竹島

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Re: 延宝7年江戸御進上覚帳

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/21 09:24 投稿番号: [17961 / 18519]
そっか1664年は将軍御目見得はないのか。こりゃ失礼。

それでは聞こうか。
現代の価値観や法を遡及するなんてことはしてないと思うから、江戸時代において「公方」と「老中」宛のこれくらいの付け届けが賄賂とされた事例を提示してもらおうか。

なお、国際法も時際法です。

Re: 延宝7年江戸御進上覚帳

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/21 08:27 投稿番号: [17960 / 18519]
>御目見得がいつから私的なものになったんだい?

1664年に大谷家が将軍に御目見した資料の提示をお願いします。

頑張って日本の権原を否定しても

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 16:20 投稿番号: [17959 / 18519]
「朝鮮、大韓帝国が竹島の実効支配をしたことはない」状況では、国際法において立場を逆転させるのは無理だと思うよ。
だから、日本の実効支配にイチャモンつけることに没頭するんだろうけど、イチャモンにしても判例を援用する等、もう少し客観的な論理を適用してもらわないとな。
まぁイチャモンが成立して日本の権原不成立でも外一島で竹島を委棄したとしても韓国の権原の証明とはならないので意味ないんだけどね。

欝稜島からは竹島が見える

投稿者: niponn201001001 投稿日時: 2010/03/20 14:32 投稿番号: [17958 / 18519]
  私の県の対馬から韓国は見える。教科書にも載っている。秋から冬だ。屈折率の関係で、この時期が見えやすいそうだ。

Re: 竹島には上陸しない しかし、どの程度

投稿者: dai6bundanin 投稿日時: 2010/03/20 14:07 投稿番号: [17957 / 18519]
>しかし、どの程度竹島を利用したかの詳細は分からない。
>ほとんど使わなかったかもしれないじゃない。
>周辺の海を使うのがほとんどであったかもしれない。
これは、niponn201001001さんの想像ですね。
まず漁師は島があれば利用しますよ。
船を浮かべて置くより、係船するほうが便利です。アワビ等の貝類を採取する場合は特にです。
係船する為には上陸しなければなりません。それから食事も船上より陸上の方がやり易いので当然上陸した可能性が高いです。

渡海禁止後の竹島の日本の活動停止

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 13:47 投稿番号: [17956 / 18519]
竹島に関して、村川等が公的(将軍の権威)な権利を元に独占的に漁をし、他国からはこれらに類する主権の表示はされなかった。これにより日本の竹島の先占若しくは原始的権原の取得がなされたという私の主張に有効な反論はなかったと思う。また、松嶋の委棄を証明するものはなく、ペドラブランカ島のミドルロックと同様に権原が維持されたことに対しても客観的な根拠をもった反論はなかった。
後問題となるのは、竹嶋渡海禁止後に松嶋への渡海もなくなったことをどう評価するかである。東グリーンランドの判例において二世紀にわたる実効支配の断絶及び知識の低下があったのであるが「委棄の明確な表明がない+他国の主権主張がない」ことから権原は維持されたものとされており、同様に実効支配の中断をもって松嶋(竹島)の委棄が成立したとは言えないであろう。

Re: 竹島には上陸しない

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 12:55 投稿番号: [17955 / 18519]
国際法はそこまで要求してないから別にかまわん。
ペドラブランカ島の海域を航行していた船の抗議でも原始的権原の証拠とされた。

It is the view of the Court that this incident is a clear indication of the Sultan of Johor’s position that the seizure of the junks in the waters in question was an infringement of his right as sovereign in the area concerned.

Re: 延宝7年江戸御進上覚帳

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 12:50 投稿番号: [17954 / 18519]
御目見得がいつから私的なものになったんだい?まさに、将軍の黙認が成立したことを証明してくれてますな。
君の論理でいけば朝鮮が中国王朝に行っていた朝貢や現代の税金も賄賂ということになる。

延宝7年江戸御進上覚帳

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/20 12:42 投稿番号: [17953 / 18519]
>竹島での賄賂の事実を証明下さい。


