竹島

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Re: ahirutousagi2さん こんにちは

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/18 16:30 投稿番号: [17920 / 18519]
>提示されたのは「小谷伊兵衛差出候竹嶋之書附」です。

題名は普通に報告書に出ていますから、存じ上げています。鳥取藩でも別にいいのではないでしょうか。ここで確認しておいたことは何より幕府の文書ではないということです。

>絵図には竹嶋と松嶋が描かれています。

私の見方は何も変わりません。さきに書いたように幕府が尋ねたであろうと思われる内容は、中心が「松嶋・竹嶋の位置関係について理解しているところを知らせよ」にあり、「松嶋はどこ(藩)の所属であり、どのようなことがなされている島か」ということが同時に尋ねられた、という「推測」です。

なお、絵図には竹嶋・松嶋だけが記されているのではありません。全体図をよくご覧下さい。隠岐国まで描かれています。地図は、隠岐、松嶋、竹嶋、その全体の位置関係を示したものと考えるべきでしょう。

また、書附の別紙の記述の中心はあくまで「松嶋」に集中しています。これは幕府が竹嶋と松嶋の存在がそれぞれに具体的にどういうものであるかを理解する材料となったことでしょう。その上で「竹嶋渡海禁制」の処置があったのです。

竹嶋と松嶋そして隠岐の関係を鳥取藩から聞き取った上で、老中は「竹嶋渡海禁制」とした。これに松嶋を加える理由は何もありません。

ワンセットだというのは、ご都合的な解釈でしょう。百歩譲って、鳥取藩がこの二島を一組のように考えていたとしても、結論として出たのは、把握可能な情報を取り入れた上での、老中の「竹嶋渡海禁制」だったことに、何の変更のしようもないものと思われます。

少なくともこのあたりの文書に関して言えば「幕府による委棄の証拠として十分」なものは何もないと考えます。

ahirutousagi2さん こんにちは

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/18 13:22 投稿番号: [17919 / 18519]
>とても充分には思えないのですが。(私の考えは無主地ですが)委棄とまでは言えないように思います。また、これは鳥取藩の文書。文章を引用してみます。

>別紙(便宜上、頭に番号をつけます)
(一)一、松嶋江伯耆国より海路百弐拾里程御座候
(二)一、松嶋より朝鮮江は八、九拾里程も御座候様及承候事
(三)一、松嶋は何れ之国江附候嶋ニても無御座候由承候事
(四)一、松嶋江漁参候偽、竹嶋江渡海之節道筋ニて御座候故立寄漁仕候。他領より漁参候偽は不承候事。尤出雲国・隠岐国之者は米子之者と同船ニて
参候事

>さて、注目したいのはニと四です。文章の流れとして委棄という言葉はあたらないことでしょう。まぁ、幕府の判断というわけではないですが。


提示されたのは「小谷伊兵衛差出候竹嶋之書附」です。小谷伊兵衛は先に提示した絵図を添えたと考えられています。これも個人的な想像だと言われるのかもしれませんが、それ以外に小谷伊兵衛が竹嶋絵図を幕府に差し出す理理由がありません。

絵図には竹嶋と松嶋が描かれています。竹嶋も松嶋も知らない幕府に対して、竹嶋の説明をするにあたって松嶋を記述したのと同様、松嶋を説明をするにあたっては竹嶋も不可欠だったということですね。

「松嶋江漁参候偽、竹嶋江渡海之節道筋ニて御座候故立寄漁仕候」

「松嶋へ漁に出かけるのは   竹嶋へ渡海する途中にあるから立ち寄り漁をします。」

隠岐島から竹嶋(鬱陵島)へ直接行くと3日間の航海です。途中にある松島までは2日間です。   竹嶋はもちろん松嶋まで行くのも17世紀の航海技術では簡単なことではありません。   竹嶋へ渡海の目的で出向した船が途中の松嶋で休息を取ることは当然ですね。   松嶋は竹嶋渡海の時にだけ立ち寄る嶋だと鳥取藩は幕府へ報告しています。

そして添付の地図にも竹嶋と松嶋の関係を明確に示しています。

鳥取藩提出の資料を見る限り竹嶋と松嶋は二島でワンセットであり、鳥取藩が松嶋を単独で考慮しているとは考えられません。

鳥取藩(米子之者)と出雲国・隠岐国之者にとって、松嶋は竹嶋へ行く為に立ち寄る嶋であり、その他の藩からは松嶋へ行っていないということなので竹嶋への渡海を禁ずることで当然松嶋への渡海機会も消滅することは   17世紀の航海技術(リスク)を考慮すれば容易に考えられることです。


そういうわけで幕府による委棄の証拠として十分だと考えました。

Re: ahirutousagi2さん こんにちは

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/18 12:54 投稿番号: [17918 / 18519]
私は簡単なことを申し上げていて、事実としての文書に関連して、その間にある流れを「限定的に規定」して「想像」しまうべきではない、ということです。

もしも、そのように推測されるなら、推測される、と書けばよいことだと思います。それだけのことを申し上げています。

No.17912に私は流れを書きました。(やや訂正しました)

1.1695年12月24日   老中が鳥取藩に「竹嶋はいつから因幡・伯耆に?」と質問。
2.1965年12月25日   鳥取藩から竹嶋・松嶋は自藩に附属しないと回答。
3.1696年1月25日   鳥取藩が幕府に「松嶋はいずれの藩(国)にも附属しない」と書付提出
4.1696年1月28日   老中より竹嶋渡海の禁制

上の1.2はもしかしたら日付に誤差があるかもしれません。報告書に若干の矛盾があるからです。また原文の日付が見えません。1〜2日の誤差かと思いますが。

ともあれ、この流れにおいて、2と3の間に何らかの幕府からの問い合わせがあった可能性は充分にあります。そう考えるのが自然でしょうし、可能性が高いでしょう。これは私は全く否定しません。ですから、「幕府から何らかの問い合わせがあったと推測される」と書けば済むことで、

