日韓歴史論争

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便所の落書きの韓国の歴史教科書

投稿者: oobasira2000 投稿日時: 2006/03/18 20:50 投稿番号: [1720 / 6952]
これを日本の歴史関係掲示板にコピーしましょう。

これが韓国の歴史教科書捏造の転換点になるのなら良いのだが。

========================================================================

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1613575

教科書検定委員が全員辞職・・・全員遁走((((( (-__-)   朝鮮日報http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=30523&servcode=200
近現代史教科書検定委員が全員辞職

Re: 北東アジアのルーツは同じニダ。

投稿者: natto_sandwich 投稿日時: 2006/03/14 15:14 投稿番号: [1718 / 6952]
********************************************
* >言語も類似しているという
*
* ちゃうちゃう(笑)
* モンゴル語は、「アルタイ諸語のモンゴル諸語」に属し。
* 朝鮮語は「膠着語」
* 日本語は「南方諸語を基礎に、北方諸語を取り入れた」言語
* 日本語と朝鮮語は、文法的に類似点は有るが、語彙は殆ど類似点が無い。
* で?どこが、「モンゴル語と、朝鮮語と、日本語が類似」しているんだ?
* (苦笑)
*************************************************

日本語も朝鮮語も膠着語ですけど。   助詞(膠)で単語をひっつけるので、

助詞の用い方によって語順に関わらず、意味が通じる。

また、単語の中には多くの漢語が入ってるから、同じようなのもある。

だけど、「音」からは明らかに違いがあります。

日本語は南方ポリネシア系の子音+母音の「音」を持っている。

>アイシン・ギョロ

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/03/14 11:40 投稿番号: [1717 / 6952]
そうそう。
単に、良い漢字を発音に当てただけですしね。「アイシン」が、物質の「金=ゴールド」を意味し、「ギョロ」が名家を意味するだけ。
新羅人を自分らの祖先だと言ったのは、清太宗(皇太極=ホンタイジ)が、李氏朝鮮を服属させる時の、いわば強引な「満鮮同祖論」でしょう。

もっとも、漢字にしてしまったために、「アイシン・チュエルォ」という、異なった発音になってしまったこの皮肉。(笑)

清朝の王族の称号である「貝勒」も、「ベイレ」だったのが、漢字発音の「ペイロー」になってしまったし。

それにしても、そのセンセーのお説、ずいぶん昔にNAVERでも出てましたよ。

「愛新覚羅氏はウリ民ジョクニダ!」って。

まあ、日本のミケイリノミコトが、ギリシア名ミケリノス、つまりエジプトのメンカウラー王だっていう説みたいな希ガス。

Re: 北東アジアのルーツは同じニダ。

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/03/14 11:33 投稿番号: [1716 / 6952]
>あ、ここ、見落としていました(笑)

ツッコミどころが多くて、私も最初は見落としていました。

>「語呂合わせ」極まれり(笑)
元々「愛新覺羅」は『アイシン・ギョロ』という発音。
その「音」を漢字に当てはめただけ。

>「アイシン」は、女直語で「金」を意味します。
「ギョロ」の意味は調べていませんが・・・

たしか同じ女直の建てた「金」国にあやかってつけたとか聞いたような気がします。金国は「完顔」氏でしたね。

しかし「新羅の字をを分裂させるとは、むしろ呪詛である」とか言いだす人はいないかなぁ。(林羅山かよ)

Re: 北東アジアのルーツは同じニダ。

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/03/14 11:17 投稿番号: [1715 / 6952]
>>金教授は、満州族が建てた金と清の歴史書が、自分たちの始祖を新羅出身の金函普(キム・ハムボ)だと明かしていることに注目する。金と清はこのため、自分たちの姓を金を意味する「愛新覺羅」と名づけ、「新羅を愛し、記憶する」という意味を込めた。

>これって、私のパチモン記事に出てきそうな論理です。(苦笑)
でも、これじゃ新羅まで中国史に取り入れられても文句は言えませんな。

あ、ここ、見落としていました(笑)

>自分たちの姓を金を意味する「愛新覺羅」と名づけ、「新羅を愛し、記憶する」という意味を込めた。

「語呂合わせ」極まれり(笑)
元々「愛新覺羅」は『アイシン・ギョロ』という発音。
その「音」を漢字に当てはめただけ。

「アイシン」は、女直語で「金」を意味します。
「ギョロ」の意味は調べていませんが・・・

なんにせよ、こんな事、韓国以外の学会で発表しようものなら・・・
今でさえ、無視されがちな韓国史学界は、永遠に無視されるでしょうな。
嘲笑と共に・・・

Re: 北東アジアのルーツは同じニダ。

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/03/14 11:02 投稿番号: [1714 / 6952]
>このセンセ、ユーラシア遊牧諸族の研究、まともにやった事、ないんでしょうなぁ・・・

「史学だけでなく、人類学、神話学、考古学を総動員」した結果だそうですが、都合のええとこをつまみ食いして切り貼りしたとしか思えません。
混ぜたらあかん洗剤を50種類くらい混ぜたような感じですかな。(どんなんや)

>「夏」は、元々、現江南に住んでいた古モンゴロイドの建国、と言う見方もありますね。
内陸水路を黄河まで遡り、北方地域との「渡し」の地点が丁度「夏」の存在した地点になるとか。
「夏」は、古モンゴロイドでの「買」と同音とか、読んだ記憶が・・・

「中華(中夏)」の語源なんですが、「買」もありましたか。

>結局、南方系諸族と、北方系諸族との「交易センター」が「夏」王朝のベースとか。
その意味では「殷(商)」も、同じ意味とか・・・

それで「商」であるということなんですね。殷は夷と同じ、と言ったのは中華民国の誰だったかな。

>金教授は、満州族が建てた金と清の歴史書が、自分たちの始祖を新羅出身の金函普(キム・ハムボ)だと明かしていることに注目する。金と清はこのため、自分たちの姓を金を意味する「愛新覺羅」と名づけ、「新羅を愛し、記憶する」という意味を込めた。

これって、私のパチモン記事に出てきそうな論理です。(苦笑)
でも、これじゃ新羅まで中国史に取り入れられても文句は言えませんな。

Re: 北東アジアのルーツは同じニダ。

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/03/14 10:37 投稿番号: [1713 / 6952]
>江上説の拡大再生産+トンでも史学

それも、出来の悪い「デッドコピー」(笑)

このセンセ、ユーラシア遊牧諸族の研究、まともにやった事、ないんでしょうなぁ・・・

>現在のモンゴル族、満州族、韓民族、日本民族が遺伝的に非常に密接しており

ちゃうちゃう(笑)『似て非なる』だって・・・

>言語も類似しているという

ちゃうちゃう(笑)
モンゴル語は、「アルタイ諸語のモンゴル諸語」に属し。
朝鮮語は「膠着語」
日本語は「南方諸語を基礎に、北方諸語を取り入れた」言語
日本語と朝鮮語は、文法的に類似点は有るが、語彙は殆ど類似点が無い。
で?どこが、「モンゴル語と、朝鮮語と、日本語が類似」しているんだ?(苦笑)

>これら種族の創世神話と建国神話に天孫神話と卵生神話が融合し

北方遊牧系諸族には「卵生神話」は共通しているが、「天孫神話」はあまり聞かないなぁ・・・
遊牧系ではモンゴル族の「蒼き狼と、白き牝鹿」くらいか?
後は「卵生神話」で始祖が誕生しているぞ?
「明確な『天孫神話』」ってのは、日本くらいだが・・・?