「御進上串鮑ノ目録」

公家様江   五百入
酒井雅楽頭ら6名の老中   五百入
側用人・若年寄・寺社奉行4名   三百入
旗本・阿部四郎五郎様   七百入

だとさ。

Re: 竹島には上陸しない

投稿者: niponn201001001 投稿日時: 2010/03/20 12:23 投稿番号: [17952 / 18519]
しかし、どの程度竹島を利用したかの詳細は分からない。
ほとんど使わなかったかもしれないじゃない。
周辺の海を使うのがほとんどであったかもしれない。

Re: 竹島には上陸しない

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 12:10 投稿番号: [17951 / 18519]
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04c.data/8443-01.pdf

竹島には上陸しない

投稿者: niponn201001001 投稿日時: 2010/03/20 11:51 投稿番号: [17950 / 18519]
  いろんな島に20年以上住んでいたが。
  岩礁で、上陸が難しい。
  アワビ、サザエは、周囲の海で取っていたのであり、島を利用していたのではない。
  竹や木が生えていないので、島を利用していたとはいえないだろう。
  航海の目印ということと、周囲でアワビなどを取っていたということだけではないか。

Re: 竹嶋と松嶋の権原

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/20 09:00 投稿番号: [17949 / 18519]
まず、松島の認識。これは「竹島渡海由来記抜書控」では「その後、大猷院(家光)様御代、竹島海道にてまた松島と申す島を見出し、御注進申奉り候えば、竹島の通り支配側許し遊ばされ、右両島へ渡海仕り来り」(1643年)というものがあります。幕府からすでに許可があったことがうかがえます。

松島への渡海免許に準ずるものとして大谷家の記録があります。「厳有院(家綱)様御代、竹島之道筋廿町斗廻申候小島御座候、草木無岩島ニ而御座候、廿五年以前安倍四郎五郎様御取持を以拝領、即船渡海仕候、此小島に而も海鹿魚油少宛所務仕候」(大谷家文書「御巡検様の御宿致し竹島に就き御尋ねあり其の御請け書控え」)。

おまけに、亀山庄左衛門から大谷九右衛門あて書状に「来年より竹嶋之内松嶋へ貴様舟御渡之筈ニ御座候旨、先年四郎五郎御老中様へ得御内意申候、渡海之番年相定、市兵衛殿・貴様へ証文相渡し置候聞、村川殿とご相談候而、其証文次第ニ可被成候、市兵衛殿も貴様も其証文之通少しも御違背者有之間敷儀と存候、猶期後音之時候、恐惶謹言」とありますが、この「証文」というのも推測としては渡海免許に準ずるものと考えられそうです。

松島渡海免許など存在しないと大声を上げていた人がいたような記憶がうっすらとありますが、それに反して、状況証拠のようなものは、存在しないわけではありませんね。現物に準ずるもの(写しなど)が現存しないので、そこは問題でしょうが。

Re: 竹嶋と松嶋の権原

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 08:44 投稿番号: [17948 / 18519]
>阿倍四郎五郎様
旗本。

>政権安定期には賄賂が横行するもので   当時の江戸幕府も例外
竹島での賄賂の事実を証明下さい。
また、賄賂の有無が実効支配の中断事由になるとは聞いたことがありませんね。例えば、ブラウンリーは「黙認の欠如を示す何らかの行為、たとえば異議申し立てで十分であろう」としております。あくまで相手側の抗議により実効支配は法的に中断されるわけです。それで、朝鮮はどのような抗議活動若しくは主権主張をされたんですか?

>「来年より竹嶋の内松嶋へ貴船相渡す由…」って   そんな話らしいよ

「来年より竹嶋之内松嶋へ. 貴様舟御渡之筈ニ御座候旨、先年四郎五郎御老中様へ得御内意申候、渡海之番年相定、市兵衛殿・・・・・」

更には 巡見使への手紙。そして、黙認の成立。

一、厳有院様御代竹嶋之道筋ニ弐十町斗廻リ申\小嶋御座候   草木茂無御座岩ニ而御座候   廿四五年以前阿部四郎五郎様御取持を以拝領船渡海仕候   此小嶋ニ而茂みち之魚之油小宛所務仕候   右之小嶋江隠岐国 嶋後福浦より海上六十\里余茂御座候御事

Re: 竹嶋と松嶋の権原

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/20 08:23 投稿番号: [17947 / 18519]
おひおひ、阿倍四郎五郎様は幕府の何?

