伊能忠敬(1745-1818)
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/29 13:44 投稿番号: [9631 / 18519]
転写
http://www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_037.htm
伊能忠敬
伊能忠敬(1745-1818)が"流行"っていますね。
彼が日本測量の旅(1800)に出て200年目にあたるからです。"伊能ウォーク"と言って彼の足跡をたどるイベントも行われたり、ゲーム付き万歩計「平成の伊能忠敬」なんて言うのも売り出されたりしました。
彼は病弱だったのですが、50歳まで千葉の佐原で家業に名主にと力を尽くし、隠居後江戸に出て55歳から71歳まで、17年、3736日に及ぶ測量をしたことです。その間、歩いた歩数、なんと四千万歩。
「中高年の星」、江戸時代の老人パワー、恐るべし!
しかも、最初の測量は、要した金の多くを忠敬は自分で出しています。
彼は、代々酒造業を営む伊能家の養子となり家業の建て直しをはかります。
そして、米穀の取引を行い、江戸に薪炭問屋も開いています。
明和・天明の飢饉には窮民の救済につとめ藩主から苗字帯刀を許されました。
ところで、彼が測量したデーターをまとめようとした時、実はずれていました。なぜでしょう?
そう、地球は丸いので、それを平面に書き写すことが出来ないのです。
勿論、彼はそれを修正し、今見ても完璧といえる地図「大日本沿海輿地(よち)全図」(「伊能図」)を完成したのです。
緯度の最大誤差でも1/1000だそうです。
この、「伊能図」は一般市民は使いませんでした。幕府が極秘としたのです。
一般には長久保赤水の作った地図が使われました。
伊能図が真価を発揮したのは、明治になってからです。
伊能図が我が国の地図の近代化に果たした役割はきわめて大きいといえます。
極秘の「伊能図」が、シーボルト事件を引き起こします。
幕府の天文方、高橋景保がシーボルトから洋書を譲り受けたお礼に「伊能図」の写しなどを渡したのです。
1828年景保は逮捕され翌年獄死、シーボルトは国外退去処分になります。
「伊能図」はシーボルト事件の後(1840年)にヨーロッパで出版され、高度な地図の技術水準が外国でも評価されました。
(シーボルトの項の蛇足参照)
http://www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_037.htm
伊能忠敬
伊能忠敬(1745-1818)が"流行"っていますね。
彼が日本測量の旅(1800)に出て200年目にあたるからです。"伊能ウォーク"と言って彼の足跡をたどるイベントも行われたり、ゲーム付き万歩計「平成の伊能忠敬」なんて言うのも売り出されたりしました。
彼は病弱だったのですが、50歳まで千葉の佐原で家業に名主にと力を尽くし、隠居後江戸に出て55歳から71歳まで、17年、3736日に及ぶ測量をしたことです。その間、歩いた歩数、なんと四千万歩。
「中高年の星」、江戸時代の老人パワー、恐るべし!
しかも、最初の測量は、要した金の多くを忠敬は自分で出しています。
彼は、代々酒造業を営む伊能家の養子となり家業の建て直しをはかります。
そして、米穀の取引を行い、江戸に薪炭問屋も開いています。
明和・天明の飢饉には窮民の救済につとめ藩主から苗字帯刀を許されました。
ところで、彼が測量したデーターをまとめようとした時、実はずれていました。なぜでしょう?
そう、地球は丸いので、それを平面に書き写すことが出来ないのです。
勿論、彼はそれを修正し、今見ても完璧といえる地図「大日本沿海輿地(よち)全図」(「伊能図」)を完成したのです。
緯度の最大誤差でも1/1000だそうです。
この、「伊能図」は一般市民は使いませんでした。幕府が極秘としたのです。
一般には長久保赤水の作った地図が使われました。
伊能図が真価を発揮したのは、明治になってからです。
伊能図が我が国の地図の近代化に果たした役割はきわめて大きいといえます。
極秘の「伊能図」が、シーボルト事件を引き起こします。
幕府の天文方、高橋景保がシーボルトから洋書を譲り受けたお礼に「伊能図」の写しなどを渡したのです。
1828年景保は逮捕され翌年獄死、シーボルトは国外退去処分になります。
「伊能図」はシーボルト事件の後(1840年)にヨーロッパで出版され、高度な地図の技術水準が外国でも評価されました。
(シーボルトの項の蛇足参照)
これは メッセージ 9630 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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