>国名といえば、支那王朝の「夏」も日に関係あるといえばあるぜ。

そう言えば。
「夏」は、元々、現江南に住んでいた古モンゴロイドの建国、と言う見方もありますね。
内陸水路を黄河まで遡り、北方地域との「渡し」の地点が丁度「夏」の存在した地点になるとか。
「夏」は、古モンゴロイドでの「買」と同音とか、読んだ記憶が・・・
結局、南方系諸族と、北方系諸族との「交易センター」が「夏」王朝のベースとか。
その意味では「殷(商)」も、同じ意味とか・・・

>だいたい、古代の支那大陸なんていろんな人種の融合なんだから「中国漢族」なんていう現在の概念でくくる時点でアウト。

「夏」は南方系、「殷(商)」「周」は北方系・北西系、「秦」は西域系。
周・春秋戦国期の「楚」は越系。
太平天国〜三国時代〜隋に至るまでの、中原人口の激減〜急増を、このセンセ、どう説明するんでしょうか?(笑)

あとはもう、突っ込むのも疲れるほど・・・orz

Re: 北東アジアのルーツは同じニダ。

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/03/14 09:43 投稿番号: [1712 / 6952]
>金教授は、三国志に隠されている中華主義の深刻性を暴いた『三国志を正しく読む』(2004年)で、中国の歴史に対する該博な知識を誇示した人物だ。彼が、今回は史学だけでなく、人類学、神話学、考古学を総動員して、「大ジュシン論」を主張した。

三国志を正しく読む、ですか。
『三国演義』で、長安を脱出した献帝を護衛したのが南匈奴である史実を無視して、白波賊の活躍だけを書いたのが異民族蔑視である、とかいうレベルじゃないだろうね。
いや、朝鮮半島を侵略した魏のカン丘倹は反省汁!という程度だったりして。

>金ウンフェ教授はまず、考古学的に、中国の黄河文明とはっきり差別化された櫛目文土器、琵琶形青銅剣、石墳、石造物などの特徴を持つ古代文明が遼河流域に存在し、徐々に遼東と韓半島、日本に伝播された経路に注目した。ここに、現在のモンゴル族、満州族、韓民族、日本民族が遺伝的に非常に密接しており、言語も類似しているという人類学と言語学の研究結果を接合させた。また、これら種族の創世神話と建国神話に天孫神話と卵生神話が融合し、名弓が登場する特徴を持ち、これらが建てた国名に鉄、鳥、日、明、朝、火、金属など、互いに関連のある意味の単語が入っているという神話学的分析を結合させた。

「天孫神話と卵生神話が融合」?なんだそりゃ?
そんなことを言ったら、どんな神話でも都合よくくっつけられるんじゃないかい?
それと「名弓」なんて登場するか?弓や弓の名手は出てくるけど。
でも、そうすれば、支那神話で9つの太陽を射落としたゲイも入るわな。

国名といえば、支那王朝の「夏」も日に関係あるといえばあるぜ。それに言語学的な史料はあるのかい?神話の記述をつまみ食いすれば奇説なんていくらでもつくれるんだし。

だいたい、古代の支那大陸なんていろんな人種の融合なんだから「中国漢族」なんていう現在の概念でくくる時点でアウト。

>金教授はこのように、「中国二十五史」はもとより、モンゴル秘史や古書記、日本書紀などを隅々まで分析し、韓民族、契丹族、満州族、鮮卑族、モンゴル族、日本民族の共通したアイデンティティを一つひとつ明らかにした。特に、遊牧民が移動をする時に故郷の地名を持っていく伝統のため、朴達山(ブルハン山、ホン山、白頭山)、平壌(古朝鮮と高句麗の首都)、阿利水(アムール江、鴨緑江、漢江)、阿斯達(徐羅伐、ソウル、東京)などの地名がアルタイ、モンゴル、韓国、日本に同様に存在するという説明は卓見だ。

結局、江上説の拡大再生産+トンでも史学かいな。
「鍋」「笠」はUFOの形をあらわしたもの、「星」はUFOの光をあらわしたもの、だからそれらのつく地名はUFOが着陸したり見られたりした場所だ、というトンでも本を思い出してしまったよ。

>金教授は、「中国漢族の民族意識の水源池が漢なら、ジュシン族の水源池は高句麗だ」とし、「中国に高句麗を渡せば、モンゴルー満洲―韓国―日本をつなぐ過去と未来の共同体としての『ジュシン』は砂漠化するしかない」と警告した。

ちゃうちゃう(笑)
お説のとおりなら、ジュシン族とやらの水源地はモンゴルか満州だって。
これでは、高句麗を渡したくないがための壮大なハッタリとしかおもえまへん。

北東アジアのルーツは同じニダ。妄想・・

投稿者: botannabe2003 投稿日時: 2006/03/14 08:44 投稿番号: [1711 / 6952]
まぁ、好きなように言ってなはれ。

何とか、日本と同じ祖先に持っていきたいのかな?

たいがいにしろって!アホ(爆)

・・・・・・・・・・・・
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2006031426408

Re: 「塩飽水軍」の本拠地が民宿に・・・

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/03/11 18:24 投稿番号: [1710 / 6952]
>朝Pと社民党、民主党左巻派が絡んできそう(ウッ)

その結果、「李舜臣将軍像」が併設されるとか。(笑)

多分、魚や海老のカブト煮などの豪快な感じのする「海賊料理」がメインだろうとはおもいますが。
朝鮮出兵時に伝えた唐辛子を使ってのキムチもついてくるかな?

「塩飽水軍」の本拠地が民宿に・・・

投稿者: amanattousuki2003 投稿日時: 2006/03/04 10:10 投稿番号: [1709 / 6952]
何かイヤな予感・・・

朝Pと社民党、民主党左巻派が絡んできそう(ウッ)

・・・・・・・・・・・・・
塩飽水軍の島で歴史感じて   住民が空き家を民宿に

  豊臣秀吉の朝鮮出兵で海運を担った「塩飽水軍」の本拠地として栄えた香川県丸亀市の本島で、住民グループが過疎と高齢化によって増え続けている空き家を民宿に改修する事業を始めた。

  観光客を呼び込み、島に活気を取り戻す町おこしの一環だ。

  本島は瀬戸内海のほぼ中央にあり、塩飽諸島の主要な島の一つ。丸亀市によると、1947年には約3800人いた島の人口は約600人に減り、65歳以上が半数を占めるようになった。

  「かつての活気を取り戻そう」と、住民らでつくるNPO法人が、島の北東部にある笠島地区の空き家2軒を改修。昨年末に保健所から宿泊施設として認められた。
(産経   2006.3.4)

臨時政府をみとめてほしい

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/03/02 23:48 投稿番号: [1708 / 6952]
>【北京2日聯合】1940年代中国で活躍した韓国の左翼・右翼独立運動組織が連盟を結び、大韓民国臨時政府の承認をソ連に要請していたことが、2日に明らかになった。

はぁ、左様ですか。

>この事実は、廉仁鎬(ヨム・イノ)ソウル市立大教授と、中国の金東吉(キム・ドンギル)社会科学院客座研究員がロシア外務省の文章保管所で発見した、1943年に左右翼独立団体が当時のソ連指導者スターリンに送った書簡を通じ明らかになった。

・・・・・・頼む相手が何者かわかっていたのかい?
朝鮮族も粛清の対象から外さず「平等に」扱ったヒゲおじさんだぜ。

>臨時政府の承認を要請した左右翼独立運動組織は、韓国独立党、朝鮮民族革命党、朝鮮民族開放同盟、無政府主義者連盟、婦女愛国者連合、青年連合の6つの政党・団体。臨時政府が国際的承認を受けるため外交努力を行った事実は広く知られているが、左翼と右翼が手を結び承認を要請した事実は、これまで知られていなかった。

で、その諸団体の実態はどうなんすか?
幽霊会員だらけとか、単なる与太郎の飲み会とかじゃないんですよね?