政権安定期には賄賂が横行するもので   当時の江戸幕府も例外ではありません。

現に大谷・村川両家は老中や奉行に鬱陵島で採取した物品を大量に上納しています。

「来年より竹嶋の内松嶋へ貴船相渡す由…」って   そんな話らしいよってことでしょ?


朝から笑わせてくれるね^^。

Re: 日本の実効支配を認めて頂きありがとう

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 08:16 投稿番号: [17946 / 18519]
17943の「竹嶋と松嶋の権原」の投稿を読んでください。

Re: 日本の実効支配を認めて頂きありがとう

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/20 08:14 投稿番号: [17945 / 18519]
へ〜。   鬱陵島は日本の実効支配が成立するんだ(^◇^)

じゃ、日本人にとって独島のみならず鬱陵島も日本の領土なわけ?


隣村の耕作を放棄した畑をみつけて、今は誰も耕作してない秘密の畑を発見した君が使っていいって自分の村の村長が許可すると   隣村の畑は君のものになるんだね。


常識的には   そういうのをドロボウっていうんだけど。

Re: 日本の実効支配を認めさせるため

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 08:10 投稿番号: [17944 / 18519]
判例のロジックに代入すれば、自動的に答えは導かれます。国際法が導く結論にご不満なのは承知しておりますが、文句は国際法に言ってください。

竹嶋と松嶋の権原

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 08:09 投稿番号: [17943 / 18519]
江戸時代の竹嶋(鬱稜島)の権原ですが、まず空島政策の前に高麗が取得していたのは間違いありません。その後、80年の平和的な実効支配によって権原が継承されたかどうか(取得時効)は、微妙なところです。竹嶋への漁の途中で朝鮮半島へ漂着した日本の漁師を朝鮮は送り返してきました。この行為が日本の実効支配の承認若しくは黙認とされる可能性もありそうです。
松嶋(竹島)についてはどうでしょうか。渡海免許はありませんが、亀山庄左衛門から大屋宛の手紙に「阿倍四郎五郎儀   去る三月十六日相果て候   在生の打ちに末弟権八郎を養子致し   親同前に御老中には御心懸けられ有難し   来年より竹島の内松島へ貴船相渡す由・・・」とあります 。また、巡見使への報告時にも咎めがありませんでした。これによって、黙認若しくは承認による先占が成立した可能性があります。また、ペドラブランカ島の判例において直接島の言及がなくても島を範囲に加えた活動を認める手紙によって原始的権原を認めており、少なくとも松嶋(竹島)の原始的権原は成立していると考えられますます。

日本の実効支配を認めさせるため

投稿者: hdgxe4aketzp60xe3u0dwac0hqzbeva 投稿日時: 2010/03/20 08:09 投稿番号: [17942 / 18519]
  投稿している馬鹿がいる。

Re: 日本の実効支配を認めて頂きありがとう

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 07:36 投稿番号: [17941 / 18519]
提示してあげた東グリーンランドの判例を読んでいただけましたか。
判例に示された論理に渡海事業を代入すれば、日本の実効支配が成立するという結論が導かれます。

Re: 日本の実効支配を認めて頂きありがとう

投稿者: hdgxe4aketzp60xe3u0dwac0hqzbeva 投稿日時: 2010/03/20 06:19 投稿番号: [17940 / 18519]
>ありがとう

最初から結論ありきで牽強付会の議論をしていることを、告白している言葉である。
何のため議論しているの、君は。

日本の実効支配を認めて頂きありがとう

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/20 01:23 投稿番号: [17939 / 18519]
>竹嶋への渡海免許は存在していたと思います。しかしその渡海免許は、米子の
>商人たちが鬱陵島での漁に同業者が参入することを防ぐことを目的としたもの
>です。
幕府の権威による独占的な開発権を得て、実際に独占的に開発した。村川らはその渡海許可に全く疑問を抱かず、幕府による独占的渡海権の付与を漁に必要不可欠なものと認識していた。また、その間に他国により競合する主権の主張もなされなかった。まさに、国際法における実効支配そのものです。


・That the King's claims amounted merely to pretensions is clear, for he had no permanent contact with the country, he was exercising no authority there. The claims, however, were not disputed. No other Power was putting forward any claim to territorial sovereignty in Greenland, and in the absence of any competing claim the King's pretensions to be the sovereign of Greenland subsisted.