>幕府は再び「松嶋とは?」と問い合わせをします。

は、「想像」ですね、と申し上げました。大した違いではありませんが、ときとして、大きな誤解にもなりえますので、このあたりは注意に越したことないと思います。

で、どういう推測が可能か。お示しの資料の39頁をご覧いただければ翻刻文が出ていますが、ここからうかがわれるのは、中心が「松嶋・竹嶋の位置関係についての理解しているところを知らせよ」にあり、あわせて「松嶋はどこ(藩)の所属であり、どのようなことがなされている島か」ということが同時に尋ねられていることがうかがえます。

前者に対しては藩としての覚書を提出し、後者については別紙で別途、松嶋の認識を記したものと思われます。そして、結局、老中は竹嶋渡海を禁制とする判断を下したわけでした。

個人的な文書評価としては、老中は松嶋を放棄したわけではない、という一つの傍証になる資料かと理解しています。松嶋の説明を受けた上で三日後に「竹嶋」のみの渡海禁制を出しているからです。

ただ、当時、幕府は松嶋に対する積極的な領土認識は薄く(全くないとは申し上げません)、そのあたりの曖昧さはこの時代においては特殊なことでもないのではないかという気もします。

さきにいくつか質問を申し上げました。とりわけお笑い外務省のパンフレットについて笑えるところをいろいろと教えていただければ幸いです。私も同意できない記述はありますが、概ね、批判本である内藤氏の本などを見るとパンフレットのほうがよほどまし、という印象が、個人的にはあります。

ahirutousagi2さん こんにちは

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/18 11:55 投稿番号: [17917 / 18519]
偏見を感じさせない穏やかな文章に敬意を表します。

>幕府の問い合わせというのは、結局、個人的な「想像」ということで理解してよさそうですね。

竹嶋について幕府が鳥取藩に竹嶋(鬱陵島)に関する問い合わせたのは元禄8年12月24日です。ここで幕府は竹嶋のことだけを問い合わせています。松嶋に関しては一切ふれていません。鳥取藩に対する7か条の質問の内容を見ると幕府が竹嶋の存在を把握していなかったのは明白ですし、当然、幕府は松嶋の存在さえも知らなかったのでしょう。7か条の質問状では松嶋に関する問い合わせは含まれていないので、小谷伊兵衛が提出した松嶋に関する書付を補足説明と考えるのは無理があります。

幕府がいつ「松嶋」という嶋の存在を知ったのかを考えると   それは元禄8年12月25日に提出された鳥取藩の回答書と考えるほかにはありません。小谷伊兵衛が幕府へ松嶋に関する詳細な情報を提供したのは鳥取藩が幕府の質問に対する回答書を提出してから1ヵ月後の元禄9年1月25日です。時間的な経過を考えても補足説明だと主張するには無理があります。

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/index.data/05_c.pdf#search='小谷伊兵衛'

これは小谷伊兵衛が幕府に提出したとされる絵図です。鳥取藩政資料には「小谷伊兵衛差出候竹嶋之書附」が収録されていて   それは松嶋渡海に関する幕府からの回答書だとされています。   幕府からの問い合わせがないのに小谷伊兵衛が松嶋に関する情報を幕府に提供することは常識的に考えられないのですが   それでも「幕府の問い合わせというのは、結局、個人的な「想像」ということで理解してよさそうですね」という見解であるなら、それがahirutousagi2さんの見解だけに残念です。

読売は謝罪・賠償汁!!(怒)

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2010/03/18 11:48 投稿番号: [17916 / 18519]
読売新聞独島報道めぐる賠償訴訟、ソウル地裁で攻防
3月18日11時16分配信 聯合ニュース

【ソウル17日聯合ニュース】市民ら1866人が日本の読売新聞を相手取り、同社が李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島(日本名:竹島)関連発言で虚偽の報道をしたとして損害賠償と訂正報道を求めた訴訟の、第1回口頭弁論が17日、ソウル中央地裁であった。
  原告側代理人を務めるイ・ジェミョン弁護士は、「大統領が報道のような発言をしたはずがなく、読売新聞が独島を紛争地域化する意図で行ったとみる」と述べた。また、読売に賠償責任が無いという結論が出たとしても、この報道が歴史的な資料になりかねないため、報道が虚偽だという事実は判決に明示してほしいと、地裁に要請した。さらに、「問題となった報道は領土侵攻行為と見なすことができ、国民の領土主権が侵害されたものだ」と主張した。

  読売側は地裁に提出した書類で、原告側が侵害されたと主張する「主権」は民法上の損害賠償請求権の根拠となり得ず、報道自体が大韓民国の領土に対する支配権と主権を排除するものではないため、損害が発生したという点に何の立証もないと反論した。また、朝日新聞も同じ趣旨の報道をした点は、読売の報道が取材活動に基づく客観的な事実の伝達だったことを間接的に証明すると述べた。

  この訴訟は、読売新聞が、2008年7月の日本・洞爺湖サミットの際に当時の福田康夫首相が李大統領に対し「(日本の中学校新学習指導要領解説書に)竹島を表記せざるを得ない」と告げ、李大統領が「今は困る。待ってほしい」と要請したと報じたことを受け、一部の市民が昨年8月に報道の訂正と4億ウォン余りの損害賠償を求めて起こしたもの。

  一方、青瓦台(大統領府)は、大統領がそうした発言をするはずがなく、日本外務省もこうした対話事実が無いと明らかにしたという事実照会結果を地裁に送ったとされる。

  また、金恩慧(キム・ウンヘ)報道官はこの日の定例会見で、読売の独島報道問題は終結した事案だと述べた。当時、読売新聞の報道に対し、韓国と日本の政府は報道が事実無根だとの立場をそれぞれ明らかにしたと説明。また、「独島問題は歴史問題であるだけでなく、われわれの領土と主権にかかわる事案なだけに、紛争の対象になり得ない」と強調した。