>書簡には「私たち民族の永遠の存続と全人類の真の平和と幸福のため、完全な独立を要求する」と綴られている。

それで、けっきょく、臨時政府とやらは、朝鮮民族の正統な政権として承認されたんですか?1945年以後のソ連の動きをみれば、一目瞭然だわな(失笑)

・・・・・・・

日帝時代、左右翼連合でソ連に臨時政府承認要請

http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=832006030200500 &FirstCd=03

Re: 皇室関係では唯一、「さま」づけする

投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/02/28 08:20 投稿番号: [1707 / 6952]
ああ

私は「方子様」の上の「ちょん」は
李氏朝鮮あたりでは「一字を欠く」べき何かの忌避に従って欠いているのだと思ってました(笑)

Re: 皇室関係では唯一、「さま」づけする

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/02/28 02:22 投稿番号: [1706 / 6952]
あらら、たいへん。
韓国読みだと「パンジャ」なので、似てるけどふつ〜間違えようがないんですが。気でもおかしくなったのかな、あたしゃ。

Re: 皇室関係では唯一、「さま」づけする

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2006/02/28 00:46 投稿番号: [1705 / 6952]
どなたも指摘されませんが、お名前を間違われていますよ。
方子様です。

Re: 大変無知で申し訳ないのですが・・・。

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/27 22:06 投稿番号: [1704 / 6952]
>韓国人と、ちと歴史にかかずり合う話をしても「閔妃」の名って出ませんよね(かなり神経を使ってシンドかった)。また、閔妃に関する本も見かけたことが無い(韓国人の著作。「ついでに触れた」ものは除く)のですが。

12月に、書店でこういう本を見かけました。

閔妃(ミンビ)は誰に殺されたのか―見えざる日露戦争の序曲
崔 文衡 (著), 金 成浩 (原著), 斉藤 勇夫 (翻訳)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4882028786/qid=1141045029/sr=8-2/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/503-5235823-8521538#product-details

この本は韓国では出てないのでしょうか?(井上馨首謀説でした)

>実は嫌われてるんじゃないんですか?

李朝時代、清を蛮夷と蔑みながらも、形式上は中華の宗主国として敬わなくてはいけなかったということをふと思い出してしまいました。
嫌いであっても、外国人から批判されるとウリナラのために擁護せざるを得ないとかいうのがあるんでしょうかね。

>話しはズレますが、王室、という点で見ると「万子」さま(何度も言うが、皇室関係では唯一、私は「さま」づけする)は人気があるみたいですね。関する本は、いくつも見かけました。

そうなんですか。それは知らなかったです。

朝鮮土人・原人に告ぐ、新版

投稿者: satoumtr314 投稿日時: 2006/02/25 18:51 投稿番号: [1702 / 6952]
日韓の歴史の大筋

百年程の植民地化によって、世界の政治・経済の中心から最貧国へと転落したインドや中国の例から推測できるように、何百年も中国の植民地(最低の属国)であった朝鮮は、大量の金・物・生娘(慰安婦)等を毎年貢がされ搾取されて、糞尿の漂う藁葺きの豚小屋で雑穀を主食とする最貧国以下の土人・原人の社会でした。
こうした長年の植民地の下で負け犬根性の染み付いた知識も武器も金も無い朝鮮土人・原人が、中国から独力で独立できる筈もありませんが、1895年の日清戦争・下関条約第一条により朝鮮は漸く中国から独立しました。独立を記念して、歴代の李朝王が地面に顔を擦り付け土下座して中国の使者を毎年迎えた『迎恩門』を取り壊し、跡地に今の『独立門』を1897年に建てました。ところで連合国マッカーサー元帥と会見した敗戦時の昭和天皇でさえ土下座等していませんが、「中国の植民地の朝鮮李朝」を否定する朝鮮人は『迎恩門』『独立門』を知らないのでしょうか
さて日露戦争以降の日本は、この朝鮮土人・原人に、飯を食わせ、洋服を着せ、住まいを与え、読み書きソロバンを教えました。このための金・人・物・制度は、朝鮮を国防上重要な地域と考えた日本が全て与えました。そんな近代的な日本に憧れて朝鮮土人・原人が、売春(慰安婦)・出稼ぎのために移住してきたり、強盗等のために密入国してきました。
貧しい国から抜け出し豊かな国に移住しようとする現象は今も昔も変わりませんが、所詮朝鮮人は、土人・原人の類ですから、敗戦で日本が疲弊・困窮し日本人が呆然としている状況では、卑しく下卑た野獣のような行動しか取れません。
敗戦になると朝鮮人は、第三国人・朝鮮進駐軍と称し日本人に対する強姦・強盗・殺人・土地の不法占拠等の悪行の限りを尽くしました。国外でも、日本人をソ連軍等に密告して強姦・殺人等の手引きを朝鮮人が率先して行いました。
それでも日本は、朝鮮人の帰国をGHQの指示により迅速・的確に実施しましたが、強制連行されたとされる三百人弱と出稼ぎ者や密入国者の60万人が帰国を希望せず朝鮮に帰らないまま日本に居残りましたが、暫くすると、60万人全員が強制連行されたと、がなりたて・わめき散らした。
一方、日本という主人がいなくなった朝鮮は元々土人・原人の国ですから、明治維新の西郷隆盛や勝海舟等のような偉人が現れる訳もなく身内で縄張り争いの戦争をはじめて、土人・原人の生活に戻る寸前となりましたが、見かねた日本が金を出すとともに特別永住権を在日に与えました。
日本から金を引き出せた朝鮮とお情けで特別永住権を得た在日とは、これに味をしめ一層、ゆすり、たかり、いちゃもん、難癖などの行為を激化させました。この延長に、出鱈目や嘘で固めた反日教育を行う朝鮮人学校の卒業生を日本の小中高校卒業生と同じように扱うこと、オウム真理教より破壊的で悪辣な日本人拉致等を行う朝鮮総連の施設への税金を免除すること、地方参政権を在日に付与すること等を日本に求めて、今も、がなりたて・わめき散らしています。
ところで明治までの日本はジパング・黄金の国と呼ばれ、山口の錦帯橋、甲府の信玄堤、姫路城、金閣寺、平泉の金色堂、秋田の院内銀山、伊能忠敬の測量、関孝和の和算、歌舞伎、浄瑠璃、俳句、小唄、民謡、三味線、落語、囲碁、浮世絵、花火、竿灯、三社祭、相撲、剣道、茶道などの文化が全国各地で咲き乱れました。
一方最近テレビ放送される大嘘の韓国宮廷ドラマ等は論外として、糞尿の漂う豚小屋で生活していた朝鮮に文化が育たないことは自明なことですが、どうした訳か、浮世絵・剣道等の日本文化を「朝鮮の起源」だとする珍説・笑説が、朝鮮のマスコミ・学者等から主張されています。
終わりに、知れば知るほど惨めで屈辱的で悲惨な朝鮮の真実の歴史が、朝鮮人の常識になることを期待しますが、真実を認める勇気のある朝鮮人はいないでしょう。逆に今は「5千年もの自主独立国家朝鮮を侵略し自立的発展を阻害・搾取した日本」という戯言・虚言・妄言を、政府・学者・在日等が声高に叫び反日に邁進しています。このため日本には、「朝鮮は恩を仇で返すゲテモノ」「朝鮮人につける薬がない」という、事実に基づく正当な評価・意識が定着しつつあります。キ印民族・朝鮮人の滅亡も近いでしょう、、、、、、合掌。

Re: 大変無知で申し訳ないのですが・・・。

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/02/25 13:56 投稿番号: [1701 / 6952]
>皇后なので形式上は「国母」であるのかもしれませんが、だれが本気で敬愛していたのでしょうか?はなはだ疑問です。

あイタタタタ〜。アジュ   アプンネ〜〜。
韓国人と、ちと歴史にかかずり合う話をしても「閔妃」の名って出ませんよね(かなり神経を使ってシンドかった)。また、閔妃に関する本も見かけたことが無い(韓国人の著作。「ついでに触れた」ものは除く)のですが。実は嫌われてるんじゃないんですか?


