日韓歴史論争

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閔妃暗殺

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/02/20 11:37 投稿番号: [1694 / 6952]
基本的には改革派と大院君が結びつき、悪政を行う閔妃一族を倒さんとしたもので、日本の三浦公使以下40余名が朝鮮の革命派兵士のみでは事はならないと支援したものです。その中に与謝野鉄幹もいたと。

当時閔妃の居た景福宮には米国の退役陸軍少将ウイリアム・ダイー将軍指揮下500余名の警備隊が守っていた。従って日本人40余名で襲撃しても成功する事はありません。又、閔妃を殺害し焼くという行為はおよそ日本人がする行為ではありません。朝鮮兵の仕業と考えるのが正しいと思いますが、真相は闇のようです。


1895年8月20日未明革命軍の景福宮攻撃とほぼ同時に、大院君はソウル市内に下記内容の檄文を掲載しました。

「近年、閔妃を中心とする一派が善良なる者を排斥し、狡猾なる者を用いて維新の大業を中断した。ゆえに500年の宗社は一刻の猶予も無き危機に直面している。余は宗臣としてこれを座視できない。従ってこのたび入閣して大君主をお守りし、邪悪な輩を追い出し、維新の大業をなして500年の宗社を守ろうとするものである。民は案ずることなく生業を守り、軽挙妄動してはならない。万一、民と軍人のなかに余の行く手をさえぎる者あらば、これは大罪ゆえ、後悔なきようにせよ。」
      
又、閔妃死後数日後に発表された高宗の勅書

「朕が位について以来32年が過ぎ、治下が至らないのは、皇后閔氏が親戚を引き入れ彼等を左右において朕の耳目を塞ぎ、人名を圧迫し、政令を乱し、官職を売買したためだ。閔妃の虐待は天まで昇り周囲に詐取が起き、宗社は危ういほど傾き、礎石を保つことが出来ない。朕は閔妃の極悪無道な事実を知りながらも、罰をくだせないのは朕が不明であることにも理由があるが、かの一党が恐れてのことなのだ。(中略)閔妃の罪悪は実に天地にみなぎり、二度と宗廟を継げない、我々王家の慣わしによって閔妃を庶民に廃すものである。」  

(泉野録   黄ゲン(王編に玄)   教文社1994年  

又、閔妃は王族の地位から大院君の命令で平民の地位におとされ国葬は為されなかったが、特命全権公使の井上馨はソウルに赴き大院君に対して、「死ねば皆仏になる。過去を水に流して王妃の菩提を弔って、民心の安定をはかること」を勧めました。

しかし閔妃を復位させ、「明成皇后」の諡号を贈り、国葬を行なったのは、大韓帝国が誕生した2年後でした。

当時の国際関係も含め説明すればより理解できると思いますが、紙面の都合上割愛します。閔妃劇は捏造・歪曲された物で日本を不当に陥れる性質の悪いものです。しかも、日韓共同W杯の年であり、英国のメデイアからも顰蹙を買ったものです。  
一部参考資料

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nisshinro/minpi1895.html
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