竹島

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>隠州視聴合紀・ソウル大写本

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/29 16:04 投稿番号: [9635 / 18519]
kikousidayoさん

> kikousidayo の情報は何によるものでしょうか。

お名前に敬称を付け忘れました。お詫びして訂正します。

隠州視聴合紀・ソウル大写本

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/29 16:01 投稿番号: [9634 / 18519]
kikousidayoさん

> 名古屋大学大学院文学研究科教授池内敏氏は
> ソウル大付属図書館所蔵の「隠州視聴合記」の
> ものは下記のように、「按神書所謂五十猛歟」が
> 割注として追加されているといわれています。

次の URL を見ると、池内氏はソウル大の写本について下記のように書いています。
http://www.jkcf.or.jp/pub/news/no31/8.pdf

----------------------------------
今ひとつは、割注部分に「按神言所謂五十猛歟」とする部分があることです。
----------------------------------

これによると「神書」ではなく「神言」です。kikousidayo の情報は何によるものでしょうか。

また、上の池内氏の記述を見ると、「按神言所謂五十猛歟」はあくまでも割注部分の一部分である、つまり割注部分はもう少し広い範囲のようです。

どこからどこまでが割注か池内氏の文章からは分かりませんが、#9311に書いたように「続々群書類従」では「俗言磯竹島多竹魚海鹿」が割注であることを考えると、「俗言磯竹島多竹魚海鹿按神言所謂五十猛歟」が割注であると考えることが妥当な気がします。

半月城通信 No.93 に書かれているテクストは、池内氏の文章の内容と合わせて考えると、川上健三氏が1966年に使用したテクストだろうと推測します。

海東地図、1750年代鬱陵島の小六島

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/29 15:51 投稿番号: [9633 / 18519]
転写:
http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/haedong.jpg

その一つには「所謂于山島」と明記

>所謂于山島

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2005/05/29 13:51 投稿番号: [9632 / 18519]
>一つが于山島とは、これで観音島が于山島の可能性でてきた

ichibachoさんのご指摘は画期的な発見だと思います。

「所謂于山島」と書いてある島は、今の Jukdoと考えるのが妥当でしょうね。韓国の言う「三峰島」も Jukdoで、「可支島」は鬱陵島ですね。

http://www.daea.com/dokdo/dokdo.asp

このサイトのように根拠のない事(嘘)を平気で言う点は、韓国政府及び半月城・AHO(半月城の分身)も同じですね。

伊能忠敬(1745-1818)

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/29 13:44 投稿番号: [9631 / 18519]
転写

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_037.htm

伊能忠敬

伊能忠敬(1745-1818)が"流行"っていますね。
彼が日本測量の旅(1800)に出て200年目にあたるからです。"伊能ウォーク"と言って彼の足跡をたどるイベントも行われたり、ゲーム付き万歩計「平成の伊能忠敬」なんて言うのも売り出されたりしました。

彼は病弱だったのですが、50歳まで千葉の佐原で家業に名主にと力を尽くし、隠居後江戸に出て55歳から71歳まで、17年、3736日に及ぶ測量をしたことです。その間、歩いた歩数、なんと四千万歩。
「中高年の星」、江戸時代の老人パワー、恐るべし!
しかも、最初の測量は、要した金の多くを忠敬は自分で出しています。

彼は、代々酒造業を営む伊能家の養子となり家業の建て直しをはかります。
そして、米穀の取引を行い、江戸に薪炭問屋も開いています。
明和・天明の飢饉には窮民の救済につとめ藩主から苗字帯刀を許されました。

ところで、彼が測量したデーターをまとめようとした時、実はずれていました。なぜでしょう?
そう、地球は丸いので、それを平面に書き写すことが出来ないのです。
勿論、彼はそれを修正し、今見ても完璧といえる地図「大日本沿海輿地(よち)全図」(「伊能図」)を完成したのです。
緯度の最大誤差でも1/1000だそうです。

この、「伊能図」は一般市民は使いませんでした。幕府が極秘としたのです。
一般には長久保赤水の作った地図が使われました。
伊能図が真価を発揮したのは、明治になってからです。
伊能図が我が国の地図の近代化に果たした役割はきわめて大きいといえます。

極秘の「伊能図」が、シーボルト事件を引き起こします。
幕府の天文方、高橋景保がシーボルトから洋書を譲り受けたお礼に「伊能図」の写しなどを渡したのです。
1828年景保は逮捕され翌年獄死、シーボルトは国外退去処分になります。
「伊能図」はシーボルト事件の後(1840年)にヨーロッパで出版され、高度な地図の技術水準が外国でも評価されました。
(シーボルトの項の蛇足参照)

長久保赤水(1717-1801)

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/29 10:18 投稿番号: [9630 / 18519]
転写

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_037_01.htm


長久保赤水

■長久保赤水(ながくぼ   せきすい:1717-1801)
あまり聞いたことが無いでしょうが、彼の作った地図は驚くほど良く出来ています。

赤水は、現在の茨城県高萩市の農民の子として生まれ、52歳で認められて、水戸藩に出仕し、61歳のときには藩主の治保(はるもり)公に講義をする侍講(じこう)にまでなりました。