韓国のアワビ漁が始まる

投稿者: niponn201001001 投稿日時: 2010/03/18 06:44 投稿番号: [17915 / 18519]
  昨日テレビで放送していた。
  3月中旬でかなり寒くて海水の温度も低いはずである。海女の人が来ているウェットスーツがかなり厚いようなので、保温性が高く耐えられるのだと思う。日本では、乱獲を防ぐため厚いスーツを禁止している地方もあるようだ。
  江戸時代までは、ほぼ全裸で潜っていたようだ。7月、8月以外はかなり寒かったのではないかと思う。
  竹島付近でアワビ、サザエを採る場合、上陸しなかったのではないか。船から潜ってアワビを取り、そのまま帰って行ったのではないか。こういう岩礁に上陸するのは、意外と難しい。

Re: アヒル氏7 & たかじんvs田原

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/18 00:23 投稿番号: [17913 / 18519]
>紫色と緑色道路の間にある5文字(or 3文字+2文字なのでしょうか?)は何と発音し、漢字は何ですか?
トングミトーノル(tong-gu-mi-teo-neol)トングミトンネル。漢字不明。

>その直ぐ隣の赤色道路右の3文字は(同上)
トングミ(tong-gu-mi)漢字不明(想像では通亀尾なんだけど…)

>"観"の赤字4文字は(同上)
コブクバウィ(keo-buk-ba-wi)亀岩

>右斜め上3文字は(同上)
カムルゲ(kam-eul-gye)漢字不明

>赤色道路2文字は(同上)
カルリョン(kal-ryong)漢字不明

Re: h369jpさん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/18 00:03 投稿番号: [17912 / 18519]
字を打ち間違えました。

>(四)一、松嶋江漁参候儀、竹嶋江渡海之節道筋ニて御座候故立寄漁仕候。他領より漁参候儀は不承候事。尤出雲国・隠岐国之者は米子之者と同船ニて参候事

三ばかりが注目されますが、実は、ニ、三、四と流れを見ないと、この文書の意味は分からないし、そのあとの竹嶋渡海禁制の意味も分からなくなります。

松嶋の詳細を聞いたのが1月25日。老中による竹嶋渡海禁制はその三日後の28日。

順序で見てみましょう。(上から二つの日付は資料のミスプリがありそうですのでちょっと違いがあるかもしれません)

1695年12月24日   老中が鳥取藩に「竹嶋はいつから因幡・伯耆に?」と質問。
1965年12月25日   鳥取藩から竹嶋・松嶋は自藩に附属しないと回答。
1696年1月25日   鳥取藩が幕府に「松嶋はいずれの藩(国)にも附属しないと回答」
1696年1月28日   老中より竹嶋渡海の禁制

そこで、さきに引用した、1月25日の文章をもう一度読む。老中が松嶋を含めずに禁制にしたか、竹嶋と松嶋をともに禁制にしたのか、これは、普通によめば前者であることが分かるというわけです。

Re: h369jpさん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/17 23:40 投稿番号: [17911 / 18519]
念のため言っときますが、

>幕府の問い合わせというのは、結局、個人的な「想像」ということで理解してよさそうですね。

これは、幕府の問い合わせ「松嶋は?」という部分、後者のほうをさして言っている質問です。当然、分かるでしょうが。

h369jpさん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/17 23:34 投稿番号: [17910 / 18519]
質問ですが、

>ちなみに竹嶋以外にも鳥取藩に属する嶋はあるか?   という幕府の問い合わせに対し「竹嶋・松嶋その他両国(因幡・伯耆)に属する嶋はありません」と鳥取藩は回答し   それに対して幕府は再び「松嶋とは?」と問い合わせをします。

幕府の問い合わせというのは、結局、個人的な「想像」ということで理解してよさそうですね。まぁ、何これ、という質問はあってもおかしくないですからね。ともあれ、そういうことでしょうか。

>鳥取藩より松嶋に関する詳細な情報を得た幕府は   その後「竹嶋外一島はわが国の関知するところではない」という宣言につながります。

とのことですが、「竹嶋外一島はわが国の関知するところではない」というのはどの文書の言葉のことをさしているのでしょうか。まさか明治の話ではないだろうと思いますが、何のことでしょう。

次は、No.17909から。

>最初の質問の補足回答じゃないのか
分かってると思うけど   違うよね。

意味不明です。想像は自由ですが。

>幕府による委棄の証拠としては不十分
十分ですよ。

とても充分には思えないのですが。(私の考えは無主地ですが)委棄とまでは言えないように思います。また、これは鳥取藩の文書。文章を引用してみます。

別紙(便宜上、頭に番号をつけます)
(一)一、松嶋江伯耆国より海路百弐拾里程御座候
(二)一、松嶋より朝鮮江は八、九拾里程も御座候様及承候事
(三)一、松嶋は何れ之国江附候嶋ニても無御座候由承候事
(四)一、松嶋江漁参候偽、竹嶋江渡海之節道筋ニて御座候故立寄漁仕候。他領より漁参候偽は不承候事。尤出雲国・隠岐国之者は米子之者と同船ニて
参候事

さて、注目したいのはニと四です。文章の流れとして委棄という言葉はあたらないことでしょう。まぁ、幕府の判断というわけではないですが。

>「歴史的にも日本の領土だった」と勘違いしてるお笑い外務省パンフレットに日本の領土主張のいい加減さがよく表現されていますね。

どこがお笑いなのか「想像」なしでお話くださいませんか。私も必ずしも考えが外務省と一致するわけではないですが、お笑いと言うほどでもなければそこまで杜撰でもありませんよ。