・There remains the question whether during this period, i.e. 1814 to 1915, she exercised authority in the uncolonized area sufficiently to give her a valid claim to sovereignty therein. In their arguments, Counsel for Denmark have relied chiefly on the concession granted in 1863 to Tayler of exclusive rights on the East coast for trading, hunting, mining, etc. The result of all the documents connected with the grant of the concession is to show that, on the one side, it was granted upon the footing that the King of Denmark was in a position to grant a valid monopoly on the East coast and that his sovereign rights entitled him to do so, and, on the other, that the concessionnaires in England regarded the grant of a monopoly as essential to the success of their projects and had no doubt as to the validity of the rights conferred.

で、現実ですが

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/20 00:25 投稿番号: [17938 / 18519]
韓国側の正式見解を述べたパンフレットというのをよく知りませんので、ここでは、代表的な論者であるシンヨンハの著作から引用しましょう。『独島領有権についての日本主張批判』(ソウル大学出版部, pp.28-29)
*******************
ここで我々が注目すべきは安龍福の談判によって鬱陵島(日本名竹島)と于山島(独島、日本名松島)の「両島」を朝鮮之界と定めた書契を1693年に関白が伯耆州太守に書かせて与え、1696年に伯耆州太守も「両島」(鬱陵島と于山島=日本名竹島と松島)がすでに帰国に属した(両島既属璽国之後)と認めて、鬱陵島に侵犯した日本人を処刑した事実である。
*******************
引用するのは面倒なので、この程度にしておきます。この記述と、日本の外務省のパンフレットのどちらが「お笑い」だと思いますか。ここにはもちろん、注釈はありません。

外務省のパンフレットはポイントだけを押さえていますから舌足らずですが基本的なことはそれなりに根拠があることを示していますよ。私はむしろ別のところに疑問がありますが、それは書くのはやめておきましょう。

Re: ahirutousagi2さん こんばんは

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/19 23:34 投稿番号: [17937 / 18519]
>この鳥取藩の回答は大谷・村川たちがそう言ってるって話ですよね?

そうですよ。

>1618年説は竹嶋へ渡海していた本人たちの供述だけが根拠です。1618年説を立証するような資料は本人たちの供述以外にはありません。   そして竹嶋渡海免許には4名の老中の署名があり、その免許は1622年以降でしかあり得ません。

普通で考えれば、4人とも老中になったあとというのが推定されますが、ともあれ、幕府からの問いかけに対し、鳥取藩が大谷・村川の説明を根拠にその年代を述べ、記録として残されている、ということです。

記録をそのままに記す。そして、脚注で補う。何の不思議もありません。ポイントを押さえただけの資料ですから。何か変でしょうか。

たとえば、従軍慰安婦の主張をそのままに記す。一方で、注釈として「○○なる説もある」とすることは、そんなに変ですか?あるいは、安龍福が鳥取藩主から松島が朝鮮領であるとの書附を得たと証言し、それが粛宗実録に記録された。一方で、注釈として「これについては疑義が提出されている」と書くことはおかしいことでしょうか。

何もおかしいことではないのです。

>1618年説はあり得ない。

あり得ない可能性が高いとしても、注釈を記した上で、それを記すことに何の問題もありませんよ。一例としては、内藤氏の『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』もそういう書き方です。疑義を明確に示しつつ、1618年の記述そのものは排除していません。

あり得なくても資料としてそれがあるのであれば、一旦それを記す。脚注というものがある以上、何の問題もないのです。

ahirutousagi2さん こんばんは

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/19 23:03 投稿番号: [17936 / 18519]
ご回答   ありがとうございます。

>これは幕府に対する鳥取藩の回答で、その記録をまず第一義的に記し

この鳥取藩の回答は大谷・村川たちがそう言ってるって話ですよね?