赤水は、多くの日本地図や世界地図を作りました。

それまでの日本地図は、日本の形や全国を構成する国の形がなんとなくわかるといったものでした。
しかし赤水が作成した『改正日本輿地路程全図』(1775年)は、それまでの普及版日本図に比して図形が飛躍的に正確となったことです。
また、「一寸十里」(1296000分の1)という縮尺をそなえ、刊行図として、はじめて経緯線を取り入れました。
これで蝦夷地(現北海道)を除く日本の形がほぼわかるようになりました。

もちろん、正確さでは実測をもとにした伊能忠敬の『伊能図』(1821年)に劣りますが、赤水の地図はそれまでの地理学を検証して作成されたもので、実測によるものでは無いだけに、驚くべき研究の成果、労作といわれています。

「州」は「す」が一番にあう

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/29 00:33 投稿番号: [9629 / 18519]
「州、しゅう」は行政上のくぎり「州、す」は、しま   小生は「す」と読むことにしました、それは当時のインテリーは「す」と呼んだのではないだろうかと推測、島は俗世では、島おくり、島流し、島ぬけ、にも使われますね、此州を長久保赤水、子平両先生は「嶋」と記しました、つまり両先生は「す」と解釈したのです、斎藤豊仙は「す」即ち嶋と書いたのでは。

>捏造、改竄、冷汗・三千升

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/29 00:06 投稿番号: [9628 / 18519]
【訂正】

  【正】 ------ ⑧
  【誤】 ------ ⑨

    恥じ入ってます・・・・・   <(_ _)>

于山島は鬱陵島小六島の一つか

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/28 23:38 投稿番号: [9627 / 18519]
>皇城新聞の記者は1750年代の地図「海東地図」も参考

沖の:
鬱陵島の小六島は1750年代、朝鮮で、すでに知られていたんですね
その一つが于山島とは、これで観音島が于山島の可能性でてきたな

捏造、改竄、冷汗・三千升

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/28 23:35 投稿番号: [9626 / 18519]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm093.html#No.671
(注1)斎藤豊仙 『隠州視聴合記』(1667年)
  隠州在北海中故云隠岐島 従是 南至雲州美穂関三十五里 辰巳至伯州赤碕浦
四十里 未申至石州温泉津五十八里 自子至卯 無可往地 戍亥間行二日一夜有松
島 又一日程有竹島(俗言磯竹島多竹魚海鹿按神書所謂五十猛歟)此二島無人
之地 見高麗如自雲州望隠州 然則日本之乾地 以此州為限矣


http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/onsyu.html
隠州視聴合紀の竹島関連の部分

① 隠州在北海中故云隠岐島、
② 従是南、至雲州美穂関三十五里、
③ 辰巳至泊州赤碕浦四十里、
④ 未申至石州温泉津五十八里、
⑤ 自子至卯、無可往地、
⑥ 戍亥間行二日一夜有松島、
⑦ 又一日程有竹島、
⑧ 俗言磯竹島   多竹魚海鹿、按神書所謂五十猛歟
⑨ 此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、
⑩ 然則日本之乾地、以此州為限矣


⑨でどの部分が割注か分からなかったので、素直に転写しておけば良かったのですが
半月城さんの(注1)斎藤豊仙 『隠州視聴合記』(1667年)から早合点して、番号を抜き
勝手に書き直してしまいました。捏造と言わずに改竄と表現して下さったお優しい皆様
にお詫び申し上げます。どうかお許し下さいませ。(冷汗・三千升)

>Re:此州を以て国境と為す

投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2005/05/28 23:34 投稿番号: [9625 / 18519]
Okinoさま

「此の州」の「州」は、雲州、隠州の「州」と同じような意味とするよう、
並列させて用いられたものと考えます。

読み方については分かりません。意味合いからは「しゅう」になりますが、
音読みよりも、訓読みがよさそうであり、「す」,「しま」,「くに」などが
想像されます。私は「しま」と読んで「しゅう」の意に受けとめています。

                          shuku_remus

>Re:此州を以て国境と為す

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/28 22:48 投稿番号: [9624 / 18519]
shuku_remus様へ

shukuさんは「此の州」の「州」を「しゅう」と読まれているのか、それとも「す」と読まれているのか、どちらでしょうか

以此州為限矣

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2005/05/28 22:45 投稿番号: [9623 / 18519]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&action=m&mid=&mid=6389

半月城特有の「外務省が日本領の有力な根拠としてきた『隠州視聴合紀』は、実は逆に不利な材料になってしまい、固有領土の主張が根底から危うくなりました」という妄言に対して、seonsaeng氏を初め、皆さん同じような結論ですな。

            /
           /               
          /     日本の限り        
     高麗    /       ||           
        /       此の州          
       /       (此の二島により構成)   
      /        ┌───┐         
     /         │□ 竹島(鬱陵島)     
    /          │     │         
   /           │    □ 松島(竹島)    
  /            └───┘         