話しはズレますが、王室、という点で見ると「万子」さま(何度も言うが、皇室関係では唯一、私は「さま」づけする)は人気があるみたいですね。関する本は、いくつも見かけました。

Re: 大変無知で申し訳ないのですが・・・。

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/25 11:28 投稿番号: [1700 / 6952]
>基本的に「あっちにふらふら、こっちにふらふら」
その場その場の利益のみで、ふらつきまわってかき回した挙句、国を憂慮したした勢力に暗殺された人です。

元祖バランサーですね(ちゃう!)。
国益のために離合を繰り返したのではなく、自分と一族の利益のために諸勢力を利用した挙句の横死ですからねぇ。

皇后なので形式上は「国母」であるのかもしれませんが、だれが本気で敬愛していたのでしょうか?はなはだ疑問です。

Re: 閔妃暗殺

投稿者: nekomaru4 投稿日時: 2006/02/21 22:10 投稿番号: [1699 / 6952]
>当時閔妃の居た景福宮には米国の退役陸軍少将ウイリアム・ダイー将軍指揮下500余名の警備隊が守っていた。従って日本人40余名で襲撃しても成功する事はありません。又、閔妃を殺害し焼くという行為はおよそ日本人がする行為ではありません。朝鮮兵の仕業と考えるのが正しいと思いますが、真相は闇のようです。


この警備隊は抗戦したのでしょうか。そのへんのところが謎ですね。
結果的に朝鮮併合で一番得をしたのは英国とアメリカであります。朝鮮がかかえていた多額の負債を日本に肩代わりさせるために暗躍したとも考えられます。・

このことと同じような状況にあるのがいまの北朝鮮でしょう。
紙くずとなっている北朝鮮の国債をおおくもっているのはどこの国でしょうか。
日本と北朝鮮の国交が回復してこの国債を日本が肩代わりするようなことになるかもしれません。

Re: チャングムの戦い27 最終話 そして伝

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/02/21 16:58 投稿番号: [1698 / 6952]
力作楽しませて貰いました。ありがとうございます。

次回のネタ話、期待するニダ。

チャングムの戦い27 最終話 そして伝説へ

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/21 16:53 投稿番号: [1697 / 6952]
  大坂での事件もなんとか処理されました。
  東海を渡り、ようやくソウルに帰還したチャングムは、王に謁見します。
「ごくろうだった、チャングムよ。して、金弘道は居たか」
「はい・・・檀園先生は日本にいらっしゃいました。ですが・・・」
  チャングムは、ふた呼吸ほど間を入れて、ゆっくりと口を開きます。
「亡くなられておりました」
「なんと!」
「私が住居を探し当て、お会いできたときには、すでに臨終が近く虫の息、せめて遺髪だけはウリナラに戻りたい、と懇願されましたので、預かってまいりました。」
  錦に包んだ遺髪を懐から出して、側近の手を介して王に献上します。
「そうか・・・鄭重に葬ってやれ」
  王は、遺髪を押し戴いて、かるく黙祷してから命じました。
「檀園先生は亡くなられましたが、先生の画法は日本の画家たちに大きな影響を与えたようです」
「うむ。それでこそ朝鮮人、文化宗主国の君子じゃ。ウェーハッハッハッハ」

  退出したチャングム、南東の空をあおいでつぶやきます。
「檀園先生、いつまでも好きな絵を描き続けてください」
  彼女のおもいは東海を越えていったことでしょう。

  東洲斎写楽が活躍するのはもう少しのちのことです。

(劇終)

・・・・・・・・・・

参考資料
書籍等
「朝鮮通信使がみた日本」姜在彦
「剣客商売」「鬼平犯科帳」池波正太郎  
「江戸三〇〇藩   バカ殿と名君」八幡和郎  
「韓国を食べる」黒田勝弘  
「大使閣下の料理人」西村ミツル・かわすみひろし
 
ドラマ等映像資料
「チャングムの誓い」
「必殺仕事人」「必殺仕置人」「大江戸捜査網」「剣客商売」「遠山の金さん」
「ミスター味っ子」「新・世界の料理ショー」


  なお、名前の出た登場人物のうち、明らかに韓カテ住人がモデルな人たちと「野中右京大夫」「左余次郎」「奴婢の李」は架空の人物であり、その他はすべて実在の人物か、小説・ドラマ等の登場人物です。

  年代設定は、1780〜1800年代をいちおうの軸にして、前後3、40年の事件や人物を持ってくるという、きわめてグデグデな状況でしたが、ケンチャナヨ♪

  ちょっと前に「写楽はウリ民族ニダ!」という電波を聞いたことがありましたので、朝鮮通信使の話とあわせて、そこからどんどん膨らましていきました。

  これからは、朝笑トピの「斜め上の雲」に集中しますので、しばらく「チャングムの戦い」はお休みです(とか言いつつ小ネタ書きそうな希ガス)。

  新作はホンキーさんにお任せしましょう。m(   )m   ・・・って、いま不在やん!

Re: すんごいですね

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/02/20 12:13 投稿番号: [1696 / 6952]
>ところで、「最後の皇后」って、李万子さま(日本の皇室関係者で、私は唯一「様」付け)じゃないの?

方子さまは「皇太子妃」であり、「皇后」にはなってませんですね。

Re: 大変無知で申し訳ないのですが・・・。

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/02/20 11:51 投稿番号: [1695 / 6952]
>”最後の皇后”

確か、公演する先々で『酷評』されたミュージカルでしたね。

さて、”最後の皇后”こと「閔妃(1851年10月19日 - 1895年10月8日)」ですが。
李朝第26代王・高宗・李煕の妃です。

高宗の父・大院君の「政敵」であり、大院君を追い落とした後は、「勢道政治」と言われる、一族縁者で政権を固める、
所謂「王朝の外戚の悪弊政治」を推し進めました。

当初、閔妃は開化政策をとり、日本と江華島条約を締結するなど、積極的な開化政策をとりました。
軍の近代化も行い、日本から顧問団を招くなどしました。
*この時点では「親日派」

が、「勢道政治」の悪弊(公金の私物化等々)で、軍隊への賃金未払いなどに将兵が不満を持ち。
それに反開化派が結託し、1882年閔妃暗殺を企てました(壬午軍乱)
閔妃はいち早く応急を逃げ出し、当時朝鮮に駐屯していた清の袁世凱の力を借りて窮地を脱しています。

これ以降、閔妃は開化政策から親清政策へと方向転換し、
そのために今度は開化派(従来の両班政治から朝鮮の自主独立近代化を目指す勢力)
の不満を呼びこみました。

1884年の開化派の金玉均を中心にした甲申政変により一時期政権を奪われますが、
これも清軍の力を使って政権を取り戻し、開化派の政権は3日で崩壊します。
*この時点で、「親清派」