批判書・内藤氏の著作のほうがむしろずっこけ本という印象です。

Re: 竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/17 22:11 投稿番号: [17909 / 18519]
>最初の質問の補足回答じゃないのか

分かってると思うけど   違うよね。

>幕府による委棄の証拠としては不十分

十分ですよ。

>朝鮮の権原取得にはならないからどっちでもいいけど

「歴史的にも日本の領土だった」と勘違いしてるお笑い外務省パンフレットに日本の領土主張のいい加減さがよく表現されていますね。

Re: 竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/17 21:20 投稿番号: [17908 / 18519]
最初の質問の補足回答じゃないのか。

幕府による委棄の証拠としては不十分且つ朝鮮の権原取得にはならないからどっちでもいいけど。

昔のアワビ漁

投稿者: niponn201001001 投稿日時: 2010/03/17 18:51 投稿番号: [17907 / 18519]
  潜水メガネがなく、素目で取っていたため、取るのが難しかったようである。
  明治になり、潜水メガネと潜水器が普及し、乱獲が始まった。

Re: 竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/16 21:30 投稿番号: [17906 / 18519]
>それ幕府からの問い合わせじゃないだろ。

もちろん。   幕府からの問い合わせ対する回答書です。

あなたは問い合わせがなくても   回答書は存在すると考えるの?

Re: 竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/16 21:20 投稿番号: [17905 / 18519]
それ幕府からの問い合わせじゃないだろ。
自分の書いた文書も忘れたか。

>それに対して幕府は再び「松嶋とは?」と問い合わせをします。

アヒル氏7 & たかじんvs田原

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/03/16 20:31 投稿番号: [17904 / 18519]
わたしはいつも思うのですが、TVタックルより"たかじん"の番組の方がかなり面白いですね。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。なるほど、過剰な自己規制は良くないということが理解できました。

さて、掲題の件ですが、アヒルさん、今日は少ないのでよろしくお願いします。


next, coming up
■文章起しリスト
『尖閣油田の開発と真相』(文章起し開始)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/
『尖閣列島の油田開発について』
『台湾総督府報告』
■鬱陵島詳細図(竹島史料の文章起しとタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/map/
■不明文字●解析タイアップ資料
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
※chaamieyさん、大変恐縮ですが、鬱陵島サイトにリンクしてある●の解析もお願いします。私一人だけですと、首が回りません(苦笑)。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-03-01.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-06-02.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-06-10.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-06-29.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-12-27.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1921-02-04.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1921-02-23.html


ahirutousagiさん案件
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka69/ulleungdo/15.jpg
上記で
紫色と緑色道路の間にある5文字(or 3文字+2文字なのでしょうか?)は何と発音し、漢字は何ですか?
その直ぐ隣の赤色道路右の3文字は(同上)
"観"の赤字4文字は(同上)
右斜め上3文字は(同上)
赤色道路2文字は(同上)


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「たかじん 田原総一朗」
http://www.youtube.com/watch?v=Jo_n8Djgru4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=7qKgPfXbB58&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=YGsxPyDyqVs&feature=related

Re: 竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/16 19:33 投稿番号: [17903 / 18519]
>「松嶋とは?」は松江藩への問い合わせのことか?

鳥取藩だよ。

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/index.data/05_b5.pdf#search='「松嶋は何れ之国'

元禄9年1月25日   江戸留守居小谷伊兵衛が幕府へ松嶋の帰属に関する書付を提出。その中で「松嶋は何れ之国江附候嶋二ても無御座候由承候事」と述べる。28日、老中戸田山城守より大谷・村川両家へ竹嶋渡海を禁ずる老中奉書を受取る。

Re: 竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/16 18:01 投稿番号: [17902 / 18519]
>免許を交付している幕府には竹嶋自体の情報がない状況ですので
>いったいどのような経緯で渡海免許なるものが交付されていたのか
村川等が渡海を鳥取藩を介して要請し、許可されたってこと以外にどのような経緯が必要なのか。

>それに対して幕府は再び「松嶋とは?」と問い合わせをします。
>「竹嶋外一島はわが国の関知するところではない」という宣言につながります。
何かいろいろ混ざってないか。「松嶋とは?」は松江藩への問い合わせのことか。「外一島」は明治の話。幕府は鳥取藩の回答にあった松嶋、竹嶋の2つの島の内、朝鮮との間で論争になっていた竹嶋(鬱稜島)のみを渡海禁止とした。国際法としては、委棄は明確な意思表示が必要である(東グリーンランドの判例)。ペドラブランカ島の判例では、「ペドラブランカ島の主権を争わない」とした手紙について、ペドラブランカ島から数マイルしか離れていない無人の岩であり経済価値も実効支配の証拠もなかったミドルロックには適用されないとされた。よって、竹嶋渡海禁止に90km離れた松嶋への渡海禁止を紡ぎ出すことはできない。
別に松嶋(竹島)も委棄したとしてやってもいいけど、朝鮮が主権の表示をしてないので無主地になるだけ。明治の外一島にも言えることだが、「日本領ではない(委棄含む)=韓国領」という間違った認識が韓国側論者を中心にある。前述のペドラブランカ島でもシンガポールは「主権を争わない」という相手からの手紙をもって権原を取得したわけではない。手紙後の実効支配をもってシンガポールは権原を取得した。まぁ、朝鮮には「実効支配の証拠」が全くないので、こういうレトリックによる印象操作をしなければならないんだろうけど、ICJでは通用しない。

Re: 竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/16 09:06 投稿番号: [17901 / 18519]
>「竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候」であるが、このあとに村川・大谷が渡海の奉書をもらったという文が続く。

これは江戸幕府より   竹島はいつから鳥取藩の領地だったのか?   竹嶋の他にも鳥取藩に属する島はあるのか?   という内容を含んだ7ヶ条の問い合わせの回答書の一文です。