Re:此州を以て国境と為す

投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2005/05/28 22:30 投稿番号: [9622 / 18519]
Okinoさま

私の理解する原文の意味は下の絵のようになっています。日本の限りは日本
の北西の地の果ての行政区域である此の州(松島,竹島)となります。海に
国境線を引くとすれば竹島(鬱陵島)と高麗の間にあるのはご指摘の通りです。

                          shuku_remus

            /              
           /               
          /     日本の限り        
     高麗    /       ||           
        /       此の州          
       /       (此の二島により構成)   
      /        ┌───┐         
     /         │□ 竹島(鬱陵島)     
    /          │     │         
   /           │    □ 松島(竹島)    
  /            └───┘         

此州を以て国境と為す

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/28 21:22 投稿番号: [9621 / 18519]
>高麗を見るとした地点は竹島(鬱陵島)からでしょうが、日本の限りを述べるにあたり、地理でなく領土を表明するべく

Okino:
日本の北西の地(つち、陸、大地、場所、領土)即ち日本の北西の領土、此の竹島を以て国境と為す・・・の方がなんかすっきりしますね、なぜなら国境線は一本ですから、もし此の州が松島,竹島なら国境線はどこに引けばいいのだろうか

>>>隠州視聴合紀の此州

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/05/28 20:59 投稿番号: [9620 / 18519]
隠州視聴合記   (松江藩士・斉藤豊仙著   1667年)
隠州在北海中故云隠岐島、従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至泊州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、俗言磯竹島多竹魚海鹿、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣

『続々群書類従』収録分は上記の通りです。名古屋大学大学院文学研究科教授池内敏氏はソウル大付属図書館所蔵の「隠州視聴合記」のものは下記のように、「按神書所謂五十猛歟」が割注として追加されているといわれています。

隠州視聴合記   (松江藩士・斉藤豊仙著   1667年)
隠州在北海中故云隠岐島、従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至泊州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、俗言磯竹島多竹魚海鹿、「按神書所謂五十猛歟」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣

1.「俗言磯竹島多竹魚海鹿、按神書所謂五十猛歟」とするものは初耳ですので、kana_ikeuchiさんの
#9597のものは半月城氏のものに近い改竄でないかと思われます。従って# 9600 のte2222000さんの論拠に私も同意します。

2.#9604のshuku_remusさんの考え方
>高麗を見るとした地点は竹島(鬱陵島)からでしょうが、記述では此の二島からとしていますので、地域・諸島の意味として、此の二島(松島,竹島)から(此の二島のある地点から)高麗を見ると文字通りするべきでしょう。
  此洲を竹島・松島の二島にとるか文意から竹島に限定すべきか私にはよく分かりません。何れにしろ斉藤豊仙は両島を日本領と受け取っていることは言い得るとおもいます。
今後の御議論を期待しています。

蛇足:   ATOK16で   ”しま”   と入力して州と変換できる事を今日たまたま発見しました。余計なことで申し訳ありません。

おまけ

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/28 18:48 投稿番号: [9619 / 18519]
大日本全国略図に記された竹島・松島はどうやら島根県提出の由来による隠岐→松島が80里、松島→竹島が40里という記述に距離的にもあわないようですね。島根県提出書類から大日本全国略図が導けないことはこれからも明らかです。

とにかく

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/28 18:03 投稿番号: [9618 / 18519]
鬱陵島が竹島と松島に描かれており現在の独島は描かれていないとされる陸軍参謀局の朝鮮全図(1875)と文部省の日本全図(1877)にあわせて「外一島」の理解のために大日本全図略図は貴重な資料となりうるかもしれません。

その点で資料のご提示に感謝いたします。

微妙に違いますか

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 17:45 投稿番号: [9617 / 18519]
家鴨と兎さんの見解として、西洋人の地図に限らないと云うことで了解しました。

愚生の見解としては、測量のバックデータの欠落した地図単体では、地名の参照程度がせいぜいだろうと云うことであり、これは既に指摘したように、内務省地理局の由来と、当時の法令から考えてそうだろうと云うことです。

>リアンクール=松島との認識があれば大日本全図略図に竹島・松島があのように描かれる可能性はありません。松島をダジュレーとした、そこに二島認識と三島認識の微妙な混乱が見て取れるということです。

その様な限定条件を付せばと云うことですね。何故その様な限定条件が付くのか、またそれがどの様な因果関係でその様な結論になるのか良く分かりませんが、これも家鴨と兎さんの見解として承ります。

>そうですか

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/28 17:36 投稿番号: [9616 / 18519]
>つまり、どの様な地図かは分からないけれども、不特定の「西洋人の地図」に影響されたかもしれないと仰りたいわけですね。

微妙に違いますね。西洋人の地図に限りませんので。

私が申し上げたのは、大日本全図略図の竹島・松島は島根県の提出書類にのみよったものではなく他の資料を総合的に勘案した結果の記述であるということであり、その背景においては他の地図(西洋含む)を排除しないということです。