鳥取藩に竹嶋渡海免許がいつ奉じられたかという記録があるわけではありません。もちろん幕府にも。

1618年説は竹嶋へ渡海していた本人たちの供述だけが根拠です。1618年説を立証するような資料は本人たちの供述以外にはありません。   そして竹嶋渡海免許には4名の老中の署名があり、その免許は1622年以降でしかあり得ません。

1618年に渡海免許を受けたのであればパンレットに掲載されている渡海免許は偽者だし、パンフレットに掲載されている渡海免許が本物なら1618年説はあり得ない。


にも関わらず   日本国外務省のパンフレットは…   大笑いですよね。

Re: ahirutousagi2さん こんにちは

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/19 22:35 投稿番号: [17935 / 18519]
結論から言えば、正しいです。これは幕府に対する鳥取藩の回答で、その記録をまず第一義的に記し、その上で、ちゃんと池内氏の唱える1925年説に言及しています。

この書類の年代は必ずしも結論は確定していません。ですから、一旦記録の年代を記した上で注釈をつけることは、とくに違和感のある行為ではありません。一定しない学説の中で、まず記録を重視したということ。

で、老中が二人就任していないことから、常識的に何らかのずれがあることは間違いないでしょう。その年代は正確には確定していません。議論の段階でしょう。だから脚注がついている。

それだけのことです。1618年が正しいかどうか。それは、別問題としてあらためて論じればいいだけのことです。少なくとも1622年以降というのが妥当なのでしょうが、記録+脚注という処理にさほどの違和感はありません。

より具体的な論議を書くべきだったとの見方もできるでしょう。しかし、このパンフレットはあくまで概略を示したポイントだけを押さえた資料に過ぎないということを念頭に置くべきかと思います。まぁ、私ならもう少し慎重な書き方をしますがね。ただ「間違い」と断言してよいかどうかに疑義があれば、記録+注釈は「あり」でしょう。

石島方言説のほうが笑えるのは相変わらずです。

h369jpさんへ

投稿者: dai6bundanin 投稿日時: 2010/03/19 20:15 投稿番号: [17934 / 18519]
横から失礼を致します。
h369jpさんは日本の領有根拠は可笑しいと仰って居られますが、少なくとも日本人が江戸時代から松嶋(現竹島=独島)で漁をしていたと言う実績が記録で残っています。
では韓国(李氏朝鮮)ではどうなのかを私は知りたいのです。
良く独島を昔は于山島と言って、人が住んでいた。と韓国の人は仰いますが、ご存知の様に、現代の様に文明が発達していれば、それも可能ですが、何百年も前だと絶対無理です。これは何処か別の島としか思えません。
そこで、この様な胡散臭いものでは無く、実際の独島(=竹島)で活動(漁ぐらいしか無いと思いますが)していたと言う記録があるのであれば、それはいつ頃の事かなどご教授頂けましたらありがたいのですが。

henchin_pokoider01さん

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/19 17:51 投稿番号: [17933 / 18519]
>渡海免許は存在しておらず大谷らの虚言と言いたいのか?それとも幕府が渡海免許を発給したことを忘れていたのを揶揄したいのか?どっち?

竹嶋への渡海免許は存在していたと思います。しかしその渡海免許は、米子の商人たちが鬱陵島での漁に同業者が参入することを防ぐことを目的としたものです。

鬱陵島へ漂着した米子の商人たちは   それが朝鮮領だなんて考えもしなかったことでしょう。   彼らにとって日本国内である鬱陵島へ行くことに幕府の許可なんて不要だったのです。   彼らが欲したのは   鬱陵島へ行く事を認められたのは自分たちだけだという独占権だったのです。

なので竹嶋の渡海免許は他の渡海免許と比べると異例尽くめなのです。


竹嶋の渡海免許はそれが日本領であることを幕府が認めたものではなく、幕府はどこにそれがあるのかわからないけれども   米子の商人が竹嶋で漁をすることを認めてくれと申し出たので   竹嶋なる島での漁を許可したまでだというものなのです。

だからこそ幕府は鳥取藩に対して   竹嶋はいつから鳥取藩の領地?   どこにあるの?   なんて質問をするんです。


そんな渡海免許を日本の領有権の確立の根拠にする日本外務省のパンフレットは大笑いです。

ahirutousagi2さん こんにちは

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/19 17:25 投稿番号: [17932 / 18519]
>署名している老中は3名ではなく、4名です。また、1618年時点で老中になっていないのは、先ほど申し上げましたが2名(井上、永井)ではないでしょうか。

仰る通りです。失礼しました。

日本国外務省のパンフレットには1618年に渡海免許を受けたとあります。それは間違いですか?   正しいのですか?