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/index.data/05_b4.pdf#search='鳥取藩回答書'

鳥取藩より竹嶋(鬱陵島)の件に関する問い合わせを受けた幕府は   竹嶋(鬱陵島)に関する情報を持っていなかったようです。

この回答書には大谷・村川両家が鳥取藩主・松平新太郎を通じて竹嶋の渡海免許を幕府より拝したことが記載されているのですが   免許を交付している幕府には竹嶋自体の情報がない状況ですので   いったいどのような経緯で渡海免許なるものが交付されていたのか理解に苦しむところです。

ちなみに竹嶋以外にも鳥取藩に属する嶋はあるか?   という幕府の問い合わせに対し「竹嶋・松嶋その他両国(因幡・伯耆)に属する嶋はありません」と鳥取藩は回答し   それに対して幕府は再び「松嶋とは?」と問い合わせをします。鳥取藩より松嶋に関する詳細な情報を得た幕府は   その後「竹嶋外一島はわが国の関知するところではない」という宣言につながります。

昔の漁船

投稿者: niponn201001001 投稿日時: 2010/03/16 08:46 投稿番号: [17900 / 18519]
  ネットで検索したところでは、手漕ぎ船である。手漕ぎ船で大西洋横断を試みた人がいるが、1日50kmから60km進んでいる。ということは、ウツリョウ島からは2日かかる。沖の島からは3日間。往復では、漁をする時間を含めればそれぞれ5日間、7日間。
  アワビやサザエ取りで、ここまでして行くだろうか。かなりの重労働である。行くなら、日帰りができる範囲ではないだろうか。20kmから30km離れた島が限界ではないだろうか。
  帆船は、昔もあったが、これだったら手漕ぎよりかは、行くのは容易であったようである。

昔の漁船

投稿者: niponn201001001 投稿日時: 2010/03/16 04:50 投稿番号: [17899 / 18519]
  手漕ぎの船か帆船だったようである。手漕ぎの船で、竹島まで行くのは不可能に近い。
  帆船は、風に左右される面が強かったようである。風が弱いとあまり進まない。方向を定めるのが難しい。
  昔は、天気予報がなかったので、出漁するのはかなりの覚悟が要ったようである。
  竹島までは、最短距離で、日本からは160km近く、韓国は90kっm近くある。たぶん、ほとんど行かなかったのではないかと思う。竹島では、アワビ、サザエが取れるようだが、これらはウツリョウ島などでも取れる。

Re: 安龍福事件が権原に及ぼす影響

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/16 01:38 投稿番号: [17898 / 18519]
>欝陵島捜討官の朴錫昌等が作成した『欝陵島図形』のみをもって于山島は
>竹嶼であると結論をつけたがる
いえ。公的な地図、1807年5月12日の鬱稜島調査も含めて結論してます。国際法では名目的なものより実質的なものを優先します。それ故、2回の公的調査によって把握された于山島が竹嶼だったことは重要です。更に地図によってその地理認識が普及していきます。国際法では地図は主権表示の根拠にはなりませんが、地理の特定の証拠になります。詳しくはこちらを参照のこと。
http://takeshima.cafe.coocan.jp/wp/?page_id=21

>欝陵島捜討官 張漢相は 欝陵島の辰(東南東)方向三百余里(120km)に
>島があることを確認
私が唯一竹島のことだと認める朝鮮の記録です。さて、何を証明しなければならないのかお忘れですか?必要なのは「于山島が竹島である」ことの証明です。張漢相は「島」としか報告してません。更には遠望しただけで領有の意思も示していません。「竹島を見た」だけであり、それが于山島であるとも朝鮮領であるとも言ってません。そして彼が見た竹島が朝鮮では顧みられることなく歴史に埋もれてしまいました。なお、張漢相は竹嶼も報告してますが、これも于山島とはしてません。実際の調査をして鬱稜島の西にある大きな島である于山島が不在の島であり一島説を確信したのではないでしょうか。

竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/15 23:40 投稿番号: [17897 / 18519]
「竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候」であるが、このあとに村川・大谷が渡海の奉書をもらったという文が続く。まず、江戸時代の領地の仕組みを整理すると、各藩主は幕府から領地朱印状や領地判物を与えられその領地を統治していた。鳥取藩のような10万石以上の大名は、将軍の花押付きの領知判物が交付されている。領地判物には村名や石高が書かれた目録が付属していた。1664年になると一端、領地朱印状や領地判物が幕府に返納され、家綱の名義の地朱印状や領地判物が交付され、以降将軍が変わることに新しい将軍名義の領地朱印状や領地判物が交付されるようになった。
竹嶋渡海免許は領地判物とは形式も文面の内容も異なっており、池田新太郎光政を通じて村川と大谷に渡海を許可するということしか書かれていない。将軍から所領を安堵されていない竹嶋について鳥取藩が自藩領と回答することは最初からありえず、村川・大谷への奉書のことをありのままに続けて書いたことになる。鳥取藩としては直領若しくは直領だった隠岐の島だと判断していたと考えると背景との整合もとれるのではなかろうか。

Re: 開発と真相 & 私が国を裏切りました

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/15 22:45 投稿番号: [17896 / 18519]
>紫色と緑色道路の間にある4文字は何と発音し、漢字は何ですか?
クアムトーノル(ku-am-teo-neol)クアムトンネル(クアムの漢字は不明:アムは多分「岩」でしょうが、クは「亀」あたりかな…。まぁ、不明です)

>その直ぐ下の4文字は(同上)
ナムソトーノル(nam-seo-teo-neol)南西トンネル

>斜め左下の3文字(同上)
ナミャンハン(nam-yang-hang) 南陽港

>獅子岩は何と発音しますか?
サジャアム(sa-ja-am)

>獅子岩の右真横にある2文字は何と発音し、漢字は何ですか?
ナミャン(nam-yang)南陽

>その直ぐ右の4文字は(同上)
ナミャントーノル(nam-yang-teo-neol)南陽トンネル

>更にその直ぐ右の4文字は(同上)
ナムトントーノル(nam-tong-teo-neol)南通トンネル(かな?)