>「では、当時の政府が三島認識していたことを客観的に裏付ける根拠はなんですか」とお尋ねしているのですが。

リアンクール=松島との認識があれば大日本全図略図に竹島・松島があのように描かれる可能性はありません。松島をダジュレーとした、そこに二島認識と三島認識の微妙な混乱が見て取れるということです。

>「たまたま似たような位置に描かれたための錯覚でしょう」と云うことです。

そうですか。「錯覚」と言われたらどうしようもないですね。アホさんが定規で調べろというからわざわざ私も定規を取り出して律儀に確認したわけですが…。

一旦整理

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 17:31 投稿番号: [9615 / 18519]
ここで一旦愚生の考えを整理しておきます。
内務省地理局の見解には今のところ三島認識を裏付ける資料は提示されていないが、愚生自らが9574で指摘したように略図の元となった「大日本全国図」を確認する必要は残されている。
従って、現時点で内務省が三島認識をしていたとは言えず、日本政府が三島認識していたことを裏付ける客観的な根拠は他の根拠も含めて提示されていない。

そうですか

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 17:19 投稿番号: [9614 / 18519]
つまり、どの様な地図かは分からないけれども、不特定の「西洋人の地図」に影響されたかもしれないと仰りたいわけですね。

リアンコヲルトロツクについての家鴨と兎さんの見解9558では、「当時、明治政府は竹島・松島の二島認識があったことでしょう。もちろんそれ以前の歴史的にもそうです。しかし、三島認識(アルゴノート、ダジュレー、リアンクール)も出てきていた。」と仰るから、「では、当時の政府が三島認識していたことを客観的に裏付ける根拠はなんですか」とお尋ねしているのですが。

9583については、愚生の見解は既に述べましたが、改めて簡略に申し上げますと、「たまたま似たような位置に描かれたための錯覚でしょう」と云うことです。

>勿論

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/28 17:07 投稿番号: [9613 / 18519]
>しかし家鴨と兎さんが「アルゴノート、ダジュレーに地理的に一致する」と仰るならば、それがどの地図なのか特定して頂かないと分かりませんね。

私はさしあたり大日本沿海略図を参照したので、それでもどうぞご覧になってください。リアンクールが記されていないことについては、私の考えはすでに解答したとおり。

>さて、当時の内務省地理局が入手が可能であったあらゆる地図のうち、どの様な「西洋人の地図」を参照したのですか?

さあ、分かりません。現実としてあるのは大日本全国略図が島根県の提出書類だけでは説明できないこと、それが大日本沿海略図のアルゴノート・ダジュレーとほぼ一致することだけです。

あとは、それにいたった背景となる地図を具体的に特定することは今の段階では不可能でしょう。そこにおいては私は西洋の地図を排除しないというだけの話です。

さて、それはともかく、9583についてはどうお考えですか。

もしかして

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 17:01 投稿番号: [9612 / 18519]
川上健三氏の仮説がそうだから、それを無批判に迎合しているだけでしょうか。

愚生の推理はこうです。
島名の混乱は恐らくあった。
しかし、それは単純なものではなく、日本政府官僚組織の縦割り弊害との相乗効果で発生した。
アルゴノートが記載された地図は、或いはDP(位置が疑わしい)として或いは存在そのものが疑わしいとして記載された英国海軍の水路誌などにはあったろう。
しかし、恐らく内務省地理局は水路誌は守備範囲外として参照していない。
それを参照したとすれば海軍だろう。

勿論

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 16:50 投稿番号: [9611 / 18519]
現在の国土地理院が保有する地図は、厳密には何時購入したものなのかまで検証しなければなりませんが、今のところそこまでする必要もないでしょう。
また国土地理院は内務省だけでなく陸軍省の資料も引き継いでいますから、国土地理院が保有しているからと云って、それが当時の内務省が保有していたのか迄は蔵書印まで確認しなければ分かりません。

しかし家鴨と兎さんが「アルゴノート、ダジュレーに地理的に一致する」と仰るならば、それがどの地図なのか特定して頂かないと分かりませんね。
確かに仰るように国土地理院は『大日本沿海略図』を保有しています。
しかし測量データも併せて引き継いだ伊能図とは異なり、測量データの裏付けのない地図単体では地名の参照程度にしか使いようがありません。
そうして現に内務省地理局はリアンコヲルトロツクを除外しているのですから、明らかに『大日本沿海略図』は否定されているわけでしょ。

さて、当時の内務省地理局が入手が可能であったあらゆる地図のうち、どの様な「西洋人の地図」を参照したのですか?