Re: ahirutousagi2さん

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/19 09:32 投稿番号: [17931 / 18519]
>つまり、竹嶋への渡海免許の件は   大谷・村川両家がそう言っている
>と鳥取藩は報告しているに過ぎません。

渡海免許は存在しておらず大谷らの虚言と言いたいのか?それとも幕府が渡海免許を発給したことを忘れていたのを揶揄したいのか?どっち?

Re: ahirutousagi2さん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/19 00:00 投稿番号: [17930 / 18519]
あと、間違っていますが、

>外務省パンフレットは堂々と渡海免許の写しを載せていますが   そこには3名の老中が連盟で署名されています。この3名は1618年にはまだそろって役職に就いていません。

署名している老中は3名ではなく、4名です。また、1618年時点で老中になっていないのは、先ほど申し上げましたが2名(井上、永井)ではないでしょうか。3名という資料をご教授お願いいたします。

Re: ahirutousagi2さん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/18 22:27 投稿番号: [17929 / 18519]
すみません。よく分からないのですが、
**************
元禄8年12月、幕府は鳥取藩に対し「因州・伯州え付竹嶋はいつの頃より両国へ附属候哉」と質問し、その質問に対する鳥取藩の回答書で「大谷・村川が竹嶋へ渡海しているのは松平新太郎領国の節、奉書を承ったと両人が言っていることを承っています」という文面があり   それが根拠となっています。
**************
これは外務省のパンフレットにある文章ですか。それともh369jpさんの文章ですか。前者かと思って、外務省のパンフレットをのぞいているのですが該当部分が見つからず、どう論じていいか困っています。

ともあれ、

>1618年(注)、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛は、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けました。これ以降、両家は交替で毎年年1回鬱陵島に渡航し、あわびの採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等に従事しました。

にさほどの違和感はないように思います。ポイントだけを押さえて提示したものでしょう。注で1625年説まで入れているのも、まぁ、いいのではないでしょうか。

>つまり、竹嶋への渡海免許の件は   大谷・村川両家がそう言っている   と鳥取藩は報告しているに過ぎません。

鳥取藩史の該当資料をご参照なさるのがよさそうです。それと、元禄八年のご引用ですが、何か変ですか?というより、何でこれが「根拠」になっているのですか?新説のように思われて、何が何だかよく分かりません。外務省でそんなことを書いているのかと思って探しても見当たりませんし、これは一体、何を仰りたいのでしょうか。

ご参考の文書であろう『竹嶋之書附』の「松平新太郎領国之節、以御奉書被仰出候旨承候」が、どこがおかしいのか、また何の「根拠」だと仰っているのかよく分かりません。

>つまり、竹嶋への渡海免許の件は   大谷・村川両家がそう言っている   と鳥取藩は報告しているに過ぎません。

元禄八年の件で言えば、これは、参考までに言及した程度でしょう。

>幕府も鳥取藩もよく分からないが大谷・村川両家だけが知っていたこの竹嶋渡海免許をもって   外務省は幕府が領有権を確立していたとパンフレットに記述されています。

幕府がどのように認識していたかはさらなる研究を待たなければならないでしょうが、鳥取藩は渡海免許を受けていたことは知っていましたよ。「松平新太郎領国之節、以御奉書被仰出候旨承候」なんて、知らなかったら書けないでしょう。

>外務省パンフレットは堂々と渡海免許の写しを載せていますが   そこには3名の老中が連盟で署名されています。この3名は1618年にはまだそろって役職に就いていません。

池内氏、内藤氏は、二人としていますが、三人でしたか。どこに出ていますでしょうか。参考までに教えていただければ有難いです。ともあれ、この老中の就任の問題に主たる原因があって、外務省は注釈をつけているわけでしょう。何か変ですか?

