チャングムの戦い26 浪花終幕編
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/14 10:02 投稿番号: [1684 / 6952]
翌朝、崔天宗らが集合に現れなかったことで、奉行所に捜索の願いが出されました。ほどなく、新町付近で3人の死体が発見されたという報告が入りました。
ただの殺人ではなく、外交問題にもなりかねないので、大阪城代阿部飛騨守正允が調べに乗り出します。
「えらいことになったものだなぁ」
正使の趙ガンはため息をつきます。どうやら崔天宗は以前から高麗人参の抜け荷に加担していたらしい、というのは遺品や同僚の証言から判明しました。
「趙ガンさま。すこし休まれてはどうでしょうか。薬湯をお持ちしました」
「ありがとう。チャングム・・・本当は精のつくものが食べたいところだが、ここでは手に入らないからね」
そういって趙ガンは、薬湯に口をつけてから、ふと思い出したようにいいました。
「精がつく、というのでおもいだしたんだが、崔たちの死体の上にはなぜか鰻の頭が置いてあったそうだよ。いったいなんなんだろう?」
それを聞いたチャングムは、心中深く安堵の息を漏らしました。
(あの3人が仇だったのね)
・・・・・・・・・・
趙ガンの書いた「海サ(木へんに差)日記」などによれば、1764年4月7日、大坂滞在中の朝鮮通信使の上房都訓導である崔天宗が、自分の鏡を紛失したのを、対馬潘から一行に派遣されていた通詞鈴木伝蔵が盗んだものと思い込み、馬の鞭で鈴木を打ち据え、それを恨んだ鈴木が崔を刺殺(以上、鈴木の自供による)して逃亡、4月18日摂津池田にて捕縛、5月2日に処刑されたという。
なお、『日東壮遊歌』を記した金仁謙は、崔は高麗人参の闇取引のトラブルで殺害されたのではないか、と書いている。
事件の処理にあたった大坂城代阿部飛騨守について、趙ガンはその見識と能力を高く評価し、世襲ではなく人材を選んで配置しているからだとした。
ちなみに『日東壮遊歌』は、日本について以下のように描写してもいる。
大坂を見て、
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」。
名古屋を見て
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる 中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば寂しい限りである」。
江戸を見て
「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様 橋や船にいたるまで 大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」。
京都を見て
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し 子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し 四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
次回はようやく最終回です。
ただの殺人ではなく、外交問題にもなりかねないので、大阪城代阿部飛騨守正允が調べに乗り出します。
「えらいことになったものだなぁ」
正使の趙ガンはため息をつきます。どうやら崔天宗は以前から高麗人参の抜け荷に加担していたらしい、というのは遺品や同僚の証言から判明しました。
「趙ガンさま。すこし休まれてはどうでしょうか。薬湯をお持ちしました」
「ありがとう。チャングム・・・本当は精のつくものが食べたいところだが、ここでは手に入らないからね」
そういって趙ガンは、薬湯に口をつけてから、ふと思い出したようにいいました。
「精がつく、というのでおもいだしたんだが、崔たちの死体の上にはなぜか鰻の頭が置いてあったそうだよ。いったいなんなんだろう?」
それを聞いたチャングムは、心中深く安堵の息を漏らしました。
(あの3人が仇だったのね)
・・・・・・・・・・
趙ガンの書いた「海サ(木へんに差)日記」などによれば、1764年4月7日、大坂滞在中の朝鮮通信使の上房都訓導である崔天宗が、自分の鏡を紛失したのを、対馬潘から一行に派遣されていた通詞鈴木伝蔵が盗んだものと思い込み、馬の鞭で鈴木を打ち据え、それを恨んだ鈴木が崔を刺殺(以上、鈴木の自供による)して逃亡、4月18日摂津池田にて捕縛、5月2日に処刑されたという。
なお、『日東壮遊歌』を記した金仁謙は、崔は高麗人参の闇取引のトラブルで殺害されたのではないか、と書いている。
事件の処理にあたった大坂城代阿部飛騨守について、趙ガンはその見識と能力を高く評価し、世襲ではなく人材を選んで配置しているからだとした。
ちなみに『日東壮遊歌』は、日本について以下のように描写してもいる。
大坂を見て、
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」。
名古屋を見て
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる 中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば寂しい限りである」。
江戸を見て
「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様 橋や船にいたるまで 大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」。
京都を見て
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し 子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し 四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
次回はようやく最終回です。
これは メッセージ 1683 (toapanlang さん)への返信です.
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