>>>引き続き検証

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/28 16:14 投稿番号: [9610 / 18519]
>随分と曖昧なことを仰るのですね。「西洋人の地図」を特定して下さいな。

曖昧に決まっているではないですか。分かっているのは大日本全国略図が島根の提出書類だけによる地図ではないということ、そしてそれがアルゴノート、ダジュレーに地理的に一致するということだけです。

なお、私が西洋人の地図も含ませたのは入手が可能であったあらゆる地図を地理局が参照した可能性を排除しないためですがそれにあたってはことさら今の国土地理院の古地図コレクションにこだわる必要はないと思いますよ。

どうやら国土地理院の古地図コレクションには大日本国沿海略図も入っているようではありますが。

>内務省地理局の発行した地図では、松島の形状は『大日本沿海略図』のように鬱陵島ではなく、獨島の形状が描かれました、

ご提示いただいたサイトの地図ではとてもそこまで確認できませんでしたが、そうなのですか?島根の提出書類だけによったものでないという私の論旨から申しますと、形状は別にどうでもいいことですが。

>更に『大日本沿海略図』に描かれたリエンコヲルトロツクも描かれませんでした。

回答済み。

>位置関係については、隠岐島との距離が大日本国沿海略図と全く一致しないことが実証されたはずです。

申し訳ありませんが何が「実証」なのか意味が分かりません。私は緯度・経度からほぼ一致すると申し上げました。また大日本全国略図が島根県の提出書類によったものではないとする根拠はすでに9583で示しております。

>実証的に検証されていない仮説に、曖昧な思いこみを加え、それを太政官の判断にまで適用するわけですか。

これは仮説ではなく根拠を示したものです。繰り返しますが、私は大日本全国略図が島根県の提出資料だけで作成されたものでなく、また、その位置関係はアルゴノートとダジュレーにまったくもって一致すると、それぞれ「根拠をあげて」申し上げたのです。

『韓国水産誌第一集』

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 16:05 投稿番号: [9609 / 18519]
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40034161&VOL_NUM=00001&KOMA=102&ITYPE=0

島根県の秘密告示が徹底しなかったことは、統監府政治下の韓国に於いても1908年の時点で依然として獨島を韓国所属島嶼とする政府公刊物が発行された事実によって裏付けられる。
島根県の秘密告示は、島根県関係者以外は誰も知らなかったのだろう。或いは、告示そのものが後世のでっち上げかもしれない。

くだらない証拠

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2005/05/28 16:05 投稿番号: [9608 / 18519]
>韓国所属島嶼として記載された事実を挙げています。

その島名は独島でなかったと自爆か、AHO。

公開資料から

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 15:56 投稿番号: [9607 / 18519]
獨島事件の報告書から、獨島を朝鮮領とする根拠の第一に、1908年に韓国農商工部水産局が公刊した『韓国水産誌第一集』の110頁から111頁にかけて、韓国所属島嶼として記載された事実を挙げています。

注:『韓国水産誌』第三集以降は総督府から公刊された。

国家記録院、獨島関係資料公開

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 15:06 投稿番号: [9606 / 18519]
http://www.archives.go.kr/gars/dokdo_home/

1948年6月米軍機による漁民爆撃事件時の公文書や、平和線を無視して突入した犯罪者の写真などが閲覧できる。

その他、注目されるのは
独立前の1947年6月には慶尚北道知事から民政部長官宛に獨島の領有確認が出されていた事実が確認される。
また、現在原文を確認できない1906年の沈郡守(文書では島長と表記)の報告書が引用されている。

AHOが実証すべき仮説

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2005/05/28 14:59 投稿番号: [9605 / 18519]
「外一島=独島」

>実証的に検証されていない仮説に、曖昧な思いこみを加え

これは、お前に当てはまる事だな。

>>隠州視聴合紀の此州

投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2005/05/28 13:48 投稿番号: [9604 / 18519]
[原文抜粋]

此二島無人之地 見高麗如自雲州望隠州 然則日本之乾地以此州為限矣

[現代語訳案](括弧内は解釈により追加)

此の二島(松島(竹島)、竹島(鬱陵島))は無人の地であり、雲州より隠州
を望むが如きに(如きに彼方に)高麗を見る。然らば(これより先は高麗
なので)即ち、日本の北西の地、此の州(松島,竹島)を以て限りと為す。

[補足]

高麗を見るとした地点は竹島(鬱陵島)からでしょうが、記述では此の二島
からとしていますので、地域・諸島の意味として、此の二島(松島,竹島)
から(此の二島のある地点から)高麗を見ると文字通りするべきでしょう。

解釈では「然則」を生かすよう「ここから先に行くと高麗に入ってしまう。
然らば即ち、帰結として、ここが日本の限りである」としています。

日本の限りを述べるにあたり、地理でなく領土を表明するべく、行政区域
としての用語 "州" を使用し、「此の二島」を「此の州(松島,竹島)」に
改めています。

>>引き続き検証

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 13:10 投稿番号: [9603 / 18519]
>私は竹島・松島に限って申し上げて来ました。測量データがあるところは仰るとおりでしょう。しかし、竹島・松島について言えば「大日本沿海略図」ほか、他の地図(西洋人の地図も含みます)の影響も受けていると思いますよ。