個人的には、韓国の石島方言説のほうが、よほど笑えますが。

道洞港出発 & 松田聖子

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/03/18 21:39 投稿番号: [17928 / 18519]
松田聖子は50近くになるのですが、そこらへんの同世代のおばさんとはえらい違いますね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100318-00000032-sanspo-ent
福岡出身のアイドルと言えば、松田聖子と酒井法子を思い浮かべますが、全然レベルが違いすぎます。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。メドレーは殆ど全て知っていますが、私の好きな曲が入っていないので、勝手にリンク張りました。


さて、掲題の件ですが、島一周遊覧船の「出発編」をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/


※ahirutousagiさん、7の翻訳ありがとうございます。
今夜私はあなたのものです(笑)。


next, coming up
■文章起しリスト
『尖閣油田の開発と真相』(文章起し開始)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/
『尖閣列島の油田開発について』
『台湾総督府報告』
■鬱陵島詳細図(竹島史料の文章起しとタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/map/
■不明文字●解析タイアップ資料
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
※chaamieyさん、大変恐縮ですが、鬱陵島サイトにリンクしてある●の解析もお願いします。私一人だけですと、首が回りません(苦笑)。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-03-01.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-06-02.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-06-10.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-06-29.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1920-12-27.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1921-02-04.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/1921-02-23.html






今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「松田聖子 メドレー」
http://www.youtube.com/watch?v=UE8ZEOxVzSw
「Pearl-White Eve」
http://www.youtube.com/watch?v=eQkpduKjV-M

Re: ahirutousagi2さん こんにちは

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/18 21:00 投稿番号: [17927 / 18519]
私の書き方が悪かったのか、何のことかよく分かりません。
いずれにせよ、二島一組で考える必要は幕府としてはなかったし、
現実として、隠岐、松嶋、竹嶋を示されて、
竹嶋を禁制とした。それだけのことでしょう。

二島一組というのは、ご都合主義に過ぎないのです。
資料をそのままに見ればいいだけの話かと。

Re: ahirutousagi2さん こんにちは

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/18 20:54 投稿番号: [17926 / 18519]
松嶋の情報も得ていたのに、渡海禁止には松嶋を明記しなかった。
松嶋の委棄を確認する証拠は存在しないことになります。
あとは、憶測ですね。
前述のペドラブランカ島でもマレーシアはペドラブランカ島と共に明記されていないミドルロックを委棄したものと主張した。しかし、その主張は通りませんでした。
東グリーンランドの判例も言及するように委棄の場合は、意思の明確なる明示が必要です。

Re: 竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/18 20:47 投稿番号: [17925 / 18519]
>十分ですよ。
もう一度東グリーンランドとペドラブランカの判例を提示しなければならないのですか。ペドラブランカの数マイルしか離れていない岩に、ペドラブランカに対する「主権は争わない」という手紙は適用されませんでした。十分というのであれば、ペドラブランカの判例を覆す、客観的な基準(判例等)を提示下さい。
自宣言では根拠になりません。

投稿者: lxrmltyds 投稿日時: 2010/03/18 17:25 投稿番号: [17923 / 18519]

Re: ahirutousagi2さん こんにちは

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/18 17:20 投稿番号: [17922 / 18519]
>鳥取藩がこの二島を一組のように考えていたとしても、結論として出たのは、把握可能な情報を取り入れた上での、老中の「竹嶋渡海禁制」だったことに、何の変更のしようもないものと思われます。

二島がワンセットであれば「竹嶋渡海禁制」には松嶋も含まれますよ。

ahirutousagi2さん

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/03/18 17:10 投稿番号: [17921 / 18519]
>どこがお笑いなのか「想像」なしでお話くださいませんか。

外務省のパンフレットのいい加減さにはあきれるというよりも   これが国の作製したパンフレットだということに驚きすら感じます。

1618年(注)、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛は、同藩
主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けまし
た。これ以降、両家は交替で毎年年1回鬱陵島に渡航し、あわびの採
取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等に従事しました。

元禄8年12月、幕府は鳥取藩に対し「因州・伯州え付竹嶋はいつの頃より両国へ附属候哉」と質問し、その質問に対する鳥取藩の回答書で「大谷・村川が竹嶋へ渡海しているのは松平新太郎領国の節、奉書を承ったと両人が言っていることを承っています」という文面があり   それが根拠となっています。

つまり、竹嶋への渡海免許の件は   大谷・村川両家がそう言っている   と鳥取藩は報告しているに過ぎません。

幕府も鳥取藩もよく分からないが大谷・村川両家だけが知っていたこの竹嶋渡海免許をもって   外務省は幕府が領有権を確立していたとパンフレットに記述されています。

外務省パンフレットは堂々と渡海免許の写しを載せていますが   そこには3名の老中が連盟で署名されています。この3名は1618年にはまだそろって役職に就いていません。

お笑いパンフレットというに相応しい内容だと思いませんか?
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