1885年になると、ロシアの南下政策を警戒しだしたイギリスなどを牽制するために親露政策もとりはじめます。

日清戦争後、勝者である日本側の押す大院君派の勢力が強くなり、
閔妃の勢力は力を失っていきます。
そのため閔妃は、親露政策をさらに推し進めていき、
1895年7月6日にロシア軍の力を借りて権力の奪回に成功します。
*この時点で「親露派」

これらの動きは閔妃に不満を持つ大院君や開化派勢力、日本などの諸外国に警戒され、
1895年10月8日大院君を担ぎ出そうとした勢力により景福宮にて暗殺され、
問題にならないよう遺体もその場で焼却、遺骨も処分されました(乙未事変)

基本的に「あっちにふらふら、こっちにふらふら」
その場その場の利益のみで、ふらつきまわってかき回した挙句、国を憂慮したした勢力に暗殺された人です。

なお、閔妃はその死後、大院君によって王族としての称号を剥奪され、平民に降格されました。

大韓帝国成立後の1897年、井上馨ら日本側からの働きかけによって「明成皇后」の諡号を贈られました。

因みに「大韓帝国『最後の皇后』」は。

高宗の息子(閔妃の子)27代国王(大韓帝国第2代皇帝)純宗の后である、純明孝皇后・閔氏。
若しくは後妻の純貞孝皇后・尹氏が『正しい最後の皇后』です。

*ミュージカルやら、何やらでは、閔妃は『若く美しい』皇后と描写される事が多いようですが。
政治の表舞台に出てきた当時、30代後半から40代前半。

日本もそうでしたが、19世紀、20世紀前半の平均寿命から、当時の年齢に10歳位足したら、今の年齢相当になります。

閔妃暗殺

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/02/20 11:37 投稿番号: [1694 / 6952]
基本的には改革派と大院君が結びつき、悪政を行う閔妃一族を倒さんとしたもので、日本の三浦公使以下40余名が朝鮮の革命派兵士のみでは事はならないと支援したものです。その中に与謝野鉄幹もいたと。

当時閔妃の居た景福宮には米国の退役陸軍少将ウイリアム・ダイー将軍指揮下500余名の警備隊が守っていた。従って日本人40余名で襲撃しても成功する事はありません。又、閔妃を殺害し焼くという行為はおよそ日本人がする行為ではありません。朝鮮兵の仕業と考えるのが正しいと思いますが、真相は闇のようです。


1895年8月20日未明革命軍の景福宮攻撃とほぼ同時に、大院君はソウル市内に下記内容の檄文を掲載しました。

「近年、閔妃を中心とする一派が善良なる者を排斥し、狡猾なる者を用いて維新の大業を中断した。ゆえに500年の宗社は一刻の猶予も無き危機に直面している。余は宗臣としてこれを座視できない。従ってこのたび入閣して大君主をお守りし、邪悪な輩を追い出し、維新の大業をなして500年の宗社を守ろうとするものである。民は案ずることなく生業を守り、軽挙妄動してはならない。万一、民と軍人のなかに余の行く手をさえぎる者あらば、これは大罪ゆえ、後悔なきようにせよ。」
      
又、閔妃死後数日後に発表された高宗の勅書

「朕が位について以来32年が過ぎ、治下が至らないのは、皇后閔氏が親戚を引き入れ彼等を左右において朕の耳目を塞ぎ、人名を圧迫し、政令を乱し、官職を売買したためだ。閔妃の虐待は天まで昇り周囲に詐取が起き、宗社は危ういほど傾き、礎石を保つことが出来ない。朕は閔妃の極悪無道な事実を知りながらも、罰をくだせないのは朕が不明であることにも理由があるが、かの一党が恐れてのことなのだ。(中略)閔妃の罪悪は実に天地にみなぎり、二度と宗廟を継げない、我々王家の慣わしによって閔妃を庶民に廃すものである。」  

(泉野録   黄ゲン(王編に玄)   教文社1994年  

又、閔妃は王族の地位から大院君の命令で平民の地位におとされ国葬は為されなかったが、特命全権公使の井上馨はソウルに赴き大院君に対して、「死ねば皆仏になる。過去を水に流して王妃の菩提を弔って、民心の安定をはかること」を勧めました。

しかし閔妃を復位させ、「明成皇后」の諡号を贈り、国葬を行なったのは、大韓帝国が誕生した2年後でした。

当時の国際関係も含め説明すればより理解できると思いますが、紙面の都合上割愛します。閔妃劇は捏造・歪曲された物で日本を不当に陥れる性質の悪いものです。しかも、日韓共同W杯の年であり、英国のメデイアからも顰蹙を買ったものです。  
一部参考資料

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nisshinro/minpi1895.html

すんごいですね

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/02/20 10:43 投稿番号: [1693 / 6952]
閔妃のことだと思いますが、大した捏造ですなぁ。

>残虐かつ狡猾な日本軍の朝鮮皇室に対する仕打ちと、その卑劣な略奪、虐殺行為に負けじと韓国人の愛国心とプライドを鼓舞するべく自殺する皇后のお話…。

権力の座について私腹を肥やし、国がやばいのでロシアに着こうかどうしようか、と迷った挙句ロシアに頼ったが殺された王妃。殺したのはもっぱら日本軍とされていますが、宮廷内には150人以上の英国(でしたっけ?)兵が警備していたことが分かり、実際には内部による犯行説も唱えられていますよね。(今はもっと詳細が発表されているかも)

日韓併合を促進したアン・ジュングンを英雄視する人たちですから、彼らの考えは、分かりまっしぇン。

ところで、「最後の皇后」って、李万子さま(日本の皇室関係者で、私は唯一「様」付け)じゃないの?

大変無知で申し訳ないのですが・・・。

投稿者: london_obasan 投稿日時: 2006/02/20 09:20 投稿番号: [1692 / 6952]
日韓の歴史に関わることなので、どなたか知っている方がいらしたら、是非教えて下さい。

サッカーのW杯が日韓合同で開催された折、そのキャンペーンを兼ねてか韓国のミュージカル”最後の皇后”がイギリスで披露されました。

誘ってくれた中国人の友人と、楽しみに観劇に出かけたら・・・。

その内容は、残虐かつ狡猾な日本軍の朝鮮皇室に対する仕打ちと、その卑劣な略奪、虐殺行為に負けじと韓国人の愛国心とプライドを鼓舞するべく自殺する皇后のお話・・・。

あの劇場で観劇していた日本人は、きっと私一人でしょう。誘ってくれた中国人の友人も申し訳ながっていました。こんな内容とはしらなかったって・・・。

W杯は日韓友好の印、などと脳天気に考えて喜んでいた私は、一気に興ざめしてしまいました。キャンペーンによりによって、このような内容の催しを持ってくる神経は・・・。

それにしても、この最後の皇后のお話、歴史的に説明をしていただけたら、幸いです。

Re: チャングムの戦い22 通信使閣下の料理2

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/02/18 00:34 投稿番号: [1691 / 6952]
それにしても毎回の力作、ご苦労様に存じます。

>伯耆典厩(ほうき・てんきゅう)

ハハハハハハハハハハハ。

>伯耆は目を疑います。かの伝説のとんち小僧「一休さん」そっくりの仕草ではありませんか!

爆!!!!!!!!!!!!!!!!!!

>グラハム・カーって知ってます?

さらに爆!!!!!!!!!!!!!!!!!!

Re: 朝鮮王朝実録を奪還ニダ!