随分と曖昧なことを仰るのですね。
「西洋人の地図」を特定して下さいな。
内務省地理局は陸地測量部を経て現在の国土地理院ですが、その国土地理院が保有する19世紀以前の「西洋人の地図」には愚生の知る限り次のようなものがあります。

1.『アジア図』(1635年頃、ブラウ)
2.『世界図』(1730年頃、ゾイッター)
3.『韃靼図』(1676年頃、ド・ウィット)
4.『世界地図帳』(1683年頃、サンソン)
5.『韃靼図』(1595年頃、オルテリウス)
6.『日本図』(1606年頃、メルカトール・ホンディウス)
7.『日本六十六州図』(1658年頃、レランド、オッテンス)
8.『アジア図』(1602年、メルカトール・ホンディウス)
9.『世界図』(1792年、ド・リール)
10.『アジア図』(1716年頃、J.B.ホーマン)

>なお、島の形状についてのご指摘がありましたが、これは大日本国沿海略図よりも小さく描かれましたが、私は当局がさまざまな資料の総合的な判断によって大日本府県分割図を作成したと考えており、したがって、それが必ず大日本国沿海略図と一致しなければならないことはありません。

内務省地理局の発行した地図では、松島の形状は『大日本沿海略図』のように鬱陵島ではなく、獨島の形状が描かれました、更に『大日本沿海略図』に描かれたリエンコヲルトロツクも描かれませんでした。
家鴨と兎さんはどの様な「総合的判断」が行われたのかについての裏付けを一切お示しになりませんが、その判断から『大日本沿海略図』は除外されているように見えますね。
したがって、それが必ず大日本国沿海略図と一致しなくて当然なわけです。

>確かなことは「略図」が島根県の提出資料だけで作成されたものでなく、また、その位置関係は大日本国沿海略図と同じく、アルゴノートとダジュレーにまったくもって一致するということです。

何を以て「確かなこと」なのか全く不明ですが、家鴨と兎さんが「確かなこと」と断定するだけで曖昧な事柄が確かな事柄に変貌するわけではありません。
位置関係については、隠岐島との距離が大日本国沿海略図と全く一致しないことが実証されたはずです。

>おそらく、明治10年に太政官判断で下された「外一島」も、ほかでもなくアルゴノートとダジュレーの地理的認識であり、それが明治13年の天城の調査による鬱陵島=松島への確定に結びついたのでしょう。

実証的に検証されていない仮説に、曖昧な思いこみを加え、それを太政官の判断にまで適用するわけですか。

なるほどね。

Wストリート 「対日要求は横柄」

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2005/05/28 12:19 投稿番号: [9602 / 18519]
日中摩擦、Wストリート・ジャーナル紙論評   「対日要求は横柄」

反日の動機「国連や台湾」
  【ワシントン=古森義久】中国の呉儀副首相が小泉純一郎首相との会談を突然、中止して帰国したことなど日中間の摩擦について、米国大手紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は「小泉氏の土下座拒否」と題した社説(二十五日付)で、中国からの靖国参拝中止などの対日要求を「横柄」と批判し、呉副首相の言動も中国側の圧力戦略だと評した。
  同社説はまず、呉副首相の唐突な会談中止について「北京からの間断ない長広舌にもかかわらず、小泉首相が拡張する中華帝国への土下座を拒否していることに対する中国政府部内の不満の高まりの証拠」と位置づけ、「他のアジア諸国も注意すべきだ」と警告。「中国は自国の存在をアジア諸国に認めさせようとしており、台湾と日本がその圧力をまず最初に受けたのだ。もし中国がその方針に固執すれば、他のアジア諸国民もまた横柄な扱いを受けることになる」と指摘し、中国の対日要求を明確に「横柄」と批判した。
  同社説は、中国当局が今回、小泉首相が靖国問題での反論に孔子の教えを引用したことなどに怒ったとし、「小泉首相は靖国には戦犯とされた人たちだけでなく一般の将兵の霊が祭られていることを明確にしている」と強調した。
  同社説はまた、中国は一九三〇年代の日本の侵略の記憶をいまも新鮮にしておこうと努めているが、日本は既に極めて大きな代償を払い、六十年間も国際社会で好ましい地位を保ち、特に中国にはない自由と民主主義を享受してきたとしたうえで、小泉首相の四月のアジア・アフリカ首脳会議での謝罪声明まで紹介。中国の「歴史問題」をめぐる主張の非を指摘した。
  同社説は反日デモについて日本大使館などの破壊を許容した点で「中国当局は明白に間違っていた」と述べ、中国当局が反日行動は自然に発生したかのように主張することは「有罪」だとし、中国政府がインターネットの「地下工作員」を使って世論を誘導するという最近の情報を紹介している。
  反日行動の動機について同社説は、「歴史」や「靖国」ではなく、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りへの動きや中国の台湾への軍事脅威に対する日米共同の懸念表明を挙げた。
  同社説は、中国の対日戦略として(1)政府が無力を装って大衆を動員する義和団方式(2)道義的により高い立場を目指すアピール−を挙げ、「その二つとも失敗したため、中国はいまや新しい策略を試みている」と指摘。呉副首相が訪日中にトヨタ自動車の奥田碩会長らに日中関係の政治面での悪化は経済面に悪影響を及ぼすという趣旨の警告をしたことを、「小泉首相の頭ごしに日本の財界に訴えようとする新策略」だと述べている。
  同社説は結論として、この種の中国の策略は「危険なゲーム」だとして、日本国民の92%が中国の日本への対応に納得できないという読売新聞の世論調査結果を引用し、「中国は日本が民主主義国家であり、その政治家は国民の意思に耳を傾けねばならないことを理解しなければならない。呉副首相の会談拒否は礼節を重んじる国では、よく受け取られない」と論評した。