>通口味川は何と発音しますか?
トングミチョン(tong-gu-mi-cheon)

>その右側、赤色道路の近くの5文字は何と発音し、漢字は何ですか?
アレットングミ(aret-tong-gu-mi)下通口味

>茶色3文字は(同上)
カルリョンジェ(kal-ryeong-jae)カルリョン峠(カルリョンは漢字不明)

>まんじの3文字は(同上)
クムガンウォン(keum-gang-won)金剛院

>赤色道路に挟まれた2文字は(同上)
チュンニョン(chung-nyeong)漢字不明

>まんじの真東にある2文字は(同上)
シルリ(sir-li)漢字不明

>海に浮かぶ島の4文字は(同上)
スレバウィ(su-roe-ba-wi)スレ岩(スレは漢字を知りません:水瀬あたりかな?)

漢字がいろいろ分からない所がありますが、web竹島研究会の最終報告書のレポートで地名(漢字表記)が大体分かると思いますよ。私は地図を持っていないし、細かい地名を調べる辞書などもありませんので、あのレポートあたりをご参照なさるのがいいと思います。

Re: 開発と真相 & 私が国を裏切りました

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/03/15 22:44 投稿番号: [17895 / 18519]
イムは韓国よりもヤクルトがいいらしい

何れも優れたサイト

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/03/15 22:32 投稿番号: [17894 / 18519]
isamu832423様

下記サイトの紹介を有難うございます。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Ullundo/HeiwajouyakuTakeshima.htm

私も2006年9月に、鬱陵島から竹島がどのように見えるかに関して、このサイトを紹介したことがあります(No.14896)。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Ullundo/Ullun.htm

韓国よりのバイアスがかかっていますが、日本よりのバイアスがかかったhenchin_pokoider01さんのサイト同様、優れたものと思います。

私は、このサイトの内藤正中『竹島=独島問題入門』新幹社(2008)に関するコメントに全く同感です:「2008年2月、日本政府外務省は『竹島−竹島問題を理解するための10のポイント』と題するパンフレットを発行した。本書は、このパンフレットの内容を批判するものである。このパンフレット以前の外務省の説明は、伯耆藩などと存在しない藩の住民の証言を根拠とするなど、きわめてずさんなものだった。2008年2月にこれら誤った部分を修正し、大幅に加筆したパンフレットを発行したが、過去の外務大臣答弁の誤りを外務省発行パンフレットで訂正するわけにも行かず、中途半端で我田引水的説明に終始している。内藤の本は、このような外務省説明を批判したものである。外務省説明は、ずさんで読むに値しないものであるので、その批判書である本書も、内容が充実しているとは言いがたく、外務省説明に興味が無ければ、特に読む必要はないものと感じる。」

鬱陵島から竹島がどのように見えるかに関しては、優れたサイトである「Web竹島問題研究所」に杉原隆氏が、鬱陵島居住者の次のような証言を紹介しています(杉原通信第22回):明治時代の終わりの頃の3歳の時から島で育って、終戦で引き揚げたというMさんは、(中略)外務省の担当者に鬱陵島等での生活の思い出を語った一人ですが、「小学校時代、自分達は鬱陵島のことを竹島と呼んでいたが、海図には松島となっていることを知っていた。現在の竹島はリャンコ島と呼んでいた」(中略)「鬱陵島からリャンコ島は良く見える。高い山に上らなくても小高い所からよく見えた。天気のよい曇らぬ日にははっきり見えた。三角形が二つ見えた」。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/sugi/take_04g22.html

外務省の担当者とは、古典的名著『竹島の歴史地理学的研究』(古今書院, 1966)を著した川上健三氏が関っていたのではないかと思います。しかし、上記著書には「鬱陵島からリャンコ島は良く見える」などとは一切書いてありません。バイアスをかけたのでしょう。

私の投稿もバイアスがかかっています。失礼をお許しください。

Re: 安龍福事件が権原に及ぼす影響

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/03/15 21:53 投稿番号: [17893 / 18519]
>欝陵島捜討官 張漢相は 欝陵島の辰(東南東)方向三百余里(120km)に島があることを確認して『蔚陵島事蹟』に記録しています。

張漢相が『蔚陵島事蹟』に鬱陵島の南東に島影を認めたと記しているのは事実です。がしかし、朝鮮王朝はこの報告を無視していますね。つまりこの島を自国領と認識していなかったのではありませんか?

開発と真相 & 私が国を裏切りました

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/03/15 19:54 投稿番号: [17892 / 18519]
いよいよ今週末からプロ野球が開幕します。ちょうど去年の今頃はWBCで日本中が盛り上がっていた頃でしたね。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。WBC 日韓戦タブー 「私が国を裏切りました」をご覧下さい。衝撃の真実がいま明かされます。


さて、掲題の件ですが、『尖閣油田の開発と真相』の文章起しを開始しました。


next, coming up
■文章起しリスト
『尖閣油田の開発と真相』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/
(文章起し開始)
『尖閣列島の油田開発について』
『台湾総督府報告』
■鬱陵島詳細図(竹島史料の文章起しとタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/map/
■不明文字●解析タイアップ資料
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
※chaamieyさん、大変恐縮ですが、鬱陵島サイトにリンクしてある●の解析もお願いします。私一人だけですと、首が回りません(苦笑)。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-03-01.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-06-02.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-06-10.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-06-29.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-12-27.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1921-02-04.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1921-02-23.html


ahirutousagiさん案件
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka69/ulleungdo/14.jpg
上記で
紫色と緑色道路の間にある4文字は何と発音し、漢字は何ですか?
その直ぐ下の4文字は(同上)
斜め左下の3文字(同上)
獅子岩は何と発音しますか?
獅子岩の右真横にある2文字は何と発音し、漢字は何ですか?
その直ぐ右の4文字は(同上)
更にその直ぐ右の4文字は(同上)
通口味川は何と発音しますか?
その右側、赤色道路の近くの5文字は何と発音し、漢字は何ですか?
茶色3文字は(同上)
まんじの3文字は(同上)
赤色道路に挟まれた2文字は(同上)
まんじの真東にある2文字は(同上)
海に浮かぶ島の4文字は(同上)


