾」の4代目の子孫となる「コシヒカリ」が開発されました。

>男女の均分相続

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/10/04 22:55 投稿番号: [369 / 1329]
>17世紀ぐらいまでは男尊女卑は厳格で無かったとか本に書かれていました。
しかし、この時代さえも確かな文献が無くて、韓国の歴史は不明瞭なことが多いってことがうかがえますね。

確かに17世紀中盤までは、両班家では男女均分相続というルールがあったようですよ。それこそ土地だけでなく奴婢についてもですけど。
ただし、『両班』(宮嶋博史)に見える例によると、嫡出の男女で均分、さらに庶出の男女では嫡出より量を落として均分という区別があったようですが。

>相続はあまり知りませんが、日本の鎌倉時代は女性も領地を持つことがあったのは明らかな資料がありますから。

女性の地頭ってのもありましたからねぇ。

>血族関係の婚姻も日本と似たような感じで
新羅では王族同士の血が尊ばれたとか。

新羅では、父と母が王族同士(真骨)でないと王位継承権がない、という時代がありました。その慣習を破って即位したのが金春秋だったと思いますが。

Re: 16世紀のものと見られる女性ミイラ発見

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/10/04 22:37 投稿番号: [368 / 1329]
>男女の均分相続(男女が同じように相続を受けること)などの慣習を明らかにするきっかけになる」と説明した。


17世紀ぐらいまでは男尊女卑は厳格で無かったとか本に書かれていました。
しかし、この時代さえも確かな文献が無くて、韓国の歴史は不明瞭なことが多いってことがうかがえますね。
相続はあまり知りませんが、日本の鎌倉時代は女性も領地を持つことがあったのは明らかな資料がありますから。

血族関係の婚姻も日本と似たような感じで
新羅では王族同士の血が尊ばれたとか。
日本でも奈良あたりまではそうでしたね。

ちょっと時間が無いので、その本も全部読まずに図書館に返却してしまった
;・゚・(((((つД`))))   でつ。

でも全てが朝鮮から来たと言い張ってるイタイ韓国人の本だったorz。
朝鮮から来た騎馬民族が倭朝廷を築いたと当然のようにお話がすすんでるし。
日本はいつも変動期が朝鮮かアメリカに揺さぶられているって・・・よくいえるな〜。

Re: 16世紀のものと見られる女性ミイラ発見

投稿者: goodjapan48 投稿日時: 2006/10/02 04:00 投稿番号: [367 / 1329]
そういえばどこかの国で、古代ミイラを偽造製造して闇で売買された事件がありましたが

考古学的に本物ですか?16世紀だからそんなに古くないけど偽造もできるということです。でも16世紀ぐらいのミイラで話題になるとはすばらしいですね

>   男女の均分相続(男女が同じように相続を受けること)などの慣習を明らかにするきっかけになる」と説明した

きっかけとは捏造すると言うこと?

16世紀のものと見られる女性ミイラ発見

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/09/30 01:57 投稿番号: [366 / 1329]
聞慶市で16世紀のものと見られる女性ミイラ発見
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/26/20060926000012.html

慶尚北道聞慶市で、16世紀のものと見られるミイラや遺物などが発見された。

  聞慶セジェ博物館は「16日に聞慶市永順面蟻谷3里の全州崔氏の墓地で移葬作業を行っていたところ、身長152cm、足の大きさ21cm、瞳が確認できるほど保存状態がよい女性のミイラとチョゴリ、チョクサム(韓服の単衣の上衣)、ポソン(韓国式の足袋)、枕、陶磁器など、服飾遺物50点以上を発見した」と、25日に発表した。ミイラは写真やビデオ撮影が済んだ後、再び移葬地に埋葬される。

  このミイラは、朝鮮時代中期の1550年ごろ崔鎭(チェ・ジン)の妻だった安東権氏か開城高氏のどちらかと推定される。博物館側は「当時の聞慶地域の両班(ヤンバン)の婚姻や外孫奉祀(男系の子孫がなく、娘の子孫が祭祀を行うこと)」、男女の均分相続(男女が同じように相続を受けること)などの慣習を明らかにするきっかけになる」と説明した。特に士大夫(両班の一般的呼称)の外出服である中致莫(朝鮮時代の上着の一種)はまっすぐなえりや横に割れ目のあるもので、文献や絵画に登場するだけで実物はなかったという。