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/02/18 00:28 投稿番号: [1690 / 6952]
資料はどこにあったっていいと、考えています、ワタシ。

要は、彼らって、きっと、「イルボンが実録の一部分を隠蔽しているに違いないニダ!」的な勘繰りがあるようにも思えて。

ナチスがフランスやロシアの文物をドイツへ搬送したのなら、そりゃあ「略奪」と言えない事もないけど、当時の「日本国内」で何をどこに移動しようと、勝手でしょうに。

それより、今になって見付かったなら、もうけものだぐらいに思えって感じです。

中華の属国ニダ

投稿者: ojarumaru617 投稿日時: 2006/02/18 00:13 投稿番号: [1689 / 6952]
NHKで放送中の「チャングム」。
本日の放送で明国の使者にご機嫌を伺い,世継ぎの許可を得ようとする中宗王の苦悩が描かれていたニダ。
韓国では50%近くの視聴率のあった「チャングム」。
これを見ても韓国人は中華の属国であった史実を認めないのか?

Re: 朝鮮王朝実録を奪還ニダ!

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2006/02/16 20:16 投稿番号: [1688 / 6952]
大英博物館なんてどうなるんでしょうね

朝鮮王朝実録を奪還ニダ!

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/15 00:05 投稿番号: [1686 / 6952]
いやー、やっと『チャングム』ネタ以外のものが。(嬉し涙)

>来る 3・1寺を そう 100年 ぶりに 故郷に 帰る 北関大勝費に 引き続き 日帝時代 日本で 搬出された 朝鮮王朝実録を 取り戻そうとする また 一つの 文化遺産 取り戻すこと 運動が 始まった. 大韓仏教 曹渓宗の 月精寺(主旨 情念)わ 奉先寺(主旨 鉄案) などは 13仕事 ‘朝鮮王朝実録 還収委員会’(以下 実録 ファンスウィ)を 立てて “日本 東京大学 図書館が 保管して ある <朝鮮王朝実録> 五台山 買ってみた 46本の 返還を 推進する 計画”と 明らかにした.

>ユネスコは 去る 1970年 総会で ‘文化遺産の 不法搬出口と 所有権 譲り渡しの 禁止と 予\\\防手段に 関する 協約’から 不法的に 掠奪した 文化財に 大海 “外国 軍隊に の一 一国の 占領から 直接 または 間接的に 発生する 強制的な 文化財の 搬出と 所有権の 譲り渡しは 不法で 見做す”と 明示した. これ 規定を 適用すれば 東京大学が 保管して ある 実録は はっきりと 不法で 掠奪した 文化遺産である わけだ.

で、日本が不法に掠奪したという根拠がまったく見当たらないのだが。
どうやら、「日韓併合は不法」→「従って当時日本に運ばれた(入手方法は問わず)文物は不法入手」ということなのかな?

>その間 政府と 民間の 直間接的な 努力で 日本の 掠奪文化遺産を 尋ねて来ること ための 努力と 成果は あったが, 文化遺産 返還訴訟が 申\\\し立てられることは 今度が 初めてだ. 日本が 併呑 後 韓半島で 掠奪した 文化財は 薬 10万余店で 知られて あり, 去る 1965年 発效した 韓日協定に よって 1300旅店が 帰って来た のが 精一杯だ. また 当時 協定で 1300旅店を 抜いた 残り 掠奪 文化遺産の 請求権を あきらめた ので 知られて ある. これに 人海 朝鮮王朝実録 など 史料的 価値が 高い 文化遺産は まだ 日本 あちこちに 流たくされて ある 実情だ. 民間 次元の 交流と 協力で 文化遺産が 返還された のは 靖国 ジェントルマンで 100年や 流たく生活を した 北関大勝費が 代表\\\的だ. そうだが 北関大勝費 返還は 問題が 申\\\し立てられた 後 30年だけの 結実だった.

掠奪ねぇ。
その内実を調査してみたらどうかな。案外、民族の魂たる美術品を売り飛ばした「非国民」が判明したりするものよ。

http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japan/news.naver.com/news/read.php?mode=LSS2D&office_id=028&article_id=0000145696&section_id=103&section_id2=245&menu_id=103

Re: チャングムの戦い26 浪花終幕編

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/02/14 11:11 投稿番号: [1685 / 6952]
『日東壮遊歌』でいつも思うことですが、

>京都を見て
「惜しんで余りあることは   この豊かな金城湯池が   倭人の所有するところとなり   帝だ皇だと称し 子々孫々に伝えられていることである   この犬にも等しい輩を   皆ことごとく掃討し 四百里六十州を   朝鮮の国土とし   朝鮮王の徳をもって   礼節の国にしたいものだ」


この作者金仁謙は、自分達もそのような国造りをすべきという発想にならず、現実を見ているにも拘らず、日本人が劣る民族と思い込み、秀吉の朝鮮征伐で散々打ち負かされた事を忘れ日本人を掃討できると思い、徳で礼節の国にすれば国が治められると考える様は、今もさして変わらぬようです。

最近は、近代化の恩恵で少しは現実的になっているようですが、10年後はという根拠なしの発想は1760年代の朝鮮通信使と同じ脳内お花畑で香ばしいorz・・・

チャングムの戦い26 浪花終幕編

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/14 10:02 投稿番号: [1684 / 6952]
  翌朝、崔天宗らが集合に現れなかったことで、奉行所に捜索の願いが出されました。ほどなく、新町付近で3人の死体が発見されたという報告が入りました。
  ただの殺人ではなく、外交問題にもなりかねないので、大阪城代阿部飛騨守正允が調べに乗り出します。
「えらいことになったものだなぁ」
  正使の趙ガンはため息をつきます。どうやら崔天宗は以前から高麗人参の抜け荷に加担していたらしい、というのは遺品や同僚の証言から判明しました。
「趙ガンさま。すこし休まれてはどうでしょうか。薬湯をお持ちしました」
「ありがとう。チャングム・・・本当は精のつくものが食べたいところだが、ここでは手に入らないからね」
  そういって趙ガンは、薬湯に口をつけてから、ふと思い出したようにいいました。
「精がつく、というのでおもいだしたんだが、崔たちの死体の上にはなぜか鰻の頭が置いてあったそうだよ。いったいなんなんだろう?」
  それを聞いたチャングムは、心中深く安堵の息を漏らしました。
(あの3人が仇だったのね)

・・・・・・・・・・

  趙ガンの書いた「海サ(木へんに差)日記」などによれば、1764年4月7日、大坂滞在中の朝鮮通信使の上房都訓導である崔天宗が、自分の鏡を紛失したのを、対馬潘から一行に派遣されていた通詞鈴木伝蔵が盗んだものと思い込み、馬の鞭で鈴木を打ち据え、それを恨んだ鈴木が崔を刺殺(以上、鈴木の自供による)して逃亡、4月18日摂津池田にて捕縛、5月2日に処刑されたという。
  なお、『日東壮遊歌』を記した金仁謙は、崔は高麗人参の闇取引のトラブルで殺害されたのではないか、と書いている。
  事件の処理にあたった大坂城代阿部飛騨守について、趙ガンはその見識と能力を高く評価し、世襲ではなく人材を選んで配置しているからだとした。

  ちなみに『日東壮遊歌』は、日本について以下のように描写してもいる。

大坂を見て、
「三神山の金闕銀台とは   まことこの地のことであろう」「人家が塀や軒をつらね   その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」「北京を見たという訳官が一行に加わっているが   かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」。

名古屋を見て
「山川広闊にして   人口の多さ   田地の肥沃   家々の贅沢なつくり   遠路随一といえる 中原にも見あたらないであろう   朝鮮の三京も大層立派であるが   この地に比べれば寂しい限りである」。

江戸を見て
「楼閣屋敷の贅沢な造り   人々の賑わい   男女の華やかさ   城郭の整然たる様   橋や船にいたるまで 大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」。
 