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
WBC日韓戦タブー 「私が国を裏切りました」
http://www.youtube.com/watch?v=VdgZA1-xTS8
http://www.youtube.com/watch?v=NUnb1KEP1Hc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=TrdJQ0nUi-w&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Q7je40FKf4o&feature=related

Re: 元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚と池内

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/15 10:15 投稿番号: [17891 / 18519]
情報を有難う御座います。私はこの文書は、あくまで安の地理認識がそれなりに合理的だったということ以上には何の判断もつけていません。あとはその他の資料との整合性や、幕府・朝廷のありようから、総合的にこの事案を見るべきかと思っています。

安が竹島を地理的に理解していた。地図も見せた。だから朝鮮領だ、というつもりはありません。ただ、これは紆余曲折を経ながら『東国文献備考』へどうつながるか、というところも興味深い所で、いろいろ調べてみると面白そうです。私自身の今後の課題です。

ただ言えるのは、この文書について『竹嶋紀事』を根拠に下條氏は竹嶼説を展開していらっしゃいますが、これはいただけないと思います。

Re: 安龍福事件が権原に及ぼす影響

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/15 10:08 投稿番号: [17890 / 18519]
一応、付け加えておきますが、

>他の文献なども考慮して考えると欝陵島捜討官の朴錫昌の于山島=竹嶼説が朝鮮政府の考えと一致しているとは言えませんよ。

于山島=竹嶼という認識は朝鮮王朝にはなかったと思います。何か分からないというのが現実でしょう。だから探索使を出すわけで。また、高宗もわかっていなかったわけで。

Re: 安龍福事件が権原に及ぼす影響

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/15 10:05 投稿番号: [17889 / 18519]
>しかしながら欝陵島捜討官の中には独島を正しく認識していた官吏もいたのも事実です。

資料で説得力がありそうなのでは、唯一の人じゃないでしょうか。ほかの人の探索は私が知る限りでは極めて曖昧であったり、間違っていたりという感じでしょうか。

>他の文献なども考慮して考えると欝陵島捜討官の朴錫昌の于山島=竹嶼説が朝鮮政府の考えと一致しているとは言えませんよ。

基本的に、于山島の存在をまともに把握していなかったのが、最後まで朝廷の実際だったと私は結論を出しています。個人的には、ですが。

Re: 安龍福事件が権原に及ぼす影響

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/15 09:47 投稿番号: [17888 / 18519]
>朝鮮政府の把握する実体としての于山島は竹嶼だった(巡視報告あり)。

独島が日本領であると主張する方々の多くが   欝陵島捜討官の朴錫昌等が作成した『欝陵島図形』のみをもって于山島は竹嶼であると結論をつけたがるように感じます。

たしかにその地図では欝陵島の東に小島が描かれ 「海長竹田 所謂于山島」と文字が記入されていますので朴錫昌は于山島を竹嶼と思い込んでいたのでしょう。

しかしながら欝陵島捜討官の中には独島を正しく認識していた官吏もいたのも事実です。欝陵島捜討官 張漢相は 欝陵島の辰(東南東)方向三百余里(120km)に島があることを確認して『蔚陵島事蹟』に記録しています。

他の文献なども考慮して考えると欝陵島捜討官の朴錫昌の于山島=竹嶼説が朝鮮政府の考えと一致しているとは言えませんよ。

Re: 安龍福事件が権原に及ぼす影響

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/15 09:18 投稿番号: [17887 / 18519]
安龍福に望みをつなげたいのはわかるけど、安が日本でどのような主張をしていたとしてもこれがある限り、歴史としての事実の検討はできても法的な意味をもたすことはできないけど。
h ttp://takeshima.cafe.coocan.jp/wp/wp-content/gallery/jpn_1726_takeshimakiji_ahn/jpn_1726_takesimakiji_ahn_2.gif

Re: 安龍福事件が権原に及ぼす影響

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/15 09:07 投稿番号: [17886 / 18519]
>安龍福の証言している鬱陵島と子山島(于山島)が現在の鬱陵島と独島であることを疑う余地はありません。

おっしゃる通り、私人の安は子山島を日本の松嶋だと思っていた。それがどうしたの?朝鮮政府の把握する実体としての于山島は竹嶼だった(巡視報告あり)。政府と私人、机上の話と実地調査で把握された実体としての島。さて、優先されるはどちら?

Re: 不明瞭な文意は、韓国に有利に

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/15 09:02 投稿番号: [17885 / 18519]
>不明瞭な文意は、韓国に有利に日本に不利に解釈されねばならない。これは、公理である。

その公理とやらの存在を証明するのが先決。今のままだと青年の主張にしかならないね。

>幕藩体制において、山陰諸藩が領有意思を持たない島が日本領であることは在り得ない。
隠岐は直領ですがな。山陰諸藩が領有意思をもってたのかい。

>隠岐役人が「于山とは松島のこと」という調書を作成
安の認識を調書にとったってことで、それがどう権原に影響するの?