大邱=チェ・ジェフン記者

朝鮮日報

Re: 朝鮮時代の天才科学者

投稿者: nanairokamen03 投稿日時: 2006/09/30 01:28 投稿番号: [365 / 1329]
>この人の名前を冠した韓国科学技術部長官賞がありますね

受賞者の末路は不遇 --------
ウソツク先生も受賞してる?

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/30 00:10 投稿番号: [364 / 1329]
以下、黄文雄著『韓国は日本人がつくった』より、ランダムに抜書きしておきます。

年間降雨量は、日本の半分しか無く、僅かな雨も不規則に降る。場合によっては、集中豪雨で僅か数時間の内に年間降雨量の半分が降ってしまう事もあった。加えて、岩山の砂質の土壌には保水性が無い為に、洪水となるのだ。この自然環境に耐えられるのは、「門前沃田」と言われる村落近くの良田のみであった。その為、農作については天意と天運に頼る外無かった。

「朝鮮農業発達史・発達篇」に依れば、李朝時代に直接農作物の作況と関係のあった記録では、旱魃:482年間に89回、水害:339年間に24回、霜害:354年間に22回、雹害:474年間に18回、となっている。
朝鮮半島の三南(忠清・慶尚・全羅)以外の地方は、元々飢饉の多い所で、最近の北朝鮮の様な食糧危機は決して特異な事では無かった。
例えば、1636年の丙子胡乱後は毎年各地で旱魃による飢饉が発生した。崇徳三年、咸鏡道に飢饉が発生し、疫病に罹った者と死者合わせて3300人余り、黄海道に蝗害が発生し、三南地方までが凶作など、3年間連続で飢饉が続いた。
朝鮮「仁祖実録」には、「六年五月、三年凶作の後、八路が大旱、両季の麦が枯れ、四野が全て赤地、これは誠に千古未曾有の大異変なり」とある。また、八年三月は「飢饉に疫病、人民は殆んど死に絶えた」とまで書いてある。1671年の大飢饉では、墓を暴いて屍体の衣を剥ぎ取り、親は子供を道端に棄てたとも言われている。

朝鮮半島に於ける山野荒廃、基岩露出、土砂流失、山河崩壊などの惨状も、自然的要因と盗伐や乱伐などの人為的要因の双方が関係している。荒廃林野の地質調査に依れば、花崗岩を基岩とする地域が全体の43%、花崗岩と片麻岩地域が40%を占めているとある。
朝鮮半島は、地質的には脊梁山脈が縦走している状態であり、日本海側では豆満江以外は河川の流路が短い。その為黄海側に注ぐ河川には大河が多くなるのだ。その上、有史以来大規模な治山、治水工事が殆んど行なわれて居らず、自然の姿そのままで放置されている。
そんな事だから、自然災害も自ずと多くなり、7,8月頃の雨季に台風が集中すれば、洪水と旱魃が交互に半島を襲う。半島の自然生態史は、斯うして作られて来たのである。

日本による統監府政治以前の朝鮮半島は、ソウルなど一部の都市部を除いて、豪雨になると洪水が平原に氾濫し、広漠たる平原が一夜にして湖沼と化して了う事が度々あった。朝鮮半島の河川流水量は日本の2倍もある一方、渇水期の流水量は10分の1から20分の1しか無かった。