京都を見て
「惜しんで余りあることは   この豊かな金城湯池が   倭人の所有するところとなり   帝だ皇だと称し 子々孫々に伝えられていることである   この犬にも等しい輩を   皆ことごとく掃討し 四百里六十州を   朝鮮の国土とし   朝鮮王の徳をもって   礼節の国にしたいものだ」

  次回はようやく最終回です。

チャングムの戦い25 主水たこ焼きを食う

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/12 19:57 投稿番号: [1683 / 6952]
  崔ら3人は酔いと恥ずかしさの勢いで新町の遊郭へ向かいます。廓に上がる前に飲みなおし、と裏路地に入って飲み屋へ向かいます。
「崔先生ニム、ウリは便意を催したニダ」
  李がもじもじして言います。
「おいおい、今頃何を言い出すんだ。え?大のほうか。いつものように路上ですませとけ。ったくお前は怪力でテッキョンの達人のくせにパボなんだから・・・先に行くニダ、鈴木さん」
  酔っているせいか、もとがそうなのか、崔は毒づいて、さっさと歩き始めます。
「待ってやってもいいじゃないか」
  鈴木はそういったものの、千鳥足であわてて崔を追いはじめました。

  道端にしゃがみこんで尻をまくった李。背後からすーっと伸びてきた手が背中をつかみます。そう、念仏の鉄です。
  ボキッ
  口封じのために浪人4人を殺して堀に投げ込んだ李は、ついに仕置きされました。

  ふらふらと歩く鈴木、先を行く崔との距離は全然縮まりません。
  曲がり角を曲がった崔を見失うまいと走り出します。っと、体が前に進まない。なにか首に引っかかっている。あれ、地面が、地面が遠くなってゆく。宙に浮いてゆく!
  そう、三味線屋の勇次がはるか後方で糸をくわえています。火の見櫓の梯子段を支点にして鈴木を吊り上げていきます。
ピンッ
  いつものように指で糸を弾きます。重力の法則に従った鈴木は、地面に接吻して事切れました。
  通信使の随行員と組んで、高麗人参を抜け荷で闇取引し、秋山大治郎を鉄砲で狙撃した鈴木伝蔵は仕置きされました。

  いつまでたっても誰も追いついてこないことに気づいた崔、不安になって引き返し始めます。
  同心がぬっと現れ、前に立ちはだかります。
「いい気分のところを申し訳ありません。奉行所からのお達しで、ここは夜間通行禁止なんです」
「あん?何を言ってるニカ?」
「すいませんが、こちらの道へお入りください。あ、私が案内いたしますので」
  腰の低い上方訛りの同心に先導され、細い路地に入っていきます。
「いやに暗いニダ」
「・・・地獄への道だからな」
  言うやいなや、振り向きざまに抜き打ち一閃、中村主水の刀が闇を切り裂きます!
  高麗人参を抜け荷で闇取引し、矢で浪人の口を封じ、平賀源内を殺した崔天宗は仕置きされました。

チャングムの戦い24 大坂食い道楽編

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/09 12:59 投稿番号: [1682 / 6952]
  大坂に着いた通信使一行、堅苦しいウリナラを離れて、羽根をのばせるのはここが最後でしょう。朝鮮にはない繁華街を楽しもうとみな夜の大坂に繰り出します。

  上房都訓導に任じられている崔天宗は、奴婢の李と、対馬藩から派遣されている通詞鈴木伝蔵とともに外出しました。
  つきだしに甘納豆とニガリが出てくることで有名な居酒屋「たかかん」に入り、灘の美酒と牡丹鍋を味わいます。

  同じく町に出たチャングムは、崔ら3人が「たかかん」から出てくるのを目撃しました。かなり酔っているうえに、崔と李はなにやら怒っているようです。
「どうしたのかしら」
  チャングムは「たかかん」に入ってみます。
「お嬢ちゃん、また会ぅたな」
  チャングムを迎えた声は、馬を手当てしてくれたあの職人でした。手酌で呑んでおります。
「弩論覇斎ニム、安寧ハシムニカ。さっき出て行った客はウリミンジョクです。何かおこしたのでしょうか?」
  丁寧に挨拶してから大将に事情を聞きます。
「ああ、あの3人か」
「はい。何か怒っていたようにみえました。いったいどうしてでしょう?」
「坊やだからさ」
  弩論覇斎はそういって笑い、一気にお猪口を干しました。
「?」
  けげんな顔のチャングム。大将が事情を説明します。
「じつは・・・」以下回想モード。

「おやじぃ!なんだこの蟹は!足に身が入ってないニダ」
「そうだそうだ、シャジャイと賠償を請求汁!」
  いきなりかんしゃくおこる崔と李。
「・・・・・・お客さん、それは蟹の身とみそを和えて甲羅に盛った料理でんがな」
  唖然とした大将が答えます。
「足なんて飾りや。偉い人にはそれがわからんのや」
  弩論覇斎が苦笑します。
「ウェーハッハッハッハ、そんなこと知っていたニダ。鈴木を試しただけニダ」
  うろたえた崔はそういって酔いつぶれている鈴木の肩をつかんで揺さぶります。そして顔を真っ赤なキムチ色に染めて、勘定をすませていそいそと出ていったのでした。

「間違ったなら間違ったで、『すまん』というたらええのに」
「それだけですむ話なんやけどなぁ」
  大将と弩論覇斎は笑います。
「まぁ」
  チャングムも釣られて笑ってしまいました。

  人通りの絶えた谷町筋に風が舞い、3人の男が肩を並べて歩いてゆきます。BGMはもちろん必殺のテーマです。
  仕事人たちはいずこへ向かうのか?

チャングムの戦い23 究極VS至高のメニュー

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/07 11:18 投稿番号: [1681 / 6952]
  もう時刻はお昼です。
  さすがの論客たちも空腹には勝てません。
「そろそろお昼にしましょうか」
  通信使正使の趙ガンの言葉でいったん休憩です。

  チャングムと秋風太夫・紅葉太夫が密閉された器を運んできました。日本がわには黒塗りの椀を、朝鮮がわには朱塗りの椀をそれぞれ置きます。
「みなさん、封を開けてください」
  チャングムの声で、みないっせいに封を切ります。
「!」
  みんな鼻を押えて逃げ出しました。
「なんだこれは!」
「ウェノムの食い物ニカ!」

  そう、黒塗りの椀にはホンオフェが、朱塗りの椀にはなれずし(井伊様に頼んで調達した)が入っていたのです。
  双方のにおいが解けあい、世にも恐ろしい異臭となってゆきます。
「小娘、いったいなんの真似ニカ!」
  仁江毘が叫びます。
「悪ふざけが過ぎようぞ!」
  甲子庵も声をあげます。

「みなさん、おちついてください」
  ゆっくり立ち上がった中道が双方を制します。
「ここにあるのは双方それぞれが愛する料理です。しかし、それをきつく主張しあえばこのようにとんでもないシロモノになってしまうのです。なにかチャングムさんには狙いがあるのではないでしょうか」
  中道の言葉にチャングムは微笑みます。
「はい。それでは次のお膳をお持ちしますわ」
  障子を開け放ち、換気がすんだところでチャングムらは次の膳を運んできました。

