>>引き続き検証
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/28 13:10 投稿番号: [9603 / 18519]
>私は竹島・松島に限って申し上げて来ました。測量データがあるところは仰るとおりでしょう。しかし、竹島・松島について言えば「大日本沿海略図」ほか、他の地図(西洋人の地図も含みます)の影響も受けていると思いますよ。
随分と曖昧なことを仰るのですね。
「西洋人の地図」を特定して下さいな。
内務省地理局は陸地測量部を経て現在の国土地理院ですが、その国土地理院が保有する19世紀以前の「西洋人の地図」には愚生の知る限り次のようなものがあります。
1.『アジア図』(1635年頃、ブラウ)
2.『世界図』(1730年頃、ゾイッター)
3.『韃靼図』(1676年頃、ド・ウィット)
4.『世界地図帳』(1683年頃、サンソン)
5.『韃靼図』(1595年頃、オルテリウス)
6.『日本図』(1606年頃、メルカトール・ホンディウス)
7.『日本六十六州図』(1658年頃、レランド、オッテンス)
8.『アジア図』(1602年、メルカトール・ホンディウス)
9.『世界図』(1792年、ド・リール)
10.『アジア図』(1716年頃、J.B.ホーマン)
>なお、島の形状についてのご指摘がありましたが、これは大日本国沿海略図よりも小さく描かれましたが、私は当局がさまざまな資料の総合的な判断によって大日本府県分割図を作成したと考えており、したがって、それが必ず大日本国沿海略図と一致しなければならないことはありません。
内務省地理局の発行した地図では、松島の形状は『大日本沿海略図』のように鬱陵島ではなく、獨島の形状が描かれました、更に『大日本沿海略図』に描かれたリエンコヲルトロツクも描かれませんでした。
家鴨と兎さんはどの様な「総合的判断」が行われたのかについての裏付けを一切お示しになりませんが、その判断から『大日本沿海略図』は除外されているように見えますね。
したがって、それが必ず大日本国沿海略図と一致しなくて当然なわけです。
>確かなことは「略図」が島根県の提出資料だけで作成されたものでなく、また、その位置関係は大日本国沿海略図と同じく、アルゴノートとダジュレーにまったくもって一致するということです。
何を以て「確かなこと」なのか全く不明ですが、家鴨と兎さんが「確かなこと」と断定するだけで曖昧な事柄が確かな事柄に変貌するわけではありません。
位置関係については、隠岐島との距離が大日本国沿海略図と全く一致しないことが実証されたはずです。
>おそらく、明治10年に太政官判断で下された「外一島」も、ほかでもなくアルゴノートとダジュレーの地理的認識であり、それが明治13年の天城の調査による鬱陵島=松島への確定に結びついたのでしょう。
実証的に検証されていない仮説に、曖昧な思いこみを加え、それを太政官の判断にまで適用するわけですか。
なるほどね。
随分と曖昧なことを仰るのですね。
「西洋人の地図」を特定して下さいな。
内務省地理局は陸地測量部を経て現在の国土地理院ですが、その国土地理院が保有する19世紀以前の「西洋人の地図」には愚生の知る限り次のようなものがあります。
1.『アジア図』(1635年頃、ブラウ)
2.『世界図』(1730年頃、ゾイッター)
3.『韃靼図』(1676年頃、ド・ウィット)
4.『世界地図帳』(1683年頃、サンソン)
5.『韃靼図』(1595年頃、オルテリウス)
6.『日本図』(1606年頃、メルカトール・ホンディウス)
7.『日本六十六州図』(1658年頃、レランド、オッテンス)
8.『アジア図』(1602年、メルカトール・ホンディウス)
9.『世界図』(1792年、ド・リール)
10.『アジア図』(1716年頃、J.B.ホーマン)
>なお、島の形状についてのご指摘がありましたが、これは大日本国沿海略図よりも小さく描かれましたが、私は当局がさまざまな資料の総合的な判断によって大日本府県分割図を作成したと考えており、したがって、それが必ず大日本国沿海略図と一致しなければならないことはありません。
内務省地理局の発行した地図では、松島の形状は『大日本沿海略図』のように鬱陵島ではなく、獨島の形状が描かれました、更に『大日本沿海略図』に描かれたリエンコヲルトロツクも描かれませんでした。
家鴨と兎さんはどの様な「総合的判断」が行われたのかについての裏付けを一切お示しになりませんが、その判断から『大日本沿海略図』は除外されているように見えますね。
したがって、それが必ず大日本国沿海略図と一致しなくて当然なわけです。
>確かなことは「略図」が島根県の提出資料だけで作成されたものでなく、また、その位置関係は大日本国沿海略図と同じく、アルゴノートとダジュレーにまったくもって一致するということです。
何を以て「確かなこと」なのか全く不明ですが、家鴨と兎さんが「確かなこと」と断定するだけで曖昧な事柄が確かな事柄に変貌するわけではありません。
位置関係については、隠岐島との距離が大日本国沿海略図と全く一致しないことが実証されたはずです。
>おそらく、明治10年に太政官判断で下された「外一島」も、ほかでもなくアルゴノートとダジュレーの地理的認識であり、それが明治13年の天城の調査による鬱陵島=松島への確定に結びついたのでしょう。
実証的に検証されていない仮説に、曖昧な思いこみを加え、それを太政官の判断にまで適用するわけですか。
なるほどね。
これは メッセージ 9594 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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