韓国の「国定中学教科書」にも出ている「三韓時代」には、稲作の為に金堤の碧骨堤、尚州の恭倹池、堤州の義林池を作った事があった。
また、灌漑目的の堰堤や、河水を堰き止める為に石や土で作られた「△」と謂う物も有るには在った。歴代王朝は、堰堤の修築も多少は行なって居たのである。しかし、李朝末期になると山河は次第に荒廃して来て、堰堤らしい物は廃堤の遺跡と化し、何の役にも立たなく成って了った。その為、灌漑用水を巡っての紛争は後を絶たなかった。(△はサンズイに伏)
李朝の歴史記録を見ると、当時の堰堤と「△(boku)」の数は、朝鮮半島全体で2万4000ほど在ったとあるが、それでも奈良県や香川県の同設備の数よりも少ない。しかも、水利関係者が「万石堤」と称する貯水池以外は殆んど役に立たず、何処かに消え去り朽ち果てて了ったのであった。
灌漑用水が不足している状態では、農業は雨水に頼るしか無く、極めて原始的な耕作法しか出来ない。

半島の山林が荒廃したもう一つの原因は火田民の存在であった。火田民の主食は根菜、燕麦、粟、稗、玉蜀黍で豆類や麦類は換金用作物として価値のある物だった。
しかし、火田民にとって最も価値のある作物はアヘンの原料となる罌粟(けし)である。特に満州方面では高く売れた。火田民は、定住せずに山林を焼き払い、自給自足に近い生活を送っていた。彼等が入った後の山林は、焼畑の被害を受けやがて禿山と化し、豪雨になると土石が流出するのだった。

Re: 朝鮮時代の天才科学者

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/29 11:50 投稿番号: [363 / 1329]
>天才科学者というほどではありません。
コペルニクス、ガリレオやケプラーに失礼です。

まぁ、朝鮮史のなかでは相対的にみて「天才」になってしまうんでしょう。
どうも朝鮮史にはこの手の「相対的に見て賢才」だが世界史を俯瞰するとちょっとなぁ、というのが多いようです。「改革派」金玉均とか・・・

>せめて、発明した降雨計から気象学や気象統計学を科学的に発展させた程度はいかないと。

単に「発明」した、で留まっているんですね。
雨量を観測し記録していたため、1742年の大洪水を予測して被害を最小限にとどめた徳川吉宗のようにはいかなかったと。

>しかし、末路は憐れだなあ。

もし、こんな目にあわなくても、庇護者の世宗が死去したあとは、追放などの処遇を受けていそうですが。

そういや、韓国にはこの人の名前を冠した韓国科学技術部長官賞がありますね。

朝鮮時代の天才科学者

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/28 14:05 投稿番号: [362 / 1329]
底になったので、UP。
も〜お、トピ主殿!

結局、水車も作れなかったんだから、朝鮮時代の発明といっても改良や中国からのパクリですね。
天才科学者というほどではありません。
コペルニクス、ガリレオやケプラーに失礼です。
せめて、発明した降雨計から気象学や気象統計学を科学的に発展させた程度はいかないと。
しかし、末路は憐れだなあ。

---------------------------------- -
朝鮮時代の天才科学者   蒋英實

彼は母が妓生だったので、当時の法律に従って生まれると同時に奴婢となりました。
子どもの頃から手先が器用で、壊れた品物を修理するのが得意だった蒋英實は、科学技術に大きな関心を抱いていた世宗が全国から人材を集めると、村の役人の推薦を受けて王宮に上がることになります。

蒋英實の最初の発明品は1423年、簡儀臺という天文観測器具でした。そして1433年には、簡儀臺をさらに発展させた渾天儀を完成させます。
そして世宗は彼の功を認めて、その官位を正4品に昇進そせたうえ、明に留学させました。明に行き、天文学と技術を学んで来いというのでした。

留学を終えて帰国した蒋英實は世宗の期待を裏切りましせんでした。1434年、精巧な自動水時計を発明したのでした。自撃漏です。
彼の発明は時計だけではありませんでした。1422年、降雨量を測定する世界初の降雨器を作りました。

こうして奴婢出身の蒋英實は世宗の信頼を受け、高位官吏にまで上り詰めますが、その晩年は不運でした。
世宗の乗ったカゴが壊れてけがをするという事件が起きます。
蒋英實は結局、王の乗るカゴの製作の監督不行き届きという理由で、こん棒で80回打たれる刑に処されて官職を追われてしまい、その後の消息は分かっていません。
彼個人の晩年は不運なものでしたが、その技術は韓国史に永遠に輝いています。
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=785
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