>17世紀に著された「余地誌」は、「于山島は朝鮮領であり、日本では松島と称している」と記している。

これ、安龍福後の加筆でしょ。朝鮮は、机上のものとしては松嶋を于山島と認識してた。しかし、朝鮮政府が「実体」として認識していいた于山島は竹嶼である。朝鮮の地理認識としてどちらを優先するかと言えば、実体としての認識。

>文言解釈のみに拠るのは信義則違背
文言解釈によらず、両国において全く意図されていないものを創作するほうが信義則違背だと思うが。

わざとやってるの?

Re: 安龍福事件が権原に及ぼす影響

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/15 08:54 投稿番号: [17884 / 18519]
>「鬱陵嶋 と申す嶋」「子山と申す嶋」の2島がどういう大きさや位置で記載されていたかは確認のしようがありません。

位置に関しては   調書に記載されています。

五月十五日竹嶋出船同日松嶋江
着同十六日松嶋ヲ出十八日之朝
隠岐嶋之内西村之礒ヘ着

鬱陵島(竹嶋)から隠岐島へは独島(松嶋)を経由して来たことが記載されています。

竹嶋と朝鮮之間三十里竹
嶋と松嶋之間五十里在之由申候

実際の距離とは違いますが、当時の測量技術では正確な距離を測定するのは無理ですし、安龍福にすれば日本の役人に対して鬱陵島及び独島が少しでも朝鮮半島近くにあるとの印象を持たせたかったのでしょう。

これらを見る限り安龍福の証言している鬱陵島と子山島(于山島)が現在の鬱陵島と独島であることを疑う余地はありません。

Re: 朝鮮領だったと明確に示す資料

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/15 08:49 投稿番号: [17883 / 18519]
松嶋ハ右同道之内子山と申嶋御座候、是ヲ松嶋と申由、是も八道之図二記申候

一松嶋は右同じ道の内 子山と申す嶋 御座候 是を松嶋と申す由

なので、「日本の役人が八道総図に子山が記載されていることを確認し、安が是(子山)を松嶋と言っている」としたとしか思えないが。「日本の役人が八道総図に独島が記載されていることを確認した」とは、どこを解釈したのか?

不明瞭な文意は、韓国に有利に

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/03/15 08:49 投稿番号: [17882 / 18519]
  不明瞭な文意は、韓国に有利に日本に不利に解釈されねばならない。これは、公理である。この公理に則れば、SF条約に竹島の文言がないからといって、日本の放棄領土に竹島が含まれないと解釈してはならない。又、明治政府が版図外とした外一島が独島であると明瞭でなくとも、明治政府が独島の朝鮮領を認めたと解釈されねばならない。更に、元禄の竹島一件で渡海禁止にした島に、独島の表記が無いからといって、独島への渡海が禁止されていないと解釈してはならない。
  この公理は、ある特定の人々には理解することができない模様である。これは、残念なことであるが、この公理のみに頼る「独島領地の説」では、未来志向の日韓関係において不適切であると考えられる。そこで、この公理を理解できない者に対しても理解できるように、以下の説明を加えることにする。但し、今回は元禄竹島一件に限ることにする。

  徳川幕府官僚の阿部家は、村川家に対する文書において独島を「竹島の内の松島」と表現しているように、竹島と松島を一体のもの、松島は竹島の属島と考えていた。
  徳川幕府老中は、鳥取藩から「竹島松島其外両国に付属の島はない」との回答を得ていた。幕藩体制において、山陰諸藩が領有意思を持たない島が日本領であることは在り得ない。
  徳川幕府は、「鬱陵于山両島監税」と称する安龍福の書簡を受取っていた。隠岐役人が「于山とは松島のこと」という調書を作成しているのであるから、徳川幕府は独島の領有権をも併せて求められているとの認識を有していたのである。

  朝鮮の世宗実録地理誌は、「于山島と鬱陵島は離れてなく、お互いに眺め見ることができる」と表現し、于山島が鬱陵島の属島である認識を示している。
  17世紀に著された「余地誌」は、「于山島は朝鮮領であり、日本では松島と称している」と記している。この事実は、17世紀末には一般化され、下級官員である安龍福ですら承知していたと認められる。

  元禄竹島一件の決着は、その交換された文書に松島(=独島=于山島)の文言の有無を探すのみで判断するのは適当でない。双方の持っていた認識と信義則に拠らねばならないのであるから、文言解釈のみに拠るのは信義則違背に相当する。

地図は領域権原の根拠にならないです。

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/15 08:08 投稿番号: [17881 / 18519]
>一松嶋は右同じ道の内 子山と申す嶋 御座候 是を松嶋と申す由

これは安の認識・解釈にすぎませんからね。該当地図がないとなるとマンキエ・エクレオの判例にあるように重要証拠がないとして無視される可能性もありますし、そもそも地図は島の同定には使えますが領域主権の根拠には基本的にはできないです。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/2355/1/A03890546-00-074030001.pdf

Re: 安龍福事件が権原に及ぼす影響

投稿者: tyd_freedom 投稿日時: 2010/03/15 07:33 投稿番号: [17880 / 18519]
h369jpさんが提示した文書は当時の朝鮮が竹島(松島)を領有していた根拠として「竹島、松島が江原道に属する朝鮮領であることが明記された地図がある」ということを言いたかったのではないかと思います。
地図そのものは提示できないけれど、当時の役人が記録した文書の中にそういう地図の存在が確認できると。
-------------------------------------------------------------- -
安龍福申し候は竹嶋を竹ノ嶋と 申し、朝鮮国江原道東莱
府の内に鬱陵嶋 と申す嶋   御座候 是を竹ノ嶋と申す由申し候
一松嶋は右同じ道の内 子山と申す嶋 御座候 是を松嶋と申す由
-------------------------------------------------------------- -
日本の竹島、松島が記載されていると安が言うところの地図が存在したと。
その地図そのものが確認できないので、「鬱陵嶋 と申す嶋」「子山と申す嶋」の2島がどういう大きさや位置で記載されていたかは確認のしようがありません。
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