「おおっ、これは膾(フェ)ではないか!しかし倭風だな」
  仁江鋭がすこしむっとします。
「よくご覧くださいませ、薬味としてにんにくのすりおろしとコチュジャンを添えてあります」
「こちらはキムチだが、匂いがきつくないし、すっぱくないぞ」
  蝸牛斎が感嘆の声をあげます。
「ご覧のとおり、朝鮮がわには日本の代表料理刺身を朝鮮風に召し上がっていただき、日本がわには朝鮮の代表料理キムチを日本風の浅漬けで召し上がっていただいています」
  チャングムの説明に一同はしんとします。
「このように互いの料理をそのまま主張して押し付けるのではなく、互いの舌にあうよう工夫し譲り合えば、新しく優しい味ができるのでございます」

「し、しかし、こんな倭臭のウリナラ料理は認められんニダ!」
  憤然と席を立つ壹旧支。その背に向かって李純信が言葉を投げます。
「今、我々は朝日を融合した新しい料理の完成の瞬間に立ち会っているのだ。それを認めないというのか!ケーセッキ!」
「アイゴー!」
  壹旧支は何も言い返せず、豪州もとい庭の中洲に向かって走り去りました。
「せっかくの料理じゃ。さ、日朝ともに存分に味わおう」
  赤城頼母の声で、和気藹々とした食事が始まりました。

  こうしてチャングムは日朝の対立を見事鎮めたのでした。

洛中某所。中村主水ら3人は、上方の仕事人を束ね、しかも随一の暗殺者である「西の元締め」と対しています。
  西の元締めはゆっくり口を開きます。
「京・上方は小生の縄張り。かってな真似は認められん」
  頭をかきながら主水は答えます。
「こっちにも譲れねぇ事情があってな。無理を承知で筋を通しに来たんだ」
「ふふ、縄張りを外れたはぐれ仕事人が、純情派なことを言うとはな。・・・・・・どうしても譲れねぇのかい?」
  西の元締めはくくっと笑います。主水はいいます。
「あたりマエダの、」
  一呼吸置いて主水は続けました。
「クラッカー」
  西の元締めはニヤッと笑います。
「その台詞が聞きたかった。よろしい、貴殿に譲ろう」

チャングムの戦い22 通信使閣下の料理人3

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/06 16:13 投稿番号: [1680 / 6952]
  彦根藩主井伊掃部頭さまと旗本伯耆典厩のすすめで、チャングムが近江で料理研究にいそしむうちに、朝鮮通信使がご城下を通りました。チャングムは合流します。
「おお、チャングム!元気であったか」
  正使の趙ガンは喜んでチャングムを迎えます。
「はい」
「うむ、それはよかった。・・・少し困ったことがあってのぉ」
  趙ガンはため息をつきます。
「なんでございましょうか?」
「わが通信使と論を交わしたいという日本人が多くてな。ほうぼうで論を交わしているのだが、なかなか論がかみ合わないことが多いのだ。次は京で大討論会をおこなうの予定なのだが、どうなることやら不安で仕方ないのじゃ」
  日本のことをよく知る趙ガンさまは本心から不安そうです。
「わかりました。わたくしがなんとかまとめてみせます!」
  胸を張るチャングム、いかなる計算があるのでしょう。

  通信使の京都での宿舎は本圀寺です。
  日朝双方が待ちに待った大討論会。朝鮮通信使からは論客として名の知れた仁江鋭、仁江毘兄弟(記録が混乱しており、2人を同一人物としている資料や片方を新しい名前で表記している資料もあります)、水軍都督(自称)として名を馳せた壹旧支、忠武公李舜臣の後裔といわれる李純信など、有名な人々が出てきました。おや、後のほうでは同じ人が声色を変えたり、服を換えたりして別人を装っているのもいますよ?
  日本側は、朱印船の研究で高名な赤城頼母、清国やオランダの事情にも詳しい鳴尾甲子庵、松前藩のアイヌに対する横暴を公儀に訴えた硬骨漢の千歳鶴中道(ちとせづる・ちゅどう)・兎亀蝸牛斎(とき・かぎゅうさい)、歩きながらでも矢立で軽妙な短文を作れる安房飛摩迅らが揃っています。

  辰の刻(午前8時)からはじまった討論は凄まじいものになりました。まともな論争もあり、スリカエ罵倒もあり、壹旧支が下ネタ罵倒をはじめて一時退室させられたりと、もはや仁義なき論争です。
「正使様、大丈夫でしょうか?」
  不安そうな従者に対して趙ガンは言い切りました。
「チャングムがいる」

  そのチャングムは早朝から厨房にこもって料理を支度しております。助手は美貌も味覚も一品という舞妓の秋風太夫と紅葉太夫です。

  さぁ、荒れに荒れる一座をどうやって鎮めるのか?通信使閣下の料理人、チャングムの打つ手はいかに?

旬を過ぎて松か?

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2006/02/04 13:58 投稿番号: [1679 / 6952]
(´・ω・`)しゅんっ

今が旬な少女は誰だっ!

浅田真央ちゃん?

チャングムの戦い22 通信使閣下の料理2

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/04 13:51 投稿番号: [1678 / 6952]
  ひたすら庭園を歩きまわるチャングム。伯耆典厩(ほうき・てんきゅう)は庭石に腰掛けそれをじっと見守ります。

  一刻ほど経ったでしょうか。不意に立ちどまり、両手の人差し指をこめかみにつき立てて目を閉じて黙考しだします。きっかり4秒後目を開け晴れやかな顔になりました。何かをひらめいたようです。
(こ、これは!)
  伯耆は目を疑います。かの伝説のとんち小僧「一休さん」そっくりの仕草ではありませんか!
「伯耆さま、厨房へ行きましょう」
  言い終わらぬうちに駆けだしたチャングム。あわてて伯耆は後を追います。

「プロ野球最多勝・最多敗投手は在日」「埼玉には高麗川がある」
↑これは厨房違い。スマソ

  で、あらためて厨房に入ります。
  解体・血抜きを済ませたばかりの新鮮な牛肉ブロックがありました。
  チャングムがそのブロックに中華包丁のようなぶあつい包丁を添えて上下させるたびに花びらのような薄い牛肉がまな板の上に踊ってゆきます。
さて、薄く切った牛肉を強火であぶり、さっと氷水にくぐらせます。チャングムの動きに無駄はありません。美国なら姿の見えない相棒「スティーブ」に向かって軽口をたたきながら料理を進めるところですが。(グラハム・カーって知ってます?)
  醤油ベースの甘口のタレにおろしニンニクを添えます。
「これで完成です」

  できあがった一品はさっそく掃部さまのご膳に供されます。
「おおっ、生の肉とはこういう食感なのか!」

  掃部さまの目が輝き、派手な効果音とともに城よりも大きく巨大化して
「う・ま・い・ぞぉー!」
  と叫びます。バックでは伊吹・比良山がなぜか大噴火しています。
  っておい、ミスター味っ子かよ。

  それはともかく、掃部さまはごきげんです。座から降りてきてチャングムの手をとって頭を下げます。
「チャングム殿かたじけない。わしにできることがあればいつでも言ってくれ。必ずや力を貸しましょう」
「チャングム殿、朝鮮通信使はもうすぐご城下を通ります。それまでここでゆっくりされてはどうでしょう」
「展厩どのの申されるとおりじゃ。近江の誇る郷土料理を研究されればよき時間つぶしになりましょうぞ」
「はい。近江には興味深い料理があると慕東夢さまに聞きました。ぜひ研究したいです」

  こうして「牛肉のタタキ」は発明されました。
  これ以降代々の井伊家当主はこの料理を好み、井伊直弼にいたっては、ジョン万次郎から「開国すればいろんな牛肉が食べられます」と言われたせいで開国を決意したといいます。

  また、チャングムに一休さんの姿をみた伯耆は、チャングムが一休さんと機知を競い合たり、豊臣秀吉の侵略を止めたりする小説などを書き大いに受けたと言います。
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