(産経新聞) - 5月28日2時59分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050528-00000003-san-pol

所謂于山島

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2005/05/28 09:09 投稿番号: [9601 / 18519]
http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/haedong.jpg

鬱陵島の小六島の件ですが、皇城新聞の記者は1750年代の地図「海東地図」も参考にした可能性が大きいと思います。

この地図では、小島が六つ描かれていますし、その一つには「所謂于山島」とご丁寧に明記していますからね。

隠州視聴合紀の「五十猛」

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/28 06:49 投稿番号: [9600 / 18519]
隠州視聴合紀の「按神書所謂五十猛歟」の記述について思っていることを書きます。

まず、このテクストは史料によって存在したりしなかったりします。例えば、田中邦貴氏のホームページに引用されているテクストには書かれていません。

従って、「最初は存在しなかったが、筆写の過程で誰かの書いた注が紛れ込んだ」「最初は存在したが、筆写の過程で抜け落ちた」の二つの可能性が考えられます。

私が自信を持って言えるのはここまでで、後は素人の印象と空想になるので、まあ、そのつもりで読んでもらいたいのですが、私は最初は存在しなかった可能性が高いと思っています。

というのは、隠州視聴合紀全体を読んだ時に「按神書所謂五十猛歟」という記述は、どう斎藤豊仙らしくないというか、違和感を覚えるのですね。

どういうことかというと、隠州視聴合紀には「按ズルニ…」という書き方で神様に触れた記述がいくつも出てくるのですが、それは全て延喜格式神名帳に基いて、実際に存在を確認した神社がどれに相当するかを考察しているものです。そして、その考察の態度は非常に論理的、かつ実証的です。

例えば周吉郡西郷の奈伎良明神については「神明帳には奈伎良神社が海部郡にあると書いてある。だとすれば、郡名が間違って記されているか、後にここへ移ったか、あるいはそもそも別の神のことであるか」というように論理的に考えられる可能性を挙げた上で、断定を避ける書き方をしています。

また、知夫郡知夫湊の記述では、「渡明神」という神社について「和太酒」の社だという説を唱える人がいることを紹介した上で「根拠がなく、単に言葉が似ているだけだ」と結論しています。

そのような斎藤豊仙の記述態度と、何の根拠も示さずに磯竹島を五十猛に引き当てる記述が私には結びつかないのです。

ついでに、五十猛神についても触れておきます。

この神様は日本書紀で、スサノオノミコトが高天原を追われてヤマタノオロチを退治するエピソードに対する異説として紹介されている中に登場します。

それによると五十猛神はスサノオノミコトの子供で、一緒に高天原を追われ、まず新羅国のソシモリのところに身を寄せた後、日本に渡りました。五十猛神は多くの樹の種子を持ってきたのですが、それを韓国には一切蒔かず、日本に来てから蒔きました。そのために有功(いさおし)の神と呼ばれます。最終的には紀伊の国に落ち着いたようです。

従って、五十猛神は朝鮮との因縁が深く、磯竹島を五十猛神になぞらえたとしてもそれが朝鮮領と考えていない証拠になるかどうかは断言できないと思います。

祝・竹島問題がINTERNET GUIDEに掲載

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2005/05/28 06:36 投稿番号: [9599 / 18519]
先週ヤフーからメールが着ました。それを下記に掲載します。

=============掲載開始=============

ご担当者様

お世話になっております。
YAHOO! INTERNET GUIDE編集部です。

実は弊誌7月号(5/28発売)にて、
「いまこそ竹島問題をまじめに考える」と題して、
竹島関係の情報を扱うWEBサイトを紹介する
記事を企画しております。そのなかで、
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/
をご紹介させていただきたいと思っています。
何か問題等ございましたら、
お手数ですがご返信いただけますと幸いです。

※以下弊誌の媒体概要です
媒体名 :Yahoo! Internet Guide
発行 :ソフトバンク パブリッシング株式会社
体裁 :A4 中綴じ 250ページ前後
主な内容:ホームページ紹介、インターネット関連の最新ニュース、
パソコン(とくにインターネット関連ソフト)の上手な使い方など
主な読者層:初級から中級レベルのインターネットユーザー
発売日等:月刊誌(毎月月末発売)、定価790円
全国の書店、コンビニエンスストア、駅売店にて販売

勝手なお願いで誠に恐縮ですが、
何卒よろしくお願い申し上げます。

▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
YAHOO! INTERNET GUIDE編集部
ソフトバンク パブリッシング株式会社
tel:03-5549-1181 / fax:03-5549-1182
http://www.sbpnet.jp/yig/
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼

=============掲載終り=============

素晴らしいです。今日早速買います。

隠州視聴合紀の「高麗」

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/28 06:10 投稿番号: [9598 / 18519]
半月城さんへ

最近、読んだ本に、半月城通信 No.89 の以下の記述に関連する史料を見つけたのでご紹介します。

>    おわりは「見高麗如自雲州望隠州」の解釈です。この読みくだしは「高麗
>を見るは、雲州より隠州を望むがごとし」でいいと思います。ただ、注意すべ
>きは、これが書かれた1667年には高麗という国はすでに存在しません。滅びて
>からすでに275年もの長い歳月がたっています。
>    そのため「高麗」はもちろん国の名前を意味しません。漠然とした地名と
>して用いられました。高麗とはいうまでもなく朝鮮半島です。

これに関して、山本博文「鎖国と解禁の時代」(校倉書房)の p.183 に以下の史料が載っていました。

----------------------------------------------
対馬守・柳川公事御穿鑿半様子ハ、高麗より之文も
将軍様より高麗へ之御書も、御代々対馬守書直、…
----------------------------------------------

これは、熊本藩主細川忠利が父親に宛てた手紙の一節で、江戸幕府が朝鮮との修好回復のために文書のやり取りをしていた際に、仲介した対馬が勝手に文書を書き直していた事件、いわゆる柳川一件について述べています。

ここでは明らかに「高麗」が「朝鮮国」の意味で使われています。あくまで「朝鮮国」の意味の用例を一つ見つけたというだけなので、上記の半月城さんの主張を否定することにはなりませんが、その論拠をかなり弱いものにする例であると思います。ご参考にしていただければ幸いです。


掲示板を見ている方へ

17世紀の「高麗」という言葉の用法について詳しい参考文献をご存知の方はご紹介いただけるとありがたく思います。

>>隠州視聴合紀の此州

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/27 23:23 投稿番号: [9597 / 18519]
転写:
http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/onsyu.html
斎藤豊仙 『隠州視聴合記』(1667年)
  隠州在北海中故云隠岐島 従是 南至雲州美穂関三十五里 辰巳至伯州赤碕浦
四十里 未申至石州温泉津五十八里 自子至卯 無可往地 戍亥間行二日一夜有松
島 又一日程有竹島(俗言磯竹島多竹魚海鹿按神書所謂五十猛歟)此二島無人
之地 見高麗如自雲州望隠州 然則日本之乾地 以此州為限矣

  隠州は北海の海中にあるので隠岐島という。これより南は雲州美穂関まで
は35里、東南は伯州赤碕浦まで40里、西南は石州温泉津まで58里、北か
ら東は往くべき地がない。西北に一泊二日行くと松島がある。また一日ほどで
竹島がある(俗に磯竹島という。竹や魚、アシカが多く、案ずるに神話・古事記にい
うところのイソタケルから来ている)。
   この二島は無人の地である。高麗を見るに雲州より隠州を望むごとくであ
る。然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

  「高麗を見るに雲州より隠州を望むごとくであるところの竹島、「この州」が日本の
最北西にある領土で高麗と日本の境だよ。」

  1667年8月、出雲松江藩の藩主の命により齋藤豊仙が隠岐郡代として、約2ヶ
月を掛けて隠州(隠岐島)を巡察した際の、「視」「聴いた」ことを採録した近世隠岐
の地誌(調査報告書)である。

  巻一の『国代記』で齋藤豊仙は北海の中にある隠岐島が、これを基準として東西
南北、それぞれの方向にある日本の領地まで、どれだけの位置にあるかを記述して
いる。

  その中で「見高麗如自雲州望隠州」に適合するのは竹島だけ、しかも(俗言磯竹
島多竹魚海鹿按神書所謂五十猛歟)から斎藤豊仙 は竹島を日本の州と考えてい
たと言える。

  此州が竹島を指すのは無理があると考えることはない。長久保赤水、林子平など
も此州を竹島と読んでいる。鬱陵島一島だけの帰属が問題になった当時の記録をま
とめた『星湖塞説』でも「一州の土を覆す」と記している。

竹島こと鬱陵は小六島と岩石よりなっている。此州が竹島であることに異論はない
筈である。
http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/onsyu.html

領土問題を考える際、斎藤豊仙 『隠州視聴合記』(1667年)は日韓共に無視できな
い文書ですね。

>「竹嶼」(Boussele岩)とは「他一島」

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/05/27 22:27 投稿番号: [9596 / 18519]
>小六島括めて他一州とはいいませんわね。

allarefriends2000さん、te2222000さん、AHOさんだったら言うんじゃない。
彼らの州の定義がそうだもんね。w
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